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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
09,15
 デスマスクの誕生日から数ヶ月後、巨蟹宮を通過していたシュラはある一角を目にして足を止めた。宮内を埋め尽くす死面の数は本当に全てデスマスクの仕業なのかというほど急速に数を増やしている。老若男女張り付いているが、この一角には親子らしき女性と幼い子どもの死面が集まっていた。粛清ついでに数人巻き込んだだけ…とは思えない。
(第二の性は12歳頃にならないと判明しない。βかもしれない子どもまで…)
 デスマスクの理想に異論を唱えるつもりは無いが、理由があるのなら聞いてみたい。そう思って再び歩き出した時、上から下りて来るコスモを感じてシュラは巨蟹宮に留まった。しばらくすると前方の闇が次第に晴れ、黄金聖衣を輝かせながらデスマスクが戻って来る。
「おぅ、お前もちょうど終わり?俺が来るの待ってたのか?」
 シュラの姿を確認したデスマスクは嬉しそうに浮かび上がり、一気に目の前まで滑り込んで来た。

「何だぁ?こんな隅にいて死面の見学でもしてたのか?」
「なぜこんなにも子どもを殺したのかと思ってな…子どもはまだ第二性が決まっていないだろ?巻き込んだにしては数が多い」
 そう言いながら先程まで見ていた壁面に視線を遣る。意外な質問にポカンとしたデスマスクはつられて壁を確認した。
「あー…何かもう陥落寸前で弱者やΩしか残ってない町があったんだ。他国に難民として送り出してやってもそれが最善とは限らない。全ての難民が快く迎えられ援助が得られるわけではないからな。こいつらは俺の判断で全員殺した。その時一緒に隠れていたガキたちだろうな。侵攻してくるαの奴らに撃ち抜かれたり焼かれるよりはマシだろ。そいつらの声よく聞いてみろ、いきなり登場した俺への恨み言より世の中に文句を言っている」
「その侵攻してくる奴らの方を殺せば良かったんじゃないか?」
「依頼側だったしなぁ。女や子ども、Ωしかいないこと知っててそれなりに気が引けてたのだろう。α兵士だって人間でトラウマも抱え込む。士気が下がる。だからって聖闘士を利用すんなって話だよな。まぁ全滅を確認させてからそっちも全員殺したけどさ。結果的に人数多くてさすがに疲れたわ。まだ何か不満?」
「不満ではない。理由があれば知りたいと思ったんだ。ただの殺しだとしても今さら何も言わん」
 そう告げたシュラはデスマスクを真っ直ぐ見つめる事で意思の強さを示した。以前のように裏切りを疑われてはかなわない。熱い視線にデスマスクの笑みが溢れる。
「クク…有言実行で真面目だなぁ。正直、戦争行為は人類が滅亡しないと無くならない。戦争は金になる。αやΩを消したところでβがおっ始めるだけだが、そこにはもう興味無い。俺だってアテナ始め神々が何を以って"世界の平和"とするのかよくわからん。究極を言えば"無"になるしかないんじゃねぇのって。エッチする時とかそのまま一つになってしまいたいと思うだろ?俺も思うし、本当に溶け合ってそうなった瞬間はもの凄い快感だと思うんだよ。でもさ、その先どうなるのかって考えると、一つになって満たされて終わり…もう抱き合えないしキスもできないし飯食ったり出掛けたり…喧嘩だって。そういうのが無い世界はなんか、寂しいよな。今を知ってるだけにさ」
 そっとデスマスクの手がシュラの指を摘んだ。
「そこまでいかない世界ってなんだろうな。性別も無く…いや、性別は選べる…。生き繋ぐために両性因子を持っていて、成長過程で体が変異するとか?何かそういう生物が既にいるよな。人間も進化すればいけるんじゃねぇ?何千年がかりなら。その切っ掛けを俺は作っている。そうなっても人である限り喧嘩はするし嫉妬も消えないから戦争の有無は求めていない。強ければ生き残れる。愛の自由のためΩとして今の世界を終わらせ、始まりを生み出したい。お前と俺が何者であれ不自由なく暮らしていける世界を…それだけなんだよ…」
 眉を寄せ、摘んでいた指をギュッと握って引き寄せられた。しばらく考えるように黙り込んで悪戯に指を揉まれる。
「なぁ、そんなのよりずっと良い話があるんだ」
 そう言うとデスマスクは曇り顔を消して花が咲くような笑顔を見せた。その瞳を見つめれば、また星空に新月が浮かぶ。ーー突然、死面たちの唸り声が一斉に止まった。

「俺は明日、五老峰の老師を討伐しに行く」

 晴れやかな笑顔のまま、囁かれた声が辺りの空気を震わせて静まり返った宮内に広がっていく。のも束の間、途端にドッと再開された死面の唸り声にたった今の言葉が幻のように思える。
「ハハ…なんて顔してんだよ?…遂にきたぜ…前聖戦の生き残り、天秤座の黄金聖闘士…」
 楽しそうな声とは裏腹にデスマスクは震えていた。歓喜か?…まさか怯え?シュラを握る手に、より一層力が込もる。その震えを隠すようにもう片方の手を上に添えた。
「なぁ…お前は今夜、宮にいるのか?…いるなら…抱いて欲しいんだけど…」
「予定は無い。教皇への報告も直ぐに済ませてこよう。準備を終えたら磨羯宮に来い」
 両手で包む手を持ち上げて、震える指に唇を寄せた。少しのコスモを込めて。
 その様子を眺めていたデスマスクは大きく息を吐いてからシュラの首元に顔を寄せ、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はぁっ…ヨシ…直ぐ行くからな!教皇に変なこと聞いて無駄話してくるんじゃねぇぞ!」
 包まれていた手も勢いよく引き抜いき、そのまま私室へと駆けて行く。バァン!と扉が閉まる音を聞いてから、シュラも教皇宮へと駆け出した。

「気が立っているようだな、山羊座。もう蟹座から話を聞いたか」
 教皇座に座るサガの姿は毛先は金色だが、仮面の内側は真っ黒だろう。アテナと射手座聖衣の出現から清らかなサガの姿を見掛ける機会が減った。こういう時こそ自責に明け暮れ投げ出さず、悔いているのなら責任を取る行動をするべきだろうと思うのに。
「お前と番になっていなければΩのフェロモンを使い天秤座を仕留めるのも容易かっただろうが、まぁ今の蟹座であれば心配は無いだろう」
「…俺と番っていなければお前が奪おうとしていたくせに何を言う。デスマスクはフェロモンを使わずとも実力はある。番う前からずっとだ」
「殻を纏っていればな。殻が砕かれれば心は弱い。そうならないようにお前がメンテナンスしておけ。天秤座を討てば蟹座はより強くなれるだろう。お前たちには迷いを断ち強くなってもらわねばならん。聖域のために」
 ため息を吐いたシュラは立ち上がり、教皇に背を向けた。その瞬間、空気が変わったことに気付き振り返る。
「聖域の、ために…」
 俯く教皇の仮面。絞り出された弱々しい声は清らかなサガのものだった。シュラはグッと歯を食いしばり、二度と振り返らず扉を開け放ち磨羯宮まで駆け足で下りて行く。
(サガは俺たちに討たれたいと願っているのか?そうすれば一人だけ悪を背負い終われるとでも?もう手遅れだというのに!わざわざ老師まで討たせようとして、三人の罪を平等にさせるつもりか?どこまで勝手なことを繰り返せば気が済むのだ!)
 自分がアイオロスに聖剣を向けたことなど、とっくに割り切っていた。――悪いのはサガだ――昔、アフロディーテを盾にしてシュラの様子を見に来たデスマスクにもそう伝えた。色々と考えはするがいつまでも悩むタイプではない。仲間を手に掛けた事も偽りの英雄であり続ける事も気にしていない。デスマスクも知っているはずだが…アフロディーテが白銀聖闘士を討伐した事で、デスマスクが心の底で思い詰めていたものが呼び覚まされた、気がする。

 磨羯宮の私室へ戻れば既に彼は来ており、居間のソファーでクッションを抱き匂いを嗅いでいた。どういう事か今日は珍しく首輪を着けていない。
「やっぱお前の部屋最高に癒される。いや、お前が一番良いのは大前提でさ。はぁ…俺の部屋に持ち帰っても匂い消えるんだよなぁ」
 聖衣を脱ぎ、シャワーを浴びる前にシュラもソファーへ腰掛けた。クッションを横に置いたデスマスクはシュラの肌に擦り寄って匂いを嗅ぐ。自分ではわからないがαのシュラからは森の匂いがするらしい。それだけを聞くとかつて山奥で修行に励んでいた身としては土臭さの方が思い出されて良い匂いというイメージは湧かない。しかしデスマスクがここまで好んでくれるのは嬉しいので否定するような事は言わないでいる。
「夕食はどうする」
 上腕に頬を付けているデスマスクの髪を撫でて聞けば面倒そうな声が返ってきた。
「んー…早くベッドに行きたいから適当にレトルトのやつでいいぞ」
「いつも通りだな」
 立ち上がったシュラは棚からレトルトのリゾットを取り出して食卓の上に置くと、そのままシャワーを浴びに行った。普段は何もしないデスマスクでも自分の都合に合わせて準備をしてくれる時もある。何もしていなければ自分がするだけだが…
 欲望に負けているデスマスクは、きっちり食事の準備を終えて待っていた。

「……っ…ん…ぅ……」
 今夜はわりと大人しく抱かれている。シュラの背中に回した腕は強くしがみ付き、少しでも離れるのを嫌がるようだった。弱さを出せば良いと言ってもすんなり素直になるわけではない。本心を我慢する癖はデスマスクの個性でもある。強要せず流れに任せていつも通りに抱いた。
 黄金聖闘士であればみな五老峰の老師に会った事がある。シュラとアフロディーテはその通り会って挨拶を交わしただけだが、デスマスクは二人が老師に面会する以前から縁があった。シチリアでの師はデスマスクのサイコキネシスを鍛え上げ、黄泉比良坂への道を開く能力を覚醒させた。蟹座聖闘士を目指す者の最低条件がそれだ。そして晴れて蟹座聖衣を手に入れた者は五老峰の老師から積尸気冥界波の教えを受けるのである。天秤座の老師が積尸気冥界波を使えるわけではなかったが、実際に過去の蟹座聖闘士が放つコスモの動きを見てきている。それをデスマスクに伝えた。語り継がれる書物を見ただけでは理解し難い特異な技はその強大さから蟹座聖衣を得た実力と正義を持つ者しか会得できない。自制の効かない邪な者がこの技を得ると世界が滅亡しかねないからだ。
「はぁっ…キス、しろよ、もっと……」
「顎を上げて首を出せ」
「ん…あとで首、噛んで…もうろくしたジジイにも、わかるようにな…っ…」
 デスマスクが老師を討つのはシュラがアイオロスを討つ事に匹敵する。アフロディーテが思い入れの無い白銀を討つのとは違う。それをおそらくサガも理解して、勅命を下した。
「ぅっ…ぐ…急に、ハヤ…っ…きもち、いい…?」
「イイ、さいこうだっ…何度でも、抱けるっ…!」
 耳元で快感を伝えれば、しがみ付く腕も体の内も嬉しい悲鳴を上げるように力が入りシュラを更に煽る。
「ぁ、あっ…やば…っ…しゅ…っ…ぁ…!」
「デス、抱き足りないっ…必ず、戻って来い!生きて、戻って来いっ…!」
「しゅらぁっ!…ころすっ…ころす!ぜったい、ろうしころしっ…ぐぅっ…!」
 首輪を着けてこなかった意味がわかった。噛まれたい、そう願うほどの不安。
 快感の波に押されるままデスマスクの顎を押さえ付けたシュラは番の証に重ねて牙を立てた。

「ゃだ…も…はぃらねぇ、よぉ…」
「吸収、できるんだろ?明日に備えてどんどん取り込め」
「それは…そうぃうイメージ、ってだけで…じっさい、どうかは…」
 力が抜け、デスマスクが虚ろになってもシュラは抱くのを止めず、噛み痕を舐めながら精を注ぎ続けた。受け止めきれなくてシーツを濡らし続ける体液はもう、どちらのものなのかわからない。ここまで無理をさせるのは初めてだ。
「五老峰へは腹の中のオレと行け、絶対に殺られるな。俺以外のαに殺されるのは許さない。…場合によっては引く事も考えろよ…」
 最後に小さく呟かれた言葉が妙に頭に響く中、デスマスクは瞼を閉じた。

ーつづくー

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