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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
08,02
 満足するまで抱いてもらっているというのにスッキリするのは数時間程度で、直ぐにシュラが恋しくなってしまう。発情期のピークが過ぎるまで二人は裸に上着やバスタオルを羽織るだけで生活した。さすがに居間で抱き合ったのはあの時だけで、それ以降はどちらかのベッドまで行くように努力している。
 6月24日、デスマスクが22歳を迎える朝。朝食を食べてからシュラに抱いてもらうと、体の疼きが一気に引いていくのを感じた。長年の経験からわかる、発情期が終わっていくサインだ。
「前まではピーク後もダラダラ続いていたが、今回一気に終わるかも…」
 シュラの愛情を体内に受け入れながらデスマスクは呟いた。αの精にはΩの心を落ち着かせる作用も含まれているのだろうか。狂ったように熱くなる体は精を与えられる度に癒されていき、やがて満たされる。好きで抱かれたい気持ちと、助けてほしくて精を求める気持ちが入り混じる。
「番を得た事で発情期の期間が短くなるのならそれに越した事はない。聖域でも暮らし易くなるだろう」
 キスをして、シュラがデスマスクの体から抜けようとした時、引き留めるように腕を掴んだ。
「なぁっ…発情期以外でも、普通に抱いて欲しいんだけど…」
 その訴えにシュラは顔をしかめる。何を言ってるんだ当たり前だろう、と思ってもデスマスクにはまだβだったシュラのイメージしかない。αになって数日しか経っていないのだ。
「これからはお前が抱かれたい時に言えばいいし、俺が抱きたい時もそうする。発情期だから抱いてやってるのではない。βのように拒否もしない。抱きたいから抱いているんだ、もう心配しなくていい」
 そう告げてデスマスクを抱き締め直し、心音が穏やかになるのを待つ。やがて「大丈夫」の合図にデスマスクがシュラの肩を押すと、ゆっくり体内から抜けて隣に寝転がった。銀髪を撫でれば幸せそうに目を細める。
「今日こそ調子が良ければ何か食べに行かないか?この前の続きでイタリアでも良いが」
「それは誕生日関係ある感じ?」
「ある」と即答するシュラの提案に、デスマスクは軽く微笑みながら「行きたい」と頷いた。

 初めて二人で誕生日を誕生日として過ごした。昼から少し贅沢なコース料理を食べて、デザートにティラミスを食べて、広場のベンチでぼんやりしてから海岸線を散歩する。聖闘士である事とか報われない不満だとかを忘れて、たまに街中で見掛ける幸せそうなαとΩの番として過ごせた気がした。
「お前の銀髪は目立つからかよく見られていたな」
「別に今更だし。でも多分俺よりお前の方を見てたんじゃねぇの?俺はそう感じた」
 丘の広場で夜景を眺めながら交わした言葉に「これって嫉妬か?」と二人で笑う。
「対抗心なんか残ってるもんなのか?こんなに好き合ってんのによぉ」
「ククッ…それとこれとは別なんだろう。俺の方が強いしな」
 サラッと言うシュラの言葉を聞き逃さなかった。
「αに昇格したからって自惚れんな!俺様が最強Ωだ、わかってんだろ!」
「可愛いは最強かもな」
「ヘンタイ!」
 番になって初めてシュラに拳を振ったが、やはり呆気なく手の平で受け止められてしまう。それどころか軽く足を払われて崩れた体を抱き止められた。どうだ?と見下ろしてニヤける顔はどんなに好きな奴でも腹立つ時は腹が立つ。デスマスクは瞬間移動を使いシュラの腕の中から消え、背後に立った。そして人差し指を背中に突き立てる。
「十二宮とかハンデ無ければ俺が最強なんだよ、巨蟹宮にある実績見てんだろ?」
「そうだな。ハンデも発情期も克服できたらな」
 降参、と両手を挙げるポーズをしているのがまた腹立つ。きっとシュラの顔は嫌な笑顔をしている。どうせΩはどれだけ足掻いても好いたαには敵わないのだ。体が、心が素直になってしまう。
 動きを止めたデスマスクが気になったシュラは振り向いて、何かを考え込んでしまっている姿を抱いた。
「…言い過ぎたか、すまない。番になったからには俺とお前は対立すべきではないだろう。これからは二人で一人の気持ちを持つ必要がある。お前の発情期は俺も背負う」
「やっぱ俺ってもう、一人で強くなるのは無理なんだな…」
「男と女は元々一つだったという考えがあるだろ?αとΩも同じだ。お前は俺を得て、欠けていたものを取り戻したと考える方が正しいと思うが。俺と共に、というのは抵抗あるか?」
 反射的に首を振った。シュラとの番関係はデスマスクが渇望したものであるから抵抗はない。それでも自分が持つ男の性が強さを求めてしまう。かつて黄金聖衣を勝ち取っても満たされなかった。上には上がいる。ここ数年はシュラと番になれれば他は何もいらないというくらい想っていたのに、手に入ったら別の欲望が湧き出てしまう。
「いつまでも枯れず向上心を持ち続けるのは良い事だと思うぞ。だからこそ黄金に相応しい。無理とか考えずαを超えようとする野心は持ち続ければ良い。お前は極上のΩなんだ、他の黄金αのフェロモンももう効かない。最強を諦める必要も無いと思う」
 シュラの言葉に無言で頷いた。番となった二人の力はきっと神に匹敵するはず。しばらく抱かれてから顔を上げたデスマスクは呟いた。
「クク…そうだな、今日という日に生まれ変わってやるぜ。俺たちは始まりであり終わりとなる」
「お前が望むように生きろ。αのくせに言うのもアレだが、俺はお前に従う」
 どちらからともなく顔を寄せてキスを交わした。シュラには…αには敵わないというのはもはや幻想で、自分はこうして手に入れたのだ。シュラと交わりαの力を注がれて番となった。それは愛だけではなく、もっと自分を、Ωを生まれ変わらせたはずだ。自分はのんびり暮らしていけるΩではない。選ばれし黄金聖闘士のΩであり、黄金のαと番った未知なる者。聖域を、世界を変える事もできるかもしれない。
「ふ、流石だな。頼もしい…」
 デスマスクから異様なコスモの高まりを感じたシュラは一言呟いて、もう一度頬にキスをした。

 誕生日から二日後の朝。二人は長年デスマスクの発情期を支えひっそりと過ごしてきた隠れ家の前に立ち眺めていた。
「なぁ…使いたい時にここ来ても良いんじゃねぇの?」
 シュラとの思い出が詰まる場所を手放すのが惜しくてデスマスクは訴えるが、シュラは最後まで首を縦に振らなかった。
「ケジメは必要だろう。ここは"教皇"の計らいで仕立て上げた場所だ。家が欲しいのならば金の首輪を捨てたように俺たちで新たに探すべきだな」
「それはわかるけどよぉ…」
 新しい家を手に入れてもそこに二人の思い出は無い。過去も手放したくないとするデスマスクの考えはシュラには理解し難かった。
「お前はβの俺に未練があるのか」
 シュラに見つめられ、視線の鋭さに一瞬息が止まる。違う、そういうわけではないのだが…。
「αになって数日だ。この家に残る思い出なんかβの俺しか居ない。どれだけお前に求められ、縋られても、応えることができなかった。苦しむお前を前に何もしてやれなかった。一線を超える度胸すら無かった。そんな俺しか居ない思い出を手放したくないというのは理解できないな」
「そんな事ばかりじゃ…」
「βだったからとは言え、俺はお前に酷いことばかりしてきたという事がαになってやっと解ってきたんだ。もっとお前の要求に応えてやるくらいできたはずなのに。大切にしてやりたいというのは言い訳でしかなかった。お前は俺のそういうところに惚れたのかもしれないが、同時に不満もあったからこそα性を求めたのだろう?それとも、今でもβに会いたいとか考えるのか?」
 デスマスクの首を横切る黒い首輪にシュラは人差し指を差し入れ、前から後ろへと撫でていく。返答によってはせっかく買ってくれた新しい首輪を斬ってしまいそうでデスマスクは焦った。首輪に手を当てて「βに会いたいんじゃない、やめてほしい」の意味で首を横に何度も振る。するりと指が抜かれると、その手はデスマスクを抱き寄せた。
「…すまない、意地悪をしたいわけではないのだが…多分、これがαなんだ。しばらくこういう事が続くかもしれない…」
「大丈夫、俺はお前が好きだから」
 デスマスクもシュラに腕を回して抱き返す。シュラも成人後にβからαへ変異した未知なる者なのだ。自分が理解してやらずに誰がシュラを理解できるというのか。
「悪いな!生まれ変わるってこの前宣言したんだしな。ここもスッパリ諦めるぜ!」
 気持ちを切り替え、そう笑うデスマスクにシュラも微笑み返した。結局αになってもデスマスクには無理をさせてばかりだなと感じたシュラは早く自身が完全なるαになれるよう気持ちを引き締め、デスマスクに手を引かれて聖域へテレポートした。

ーーー

 二人は並んで十二宮の階段を上っていく。巨蟹宮、磨羯宮へと続く道ですれ違う者たちが注目したのは、デスマスクではなくシュラの方だった。誰もがシュラを目にするなり萎縮し、通り過ぎるまで道の端で固まっている。そんなあからさまな態度の変化にデスマスクは噴き出した。
「お前のαオーラそんなヤべェのかよ?まぁ〜たアソコで二人縮んでやがる!」
「フン、あいつらもαだろうに情けない」
 笑いながら磨羯宮まで来ると二人とも黄金聖衣を装着して更に上を目指した。怖れなど無い。二人は教皇宮を目指して上り続けた。
「余裕そうで何よりだ」
 双魚宮へ入るなり薔薇が二輪足元に撃ち込まれ、足を止めた二人の前にアフロディーテが姿を現す。
「遂に番か…おかげで匂いは綺麗さっぱり感じなくなったな。薔薇の純粋な香りが楽しめて私も嬉しいぞ」
 デスマスクが答えようと少し踏み込むと、それを遮るようにシュラが前に出た。
「お前のおかげで誰も欠けること無くこいつの願いを叶えてやる事ができた。力になってくれたこと、感謝する」
「ふっ…だって、デスマスクは昔から君しか見てないのだもの。私が割り込む余地なんて最初から無かったさ」
 アフロディーテの言い草にデスマスクは声を上げようとするもシュラに被せられて止める。
「サガの様子は落ち着いているのか?」
「邪悪な方がやらかそうとした事に対して悔いているようだが、君たちの姿を見るとどうかな…負け惜しみくらい言いに出てくるかもね。でももうデスマスクに手出しをしても無駄だし、行けば良いのではないかな?」
「聖域へ戻るために話をつけておく必要はあるからな、行くことに迷いは無い」
「新婚報告だしね、君でさえ浮かれるのはわかるよ」
「茶化さないでくれ」
 デスマスクは二人が交互に話す様を眺めて自分も入り込むタイミングを伺っていたが、どうもシュラに阻まれる。何度かアフロディーテと視線は合ったがニヤりと笑われるだけだった。やっと番を得たのだから、また…
「昔のように私と…というわけにはいかなさそうだぞ?デスマスクよ」
 遂にアフロディーテがデスマスクの方へ言葉を掛けたが、途端に空気が張り詰めるのを感じる。
「…ほら、私に対してでさえこの緊張感だよ。感謝しているのか威嚇しているのかわからないよね。αの力がまだコントロールできていないのかな?」
 そう告げながらアフロディーテが一歩づつ下がっていく。シュラはその様子をじっと見つめてからデスマスクの手を取り側に引き寄せた。
「シュラ、お前…」
「…コントロールできていないのは認める。デスマスクに対してもそれは同じなのだ。もうしばらく二人には面倒をかけるかもしれないが、今に克服してみせる」
 張り詰めていた空気が次第に緩んでいくのを感じたアフロディーテは「君ならすぐに実現してくれるだろう」と笑い、二人を見送った。

「βからの変異とは言えαの力が弱いわけではない。純粋に聖戦への戦力となれば良いが…」
 デスマスクへの執着と愛の深さに自滅しかねない危うさもある。そうなれば聖域は二人の黄金を失ってしまう。
「せっかく結ばれたのだ、二人が思うように生きることを応援すべきかな」
 上へ向かう背中を眺めながら薔薇を一輪、宙へ放った。

ーつづくー

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