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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
11,28
※十二宮戦(巨蟹宮)のため当たり前のように紫龍(α)×春麗(Ω)描写があります※

ーーー

「うるせぇぇぇええええっ!」
 紫龍を引き摺って来た黄泉比良坂の頂上、もうあとは穴に落とすだけというところでデスマスクは再び彼方から囁かれるΩの祈りに気を散らせた。
「煩わしい!なぜこんな…まだΩに目覚めてもいない、コスモも使えない小娘の念が俺の頭に響くのだ!くそっ…邪魔をするなら殺すまで!」
「待てっデスマスク!春麗は関係ない!」
「それが俺には関係無いのだ!惹かれ合うαとΩであれば番でなくとも一方を失う悲しみは大きいだろう。お前と共に死で結んでやる事を感謝するべきだな!」
「…ぐ…デスマスク!お前はΩで…番もいるのだろう…?もしやお前はその相手に無理矢理番にされたのか?だから他人を憎み、殺しに励むのか…?」
 掴み上げられ穴の上に垂れる紫龍が絞り出した声にデスマスクはうっとり笑う。
「クク…俺はこの上なく愛されている。そして愛しているぞ。死など恐れぬ程にな」
「ならばなぜ…神の祝福を知りながらそれを裏切るのだ…わからない…聖闘士でありながら自分たちさえ良ければ他はどうなっても良いと言うのか!」
「あぁ、そうだな。俺たちは今この愛を繋ぐために生きている。世界を犠牲にするのではなく変えるのだ。神が与えし性差など…そんなものが生まれない世界へ。それを止めたければ俺たちよりも強くなり殺せば良いものを…誰もしない」
 ため息を吐き、紫龍をひと睨みしてから掴む手に力がこもった。デスマスクの全身から特有のコスモが揺らぎ、立ち昇る。辺りの亡者たちは恐れ慄いて朽ちた体を転げ回しながら逃げていく。
「ハハッ!お前ももう遅いがな!俺とあいつが結ばれたのは神様のおかげと言うのか!フッ…そう思えるような生き方をさせて貰えなかったというのがわからんのか⁈神によってな!人は平等に生きることができないことをお前も知ってみろ!」
「っ⁈デスマスク、やめろぉおっ!」
 遂にデスマスクの強大なコスモが五老峰から紫龍の無事を祈る娘、春麗に向けて放たれた。祈ることしかできない無力な乙女は圧倒的な力に抗えず大瀑布の底へと落ちていく。
 その時、磨羯宮にいたシュラとアフロディーテはデスマスクのコスモを感じ取り顔を見合わせて安堵の表情を浮かべた。
「これで邪魔者も居なくなった…。恐れる事はない。すぐにあの娘もここへ来る。愛があるのであればお前が先に逝き導いてやれ!」
「…春麗…っ!春麗――っ!」

 あとは失意の紫龍を穴の中へ落とすだけだった。ただ、それだけであったというのに…耳をつんざく紫龍の叫びにデスマスクの視界は突然暗転した。

ーーー

 暗い闇の中、ちらりちらりと白い雪が舞う。次第に辺りの木が見えてきて森の中にいるようだった。すぐ近くで叫び声が聞こえる。涙まじりの低いガラガラ声で、ずっと誰かの名前を呼んでいる。吸い寄せられるようにそちらへ向かうと、木の隙間から横たわる足が見えて、誰かがそれを抱き締めている。
『……っ!……――っ!』
 駆け寄って声を掛けても振り向いてくれない。あぁ、夢か。自分はここに居ないのだと悟った。彼は誰を抱いて泣いている?上半身は裸で…何故か全身に引っ掻いたような傷だらけ。色の落ちた、銀の髪の…首筋に、綺麗な噛み痕がついた…
――違う…――
 久しぶりだがこの夢は初めてではない。いつも抱かれているのは軍服を着た白金髪の男で、首筋は止まらない血で真っ赤に塗れて、顔も…顔も…
――俺ではなかった…!――
 俺の名前など呼んでいなかった!その声はシュラではなかった!誰だ⁈誰なんだ!
――早く戻らなくては…!――
 ……どこへ?何をしていた?…いつもは直ぐに覚めていた…これは、ただの、夢だから…。いつもは、直ぐに…覚める…。
――あぁ…――
 自分はもう、居ないのだと…

ーーー

「……ッ……!」
 シュラは巨蟹宮に戻ったコスモを探って心臓が強く跳ねた。感じるのは青銅聖闘士のコスモと…蟹座の黄金聖衣、だけ。
「…………」
 隣に立つアフロディーテも言葉を失う。デスマスクはまだ戻って来ていないだけかもしれない。だが…隣にいるシュラが、デスマスクの番が、次第に牙を剥き出しにしてαに染まっていく。「すぐに戻ってくるだろう」なんて気軽に言える空気ではない。やがて青銅聖闘士のコスモが獅子宮を目指し始めた時、ガツンと響いた聖衣の濁った音。シュラは崩れ落ちて地に膝を付いた。
「シュラ…大丈夫か…」
 胸に手を当て、額からは汗が吹き出し、苦しそうに息が荒い。アフロディーテは癒しのコスモを与えようとシュラの肩に触れたが、拒むように弾き返された。
(…私では手が付けられない…デスマスク…本当に逝ってしまったのか?これはあまりにも、呆気なくはないか?!)
「シュラよ…一度部屋へ戻った方が…」
 噛み締めた唇に血が滲んでいる。シュラの目に涙は無かった。今、彼から感じられるのは戸惑いと、怒り。コスモではない、αの威圧感がビリビリと増していくのをアフロディーテも感じる。それはやがて十二宮を、聖域を飲み込んでいく。

『巨蟹宮が突破されただと?』
『馬鹿な、黄金が青銅に負けたのか?蟹座が青銅に寝返るとは考え難い』
『所詮はΩの蟹座だったって事だ、青銅であろうとαには敵わなかったんだろうよ』
『努力だけではどうにもならない事もある』
『番が同じ黄金でなければΩらしく守ってもらえただろうに』
『運命は残酷だな』
『しかし青銅の方も黄金を倒していい気になっていられるのも今のうち』
『今聖域にいる全聖闘士が感じているだろう』
『恐ろしい、とても強大な怒り』
『これだけ離れていても貫かれそうだ。聖域ごと破壊しかねない』
『磨羯宮の突破は絶望的だろう』

 シュラの怒りにシャカはほくそ笑んだ。ミロは呆気ないデスマスクの死を笑った。
 抑制剤の副作用ではなく、教皇からの洗脳を受けていたアイオリアは目を覚まし青銅聖闘士を先へ通す。自分の出る幕など無いと思っていたシュラが待つ磨羯宮まで、順調に上ってくる。なんて脆い…守り続けていたはずの聖域はとっくに崩壊していた。
 悲しみは極限に達すると涙も出ないと聞く。怒りもまた、極限に達するとこうも無になれるのか。

「クク…良いザマだな、山羊座よ」
「教皇っ…!こんな時に!」
「のこのこ宮を抜け出ているのはお前もだろう、魚座」
 静かな磨羯宮に突然響いた声。サラサラと法衣の擦れる音が近付き、崩れ落ちたままのシュラの前に真っ黒な髪のサガが姿を現した。
「愛おしくて仕方のない番を失った気分はどうだ?たかが青銅に殺された気分はどうだ?しかしまさかこんなにも呆気ないとは…番にしたのは早計だったか。Ωのフェロモンが使えれば青銅なんぞ何の問題にもならなかっただろうに」
 シュラは俯いたまま何も答えない。そこにサガが来ている事にすら気付いていないかのようで。
「おそらく死んだのだろうが流石に私も積尸気へ行ったコスモまでは辿れないからな、期待を持ちたければ持てば良い。それでお前が戦えるのならば都合の良い夢を見ていれば良いのだ」
「っ?!待てっ…!」
 サガの言葉を聞いていたアフロディーテはそこに含まれた思惑に気付き、薔薇を構えて2人の間に割り入った。サガは目を細め、ニヤリと笑う。
「山羊座がこのザマではお前にも負担が掛かるだろう?戦ってもらわねばならん。蟹座を復活させてやろうという話だぞ」
「そんな事をしなくてもシュラは戦える!洗脳を使うのは止めろ!幻覚などデスマスクの代わりになんかならない!」
「使ってみないと結果はわからないだろう?それともお前が受けてみるか?幻のΩでも愛されてみれば力が増すやもしれん」
 そう言って拳を向けるサガの足元を目掛け、薔薇を数本打ち込んだ。
「そうまで言うのならお前が自分に使ってろ!私がデスマスクを想う愛とシュラが想う愛は違うものだ、それくらいわかるだろう⁈」
「あぁ、同じであればお前が早々に蟹座を番にしていただろうしな。お前たち三人はややこしい関係だ」
「…シュラは戦える…だが、もし青銅が磨羯宮を突破したとて双魚宮を抜ける事は無い」
「フッ…その自信。最低条件だな」
 拳を下ろしたサガは数歩引いてアフロディーテの背後に隠れるシュラの姿を再び捉えた。
(…番が殺されたのだ、あれ程の怒りを蓄え…青銅に寝返ることはまぁ無いだろう…)
「青銅の侵入はお前たちで必ず食い止めよ。偽アテナの一派を全滅させた後、今回青銅に加担した聖闘士の粛清も行うぞ。デスマスクを偲んでやりたいならばαを狩れるだけ狩ってやれ」
 それだけ告げるとサガは足音を消して磨羯宮から去って行った。
「全く…何なんだ…"サガ"はともかく、今さら焦りを見せたところでお前の味方など最初から居ないというのに…」
 宣言通り青銅とは正面から戦おう。だがこれは勅命のためではない。ずっと守ってきた聖域のためでもない。
 デスマスクのためでもないが、彼の理想…αとΩの終焉は実現できるのならば見てみたいと思った。それは自分たちの終わりでもある。シュラとデスマスクはアダムとイヴにならない。大虐殺のすえ人類の苦しみを一つ解き、誰にも知られず消えて行く…。
 考えれば考えるほど、身勝手で愚かでロマンチックな話だと思った。正義とは綺麗なものではないのだ。これは殺戮を厭わない、その性とそれを行えるだけの力を持って生まれさせられたデスマスクにしか思い付かないことだろう。

 想いを巡らせてからアフロディーテは振り返り、サガが来る前と同じ状態のシュラを見下ろす。汗も動悸も落ち着いていたが何を考えているのか全然動かない。
(このままでは時間がないぞ…)
 この「無」が再びシュラの底知れぬ力を目覚めさせる前触れであるのならそれでいいが、その力を青銅にぶつけなければ何の意味も無い。アテナでも聖域でもなくデスマスクを想って使われるべき力を。
「シュラ…」
 反応は無いと思いつつも親しい仲の癖から無意識に声を掛けた。小さな声が辺りで響き、すぐに静けさが戻って一呼吸ついた時――
「…αを狩る、か…」
 低い声が返り、カシャ、と聖衣が動く。
「シュラッ!」
 よろめきながらゆっくりとシュラは立ち上がり、すぐ背後にあった柱にもたれ掛かった。
「シュラ、今に青銅が来るぞ!そのまま腑抜けて青銅を通すのか⁈お前はなぜ戦って来た?この歪んだ聖域でずっと!今やるべき事を考えろ!私は戻るからな!」
 その訴えにシュラからの返事は無い。動く気配も無い。ただ一度、鋭い視線がアフロディーテを捉え、直ぐに伏せられた。それで十分だった。

 シュラの返しを得て笑みを漏らしたアフロディーテが外へ出ると、磨羯宮の上に広がる空はいつしか夕闇に覆われていた。デスマスクのコスモが途絶えて5時間が経つ。戻らない。何も感じない。今、青銅聖闘士が遂に人馬宮を抜け磨羯宮を目指し始める。あんなにもヒシヒシと感じられた怒りはすっかり消え去っていた。そう、何も感じない…。

ーーー

 磨羯宮へ続く階段は青銅聖闘士が駆け抜ける音だけが響く。風もそよがず、星々は瞬きを潜めてしまった。恐ろしい程の静けさに青銅聖闘士たちは一瞬、躊躇った。
「なんだここは…無人なのか?」
「ならば一気に先へ進むまで!」
 今、青銅聖闘士たちは磨羯宮を駆け抜け、柱にもたれ掛かっているシュラの前を通り過ぎて行く。

――α、α、α…――
 遠ざかっていく足音。
――オレの、Ωを殺した、α…――
 一歩、踏み込んだ。
――俺の、デスマスクを殺した、アルファ…!――

 突然、鋭い光の筋が磨羯宮の闇を裂いた。ちょうど外へ抜け出た青銅聖闘士たちを目掛けて、深く地を切り裂く拳が放たれる。
「「紫龍!」」
「ほぉ…これは運が良い…」
 おそらく最大級の聖剣によって宝瓶宮への道は深く裂かれた。一人残された青銅聖闘士こそデスマスクと対峙した老師の弟子、紫龍だった。道は断たれたが先へ進めないわけではない。仲間を一刻も早く教皇宮へ向かわせるために紫龍は留まり、背後に迫るコスモを感じて振り向いた。
 磨羯宮の闇から現れたシュラは無表情のまま笑っている。デスマスクでも見た事のない、人らしからぬ笑みを浮かべゆっくり紫龍へと近付いた。
「蟹座のデスマスクと戦ったのはお前だな?」
「……そうだ……。お前が磨羯宮の黄金聖闘士か?」
 答えは知っていたが憎き仇が決定付けられ、シュラは笑ったまま目を細める。憎い、見たくもない、一刻も早く斬ってしまいたい苛立ちに耐え、どうしても聞いておきたい質問を絞り出した。
「俺が山羊座のシュラだ。殺してやる前に確認したい事がある。デスマスクはどうした?なぜ黄泉比良坂から戻って来ない?」
「…それくらいわかるだろう?黄泉比良坂の穴に肉体のまま落ちて確実に死んだのだ!亡者たちの恨みを買う非道な行い、聖衣にも見放され黄金聖闘士とは思えぬほど無様に死んでいったぞ!」

ーーー

 あの時…春麗の名を叫び、自らの無力さに気を失いそうになった紫龍は暗転した瞼の内側で祈り続ける少女の姿を見た。滝つぼの奥深くへ沈み行くなかに於いても両手を合わせ、ただ紫龍の無事を祈る姿。その命を、彼女が持つ愛の全てを紫龍に捧げようとする姿。
――あぁ、こんなにも尊く清らかな彼女を自分のために失いたくない…沈ませない!今ならまだ掴める!届け、春麗に…!――

「ぎゃぁああっ!!」
 願いを込めた夢の中、勢いよく腕を伸ばしたその手はデスマスクの脚を砕いていた。黄金聖衣が砕かれたのではない。そこには聖衣の外れた無防備な脚が曝け出されていた。
「ぅっわぁっ!」
 デスマスクがバランスを崩し倒れ込んだ拍子に紫龍は運良く冥界の穴とは逆の方へ放り出された。すかさずデスマスクを確認すると砕かれた脚を抱えて蹲っている。すぐ近くには黄金のフットパーツが転がっていた。何が起きたのか理解できなかったが、この好機を逃すわけにはいかない。
「デ、デスマスクッ!春麗の仇!」
「ぐっ…ぅ、ぇぇっ…!」
 紫龍の拳が今度はデスマスクの腕を砕いた。確かに黄金聖衣を身に着けていたはずなのにまた外れて地に転がっている。
「…なっ…なんだっ…黄金聖衣が外れていくなど…!」
 荒い息を吐くデスマスクから急激に力が抜けていくのを感じた。実体のままそこに在る体からダラダラと汗が流れ始め酷く震えている。
「く、くそっ!こんな時に!…いいか、黄金αと番になった黄金Ωの力はな、神に匹敵するのだ!オレサマに選ばれなかったαどもは全員ゴミ同然!お前は勝てん!死ねぇ!」
 力を振り絞ってデスマスクは立ち上がったが、それを黄金聖衣は許さなかった。骨が軋むほどデスマスクの体を強く締め付けたかと思えば一斉に聖衣が外れ、先に落ちていったパーツと共に蟹座が姿を表す。聖衣から与えられる衝撃に耐えられなかったデスマスクは地面に叩き付けられてから、薄く開けた瞼の先でその姿を確認した。
 思いも寄らない展開に紫龍も驚きを隠せない。
「おぉ…黄金聖衣がデスマスクに制裁を与えている…やはり奴は黄金聖闘士に相応しくないのだ…」
――相応しくない…――
(…俺を選んだのは誰だ。蟹座の宿命に選んだのは誰だ。お前だろう?裏切るのか!あんな陰湿な巨蟹宮に俺を捕らえたお前さえも、都合が悪くなれば俺をあっさり見捨てるのか!そんなもののどこにアテナが謳う愛などある?!)
 聖衣が外れ、晒された首筋に残る噛み痕がジンと熱くなるのを感じた。
(愛など…もう…。ただ一つのコレだけが、俺の救い…)
 ゆっくりと腕を動かし、震える指で少し抉れた痕に触れる。シュラの鋭い牙を思い出す。
(偽善で無能な神に代わり、俺たちが世界を正さなくては…。聖衣も全て壊してしまうのだ。俺たちならできる…黄金αと黄金Ωの俺たちならば…神に匹敵する力で…)

 まだ立ち上がろうとするデスマスクの姿に紫龍はコスモを高めた。しかし自分は魂でしかなかったが聖衣を着ていて、その能力は備わったままだ。残されたコスモの力のみで戦おうとするデスマスクを前に聖衣を着ている自分が許せなくなり、脱いでしまいたいと思った。
「クク…馬鹿か…現世の実体は着たままというのにそんな事もできるのだな」
「俺は正義のために聖衣と血を分け合い、助け合ってここまで来たのだ」
「…血か…貪欲な蟹座聖衣は舐める程度では満足しなかったようだ…」
 強く願った紫龍は魂が纏っていた聖衣を脱ぐことに成功し、デスマスクの前に立つ。今まではアテナである沙織の力、蟹座の聖衣、そして命を懸けて祈り続けた春麗に助けられ死を免れた。次こそは自らの力でデスマスクを倒したい。春麗の死を無駄にはしない。決して、それだけは何が何でも…!
「まだ番でもない小娘の死でそこまでコスモを高めるか…まぁ彼氏としてそれくらいは当然の餞だろう。だが言ったはずだ!黄金αの力をも得たオレサマを超える事はできんのだ!今度こそ死ねぇぇえ!」
 脚が砕けて立てずとも、腕が砕けて拳が振れずとも、コスモさえ極限まで高めれば青銅が限界値を超えてこようとも勝てるはずだった。今の自分であればムウをも凌ぐ最強のサイコキネシスで僅かな思念すら残さず魂を木っ端微塵にできるはずだった。それ程の力があったはずであるのに。
「…なぜっ…」
 実体を持たぬ瀕死の魂が放ったコスモの龍は、春麗の死を糧に鋭く膨張し黄金の力をゆうに超えた。ぶつかり合ったコスモは次第にデスマスクを圧倒し、呑み込んで、大きな深淵へと引き摺り落ちて行く。
 デスマスクは自らの能力で宙を歩く事も容易かった。落ちても浮かび上がればいい。落ちることなど有り得ない。浮かび上がれるはずなのに、薄気味の悪い黄泉比良坂の空がどんどん遠く離れて行く…。
 体中に纏わりつく紫龍のコスモが気持ち悪くて、デスマスクは力のコントロールが効かなくなっていた。
―何だこれはっ…ゾッとする…!―
 勝ち負けなんかよりも、こんな終わり方は絶対に嫌だと急に涙が溢れ出た。自分は所詮αに支配されるΩなのだと死の間際まで思い知らされる。
―嫌だっ…気持ち悪い!こんなαのコスモ嫌だ、離れろ!っ…シュラ、シュラ!助けろ!返事しろ!届け!っ…届け、よぉっ…!―
 紫龍を想う小娘の念は冥界の壁をも超えてきたというのに、番の声が届かないこの差は何。こんなに想っているのに、愛しているのに…神が隠すのか?俺たちの愛を。
「シュラっ…嫌だ、お前じゃないのは全部いやだぁっ!気持ち悪いっ、殺してくれ!はやくお前が来て殺してくれよぉ!!」
 シュラの香りを、コスモを、声を、その姿を必死に想い描きながら、デスマスクは紫龍のコスモを引き剥がそうと手当たり次第に体へ爪を立てて掻きむしり続けた。
「しゅら、しゅらぁっ…!しゅらぁぁぁぁああ!…」
 白い頬も胸も背中も血が滲み出して壊れていく悲惨な姿は瞬く間に深淵へ呑み込まれ、呪文のようにシュラを呼び続ける叫び声も、闇の中に潰えた。

ーーー

「デスマスクは非道な行いの報いを全て受けて死んだ。あの男は黄金聖闘士に相応しくなかったのだ!お前にもわかるだろう?」
「……ハハ、聖衣にまで……そうか……。やはりあいつには俺しかいないのだな。誰にも守られず、サガにも老師にもアテナにも裏切られ、最後まで可哀想に……」
 笑いながら憂いた声を上げる不気味なシュラを見て、紫龍は考えるより先に声が出た。
「…まさか、お前が…デスマスクの番、か…?」
「気安くアイツの名を呼ぶな」
 シュラはスッと笑みを潜め低い声で呟くと紫龍の足元に向けて一撃を放つ。慌てて飛び避けた紫龍の長い髪が数本、辺りに散った。
「黄金聖闘士に相応しくないのならばそもそも蟹座になっていない。それともΩが黄金になる事を相応しくないと言ったのか?神が与えた宿命を無視して辞めさせれば良かったと?αならば納得いくのか?」
「そうではないっ!デスマスクがしてきた事、番ならば知っているだろう!」
「俺でもアイツの全ては知り得ない。だがな、お前よりは遥かに知っている。どうせ巨蟹宮を見ただけだろう?それでデスマスクを知った気になるとは…その程度の事で自らが正しいと正義を騙る愚かさよ!」
 今度は真っ直ぐ紫龍に向け宙を斬った。自身を庇ったドラゴンの盾が呆気なく斬り落とされ、カランと音を立てて転がる。
「そんなっ…ドラゴンの盾がこんなにも容易く…!」
「今その身が繋がっているのは盾のおかげだな。だがそれももう無い。次で終わりだ」
 何の躊躇いも疑いもなく拳を向け続けるシュラに紫龍は疑問が湧いた。番を殺されただけでアテナに対する忠誠も覆るものなのだろうか?
「シュラよ!お前も黄金聖闘士でありながら、デスマスクのみならず教皇の悪事も知ってアテナに刃向かうのか⁈」
「お前には到底理解できん事情がある。理解してもらう気もない。だがデスマスクの仇以外にも戦う理由が欲しければ一つ与えてやろう。十三年前、アイオロスを死に追い詰めたのが俺だ。それで十分だろう」
「アイオロスをっ…?アテナを守ろうとした仲間を手に掛けたのか⁈」
「アテナを連れ去ったのは事実だからな」
 だからと言ってそんな事…などと呟いている紫龍を面倒に思ったシュラは左手を構えて容赦なく聖剣を撃ち込んだ。飛び避けたところに右手で更に撃ち込み崖へと追い詰めていく。このまま底の見えない崖下へと落ちればアイオロスの時と同じだな、とぼんやり思った。
―いや、コイツだけはこの手で殺さなくてはならない…―
 少年とは言えシュラにとって最も許せない罪を犯したα。殺しても足りないほどだ。崖下へ落ちても追い掛けてその身を刻み尽くしてやらないと気が済まない。
 シュラのマントがはためいた。止まっていた風がいつしか吹き始めて紫龍の髪も緩やかにそよぐ。この風ももう、この世にいないデスマスクとは共有できない。
 一つ瞬きをして、右手を構えた。

ーつづくー

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2024
09,24
「おい、何でコレがあるんだよ」
 シャワーを浴びてから居間に来たデスマスクは食卓に置いてある袋を見るなり声を上げて中身を確認した。ナポリで買ってきたことを伝えると沈黙し、無言で一つ摘んで口に入れる。
「…本物だな。地元とは言ったが俺、ナポリ生まれじゃねぇけども」
「たまたま行った先で見つけただけだ。出身地を割り出そうとしたわけではない」
「うん、でもまぁ…違うけど近いぜ。すげぇな、偶然って。さすが愛のチカラ」
 最近これを食べていなかったデスマスクはメイン料理そっちのけで美味いと喜んだ。シュラもまた食事を終えてから酒のつまみに彼の故郷の味を楽しむ。青銅も老師とムウも片付いたら、スペインに行ってお前の故郷を探し当ててやるとデスマスクは宣言した。隠すつもりなど無いが、面白そうなので自分もヒントになるような食べ物くらい用意しようと話に乗ればデスマスクはにっこり笑う。
「俺ももう一度シャワーを浴びてくる。寝室で待ってろ」
 片付けを終えたシュラはそう言い残して浴室へ向かった。

 待つ間にデスマスクは今夜もらう衣服を何にしようかと勝手にクローゼットを開けて物色する。番になってからよく持ち帰るので、昔は私服の数も少なかったのに今では10着くらい常備されている。どれも当たり障りの無い無味無臭なデザインばかりだ。いかにもデスマスクに与えるため常備していますという感じも滲み出ている。
「…これずっと置いてあるな…もう使ってないのか」
 今まで気にしてこなかったが服を退けた奥に、隠れ家へ行く時シュラが使用していた鞄がひっそりと置かれていた。シュラは普段、財布しか持たない。袋が必要な時には現地調達している。その感覚がデスマスクには合わなくて、一緒にいる時は自分の鞄にシュラの持ち物を入れる事もあった。
(…何か入ってる…?良い感じの私物だったら貰うか…)
 引き摺り出した鞄は少し重みがあり、何かが中で動く。ファスナーを開いて手にしたものは手帳だった。一冊だけではない。数冊入っている。
(あいつが手帳をつけているところなんか見たことないぞ…)
 手に取った手帳を開いて驚いた。下手な字がびっしりと書き詰められている。
「なっ…なんだコレは⁈」
 デスマスクには読めなかった。下手だからではない。ギリシャ語や英語ではなく、スペイン語で書かれたそれ。
(くっそ…わかんねぇ!スペイン語かじっておくべきだった!何が書いてあんだよ!)
 仕事のことだろうか。カレンダーにも白紙にもたくさん書き込まれている内容が気になって、どうにか読めないかと字列を睨む。
(ぴ…ぴあ…ん?ぱ、ぱすた…ぴざ…?これって料理のメニューか?なんでまた…)

「ぎゃびぃ⁈」
 真剣になっていると突然、手にしていた手帳が取り上げられて変な声があがってしまった。
「ククッ…おまえ、どこからそんな声が出るんだ」
 見上げたデスマスクと見下ろすシュラの視線がぶつかる。シュラは何も言わず手帳を近くの台に乗せた。取られたデスマスクは鞄に残る手帳を手に取るがそれも次々取られてしまう。
「…それ何だよ?何の記録?料理だけではないよな?」
 訝しむデスマスクの声に対しシュラは無表情で、手に残った手帳をパラパラと眺める。低い声で唸ってから手帳を閉じてデスマスクの隣にしゃがんだ。
「…これは、Ωが覚醒してからのお前の記録だ」
「…俺の…?」
「ハハ、今改めて見るとヤバいよな…βのくせにαばりの執念を感じる。任されたとは言えお前に関しての記録が仕事の範疇を超えている」
 改めてデスマスクに開いて見せたシュラは、何が書いてあるのかを指差しながら説明した。発情期中の様子、食事について、異変、薬のことなどはもちろん、聖域にいる時のデスマスクの状態までとにかく書けることは全て書き出していた。
「隠れ家もΩのお前を哀れんで準備したわけではない。快適に過ごせる場所を自分が用意してやれるという高揚感があった。最初から俺は、お前に関われる事が嬉しかったのだろうな…」
「あんな…気のない態度してたくせに?」
「騙していたわけではなく、お前に惹かれているという自覚が無かったんだ。βだったしな。しかし今これを見ると…」
 懐かしそうにページを捲り終えたシュラは手帳をデスマスクに差し出す。
「ずっと…心の奥底では好きだったのだろう…これはその証として十分だと思う。愛を綴る日記ではないが、お前が愛したβの俺が、お前を見続けた七年間の記録だ。持って行くか?」
 台に置いた残りの六冊もデスマスクに渡された。どれも書き込みが多くて、あの頃のシュラがこんなにも自分に目を向けていた事実に胸がギュッとなる。そこに好きの意識はまだ無かったとしても、互いを思う気持ちの熱に差が無かったのは嬉しい。デスマスクは心のどこかで自身のΩフェロモンがβのシュラですらジワジワと狂わせてしまったのではないかという思いがあった。そうじゃない、初めからシュラはデスマスクを見ていたのだ。
「要らなければ鞄に戻してくれ。ハハ、βの遺物だが捨てるのはさすがに勿体無くてな」
 そう話すシュラは笑っているが、どこか切ない表情をしている。殺したつもりでもふと湧き上がる己のβとαの葛藤は今でも解消されていないようだ。
「…読めねぇけど、スペイン語の練習兼ねて貰ってやる。番になりたくてαを強請ったが、もうβとかαとか関係無いからな?俺は今のお前ちゃんと好きだから」
 七冊の手帳をベッド脇の台に乗せたデスマスクは、両手を広げてシュラを受け止めベッドに押し倒された。
「お前が好きだから…お前がβでもαでも例えΩであっても俺はお前に抱かれたい…!」
「同じだ、俺もお前を抱きたい。性別が何であろうと愛して愛して満たしてやる!」
 首筋の噛み痕に唇を寄せ、舐めるだけでデスマスクは吐息を漏らして濡れていく。爽やかな甘い香りが部屋に満ちる。服を脱がせながら全身を唇でなぞり肌を重ねた。伝わる心音はいつも通り。体温もそう。不調なんて感じられない。
「青銅が片付いたらスペイン語を教えてやる。お前もイタリア語を教えてくれ」
 頷くデスマスクはもうシュラの熱に侵され、全てを捧げるままだ。
「聖域に残るαとΩも殲滅させたら、どちらかの国で暮らそう。ひっそりと、あの隠れ家のような家で」
 揺れながら、潤んだ瞳に満ちた涙がデスマスクの頬を伝っていく。
 夢のような事を望みながらも、きっと自分たちは再び悲劇に落ちていくのだろう。そう…望みながらも悲劇を選ぶ。αとΩの虐殺は理想の実現と並行して罰の到来を待つ時間稼ぎ。自分たちのことしか考えない二人は永久に裁かれ続ける。
 そこに気付いた今、第二の性に翻弄されてから初めて神を讃えれる気がした。

「終わったらまたお前のとこ行くから」
「あぁ、待ってる。聖衣の調子見ておけよ」
 夜が明ける前、デスマスクを巨蟹宮まで送ったシュラは私室前でキスをして別れた。日本のアテナたちはわざわざテレポートを使わず飛行機で聖域まで来るらしい。そして礼儀正しく9時過ぎに到着するという連絡まで受けたようだ。だが全てを信用するわけにもいかない。ここから長い待機が始まる。
 シュラが磨羯宮へ戻る途中、夜明け前にもかかわらず天秤宮でミロとすれ違った。
「クク…お前たちはこんな時くらい性欲を我慢できないのか?」
「明日の命もわからぬ聖闘士である限り、悔いは残したいくないのでな。求められれば愛してやるだけだ」
「聖闘士か…教皇に何を任されているか知らんが何事もやり過ぎは身を滅ぼすだろう」
「そんな事くらい理解している。お前も悔いなく生きろよ」
 手短に切り上げたシュラはそのまま天秤宮を抜けて階段を上って行った。
「だから、俺はお前たちとは違う…」
 ミロは舌打ちをして呟き、シュラが見えなくなってから自身も天蠍宮へと戻って行った。

 太陽が高く昇りつつある頃。シュラはデスマスクから貰ったアンクレットを寝室の引き出しに片付け聖衣に着替えた。磨羯宮の外に出ると、太陽の光に紛れているが時計台に灯りが見える。
「来たか…」
 晴れた空、雲がゆっくりと流れていく。肌寒い風がときおり吹くだけで辺りは静かだ。宮殿を支える柱にもたれかかり麓を眺めている最中、白羊宮の火が消えるのを見届けた。僅かに力を増したコスモの群れを感じる。
「やはり白銀では駄目だったか…任せたぞ、デスマスク…」
 磨羯宮からずっと下の巨蟹宮ではデスマスクがその時を楽しみに待っていた。

(ムウの奴…ノコノコと現れやがって…青銅を潰したら直ぐに殺してやる…!アルデバランはそれなりに闘ったようだが命など賭けることなく青銅たちを先に進めるとは…馬鹿め…殺せと言われていただろう?適当に言いくるめられたか、ただの力試しと勘違いしているのか…)
 青銅聖闘士たちが双児宮へ入った事を確認したデスマスクは巨蟹宮の中央で闇に紛れ、来るべき時を待った。外が晴れていれば灯りの乏しい宮内もそれなりに明るい。しかし巨蟹宮だけはデスマスクが聖域に来た時から太陽の光が宮内に届かず闇に沈んでいた。死面が通行人に何か危害を加える事はない。幽霊が出るわけでもない。ただただ気味の悪い巨蟹宮を通過する雑兵たちはみな一目散に走り抜けていく。
(…双児宮で何を手間取っている?悠長に作戦でも相談しているのか?)
 双児宮に邪なコスモが漂っているのはわかるがサガはそこにいない。まさか教皇宮にいるサガが双児宮を利用して青銅とやり合っているなど頭になかったデスマスクは、そこから動く気配を見せない敵に苛立ち始めた。今のところ聖衣を着ていても体調に問題はない。力も漲っている。ただ、聖衣の輝きは鈍っていた。それが一層デスマスクを巨蟹宮の闇に埋めている。
(あぁ…早く葬ってやりたい!)
 聖衣の輝きなど気にも止めず、床に張り付く死面を踏み付け待ち侘びた。

 昼過ぎ、点灯から三時間が経過し双児宮の火も消えるのを磨羯宮からシュラは見ていた。
――来るのか…――
 それまで動かなかったデスマスクのコスモに揺れを感じ、シュラは瞼を伏せて念じる。来るのならば、全て殺してしまえと。

「お前、黄金聖闘士のくせにΩかよ!でも番持ちか…助かったぜ…」
「老師を襲うだけではなくこんな非道なことまで…聖闘士として恥ずかしくないのか!」
 巨蟹宮の死面に気付いた青銅たちが何かを喚いている。現れたデスマスクの姿を見て悪態をついている。二人とも顔は知っていた。鷲星座の弟子、天馬星座。そして老師の弟子、龍星座の紫龍。いかにもαらしい彼らの言うことが安っぽくて、聞いてやる気も起きない。女神なら…もしも本当のアテナであればこの俺を見て何と言う?

――デスマスクだけは必ず倒すのです!――

 黄泉比良坂の地で確かに響いた声。現世にいるデスマスクへ向けられたものではなかったが、敏感な彼の頭には大きく響いた。
「クク…十三年間聖域を保ち続けた自らの聖闘士に対し愛のない言葉だ。紫龍の魂を戻す程の力…アテナであると認めたいが、それは却って傷付いてしまうな。それとも愛ゆえに俺を殺すという考えか?ならばシュラも共に殺してくれるのか?ハハッ!」
 シュラよ、神でさえ俺の深部には触れようとしない。やはりお前だけだぞ、お前だけが俺の心に触れ、俺はお前だけに触れることを許した…。俺にはもう、生涯お前だけだ…。
「紫龍よ、今度こそ確実に死の国へ送ってやろう!二度と戻れぬ深い闇の底へとな!」
 青銅を殺し、黄金を殺し、サガもアテナも殺してしまおう!
「力で抑え付ける者には力で対抗するしかできん!力を持つ者は勝者となり、その者の歩む道が正義となる!後世、そうした英雄たちが悪に転じて討たれるのは、より力を持つ者に敗れただけのこと。正義も負ければ悪となる。ならば力を持つ今こそ全て殺してしまえばいい!情けは自らを滅ぼす!」
 二度めの積尸気冥界波で紫龍は呆気なく冥界の入り口に落ちた。
「なんと呆気ない…」
 先程紫龍を助けたアテナのコスモには波がある。万全の状態ではないのだろう。今のうちに天馬星座も追い掛けて二人とも潰してやると考えたデスマスクは、魂が抜けて目の前に落ちている紫龍の体を蹴り上げた。
――……‼︎――
「……なんだ……」
――……‼︎……‼︎――
「……くそ……誰だ……」
 途端、アテナのものではない、コスモと言えるような強い力でもない囁きがデスマスクの周りで突然弾け始めた。
――……‼︎……‼︎……――
「あぁっ!くっそ!誰だ!鬱陶しい!」
 むしゃくしゃする。この、とても純粋で清らかな…祈りが…紫龍を案じる祈り…まだ目覚めてもいない…未熟な…Ωの、祈り…。
「くそ…穴へ落ちるまでこれが続くのか…!ならば一刻も早く紫龍を殺してくれるわ!」

「デス…⁈」
 突然消えたデスマスクのコスモに、シュラは伏せていた瞼を持ち上げ磨羯宮の入り口から麓を見つめた。
(黄泉比良坂へ向かったのか…?)
 死の予感は無い…。自分も感じたアテナと認められる小娘の力にデスマスクが本気になっていくのはわかった。アテナの補助がなければ青銅一人を倒すくらい容易いはずだが…。
「邪魔が多くて手こずっているようだな」
 突然掛けられた声に振り返ると、悠長に自宮を抜け出して来たアフロディーテが立っていた。
「お前…こんな時に何をしている!」
「まだまだ時間はあるだろう。十二番目の私はずっと待ちぼうけだ、夕食の支度まで済ませてしまったよ。カミュだって宝瓶宮を抜け出しているしな!」
 そう笑いながらシュラの隣に並び、巨蟹宮の方を見つめる。
「心配なら行くか?巨蟹宮へ。今なら私が磨羯宮に留まってやるぞ?」
「…断る。そういう事は嫌がる奴だ。デスマスクとしても、Ωとしても…。青銅一人に黄金二人は恥だ」
「そうだが女神付き青銅は反則ではないか?」
 少しの沈黙を置いてからシュラは呟く。
「もしも…アテナがデスマスクを殺すような事があれば俺が仇を討つだけだ」
「…で、後追いするのか」
 シュラの言葉に溜め息を吐いたアフロディーテは呆れたように言うが、それを消すように笑い声が重なる。
「フッ…デスマスクは死なない。そこまで考える必要などない。今に黄泉比良坂から戻り先へ向かったもう一人の青銅も討つだろう」
 死の予感は無かった。あちらへ向かっただけだ。だが、もしも黄泉比良坂でデスマスクが亡くなった時それはわかるのだろうか?コスモの届かぬ冥界の入り口から、それを知る術があるのだろうか?
「そうだな、待とうではないか。我々の血に塗れた正義を」
 二人はそこから動かず、巨蟹宮の方をじっと見つめデスマスクの帰還を待った。

ーつづくー

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2024
09,20
 老師暗殺の失敗から僅か数日後、好機は向こうからやって来た。聖域を守護する黄金聖闘士たちが教皇宮に呼ばれ集まっている。教皇の登場を待つ中、デスマスクだけはまだ来ていなかった。
「デスの奴はギリギリまで任務か?何だかんだ真面目だな」
 遅めに来たアフロディーテは辺りを見渡しながら、やはりシュラの隣に並んだ。第二の性が判明してからの三人は自然とシュラを挟んで両脇に二人が並ぶようになっている。老師を除く黄金十一人が揃っていた頃は十二宮順に整列していたものだが、十三年前の事件以降は不在者が多いゆえ次第にそれも崩れてしまった。その時点で今の聖域のだらしなさが現れているとも言えるだろう。
「アイオリアの奴、ずっと顔が強張っているがどうしたのだ?調子が悪いのか」
 教皇座の正面、中央。一人で不自然に仁王立ちしているアイオリアが気になる。
「俺も気になってお前が来る前に声を掛けてみたが、体調に問題は無さそうだった。抑制剤の副作用でも出ているかもしれないな…αらしさが剥き出しになっている」
 そういう事か、とアフロディーテが頷いたと同時に後ろの扉が開きデスマスクが入ってきた。全員が聖衣を装着している中、一人だけ鍛錬着のままでいる。
「おいおい…君さ、一応教皇の召集だぞ?形だけでも着てくるべきだろうに」
 アフロディーテの声掛けに無言のままデスマスクはシュラの隣に並んだ。離れたところでミロがカミュにヒソヒソと話をしている。シャカとアルデバランは全く気にしていない様子だった。アフロディーテがため息を吐く中、シュラはそっとデスマスクの尻に触れてみれば勢いよく叩かれたので、いつもの調子に安堵し姿勢を正した。教皇の登場だ。

「ご丁寧にも日本から偽りのアテナと青銅聖闘士たちが聖域に来る旨の親書が届いた」
 その言葉にカミュのコスモはもう揺れなかった。
「情けないことに今まで派遣してきた白銀聖闘士は成果が上げられなかったが、ここで全ての偽りを暴くために奴らを迎え入れようと思う。アテナを自称する者に真の力が宿っているのであれば、青銅とは言えこの十二宮を破ることができるはずである。偽りならばそれまで。安易にアテナを騙り世界を騒がせた裁きを下すのだ!」

ーーー

 双魚宮でアフロディーテと別れてからシュラはやっとデスマスクに聖衣を着ていない理由を尋ねた。
「さっきまで着ててそのまま来ようと思ったんだが、妙に暑苦しく感じて脱いできたんだ。今までどんな灼熱の中でもそういう苦しさを感じた事は無かったんだがな…俺の調子が悪いのかもしれん」
「俺が抱いても効果が無くなったのか?」
「いや…技とかコスモ自体は冴えているのだが…青銅を殺るチャンスが来たというのにタイミング悪ぃな、クソ!」
「所詮、青銅だ。また白銀の奴らが取りこぼしてもアルデバラン一人で十分だろう」
「あいつもヘマしたら俺が全部片付けるんだぞ?別にそれくらい良いけどよ、まぁ青銅くらい聖衣が無くてもどうにかなるだろうしな」
 召集に聖衣を着ていなくてもサガは何も言わなかった。老師暗殺を失敗してから「やはりΩは…」と言いたげにデスマスクを蔑む様子が感じられる。それを早く見返してやりたい。
「青銅を潰したら五老峰に行く。老師を始末してムウを探す」
「宮の位置が逆であれば俺が青銅を片付けられるのだがな…順番は仕方ない。全部任せたぞ」
「いいよ、全部殺ってやるよ。今度、青銅が来る前は全員聖域待機で暇になるだろ?その時また泊まるからよろしく」
 磨羯宮の私室前に到着し、二人はキスを交わして別れた。下りていくデスマスクの背が見えなくなるまで見送る。瞼を伏せ、ため息を吐いてから私室に入ろうとしたその時。
――不安かね?――
 思いも依らぬ人物から声が掛かった。
 頭に響く声に振り返ると、いつの間にかシャカがスラリと立っている。シャカとは連絡以外で個人的に会話をした事がない。話しかけられるのも初めてだ。
「…俺に何か用か」
「デスマスクのこと」
 彼の名が飛び出してシュラは眉をひそめる。少し考えてからシャカの前まで歩み出た。
「あいつがどうした」
「いつも先に行ってしまう。追い掛けられていたはずなのに、いつの間にか追い掛けていた。そんな事は輪廻転生の中に於いてよくある話である。順番を変える必要はない。流転を下手に弄ると取り返しがつかなくなる。今の自然なままでいい」
 唐突に始まった話は抑揚が無く、淡々と語られる。そのわりにシュラが口を挟むのは許されず、話は続いた。
「君たちにとっての悲劇はもはや悲劇に非ず。悲しみこそ二人を繋ぎ続ける縁。満たされ成就した先にあるのは解脱。解脱とは私のような者が目指す境地。まだ荒々しい魂の君たちに相応しい場所ではない。それこそが悲劇。君たちはもがき続けるべきだ。世の中を荒らし、人を殺め、地獄に堕ちても天に昇ってもなお追い掛け続けてきたそれを今も、これからも」
「…要するに幸せを望むな、ということか」
「君たちの場合、既に『幸せ』の輪にいると思うぞ、私の解釈では。やがて来る二人の解放と自由が『幸せ』と捉えるならば目指すが良い。君は『永遠』を何とする?」
 そこまで喋るとシャカはシュラの答えを待たずに歩き出し、磨羯宮を出て行ってしまった。
「……なんなんだ」
 シャカは個性の強い黄金聖闘士の中でもデスマスクとは別の意味で異質だった。人付き合いもせず、全てに於いてマイペースで余裕がある。でも自分は悪評高くとも個性的に生きているデスマスクの方が好きだなと思う。それは困難があるからこそ輝く部分もあるという事か。
「繰り返す悲劇が、幸せであると…?」
 …そんなことは精神論のレベルが高過ぎて共感できない…そう思いながらシュラは磨羯宮の私室へと戻って行った。

 以前、デスマスクは平和の究極とは"無"であろうと話していた。おそらくそれは現世の苦楽に依存する者にとって、魂の"死"と同義になるのだろう。性差を否定するデスマスクでもそこまでは望んでいなかった。シュラとの愛の成就が無に帰す終焉となってしまう。ならば…悲劇、不満、後悔がある限り二人は互いを追い掛け続ける事ができるということ。幸せな結末を迎えたいと願いながらも悲劇を繰り返す深淵が、ここにある――

 教皇の召集から間もなく、黄金聖闘士たちはアテナを名乗る一派を迎え討つため明日からの十二宮待機を言い渡された。
 早朝に任務を終えたシュラはこんな時にイタリアへ向かった。デスマスクが磨羯宮へ来るのは夕方以降になる。任務でもなくデートでもなく、一人気ままにイタリアを歩いてみたいと考えていたそれを急に思い立った。シチリアへ行くことは黙って過去を探る行為のようで気まずく、適当に海辺の街ナポリを選びゆっくり歩いていく。デスマスクの出身地は知らない。シチリアでないことは知っている。ミラノやフィレンツェなど各地へ連れて行かれたが、どこも満遍なく知っている感じであった。大きな街だがナポリに来た事はない。
「……?」
 建ち並ぶ店先に、なぜか見覚えのあるパッケージを見つけた。目の前まで行くとそれはいつぞやにデスマスクが食べていた揚げパンのパッケージ。
「ぜっぽりーに…」
 イタリア語もまだわからないが何となくは読める。確か地元の料理と言っていた、という事は…
 改めて、辺りの景色を見渡してみた。観光都市だけありここでもαとΩのカップルを見かける。βとβのカップルももちろん多い。シュラは空いていたベンチに腰掛け、足首に着けた黒革のアンクレットに触れた。

 今、ここにいる自分が聖闘士という宿命を背負い、Ωの番と共に命をかけて戦い抜いているということは誰も知らない。近く、青銅と戦い誰かが命を落としてもニュースになどならない。あそこにいるαとΩをデスマスクが殺しても、その名は絶対に知られない…。
 全て理解して生きているが、この地がデスマスクの故郷かもしれないと気付いた瞬間、無償に悔しく思えてきた。自分たちだけが必死過ぎるように思えて。こういう場所で生まれたとか、こういう名前だったとか、躊躇う必要のないことも秘して、それまでの人生を捨てる事が美徳であるかのような生き方が。自分を隠し続けるデスマスクの胸の内が、真実を見てほしいと訴えていたこと。そんな悔しさをこの機に及んで感じてしまう自分の弱さ…。

――早く、全てを片付けてしまおう――

 たとえ過酷な聖闘士であろうとも自分たちは合間を縫って恋人らしい余暇を過ごすことはできた。青銅を片付けた後にまた二人で時間を作ればいい。それすらも私欲に塗れた行為と神は咎めるかもしれないが。
 立ち上がったシュラはつまみにとゼッポリーニを一袋購入し、聖域へと戻った。

 その日の夕方、どうせなら磨羯宮へ向かう道のりも共に過ごしたいという気持ちが強く出たシュラは巨蟹宮でデスマスクの帰りを待っていた。寝室のベッドと居間のソファーにはシュラが与えてきた服が積み上がっている。会えない日はデスマスクがこの服に埋もれていると思うと愛おしくて仕方がない。私室にまで漏れ響く死面の呻き声の中、少しでも良い夢が見られる癒しになっていればと願った。
「ん?お迎え?お前そんなに暇だったのか」
 音も無く入って来たデスマスクは聖衣を着けておらずパンドラボックスを背負っている。
「聖衣持参か、珍しいな」
「あぁ…何かやっぱ具合が悪くてよ」
 テレポートを得意とするデスマスクは聖衣姿を見られる事はほぼ無いからと、着用して出て行くことが大半だった。
「大丈夫か?聖衣に血でも与えておくか?」
 冗談半分のつもりで言ったが「あぁ、そうか…」と低く呟く声。ずっと好調であったのに老師の件から急に勢いが落ちていて、青銅との戦いを前に不安が宿る。デスマスクの出る幕がなく終われば良いが。
「俺の血を使っても良いぞ」
「いや、いい。お前からは血よりももっとイイもの分けてもらわねぇとさ」
 ドスンと雑な音を立てて聖衣を置いたデスマスクは、にっこり笑いながらシュラに擦り寄ると頬へ軽くキスをした。
「早く磨羯宮に行こうぜ。シャワーもそっちでする。さすがにここもうるさくなってきたからなぁ」

 着替えを済ませ黒革の首輪を着けたデスマスクは、シュラに腕を絡めて磨羯宮へと向かった。陰鬱な巨蟹宮を抜けると晴れた空に夕焼けを覆い隠そうとする闇が綺麗なグラデーションを描いている。
「黄泉比良坂ってさ、こんな感じの色してんだよ」
 他愛のない話の途中で突然そんな事を言った。
「こんなクリアじゃなくてもっとドロっとしてるけどな。太陽が死んでいくような、闇から何かが這い出てくるような、不安を煽る色をしている。暗いわけではないんだよなぁ。何か気持ち悪い」
「…地上のみならずそんな場所までもずっと管理してるお前は偉いと思うぞ」
「ほんと何でこんなちゃんとやってんだろうな。黄泉比良坂も放っておけばいいのにさ。どうせ蟹座不在の時代は放置状態なんだし」
「ククッ…確かにもう行かなくて良いんじゃないか?今は現世から逃げたくなる事も無いだろう?」
「そうだよなぁ。青銅がちゃんと死んだか確認したら当分行くの止めるわ」
 数え切れないほど二人で上り下りしてきた十二宮の階段。今ではこんな会話も当たり前だが、黙って探り合いをしていた若い頃を思うと不器用だったなと苦笑いが漏れる。
 巨蟹宮から磨羯宮まで来れば空はもっと広くなった。まだうっすら明るさの残る夕闇に星の瞬きが灯り始めている。シュラが磨羯宮の前で振り返り空を見上げると、デスマスクもつられて星を眺めた。
「神話の影響なのか死んだら星になるとよく表現されるが、あんなに離れているのは嫌だな。しかも動けない」
「…ん?俺らが星になるってこと?」
 デスマスクの返しにシュラは頷いた。
「やだ…急にロマンチックになるなよ…なんて返せばいいんだ…」
「別にちょっと思っただけだ。死んだら黄泉比良坂へ行って地獄に落ちるのが真実なんだろ?」
「そうだけど、まぁ…人が何を思うかは勝手だ。それで死に対して楽な気持ちになれるのならな」
「だったら…俺は星よりもまたお前に会うための準備をする」
 声を潜めてデスマスクを見つめるシュラの背景、星が一つ流れていく。
「…どうやって?」
 見つめ返したシュラの瞳は真っ暗で体の芯がゾワりと震えた。
「一つはもう済ませた。お前の首の噛み痕。その体だけではなく、お前の魂に俺の傷を残す」
 その言葉にデスマスクはスッと首に手を当てる。
「そして忘れさせないほどの愛情を注ぎたい。他の奴らに誘惑されても受け付けられないようにな。死ぬまで注ぎ続けるから全部受け取れよ」
 伸びるシュラの手が頬に触れてからスルスルと首筋を辿る。押さえていた手を退けて噛み痕を指先で撫でられると体のあちこちがジンジン感じて切ない表情を作ってしまう。
「…もう受け取ってるって…体にも、心にも…」
「足りないだろ?もっとだ。俺が一生をかけても満足できないくらい貪欲なのは知っている」
 抱き寄せられて、唇を何度も啄み合った。
 すっかり闇に落ちた空で光の弱い星がいくつも流れていく。ここは暗いから目に映るが、街中にいれば全く気付かないだろう。人の苦悩、聖闘士の存在と同じく全てのことが目に見えるわけではない。星は毎日流れる。人の命は毎日潰えていく。誰にも知られずひっそりとどこへ落ちる?どこへ向かう?黄泉比良坂にある大きな穴の中か。深い闇のその先が地獄である事は知っているが、どうなっているかまでは知らない。――本当に、地獄なのだろうか?
「……ハ、ハハ……」
 キスの最中というのにデスマスクは込み上げくる衝動で笑いが漏れてしまった。シュラもそれを奇妙に思わず微笑んで見つめる。
「なんか…真理?見つけたかもしれん。俺が今までずっと見てきたこと、そう信じて来たことを覆すものがさ。お前を想って追いかけ続けるための道がな!」
 もう一度強く抱き締め合ってから、二人は磨羯宮の私室へ入って行った。

ーつづくー

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2024
09,17
――老師暗殺、失敗――
 翌朝、疲れなど見せずコスモを漲らせて聖域を発ったデスマスクは老師を討つことができなかった。更にはずっと行方をくらましていた牡羊座の黄金聖闘士ムウが駆け付けて来たことにより、その場に居合わせた弟子の青銅聖闘士すら倒せず聖域に引き返してきたという。今のデスマスクは無謀な闘いだとしても引くことなど考えられない、そんな勢いを持っているはずなのに。
 夕暮れ時、薄暗い巨蟹宮の中でデスマスクは宮内に張り付く死面をひたすら殴り、踏み付けていた。
「酷いな…いつからこの状態なのだ?癇癪にも程があるだろう」
 離れた場所からデスマスクを眺めているシュラの隣にアフロディーテが並ぶ。
「まだ明るい頃からずっとだ。声を掛ける隙もない。気の済むまでと思っていたがその前にあいつが倒れそうだな…」
「意地でも誰かに傷を負わす男がまさか何の成果も上げられなかったとはね…あ、ムウの存在確認はデカいか。で、どうするのだ?番さん」
「そろそろ…殴り合いをしてでも止めてくる」
 シュラはゆっくり瞬きをしてからデスマスクの元へ歩き出した。隣まで来ても無言で死面を殴り続けるデスマスクの腕を掴む。動きは止めるがシュラの方を見ようとしない。
「思うところはあるだろうが、それくらいにしてくれないか」
 掴んだ腕は徐々に震え始めるとシュラの制止を振り切り背を向けた。
「おい、どこへ行く!」
 外へ向かい歩き始めたデスマスクを追い、再び腕を掴む。次は掴んだ手を強く振り落とされた。
「…もう一度、行く…」
「なに?」
「もう一度行って!ぶっ殺して来る!」
 声を張り上げ駆け出していく。巨蟹宮を抜けてからは浮遊し、滑るように下りていくデスマスクをシュラはすぐに捕まえた。テレポートが使えなければ足の速さでシュラには敵わない。両腕ごと背中から抱き締められて階段を転がり落ち、双児宮の手前にある岩にぶつかった。
「くっそ!離せ!行かせろ!俺はどうかしていた!今なら老師だけでも!青銅だけでも確実に殺せる!俺の言う事を聞けぇっ!」
「正気を保て!この状態では老師に勝てない!」
「お前がそんな事言うなァ!殺ってこいって送り出せよ!俺を止めるんじゃねぇぇえ!」
「っぐっ…!」
 サイコキネシスで辺りの石を浮遊させたデスマスクはそれをシュラにぶつけ始めた。頭であろうと構わずこぶし大の石が打ち付けられる。
(さすがにこれは、キツいな…)
 そう思えてきた頃、二人を追ってきたアフロディーテが数本の薔薇をデスマスクに撃ち込んでくれた。手加減された薔薇の矢はどれも聖衣に弾かれ落ちていくが気を逸らすには十分だ。
「シュラを殺す気か!止めろ!」
 アフロディーテの声にデスマスクが首を回した時、首筋のまだ赤みが残る噛み痕がシュラの目に映る。そして、
(これしか、ないのか…)
 歯軋りをしてから聖衣に阻まれた窮屈な隙間に顎を捻じ込んだ。昨日付けたばかりの噛み痕を目掛け、牙を立てて噛み付いた。

「……大丈夫か?君もだが、デスマスクのやつ……」
 シュラに首筋を噛まれたデスマスクは艶かしい声を上げながら全身の力が抜け落ちていった。抱く最中に愛情を込めて行うのとは違う、暴力的に首筋を噛む行為は無理矢理Ωを躾けるようで使いたくなかった。シュラの腕の中で目を見開いたまま、時折体を震わせている。当てられた石によって額から流れる血も気にせず、シュラは噛み痕を舐めてケアし続けた。
「お前のおかげで俺の傷は大したことない。デスマスクは…昨日も噛んだばかりだったんだ…」
「番がいないからよくわからないが…それをやり過ぎると死ぬとかあるのか?」
「俺にもわからない。しかし…今は良い気がしない…αの力で押さえつけてしまったようで…」
「仕方ないさ、αなのだし」
 アフロディーテはそう呟くと、そっとデスマスクの瞼に指を置いて閉じさせた。
「目覚めてまた暴れるようだったら来るけど…まぁそこまで分からず屋でも無いだろう」

 デスマスクを抱き上げて巨蟹宮まで戻る頃には日も落ちていた。アフロディーテに頭を下げ別れたシュラは、私室に入り自身の血を拭う。そしてデスマスクの聖衣も外してベッドに横たえた。何となく気付いていたが、シュラに噛まれた影響でデスマスクの体は意識がまばらでも発情を見せていた。
「…こんな体、嫌だよな…よく自我を保って頑張ってきた…」
 ベッドに乗り上げたシュラはデスマスクのアンダーウェアも脱がせて、露わになった熱を手のひらで包み込む。首に、胸にと唇を寄せて撫でていけば吐息が漏れ出る音が聞こえてくる。
「フフ、気持ち良いか?…もっと悦くしてやるから…」
 目覚めないデスマスクを癒したシュラは体も綺麗にしてから隣に寝転び、愛おしい番の顔を見つめ続けた。


――デスマスクよ、お前が来るのか。教皇の悪事も見抜けぬとは堕ちたものだな――
 そうさせたのはあなたです、老師。シオン様の死を知りながらもハーデスの監視を優先しこの場所に居座り続けて…前アテナに与えられた勅命とは言え、聖域のためになる事は何一つしてくれなかった。

――信じていたのだ、お前たちであれば乗り越えられると――
 クク…どうとでも言える。わたしたちのせいですか?放っておいても教皇を討伐すると期待していたと?出来が悪くて残念でしたね。あいにくわたしは本当に出来が悪く、自分自身と聖域の崩壊を食い止めるために必死だったんですよ。いや、女神もいないあんな場所、さっさと潰してしまった方が良かったのでしょうか。

――……Ω、なのか……――
 わかりますか?ハハ、安心してください。もうαを惑わすフェロモンは出ませんから。正真正銘、わたしの力であなたを討たせてもらう!

――……シュラと、番に……――
 …さすがですね。そこまでおわかりとは。アイオロスに聖剣を向けたあいつと今からあなたを死地へ送るわたしはお似合いでしょう。信頼できるのはシュラとアフロディーテのみ。今日まで我々は聖域と世界のために支え合い努めてきた。裏切り者はわたしたちではありません。老いているとは言え勝手に解釈を変えられては困ります。あなたこそが聖域の裏切り者なのだ!

「ぅぎゃぁぁあああああああっ!」
「デス⁈」
 自分が上げた声で目覚めたデスマスクは暗い部屋の中でも側にシュラがいる事を感じ取り、姿を探した。すぐ隣から声が掛かる。
「デス!」
「しゅらっ…あ、おれ、老師…殺った…?…っいて…」
 動かした首に痛みが走り、手で押さえて背を丸くした。起き上がったシュラは電気をつけてから、首を押さえる手に自身の手を添える。
「すまん、抱いていない状態で噛んでしまったんだ…まだ痛むよな…」
「いい…それより、老師…」
 シュラの心配をよそにデスマスクは老師のことを気にした。あれだけ苛立っていたことを忘れてしまったのか、思い出したくないのか…。教えろよ!と急かす声にシュラは静かに答えた。
「……お前は、引き返して来た。誰も殺していない…」
 何度も瞬きをしてじっとシュラの顔を見つめる姿に胸が苦しくなる。
――だめだ、壊れてしまう…――
 静かに起きあがろうとしたデスマスクを抱き締めて再びベッドに沈めた。
「はぁ?……うそ、だろ……なん、で……」
 ぽつりぽつりと絞り出される声が切ない。
「デス、お前は失敗していない。討つのは今ではないと判断して引き返してきたんだ。それは間違いではないし、また次がある」
「バカな…何で俺、そんなことしたんだ…?」
「老師との闘いにムウが割り込んできたのだろう?黄金二人を前にお前は勇気ある賢い判断をした」
「勇気?…勇気があるなら二人ともぶっ殺すだけだろ?!違う…違うんだよ…!あぁ…お前っ…お前が言うから…!お前が!αに殺られるなとか!引く事も考えろとか言うからぁっ!」
 身じろぎをしてもシュラの束縛は解けない。声だけ精一杯上げて抵抗した。
「そんなつもり、無かったのによぉっ…青銅と、黄金α二人を一気に殺せるチャンスだったのに!お前の声が俺の判断を鈍らせたんだよっ!どうしてくれる!」

 徐々に記憶が蘇ってくる。老師を討とうとした時、生意気な青銅に邪魔をされた。それは問題ではなかったが更なる邪魔が入ったのだ。牡羊座のムウ…教皇シオンの弟子でありデスマスクをも超えるサイコキネシスの使い手。老師もムウもシオンの死を知りながら聖域を投げ出したのが許せなかった。黄金のくせに面倒ごとからは逃げて悠々と隠れ続け、自分に都合が良くなれば正義面をして出てくる。α黄金でさえそういう狡い奴らがいるのだ。分かり合えるはずがない。苦労を重ねてきた自分たちの邪魔でしかない。二人まとめて殺すことしか考えられなかった。しかし…

「突然、聖衣が重く感じたんだ…力は漲っているのがわかるのに、それを締め付けられるような重圧を感じて…その時に『引け』という声が頭の中に響いた…お前が俺に何かしたのか…⁈」
「俺も昨日は別の任務に出ていた事くらい知っているだろ。それにそういう遠隔技は苦手だ。何もしていないが…αとして、番として俺の念がお前の中に残り過ぎていたのかもな…だがそれは弱さではない、黄金二人を相手にするのは危険なんだ。機を見て出直す方が賢明に決まっている。早まったお前にもしもの事があれば聖域も世界も終わりになってしまうのだぞ」
 シュラはデスマスクの髪を撫でて落ち着かせようとした。自分が必要、という言葉を聞いたデスマスクは抵抗を止め、体の力を抜いていく。重なる肌から感じる心音も次第に穏やかになっていった。
「クッ…次を勧めるならば、俺はまた行くぞ…お前は俺が老師を討つ事に不満は無いのだな…?」
「無い。正気でなければ止めもするが、普段通りのお前であれば送り出す」
 ふぅん、とデスマスクは目の前にあるシュラの首筋に鼻を寄せ匂いを嗅ぐ。
「今日はフェロモンとか使って有耶無耶にしねぇんだ?」
「……もう噛んでしまったしな。白状すれば意識の無い間に好き勝手させてもらった」
 シュラには時々、快感で誤魔化されてるなと思う時があった。きっとデスマスクを納得させる良い言葉が浮かばない時だろう。それに気付いていることを伝えれば困ったように笑ってはぐらかされる。
「αとΩを殲滅させるならば遅かれ早かれ聖闘士にも手を出すことになるのだ。一人や二人先に手を掛けても変わらん。ただ無理だけはしないでくれ」
「そういうの、いつも上手いこと言ってるつもりだろうが俺に全てを捧げたい気持ちと自分の考えの狭間でお前が無理してることはわかる。…別にそれは怒らねぇよ。だって俺ら元々考え方とか違う者同士だし。お前はαになり切れない元βだし…」
 でも…と呟きながらデスマスクはシュラの束縛からゆっくり腕を引き抜いて背中に回した。
「俺はさ、仲良くも無かったくせに仕事とは言えちゃんと向き合って考えてくれたお前を好きになったんだ。自分を正しく見ようとしてくれる姿勢が嬉しかった。大人でもそれができた奴なんかほとんどいなかったのに。いい加減に相手すれば良いのを真面目にやり切ってさ。お前としてはデキる自分を見せ付けたかっただけかもしれないが、その心を知っているからαになって変わっても俺は嫌いにならないし、お前にずっと好かれていたいと思えた」
 だから…
「俺はお前を手放したくない。そりゃあ一人でもやっていけるが、ここまで尽くしてくれるお前を知ってしまったんだ。今さら一人になりたくねぇよ…。なぁ、ここまできたら死ぬまで俺のために無理を通してほしい。知ってるんだぞ、お前がどれだけ迷っても最後には俺を選んでくれる事を」

 あぁ、非道な殺戮者のなんと可愛いことか…。シュラにしか曝け出さないこの姿、全身に噛みついて食べてしまいたいと思えるαの感情を揺さぶる。デスマスクの懇願に歓喜して思わず場にそぐわない笑いが漏れてしまった。
「ハハッ…あぁ、悪いな。俺のαが不安定である故に、いつまで経ってもお前を安心させてやれず。俺も精一杯尽くしているつもりだ。それが伝わっているのは嬉しい。確かにそれでいいのか考え込む事はあるが、お前に従うとずっと言っているだろう?俺は出来もしないことを口にする奴は嫌いなんだ。変わらないから安心してくれ。だからお前も宣言したからには世界を変えろ」
 今夜はもうデスマスクの体を弄んだというのにやはり声が聞きたいと思った。この殺戮者が懐くのは自分にだけ、という優越感を味わいたいと思った。思うだけではない、そんなことも簡単にできる。番にしたのだから。
 シュラが放つ香りがデスマスクを包み込んでいく。
「答えは出したぞ、はぐらかしは無しだから良いよな?やはり一度抱きたい。首が痛まないように気を付ける。…五老峰へはムウや青銅の動きを見て行けばいい。次こそ討てる。お前にも、聖闘士が…」
 コクンと頷いたデスマスクの顔はもう、穏やかを通り越えて蕩けている。支配しているのはどちらだろう。第二性を恨んでいながらすっかりαとΩを満喫してしまっているなど情けない。立派な理由を並べたところで結局は自分たちのことしか考えていないのだ。
「力を持つとは本当に、恐ろしいことだな」
 サガも自分たちも好き勝手に暴れて救いようがない。そして力があれば、全てに勝つ事ができれば正しい行いとなる。文句を言う奴は全滅しているのだから。いつまで勝ち続ける事ができる?今度こそ二人の願いは果たされる?
 威勢を失いあられもなく上がる声を楽しみながら目一杯デスマスクに愛を叩き込んだ。許される限りの時間、少しでも多くの愛を与えて彼の闇が埋まるようにと願って。

ーつづくー

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2024
09,15
 デスマスクの誕生日から数ヶ月後、巨蟹宮を通過していたシュラはある一角を目にして足を止めた。宮内を埋め尽くす死面の数は本当に全てデスマスクの仕業なのかというほど急速に数を増やしている。老若男女張り付いているが、この一角には親子らしき女性と幼い子どもの死面が集まっていた。粛清ついでに数人巻き込んだだけ…とは思えない。
(第二の性は12歳頃にならないと判明しない。βかもしれない子どもまで…)
 デスマスクの理想に異論を唱えるつもりは無いが、理由があるのなら聞いてみたい。そう思って再び歩き出した時、上から下りて来るコスモを感じてシュラは巨蟹宮に留まった。しばらくすると前方の闇が次第に晴れ、黄金聖衣を輝かせながらデスマスクが戻って来る。
「おぅ、お前もちょうど終わり?俺が来るの待ってたのか?」
 シュラの姿を確認したデスマスクは嬉しそうに浮かび上がり、一気に目の前まで滑り込んで来た。

「何だぁ?こんな隅にいて死面の見学でもしてたのか?」
「なぜこんなにも子どもを殺したのかと思ってな…子どもはまだ第二性が決まっていないだろ?巻き込んだにしては数が多い」
 そう言いながら先程まで見ていた壁面に視線を遣る。意外な質問にポカンとしたデスマスクはつられて壁を確認した。
「あー…何かもう陥落寸前で弱者やΩしか残ってない町があったんだ。他国に難民として送り出してやってもそれが最善とは限らない。全ての難民が快く迎えられ援助が得られるわけではないからな。こいつらは俺の判断で全員殺した。その時一緒に隠れていたガキたちだろうな。侵攻してくるαの奴らに撃ち抜かれたり焼かれるよりはマシだろ。そいつらの声よく聞いてみろ、いきなり登場した俺への恨み言より世の中に文句を言っている」
「その侵攻してくる奴らの方を殺せば良かったんじゃないか?」
「依頼側だったしなぁ。女や子ども、Ωしかいないこと知っててそれなりに気が引けてたのだろう。α兵士だって人間でトラウマも抱え込む。士気が下がる。だからって聖闘士を利用すんなって話だよな。まぁ全滅を確認させてからそっちも全員殺したけどさ。結果的に人数多くてさすがに疲れたわ。まだ何か不満?」
「不満ではない。理由があれば知りたいと思ったんだ。ただの殺しだとしても今さら何も言わん」
 そう告げたシュラはデスマスクを真っ直ぐ見つめる事で意思の強さを示した。以前のように裏切りを疑われてはかなわない。熱い視線にデスマスクの笑みが溢れる。
「クク…有言実行で真面目だなぁ。正直、戦争行為は人類が滅亡しないと無くならない。戦争は金になる。αやΩを消したところでβがおっ始めるだけだが、そこにはもう興味無い。俺だってアテナ始め神々が何を以って"世界の平和"とするのかよくわからん。究極を言えば"無"になるしかないんじゃねぇのって。エッチする時とかそのまま一つになってしまいたいと思うだろ?俺も思うし、本当に溶け合ってそうなった瞬間はもの凄い快感だと思うんだよ。でもさ、その先どうなるのかって考えると、一つになって満たされて終わり…もう抱き合えないしキスもできないし飯食ったり出掛けたり…喧嘩だって。そういうのが無い世界はなんか、寂しいよな。今を知ってるだけにさ」
 そっとデスマスクの手がシュラの指を摘んだ。
「そこまでいかない世界ってなんだろうな。性別も無く…いや、性別は選べる…。生き繋ぐために両性因子を持っていて、成長過程で体が変異するとか?何かそういう生物が既にいるよな。人間も進化すればいけるんじゃねぇ?何千年がかりなら。その切っ掛けを俺は作っている。そうなっても人である限り喧嘩はするし嫉妬も消えないから戦争の有無は求めていない。強ければ生き残れる。愛の自由のためΩとして今の世界を終わらせ、始まりを生み出したい。お前と俺が何者であれ不自由なく暮らしていける世界を…それだけなんだよ…」
 眉を寄せ、摘んでいた指をギュッと握って引き寄せられた。しばらく考えるように黙り込んで悪戯に指を揉まれる。
「なぁ、そんなのよりずっと良い話があるんだ」
 そう言うとデスマスクは曇り顔を消して花が咲くような笑顔を見せた。その瞳を見つめれば、また星空に新月が浮かぶ。ーー突然、死面たちの唸り声が一斉に止まった。

「俺は明日、五老峰の老師を討伐しに行く」

 晴れやかな笑顔のまま、囁かれた声が辺りの空気を震わせて静まり返った宮内に広がっていく。のも束の間、途端にドッと再開された死面の唸り声にたった今の言葉が幻のように思える。
「ハハ…なんて顔してんだよ?…遂にきたぜ…前聖戦の生き残り、天秤座の黄金聖闘士…」
 楽しそうな声とは裏腹にデスマスクは震えていた。歓喜か?…まさか怯え?シュラを握る手に、より一層力が込もる。その震えを隠すようにもう片方の手を上に添えた。
「なぁ…お前は今夜、宮にいるのか?…いるなら…抱いて欲しいんだけど…」
「予定は無い。教皇への報告も直ぐに済ませてこよう。準備を終えたら磨羯宮に来い」
 両手で包む手を持ち上げて、震える指に唇を寄せた。少しのコスモを込めて。
 その様子を眺めていたデスマスクは大きく息を吐いてからシュラの首元に顔を寄せ、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はぁっ…ヨシ…直ぐ行くからな!教皇に変なこと聞いて無駄話してくるんじゃねぇぞ!」
 包まれていた手も勢いよく引き抜いき、そのまま私室へと駆けて行く。バァン!と扉が閉まる音を聞いてから、シュラも教皇宮へと駆け出した。

「気が立っているようだな、山羊座。もう蟹座から話を聞いたか」
 教皇座に座るサガの姿は毛先は金色だが、仮面の内側は真っ黒だろう。アテナと射手座聖衣の出現から清らかなサガの姿を見掛ける機会が減った。こういう時こそ自責に明け暮れ投げ出さず、悔いているのなら責任を取る行動をするべきだろうと思うのに。
「お前と番になっていなければΩのフェロモンを使い天秤座を仕留めるのも容易かっただろうが、まぁ今の蟹座であれば心配は無いだろう」
「…俺と番っていなければお前が奪おうとしていたくせに何を言う。デスマスクはフェロモンを使わずとも実力はある。番う前からずっとだ」
「殻を纏っていればな。殻が砕かれれば心は弱い。そうならないようにお前がメンテナンスしておけ。天秤座を討てば蟹座はより強くなれるだろう。お前たちには迷いを断ち強くなってもらわねばならん。聖域のために」
 ため息を吐いたシュラは立ち上がり、教皇に背を向けた。その瞬間、空気が変わったことに気付き振り返る。
「聖域の、ために…」
 俯く教皇の仮面。絞り出された弱々しい声は清らかなサガのものだった。シュラはグッと歯を食いしばり、二度と振り返らず扉を開け放ち磨羯宮まで駆け足で下りて行く。
(サガは俺たちに討たれたいと願っているのか?そうすれば一人だけ悪を背負い終われるとでも?もう手遅れだというのに!わざわざ老師まで討たせようとして、三人の罪を平等にさせるつもりか?どこまで勝手なことを繰り返せば気が済むのだ!)
 自分がアイオロスに聖剣を向けたことなど、とっくに割り切っていた。――悪いのはサガだ――昔、アフロディーテを盾にしてシュラの様子を見に来たデスマスクにもそう伝えた。色々と考えはするがいつまでも悩むタイプではない。仲間を手に掛けた事も偽りの英雄であり続ける事も気にしていない。デスマスクも知っているはずだが…アフロディーテが白銀聖闘士を討伐した事で、デスマスクが心の底で思い詰めていたものが呼び覚まされた、気がする。

 磨羯宮の私室へ戻れば既に彼は来ており、居間のソファーでクッションを抱き匂いを嗅いでいた。どういう事か今日は珍しく首輪を着けていない。
「やっぱお前の部屋最高に癒される。いや、お前が一番良いのは大前提でさ。はぁ…俺の部屋に持ち帰っても匂い消えるんだよなぁ」
 聖衣を脱ぎ、シャワーを浴びる前にシュラもソファーへ腰掛けた。クッションを横に置いたデスマスクはシュラの肌に擦り寄って匂いを嗅ぐ。自分ではわからないがαのシュラからは森の匂いがするらしい。それだけを聞くとかつて山奥で修行に励んでいた身としては土臭さの方が思い出されて良い匂いというイメージは湧かない。しかしデスマスクがここまで好んでくれるのは嬉しいので否定するような事は言わないでいる。
「夕食はどうする」
 上腕に頬を付けているデスマスクの髪を撫でて聞けば面倒そうな声が返ってきた。
「んー…早くベッドに行きたいから適当にレトルトのやつでいいぞ」
「いつも通りだな」
 立ち上がったシュラは棚からレトルトのリゾットを取り出して食卓の上に置くと、そのままシャワーを浴びに行った。普段は何もしないデスマスクでも自分の都合に合わせて準備をしてくれる時もある。何もしていなければ自分がするだけだが…
 欲望に負けているデスマスクは、きっちり食事の準備を終えて待っていた。

「……っ…ん…ぅ……」
 今夜はわりと大人しく抱かれている。シュラの背中に回した腕は強くしがみ付き、少しでも離れるのを嫌がるようだった。弱さを出せば良いと言ってもすんなり素直になるわけではない。本心を我慢する癖はデスマスクの個性でもある。強要せず流れに任せていつも通りに抱いた。
 黄金聖闘士であればみな五老峰の老師に会った事がある。シュラとアフロディーテはその通り会って挨拶を交わしただけだが、デスマスクは二人が老師に面会する以前から縁があった。シチリアでの師はデスマスクのサイコキネシスを鍛え上げ、黄泉比良坂への道を開く能力を覚醒させた。蟹座聖闘士を目指す者の最低条件がそれだ。そして晴れて蟹座聖衣を手に入れた者は五老峰の老師から積尸気冥界波の教えを受けるのである。天秤座の老師が積尸気冥界波を使えるわけではなかったが、実際に過去の蟹座聖闘士が放つコスモの動きを見てきている。それをデスマスクに伝えた。語り継がれる書物を見ただけでは理解し難い特異な技はその強大さから蟹座聖衣を得た実力と正義を持つ者しか会得できない。自制の効かない邪な者がこの技を得ると世界が滅亡しかねないからだ。
「はぁっ…キス、しろよ、もっと……」
「顎を上げて首を出せ」
「ん…あとで首、噛んで…もうろくしたジジイにも、わかるようにな…っ…」
 デスマスクが老師を討つのはシュラがアイオロスを討つ事に匹敵する。アフロディーテが思い入れの無い白銀を討つのとは違う。それをおそらくサガも理解して、勅命を下した。
「ぅっ…ぐ…急に、ハヤ…っ…きもち、いい…?」
「イイ、さいこうだっ…何度でも、抱けるっ…!」
 耳元で快感を伝えれば、しがみ付く腕も体の内も嬉しい悲鳴を上げるように力が入りシュラを更に煽る。
「ぁ、あっ…やば…っ…しゅ…っ…ぁ…!」
「デス、抱き足りないっ…必ず、戻って来い!生きて、戻って来いっ…!」
「しゅらぁっ!…ころすっ…ころす!ぜったい、ろうしころしっ…ぐぅっ…!」
 首輪を着けてこなかった意味がわかった。噛まれたい、そう願うほどの不安。
 快感の波に押されるままデスマスクの顎を押さえ付けたシュラは番の証に重ねて牙を立てた。

「ゃだ…も…はぃらねぇ、よぉ…」
「吸収、できるんだろ?明日に備えてどんどん取り込め」
「それは…そうぃうイメージ、ってだけで…じっさい、どうかは…」
 力が抜け、デスマスクが虚ろになってもシュラは抱くのを止めず、噛み痕を舐めながら精を注ぎ続けた。受け止めきれなくてシーツを濡らし続ける体液はもう、どちらのものなのかわからない。ここまで無理をさせるのは初めてだ。
「五老峰へは腹の中のオレと行け、絶対に殺られるな。俺以外のαに殺されるのは許さない。…場合によっては引く事も考えろよ…」
 最後に小さく呟かれた言葉が妙に頭に響く中、デスマスクは瞼を閉じた。

ーつづくー

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2024
09,11
※以前からその気はありましたが今回若干のカミュミロ要素が含まれています。地雷の方は申し訳ないですが、昔から他カプにカミュミロを含む活動をしているゆえご了承ください。

ーーーーー

 昼を過ぎた頃、発情期の終わりを確信したデスマスクはイタリアへ出掛けるためにシュラと交代で身支度をした。今年の誕生日プレゼントも着用済み衣服以外にはまだ用意されていない。行きたい店があるからそこで決めようと話していた。
 デスマスクが着替えた私服はやはり首元が開いていて黒革の首輪もよく目立つ。磨羯宮を出てからシュラが首輪をひと撫ですると、フルっと全身を震わせた。外でやるのは睨まれるが、もう文句一つ言われない。いつものやり取りに笑っていれば、ふとこちらに向けられる視線を感じた。
「うらめしそうに見てんじゃねぇよ、さっさと行け」
 シュラより先に気付いていたデスマスクが声を上げる。そこにいた私服のミロは不機嫌そうに顔を歪め、二人に背を向けた。
「カミュの所へ行くのか」
 階段を上るミロの背に向けてシュラは自分でも無意識に声を掛けた。「え?」と振り向いたのはデスマスクの方で、ミロはそのまま去って行く。結局ミロとは言葉を交わす事なく別れた。

 十二宮の出入り口へ向かいながらデスマスクはなぜミロを呼び止めようとしたのか聞いた。聖衣や鍛錬服なら教皇宮かもしれないが私服であれば宝瓶宮一択だろう。二人は昔から仲が良い。自分たちに似ているような気もするが言い争ったりする事も少ないゆえ、気の抜ける良い友達なのだろうと思える。暇なら会いにも行くだろう。
「お前は何も感じないのか?ミロはカミュの事が好きなのだろう」
 まさかシュラの方が自分に対して鈍感か?と突き付けてくるとは思ってもいなかった。思わず返す声が大きくなってしまう。
「そりゃあ、あいつら仲良いから会いに行ったりするのはあるだろう!当たり前過ぎて何で聞くんだって事だよ!」
「俺が言いたいのはαとαの恋愛だ。本人には言えないが…おそらくミロはお前を羨んでいるぞ」
「ハハッ!Ωを散々馬鹿にしたツケだろ!別にα同士で恋愛すれば良いじゃねぇか」
 珍しくデスマスクの受け止め方が雑だ。わざとそうしているかのように。
 言いたいことはそうではないと思いつつも、伝える術が浮かばなかったシュラはミロの話をそこで終わらせた。

 十二宮を出た二人はイタリアのフィレンツェまでテレポートし、デスマスクの案内で目当ての店へ向かった。
「結局お前のプレゼントまだだったからな、ここで買う」
 アクセサリー中心の雑貨屋に入ったデスマスクは既に下調べを終えているのか、真っ直ぐ目当てのコーナーへ歩いて行く。辿り着いたそこには様々な種類の革製品が並んでいた。
「しっくりきたわけじゃねぇんだけど、やっぱりこれにしたいと思って」
 そう言いながら手にして見せたのは、デスマスクの首輪と同じ黒革の細いアンクレット。
「お前は手を使う技だし、腕時計とかも絶対に着けねぇし、テーピング以外で手や腕に何かを着けるのは嫌だろうなと思ったんだ。それは脚でも同じだけどさ。靴下も滅多に履かねぇし。でもαでチョーカーやネックレスも変だしさぁ…」
 シュラはアンクレットを受け取り眺めた。装飾品は手足に関わらず煩わしいので普段から着けようと思わない。聖衣のヘッドパーツでさえ邪魔と感じるが、あれはコスモを高める防具だから着けることに慣れさせた。マントは着けていた方が格好良いとデスマスクが言うので最初だけ着けている節がある。
「アクセサリー着けないお前がさ、たまに一点さり気なく着けててしかもソレが恋人とお揃いっぽいとかさぁ…良いなぁって思うんだよぉ…」
 おそらくデスマスクは典型的な"恋人っぽいこと"に憧れがある。謙虚ぶって押せばシュラが折れる事も知っている。
「今日は誕生日だしさ、オネガイ叶えてくれないか?俺への物は要らねぇ、この願い叶えてくれるのが俺へのプレゼントってコト」
「…別にお前がそうしたければすぐ渡せば良かったものを…オネガイを演出する為にわざわざ今日連れてきたのか」
 一つ溜め息を吐いてから、シュラはデスマスクの肩を抱いて会計まで歩き出した。答えを告げないシュラに「え?いいの?オッケー?」と困惑の声が続く。店員にアンクレットを渡したシュラは、デスマスクの頬を人差し指で撫でてから「オッケー」と笑い、背中を押して会計任せた。それに釣られて笑ったデスマスクは滅多に見せない長財布を取り出し、半年遅れの誕生日プレゼントを購入した。
 左の足首に黒革のアンクレットを着けたシュラは思っていたより馴染んだため、これなら直ぐに慣れるだろうと足首を揺らしてみる。そして隣で満足そうな顔をしているデスマスクに一つ確認した。
「お前の分は買わなくて良いのか?」
「良いんだよ。同じ物を着けるよりもさり気なくお揃い、よく見るとお揃い、くらいが丁度良いんだって」
 そう言いながら自身の首輪を指でなぞった。シュラからのプレゼントは何でも嬉しいが、首輪を超えるものはもう無いかなと考えている。二個目三個目の首輪があっても初めて貰ったこればかりを着けてしまう気がした。だから、もういい。目当ての買い物を終えた二人はしばらく街の中を目的もなく歩いていく。

 イタリアもフィレンツェほどの観光都市に来るとαとΩのカップルや番をちらほら見掛ける。Ωの発現率が下がり希少種となった今、番を得られるαは一種の勝ち組とも言われる。ただ、そこに愛があれば良いのだが第三者の計らいにより無理矢理番にされるのは双方にとって悲惨でしかない。邪悪なサガの目論見を阻止した自分たちだからこそよくわかる。
 血筋を重んじる上流のαたちは、良い血統でありながらΩに生まれた者を血眼になって探しそこでくだらない争いが起きる事すらあった。そのくだらない小国家の争いに聖闘士が呼ばれ、暗殺を指示されたのでデスマスクは依頼人も含め五つくらいの家を全滅させてきた事があるらしい。突然支配者層を失った国は隣国に吸収されたり平民αが建て直そうと躍起になっていたりと新たな歴史が生まれ続けている。それはβだけになっても同じだろう。国は、人は、立ち上がりどうにかしていく。力が無ければ滅亡し、力が強ければ生き残る。αやΩがいなくてもどうにでもなる。それだけのことだ。
「Ωがいないわけでもないが、やはり首輪をしていると周りから見られやすいな」
「俺様見てから隣のお前見て、スッと足首見て納得されるの何か面白ぇな。ほぼ全員同じ視線辿ってやがる。いくら度胸あるαだろうと他人の番に手を出しても意味無いしな。お前も敵いそうにない面してるしよ」
 日も傾き始め夕食を食べに店へ向かう中、今日を振り返りながらシュラが呟いた。
「本当に俺がβの頃、誰にも奪われなくて良かった」
 時折触れ合う腕を捕らえ、そのまま手を繋ぐ。
「だから俺っぴ黄金Ωだし、雑魚αなんかに襲われても一撃死刑だわ」
 繋がれた手を握り返してデスマスクが笑う。
「でもまぁ…良かったわ、ほんと。俺、自分を守るのにすげぇ必死だったんだからな…」
 店に着いた扉の前、シュラは一度、強くデスマスクを抱き締め頬を擦り合わせた。そのまま軽くキスを交わしてから入店した二人は、夜遅くまで誕生日のディナーを楽しんだ。

 翌日、完全に発情期を抜けたデスマスクは磨羯宮で昼食を食べてからシュラと別れ、巨蟹宮へ向かって階段を下りていた。シュラから貰った着用済み衣服を左手に抱え足取り軽く下りていたが天蠍宮も半分まで進んだ頃、キュッと足を止めた。
「何だお前、暇なのか?αのくせに仕事が無いとか恥ずかしくねぇの?カミュに候補生の育成法とか教えてもらって仕事しろよ」
「無差別に殺戮を繰り返すだけの無能Ωには言われたくない」
 前から歩いて来た私服のミロを無視をして通過すれば良かったが、昨日シュラが気に掛けた事が引っ掛かった。ミロなんか気にしていないと鈍感なフリをしてしまったが、カミュとの間に友情を超えた気持ちがあるだろうという事はデスマスクも気付いている。以前から度々自分に視線を送るのはαとαの恋に躓いているからなのだろう。
 ミロと二人きりになっても喧嘩にしかならないということは理解していた。噛み合わないシュラとはまた違う。何となく、この男はデスマスクに似ているがアフロディーテとのように共感できるでもなく反発してしまう。それでもミロはシュラとの悲恋を成就させたデスマスクに期待している。デスマスクはミロの挑発に言い返すのを堪え、抱えていたシュラの衣服に鼻を寄せて気持ちを落ち着かせた。
「フン、そんなαの服とか匂いに頼らないと生きていけないΩなど…」
「惨めだよな?だから俺はΩを殺している」
 デスマスクの返しにミロは口をつぐむ。
「もちろんαもたぁーっくさん殺してきたぞ。昔より減ったとは言え聖域でさえこれだけ集まるほどいるからな。世界にはまだうじゃうじゃいる。俺は第二の性を終わらせる。αだから、Ωだから、βだからで苦しむ世界を終わらせる。その先は男と女かな?まぁそこまでやるのは神にでもならねぇと無理だろう」
「そんな…無駄なことを…」
「人生無駄なことばかりだろ。でもそれが思い出となり糧になるんだよ。無駄の無い人生送れる奴なんかいねぇだろ?神でさえ無駄なことばかりしやがって。Ωにされて、さっさと教皇ご指名のαと番にでもなりゃ無駄な時間も減らせただろうがそれじゃあ駄目だろ。俺は人格を持ったデスマスクで、シュラを好きになったんだ。でもあいつβだったんだよ。それを諦めろってさ、無理だろ?お前ならさっさと諦めつくのか?俺と番は嫌だっつってたくせに」
「…別にそういう意味で無駄と言ったわけではない」
「あー屁理屈言うな、面倒くせぇ。このやり取りがもう無駄なんだよ。でも無いより良いだろ?俺様の哲学が聞けてよぉ」
 そう言って再びシュラの匂いを嗅いでみせる。
「俺だってこんな犬みたいな事したくねぇわ。でもΩだから仕方ないだろ。性別も第二性も選べなかった。男だから女を好きになるに越した事はないがそれも叶わずシュラだったし。しかもあいつはずっと俺の事を拒否ってたから滅茶苦茶努力したんだよ俺は。お前は俺らの事が羨ましいのか知らないが、シュラがαにならなきゃ心中してたんだぞ?Ωだからシュラと結ばれたわけじゃねぇの。好きだから足掻きまくって頑張った結果が今なんだよ」
「……一気に喋りすぎだ。何も頭に入ってこない」
「お前またカミュの所へ行くのか?ずっと仲が良くて羨ましいわ。俺とシュラに比べたら恵まれてる。ただαとαが気に入らないのなら、どうしたいかちゃんと考えろ。お前はもうΩになりたくてもそれは無理だ。シュラみたいな変異は奇跡だからな。それでもカミュに噛まれたきゃ頼んでみるなり何かしろ。それで俺は昔死んだけどな。ん?何の話だ?まぁいいか。お前がΩに惑わされたくなければアイオリアのように副作用覚悟で抑制剤でも飲め。とにかく俺は全てに於いてちゃんと考えて自分のために行動している。羨む前にお前も考えろ」
 ぼんやり立ったままのミロを見たデスマスクは鼻で笑うと、シュラの服を抱き直して下へと去って行った。宮内が一気に静まり返る。
「……一方的に喋り倒して、アドバイスでもしたつもりか」
 低い声で呟いたミロは天蠍宮を抜けてから目の前に転がる小石を勢いよく蹴り飛ばした。
「自己中な奴…心中を考えるなど女神への忠誠も感じられない。俺だって考えてる。聖闘士を全うした上でカミュの支えになる術を。でもお前たちは聖域の事とか色々隠してるだろ…。真実がハッキリしないまま全てを捨ててカミュを選ぶなど、カミュが許すはずがない…」
 愛のため教皇にまで平気で刃向かい、世界の平和を履き違え自身の理想のために殺戮を繰り返す。なぜそこまでできる?そんな男がなぜ許されている?教皇は、神は、女神は…聖域に、いないのか…?カミュは信じている。女神のため、聖域のために尽力している。偽物が日本に現れた。それでもカミュは信じている。…俺よりも…女神を、弟子を…信じている…。
「羨ましいとか…何も知らないのはお互い様だ、クソ!」
 Ωのフェロモンがあればカミュは俺を見てくれるかもとか考えた事はある。弟子の事ばかり考えてないで俺のことで頭の中を満たしてくれるかもって。でもそれは都合の良い妄想で、自分が欲しいのはフェロモンだけ。Ω生活なんて御免だ。だからα同士の友情を超えられない事も理解している。お前たちのような生き方は憧れども俺は違う。カミュの負担にはなりたくない。支えたい。自分がカミュにできることとは…。

 巨蟹宮へ戻ったデスマスクは上の方でミロが発するコスモの高まりを感じ、ほくそ笑んだ。
(αである限り、いつかお前とも対峙する日が来るかもな。ちゃぁんとカミュと共に葬ってやるよ…)
 抱えて来たシュラの服をベッドに積み上げる。仕事後が終わってこの服の山に埋もれるのが至福のひと時なのだ。首輪を外し、聖衣を装着してすぐさま任務へ向かった。
 日が落ちた後、薄暗くなった宮内に怨念を抱えたαの魂がたくさん仲間入りをした。

ーつづくー

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2024
09,07
 季節で言えばまだ春であったが、夏の到来を感じさせる日差しの強い日。聖域を揺るがす一報が届いた。
「東の果て、日本に於いてアテナと偽る一派が射手座の黄金聖衣を所持している」
 八人の黄金聖闘士を前に教皇の声が宮内に響く。みな静かに聞き、動揺を見せる者はいなかった。
「黄金聖衣については本物で間違いないと確認済みだ。アテナと偽る一派については調査を続けている。そして今、聖域を離れている青銅聖闘士数名がそれに関わっている」
 その報せにカミュのコスモが僅かに揺らいだ。日本出身の弟子を聖闘士に育て上げたことはこの場にいる全員が知っている。デスマスクは例のグラード財団絡みか、と思い返していた。その日は報告だけを受け、今はまだ静観を続ける旨を聞き解散。足早に去って行くカミュをミロが追い掛けて行く。

「なぁ、鷲星座の女聖闘士は聖域にいるよな。あいつが育成していたガキはどうなった?死んでねぇよな?俺見てねぇし」
 帰り際、教皇宮の扉を出たところでデスマスクの隣へ来たシュラに問い掛ける。
「天馬星座の聖闘士になった。闘技場でやり合ったからな、あんなガキが勝つなどと一時期雑兵の間で噂になっていたが」
「へぇ。知らぬ間に聖闘士ってちゃんと育ってるんだ。で、そいつは今どこにいる?」
「そこまでは知らないが聖域で見ないな。気になるなら鷲星座にでも聞け」
「嫌だぁ〜。α女怖ぇし」
 わざとらしく怯えたフリをして見せれば「黄金のくせにつまらない事言うな」と冷たく返されてしまった。ゆっくりと階段を下りていく二人の隣を後から来たアイオリアとアルデバランが追い抜いて行く。シャカもとうに出て行った。アフロディーテはまだ教皇宮に残っているようだ。辺りから人の気配が消え、デスマスクは右手をシュラの腕に絡めた。
「んー…まぁ、やっぱ日本にいるのだろう。聖闘士になった奴らくらい責任を説いて聖域に軟禁すればいいものを…ほいほい修行だの何だので外に出すからこうなるんだ。俺たちにそんな自由はあったか?黄金だからという理由だけで優等生過ぎたな」
「ハハッ、確かに真実を知ってしまったおかげで俺たちとアフロディーテは他の誰よりも真面目だったかもしれん」
「笑えねぇよ。真面目にサガと聖域について考えてやってきた俺らが馬鹿みてぇ。日本にいる青銅がアテナを使って正義面。やる気無くすぜ。もう全員殺すしかねぇな」
 シュラが視線をデスマスクに遣ると、その表情は硬く真剣なものであった。――よくない。不満を和らげるつもりで腕に絡んだデスマスクの手を繋ぎ直し、シュラは軽い調子を崩さぬよう話しを続ける。
「クク…青銅に関しては全員殺して終わりだろう。問題はアテナ役だな」
「アテナも、でいいだろ。偽物なら女だろうと問答無用。本物ならば勝てるかわからねぇけど殺ってやる。今更考えるのも面倒くせぇ」
 階段が途切れる双魚宮前の広場でデスマスクが突然足を止めた。繋いでいた手が突っ張る。どうした、と聞く前にデスマスクが顔を上げ、その手を離す。
「なぁ…やはりアテナは特別か?もし寝返りたかったら俺を殺すか死んだ後にしてくれ」

 ――何を言った?立ち止まった二人の間を風が吹き抜ける。シュラは言葉を失いしばらく立ち尽くした後、次第に怒りが込み上げて離された手を再び強く掴んだ。

「いきなり何をっ…馬鹿にしているのか!」
「人の心は変わるからな」
「俺にさえまだそんな事…!わざとなのか?俺を狂わせるための!」
 真面目な顔をして呟くだけのデスマスクに苛立ちが募り、空いた方の手で顎を掴み瞳を覗き込む。星空に真っ黒な新月が映り込んだ。
「俺はお前に従うと言っただろ!やりたい事が、果たしたい願望があれば何でもサポートしてやる。アフロディーテだって殺してやる!アテナでさえも!一つだけ聞いてやれないのはな、お前が俺の死を望む事だ。いや、死んでやるさ。だがそれは俺がお前を殺してからになる!」
 一体どれだけ伝えればデスマスクの不安を癒し、この想いを届けることができるのだろう。硬い殻は斬り崩した。番になったというのに些細な事で機嫌を損ね、まだ試す行為を続ける。大好きなくせに突き放そうとする。どれだけ説いても、考えられる言葉を尽くしても、あんなに喜ばれても、全て心の奥底にある闇に吸い込まれて消えて行ってしまうようだ。
 しかしこの愛を忘れてしまうわけではない。降り積もっているはずで、ただその闇が俺の愛で満たされるにはきっとまだ途方もない。それをずっと、もう何十年何百年何千年も前から続けている気がする。埋めようと、早く埋めてやらないとと努力しているのに引き裂かれて、再会できたと思ったらやり直し。でもデスマスクは忘れていないし、俺の愛が欲しいと求めてくる。手放せば楽になれるかもしれないのにこいつからの愛だけが快感で心を奮わす。だから今度こそはと繰り返し続けて…
 シュラは強くデスマスクを掴んでいた両手を離し、抱き締めた。
「お前を、俺の中に閉じ込めてしまいたい…!」
 抱く腕に力を込めるが聖衣が邪魔をして遠く感じる。肌で抱きたい。カツカツと擦れる金属音が耳につく。
「…俺だって、わかんねぇよ…お前の事はすげぇ好きで念願の番にもなれたってのに、言えば怒るってわかってんのに言っちゃうんだよぉっ…!」
 低かったデスマスクの声が揺れ、震え、シュラの肩で喚く。
「ただの黄金Ωを超えて、αと一つになって、最強になってるはずなのによぉ!アテナが来たってぶっ殺せる自信もあんのに!お前のどうでもいい一言が引っ掛かって笑い飛ばす事すらできない弱さに腹が立つ…!」
 シュラはデスマスクを抱きながら「人であるのだからそれでいい」とか「完璧を目指さなくてもいい」とは言えなかった。強さを求めるがゆえ、それが許せないからもがいている。
「…すまん、俺もつい頭にきてしまった…お前は俺に対して素直に自分を見せているだけなのにな…」
 愛が伝わっていないわけではない。これはシュラにだからこそ漏れ出てしまう弱さ。シュラにだけ見せたくなる弱さ。
「俺がその欠けた穴を塞いでやるから、神を討ち、第二性を終わらせ、お前こそが正義となれ」
 抱き締めていた腕を解きデスマスクの顔を見つめた。番になってから何度この顔にキスをしただろう?満足なんてしない。どれだけ振り回されても途切れることを知らない愛おしさから、自然と唇を寄せてしまう。
「…ん…ぅ…」
 ねだるようにわざとらしく漏らす声も、デスマスクがシュラを好きだという気持ちの一つ。
「αになったところで俺も根本は変わらない…好意があってもお前の言動に苛立つ事はある。まぁ、昔から噛み合わない部分はあるよな。このままで良いんじゃないか?お前は俺にだけ弱さを出し切ってしまえばいい。そして強さだけを外に持ち出せ。番としても自然な形だと思うぞ。昔はずっと一人で耐えていたんだよな?弱さの綻びが俺を好きになった代償と思うのなら責任を持つ。我慢して強く見せるよりも、吐き出した方が強くなれるはずだ。但し限度がある。やり過ぎた時、きっと俺はお前を殺してしまう。それは理解できるな?」
 無言で頷くデスマスクの髪を撫でてキスを繰り返した。上へ向かう雑兵の足音が聞こえてもやめない。デスマスクも行為をとめない。二人とも夢中になっていたが、上から下りて来る足音がこちらへ向かってきた時デスマスクは唇を離そうとした。シュラはそれを逃さず、思わず牙を立てる。

「っ…!」
「あぁ…血が。君たち、人の宮の前で堂々とそれは…さすがに無視できないぞ」
 アフロディーテの呆れた声が響いてシュラも顔を上げた。唇には血が滲んでいる。噛まれた鈍い痛みと自身の血が付着するシュラの横顔を見てデスマスクは腹の底がぞわんと疼いた。
「せめて陰に入ってくれないかな…君たちのキスは爽やかなものではない。そのうち急な発情期だからとか言って外でおっ始めないでくれよ?ここはテレポートもできないしな、本当にそれだけは頼むから」
 唇に滲む血を舐めてから、それまで黙っていたシュラは何が気になったのか通り過ぎようとするアフロディーテに声を掛けた。
「帰りが遅かったな、教皇と話していたのか?」
「まぁ、ちょっとね。私もデスマスクの世界平和計画に乗っても良いかなって」
 曖昧な返事をして今度こそアフロディーテは宮内に消えて行く。教皇との会話を共有しないのは珍しい事だったが、信頼できる仲間であるため二人は特に気にしなかった。

 それからおよそ1ヶ月後、聖域を離れアンドロメダ島にて候補生を育成していた白銀聖闘士の訃報があった。黄泉比良坂で死の行進に加わる彼を見つけたデスマスクは、胸に残る傷を見て笑みが漏れた。
――あぁ、時は来たのか――
 音が揃わずやかましいラッパの不快音が頭の中に響き渡る。オメガバースに、終末を。

ーーー

 聖域に対する反乱因子の討伐が始まった数日後、デスマスクは23歳の誕生日を迎えた。今年の誕生日も発情期と重なり、磨羯宮でシュラと仲良く過ごしている。死面に溢れ返る巨蟹宮は私室の中まで怨念の声が響く事もあり、普段は気にしないデスマスクも敏感になる発情期の間は磨羯宮で過ごすようになっていた。今は発情期も三日目の朝。そろそろ憑き物が落ちるように体が軽くなり、明日にはまた仕事へ戻る事だろう。熱が落ち着いてきたデスマスクはシュラの胸の中で、夕方からの外出予定や最近の世間話などをしていた。

「しかしサガも随分と焦っているようだな。ケフェウス星座とかいうマイナーな奴を討たせるとは。そこに弟子がいなかったのは残念だった。案の定、日本組だ」
「アイオロスの遺品が発見されたうえ、餌にされているともなれば穏やかになれないのだろう。アフロディーテを向かわせたのも自身への忠誠心を試すためなのか。アフロにはあいつなりの考えがあって動いているようだが」
「今ならサガも隙が出そうだよな。まだ手を出すつもりは無ぇけど。それよりエッチ三昧ですっかり忘れていたが、俺様が頑張って調べた13年前の情報知りたいか?」
 胸の中から顔を出しニヤけた表情は、喋りたくてうずうずしているのがよくわかる。
「断ってもどうせ喋りたいんだろ。全部話せ」
 仰向けになったシュラは、まるで猫でも上に乗せるかのようにデスマスクを胸の上に乗せた。Ωとは言えデスマスクは小さくないし軽くもない。体格はシュラとほとんど変わらないが苦しいと感じる事はなく、もっちりした肌に潰される重みが好きだった。乗せられたデスマスクはシュラの顔を間近で眺めながら喋り始める。
「まずアテナと射手座聖衣を日本へ持ち去ったのがグラード財団総帥、城戸光政。もちろんα。すでに死んでいるが13年前ギリシャへの渡航歴が確認できた。プライベートジェットと船舶での移動。美術商なども経由せず、まさかのストレートで黄金聖衣が国外に流出していたとはな。聖衣を前にして勝手に持ち出したり細工を施すなど…普通の頭をしていたら国に届け出るなりするだろうが、やはりちょっとおかしい奴だったようだ。いくらαとは言え百人も腹違いの子ども作ってる時点で異次元、しかもそいつら全員を聖闘士候補生にぶち込むとかヤバ過ぎるだろ?そういうαが近くにいなくてホント良かったわ。サガもヤバけりゃ敵もヤバいってな。どいつもこいつも平和のためにとか言ってやらかす事が混沌過ぎる。人のこと言えねぇけどさ。で、もしかしてアイオロスが自力で日本まで行ったのかと思ったが、あいつはギリシャで死んでいた。シオン様までは確認できていたんだけどな。アイオロスを黄泉比良坂で見つけることが出来なかったのはアテナの目眩しだったかもしれん」
「その日本人がもしかしたらアイオロスをどこかに埋葬した可能性もあるのか」
「遺体が見つかっていないからな。俺もガキだったし死んでコスモが途絶えると難しかった。今なら僅かな燐光を視るとか試す手段は増えたのだが。あと日本で騒いでいる青銅のうち判明しているのはカミュの弟子、鷲星座の弟子、ケフェウス星座の弟子、デスクイーン島に行った奴も鳳凰星座の聖衣を手に入れサポートしているとか何とか…。それよりもだ、呑気なことに五老峰の老師の弟子までいるんだぜ?他五名」
「老師が弟子を…?」
「ずっと避けてたから見落としていた。ほーんと、んな事してる余裕あんならさ、先ず聖域どうにかできなかったのかよって話だよな。サガのこと丸投げしやがって。青銅にはアテナのみならず老師もいる。殺りがいあるだろ?」
 発情期のためにデスマスクと顔を合わせてから、彼はずっと上機嫌でいる。今もとても楽しそうに話しをする。何となくその理由はわかっていたが、あえて聞いてみた。
「フ…お前、この状況が楽しそうだな」
「当たり前だろ、やっと聖闘士殺しも解禁したんだぞ?お前はもうやらかしてるし、アフロディーテも殺った。次は俺の番だろう」
 顔をうっとりさせて待ち切れない様子だ。順番…でいけば確かにそうだろう。しかし清らかなサガはデスマスクの殺戮を憂いている。邪悪な方はΩの実力を見極めるために行かせるかもしれない。次は誰だ?日本にいる青銅全滅か?消息を経っている牡羊座の黄金か、五老峰の老師…。もしもデスマスクが外されてシュラにでも任務が振られれば、また一気に機嫌を損ねるのは想像に容易い。
「お前、もしも順番を飛ばされても暴れるなよ?」
「その保証は致しかねまーす」
「暴れるならばこうしてやる」
 シュラはデスマスクの腰を抱くと、ころんと転がって上下を入れ替えた。下敷きにしたデスマスクの首に顔を寄せ、首筋をはむはむと甘噛みしていく。震えるデスマスクの体から力が抜けていくのがよくわかる。
「ぁ…ん、ぁ、あ…もう…ずる、ずるぃっ…」
「ハハハ、まぁこれは冗談だが聖闘士殺しなんか焦らなくてもいい。一番近くにいるのだからな」
 肌に優しく牙を立てていくだけで、もはや話を聞いているのかわからないくらい表情が蕩けていく。話を有耶無耶にしたシュラは責任を持ってデスマスクを抱き癒した。

ーつづくー

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2024
09,02
 デスマスクはほとんど周期を乱れさせる事なく定期的に発情期を迎え、その度にシュラは三日ほどデスマスクを支え続けるという生活を繰り返した。発情期中でも体調が良ければ部屋を出る事もあったが、フェロモンに誘惑されるαはおらず聖域に於いても自由に過ごすことができた。番を得て体質が変わったことはもちろんあるものの、それよりも常にデスマスクの隣にいるシュラを怖れ、二人に近付こうとする者は黄金聖闘士を除きいなくなっていた。

「デスは昔から近付こうとする物好きな奴はいなかったけど、君の周りからもサッパリ人が消えてしまったね」
「βだからと甘く見ていた奴らが散っただけだろ」
 1月11日の朝、シュラが23歳を迎える前日にアフロディーテが磨羯宮を訪ねてきた。どうせ当日は二人で過ごすだろうからとフライングで祝いに来たらしい。しかも任務へ向かう道すがらと素っ気なく言う。特にプレゼントと言うような"物"はなく、シュラはいつも通り薔薇を三輪贈られた。すぐに行くからと告げられ磨羯宮と私室を繋ぐ扉の前で立ち話をしている。
「αなのは大前提で他の黄金とは候補生や雑兵たちも付き合っているじゃないか。第二性だけが問題ではないな。君が怖いんだよ。脱走者の処刑、デスマスクの分も理由付けて君がやっているのだろ?外でも放っておけば良いような悪者を退治しちゃってるみたいだし」
 二人が番になってから、任務中に無駄な殺しをする事が無かったシュラも小さな事件を起こすことが増えた。デスマスクのように周りを巻き込むような形ではなく、ちゃんと悪事を働いていた輩を通りすがりに成敗しているだけなので咎める事でもない。それでも任務以外は無関心を貫いてきたシュラの殺人が増えたことには違和感があった。
「生まれ持つことができた力を無駄にして、碌でもない事をする奴らに正義を教えてやってるだけだ」
「ふぅん、死を以って解ってくれるといいね。君がデスマスクを染め替える方かと思っていたけど、案外そうでもないんだな。惚れた相手にハマってしまうタイプか」
 好きな相手に尽くしたい気持ちというのはシュラにもあるだろうが、それでもデスマスクの方が尽くす側だと思っていた。奔放な闘い方に良い意味で影響を与えられるかと考えていたが…。
「俺のαはデスマスクの為にある」
「世界の平和ではないのだな」
「世界の平和のためでもあるぞ。あいつが望むαとΩの殲滅は」
「おっそろし…」
 支配しているのはどちらなのだろう。番なのだから共依存と言うのか。アフロディーテが言葉を失っていると、シュラの笑い声が小さく漏れた。
「クク…お前はどう思っている?第二性が平和の妨げになっているとは思わないか?」
「私は力関係こそハッキリしている方が良いと思うがな。βだって平凡面しているだけだろう。それに性差の問題なら男女すら無くしてこそだ」
「あぁ、できれば男女も無くなればいいな。好きになったやつくらい自由に愛させて欲しい」
「それは家族や血縁関係もあるぞ。何でも自由になれば良いというものでもないだろう?その先には混沌しかない」
 神々でさえも「自由」というものは制御できない。自由とは、全てのものが永久に果たせない秩序なのだ。
「だからこそ知恵や理性、肉体的差別を与え人を縛るのか。そこまでして世界を造り、何がしたいのだろうな。神同士でさえ争うというのに、人には平和を押しつけて。考えるほどわからなくなる。おそらくデスマスクはΩが判明する前から世界の存在について疑問を持っていたのだろう」
「それがαやΩの憎しみに?そんなに簡単な話だろうか」
「α、Ωを通してあいつが憎むのは神だ。簡単な話ではないから、俺も理解が追いつかないのかもな」
 ため息混じりに呟くシュラの姿を見て、このバカを心底惚れさせるデスマスクの魅力は何だろうと純粋に思った。アフロディーテ自身もデスマスクには好意的で、もしも本気でデスマスクが自分を選んでくれたのならば受け入れられたと思う。もちろん「αだから」だけではなく。しかしシュラの愛し方とは違うと言えた。自分はもっと表面的に友人のままデスマスクを愛して終わるだろう。シュラのように深いところまで杭を打ち付けて潜り込むような愛し方はきっとできない。他人の深部になんか触れたいとは思わない。殻の硬いデスマスクも同じタイプであるはずなのに、シュラには自ら晒しているのが容易くわかる。自分なら晒されても対応に困ってしまうがシュラはデスマスクの闇にすら愛おしさを感じている。懐が深いと言うかデスマスクバカと言うか。
「もしも、アテナが生存していて戻られるとしたらどうする?裏切るのか?」
「デスマスクに従う。それ以外はない。俺がアテナに命を捧げることができる可能性はデスマスクの待遇に依る」
「まぁ…そうだよな。聞いた私がバカだったよ」
 アフロディーテはシュラの肩を軽く叩き、明日はごゆっくり、と伝えて去って行った。

 発情期には高待遇で休みを受けているため誕生日程度では自動的に休みになるわけでもなく。翌日シュラは夕方までに仕事を終えて磨羯宮の自室に戻った。デスマスクは昼に出て夜までかかるらしい。会えるのは20時頃からか。巨蟹宮の方が外から近いのだからそちらで過ごそうかと提案したが、シュラの誕生日だから自分が磨羯宮へ行くと聞かなかった。食事はシュラが用意した。水に挿したアフロディーテの薔薇を食卓に置き、寝室と浴室を整え、他にも仕事に関してやる事はあったが何も考える気が起きず居間のソファーに沈み込んでデスマスクが来るのを待つ。番である安心感からか会えない日が続いても苦にはならなかった。デスマスクは必ず自分の元へ戻って来るという自信。来なければ自分が捕まえに行くだけだと、必ず見つけ出せるという自信。敵は全て殺せばいい。仮に自分たち以外に"運命"が存在しているとしても、サガと対面した時のように自分は何を犯してでもデスマスクを手放さない。それを彼も望んでいるという自信。死に別れても、必ず再会できるという自信。
(無敵だな…)
 一人ニヤリと笑いながらそう思った。
(どうしようもない時は、俺が殺してやる…)
 二人にとってほとんどの者は相手にならない。黄金以上の闘士、そして神との闘いに限るだろう。デスマスクが誰かに殺されることも今では許せないと思いながら、シュラは右手をかざして眺めた。

 ふ、と磨羯宮に侵入するコスモを感じソファーから身を起こす。扉に視線を移すと間もなく開き、小さな箱を手にしたデスマスクが笑いながら姿を現した。それを見たシュラの表情も柔らかく崩れていく。
「お待ちかねの俺様とケーキがやって来たぞ」
 ニコニコしたまま小箱を食卓に置き、ソファーにふんわり飛び込んでシュラの頭を抱いた。
「っあー…いい匂いだな、ほんと…。すき…」
 胸いっぱいにシュラの匂いを吸い込むと、頭を離し「おめでと」と呟いて軽いキスを何度も交わす。放っておくと食事を忘れてしまいそうだと感じたシュラはキスをしたままデスマスクを抱き上げて食卓まで移動した。
「せっかく用意したからな、先に済ませてしまうぞ」
 椅子に座らされたデスマスクは「ハイハイ」と軽い返事をしてフォークを手に取る。少し首を垂れれば、白い首を横切る黒い首輪と丸見えな噛み跡が露わになった。ちょっと苦しい、と言いながらもオフになれば必ず首輪を着けている。自身が与える物全てに価値があり、大事にする姿は見ていてとても気分が良かった。何でも与えたくなってしまう。軽く首筋を撫でると、ビクンと跳ねたデスマスクに「早く食え」と睨まれた。

「お前って何でも食うから正直どういうケーキが好きなのかわかんねぇんだけどさ、まぁ冬だしシンプルにチョコレートとフルーツでも買ってみたわけよ。俺の地元の良いお店のヤツ」
 食事を終えてから食卓の隅に置いていた小箱を開けると、ショートケーキが3個入っていた。
「さすがにホールはいらねぇよな、って。俺一個で良いしニ個お前の分」
「いや俺も一個で良かったんだが」
「でも食えるだろ?食っとけよ。誕生日なんだし」
 デスマスクはシュラに選ばせることなく真っ先に一つのケーキを取り出して自分の皿に乗せた。自分が食べたい物はハッキリしている。そういう性格なのは知っているし不満も無いのでシュラは残りの二個を皿に乗せて、あっという間に食べ終えた。「うまい?」と尋ねる声に頷けば、そうに決まってると笑ってデスマスクも最後の一口を口に含んだ。
「何だかんだでお前の誕生日ちゃんと祝うのも初めてだよな。だから奮発してお高いケーキ買ってきたんだけど」
「プレゼントはケーキだけか?」
「え?お前プレゼント欲しがっちゃう?何か新鮮」
 そう言いながらデスマスクはポケットに手を入れてゴソゴソしている。ケーキの箱以外を持って来ている感じは無かった。ポケットに入るサイズならあり得るが、デスマスクがプレゼントをポケットになんか入れるだろうか?
 やがてするりと引き抜いて見せた手には、何も見当たらなかった。
「プレゼントさ、考えたんだよ。絶対に何か渡したかったからな。でも良いのが思い付かなかった」
「俺はケーキだけで十分だ、気にしなくていい」
「でも少しは期待しただろ?…何かなぁ…どれもしっくりこなくて今日になっちまったよ。適当なのは渡せねぇって考え尽くした結果、自爆した」
 言い終えて食卓に突っ伏すデスマスクの髪に手を伸ばして撫でる。何でも器用にこなす奴なのに、行き詰まるほど自分の事を考えているのは嬉しい。
「何か持ってくるだろうと考えてはいたが、お前のこんな姿が見れるのは俺にとってサプライズだぞ」
「へー…うれぴー…」
「本当の事だ。冗談でも何でも適当な物を持ってくれば良かったのに、それができなかったほど俺に真剣なんだろ?どうでもいい奴ほど何でも渡せるもんな」
 髪を撫でていた手が耳へ、頬へと滑り込み、デスマスクの顔を上げさせる。本当は何か渡したかったのに、という悔しさを隠し切れない顔を見ると、シュラも釣られて困った笑顔を返した。
「何か良いものが閃いたら持って来い。来年まで待つなよ?俺たちには明日があるとは限らない」
「お前が死んでも黄泉比良坂で足止めして渡す…」
「ハハ、あの世へ持って行ける物は良いな。どこまで持っていられるか試してみたい」
「すぐ閻魔サマに没収されるだろうよ」
 エンマ?ハーデスじゃないのか、と笑いながらシュラは食事の後片付けを始める。長年の隠れ家生活が染み付いているのか聖域に戻ってからも発情期の有無に関わらず、私室で食事をする時はいつもシュラが担当していた。もちろん手の込んだ料理なんか作らない。デスマスクが当たり前のようにソファーで食事を待つから自然といつもシュラが台所に立った。それは誕生日であろうと変わらない。
「まぁ、最後まで手にしていたいのはお前だけどな…」
 食器を洗いながら溢した言葉に「知ってる」と小さく返ってきた。
「多分だけどそれはどうにかなるんじゃねぇ?俺らって強い運命で結ばれちゃってるっぽいし。サガすらそんな事言ってた」
「…サガが?」
 突然出てきた名前に手を止める。
「何かあいつ前世の記憶が残ってるらしいんだよな。俺らとアフロもいたんだってよ。戦争してて死んだらしい」
「戦争…?それは、雪の中でか?」
 真剣に食い付いてきたシュラが意外でデスマスクは思わず「ふぇ?」と間抜けな声が出てしまった。
「いや、俺は知らねぇからサガに聞いてくれ。まさかお前も前世の記憶が残ってるのか?」
「…わからない、がβの時によく夢を見たのだ。そう言えばαになってからは見ていないな…」
「へぇ…俺とお前の夢?そんなのβの時に見てたんだな。何も言わなかったくせに」
 少し拗ねた声で返される。よく見る夢ではあったがハッキリとデスマスクの姿を見たわけではない。ただいつも夜で、森の中で、雪が降ってきて、誰かを抱いていた。戦争、と聞いて何故か今それが思い出された。戦争の夢という意識は全く無かったのに。死んだのであればデスマスクを抱いていた?アフロディーテとは思えない。やはりデスマスクは殺された?…誰に…。

「しゅーらっ!」
 突然大きな声で呼ばれて意識を戻すと、隣に来ていたデスマスクがシュラの腰を抱く。
「…いきなり変な話して悪かった、忘れようぜ…」
 顔を寄せ、ペロっと唇を舐められる。デスマスクの舌先に薄っすらと血が滲んでいる。ドクンと胸が高鳴った。
「噛み締め過ぎだっつーの」
 いつの間にか剥き出していた牙や唇に滲む血をペロ、ペロ、と舐め取られてからキスを交わす。そのままデスマスクは隣に立ち、シンクに残った器を手に取るとシュラに代わって洗い始めた。
「ホラさっさと終わらせてベッド行くぞ!俺、ずっと我慢してんだから…」
 洗い物をしながら肩をシュラに寄せて何度か突く。意識を自分に向けさせるように。直ぐに洗い終えると勢いよくシュラの腕を引いて寝室へと向かった。

「もちろんシャワーは済ませてんだよな?」
 その言葉に返事をする間もなくシュラはベッドに押し倒され、上に乗っかったデスマスクはするりと上着を脱ぎ落とす。
「何かウズウズして噛みたければ俺を噛めよ、どこでもいいから。好きなだけ」
 覆い被さり、シュラの頭を柔らかく抱くとデスマスクのフェロモンが漂い始めた。"かつて"の事を思い出そうとしていたシュラの意識が徐々にデスマスクへ引き戻されていく。
「お前、俺のどこが好き?胸?指?太腿?腰?」
「…噛むのは…頸とは違う。傷も残るかもしれない…」
 誘惑に耐えて言い返したが、噛みたい衝動が沸き上がったのは事実だった。自分は今どんな顔をしているのだろう。デスマスクが焦る程に飢えた表情を見せているのだろうか。あの夢を思い出してから妙にドキドキする。噛みたい。もうデスマスクは番で自分のものなのに、たった今まで感じていた安心感は全て失われ強い不安が胸を打つ。誰が殺した…?噛みたい。誰かに傷付けられる前に…。噛みたい。誰かに奪われる前に…。噛みたい!誰かに殺される前に…!

「いっ…て…!!」
 顔を上げたシュラはデスマスクを押し除け左肩に牙を立てた。ゆっくり口を離すと白い肌にじわじわ血が浮き上がってくる。デスマスクの顔を見ると眉を寄せながらも笑っていた。
「っは、ぁっ…!」
 乗っていたデスマスクを引き倒し、今度はシュラが乗り上げると次は右胸の脇に噛み付く。再びデスマスクの顔を覗くと瞳に涙を溜めながらやはり笑っていた。
「い…いいから、続けろって…」
「気持ちいいのか」
「ん…もぅ…わかんねぇけど、いいんだよぉっ!…ぁっ、や…!」
 続けて腰に噛みついたあと、パンツを引き下ろして次々と牙を立てていった。痛みを訴える喘ぎ声は正直なのに笑顔で打ち消そうとする姿が健気で、1秒でも早く止めてやらなければならないと頭では思えど衝動が抑えられない。自分はデスマスクを殺す時は一振りの手刀で終わらせるものと思っていた。傷付け、解らせるようなこの行為は良くない。シュラを思って誘い続けるデスマスクも悪い。愛を繋ぐためのαの牙がΩを殺めてしまう。
 しかしそれも本来の姿なのだろう。たまたまシュラは手刀という手段を持っているだけなのだ。

「デス…これで気持ち悦くなっては、ダメだろう…」
 デスマスクの全身が赤く染まる頃、衝動が治ってきたシュラはシーツに散った体液に気付き指で掬って見せた。痛みと熱っぽさでぼんやりしているデスマスクには見えていないだろうが、自覚はあるようで恥ずかしそうに下唇を噛み締める。
「だって、お前がやる事だしっ…んっ…!」
 デスマスクが溢したものを舐めてから、ずっと触れずにいた下腹部へと指を挿し入れる。もうすっかり濡れていて、ようやく挿入ってきた指に悦んで吸いついてくるようだ。肌に滲む血を肩から順番に舐めていけばビクビクと震えて弱くイき続けている。
「酷いことをして済まない…お前のフェロモンのおかげで煽られはしたが意識して加減する事はできた。あとは少しづつ、俺のコスモでどこまで戻せるかわからないが…気持ち良いことしかしないから力を抜いて良いぞ」
「…たんじょうびだから…おおめにみてやる…」
 ゆっくり腕を伸ばしたデスマスクはシュラの首を引き寄せてキスを強請った。血の味がする舌を舐め合いながら腰を揺すって一番欲しいものを訴える。
「ゆびはもういい、早く脱いで肌で抱いて…。お前も噛みまくって、気持ち良くなってんだろ?ハードだっただけで前戯はもう終わってんだよ…」
 その言葉にシュラも服を脱ぎ捨ててデスマスクをいつものように内から優しく抱いた。擦れる肌にデスマスクの血がシュラにも移る。コスモを込めて外からも内からもデスマスクを包み込んだ。吐息混じりに「きもちいい…」と繰り返される言葉にはシュラも煽られて愛しさが募っていく。なぜ、この優しい愛だけを貫けられないのだろう。これも神が試す行為なのか。
 疲れ果ててデスマスクが瞼を閉じた頃、ようやく肌の赤みも引いていった。

 翌朝デスマスクが目覚めると傷は残っているが痛みは無く、体は清められ、血の滲んでいたシーツも全て綺麗に整えられたベッドの中にいた。体を起こそうとするとさすがに倦怠感がある。小さく溜め息を吐いてベッドに身を預けた。
 シュラの豹変には身の危険を感じつつも、自分を食い殺しかねない真っ黒な瞳に興奮して誘ってしまった。おそらくシュラは自身が暴走したと思っているだろうが、デスマスクが望んだ事でもあった。シュラがかなり気を遣って噛んでいたこともわかった。もっと強く噛めば良いのにと思っていたなんて絶対に言えない。口元をもっと血で濡らして…。その光景をデスマスクは知っている。何の記憶かわからない。でも知っている。それはとても嬉しい瞬間だったから。

 ギィっとドアが開き、戻って来たシュラと目が合った。ベッド脇に跪いてデスマスクの髪を指先で梳く。「大丈夫か」と聞かれて正直に「怠い」と呟けば、部屋を出て行ったシュラは朝食を手にして再び戻って来た。
「…食べさせてくれるとか?」
「そうしてほしければ、してやってもいい」
 少し考えたデスマスクは思い切って起き上がり、朝食を受け取ると枕元にある棚の上に置いた。
「まぁ、自分で食える。ただ俺っぴ寝起きすぐは食欲無ぇから後で」
「今日の任務は午後からだろう?それまで休んでいけ。俺も夕方からだから巨蟹宮まで送ってやる」
 そっと握られた手からシュラのコスモが流れ込んでくるのがわかる。傷を治そうとする癒しのものだが、番になってからは少し性欲も掻き立てられるのでできれば寝ている間だけにしてほしい…なんて言えず。
「…キスぐらいなら、俺が出て行くまでしても良いか?」
「ぐらい、ってなんだ。抱かれ足りないのか」
 半笑いで黙っていると、シュラの唇が頬に当たった。
「怠いと言う上こんな姿になっても懲りずに…かわいすぎる」
 朝食を食べ終えたら呼びに来い、と部屋を出て行くシュラの背中を眺め、ドアが閉まると同時にデスマスクは器に乗ったパンを手に取ってかじり始めた。寝起きすぐの飲み込み辛さは気にならなかった。

 シュラに噛まれた痕は聖衣を着けると脇から腕部分しか見えないはずだ。マントをして激しく動かなければ何となく隠せていると思う。が、目敏いアフロディーテには全く効果が無く、すれ違い際に腕を掴まれ確認されてしまった。教皇宮に行けば清らかなサガも目を細め、噛み痕を見る視線が痛い。二人とも特に何かを言うでもなく、静かに溜め息を漏らして終わった。

ーつづくー

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2024
08,08
 教皇宮に入った二人は教皇座に座るサガの前まで揃って出た。堂々と、これが番となった俺たちだという事を見せ付けてから静かに首を垂れてデスマスクが自ら番を得たことを報告する。
「発情期にαたちを惑わすこと無く聖闘士を全うできるようになるのは私も望んだ事である。本領を発揮して励んでほしい」
 仮面の奥のサガの表情は窺えないが、落ち着いたコスモと声色で返ってきた。邪悪な方は息を潜めているようだ。
「しかし教皇、俺の発情期が無くなったわけではありません。今まで通りその時期はシュラと休みを頂きますよ。聖域で」
「理解している。首輪ももう、必要無いな?」
 そう告げたサガは袖口から金の首輪を取り出して見せた。今までずっとあれを着けていたという感覚もすでに薄れて、自分の首元を彩るのは黒革の首輪しか考えられない。
「必要ありません。買っていただきありがとうございました。売るなり溶かすなりして聖域の財源に充ててください」
 二人が教皇宮から退室しようとした時、サガはシュラの方にも視線を送ったが二人は言葉を交わすことなく宮を出た。

「キリっとした顔で"話をつける!"って言っといてよ、結局お前何も喋らねぇし!」
 宮を出てすぐデスマスクは、ただの添え物と化していたシュラに不満をぶつける。つい先程まで強気でアフロディーテとピリピリていたというのにどうしたというのか。
「サガが落ち着いていたから余計な事を言う必要も無いかと思って」
「あー…余計なことばかり言う自覚はあるんだな。初めて知ったわ」
 嫌味を言ってもシュラは黙ったままでいる。多分、先程アフロディーテと張り合ってしまったからこそ、αの気をコントロールできなくなる事を怖れたのだろう。
「はぁ〜…サガも今のお前も情緒不安定な人って読めねぇなぁ〜」
 デスマスクは階段を降りながら長い溜め息を吐いてシュラに寄り添った。何となく、触れ合う手に緩く指を絡ませるとシュラの方から握り返してくる。
「突然発情期に聖域へ戻って騒動起こしたお前が言うことか。サガを見れば俺の苦労も少しはわかるだろ」
「そうだけど、あの時はお前の気を引きたいっていうか甘えがあったというか…」
「それで俺は黄金と争って負傷した」
「…ごめんって…」
 番になれて、もう落ち着いたからさ…とシュラの頬にキスをする。シュラも握っていた手を解くとデスマスクの腰を寄せて頬に返した。擦れ合う聖衣がカツ、カツ、と音を立てる。

 仲良く双魚宮を抜け宝瓶宮に入れば、行きには見掛けなかったカミュとミロが話をしていた。ミロはシュラとデスマスクの気配に振り向くなり「本当に番になってやがる…」と呟いた。
「うるせぇ、聞こえてるぞ」
 宮の真ん中を歩きながらデスマスクが吐き捨てる。
「番になったということは、お前たちヤったって事だよな?デスマスクを抱くとか信じられ…」
 言い終わる前に控えめな聖剣が宙を裂き、ミロとカミュをかすめてその奥の柱に鋭い傷を付けた。またもシュラに傷付けられ、宝瓶宮はいつか斬り崩されてしまうかもしれない。
「おいシュラ!危ねぇだろ!」
「お前みたいなガキには理解されなくて結構だ!」
 シュラは黙ったままで、ミロに答えたのはデスマスクだった。そう言われるなりミロは腕を組み顔を歪める。
「ふん、どうせお得意のフェロモンで無理矢理抱かせたのだろう」
「そんな考え方しかできねぇなんて、黄金αのくせに情けないな」
「ハァ?「おいミロ!止めろ!」
 レベルの低い喧嘩を眺めていたカミュが遂にミロを止めに入った。それを見て、いつでも繰り出せるとデスマスクの隣で聖剣を構えていたシュラも腕を解く。
「すまない、私たちαには恋愛事など無縁の事なのでな…お前たちの関係に羨ましさがあるのだと思う」
「ハァァ?!俺は羨ましくねぇよ!」
「止めてくれ、私から見てもみっともないぞ」
 デスマスクたちからはよく見えなかったが、カミュの冷めた視線を受けてミロは口をつぐみ顔を逸らした。
「シュラがαになったと聞いた時、驚きは無かった。αに匹敵する力は持っていたからな、それが当然とも思えた。番の事はよくわからないが、これからも二人の活躍に期待している」
 そう告げたカミュにデスマスクは手を振り、二人は磨羯宮へと向かった。

「くっそミロの奴、なめくさりやがって。未だにΩは美形とか女々しいとかいう幻想抱いてんじゃねぇよ!」
 シュラは私室へ入ってからも愚痴るデスマスクの髪を撫でて額にキスをした。二人とも聖衣を脱ぎ、上半身は裸のままでソファーに沈み込んでいる。
「俺はお前が好きだ。ただそれだけだが、それには肌も髪も瞳も内面も全てが含まれる。他人の気を引くほどの美貌など必要無い。俺がお前を好きでいるのだからそれでいいだろ?」
「俺だってそう思うけどよ、それが理解できてねぇミロに腹立つんだよ」
「クク…お前は賢くて可愛い。好きだよ、デス…」
 シュラの手のひらがデスマスクの胸を揉んで、親指が敏感な箇所を撫でていく。擽ったさに吐息を漏らしながら、するのか?と呟くと微笑み返された。聖域で抱かれるのは初めてだ。誰かに見られる事なんて無いのはわかっていても少し緊張する。シュラなりに、ミロの言葉に傷付いてないかとフォローしようとしているのだろう。発情期でなくても抱ける、お前が好きなのだと。一通り前戯を施されて蕩けたデスマスクはシュラに抱き上げられると寝室へ移動し、引き続きシュラの愛を存分に受け入れた。

ーーー

 翌日から二人は早速それぞれの仕事を与えられ、以前と同じく任務に励んだ。αに変異したシュラは自身の体力や技の技術に関してはβの頃との違いを感じなかったが、敵と対面した際に相手が怯むようになったのは実感した。その実感は日に日に増していき、αとしての力が着実に付いてきていることに満足した。得られる強さは全て取り込みたい。それがデスマスクを支える力となるのであれば喜んで受け入れる。早めに任務が終わった8月のある日、十二宮を上っていたシュラは巨蟹宮にデスマスクの気配を感じて会いに行くことにした。
 巨蟹宮の外にまで宮内を轟かす死面たちの声が漏れ出ている。番になる前はここまで聞こえていなかったが、最近また数を増やしたようだ。Ωが判明してからもデスマスクは粛清任務の手を緩める事はしなかった。時差があろうと時間を問わず任務に向かい、発情期の休暇分を取り戻すべく戦い続ける。シュラのように格闘を繰り広げるわけではないのだが、コスモの消費に関してはデスマスクの方が高いだろう。それが更に加速しているように感じる。私室の扉を開け、居間へ向かおうとしたシュラはデスマスクが浴室にいることに気付きそちらへ向かった。浴室の扉を開けてしまおうか考える間もなく、シャワーを終えたデスマスクがその扉を開けて現れた。
「ぅおいっ!ビビるじゃねぇか、来てたのかよ」
 シュラは洗面台の横に置かれていたタオルを手にして肩に掛けてやる。デスマスクを抱いた後にするのと同じように体を拭き始めれば、大人しく身を委ねてきた。
「今日は早帰りで来たのか?この後も暇ってこと?」
 久しぶりに会えたことが嬉しそうな声色が響く。
「あぁ、αになってから仕事が楽になった気がする。お前も少しは楽になったのか?」
「少しもなにも…」
 デスマスクは耐えられない笑みを溢しながらタオルをひるがえし、人差し指を立てた右腕を突き上げて見せた。
「見せてやれないのが残念で仕方ない程に、ヤバい」
 ヤバい、が良い意味でというのは一目瞭然だった。少しコスモを燃やしてみせたのだろうがそれだけではない。Ωであるのにαと同等の圧を感じる。
「これが番になる、という事なのかお前の精が凄いのかわからねぇけど、力の出方が全然違うんだよな。今の俺はお前より強いと思うぜ?エッチして中に出されても掻き出さなきゃ漏れてく感じあんま無ぇし、αの力をリアルに吸収してんのかな」
「仕様から考えると俺は与えることしかできないが、お前はαを受け入れたΩであるから…一体化したという意味で強化されてもおかしくない気はする」
「その辺のΩならば番との妊娠出産しか考えられなくなるだろうが俺は違うしな。俺は新しい世界を産んでやるぜ?」
 突然の壮大な言い草にシュラは笑ったが、デスマスクは何も言い返さなかった。真剣な瞳がシュラを見つめ続けていることに気付き、笑みを潜めて続きを促す。
「俺らが相手にする奴らは殆どがαだよな?まったく好都合だ、片っ端から葬っていける。そしてαの側にはΩがいる事も多い」
「…任務外の殺しもしているのか」
「そいつら番だったら片方だけ残すのは可哀想だろ?番じゃなかったら俺とお前の関係をぶち壊す"運命"が紛れ込んでいるかもしれん」
「運命?」
「知らねぇの?番関係ぶち壊してでも遺伝子レベルで惹かれ合ってしまうαとΩの存在」
「知ってはいるが、俺たちがソレではないのか?」
「正直わかんねぇじゃん。そう思いたくてもどんなんか知らないのだから。念には念を、だよ。お前を誰かに盗られるのだけは絶対に許せねぇし耐えられん。聖域の奴らは仕方ねぇから後回しだが、この世に存在するαとΩの全てを消したい。世界がβだけになったらどうなるんだろうな?どうせその中から優劣付けてくのだろうが、番はαとΩだけだとかフェロモンに惑わされて事件が起きるような世界が終わるならそれで良い」
 デスマスクは自身の願いが果たされた故に世の中の好き合うαとΩに対して友好的な考えを持っているとシュラは勝手に思い込んでいた。しかし現実はαへの嫌悪もΩに対する悔しさも何も変わっていなかった。突き詰めれば"怒りの根源は第二性を生んだ神にある"という事を思い返すと、何も変わらないのは当然の事だろう。
「なぁお前何でここに来た?オレサマの顔を見に来ただけか?」
 拭き終えた体を包むバスタオルの隙間から手が伸びて、シュラの服を小さく摘まむ。その様子を見て、最近デスマスクに服を与えていないなという事を思い出した。
「お前もこの後空いているのなら食事でもと」
「ふぅん…その前にさ、ヤる?お前って今でも一人の時は溜め込んでんの?それとも積極的にオレの事考えてくれちゃってる?」
「わざわざ一人で楽しむようなタイプではない。そこは変わらない」
「へー…ならば久しぶりにオレサマが色々頑張ってやろうかな。明日もデカい仕事入ってるからよ、たっぷり頂いておこうかなって」
 言い草からして"外食前に軽く"とはとてもいかなさそうだなと思いながらも、シュラはデスマスクの頬にキスをしてから自身も浴室へ汗を流しに入った。その場で脱いだ服をデスマスクに渡すと目を丸くして不思議そうに見ていたが、すぐに理解してニヤけ崩れていく顔が閉まる扉の向こうに見えた。

 寝室へ向かったシュラは先にベッドで待っていたデスマスクの首筋に触れ、噛み痕を確認する。番の証はしっかり残っている。デスマスクはシュラを咥えることに関してそこまで積極的ではなかったが、今日は違った。慣れない口使いながらも少しでもシュラから力を得ようと懸命に求め、吸い上げていく。飲み込む事が当然であるかのように躊躇なく体内へ取り込み、ニヤりと笑った。その唇にキスをして押し倒そうとすると、デスマスクは拒むように身を屈めて再びシュラを咥える。抜いてしまった熱をもう一度立派に、研ぎ澄ますように。そして自ら仰向けになれば「次はここ」と言わんばかりにシュラを下腹部まで導き、視線を合わせた。そこからはもうシュラの主導で、抱き揺すられるデスマスクの体は愛される悦びに熱を帯びていく。シュラのために絶え間なく濡れる体を差し出して、求める限りの愛情を体いっぱいに受け取った。

「…αってさ、どんだけシたら枯れるんだ?」
 当然、外食へ出掛けられる余裕など無い姿となったデスマスクがぼんやり呟いた。αに抱かれて力が漲るようになるのは直ぐではないようだ。
「さあな、Ωの発情期に耐えられる分はあるから生産回転が相当速いのだろう」
「貯めてる部分がデカいわけじゃねぇもんな…女αなんて特に。そこは意味不明だわ」
「男Ωの妊娠構造も昔に本を読んだが意味不明だった」
「理解するもんじゃねぇんだよ…番がどうとか説明読んでも、実際なってみないとわからんのと同じだ」
「まさに神の悪戯、か」
「ほんとムカつく」
 その言葉にシュラは眉を寄せて微笑んだ。デスマスクの髪を撫でてから指先で頬を擽る。第二性なんか関係なく普通に、平凡に愛し合って終われるのならばそれがいい。αの力がΩを補って殺戮の原動力に変わってしまうとは思ってもいなかった。デスマスクは強い。しかしどうあがいても神にはなれない。このまま突き進む先に何がある?
「考えても仕方ねぇんだ、やるしかない。俺は、やる…」
 シュラの心を読んだかのような呟きが低く響き、妙に胸を打った。迷いは、断たれる。

 翌朝、シュラはデスマスクを見送ってから昨日の報告をするために教皇宮へ向かった。しかし教皇座に姿は無く私室へ案内されたため、何となく状況を理解したシュラは溜め息を吐いてから扉を開けた。
「蟹座は番になってから絶好調のようだな、調子に乗っている様がよくわかる」
 ソファーに腰掛けているサガの髪は半分黒く染まっていた。話し方からも邪悪な方が出ているのは一目瞭然だ。
「アレでも抱き心地は良いものなのか?Ωであるのだからナカの具合は最高だろうがな」
「そのような話をする気はない。次の準備があるので失礼する」
 あからさまに呆れた顔をして見せたシュラは簡潔に報告を済ませ踵を返した。それでも背中から笑いを含んだ声が漏れ聞こえる。
「クク…お前も恐ろしいΩを番にしてしまったものだ。みるみるうちに巨蟹宮が死面で埋められていく。元からおかしい奴ではあったがあれで精神面は正常なのか?異常であってほしいともう一人の私が願う程だぞ?任務外で殺りすぎると私もフォローし切れないからな、お前がコントロールしてやれよ」
 Ωなのだからセックス漬けにでもしてやれば落ち着くだろう、という馬鹿な言葉を遮るように力強く扉を閉めた。パラパラと石埃が床へ落ちていく。

 暗殺はデスマスクだけがしている仕事ではない。巨蟹宮の怪異によりデスマスクだけがその行いを表面化させ周知されているが、シュラもアフロディーテも行っていることだ。指示をするのはもちろん教皇。聖域内の問題のみならず外交も絡み、聖域に仕事を頼む者は世界各国に散らばっている。
「異常だと思うのならなぜデスマスクに暗殺任務を与えるのだ…!」
 血を流さない積尸気冥界波は都合が良いのだろう。一人であればひっそりと病死扱いにもできる。シュラの暗殺は殺人事件にしかならない。だからこそ、時にデスマスクは従順さを放棄して気に入らない依頼の時には周りを巻き込み、わざと事件性を露見させているのではないかと思う時があった。理解できる者はほとんどいないのだろうが、それが彼なりの正義でもあるのだろうと。それとも本当に、ただαとΩの殲滅を遂行しているだけなのだろうか。
 自分はどうしたいかと言えば、決まっている。聖域よりも世界よりも番としてデスマスクの味方でいる。より強くなりたいと願うそれを叶えてやりたい。そのために人類が滅亡しても…構わない。二人きりになった世界を神に見せつけてやれるのならば、それはさぞ気分が良いものとなるだろう。

 磨羯宮へ戻ったシュラは昼食を食べてから次の任務へ向かった。暗殺を伴わない仕事であったが、偶然βに暴行を加えているαの二人組を見掛けて首を落とした。助けられたβはシュラを見るなり感謝も述べず逃げ去っていく。転がる首を眺めて、何も感じるものなどなくその場を立ち去った。

ーつづくー

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2024
08,02
 満足するまで抱いてもらっているというのにスッキリするのは数時間程度で、直ぐにシュラが恋しくなってしまう。発情期のピークが過ぎるまで二人は裸に上着やバスタオルを羽織るだけで生活した。さすがに居間で抱き合ったのはあの時だけで、それ以降はどちらかのベッドまで行くように努力している。
 6月24日、デスマスクが22歳を迎える朝。朝食を食べてからシュラに抱いてもらうと、体の疼きが一気に引いていくのを感じた。長年の経験からわかる、発情期が終わっていくサインだ。
「前まではピーク後もダラダラ続いていたが、今回一気に終わるかも…」
 シュラの愛情を体内に受け入れながらデスマスクは呟いた。αの精にはΩの心を落ち着かせる作用も含まれているのだろうか。狂ったように熱くなる体は精を与えられる度に癒されていき、やがて満たされる。好きで抱かれたい気持ちと、助けてほしくて精を求める気持ちが入り混じる。
「番を得た事で発情期の期間が短くなるのならそれに越した事はない。聖域でも暮らし易くなるだろう」
 キスをして、シュラがデスマスクの体から抜けようとした時、引き留めるように腕を掴んだ。
「なぁっ…発情期以外でも、普通に抱いて欲しいんだけど…」
 その訴えにシュラは顔をしかめる。何を言ってるんだ当たり前だろう、と思ってもデスマスクにはまだβだったシュラのイメージしかない。αになって数日しか経っていないのだ。
「これからはお前が抱かれたい時に言えばいいし、俺が抱きたい時もそうする。発情期だから抱いてやってるのではない。βのように拒否もしない。抱きたいから抱いているんだ、もう心配しなくていい」
 そう告げてデスマスクを抱き締め直し、心音が穏やかになるのを待つ。やがて「大丈夫」の合図にデスマスクがシュラの肩を押すと、ゆっくり体内から抜けて隣に寝転がった。銀髪を撫でれば幸せそうに目を細める。
「今日こそ調子が良ければ何か食べに行かないか?この前の続きでイタリアでも良いが」
「それは誕生日関係ある感じ?」
「ある」と即答するシュラの提案に、デスマスクは軽く微笑みながら「行きたい」と頷いた。

 初めて二人で誕生日を誕生日として過ごした。昼から少し贅沢なコース料理を食べて、デザートにティラミスを食べて、広場のベンチでぼんやりしてから海岸線を散歩する。聖闘士である事とか報われない不満だとかを忘れて、たまに街中で見掛ける幸せそうなαとΩの番として過ごせた気がした。
「お前の銀髪は目立つからかよく見られていたな」
「別に今更だし。でも多分俺よりお前の方を見てたんじゃねぇの?俺はそう感じた」
 丘の広場で夜景を眺めながら交わした言葉に「これって嫉妬か?」と二人で笑う。
「対抗心なんか残ってるもんなのか?こんなに好き合ってんのによぉ」
「ククッ…それとこれとは別なんだろう。俺の方が強いしな」
 サラッと言うシュラの言葉を聞き逃さなかった。
「αに昇格したからって自惚れんな!俺様が最強Ωだ、わかってんだろ!」
「可愛いは最強かもな」
「ヘンタイ!」
 番になって初めてシュラに拳を振ったが、やはり呆気なく手の平で受け止められてしまう。それどころか軽く足を払われて崩れた体を抱き止められた。どうだ?と見下ろしてニヤける顔はどんなに好きな奴でも腹立つ時は腹が立つ。デスマスクは瞬間移動を使いシュラの腕の中から消え、背後に立った。そして人差し指を背中に突き立てる。
「十二宮とかハンデ無ければ俺が最強なんだよ、巨蟹宮にある実績見てんだろ?」
「そうだな。ハンデも発情期も克服できたらな」
 降参、と両手を挙げるポーズをしているのがまた腹立つ。きっとシュラの顔は嫌な笑顔をしている。どうせΩはどれだけ足掻いても好いたαには敵わないのだ。体が、心が素直になってしまう。
 動きを止めたデスマスクが気になったシュラは振り向いて、何かを考え込んでしまっている姿を抱いた。
「…言い過ぎたか、すまない。番になったからには俺とお前は対立すべきではないだろう。これからは二人で一人の気持ちを持つ必要がある。お前の発情期は俺も背負う」
「やっぱ俺ってもう、一人で強くなるのは無理なんだな…」
「男と女は元々一つだったという考えがあるだろ?αとΩも同じだ。お前は俺を得て、欠けていたものを取り戻したと考える方が正しいと思うが。俺と共に、というのは抵抗あるか?」
 反射的に首を振った。シュラとの番関係はデスマスクが渇望したものであるから抵抗はない。それでも自分が持つ男の性が強さを求めてしまう。かつて黄金聖衣を勝ち取っても満たされなかった。上には上がいる。ここ数年はシュラと番になれれば他は何もいらないというくらい想っていたのに、手に入ったら別の欲望が湧き出てしまう。
「いつまでも枯れず向上心を持ち続けるのは良い事だと思うぞ。だからこそ黄金に相応しい。無理とか考えずαを超えようとする野心は持ち続ければ良い。お前は極上のΩなんだ、他の黄金αのフェロモンももう効かない。最強を諦める必要も無いと思う」
 シュラの言葉に無言で頷いた。番となった二人の力はきっと神に匹敵するはず。しばらく抱かれてから顔を上げたデスマスクは呟いた。
「クク…そうだな、今日という日に生まれ変わってやるぜ。俺たちは始まりであり終わりとなる」
「お前が望むように生きろ。αのくせに言うのもアレだが、俺はお前に従う」
 どちらからともなく顔を寄せてキスを交わした。シュラには…αには敵わないというのはもはや幻想で、自分はこうして手に入れたのだ。シュラと交わりαの力を注がれて番となった。それは愛だけではなく、もっと自分を、Ωを生まれ変わらせたはずだ。自分はのんびり暮らしていけるΩではない。選ばれし黄金聖闘士のΩであり、黄金のαと番った未知なる者。聖域を、世界を変える事もできるかもしれない。
「ふ、流石だな。頼もしい…」
 デスマスクから異様なコスモの高まりを感じたシュラは一言呟いて、もう一度頬にキスをした。

 誕生日から二日後の朝。二人は長年デスマスクの発情期を支えひっそりと過ごしてきた隠れ家の前に立ち眺めていた。
「なぁ…使いたい時にここ来ても良いんじゃねぇの?」
 シュラとの思い出が詰まる場所を手放すのが惜しくてデスマスクは訴えるが、シュラは最後まで首を縦に振らなかった。
「ケジメは必要だろう。ここは"教皇"の計らいで仕立て上げた場所だ。家が欲しいのならば金の首輪を捨てたように俺たちで新たに探すべきだな」
「それはわかるけどよぉ…」
 新しい家を手に入れてもそこに二人の思い出は無い。過去も手放したくないとするデスマスクの考えはシュラには理解し難かった。
「お前はβの俺に未練があるのか」
 シュラに見つめられ、視線の鋭さに一瞬息が止まる。違う、そういうわけではないのだが…。
「αになって数日だ。この家に残る思い出なんかβの俺しか居ない。どれだけお前に求められ、縋られても、応えることができなかった。苦しむお前を前に何もしてやれなかった。一線を超える度胸すら無かった。そんな俺しか居ない思い出を手放したくないというのは理解できないな」
「そんな事ばかりじゃ…」
「βだったからとは言え、俺はお前に酷いことばかりしてきたという事がαになってやっと解ってきたんだ。もっとお前の要求に応えてやるくらいできたはずなのに。大切にしてやりたいというのは言い訳でしかなかった。お前は俺のそういうところに惚れたのかもしれないが、同時に不満もあったからこそα性を求めたのだろう?それとも、今でもβに会いたいとか考えるのか?」
 デスマスクの首を横切る黒い首輪にシュラは人差し指を差し入れ、前から後ろへと撫でていく。返答によってはせっかく買ってくれた新しい首輪を斬ってしまいそうでデスマスクは焦った。首輪に手を当てて「βに会いたいんじゃない、やめてほしい」の意味で首を横に何度も振る。するりと指が抜かれると、その手はデスマスクを抱き寄せた。
「…すまない、意地悪をしたいわけではないのだが…多分、これがαなんだ。しばらくこういう事が続くかもしれない…」
「大丈夫、俺はお前が好きだから」
 デスマスクもシュラに腕を回して抱き返す。シュラも成人後にβからαへ変異した未知なる者なのだ。自分が理解してやらずに誰がシュラを理解できるというのか。
「悪いな!生まれ変わるってこの前宣言したんだしな。ここもスッパリ諦めるぜ!」
 気持ちを切り替え、そう笑うデスマスクにシュラも微笑み返した。結局αになってもデスマスクには無理をさせてばかりだなと感じたシュラは早く自身が完全なるαになれるよう気持ちを引き締め、デスマスクに手を引かれて聖域へテレポートした。

ーーー

 二人は並んで十二宮の階段を上っていく。巨蟹宮、磨羯宮へと続く道ですれ違う者たちが注目したのは、デスマスクではなくシュラの方だった。誰もがシュラを目にするなり萎縮し、通り過ぎるまで道の端で固まっている。そんなあからさまな態度の変化にデスマスクは噴き出した。
「お前のαオーラそんなヤべェのかよ?まぁ〜たアソコで二人縮んでやがる!」
「フン、あいつらもαだろうに情けない」
 笑いながら磨羯宮まで来ると二人とも黄金聖衣を装着して更に上を目指した。怖れなど無い。二人は教皇宮を目指して上り続けた。
「余裕そうで何よりだ」
 双魚宮へ入るなり薔薇が二輪足元に撃ち込まれ、足を止めた二人の前にアフロディーテが姿を現す。
「遂に番か…おかげで匂いは綺麗さっぱり感じなくなったな。薔薇の純粋な香りが楽しめて私も嬉しいぞ」
 デスマスクが答えようと少し踏み込むと、それを遮るようにシュラが前に出た。
「お前のおかげで誰も欠けること無くこいつの願いを叶えてやる事ができた。力になってくれたこと、感謝する」
「ふっ…だって、デスマスクは昔から君しか見てないのだもの。私が割り込む余地なんて最初から無かったさ」
 アフロディーテの言い草にデスマスクは声を上げようとするもシュラに被せられて止める。
「サガの様子は落ち着いているのか?」
「邪悪な方がやらかそうとした事に対して悔いているようだが、君たちの姿を見るとどうかな…負け惜しみくらい言いに出てくるかもね。でももうデスマスクに手出しをしても無駄だし、行けば良いのではないかな?」
「聖域へ戻るために話をつけておく必要はあるからな、行くことに迷いは無い」
「新婚報告だしね、君でさえ浮かれるのはわかるよ」
「茶化さないでくれ」
 デスマスクは二人が交互に話す様を眺めて自分も入り込むタイミングを伺っていたが、どうもシュラに阻まれる。何度かアフロディーテと視線は合ったがニヤりと笑われるだけだった。やっと番を得たのだから、また…
「昔のように私と…というわけにはいかなさそうだぞ?デスマスクよ」
 遂にアフロディーテがデスマスクの方へ言葉を掛けたが、途端に空気が張り詰めるのを感じる。
「…ほら、私に対してでさえこの緊張感だよ。感謝しているのか威嚇しているのかわからないよね。αの力がまだコントロールできていないのかな?」
 そう告げながらアフロディーテが一歩づつ下がっていく。シュラはその様子をじっと見つめてからデスマスクの手を取り側に引き寄せた。
「シュラ、お前…」
「…コントロールできていないのは認める。デスマスクに対してもそれは同じなのだ。もうしばらく二人には面倒をかけるかもしれないが、今に克服してみせる」
 張り詰めていた空気が次第に緩んでいくのを感じたアフロディーテは「君ならすぐに実現してくれるだろう」と笑い、二人を見送った。

「βからの変異とは言えαの力が弱いわけではない。純粋に聖戦への戦力となれば良いが…」
 デスマスクへの執着と愛の深さに自滅しかねない危うさもある。そうなれば聖域は二人の黄金を失ってしまう。
「せっかく結ばれたのだ、二人が思うように生きることを応援すべきかな」
 上へ向かう背中を眺めながら薔薇を一輪、宙へ放った。

ーつづくー

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2024
07,24
 夜遅くまで抱き合い続けた二人は食事を摂るためシャワーを浴びたが、結局何も食べずデスマスクの部屋で共に眠ることにした。シュラがベッドへ先に行くとデスマスクは冷蔵庫の前でパチパチ音を立てながら水を飲んでいる。
「…抑制剤、飲むのか?」
 発情期の症状は抑えられているはずと不思議に思ったが、問い掛けに「あ、うん…」と言葉に詰まってから何かを飲み終えたデスマスクはベッドまで来てシュラの隣に並んだ。仰向けになったまま、ポツリと呟く。
「まぁ…避妊薬だ。相手がお前でも妊娠だけは勘弁だからな」
 βの頃のシュラはデスマスクの妊娠に関して敏感だったが、そんなことすっかり抜け落ちて行為に没頭してしまった。フェロモンのせいと言えばそうでもあるが、Ωに与えるのが当たり前のようにデスマスクを抱き、愛するΩに与えられる悦びを自身も感じて歯止めが利くことなど何もなかった。αに支配されたシュラはβの頃に懸念していた理由すら霞が掛かって、そう思った事もあったなとぼんやり思い返す。
「お前さ…まだ、自分が避妊薬飲むとか思えるか?」
「……」
「いや、俺が飲むからお前は飲まなくて良いんだけどよ…」
「負担ばかりかけてしまうな」
「それがΩだから仕方ねぇよ。お前の元気な愛情貰える方が嬉しいから気にすんな」
 笑顔を見せたデスマスクはシュラに抱き寄せられ、二人はそのまま眠りに落ちた。

 明け方、まだ薄暗い中で目覚めたデスマスクは隣で眠るシュラを見た後、自身の首筋に手を這わせ噛み痕も確認した。夢や幻ではない。シュラの匂いもわかる。目の前の黒髪をそっと撫でて、頬にも触れてみた。
 (かっこいいし…)
 改めて間近で見てみると整った顔が格好良く見える。この長くて豊富な黒い睫毛が切長な目を縁取るおかげで目力が増し、顔がぼやけずハッキリするのだろう。自分だって負けないくらいの顔立ちをしていると思うが、白銀の毛はどんなに豊富でも肌に溶け込みぼんやりしてしまう。裸になってもどこか幼く見えてしまうのはΩ故の男性退化のせいだけではない。別にむさ苦しく毛むくじゃらになりたいわけではないが。
 聖域にいる黄金や白銀聖闘士には派手な顔立ちの者が多いため、口数も少なくβであった黒髪のシュラはイメージだけで地味であると思われ印象に残りにくい。特別背が高いわけではない。ムキムキにデカいわけでもない。一般人と比べれば格別だが聖闘士の中では平凡な方だ。自分だってシュラが同じ歳の黄金同士でなければ全く眼中に無かった気がする。デスマスクがシュラに惚れたのは顔ではなかった。どちらかと言えば面食いで恋人は見た目も良いに越したことはないと思っていたが、デスマスクはシュラが自分の事を知ったうえで大切にしようとしてくれた姿勢に惚れた。裏切られるのは嫌いだ。本性を知って手のひらを返されるのも鬱陶しい。だから広く浅い付き合いしかしないし、自分に対して深入りしてこようものなら拒否もする。ずっとそうしてきたというのに、シュラにはもっと自分を知ってほしいと思ってしまった。裏切られても縋りたいくらいに。もう嫌いになんかなれそうもない。シュラ以外を好きになるなど考えられない。
 (お前も、それくらい好きになってくれた…?)
 触れた頬に軽くキスをして、もう一度黒髪を撫でた。そのままデスマスクが再び瞼を閉じた時、シュラが動いてデスマスクの首筋を撫でる。
「んっ…」
 噛み痕に触れられて思わず声が漏れてしまう。
「痛むか?」
 寝起きの少し掠れた声が心配そうに響いた。瞼を上げれば、ぼんやりした黒い瞳がデスマスクを見つめている。万全ではない顔が既にカッコいい。
「痛くねぇけど…なんか、性感帯になった…みたいな?」
「あぁ…」
 理解したのかしていないのか、気の無い返事を返しながらまた撫でてくるので、再熱しそうな体をギュッと硬くしてシュラの胸に擦り寄った。そうすると首筋を撫でていた手はするする背中にまわり今度はデスマスクを抱き寄せる。
「すまん、あれだけ抱いて足りないわけではないのだが…触れたくて」
「いっ…いいって。好きにしろ」
 まだ眠そうな声の通り、シュラはデスマスクを純粋に抱き締めて瞼を閉じた。しかし眠るわけではないらしい。
「昨夜はフェロモンもあってお前のこと以外考える余裕など無かったが、サガがここまで殴り込みに来る事もなく二人きりで過ごせて本当に良かった。アフロディーテのおかげだな」
「あぁ…サガも本気出せばここくらい探し当てられただろうにな。また途中で素に戻ったか」
「クク…都合の良い二重人格だ。強いのか弱いのかわからん」
「両方なんだろう。確実に強いし、でも弱いんだよ。サガに限った事じゃねぇ。俺らだってそういうもんだ。絶望に突き落とされる弱さがあってこそ、そこから這い上がる強さが際立つんだよ。昨日の事のようにな」
 デスマスクもシュラの背中に手を回し、誘惑を仕掛けてこない自然なαの香りを吸い込んだ。シュラが覚醒してくれたから今がある。
「ふ…強さ、か。昨日の俺がか?」
「正直あまり覚えてねぇけど、サガに向かってた意識を無理矢理引き千切ったコスモ?フェロモン?あれ何だったんだろうな。あの一瞬は何か凄かったぞ。まぁ俺様をぶん投げたよな、お前」
「あぁ…自分が喰われるような感覚だった。投げてすまない」
 ぶつけた箇所など覚えていないので頭からお尻までをさする。それだけでも発情期が明けていないデスマスクの体は疼き、身を捩る。
「別にっ…良いけどさ、そう言えば金の首輪も置いてきたままだ」
「まだ必要なのか?」
「…もう要らねぇけど…お前、首輪着けてるの好きそうだったろ」
「そんなつもりは無いがまぁ…欲しければ、買えばいい。今度は俺が買ってやる」
「お前が?」
「…番、なのだから。他のαの贈り物より俺のが良いだろう?」
 少し照れ臭そうに言う言葉が嬉しかった。噛み痕を隠す必要も無いし首輪にこだわりはないが、大好きなパートナーが買ってくれるのなら絶対に着ける。金じゃなくていい。細い革紐でいい。シュラが買ってくれるなら何でもいい。
「…うん、そうだな…そうだわ。お前の番だしお前が買え」
 嬉しさを出し過ぎないよう、少し素っ気なく返した。
「…生きて、番になれた…」
 不意に、シュラが低い声で呟く。
「絶対に離さない、もう誰にも渡さない。邪魔をする奴は全て殺してやる…」
 ぼんやりした黒い瞳に見つめられる。寝起きの目と変わらないはずなのに、何かが少し違う。現実と夢の境界も曖昧に歪んで全て闇に引き摺り込まれそうに感じる。番になったからだろうか?それに恐怖など感じる事はなく、身を委ねてしまいたくなる。
「へへ…お前の好きにしていいぜ…」
 キスを交わして、触れ合って、微睡むうちに外は明るくなり夜は明けた。

 二人はサガが探しに来ないのならデスマスクの発情期が終わるまで隠れ家で過ごす事に決めた。番になったのだから聖域に戻ってもフェロモンの影響はもう無いはずだが、初めての事なのでデスマスクの様子を見るためにも残る事にした。…表向きはそうであるが、心では共に二人だけの時間を少しでも長く持ちたい気持ちが強かった。
「動けるのならば買い物にでも出掛けるか?」
 朝食の後デスマスクがソファーで横になっていると片付けを終えたシュラが声を掛ける。
「ここから二人で出掛けた事は一度も無かったな」
 そんな当たり前の言葉を聞いてデスマスクは眉を寄せた。
「…それをすればここが何処なのかバレるんじゃねぇの」
「どうせここで過ごすのも今回が最後だろう。そして二度と戻る事もない。既にある程度察しがついているのではないのか?」
「本気出せばわかるが遠慮してんだよ。謎なら謎のままなのも良いじゃんって。そういう思い出。お前とのさ」
 そうデスマスクが答えてもシュラは考えるように立ち尽くしている。急にどうしたのか。
「何だよ、ネタバレしたいのなら言えばいいけど」
「いや…別にそれはどうでも良いのだが」
「いいんかい!なら何が不満なのだ?」
 シュラはソファーの前で屈み、デスマスクの首筋に触れた。当たり前のようにデスマスクの体は小さく跳ねてしまう。
「っ…お前、ホントそこ好きだなぁっ…」
「明後日、お前の誕生日だから買いに行きたいと思って」
 細い目を緩ませ満足そうな顔をして、噛み痕を何度も親指でさする。
「…首輪のこと?なら、その明後日で良くないか」
「何が起こるかわからないだろ。サガが来ないと決まったわけでもない。行ける時に行っておきたい」
「ん〜…この近くに良い店でもあるのか?」
「それは知らない」
 行きたい、買ってやりたいと思うのならそれくらい調べろよ!と思ったが、間違いなくシュラも舞い上がっているのだ。冷静そうに見えても長い付き合いだからそれくらいわかる。突然αになって番になって、色々とバグっている。
「だったらイタリアに行きつけのΩ専門店あるからそこでもいいだろ?ここのネタバレにもならねぇし、番ならαも一緒に入店できるし」
 何の不満も無い顔を見せたシュラは軽く頷き、すぐに立ち上がった。

 支度を整えた二人は隠れ家の玄関からデスマスクのテレポートによりイタリアまで旅立ち、そこで初めてシュラはデスマスクに誕生日プレゼントを購入した。シュラにいくつか選ばせた中からデスマスクが決めたのは細めで柔らかい黒革のベルト。噛み痕を隠す効果などもちろん無く、この首輪はパートナーから贈られた自分を彩る装飾品となる。
「聖衣の時はもう着けねぇし、こうして出掛ける時用だなぁ」
 店内でシュラに装着してもらったデスマスクは新しい首輪を撫でながら鏡で確認した。後ろに映り込むシュラの顔はとても満足気で、ずっと顔が緩んでいる。次第に恥ずかしくなったデスマスクはシュラの手を引いて店を出た。外へ出るなりシュラは顔を寄せてデスマスクの耳に軽くキスをする。人前だというのに何かのスイッチが入ってしまったようだ。βの時からは考えられないことをどんどんしてくる。
「そ、そんなに似合ってるか?コレ」
「とても」
 短い答えが耳元で低く響いていつまでもこだましているようだ。抱き寄せられて歩いていると触れ合う腕が熱く感じてくる。シュラの香りが近くて濃い。番ができて癒してもらえたために症状は軽くなっているが、デスマスクはまだ発情期の真っ只中である。せっかく二人で外出してイタリアまで来たのだから、もっとお勧めの店をシュラと周ろうと考えていたのだが…
「悪い…ついでに昼飯もこの辺でって思ってたけどさ…」
 ポツリと呟かれた言葉に立ち止まったシュラは、デスマスクの首輪を撫でながら顎に手を添え、顔を上げさせた。目元が緩んで赤みを帯びている。爽やかな香りがシュラを包み、増していく。
「やっぱ…夜だけじゃ、足りねぇ…みたい…」
 上げさせられた顔は求めるようにシュラを見つめ続け、伸びた手がシャツを握って急かすように軽く引いた。
「直ぐテレポ、するから、抱いて…」
 デスマスクの言葉が終わる前にシュラは人気の無い路地裏へ連れ込み、二人は瞬く間に隠れ家へと舞い戻った。

 シュラの部屋なら1階にあるというのに、そこまで持たなかった二人は玄関から最も近い居間のソファーへ沈み込んだ。自ら脱いで下半身を晒したデスマスクは、我慢できないからと前戯を求めずシュラを迎え入れた。
「はっ…ぁ…ごめ…おれ、こんな、おめがで…っ…」
「謝るな、何も悪くないっ、お前は俺を、欲しがっていればいいっ」
「ぅんっ…もっと、してぇっ…!しゅら、しゅらぁっ…」
 買ったばかりの黒い首輪が赤らんだ肌に張り付く。少し苦しそうで首元に手を持っていこうとするのをシュラは引き剥がし、苦しさなんか感じさせないくらい存分に快感を与え続けた。この黒い首輪姿をしばらく見ていたい。自分のものとなったデスマスクに熱く求められるだけでシュラの熱は冷める気がしない。
「ピークはいつも三日くらい、だったな…明後日の誕生日まで、好きなだけ、してやるから」
 潰れるくらいに抱き締めてキスをすれば従順に応えてくれる。揺れるデスマスクの脚がバランスを失ってソファーから床に落ちても、昼食を食べ損ねた二人は夕方までバテることなく愛し合った。

ーつづくー

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2024
06,04
pictBLandに会員登録無しで見れるページを一時的に作りました。
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パスワード入力後、R18ですが閲覧されますか?と確認が表示されるので「閲覧」でどうぞ(・ゝ・)
そんなにカット部分は長くもないのですが、やっぱ削ってあると意味不明だと思うので…
pixivに投稿するまで残しておきます(゚∀゚)ノ

因みに他のピクブラ頁はログインしないと見れないです(今ここにしかないものは無し!)
あと、自分はブロッカー入ってるのでよくわかりませんが謎の空白が多いので、結構ピクブラに広告が挿入されてるような気がします(゚∀゚`)

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2024
06,04
※今回いわゆる「本番」シーンがありますが全年齢ブログのためカットしています。ゆえに番になる瞬間の描写がありません。完結後pixivへ投稿する際に追加します。
ーーーーーーーーーー

「クク、おまえカシコイなぁ!この部屋なんでも揃ってるぜ」
 蕩けた顔のデスマスクは腕を伸ばしてシュラの頭を抱き、グッと首元へ引き寄せた。その行動はαにフェロモンを嗅がせ理性を破壊しようとするΩの本能なのか。強く感じる爽やかな甘い香りにシュラは堪らず首筋を何度も舐めた。それだけでデスマスクは喘ぎ、身を捩り、シュラの頭を撫でてもっと、もっととせがむ。
「ハァ…きもちい、くび、舐めて…。すげぇ、もぅ…んんっ…!」
 匂いも、声も、動きも全てがシュラを操ってくるようで、とにかくこの愛おしいΩを悦ばせたいと求められるまま舐めた。こんなの止められるはずがない。これがΩの恐ろしさなのか?デスマスクへの愛なのか?わからない。初めて味わうαの愛の衝動。ただ間違いなく今デスマスクは自分の腕の中に在り、奪おうとする敵もおらず、あぁ思う存分に愛してやれる!これはオレのもの!そう、もう何の迷いもいらない。オレのものにできる。愛して、愛して、オレをこの体に覚えさせて噛んでしまえばいい!できる、それが、遂に、今なら!
 首筋から顎を、耳を、頬を舐めながらデスマスクの服を探った。かぶりのシャツはいちいち脱がせるのが煩わしい。早くこの体も気持ちよくさせてやりたいとシュラは軽く空気を斬った。切り裂かれたデスマスクのシャツは手で払うだけでスルスルと落ちていく。触れたことのある肌はこんなにも触り心地が良かっただろうか?温かくて、張りがあって、その気持ち良さに撫でさする手は止まらず下へと伸びていく。もっと柔らかく気持ちの良い場所があることを知っている。下着の中へ手を差し込み、触れた肌の柔らかさに震え、筋をなぞりながら中指を谷の中へと埋めていく。挟まれた指が温かくて気持ちいい。指を少し前後に動かすとデスマスクから戸惑うような喘ぎが漏れ、頭を抱く腕に力がこもった。
 愛おしい、可愛い、オレの恋人…
 シュラの舌はデスマスクの唇をなぞり、重ね合わせ、デスマスクはすぐに受け入れた。恥じらいなくお互い何度も舌先を触れ合わせ、滑る感触に気持ちが高まっていく。気持ちいい。どれだけ重ね合わせても絡ませても足りない。ここだけじゃ足りない!
「シュラァッ、ぬぎたい…下も斬っていいから、早く裸にしてくれよぉ!」
 甘えた声が言い終わる前にデスマスクの服は全て切り裂かれた。すぐ脚がシュラの腰に絡み付き、布切れがすり落ちていく。
「きもちいぃが、もぉツラい…薬飲んでねぇんだよ。早く挿れてくれ、一度楽になりたいっ、挿れて、ぐちゃぐちゃになりたいっ!」
「…ぐちゃぐちゃ…?」
 その言葉にシュラは動きを止めた。ぐちゃぐちゃにしてやりたい疼きも衝動もあるのに、急に心臓を強く掴まれるような苦しさに襲われた。
「オレ黄金だし、壊れねぇって。だいじょうぶだって。はやく訳わかんねぇくらい気持ちよくしてくれよぉ」
 シュラを抱き締めて、今度はデスマスクがαの匂いを嗅ぎながら首筋を猫のように小さく何度も舐めてくる。
「いや、ちょっと、待て…」
「なに…まだそんなコト言えんの…?足りないのか?おまえ…気持ち良くない?」
 突然、理性を取り戻したシュラの姿に眉を寄せ、困り顔で見上げてくる。その表情とは裏腹に、残された理性を叩き壊してやろうとフェロモンが濃くなった。なぜ足りないんだと訴えかけてくる様は、シュラがβだった頃に見せてきた姿と同じで。
「すまん、ちょっと、待ってくれ…」
 デスマスクは誰にも渡さない、オレのものだ。番にしてオレだけのものにするんだ…。
 ――そうしたい、そうするつもりであるのに胸が苦しい。何だこれは、誰がオレを止める?βか?βだった、オレの心か…?
「しゅらっ、なぁ、おまえもう我慢しなくていいんだよぉ!こんな時に迷うなよぉ!」
 デスマスクの舌がシュラの口元を舐め、ちゅっちゅとキスを繰り返す。開けろ、キスを返してくれ、と必死にシュラを誘う。
「…ん…デス…」
 キスを返してなだめるが、水を差すように頭の片隅で警鐘が響く。このまま奪ってしまうのは嫌っていたαの本性と何も変わらないぞと、深淵に呑み込まれ死んだβが恨めしそうに叫ぶ。デスマスクを大切にするとはどういう事か、番になるとはどういう事か忘れてしまったのかと。そんなこともうどうだって良いと思うのに、αになり切れていないシュラは自分の衝動とは裏腹に喉が震え、声をこぼした。
「…すまん、やはり今、番になるのはやめた方がよくないか…」
「はぁ?!ここまできてなに言ってんだよ!いやだ、早くおまえと番になりたい、がまんできねぇ!」
「…俺たちは聖闘士だ。番になって、もし俺が先に死ぬような事があれば…」
 番を失ったお前はどうなってしまう?直ぐに後を追うとしても失った事実、耐え難い悲しみをお前に与えてしまうのか。
「死ぬかよ!おまえ死なねぇだろ!そんな弱くねぇだろうが!」
「でもわからないだろ?!神をも相手にするんだぞ!」
「だったら余計にオレを番にしろ!絶対に死ねなくなるだろうが!オレを残して、おまえだけなんてっ!」
 デスマスクの右手がシュラの腹部に伸び、誤魔化せない熱に触れた。
「正直、もう死ぬとか死なないとか関係無ぇんだよ…番にしてくれ、おまえがαであるなら早くオレを縛ってくれ…。辛いんだ、発情期とかαに惑わされるとか…全部おまえだけで満たされるようにオレの体を作り変えてくれよ…それはもうおまえにしかできねぇんだよ…!なぁ、本当におまえが先に死にやがってオレが一人残る事になってもよ、おまえの事ばかり考え続けて狂って死ぬならそれで良いって思えるんだよ!どれだけ寂しくて飢えてもおまえの事で頭がいっぱいになれるならそれでいいんだ、だから早く!オレを助けろって言ってんだ!」
 涙ながらにシュラの服を脱がそうと、両手を伸ばしてズリ下げていく。上手くできなくて苛立ち、唇を噛んでシュラの腰を叩いた。
「オレはずっと、おまえはαだと思っていた。初めてバース判定した時からそう信じていた。全然αに変異しなくて本当にβなのかって思った時、悔しくて悲しかったんだ。それってもうその頃からおまえの事好きだったって事だろ?何故かなんてわかんねぇよ!おまえに惹かれる要素なんて無かったし。でも好きなんだ!他の奴らじゃ嫌なんだ、おまえがいい。ずっとおまえといたい。おまえがαになったのならなおさら、他の知らねぇΩに取られたくねぇよ!だからオレしか知らないうちにさっさと番にしろ!こんなに好きだからいいだろ!つらいんだ、はやくしろばかやろう!」
「っ…?!ぐ…デス…っ」
 限界を超えたデスマスクは息を荒くして下げた服の隙間からシュラの熱を引き出し、手の中で自身のものと擦り合わせ始めた。体格に似合わず幼いデスマスクの熱は既に弾けていて、甘く香る粘液が二人の芯を包み込むと僅かに残された理性はどろどろに溶かされていく。
――おまえがオレを愛しているのはちゃんと知ってるから、それでいいんだよ。悲劇なんて何度も超えてきた。どうせまた突き落とされるのなら、今我慢する方がもったいねぇだろ――
「しゅらぁ…オレをつがいに、できるよな?」
 歪ませた口元は悪童のようなのに、ふにゃんと笑う目元は潤んで艶やかで。シュラの下で大きく体を開き、硬くなった熱を入り口まで導いていく。βの愛は忘れねぇよと愛し続けたシュラに別れを告げ、ずっと求めていたαのシュラを誘う。オレのからだ、準備いらねぇから…と囁く言葉が、部屋に満ちる爽やかな甘い香りが、麻薬のように効いて…いつの間にか胸の苦しさも危機感も消えていた。デスマスクの覚悟は聞いた、それで十分だろ?βよ…。
――こんなにもオレを求めるこいつを、早く愛してやらないと。これ以上我慢させたくない。何でもしてやりたい――
「優しくできなくても、許せよ…」
「ククッ…うれしすぎるぜ…」
窓の外、燃えるように赤い夕焼けがカーテンの隙間から溢れていた。
太陽が、落ちていく。

ーーー

*****

ーーー

 手で強く顎を抑えられ、首筋が突っ張る。そこに強い視線を感じる。シュラのフェロモンが増して麻酔のように染み込んだ。――もう、逃げられない。
「…永遠に、愛すると誓おう…」
 低く響いた声すら肌を舐めるようで気持ちいい。溢れる涙に視界がぼやける。揺れ続ける腰は快感を止めることなく、シュラの髪がファサッと頬に触れたと同時に鋭い痛みが体を貫いた。

――暗い。真っ暗で、茂る木々の葉が空を覆って星も見えない。痛い、首が痛くて動かせない。誰かが必死で舐めているけど、あぁ…止まらないんだ…おれの血が…。だって、おれ、Ωじゃねぇもんな。αだもんな。薬飲んで、誤魔化しても、Ωにはなれない。Ωになりたいわけではなかった。ただ、お前がαだったから…。αはΩとしか結ばれないって言うから。周りが、世界が、神がそう言うから。そんなの、気持ちの問題だなんて思ってもフェロモンが、遺伝子が否定してくるから。だからもうこうするしか無かったんだよ…。どうせ死ぬのなら、結ばれて死にたい。このαが愛した男はΩではなくおれであったのだと。こいつにも、おれの体にも、周りにも世界にも神にも!…わからせて、やりたかった…。あぁ…お前はそんな顔しなくていいんだよ、おれ嫌じゃねぇよ、おれがお前に頼んだんだから。もう舐めなくてもいいって。口元の血ぃ拭えよ。おれのカッコイイ顔もっと見ててくれよ。嬉しいぜ、お前がシてくれて。願いを叶えてくれて。わかるか?おれ笑えてる?口ももう上手く動かせねぇんだ。…あぁ、勝ちたい…いつか神をも超えてみせたい。全てを見返す力が欲しい。おれと、お前を守るだけの…。お前を手に入れるだけの…。力を…手に入れて…共に、また…――

「…デス…ちゅ、デス…かわいい、ちゅ…」
 優しく名前を呼ばれながら首筋を何度も舐められるのが心地良くて、うっすら瞼を持ち上げては閉じるをしばらく繰り返していた。
――生きてる、な…――
 首に痛みは感じるものの絶え間なくケアされて苦痛ではない。下腹部の中にはまだシュラを感じる。結ばれたままだ。抱き締め続けるシュラの肌は温かく、いい匂い。時折胸先にも軽く触れられて、とにかく全身気持ち良くてなんで溶けてしまわないのだろうとぼんやり思う。
「…あ、オレのケツ…壊れてねぇ…?」
 シュラが噛む直前、自分の腰はもうどろどろに溶けていたように感じた。モゾっと動いて尻に触れてみるがちゃんと丸く残っているし、シュラと結ばれている部分もぐちゃぐちゃにはなっていない。しっかり締め付けている。
「…おい、目覚めた最初がケツの心配か」
 晴れて番となった第一声がロマンチックとは程遠い発言で、シュラはため息をついた。
「だってよ、めちゃわけわかんなくて凄かったんだぞ?お前だって俺の尻ぶち破ってないか心配にならなかったのか?」
「俺はもうαだからな、βのような気遣いはできないぞ」
「…いや、それでいいけどよぉ…」
 αになれ、オレは壊れないと豪語していた手前、勢いを無くしたデスマスクの首筋をシュラは軽く笑いながらそっと指で触れた。
「クク、とは言え俺もまだαになり切れていない部分はある。嫌ではなかったか?酷いことしていなかったか?」
「はぁ?大丈夫だよ、悦いコトしかしてくれてねぇよ」
 そう言って擦り寄るデスマスクに、そうか、と呟いてシュラはもう一度噛み跡を舐めた。
「首の痛みは?血は止まったようだ」
「ジンジンするが…言うほどではない。寧ろ嬉しくてジンジンするのかもしれん」
 デスマスクもそっと手で触れてみる。小さく皮膚が抉られた場所を探し当て、微笑みが溢れた。
――これが、Ωの体…――
「これで、俺のフェロモンはお前にしか届かない…」
「お前も俺のフェロモンしか感じ取れない」
 何度も噛み跡に触れながら呟かれた言葉にシュラが返した。
「ハハッ…手に入った…遂に、番になって…もう誰も俺らの邪魔はさせねぇ…!」
 笑いながら涙が溢れるデスマスクを抱き締めて、シュラもじんわりと目頭が熱くなった。

 遂に、報われた。途方もなく永い間引き離されていたように感じる。デスマスクとは出会って10数年、気持ちを交えたのはここ数年のことなのに、もっと昔から知っていたと思う。体を一つに結んでより強くそう感じた。失われていたものが取り戻された安心感。そして二度と手放したくないと感じる独占欲。自分からだけではなく、デスマスクからもそれは感じられる。自分たちは誰の邪魔も許さない、全てに於いて結ばれた存在に間違いない。神に引き裂かれ、打ち壊されようともこうして二人は必ずシュラとデスマスクに辿り着くのだ。これは神も予期していなかった強い運命なのかもしれない。ならば今度こそ、果たせるだろうか?デスマスクと笑い合って生涯を終えることが…。

「デス、発情期はまだ辛いか?」
「ん?…ヤりまくって噛んでもらったしな…薬飲んでねぇけど、落ち着いてるな…」
「何がしたい?何か食べるか?」
「えぇ?…なにってよぉ…お前、コレぶっ挿したままで何言ってんだよ…」
 そう言うとデスマスクは腰をシュラに押し付けるように揺らしてみせる。
「αサマならまだ余裕だろ?俺も落ち着いたし…今度はゆったり抱いてくんねぇ?」
 以前はシュラを誘おうと必死に色気を出しているようだったが、番となった余裕からかデスマスクに素の可愛さが戻ったように思えた。媚びるような声も軽くなって耳に馴染む。部屋に満ちるΩのフェロモンは想像していたような甘ったるいものではない。柑橘系の爽やかな甘い香りは体にスッと溶け込んで、いつまでも嗅いでいられる。海をバックに笑うイタリア男にピッタリだなと納得した。今までコレを自分だけが知らなかったというのはジリジリと妬けるが、これからこの香りは自分だけのもの…。
「そうだな、俺もやってみたいことが色々ある」
「へ?…お前ってさ、元々スケベだったのか?そんな急に変われるもんなのか?」
「さあ?まぁ知らないことが多いからな、こことかこことかどうなるか見てみたい。後ろからも試してみるか?」
 そう告げながら指先で肌を弾いていく。デスマスクはその感触にピクン、と身を縮ませてから力を抜いて、シュラの手に自身の手を重ねた。
「…ぜんぶ、いい…けどぉっ…。おれもやってみたいことあるから、調子ノリすぎんなよ?」
「クク、それができるだけの体力が残っていればな、な」
 シュラに押し倒されて、聖剣を放つ手が、指先が肌を優しく滑っていく。部屋で一人シュラを想わなくてもここにいる。もう「だめ」だなんて言われない。求めれば与えられる。辛い発情が薬も無く癒やされていく。願っていた全てが今、ここにある。
 デスマスクは喜んで何もかもをシュラに捧げ、満たされた幸福に溺れ続けた。

ーつづくー

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2024
05,23
 最後にもう一度、とシュラに迫ってみたが呆気なく失敗した。しかしシュラは誘惑しようとするデスマスクに緊急抑制剤を使おうとはしなかった。目的は果たせなかったし思い通りになってくれようともしない。でも薬を使わず抱き締めてくれただけで、昔よりも受け入れられたという事が嬉しく思える。
――これはオレがチョロい、って言うのか…――
 今回はこれで気持ちが鎮まっていったものの、きっと直ぐにまたシュラを求めてしまうだろう。Ωである事と、自身の心が好きな人を求めずにはいられない。Ωに負けると誰彼構わず抱かれに出てしまう恐ろしさは残るが、大丈夫だ。シュラが食い止めてくれる。ずっと見ていてくれるはずだから。
 あれから普段通り過ごし発情期を終えたデスマスクは、巨蟹宮にある私室のソファーでシュラの上着を4着抱きながら朝食のパンを食べていた。聖域に戻って来た夜は以前デスマスクがごねたためシュラも巨蟹宮に泊まり、翌朝知らぬ間に磨羯宮へ戻っていく。デスマスクが起きた時、枕元にシュラの上着が追加されていた。直接渡せばいいと思うが最近は寝ている間に追加されている。
――こうやってサービスも良くなったし――
 番がいなくても頑張れる…。そう言い聞かせ、食事を終えたデスマスクは早速仕事への準備を始めた。

 発情期が終わり巨蟹宮で一夜を過ごした後、朝早くにシュラは磨羯宮を目指して十二宮の階段を上っていた。こんな早朝、任務へ向かうか帰る者くらいしか外に出ていないだろうと思い、デスマスクに上着を与えたシュラは上半身裸に小さなボストンバッグという不審な姿になっていた。
「ちょっと…どういう状況でそうなったのか興味が湧いて仕方ないのだが、聞いていいか?」
急なカーブを抜けると、半笑いの震えた声がシュラにかかる。黄金聖衣を着たアフロディーテが岩に手をついて立っていた。
「…今から仕事か」
「あぁ。で、君は仕事帰りでそれか?慌てて服を着忘れた…というワケではないだろう。そこまで鈍いとは思いたくない」
「服ぐらいどうでもいいだろ」
「いや良くないだろう!どうせ巨蟹宮にいただろうし、私ではなくサガに遭遇していたらどう言うつもりだったのだ?ここにきて気が抜けていないか?」
 サガの名前を出されて言い返す言葉が出なかったシュラはそのままアフロディーテの横を通り過ぎようとした。
「あ、待ってくれ。ちゃんと真面目な話があるのだ」
 通過しようとするシュラの腕を掴み岩陰まで寄せると、アフロディーテは辺りを見渡してから声を低めて話し始める。
「君たちがいない間、サガに聞かれたのだ。デスマスクに好きな相手がいるのではないかと。α以外でな」
「…俺は知らない」
「君に聞いてない。私が聞かれた話だ。まぁ、αとΩになってからは疎遠気味なのでわかりませんと言っておいたぞ」
「そうか…。俺もとっくに聞かれていたが、あいつの本心はわかりにくいからな」
「フッ…そんな格好で巨蟹宮から出てきてよく言うよ」
 アフロディーテの呆れた笑いに対してもシュラは表情を崩さなかった。
「なぜ服を着ていない?聖域で堂々と朝帰り、もうそこまで関係が進んでしまっているのか?だとしても服は着るよな」
 アフロディーテも理由くらい知っていてあえて聞いているのか、というしつこさだ。朝帰りくらい何度もしている事だし、どうせ今さら言葉を濁したところで最初からデスマスクのシュラに対する気持ちはバレている。その逆はどこまで読んでいるのかわからないが。
「ハァ…服はあいつにくれてやった。Ωは私物を欲しがるだろ?」
「ふぅん、服を剥ぎ取るほどとは重症だな。まぁβに想いを寄せても香りは無いし、物に縋るしか無いのだろう」
 取られたわけではなく自らデスマスクに与えただけ…とは言い返さない方が良いだろうと思い、シュラはアフロディーテの思い込みを訂正しなかった。シュラなりに少しでも想いを形にしているつもりなのだ。
「それにしてもサガはデスマスクを番にでもしたいのか?そういう気持ちは無さそうに思えるが…邪悪な方の企みか?」
「サガは…邪悪な方は番にしようとしている。ハッキリ俺に言ってきた。それに備えデスマスクに幻覚をかけようとしているのだ。反抗される事も無く、デスマスクにとっても良い夢を見させてやれると…」
「…それで好きな相手を探っているのか…。無理矢理奪うより一手間掛けて大人しくさせた方がスムーズではあるが、とことん自分の事しか考えていないのだな」
 顎に手を当てて考える素振りを見せたアフロディーテは視線だけ持ち上げてシュラを見る。
「で、最終的に君はサガとやり合うのか?デスマスクを渡す気は無いのだろう?」
「あいつが拒否し続ける限りはサポートする。清らかなサガも番を持たせる事には積極的だが同意無しの関係には否定的だからな」
 アフロディーテの強い視線を正面から受けてシュラも真っ直ぐ見つめ返した。一瞬の間を置いてアフロディーテの方が瞬きをする。
「フ…私でも力になれそうならばできる限りサポートしよう。デスマスクのためにな。決して早まるなよ?αに対してどうにもならなければ私を頼れ。デスマスクだけ守り切っても意味がないのだ。君も共に残らないと」
「あぁ、あいつを一人残すような事はしない。どうせ…俺が手を下せなくとも自らついて来るだろう」
「だから!二人だけで無理はするなよ!三人でやってきたんだから!」
 わかってない!と怒るアフロディーテはシュラの目の前に三輪の薔薇を出して見せた。
 三人でやってきた。最初はそうでもなかったが、サガが問題を起こしてから聖域の事は何もかも三人だけの秘密。サガが三人を動かしているようで、三人がサガを動かしていたと言える点もある。二人だけで抱え込まず、三人で挑めば違う道が開けるかもしれない。
「…そうだな。第二の性によりバラバラになってからもお前には随分と助けられてきた。良ければこれからも面倒に付き合ってくれ」
 アフロディーテの手から薔薇を受け取ったシュラは、ニヤりと笑い掛けて再び階段を上っていった。その後ろ姿をしばらく眺めていたアフロディーテがもう一輪薔薇を出して口元に当てる。
――あんなにも鋭かったか?…シュラの歯…――
 αのような姿を見てから突然身震いしたアフロディーテは、手にしていた薔薇を勢い良く地面に突き刺してから気を取り直し、任務へ向かって行った。

ーーー

 6月下旬、デスマスクが22歳を迎える数日前。発情期に備え隠れ家へ出発するためデスマスクは巨蟹宮の私室でシュラを待っていた。
 Ωになってから毎年誕生日は発情期の真っ只中だった。ピークに重なれば部屋で一人きりとは言え、今となっては毎年聖域を出てシュラと二人で過ごしているのだから高待遇とも言える。ピークを過ぎて部屋から出てくると、いつも誕生日ケーキ代わりのつもりなのか軽いシフォンケーキやチーズスフレ、アイスケーキのようなものが用意されていた。改まって「誕生日だから」と出されるわけではない。デスマスク自身もシュラの誕生日にケーキを買うことは無い。シュラが少し家を空けてスナックを買って来る事はよくあることだが、ケーキっぽいものを買って来るのはこの6月の時だけだった。なので、きっとそういう事なのだろうと思って毎年食べている。
――来年、あいつの誕生日にケーキでも買ってやるかなぁ…――
 別に友人同士でも誕生日を祝ったりするものだろう。ショートケーキを買って、おめでとうくらい聖域で言っても怪しまれないはずだ。そうとなればシュラが好きそうなケーキ屋を探さなくてはな、と楽しくなってきた。

 しばらくイタリアにあるケーキ屋の場所を何件か思い浮かべて待っていたが、それにしてもシュラの迎えが遅い。16時くらいに行くと言っていたのにあと少しで17時だ。普段シュラが遅刻する事はあまりない。早すぎる事はあるが。午前の予定が長引いて遅れるなら連絡を寄越すタイプである。デスマスク自身はルーズなところがあるので何も考えず待っていたが、一度気になると不安が増してくる。
『おいシュラ!今日だろ?いつまで待たせるんだ!』
 シュラのコスモを探り呼び掛けてみたが返事は無い。…聖域には、いる。
――…まさか、サガが何か…?――
 不穏な空気を感じたデスマスクは慌てて巨蟹宮を飛び出し磨羯宮へ向かった。

「シュラァ!」
 磨羯宮にある私室への扉を開け放ち、大声で呼び掛けたが誰もいなかった。居間のソファー脇にはシュラの鞄が置かれている。開けてみると荷造りはされており、予定通り出発しようとしていたことが窺える。
「何してんだ…。双魚宮…いや教皇宮かっ!」
 シュラのコスモはここより上から感じられた。デスマスクは教皇宮を目指して駆け出したが、念のため双魚宮に立ち寄った。
「おいアフロォ!シュラは来ているか?!」
 双魚宮の庭にいたアフロディーテはデスマスクがかつて…Ωが判明する前の頃のように、何の気兼ねもなく自分の元へ来た事に驚いた。
「へ?デスッ…いや、シュラは来ていないが…」
 その言葉を聞いたデスマスクは舌打ちすると、また直ぐに出て行ってしまった。
「…何を急いでいる?」
 デスマスクを追うように宮内へ戻ったアフロディーテは魚座の黄金聖衣の前でふと足を止める。
「シュラが教皇宮へ向かった気配はあったが…確かに戻って来ていないかもしれないな」
 特別な人を探し慌てるデスマスクを思い返し、ため息を吐いたアフロディーテは黄金聖衣を解放した。

「クッソ!サガ!手ぇ出すなよ!絶対に…絶対に…シュラを、奪わないでくれ…っ…」
 やはりシュラは双魚宮にもいなかった。更に上に在ると。ここが十二宮でなければ一瞬で向かえるというのに。ただ走るしかないもどかしさ。いつもは遠く感じない教皇宮への道がやたら長く感じる。
 やっと見えてきた扉の前に人気は無く、強い念力で開けたデスマスクはスピードを落とすことなく中へと滑り込んだ。

ーーー

「フッ…遅かったな蟹座よ。お前はあの時も遅かった」
 サガは教皇座におらず、跪くシュラの目の前に立っていた。毛先まで髪を黒く染め、視線はシュラを見下ろしたまま。既にやり合った後なのか教皇の仮面が床に転がっている。
「シュラァ!」
 動かないシュラの元へ駆け寄ろうとしたデスマスクは途中で足を止めた。
――あ、ヤバい…だめだ…!――
 頭がぐわんと揺れる。咄嗟に息を止めたがそんなこと意味も無く…。
――αの、フェロモン…!――
 デスマスクが足を止め、その場でフラつき始めるとサガはシュラから視線を外しデスマスクを見た。その瞬間、シュラの体はαの威圧から解放されたものの床に崩れ落ち、すぐに立ち上がろうとしても力が入らない。
「山羊座に口を割らせようとしたがまぁ強情な奴だ。それともこいつは本当に知らないのか?お前の気持ちを」
 サガはシュラの元から一歩一歩デスマスクへと近付いて来る。
「や…やめろぉ…サガ…番は、嫌だってぇ…」
 動悸が強くなってきて体は熱を帯び始める。抑え込もうとしても無理矢理発情させられていくのがわかる。それが、怖い。
「嫌は知っているがαと番うのがΩの定め。そして黄金Ωのお前に相応しいのは私しかいない。どうしてもと言うのなら今であれば聞いてやろう。お前が想う奴の名を言ってみろ」
 サガが目の前に来ると遂にデスマスクは立っていられず床に膝をついた。体が熱い、ぼんやりする。コスモ…コスモなんか、燃やせない…黄金なのに、たかがαのフェロモンに負けてコスモが燃やせない!

「デスマスク!」
 掠れた叫び声と共に力を振り絞ったシュラが駆け付け、サガの目の前からデスマスクを引き剥がした。デスマスクは夢中でシュラにしがみ付き、胸元に顔を埋めて必死にシュラの匂いを嗅ごうとする。
「あつい、しゅら、いやだ、さが、いやだぁ、しゅら、しゅらがいい、しゅらがいぃ!」
「デス、喋るな…」
 デスマスクを隠すように抱き締めて頭を撫でる。シュラにもデスマスクの動悸と熱が伝わり発情させられていくのがわかる。鎮まれと願いながら抱き締め続けても熱は上がっていくばかり。
「ハハッ…やはりお前だったか山羊座よ。蟹座のこの強いフェロモン…喋らずともお前に向けられているのはわかる!クッ…蟹座の事など好きでもないのに妬けるなっ!それが腹立たしい!」
 サガが放つαの圧が増したと同時にデスマスクの体がビクンと跳ねた。シュラの胸元から顔を出し、ゆらっと首を回してαを探す。
「デスマスク!駄目だ、見るな!」
 シュラはサガを見つけてぼんやりしているデスマスクを再び抱き込もうとしたが、強い力で突っ撥ねられた。
「デス!聞け!聞こえるか?!あれはサガだ!」
「ぃやめろぉっ!」
 視線を自分に向けさせようとしたが、急に抵抗を始めたデスマスクはシュラを突き飛ばしてサガの元へ這って行く。それを捕まえようとしてもサガに睨まれて足が動かせない。
 今まで青銅、白銀、不意打ちとは言え黄金のαとやり合った経験はあった。なのにそれが全く役に立たない。聖衣を着ていないせいではない。そもそもの力が抑え込まれて発揮できない。これが黄金α最高峰の力というのか。なぜそれがこのような者に与えられてしまった?なぜ自分はβに生まれた?
 βであったからデスマスクの側にいられた。デスマスクを知り、第二性に惑わされない愛が生まれた。αから守ってやれるのは自分だけであるはずなのに、なぜβにはその力が与えられない?神はなぜそのようなことを…
 サガの足元まで来たデスマスクはそこで座り込み、シュラが見ている前で首元に手を掛ける。
――やめろ、デスマスク、駄目だ、やめてくれ…!――
 すっぽり首を覆っている保護首輪のホックを震える手で外していき、やがてパサリと床に落ちた。"教皇"に買ってもらったという金の首輪が露わになる。
――駄目だ、外すな!それだけは、デスマスク!――
 あれほど好きだと縋ってきたくせにαの前では何の力も想いも役立たないΩの弱さに苛立った。何もできないβの無力さに苛立った。これほどまでに愛しているというのに届かないのか。これほど深い二人の愛を神はまたも見捨てるのか。…許せない、自分の無力さもデスマスクの無力さも宿命も何もかも。
 噛み締めたシュラの唇に血が滲む。
 自分は本当にもう何もできないのか?αに対抗できる力は残されていないのか?瞼を閉じてみても絶望と無念さからか自身の中には暗い闇しか見えなくて、何の希望も光も見えず、全ての感情も想いも黄金の輝きまでもが真っ暗な闇の穴へと吸い込まれていくばかり。…ならばいっそ、自分もデスマスクもこの闇の中へ落ちてしまえたら…!βだからとか、デスマスクがβを望むとかもうどうでもいい!拒まれようが、例えデスマスクを傷付けようとも殺してしまおうとも誰かに渡すのだけは嫌だ!オレは必ずお前も連れて行く!
 勢い良く目を見開いたシュラの前でデスマスクは金の首輪にも手を掛け、カチ、と外してその首輪を捧げるように掲げた。顔を上げ、首を傾げ、サガに向かって微笑んだ頬に涙が煌めきながら流れていく。
――お前はもう、涙を流すことしかできないのか…いや、まだ、涙を流すことができるのか…!――
 シュラはニヤっと笑った瞬間、胸が強く打ち、何かが体を突き上げる衝撃が走った。溜め込まれていた想いの全てが深淵から解き放たれ、腹の底から低い声が轟く。

『 ヤ メ ロ オ ォ ォ ! 』

 ふ、とシュラの方を向いたデスマスクの周りで涙がキラキラと散った。と同時にデスマスクは強い力でサガから引き剥がされ、離れた場所に投げ飛ばされた。手にしていた首輪が甲高い音を響かせながら宮内を転がっていく。
「…山羊座っ…貴様…!」
 シュラは荒い息を吐きながらサガの前に立っていた。血が沸騰しているかのように体が激しく熱い、コスモが燃えるのとは違う。牙を剥き出しにして、真っ暗な瞳がサガを睨み付ける。
「デスマスクはオレのものだ、お前にも、誰にも渡せない!あれはオレのものだ!」
「クッ…それが、お前の本性かっ…」
 サガの顔は笑っているものの一歩も動こうとしない。いや、動けないというのが正しかった。
「ハハッ、そんな狂気…恐ろしいな。大切なはずのΩをも殺してしまいそうだっ!」
「デスマスクを壊すも殺すもオレの手でそれが叶うのならば構わない。ただ、絶対に誰にも渡しはしない!」
 シュラの聖剣が容赦なくサガに向かって放たれた。顔を歪ませたサガは片足を軸にユラリと身を返し直撃は免れたが、余裕があるわけではない。ギリギリ片足を動かせただけだった。聖剣は教皇宮の柱を傷付け宮内が揺れた。
「デスマスク!」
 直ぐにデスマスクの元へ駆け付けたシュラは倒れていたデスマスクを抱き起こすと、その姿に胸が高鳴った。

 デスマスクは泣いていた。
 綺麗な瞳で、とても綺麗な涙だった。
 サガから引き離された悲しみではなかった。シュラの豹変に悲しんでいるわけでもなかった。
――これは俺がデスマスクを愛していたという事が伝わった、喜びの涙…――

 シュラは牙を収め、沸き立つ衝動を抑え込んで微笑んだ。
「デス、すまん…大丈夫か…」
 涙がポロポロ溢れていく瞳であまりよく見えないのだろうか。何度も瞬きを繰り返してからデスマスクの口元が震えた。
「これ…お前の、匂い…?」
 そう言われて、シュラは今とても爽やかな匂いに包まれている事に気付いた。それは自分の匂いではない事もすぐにわかった。
「デス…お前のフェロモン、こんな香りだったのか…」
「え…?わかんの?…わかんのぉっ…?オレの…っ…!」
 嗚咽に声を詰まらせるデスマスクの首元に顔を埋めて確かめる。間違いない、この爽やかな甘い香りはデスマスクから出ているもの。
「あぁ、わかる…これはお前の匂いだ…」
「うそぉ…っ…オレもっ!オレも、わかるってぇ…!お前のぉ!」
「そうか…そう、なのか…!」
 抱き締め返してくるデスマスクを強く抱いて、シュラは自身に起こった事を考えるよりも感じた。
 しかしこの変化は同時に危機感も呼び覚ます。シュラはサガを探した。今ならばサガの匂いも感じ取れる。自分以外のαは全て敵。デスマスクにとって危険な存在。
「クッ…とんでもない変異種ばかりだな…今さらお前がαに変わるとは…」
「お前の他人を思いやれない計画がそうさせたのだ。力があるとは言えやり過ぎるとこうなる」
「フン、所詮β上がりのαが。力を呼び覚ましたところで私を超える事はできまい!そのΩを置いていけ!」
 サガの拳が二人に向かって飛んでくる。避ける事はできるがデスマスクが放つ発情フェロモンの影響もあって全員がまともに闘える状態では無かった。シュラ自身もデスマスクの匂いに気付いてから再び熱が湧き上がり、早く愛してやりたいと疼く体の変化は誤魔化せなかった。デスマスクを抱き上げ、扉へ向かって駆け出す。
「逃げるつもりか!今回こそそうはいかんぞ!」
「ハハッ!今回もそうさせてやろう!」
 シュラが扉の前に着くより先に教皇宮の扉が開かれ、艶のある声が響き渡る。
「アフロッ…?!」
「足を止めるな!そのまま行け!さっさとフェロモンの塊を遠ざけろ!」
 駆け付けて来たアフロディーテがすれ違いざまに言い放ち、薔薇を散らしながら一筋の光がサガへ突っ込んで行く。
「クッ!またお前が来るか魚座ぅぅぅ!!!!」
「見苦しいぞサガ!力を持ってしても手に入らないものがあるという事は身に染みて知っているだろう!早く正気に戻れぇ!」

 アフロディーテに甘えシュラは足を止めず走り続けた。彼の事だ、説明しなくても何が起きているのかくらいわかっているのだろう。やり合う二人の罵声が遠くなっていく。
 時刻は夕方、駆け下りていく十二宮の階段には移動中の雑兵や聖闘士も多くいたが、デスマスクを奪わせまいとシュラが放つαの威圧に負け次々と気絶していった。デスマスクはもうすっかりシュラの匂いに夢中でテレポートどころではない。十二宮を抜け、聖域も抜けたシュラは真っ直ぐ駆け続けた。
 やがて隠れ家に辿り着くと真っ先にデスマスクの部屋へ向かい、そのままベッドに押し倒した。

ーつづくー

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2024
05,04
 冥界に最も近い黄泉比良坂に聖闘士が滞在するのはコスモの消費が激しく限界も早い。既にエイトセンシズまで目覚めていそうな乙女座のシャカであっても例外ではないだろう。長く耐えられる力は強さよりも素性なのだ。聖闘士の中でも異質な能力を与えられた蟹座のみ、肉体のままでの耐性を得ていた。

――今日も途切れず死んでいくなぁ。10年以上見ているが人類滅亡しねぇのが不思議だぜ――

 デスマスクは始末した者たちを確認するために黄泉比良坂まで来ていた。10年以上ここの管理をしていれば自分だけではなく他の聖闘士が殺しただろう者たちも何となくわかる。特に黄金に殺された者は自分が死んだ事に気付いていないパターンがあった。一瞬の出来事で苦しみを感じる間も無く死ぬのだろう。デスマスクの技こそそうだが、ここ数年はシュラも腕を上げたのかそういう死者をよく見かける。認識できていない者たちは死の行進に疑問を持ち離れてしまうので「お前は死んだから戻れ」と促すのだ。初めは素直に移動しないが、だいたい外で供養が行われる頃には自然と列へ戻って死んでいく。それでも納得できず怨みがましい者や、遺体が見つからないだとかで供養されない者は黄泉比良坂の地に留まり続け、デスマスクを見つければどうにかしろと縋って来るのだ。
 死んでしまえば第二性など関係無いが、αよりもΩであった者が多いと感じた。それは巨蟹宮に張り付く死面たちも同じだった。番関係にあったαとの別れには魂だけとなっても耐えられないというのか。首輪を着けたデスマスクを見つけては「お前なら理解できるだろ」と言わんばかりに迫って来る。魂ですら未練がましく朽ちていけば醜くなるもので、そんなお前の姿を番が見たら逃げ出すだろうと思った。死ねば番関係など解除され自由となる。こんな所でゴネていないで死を超えていく方が先が開けると思うのだが、そう判断し切れるような冷静さも失い醜態を晒し続けるのだろう。いっそサガくらいの欲望や深い愛を秘めていれば未練を糧に先へ進めそうだが、そこまでの強さも持っていないから中途半端なのだ。

――死んでもαやΩ性に振り回されるなど…神は最悪なものを生み出してくれたな――

 浮遊しているデスマスクを掴もうと真下で亡者が積み上がっている。デスマスクはわざわざ地に降りると、憂さ晴らしに亡者のかたまりを蹴散らし、それでも向かって来る者は蒼い焔で焼き消した。彷徨い続ける者たちを処理できないことは無い。ただ蟹座であっても非常に疲れる行為なので気まぐれでしか行わない。

――…帰るか…――

 現世では醜い闘争が目に入り、あの世でもそれは変わらない。守護する巨蟹宮に帰っても死面が恨み言を叫び続けている。それでもって自分はΩ。好きでもない癒しにもならないαとの番を迫られ、聖戦が始まれば命懸けで十二宮を護らなくてはならない。
 アテナはいない。サガのために?世界のために?平和なんか聖戦が無くても既に乱れている。護る理由なんか無いだろう。ただ自分が負けることは許せないというプライドの為だけに巨蟹宮を死守することになりそうだ。こんな状況、誰かに嘆いても理解できないだろうしわざわざ言うつもりもない。我ながらよく精神状態が保つなと感心する。いや、発情期でそこそこ発散されるからこそ保つのか。そこまで考えられているとしたら自分を蟹座の黄金聖闘士かつΩに貶めた神は本当に最悪な存在だ。

 黄泉比良坂から巨蟹宮へ戻り、私室への扉を開けてデスマスクは止まった。直ぐに扉を閉め、足早に居間へと向かう。
「…こんな夜に急ぎの用事か…?」
 明かりが漏れる居間の扉を開けるとシュラがソファーに座り待っていた。ただシュラの姿を見ただけなのに一気に心のモヤが解れていく。表情筋も力が抜けて垂れた。
「どうしたんだ?」
 振り向いたシュラは緩んだデスマスクとは逆に硬い表情のまま立ち上がるとデスマスクの前まで来て左手を軽く握り取り、低く小さな声で呟く。
「サガが動き出すかもしれない、気を付けろ」
 今更…と思うが余裕の無さそうなシュラの姿に緩んだ心が再び強張っていくようだ。
「…何か、あったのか」
 声を落として聞き返すデスマスクの耳元に顔が寄せられる。
「お前を番にしようとしている。遂に本音を吐いてきた」
「あぁ…」
 あえて伝えていなかったがデスマスクは知っている。動揺も見せず黙っている様子にシュラは苛立ち、握っていた手に力を込めた。
「幻覚を仕込まれるかもしれない!知っているだろ?サガが使う…!」
「知っている。しかし俺を操りたいのならαのフェロモンだけで十分だろう」
「お前に情けをかけてやるつもりらしい。せめて好きな相手と番う幻の中で生きれるようにと」
「ククッ…フェロモンの届かない場所で死なれちゃあ困るって事か。とことん俺に失礼だな」
 握られた手はそのまま、デスマスクは片手でマントを引き抜くと手を使わず聖衣を一瞬で外し、全て床に落とした。アンダーウェアと金の首輪だけが肌に残る。シュラの手を引いて二人並んでソファーに座った。
「…それって俺がお前のこと好きだってバレてんのか?」
「確信はしていないようだが疑っている」
「はぁ…お前と番う幻かぁ…。夢のようだな…」
 そう軽く微笑んで呟く言葉が本気ではないと理解できてもシュラの不満は増した。さらに強く手を握り込んでしまい「痛っ!」と漏らしたデスマスクが振り払う。それでもシュラは再びデスマスクの手を捕えて握り締めた。
「な…何だよ、強引だなっ」
 シュラの方から迫られる事に慣れていなくて胸が高鳴った。ぶつかった黒い瞳の奥、デスマスクを捕えて引き摺り込もうとする深淵がそこに。
「あ…」

 ――待て…――

 真剣なシュラの顔が寄る。キス?!と思い切って瞼を閉じたデスマスクの唇に触れたのは、自分より硬めの髪の毛だった。期待外れの感触に何が起こったのかと確認すれば、シュラの頭は首元に埋まり首輪にキスをしているようだ。

「…落ち着いているな、嫌ではないのか」
「はぁ?…んなの、嫌に決まってんだろっ!」
 知っているはずなのになぜそんな事を言う?一瞬のときめきが苛立ちに掻き消される。
「それ聞いてグズグズ泣けって思ってるのか?嫌だ、助けてって言ってほしかったのかよ?辛くてもそんな見苦しいことしねぇよ!」
 顔を埋めるシュラを一度引き剥がしたが、直ぐに両手が伸びて抱き締められた。
「すまない、嫌なことを言ってしまって」
――気持ちが抑えられないんだ…――
 そんなにも余裕の無いことを言われてしまうとこちらも戸惑ってしまう。いつもみたいにお前だけは落ち着いていてくれよ。引っ張られてしまう。
「…いや、大丈夫だデスマスク…俺が、できる限りのことはするから…」
 大丈夫じゃねぇだろ。何ができる?αの最高峰相手にβのお前が。最悪死ぬぞ?…いや、死ぬつもりなのか?
「…俺が脳みそやられたら、お前が方をつけてくれるのか?」
「そういうつもりではないが…可能性はあるな…」
 その可能性しか無ぇよ。シュラに愛される幻を見ながらシュラに殺られるなんて、どう見えるのか。サガがシュラに見えて、シュラはシュラのまま?それともサガに入れ替わる?わからないがその時になればどうでもいい事だな。迎えに来てくれるのがシュラって事を忘れても、殺してもらえば番も解除され思い出すだろ。あの世で。
「…まぁ、アイオロスの時より殺しの腕は上がったようだし殺るなら綺麗に頼むぞ。ただ斬り口でお前の仕業とモロバレだな」
「ククッ…愛が無いとは言え、番を殺されたサガの暴走を止められる自信まではさすがに無い」
「お前の場合、もう"止める理由が無い"じゃねぇの。自殺の手間が省けてラッキーくらい思いそうで何か嫌だぜ…」
 苛立ちも次第に消え、抱き締め続けるシュラの背中にゆっくり腕を回した。
――来るのか、ついに――
  聖闘士として最悪の最後が。神のために、世界のために死ぬのではない。何かの役に立つわけでもない。きっと聖域もめちゃくちゃになる。アフロディーテには最後まで苦労をかけるばかりだ。ただ愛を貫くだけの事が俺たちには許されない。

「…Ωでなければ、何もかも違っただろうに…」
 何も考えず呟いてしまった言葉にシュラはデスマスクを見つめ、軽く笑った。
「Ωでなければお前が俺なんかを好きになる事も無かっただろうな」
「……そうか……」
 それはシュラもαであれば自分を愛さなかった、とも言えるか…。Ωという価値が無ければ見向きもされない存在だったかもしれない。α同士で愛してもらえるほどの魅力が自分にはきっと無かっただろう。第二性が判明する前までの関係を思えば間違いなくそうだ。そう考えるとαであったとしても自分は無力な存在のように思えた。
「俺がお前の世話をする事も無く、つまらない日々をそう自覚しないまま過ごしていただろう」
「弟子くらい育成していたかもな」
「ハハッ、弟子か。カミュのように教皇の正体を知らなければ気楽だが、知っていて育成するのは罪深い」
 Ωでなければ、せめてシュラがαであれば…。何度も未練がましく考えては手に入らない現実に一人で落ち込んだ。ついに口から溢れてしまったが、シュラになら…シュラとなら、弱音を共有するのは苦ではないかもしれない。家族ですら招かない境地にまで自分はシュラを受け入れて、また自分の事も受け止めて欲しいと望むほど心を許してしまうとは。そんな存在が自分にできてしまうなんて昔はとても考えられなかった。
「…Ωで、良かった…のか?」
「Ωでなければどうなっていたか、なんて結局はわからないからな」
 腕に力がこもって、デスマスクの頭はシュラの胸元へ引き寄せられる。
「俺はお前のことを正しく知ることができた。その点はβで良かったと思っている。俺がαであればこうはなれなかった。お前を避け続けて何も知る事ができなかっただろう。お前が最初からαであった俺を番に選んでいたとも思えない。お前はαの俺を望みはするが、お前が好きなのはβの俺だろ?」
「……」
「α化を願うお前の望みは叶えてやれなかったが、これで良かったと思っている。αに比べ力が劣るとは言え"絶対に負ける"など考えてくれるな。黄金の意地を見せてやる」
――それは、どんな結末だろう――
 もしもシュラが耐え抜いたら、デスマスクに魔拳が向けられるのを防げたら、サガが番を諦めたら。今のままでいられるのか?フェロモンは?このまま聖戦が始まったら?アテナが生きていたら?

「デスマスク、俺は仲間を半殺しにしたような奴だぞ?大丈夫だ。…ククッ…すまん、これしか言えないな…」
「サガをも半殺しにしてやるって?ハハッ!冗談に聞こえねぇよ」
「大丈夫だ、番にはなれないが…俺たちは一人ではない」
「そうか、だったら…大丈夫だな」
 何が、なんて考えない。今更子どもみたいなやり取り。
 ハッキリ言って欲しいのは変わらないがちゃんとわかる。シュラが愛を注ぐのは誰であるか。サガに奪われるかもと知って居ても立っても居られなかったくらいだ。ここまでされて愛が無いなんて考えられないし、否定されてもそれこそ信じられない。わかる、お前の気持ちが。
「番になれなくても、俺たちはβとΩで良かったんだ。それで良かったってことにしてくれ」
 シュラとしても自分がαではない事に悔しさが全く無いわけではないのだろう。デスマスクを抱く手に込もる力強さからも感じられる。Ωを愛してしまった以上、αという存在は切り離せないのだから。
「なぁ、俺もさ、お前がその時居なくても一人でも最後まで足掻いてやる。大丈夫だって。黄金の意地は俺にもあるぞ」
「あぁ。最後は俺が全部どうにかするから、お前らしく暴れてくれ」

 そのままシュラは巨蟹宮に泊まり、翌朝磨羯宮へ戻って行った。あれだけ切羽詰まって押し掛けて来たというのに夜はやはりソファーで一人寝てデスマスクに触れる事はしなかった。聖域では下手に触れてフェロモンが漏れてしまう可能性を危惧したかもしれない。
「このまま、キス止まりで死ぬのか…」
 しかも一回きり。シュラがβであったからこそ好きになれたのは確かだ。αになったらどう違う?シュラはどう変わる?シュラになら…部屋を荒らされても今は許せるし、逆に自分の着衣などに嫉妬しそうだ。そんなものではなく進んで自身を捧げられる。我慢しないで貪るならこの体にしろ、って。
「あの場所なら…」
 季節は春。予定通りであれば4月の終わり頃に再び発情期は来る。サガがすぐに動かなければ、二人きりになれるチャンスはある。どうしても肉体関係が諦め切れないのもΩのせいだろうか。
――もう一回だけ、最後に…――
 諦めの悪い自分に嫌気が差しつつも"それがオレだし"と開き直り、デスマスクも巨蟹宮を出て任務に向かった。

ーーー

「3ヶ月とはあっという間だな」
 4月の終わり、シュラはデスマスクの発情期に備え聖域を離れる旨を教皇宮まで報告に来ていた。サガ自身がデスマスクを狙っていると聞いてから警戒し続けているが、邪悪なサガは姿を現さず息を潜めている。デスマスクに確認をしても特に襲われそうな雰囲気は出されていないとの事だった。
「今回もデスマスクの事を頼むぞ。お前に発情期の世話を任せてからもう7年になるのか。長く付き合わせてすまない」
「…構いません。同い年の仲間ですし、デスマスクとしても気を遣わず過ごせるようです」
「そうだな。お前には気を許している。可能であればαと番になれない本心…気になっている相手がいるのか聞いてみてほしい」
「……」
「デスマスクのこれからのためにな。任せたぞ。そのために行かせるようなものだ、今回は」
 素早く顔を上げたシュラは教皇座から見下ろす仮面の奥を睨み付けた。軽くニヤけた口元に覗く鋭い犬歯。隠された瞳が紅く光ったのを確認したシュラは、小さく舌打ちをしてから頭も下げず教皇宮を退室した。

 磨羯宮で鞄を手に取り足早に巨蟹宮へ向かう。急いでデスマスクの元へ行けば食卓で椅子に座り、のんびり間食を食べている最中だった。
「早いな、まだ時間ではないだろ」
「…なるべく早く出たいと思って来たのだ…が、まぁいい。それを食べてくれ」
「…ならばお前も食べるか?早く無くなる」
「お前が食べたくて食べているのだろ?」
 何を食べているのか近くに寄って見てみれば、たまにデスマスクが食べている小さなパンだった。丸めたドーナツみたいな形のものが5〜6個紙袋の中に入っている。貰う気など無かったがデスマスクが一つ摘んで差し出したのでそのまま受け取って食べてみた。中はもっちりしているが意外と皮はカリカリだ。
「…パン…?」
「揚げパンだな。ピザ生地だけど」
「この緑色は海苔か」
「お前でもちゃんと味わかるんだな。これオレの地元ではポピュラーなやつ」
 へぇ…と呟いて飲み込んでしまうともう一つ手渡しながら「シチリアでなく生まれた方な」と付け加えられた。シチリアで生まれたわけじゃない、とは以前聞いた事がある。本土出身か。今更だが生まれ故郷も知らない事に気付いた。自らヒントをくれたのだから、聞けば教えてくれるだろうか。
 手渡された揚げパンを眺め、どうすればコレの正体がわかるのかぼんやり考えているシュラを引き戻すようにデスマスクが声を掛ける。

「またサガにでもおちょくられて急いでいたのか?」
「ん?……まぁ……」
 改めて言われてしまうと自身の短気さが未熟で恥ずかしい。デスマスクの事に関して少し不穏な空気を見せられただけでこれだ。サガに遊ばれていると言われても仕方ない。
「いや、いいよ。不安を抱えるより安心していたいしな」
 そう言って食べ終えたデスマスクは紙袋を折り畳んでから捻り潰し、ゴミ箱へ放った。水筒の水を飲むとシュラにも「飲め」と手渡す。受け取ったシュラが一口二口飲む間にソファーに置いてある荷物を取りに行って準備が整った。鞄の口を開け「入れろ」という仕草をするので、手にしていた水筒を中に収める。
「じゃあ早く安全な場所へ行こうぜ」
 準備万端になって出発を待つ姿が妙に可愛く見える。これが遊びの旅行とかであれば最高なのだろうに…。もう、そんな余裕など無い。シュラも鞄を持ってデスマスクの先を歩き、隠れ家へ向けて出発した。

 デスマスクの発情期は隠れ家に到着した3日後に始まった。ピークもおよそ3日。4日目の夕方になるといつも通り部屋から下りてきてシャワー室へ向かう音が聞こえる。その音を居間で聞いていたシュラは今夜から食事も摂るだろうと準備を始めた。出すものは何でも食べてくれるが、発情期明け最初の食事はペンネかリゾットが最も食べやすそうだと学んだ。さすがイタリアはパスタの種類も豊富で粒状のものまである。それをリゾットのようにしたものも喉通りが良いようだ。

 棚の中を覗いて何を作ってやろうか考えていると居間の扉が開く音が聞こえる。足音がソファーへ向かわずシュラのすぐ後ろまでやって来た。
「今日から食べるだろう?今から準備する。待っていてくれ」
 一番早く作ってやれそうなレトルトのリゾットを手に取って立ち上がったシュラは、デスマスクの姿を見て動きを止めた。
「…何かあったのか?服は?」
 デスマスクは裸にバスタオルを羽織っただけでぼんやり立っている。シュラは手に取ったレトルトの箱を置き、部屋へ戻そうとデスマスクの背中を押した。
「まだ辛いのか?着替えないのなら部屋へ戻ろう」
 シュラに押され居間を出て、階段もゆっくり上っていく。特に抵抗など無くデスマスクは誘導されるまま自室へ向かった。今回はまだ抜けていないのかもしれない…部屋に着いて扉を開けた。そっと背中を押してデスマスクを滑り込ませ、閉めようと扉に手を掛ける。
――途端――
 突然振り返ったデスマスクは勢いよく扉を開け、驚いた顔のシュラの服を掴み部屋の中へ一気に引き摺り込んだ。
「っぅぐ!」
 勢い余ってシュラは床に叩き付けられ、デスマスクがその上に跨がり覆い被さる。
「っおい!こらっ…何をする!」
 デスマスクの力は万全ではないためシュラの抵抗で呆気なく上から落とされ床に転がった。
「薬が効かないのか?落ち着「本当に抱けねぇの?!」
 上体を起こしたデスマスクが這ってシュラに擦り寄る。バスタオルも外れて床に落ち、うっすら桃色に染まる白い裸が絡み付く。
「αのモノにはならない、あとは死ぬか生きるか…もう抱かない理由無いよな?何でしてくれねぇの?発情期が癒えないだけでβに抱かれる事に問題は無ぇよ?」
「…お前は、妊娠してしまうかもしれないだろ…βでも気になるんだ…」
「Ωの避妊薬がある。お前だってゴムとかすればいい」
 デスマスクの手がシュラの太腿から胸元へと滑る。もう一度ゆっくりシュラを押し倒して上に乗り上げた。
「指だけでも、入れてみろよ…」
 左手を掴んで誘導し、尻を撫でさせる。少し首を傾げてシュラの表情の変化を読もうとしているようだ。そのまま指先を谷へ向かわせようとするもシュラは肉を掴んで抵抗した。男らしく肉薄そうに見えるが、Ωの特徴がそうさせるのかもっちりして柔らかい。
「…んぅっ…」
 まだ残る発情期の名残りか、掴まれた刺激にデスマスクは腰を捩った。シュラは空いていた右手でも尻を掴み、軽く揉んでみせる。
「ちょっ…とぉっ!」
「これくらいなら、してやる」
 ただ両手で尻を揉んでやるだけでもデスマスクは掴んでいた手を離し、力が抜けてシュラの胸に肩を落とした。逃れたいのか求めているのか不規則に腰が揺れ、涙混じりの喘ぎ声も漏れていく。
「ちがっ…ち、ちがぅうっ…」
 胸の上でシュラの服を握りしめ、腰が揺れると頬が擦れる。次第に脚の力も抜けていき掲げていた臀部も崩れ落ちた。
「っ?!ひゃぁっ」
 悪戯に指を一本、谷へ滑り込ませて撫でればそれだけでピクンと腰が跳ねて左右に揺れる。想像を超える反応にシュラは思わず動きを止めた。

「すまん…理解しているつもりだったが、かなり敏感になるんだな…」
「っうっ…ぅぅっ…くっそ…くそぉっ…!遊びじゃねぇんだよぉっ…ゃあっ…!」
「あ…すまん、遊びではないのだが…」
 びくびくと震える体を気遣うつもりで触れていた手をサッと離し、胸元に埋まる頭を撫でるとデスマスクは怒ってシュラの手を掴み再び尻に触れさせる。
「中途半端にすんなっ!せめてイかせろっ!あぁ…もぉっ…!」
 もどかしい!と、シュラに腰を擦り付け始めた。派手に悦がる腰つきも何故か"芋虫みたいで可愛い"とか思ってしまい、こんな状況だというのに性欲よりも愛おしさが増すばかり。気持ちいいのか、そうかそうか…と先ほどよりも優しく丁寧に尻を揉んで可愛がれば、我慢できない!とばかりに硬く小さな攻めの象徴を押し付けてきた。
「もぉっ…なんでだよぉっ…!」
 ポロポロと涙を落としながらデスマスクは体を震わせ、快感を解放する。シュラは尻から手を這い上がらせて、震える体を抱き締めた。そして一息吐くが…
「っ…!…おい…デス、掴むな」
 胸の上で恨めしそうにシュラを睨み付ける瞳。荒い息を吐きながらデスマスクはシュラの股を片手で掴んだ。
「おまえ…本気で枯れてんのか…?」
 全く反応していないわけではないが、勃っているとも言えないシュラに対して不満を露わにする。自分はまだまだ足りないと言えるくらいなのに。声が震えてしまう。
「抱けねぇのって…オレに勃たねぇってこと…?」
「いや…違う、これはたまたまで…。俺はちゃんとお前で抜いたことがある。そういう欲はある」
「え?あんの…?」
「…あぁ…ある。だからお前に魅力が無いとかそういう心配はしなくていい…」
 そこまで告げるとデスマスクは体の力を抜いて全体重をシュラに預けてきた。自分とほぼ同じ体格で重いはずだが、押し潰される圧力と速く打つ心音が愛おしく苦痛にならない。

「ほんとお前…変な奴…全然思い通りにならねぇよぉ…」
「ククッ…俺をどうにかしようとするのは無理だろ。聖闘士の能力からしても俺とお前は違い過ぎる。俺から見たらお前も変な奴だぞ」
「エッチしたいとか思わねぇの?βでも性欲無いわけじゃねぇだろ…」
「今のお前を見るとちょっと怖いな…嫌ではなくて、少し触れただけでここまで敏感だと本番に耐えられないのではないかと心配になる」
 背中をさするように撫でただけでピクンと震える。デスマスクはそんな体を誤魔化すように身じろぎし、顔を反対に向き直し笑ってみせた。
「ハッ!黄金相手に何言ってんだ。そんなヤワじゃねぇよ…発情期で何日も発散し続けるってのを何年も繰り返してんだぞ…」
「知っているが、それでもお前を壊してしまいそうで怖い。βだからそう思うのかもな。それを打ち消して抱けるほどの性欲も含めてのαとΩなのだろう」
 そう思うとαとΩがお互いにフェロモンを持っているというのも納得する。媚薬、麻薬のように理性を飛ばす事ができるようになっているのだろう。傷付け合っても際限なく気付けない、気付かない。だから深く首筋を噛んでもお互い耐えられるのだ。
「お前になら壊されてもいいってくらい好きなんだから…遠慮すんなよ…」
「俺が良くない。大事にさせろ。玩具だろうと何だろうと好きなものは大事にするだろ。Ωの本能が良いようにされていいと望んでも俺はしてやらないからな」
「それは優しいようで逆に俺に対してのドSになっているのだぞ」
「知らん」

 Ωらしい言葉に、自分はαとは違うという気持ちが出て少し強く言い返してしまった。不貞腐れた顔のままデスマスクはそれ以上何も言わず、黙って瞼を閉じてしまう。しばらく抱き続けているとやがて寝息が聞こえてきたため汚れを拭い、抱き上げてベッドに戻した。シーツの上には以前シュラが渡した鍛錬着が置いてある。眺めていると眠っているデスマスクの手がゆるゆる這って、それを掴み抱き込んでいった。
――起きてるのか?…無意識…?――
 抱き込んで丸くなるデスマスクを見ていると期待に応えてやれない自分への悔しさが込み上げてくる。βの穏やかな愛情では満足させてやれない。ずっとデスマスクは我慢している。それでも…αになるのは怖いし、なれるわけでもない…。
 ベッド脇にしゃがみ、着ている上着を脱いでデスマスクの手元に置いてみる。しばらくするとそれも掴んでスルスルと抱き込んでいった。そして嬉しそうに微笑んでいるのだ。
「…デスマスク…」
 落ちていたバスタオルを掴み体に掛けて、髪を撫でる。
「…好きだ。ずっと、愛している…」
――ずっと…――
「デスマスクッ…」
――好きだ、好きなんだよ…離したくない!聖域に戻したくないっ…!――

 それでも逃げる事をせず正面から突破してやるという気持ちは黄金聖闘士の性か、βからくるαに対しての従順さと真面目さと挑戦心か。
――見せてやるからな、俺の気持ちを――

「愛している…」
 シュラはもう一度呟くと、軽く微笑んで部屋を出た。

ーつづくー

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