2024 |
11,28 |
※十二宮戦(巨蟹宮)のため当たり前のように紫龍(α)×春麗(Ω)描写があります※
ーーー
「うるせぇぇぇええええっ!」
ーーー
「うるせぇぇぇええええっ!」
紫龍を引き摺って来た黄泉比良坂の頂上、もうあとは穴に落とすだけというところでデスマスクは再び彼方から囁かれるΩの祈りに気を散らせた。
「煩わしい!なぜこんな…まだΩに目覚めてもいない、コスモも使えない小娘の念が俺の頭に響くのだ!くそっ…邪魔をするなら殺すまで!」
「待てっデスマスク!春麗は関係ない!」
「それが俺には関係無いのだ!惹かれ合うαとΩであれば番でなくとも一方を失う悲しみは大きいだろう。お前と共に死で結んでやる事を感謝するべきだな!」
「…ぐ…デスマスク!お前はΩで…番もいるのだろう…?もしやお前はその相手に無理矢理番にされたのか?だから他人を憎み、殺しに励むのか…?」
掴み上げられ穴の上に垂れる紫龍が絞り出した声にデスマスクはうっとり笑う。
「クク…俺はこの上なく愛されている。そして愛しているぞ。死など恐れぬ程にな」
「ならばなぜ…神の祝福を知りながらそれを裏切るのだ…わからない…聖闘士でありながら自分たちさえ良ければ他はどうなっても良いと言うのか!」
「あぁ、そうだな。俺たちは今この愛を繋ぐために生きている。世界を犠牲にするのではなく変えるのだ。神が与えし性差など…そんなものが生まれない世界へ。それを止めたければ俺たちよりも強くなり殺せば良いものを…誰もしない」
ため息を吐き、紫龍をひと睨みしてから掴む手に力がこもった。デスマスクの全身から特有のコスモが揺らぎ、立ち昇る。辺りの亡者たちは恐れ慄いて朽ちた体を転げ回しながら逃げていく。
「ハハッ!お前ももう遅いがな!俺とあいつが結ばれたのは神様のおかげと言うのか!フッ…そう思えるような生き方をさせて貰えなかったというのがわからんのか⁈神によってな!人は平等に生きることができないことをお前も知ってみろ!」
「っ⁈デスマスク、やめろぉおっ!」
遂にデスマスクの強大なコスモが五老峰から紫龍の無事を祈る娘、春麗に向けて放たれた。祈ることしかできない無力な乙女は圧倒的な力に抗えず大瀑布の底へと落ちていく。
その時、磨羯宮にいたシュラとアフロディーテはデスマスクのコスモを感じ取り顔を見合わせて安堵の表情を浮かべた。
「これで邪魔者も居なくなった…。恐れる事はない。すぐにあの娘もここへ来る。愛があるのであればお前が先に逝き導いてやれ!」
「…春麗…っ!春麗――っ!」
あとは失意の紫龍を穴の中へ落とすだけだった。ただ、それだけであったというのに…耳をつんざく紫龍の叫びにデスマスクの視界は突然暗転した。
ーーー
ーーー
暗い闇の中、ちらりちらりと白い雪が舞う。次第に辺りの木が見えてきて森の中にいるようだった。すぐ近くで叫び声が聞こえる。涙まじりの低いガラガラ声で、ずっと誰かの名前を呼んでいる。吸い寄せられるようにそちらへ向かうと、木の隙間から横たわる足が見えて、誰かがそれを抱き締めている。
『……っ!……――っ!』
駆け寄って声を掛けても振り向いてくれない。あぁ、夢か。自分はここに居ないのだと悟った。彼は誰を抱いて泣いている?上半身は裸で…何故か全身に引っ掻いたような傷だらけ。色の落ちた、銀の髪の…首筋に、綺麗な噛み痕がついた…
――違う…――
久しぶりだがこの夢は初めてではない。いつも抱かれているのは軍服を着た白金髪の男で、首筋は止まらない血で真っ赤に塗れて、顔も…顔も…
――俺ではなかった…!――
俺の名前など呼んでいなかった!その声はシュラではなかった!誰だ⁈誰なんだ!
――早く戻らなくては…!――
……どこへ?何をしていた?…いつもは直ぐに覚めていた…これは、ただの、夢だから…。いつもは、直ぐに…覚める…。
――あぁ…――
自分はもう、居ないのだと…
ーーー
ーーー
「……ッ……!」
シュラは巨蟹宮に戻ったコスモを探って心臓が強く跳ねた。感じるのは青銅聖闘士のコスモと…蟹座の黄金聖衣、だけ。
「…………」
隣に立つアフロディーテも言葉を失う。デスマスクはまだ戻って来ていないだけかもしれない。だが…隣にいるシュラが、デスマスクの番が、次第に牙を剥き出しにしてαに染まっていく。「すぐに戻ってくるだろう」なんて気軽に言える空気ではない。やがて青銅聖闘士のコスモが獅子宮を目指し始めた時、ガツンと響いた聖衣の濁った音。シュラは崩れ落ちて地に膝を付いた。
「シュラ…大丈夫か…」
胸に手を当て、額からは汗が吹き出し、苦しそうに息が荒い。アフロディーテは癒しのコスモを与えようとシュラの肩に触れたが、拒むように弾き返された。
(…私では手が付けられない…デスマスク…本当に逝ってしまったのか?これはあまりにも、呆気なくはないか?!)
「シュラよ…一度部屋へ戻った方が…」
噛み締めた唇に血が滲んでいる。シュラの目に涙は無かった。今、彼から感じられるのは戸惑いと、怒り。コスモではない、αの威圧感がビリビリと増していくのをアフロディーテも感じる。それはやがて十二宮を、聖域を飲み込んでいく。
『巨蟹宮が突破されただと?』
『馬鹿な、黄金が青銅に負けたのか?蟹座が青銅に寝返るとは考え難い』
『所詮はΩの蟹座だったって事だ、青銅であろうとαには敵わなかったんだろうよ』
『努力だけではどうにもならない事もある』
『番が同じ黄金でなければΩらしく守ってもらえただろうに』
『運命は残酷だな』
『しかし青銅の方も黄金を倒していい気になっていられるのも今のうち』
『今聖域にいる全聖闘士が感じているだろう』
『恐ろしい、とても強大な怒り』
『これだけ離れていても貫かれそうだ。聖域ごと破壊しかねない』
『磨羯宮の突破は絶望的だろう』
シュラの怒りにシャカはほくそ笑んだ。ミロは呆気ないデスマスクの死を笑った。
抑制剤の副作用ではなく、教皇からの洗脳を受けていたアイオリアは目を覚まし青銅聖闘士を先へ通す。自分の出る幕など無いと思っていたシュラが待つ磨羯宮まで、順調に上ってくる。なんて脆い…守り続けていたはずの聖域はとっくに崩壊していた。
悲しみは極限に達すると涙も出ないと聞く。怒りもまた、極限に達するとこうも無になれるのか。
「クク…良いザマだな、山羊座よ」
「教皇っ…!こんな時に!」
「のこのこ宮を抜け出ているのはお前もだろう、魚座」
静かな磨羯宮に突然響いた声。サラサラと法衣の擦れる音が近付き、崩れ落ちたままのシュラの前に真っ黒な髪のサガが姿を現した。
「愛おしくて仕方のない番を失った気分はどうだ?たかが青銅に殺された気分はどうだ?しかしまさかこんなにも呆気ないとは…番にしたのは早計だったか。Ωのフェロモンが使えれば青銅なんぞ何の問題にもならなかっただろうに」
シュラは俯いたまま何も答えない。そこにサガが来ている事にすら気付いていないかのようで。
「おそらく死んだのだろうが流石に私も積尸気へ行ったコスモまでは辿れないからな、期待を持ちたければ持てば良い。それでお前が戦えるのならば都合の良い夢を見ていれば良いのだ」
「っ?!待てっ…!」
サガの言葉を聞いていたアフロディーテはそこに含まれた思惑に気付き、薔薇を構えて2人の間に割り入った。サガは目を細め、ニヤリと笑う。
「山羊座がこのザマではお前にも負担が掛かるだろう?戦ってもらわねばならん。蟹座を復活させてやろうという話だぞ」
「そんな事をしなくてもシュラは戦える!洗脳を使うのは止めろ!幻覚などデスマスクの代わりになんかならない!」
「使ってみないと結果はわからないだろう?それともお前が受けてみるか?幻のΩでも愛されてみれば力が増すやもしれん」
そう言って拳を向けるサガの足元を目掛け、薔薇を数本打ち込んだ。
「そうまで言うのならお前が自分に使ってろ!私がデスマスクを想う愛とシュラが想う愛は違うものだ、それくらいわかるだろう⁈」
「あぁ、同じであればお前が早々に蟹座を番にしていただろうしな。お前たち三人はややこしい関係だ」
「…シュラは戦える…だが、もし青銅が磨羯宮を突破したとて双魚宮を抜ける事は無い」
「フッ…その自信。最低条件だな」
拳を下ろしたサガは数歩引いてアフロディーテの背後に隠れるシュラの姿を再び捉えた。
(…番が殺されたのだ、あれ程の怒りを蓄え…青銅に寝返ることはまぁ無いだろう…)
「青銅の侵入はお前たちで必ず食い止めよ。偽アテナの一派を全滅させた後、今回青銅に加担した聖闘士の粛清も行うぞ。デスマスクを偲んでやりたいならばαを狩れるだけ狩ってやれ」
それだけ告げるとサガは足音を消して磨羯宮から去って行った。
「全く…何なんだ…"サガ"はともかく、今さら焦りを見せたところでお前の味方など最初から居ないというのに…」
宣言通り青銅とは正面から戦おう。だがこれは勅命のためではない。ずっと守ってきた聖域のためでもない。
デスマスクのためでもないが、彼の理想…αとΩの終焉は実現できるのならば見てみたいと思った。それは自分たちの終わりでもある。シュラとデスマスクはアダムとイヴにならない。大虐殺のすえ人類の苦しみを一つ解き、誰にも知られず消えて行く…。
考えれば考えるほど、身勝手で愚かでロマンチックな話だと思った。正義とは綺麗なものではないのだ。これは殺戮を厭わない、その性とそれを行えるだけの力を持って生まれさせられたデスマスクにしか思い付かないことだろう。
考えれば考えるほど、身勝手で愚かでロマンチックな話だと思った。正義とは綺麗なものではないのだ。これは殺戮を厭わない、その性とそれを行えるだけの力を持って生まれさせられたデスマスクにしか思い付かないことだろう。
想いを巡らせてからアフロディーテは振り返り、サガが来る前と同じ状態のシュラを見下ろす。汗も動悸も落ち着いていたが何を考えているのか全然動かない。
(このままでは時間がないぞ…)
この「無」が再びシュラの底知れぬ力を目覚めさせる前触れであるのならそれでいいが、その力を青銅にぶつけなければ何の意味も無い。アテナでも聖域でもなくデスマスクを想って使われるべき力を。
「シュラ…」
反応は無いと思いつつも親しい仲の癖から無意識に声を掛けた。小さな声が辺りで響き、すぐに静けさが戻って一呼吸ついた時――
「…αを狩る、か…」
低い声が返り、カシャ、と聖衣が動く。
「シュラッ!」
よろめきながらゆっくりとシュラは立ち上がり、すぐ背後にあった柱にもたれ掛かった。
「シュラ、今に青銅が来るぞ!そのまま腑抜けて青銅を通すのか⁈お前はなぜ戦って来た?この歪んだ聖域でずっと!今やるべき事を考えろ!私は戻るからな!」
その訴えにシュラからの返事は無い。動く気配も無い。ただ一度、鋭い視線がアフロディーテを捉え、直ぐに伏せられた。それで十分だった。
シュラの返しを得て笑みを漏らしたアフロディーテが外へ出ると、磨羯宮の上に広がる空はいつしか夕闇に覆われていた。デスマスクのコスモが途絶えて5時間が経つ。戻らない。何も感じない。今、青銅聖闘士が遂に人馬宮を抜け磨羯宮を目指し始める。あんなにもヒシヒシと感じられた怒りはすっかり消え去っていた。そう、何も感じない…。
ーーー
ーーー
磨羯宮へ続く階段は青銅聖闘士が駆け抜ける音だけが響く。風もそよがず、星々は瞬きを潜めてしまった。恐ろしい程の静けさに青銅聖闘士たちは一瞬、躊躇った。
「なんだここは…無人なのか?」
「ならば一気に先へ進むまで!」
「ならば一気に先へ進むまで!」
今、青銅聖闘士たちは磨羯宮を駆け抜け、柱にもたれ掛かっているシュラの前を通り過ぎて行く。
――α、α、α…――
遠ざかっていく足音。
――オレの、Ωを殺した、α…――
一歩、踏み込んだ。
――俺の、デスマスクを殺した、アルファ…!――
突然、鋭い光の筋が磨羯宮の闇を裂いた。ちょうど外へ抜け出た青銅聖闘士たちを目掛けて、深く地を切り裂く拳が放たれる。
「「紫龍!」」
「ほぉ…これは運が良い…」
おそらく最大級の聖剣によって宝瓶宮への道は深く裂かれた。一人残された青銅聖闘士こそデスマスクと対峙した老師の弟子、紫龍だった。道は断たれたが先へ進めないわけではない。仲間を一刻も早く教皇宮へ向かわせるために紫龍は留まり、背後に迫るコスモを感じて振り向いた。
磨羯宮の闇から現れたシュラは無表情のまま笑っている。デスマスクでも見た事のない、人らしからぬ笑みを浮かべゆっくり紫龍へと近付いた。
「蟹座のデスマスクと戦ったのはお前だな?」
「……そうだ……。お前が磨羯宮の黄金聖闘士か?」
答えは知っていたが憎き仇が決定付けられ、シュラは笑ったまま目を細める。憎い、見たくもない、一刻も早く斬ってしまいたい苛立ちに耐え、どうしても聞いておきたい質問を絞り出した。
「俺が山羊座のシュラだ。殺してやる前に確認したい事がある。デスマスクはどうした?なぜ黄泉比良坂から戻って来ない?」
「…それくらいわかるだろう?黄泉比良坂の穴に肉体のまま落ちて確実に死んだのだ!亡者たちの恨みを買う非道な行い、聖衣にも見放され黄金聖闘士とは思えぬほど無様に死んでいったぞ!」
ーーー
あの時…春麗の名を叫び、自らの無力さに気を失いそうになった紫龍は暗転した瞼の内側で祈り続ける少女の姿を見た。滝つぼの奥深くへ沈み行くなかに於いても両手を合わせ、ただ紫龍の無事を祈る姿。その命を、彼女が持つ愛の全てを紫龍に捧げようとする姿。
――あぁ、こんなにも尊く清らかな彼女を自分のために失いたくない…沈ませない!今ならまだ掴める!届け、春麗に…!――
「ぎゃぁああっ!!」
願いを込めた夢の中、勢いよく腕を伸ばしたその手はデスマスクの脚を砕いていた。黄金聖衣が砕かれたのではない。そこには聖衣の外れた無防備な脚が曝け出されていた。
「ぅっわぁっ!」
デスマスクがバランスを崩し倒れ込んだ拍子に紫龍は運良く冥界の穴とは逆の方へ放り出された。すかさずデスマスクを確認すると砕かれた脚を抱えて蹲っている。すぐ近くには黄金のフットパーツが転がっていた。何が起きたのか理解できなかったが、この好機を逃すわけにはいかない。
「デ、デスマスクッ!春麗の仇!」
「ぐっ…ぅ、ぇぇっ…!」
紫龍の拳が今度はデスマスクの腕を砕いた。確かに黄金聖衣を身に着けていたはずなのにまた外れて地に転がっている。
「…なっ…なんだっ…黄金聖衣が外れていくなど…!」
荒い息を吐くデスマスクから急激に力が抜けていくのを感じた。実体のままそこに在る体からダラダラと汗が流れ始め酷く震えている。
「く、くそっ!こんな時に!…いいか、黄金αと番になった黄金Ωの力はな、神に匹敵するのだ!オレサマに選ばれなかったαどもは全員ゴミ同然!お前は勝てん!死ねぇ!」
力を振り絞ってデスマスクは立ち上がったが、それを黄金聖衣は許さなかった。骨が軋むほどデスマスクの体を強く締め付けたかと思えば一斉に聖衣が外れ、先に落ちていったパーツと共に蟹座が姿を表す。聖衣から与えられる衝撃に耐えられなかったデスマスクは地面に叩き付けられてから、薄く開けた瞼の先でその姿を確認した。
思いも寄らない展開に紫龍も驚きを隠せない。
「おぉ…黄金聖衣がデスマスクに制裁を与えている…やはり奴は黄金聖闘士に相応しくないのだ…」
――相応しくない…――
(…俺を選んだのは誰だ。蟹座の宿命に選んだのは誰だ。お前だろう?裏切るのか!あんな陰湿な巨蟹宮に俺を捕らえたお前さえも、都合が悪くなれば俺をあっさり見捨てるのか!そんなもののどこにアテナが謳う愛などある?!)
聖衣が外れ、晒された首筋に残る噛み痕がジンと熱くなるのを感じた。
(愛など…もう…。ただ一つのコレだけが、俺の救い…)
ゆっくりと腕を動かし、震える指で少し抉れた痕に触れる。シュラの鋭い牙を思い出す。
(偽善で無能な神に代わり、俺たちが世界を正さなくては…。聖衣も全て壊してしまうのだ。俺たちならできる…黄金αと黄金Ωの俺たちならば…神に匹敵する力で…)
まだ立ち上がろうとするデスマスクの姿に紫龍はコスモを高めた。しかし自分は魂でしかなかったが聖衣を着ていて、その能力は備わったままだ。残されたコスモの力のみで戦おうとするデスマスクを前に聖衣を着ている自分が許せなくなり、脱いでしまいたいと思った。
「クク…馬鹿か…現世の実体は着たままというのにそんな事もできるのだな」
「俺は正義のために聖衣と血を分け合い、助け合ってここまで来たのだ」
「…血か…貪欲な蟹座聖衣は舐める程度では満足しなかったようだ…」
強く願った紫龍は魂が纏っていた聖衣を脱ぐことに成功し、デスマスクの前に立つ。今まではアテナである沙織の力、蟹座の聖衣、そして命を懸けて祈り続けた春麗に助けられ死を免れた。次こそは自らの力でデスマスクを倒したい。春麗の死を無駄にはしない。決して、それだけは何が何でも…!
「まだ番でもない小娘の死でそこまでコスモを高めるか…まぁ彼氏としてそれくらいは当然の餞だろう。だが言ったはずだ!黄金αの力をも得たオレサマを超える事はできんのだ!今度こそ死ねぇぇえ!」
脚が砕けて立てずとも、腕が砕けて拳が振れずとも、コスモさえ極限まで高めれば青銅が限界値を超えてこようとも勝てるはずだった。今の自分であればムウをも凌ぐ最強のサイコキネシスで僅かな思念すら残さず魂を木っ端微塵にできるはずだった。それ程の力があったはずであるのに。
「…なぜっ…」
実体を持たぬ瀕死の魂が放ったコスモの龍は、春麗の死を糧に鋭く膨張し黄金の力をゆうに超えた。ぶつかり合ったコスモは次第にデスマスクを圧倒し、呑み込んで、大きな深淵へと引き摺り落ちて行く。
デスマスクは自らの能力で宙を歩く事も容易かった。落ちても浮かび上がればいい。落ちることなど有り得ない。浮かび上がれるはずなのに、薄気味の悪い黄泉比良坂の空がどんどん遠く離れて行く…。
体中に纏わりつく紫龍のコスモが気持ち悪くて、デスマスクは力のコントロールが効かなくなっていた。
―何だこれはっ…ゾッとする…!―
勝ち負けなんかよりも、こんな終わり方は絶対に嫌だと急に涙が溢れ出た。自分は所詮αに支配されるΩなのだと死の間際まで思い知らされる。
―嫌だっ…気持ち悪い!こんなαのコスモ嫌だ、離れろ!っ…シュラ、シュラ!助けろ!返事しろ!届け!っ…届け、よぉっ…!―
紫龍を想う小娘の念は冥界の壁をも超えてきたというのに、番の声が届かないこの差は何。こんなに想っているのに、愛しているのに…神が隠すのか?俺たちの愛を。
「シュラっ…嫌だ、お前じゃないのは全部いやだぁっ!気持ち悪いっ、殺してくれ!はやくお前が来て殺してくれよぉ!!」
シュラの香りを、コスモを、声を、その姿を必死に想い描きながら、デスマスクは紫龍のコスモを引き剥がそうと手当たり次第に体へ爪を立てて掻きむしり続けた。
「しゅら、しゅらぁっ…!しゅらぁぁぁぁああ!…」
白い頬も胸も背中も血が滲み出して壊れていく悲惨な姿は瞬く間に深淵へ呑み込まれ、呪文のようにシュラを呼び続ける叫び声も、闇の中に潰えた。
ーーー
「デスマスクは非道な行いの報いを全て受けて死んだ。あの男は黄金聖闘士に相応しくなかったのだ!お前にもわかるだろう?」
「……ハハ、聖衣にまで……そうか……。やはりあいつには俺しかいないのだな。誰にも守られず、サガにも老師にもアテナにも裏切られ、最後まで可哀想に……」
笑いながら憂いた声を上げる不気味なシュラを見て、紫龍は考えるより先に声が出た。
「…まさか、お前が…デスマスクの番、か…?」
「気安くアイツの名を呼ぶな」
シュラはスッと笑みを潜め低い声で呟くと紫龍の足元に向けて一撃を放つ。慌てて飛び避けた紫龍の長い髪が数本、辺りに散った。
「黄金聖闘士に相応しくないのならばそもそも蟹座になっていない。それともΩが黄金になる事を相応しくないと言ったのか?神が与えた宿命を無視して辞めさせれば良かったと?αならば納得いくのか?」
「そうではないっ!デスマスクがしてきた事、番ならば知っているだろう!」
「俺でもアイツの全ては知り得ない。だがな、お前よりは遥かに知っている。どうせ巨蟹宮を見ただけだろう?それでデスマスクを知った気になるとは…その程度の事で自らが正しいと正義を騙る愚かさよ!」
今度は真っ直ぐ紫龍に向け宙を斬った。自身を庇ったドラゴンの盾が呆気なく斬り落とされ、カランと音を立てて転がる。
「そんなっ…ドラゴンの盾がこんなにも容易く…!」
「今その身が繋がっているのは盾のおかげだな。だがそれももう無い。次で終わりだ」
何の躊躇いも疑いもなく拳を向け続けるシュラに紫龍は疑問が湧いた。番を殺されただけでアテナに対する忠誠も覆るものなのだろうか?
「シュラよ!お前も黄金聖闘士でありながら、デスマスクのみならず教皇の悪事も知ってアテナに刃向かうのか⁈」
「お前には到底理解できん事情がある。理解してもらう気もない。だがデスマスクの仇以外にも戦う理由が欲しければ一つ与えてやろう。十三年前、アイオロスを死に追い詰めたのが俺だ。それで十分だろう」
「アイオロスをっ…?アテナを守ろうとした仲間を手に掛けたのか⁈」
「アテナを連れ去ったのは事実だからな」
だからと言ってそんな事…などと呟いている紫龍を面倒に思ったシュラは左手を構えて容赦なく聖剣を撃ち込んだ。飛び避けたところに右手で更に撃ち込み崖へと追い詰めていく。このまま底の見えない崖下へと落ちればアイオロスの時と同じだな、とぼんやり思った。
―いや、コイツだけはこの手で殺さなくてはならない…―
少年とは言えシュラにとって最も許せない罪を犯したα。殺しても足りないほどだ。崖下へ落ちても追い掛けてその身を刻み尽くしてやらないと気が済まない。
シュラのマントがはためいた。止まっていた風がいつしか吹き始めて紫龍の髪も緩やかにそよぐ。この風ももう、この世にいないデスマスクとは共有できない。
一つ瞬きをして、右手を構えた。
ーつづくー
ーつづくー
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