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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
12,30
「っ…!あなたは…!」
 ボロ布がはためいてシュラの姿が露わになる。振り下ろされた聖剣は磨羯宮の裏手を破壊した時に比べれば優しいものだ。同格の黄金相手ともなれば回避も容易いだろう。それでもシュラの内に渦巻く衝動をムウに解らせるには十分だった。
「刺客がデスマスクだけで済むはずないですよね…」
 十二宮戦の時、デスマスクが敗れた後に感じた怒りでムウはシュラが番であったことを知った。二人のことは子どもの頃の姿しか知らない。仲が良さそうには見えなかったものの、そこまで意外とも思わなかった。既に問題行動のあったデスマスクに対しても毛嫌いする事なく、仲間として普通に接していた…そうすることがシュラはできていたのだから。
「シュラよ、ムウの事はこのカミュに任せよ。この場まで崩壊させられると戦いにくくなってしまうからな」
 カミュの助けを得てシュラが危うくムウを"本当に"討伐してしまう事は避けられた。冷静であるつもりでも諦め切れない想いに気持ちが悪くなる。アテナに対しても、デスマスクに対しても。二人を共に選ぶことができなかった生き方にも。
 聖域に拳を向けた三人から流れ出た血の涙の意味は各々違っただろう。ただ、理由は何であれ聖闘士として忠誠を果たせなかったこと…結局はそこに帰結する。

 シオンの計らいによりムウとの闘いをすり抜けたシュラは巨蟹宮に映し出された黄泉比良坂に入っても何も感じなかった。ここにデスマスクはいない。かつては興味を抱いていた異界の地も、彼のものではなくなった途端に価値を感じなくなっていた。
「お前はミロに抱いていた気持ち、残っているか?」
 黄泉比良坂を駆け抜ける中、ふとシュラがカミュに声を掛けた。意外な言葉を投げ掛けられたカミュは答えるのを躊躇っている。
「好意があったのだろう?違うというなら変な事を言って済まないが」
「…いや…周りに察せられているのは感じていた。明確に言葉にした事は無かったが、それで合っている」
 気恥ずかしそうに、控えめな声でカミュは答えた。
「好意はあった。その記憶もあるが正直、お前たちのような激しい感情は抱いていなかったと思う。しかし…私は自らの遺体が埋葬されていた墓から出てきたわけだが、弟子の指導をしていた時の鍛錬服も共に埋められていたのだ。おそらく死者に持たせた遺品だろう。その時、ミロに関する物が見当たらなかったことに気付いて後悔を感じた。堂々と自身の物を埋葬できるような関係になれなかったことに。そう思えた事が、答えだと思う」
「後悔、か…。良かったな、お前もまたミロに縛られて。悔いの残らぬ人生が送れる奴などいるのだろうかな」
 たった今、巨蟹宮を操っている乙女座のシャカはどうだろう?殺してしまえばシャカでさえ聖闘士として悔いが残るだろうか?それとも全てを受け入れ輪廻の輪から外れていくのだろうか。
「デスマスクへの気持ちが枯れてもアイツに気を引かれる衝動を知ってしまうと、怖れるものが無くなるな。気持ち悪さの奥に妙な安心感がある」
「ふっ…そこまで想えるのも病的で心配になるぞ」
「クク…ハーデスのおかげで初めて聖闘士としての本領が発揮できそうだ。これが、最初で最後だろうがな」
 例え聖闘士としての功績を残せたとて自分が改心したわけではない。山羊座のシュラは裏切り者としてとうに死んでいる。何度引き戻されたとしてもそこに修正の必要はない。
 巨蟹宮を突破し駆け抜けて行く十二宮の中でかつての同志と向き合い、禁忌を犯し、視力を失った。そうなっても、どうせ借り物の体なのだからと問題にならなかった。光を失った視界はいつまた雪を踏みしめ、森に立ち入り、そして彼に出逢わせてくれるだろうか?…そんな期待さえ抱くほどで。
 聖域の頂き、生前果たせなかったアテナとの対面。シュラに成長した女神の姿は何も見えなかった。強大な神のコスモを感じるばかりで真っ暗な視界に光を感じることはない。自分は救いようのない程深い場所にいるのだと悟った。
 何も見えなくとも四方八方から感じるコスモで誰が何処にいるのかはわかる。それでもシュラの視界はアテナの"討伐"が果たされてもずっと、真っ暗闇のまま。

「…シュラよ…」
 アテナ討伐成功を告げるためハーデス城へ向かう最中、おそらくずっと声を掛けるタイミングを計っていただろうサガの気弱な声が漏れ聞こえた。シュラは前を向いたままその呼び掛けに答える。
「こんな時に悔いるなサガ。あなたが事件を起こしたことは事実だが、なぜそうなってしまったのか深く考える必要はあると思う」
「その必要はもうない。全て自身の弱さが招いたものだ…。そのせいでお前たち三人を巻き込んだ挙句、αとしても醜い事を繰り返してしまった。すまない…デスマスクやアフロディーテに詫びる余裕もなく…」
「俺があなたを許せる言い訳は、同じ人間であったこと。あなたも神に使われただけだと」
 弱々しいサガに対し、シュラは強く真っ直ぐ返した。顔を上げたサガは言葉の意味を受け止めると焦りを見せる。
「シュラ、その考え方は良くない」
「そうだな、あなたは自身を責めればいい。アテナのために」
 なぜ堂々とそんな事を言えるのか、アテナへの忠誠心が強い清らかなサガには理解できなかった。かつては共にアテナを想い世界の平和を願っていたはずなのに、その心全てをも自身が壊してしまったのではないかと――
「俺はもう責めない。全てを背負う覚悟ほど神が持つべきであり、また受け入れてこそ人の神であろうと思う。それくらいの強さ、我が女神であれば持っているはずだろう?そう信じることこそ、俺がアテナに捧げられる真実だ」
 シュラの何も映さない真っ暗な瞳がサガへ向けられニヤリと笑った。
「アテナに課せられた試練はサガだけではない。あれで終わりではないのだ。俺の事もそうだろう。最たるは史上最悪なΩの黄金聖闘士、デスマスクを受け入れられてこそアテナは完成されるのではないだろうか。それを信じたいと思う」
―それを見届ける事は、できないだろうが…―
 間もなく夜が明ける。仮初の体に終わりが来たと、誰かが笑った。それを聞いたところでシュラは絶望を感じるどころか思わず笑みが溢れてしまう。
(とうに死んだ俺に終わりなど…やっと、始まりに向かえるというのに)
「シュラ!」
 思いがけず掛けられた声に顔を上げれば、駆け寄る紫龍だった。姿は目に映らなくとも忘れられないコスモの一つだ。
―純粋で単純な小僧だな…―
 シュラを気遣う声にまた笑みが漏れる。きっと、最後に生かされた事や今回の復活の件で何か勘違いをしているのだろう。
(俺はデスマスクと同じ正真正銘の裏切り者だ、今でもお前は俺とデスマスクの仇でしかない…)
 番の関係が失われようとも、繋ぐ記憶が残る中でシュラは最後までデスマスクに寄り添い、灰となって消えた。

ーーー

 聖域の外れには聖闘士たちの墓場がある。爽やかに晴れた日の朝、度重なる戦いで荒れた墓をミロとアイオリアが修復していた。ミロはカミュの墓標のそばに落ちていた鍛錬着を手に取り、丁寧に埋め直す。冥闘士たちとの戦いで甦ったカミュの体は今度こそ灰となり失われてしまった。
「フ…私の墓はそのままか。お前たちも一度は死んだのだから墓標くらい立てたらどうだ?」
「ただでさえ聖域の修復に時間がかかるというのに、そんな無駄な事してられるかっ」
 ミロの背後にカミュが立っている。亡者ではない。ときおり吹く風に二人の髪が揺れている。
 カミュは自らの墓標のそばに並んで立つ三つの墓に目を向けた。荒れていたアフロディーテの墓標も整えられ、シュラとデスマスクの墓標は立てた当時の綺麗なまま。
「結局、この三人だけは戻って来なかったな…」
「…面倒くさい奴らには女神もお手上げだ」
 聖戦は終わった。数え切れない程の命を散らせて。女神アテナは地上に留まり、自らが不在であった十三年間を取り戻すべく聖域の復興に尽力している。偽の教皇令に従い死んでいった白銀聖闘士をはじめ、聖域の犠牲となったほとんどの聖闘士や雑兵は女神の声に耳を傾け奇跡の復活を遂げていた。
 ただ、黄金の中でもシュラ、デスマスク、アフロディーテだけは応えがなく復活を果たしていない。
「復活したところでまたΩというのも拒否したい理由なのかもな」
 一通り墓の整備を終えたアイオリアも三人の墓標の前まで戻って来る。復活を受け入れた者たちの第二性に変化は無かった。
「それでも番となって愛し合っていたはずなのに、不思議なものだ」
「そういうところが自分勝手なんだよ、あいつらは」
 カミュの疑問にミロはいつもの調子で返す。
 復活どころか、シュラとデスマスクに至ってはあの嘆きの壁の最終局面に於いても姿を見せなかった。聖衣は来た。しかしあれは黄金聖衣の意思。過去の正しい英霊たちが力を貸してくれただけの話。あそこに二人はいなかった。黄金聖闘士の全員がそれに気付いている。ただ、聖衣が嘆きの壁へ向かうのを雑兵たちも見ているし、その方が「裏切り者も心を入れ替え最後はアテナのために」と綺麗な物語になるから表向きは「全員が向かった」という話になっている。
「死んでまでも女神に迷惑を掛け続けるとか、そこまで"最悪"の称号が欲しいのかってよ」
 アテナは特にデスマスクの復活を強く望んでいたように思えた。何度も交渉を試みる姿に、ミロたちもアテナが思うところを察せずにはいられない。結局、理想的な聖域復興の夢は不義理な三人のおかげで早々に崩れ去ってしまった。
 復活拒否を女神に受け入れさせたデスマスクは、こんな形であれ初めて神に勝ったと言えるだろう。アテナならば強制的に復活させることもできたはずだ。しかし、それはしなかった。これはアテナがデスマスクに与えられる唯一の愛であり、復活拒否を受け入れた結果こそシュラが女神に期待した真実である。
「最初から山羊座、蟹座、魚座はいなかった…そう思った方がいいかもな」
「思ってもないことを言うな。彼らの存在がどれほど聖域にとって重要だったか…考えなくともわかるだろう」
 カミュの言葉にミロは瞼を閉じ、アイオリアは小さく頷いた。
 犯した罪は重い。桁違いの殺人をしている。それでも三人がいなければ聖域は間違いを犯さなかっただなんて、決して言えない。アテナの成長を待ったが故の犠牲者とも言える。
「…性に縛られない世界…そんなものが冥界以外にあるのかは知らないが、さっさとそっちで復活してりゃあ良いんだよ…そうすればアイツらも殺人なんかしなくて済むだろ」
「そうだな。そうする必要のない、憎むべきものの無い世界ならもっと違う生き方ができるだろう」
 アイオリアは近くにある雑草の小さな花を摘み、三人の墓標にそれぞれ捧げた。辺りには既に誰かが捧げて枯れた花が多く積まれている。決して口にはしないが、皆がまたこの三人に会えたら…という期待は持っていた。その想いにも別れを告げる時が来たようだ。
 沈黙の後、カミュはそっとミロの背中に手を当てて墓標を後にする。その後ろ姿を見てアイオリアは軽く微笑んだ。
「生き方は何も決められていないからな。それぞれであればいい。自分勝手とは言われるが、そう生きるのも容易くはないのだ。強い意志を持ち、βとΩを乗り越えたお前たちが示してくれた説得力は凄まじいぞ」
 Ωに抗い、βに抗い、αに抗い抜いた先。その先が例え真っ暗闇の中であろうとも、神の救いに耳を傾けず自らを貫き絶望を知る二人が畏れるものなんて、もはや無いだろう。
――さようなら――

ーーー

 20世紀に降臨したアテナが地上を去ると、築き上げた平和は次第に乱れ人類の争いは繰り返された。数世紀おきにアテナは降臨し乱れた地上を治めては去って行くが、遂にオメガバースは絶滅する。
 αの遺伝子を注入され一時的に力を得た聖闘士たちが造られる時代もあった。しかしそれは神の意に反し自然の摂理に背く行為。再誕したアテナは成長と共にその実態を知り、直ちに止めさせた。こうして聖域の聖闘士までもが全てβ…男女性のみの姿になったのである。
 オメガバース終焉の要因は戦争のみならず、戦地から離れた国では人工知能との疑似恋愛に傾倒した人々の増加も影響した。支配国は脅威となりうる国に対し、武力を使わず娯楽と情報戦線により数十年余りで一気に衰退させる事に成功したのだ。βの人口が増すとαやΩに対する注意喚起が増長した。「αやΩを守るため」を口実に、一見優しい世界は次第に彼らを閉鎖的な空間へ追いやっていく。フェロモンが危険だから、事件を起こさないように…前時代以上に強くそう刷り込まれて。自身の存在が他人を脅かさないようにと考えるαやΩの子どもたちは家にこもり、番を持たずに命の無い理想のパートナー像と楽しく生涯を終えていった。賢いαの大人さえ絶えてしまえば、生まれてくるαの子どもなど覚醒前から刷り込んで意のままにできる。もちろん例外もいたし、彼らの種を保護保存しようとする勢力もあったが時間の問題だった。じわりじわりと長い年月をかけてオメガバースは終わりを迎えたのだ。
 それにより人類が大幅に減少した未来。人工知能に惑わされず人が人を好き合って血を繋いでいくという愛と神秘は、一部の上流社会でのみその重要性が教育され、また推奨された。その時代は進化の過程で男女の性別すらあやふやになっていた。
 ここは人の本能に従い、勝ち残れる者たちが繋ぐ世界。

《入学早々だけど今日は調子悪いから休むよ、講義の内容だけまた送信しといて》
 幼馴染の連絡を受けた銀髪の若者は、一人で学舎へ入って行く。この時代、勉強や教育は全て自宅に居ながら通信で完結できるのだが、学校という教育現場が失われたわけではない。ただその数は世界的にみても少なく、貴重な社交場として人気が高かった学校は各国トップクラスの学力を持つ者か富裕層しか通うことができなかった。
(休みかぁ…一人…でも良いけど…。あ、あいつ…いるなぁ…)
 教室の扉を開けた若者は黒髪の体格が良い若者を見つけて声を掛ける。
「隣、座ってもいいか?」
「どうぞ」
 チラ、と銀髪の若者を見た黒髪の若者は短く答えると、鞄を寄せて席を空けた。
「なぁ…お前男っぽいけど、男?」
「九割くらいな」
「九割⁈今時すげぇ、あの伝説の聖闘士ってやつになれるんじゃねぇの」
「あれは女寄りでもなれるだろ。それにお前も俺とそう変わらないと思うが」
「でも俺コレでダブルだもん、中途半端じゃねぇ?」
「べつに」
 大学へ進学してまだ数日。二人が言葉を交わすのは初めてだ。機能するかは別として両性具有が当たり前となった時代にこの黒髪の若者はいかにも男性らしい容姿で目立っていた。銀髪の若者も背はすらりと高く顔付きも男性寄りだったが、どんなに鍛えても肉付きが女性っぽい気がして不満がある。家族も全員女性寄りであったため、男性らしい人物に興味があった。
「それ何読んでんの?…あ、人類学の教材?」
 黒髪の若者はいつも一人で休み時間も勉強をしている。興味を持って彼に話し掛ける者たちは他にもいたが、二、三回言葉を交わして去るのが精一杯な感じだった。さっきも会話を終了させられた気がするものの、銀髪の若者は食い付いていく。
「昔は普通だったっていうオメガバース、何で絶えたんだろうな。今でも残ってる生物はいるってのにさ。そりゃ人類にとって不都合があったんだろうけどよ、αとΩの運命とか何か凄いよなぁ」
「…お前はそういうのに憧れるのか?」
 そうだな、で終わるかと思いきや意外にも聞き返されてしまった。ちょっと嬉しい。
「そりゃあ、どんなもんか見てみたくねぇ?」
「αがΩを好きになるわけでもなく、Ωがαを好きになるわけでもないんだぞ。βを好きになっても結ばれないとか悲惨だと思わないか」
「まぁ現実的にはそういうのが多くて滅んだんだろうしなぁ…でもなぁ」
「フ…案外ロマンチックなものが好きなんだな」
 軽く笑いが漏れる。緩んだ表情を見るのは初めてだ。なぜか嬉しい。
「おい案外、って…今日初めて喋って俺のこと知らねぇくせに失礼だろ!」
「ハハ…すまん、俺にはそういう所があるんだ。だからあまり喋らないようにしているんだがな」
「あぁ…ちょっと残念な奴なんだな…了解…」
 この若者の情報を一つ引き出すことに成功した。失礼な奴…もとい不器用な奴らしい。自分の成果に自信が増してやっぱり嬉しくなる。
「今日はあのヴェルサイユ貴族みたいな奴は一緒じゃないのか?」
 さらに初めて話題を振られた!だが内容が自分ではなく幼馴染の連れの事で何故だか胸がジリつく。あいつの方が容姿は良いしこいつと同じく目立つから、やはり気になるのか。
「ヴェルサイユ?旧フランス王国の?すげぇ古臭い例え方だな…金髪ロン毛のあいつは今日休みなんだよ」
「それで俺のところに?」
「あぁ、お前よく一人でいるし気になってたから喋ってみたくて」
「俺を?」
 顔をしかめてなぜか全身を眺められる。
「お、おうっ…な、なんだよ!警戒すんなよ!」
「いや、俺を気にするなんて意外だと思っただけだ」
「そうか?あんたと喋ってみたい奴は多いと思うぞ。顔も体格も良いし」
「見た目か」
 呆れたように溜め息を吐かれてしまった。何か気に障ることを言ってしまったのか、よくわからず焦りが出てしまう。
「お前さ、見た目はやっぱ重要だって!さっき自分だって俺のこと見た目で判断ただろうが!俺もヴィジュアル悪く無ぇけど、いつもいる連れがあんなんだから良さが霞んじまうんだよなぁ。あ〜モテたい」
「ククッ…」
 笑った。正解かわからないが嬉しい。何で自分は今、こんなに振り回されてるのだろうか。
「あ〜バカにした笑い。どうせお前みたいな奴ぁ"好きな人が俺を好きでいてくれればいい"とか言うタイプだろ」
「フフ、そうだな。俺はモテる必要を感じない。好きになった奴が俺だけを好きでいればいい」
――それに選ばれたい――
 言葉を聞いた瞬間、そんな想いが胸を突き抜けてどこかへ飛んでいった。自分に動揺してしまう。
「……っ……くそ、嫉妬するわ。その自信。αってのが実在したらそんな感じなんだろうな」
 乗り出していた体を引いて少し距離を取る。食い付こうとガツガツしていた姿に恥じらいを感じた。
「ただの個性だ。そういう枠にはめてくれるな」
 黒髪の若者はそこまで話すと再び勉強を始めてしまった。講義開始までまだ時間はある。これ以上は邪魔になるだろうか…そう思ってももっと二人の時間を引き延ばしたい気持ちに負けてしまう。
(だって、まだ誰も手がつけられないこいつを早く自分のものにしてみたい…!)
 理由はわからない。でも"そうしないといけない"なんて思う焦りが単刀直入に出てしまった。
「…なぁ、お前って今までに誰か好きになったことあるか?恋愛って意味で」
「意識したこと無いな。恋愛相談は俺向きじゃない、他を当たってくれ」
 切られてしまった。もう限界か?でも何故か、自分なら許してもらえるような気がして。
「あ〜いや、俺も無いんだけどさ、どうすりゃあ人を好きになれるのかわかんなくてよ…だから誰かが俺を好きになってくれたら楽なのになって。昔あったらしい"お見合い"とかで他人がくっ付けてくれるのとか、どうして廃れたんだろうな。人類激減したのって自由恋愛が難し過ぎるからじゃねぇの」
 自分でも何を言っているのかよくわからなかった。恋愛相談を断られたのに無視して相談してしまった。これはさすがに駄目かもしれない。
「お前は家族から結婚を期待されているのか」
 会話を続けてもらえた言葉に心底嬉しくなる。何だろう、もうずっとこいつの言葉に浮ついてばかりだ。
「ん〜…まぁ、オレサマも良いとこの子だし。強要はされないが考えねぇ?お前だってここに来てるって事は後継ぎ欲しい家系だろ」
「まだ学生だから先のことは考えていない。だからそういう話は他を当たれ」
(考えてない…)
 それはこの先考える時が来るだろうという事で。
(その時こいつの隣に俺がいたら…)
 銀髪の若者は考えながら、黒髪の彼をじっと見つめていた。期待が向けられる瞳を黒髪の若者も見つめ返す。灰色の、星の瞬きのような瞳。
「…なぁ、そんなに俺が気になるのか?」
「…気になる…」
 黒髪の若者の瞳は真っ暗だった。見つめ返されるとその深淵に吸い込まれてしまいそうで…。
「俺のこと、好きなのか?」
 全身がゾワンと震える。あぁ、言ってしまう。初めて喋る相手だというのに、何かが自分の内から引き摺り出されてしまいそうで怖いのに、捧げたくなってしまう。
「…好き…に、なったらどうする?」
 どうにか耐えて、自然を装いながら視線を外した。
「俺がお前を好きにならない限り興味は無いな」
 当たり前の答え。こいつは自分に興味がないのに、俺は何でこんなにも惹かれてしまう?
「どうしたら好きになってくれんの?」
「おいおい…本気かお前。喋るのは今が初めてだし入学してからもまだ数日しか経ってないんだぞ?俺はやめとけ、もっとお前に合う奴いるだろう」
「みんなそう言うんだよ、俺マジで悩んでんだけどなぁ…」
「…あの連れはどうなんだ」
「あいつも俺に気は無いし、それこそ"お前に相応しいのは別にいる"とか言いやがるし…仲良いけどそれだけ」
 普段からよく聞かれる幼馴染との関係。やはりこいつも気になるのかと少し機嫌が悪くなる。
「お前は今日いつもの連れがいないから俺に構ってるだけだろ?あいつが戻れば俺なんか関係なくなるし、本気でモテたいのなら誰かと連むのをやめてみたらどうだ。隣に誰かいると声が掛けられない奴もいるだろ」
「あ〜孤高ってやつも憧れるよなぁ」
 そこまで話した時に教授が入ってきて、初めての会話は終了した。それから銀髪の若者は「孤高ってやつやってんの」と言って学校では幼馴染と過ごす時間を減らした。
(確かに一人でいる方が話し掛けられやすい気がする…)
 でも誰にも興味はわかなかった。だって、もう自分が話し掛けて欲しいのはあの黒髪の奴だけで…。
(…お前見てる?俺マジでお前の適当なアドバイス実践しちゃってんだけど…)
 そう心で思いながら黒髪の若者を見掛ければニッコリ笑ってみせる。時々彼も呆れた笑みを返してくれるようになった。黒髪の彼は相変わらずいつも一人でいる。
 その現状に満足していたある日、幼馴染と黒髪の若者が二人でいるところを見た。きっとすぐに会話は終わるだろうと思ったが、なかなか離れない。
(…あいつら、仲良いのか?)
 よく知る幼馴染が相手だというのに、胸がジリジリと焼け付いていく。
(…まさか、あの野郎…!連れの方を狙っててわざと俺を遠ざけた⁈)
 考えていたことの全てが逆だったというのか。そう気付いた途端に胸が押し潰されそうで苦しくなる。自分なんか最初から相手にされておらず、返してくれる笑みも馬鹿にされていただけだったかもしれない。恥ずかし過ぎて血の気も引いていく。
「…どうした、調子でも悪いのか」
 いつの間にか二人の会話は終わっていて、立ち尽くしていた若者に黒髪の彼が珍しく声を掛けた。
「なんでも、ねぇ…」
 声を絞り出して後退る体が捕らえられる。体温を感じる。本当なら嬉しいはずなのに、こんな時に、なんで。
「自分でわかってないのか?医務室へ行った方がいい」
「大丈夫だっつってんだろ!」
 突っぱねて暴れようとしても強い力で抱き止められてしまう。だから、なんで今…!
「俺に興味無ぇなら放っとけよクソ野郎!望み通りお前の事なんかスッパリ諦めてやるよ!」
 突然爆発した不機嫌の原因を喚き散らしながら、銀髪の若者は二人に医務室へと連れ込まれて行った。

「言いたいことは言い切ったか?」
 二人への文句を吐き出して言う事が無くなった銀髪の若者は、ベッドの上で横になり反対側を向いていた。起きていても返事は無い。その隣で幼馴染と黒髪の若者が話を始める。
「…まぁ、この通り勘違いが暴走するほどこいつは俺が気になって仕方がないらしい」
「この子で良ければ引き取ってよ。私は全然構わないから。正直、君だって上手いこと言って私を遠ざけようとしたんだろ?」
「いや、そう考えたわけではないが…」
 黒髪の若者は眉をしかめた。しかしそれを無視して幼馴染は銀髪の彼について語る。
「彼は昔からずっと恋愛に憧れていたんだ。だけど誰彼構わず好きになるような事は無かった。誰かを好きになりたいけど、なれないって。人工知能に理想を叩き込んでみればいいのに、それも違うからと実行しなくて。そんな彼が入学式の帰りに君の話をしたんだよね。まさかこんなに肉食系で攻めるとは思わなかったけど、まぁ案外可愛いもんでしょ」
 背を向けたままでいる銀髪の幼馴染に視線を向けた。黒髪の若者もつられて彼を見る。
「何かさ、彼が君の話をした時に感じたんだ。あぁ、お迎えが来たんだ、やっと送り出せる、って。良い意味でだぞ?親でもないのに変だよな。でもそう感じたし、君なら預けても大丈夫かなって」
「いや、まだ引き取るとかそういう事までは考えていない…」
「君も強情だな。話し掛けてくる奴は他にもたくさんいるくせに全く気にも止めず、一人でいる彼を見つけてニヤつくくらいには下品な下心、漏れ出てるぞ」
 返す言葉も無い黒髪の若者を残して幼馴染は「講義の時間だから」と医務室を去って行った。二人きりになった部屋。しばらく続いた沈黙を破ったのは銀髪の彼の声。
「…お前も見てたんだ…俺のこと」
「まぁ…どんなもんかと思ってな」
 あれだけ幼馴染に突かれてもまだ本心を隠してぶっきらぼうに答える。でも嬉しい、黒髪の彼が自分のことを見てる事実が。
 銀髪の若者は寝返りをうって黒髪の若者を見上げた。気付いた瞳がぶつかって、見つめ合う。
 あの真っ黒な瞳の奥で何を考えているのかわからない、でも見られれば見られるほど体の芯がザワついて嬉しくなる。いつか、捕えられて呑み込まれてしまいたい…何だろうこの気持ち。
(俺はあいつのこと好き?)
――…好き…大好き…隠し切れない――
(俺たち結婚もできるしダブルな俺の体は施術がなくても子ども産めるんだぜ。お前になら抱かれたいよ、それがいい。ああもうボロボロになってもいいから全てを捧げてしまいたい…)
「好きになるって、考えてわかるもんじゃねぇんだ…」
 ぽつりと呟いた言葉を聞いて黒髪の彼は苦笑いした。
「…そのようだな…」
 低い声が静かに響いて、伸びてくる彼の大きな手が銀髪に触れる。撫でる。嬉しくて笑うと彼も微笑んだ。
――αやΩに頼らなくても、運命ってあるのかも…――
 始まりを意識した。平穏の崩壊、底知れぬ愛の解放。
 なんでも許されて叶う世界で俺たちはどんな悲劇に見舞われるのだろう。そしてやはり神を憎んでしまうのか?また最期まで付き合ってくれる?
 知らないのに知っている。二人の結末を。いつも二人で、奈落の底を歩いて行く。

ーおわりー

********

1年間お付き合いいただきありがとうございました(゚∀゚`)どうにか年内に完結させる事ができたのですが、色々と辻褄合わせや話の回収、言葉の追加やらが必要な部分も多々あるのでここからまた修正を重ねていきたいと思います!
字書きの基本がなってないとも思いますので、できる限り良い状態に仕上げられるよう努力します。

本編は全文pixiv投稿予定。
紙本には時間が許す限り挿絵や落書きにペン入れしたり、可能なら漫画追加したり、本編を書くにあたり組み上げた設定(前世とか未来とか)など色々ぶっ込みたいと考えています。無駄に頁数増えてまたもマニア向けな感じになりますが、よろしければ手にして頂けると嬉しいです(゚∀゚)

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2024
12,13
「さっきさ、すんごく強い光の星が続けて二つ流れたの見たか?」
 聖域、サガが青銅に敗れ邪悪は消え去ったという。アテナ神殿の前で女神復活に沸く人々の傍ら、ムウに仕える幼い能力者の貴鬼がそばで立ち尽くしていたミロに話し掛けた。
「…あぁ、魂が燃え尽きたようだったな」
「えぇ?そんな物騒なこと言うなよぉ!」
 だが実際、青銅との闘いで多くの命が失われた。デスマスク、シュラ、アフロディーテ、サガはわかる。いくら自らの正義を持っていようともアテナに背いていたのだから当然だ。白銀聖闘士の多くが死ななければいけなかった理由は何だろう。
(そしてカミュよ…なぜお前まで…!)
 師として、黄金聖闘士として弟子の前に立ちはだかり、そして散った。聖域にアテナを帰還させる一欠片として、聖戦に参加する事なく生涯を終えさせられた。この現実はアテナに背く気など全く無いとはいえ…残酷で辛い。自分たちは番でも何でもなかった。ただのαとαだった。気持ちも最後まで交わらなかったが、友情を超えた仲であったと思っている。だからこそ、尚更…あと少し、時間が与えられていたらと…!
(デスマスクはカミュの死さえも、αが一人減ったと喜ぶのだろうか…。あいつはもし、こうして一人残されたらどうしていた?)
「…くっそ、あんな奴死んで清々したというのに、それでも引っかかってくるなど…!」
 神に翻弄されるだけの人生、宿命。人として、それに抗おうとした。神から力を与えられ、Ωという試練を与えられ、乗り越えてなお望めば呆気なく叩き潰される。死なない神々に儚い命の聖闘士は本当に必要なのだろうか…?
「サガのことか?根は悪い奴じゃなかったってムウ様言ってたぞ」
(あぁ、いっそのこと何から何まで間違いだらけのクソ野郎だったら…!)
 ミロは歯を食いしばって空を見上げた。アテナ神殿は聖域の頂きにある。闘いも終わり、澄んだ広い空にはいつもより多くの星が瞬いているように見えた。古からの聖闘士たちが、聖域を見守るかのように。…きっと、彼らはそこから抜け出した。
「…生まれた時から根っからの悪など一人もいないだろう。全員、アテナの聖闘士なのだぞ」
「…そうだよな。何で仲間なのに闘わなきゃいけなかったんだろうな」
 紐解いていけばきっとどうしようもない理由だろう。でも人々はぼんやり残る違和感に蓋をして、勝ち残った正義を讃える。
(そんな茶番に付き合ってる暇も無いってことか。お前たちはつくづく自分勝手だな…)
――それくらい、愛し愛されてみたかった。
(…いや、それは俺次第…)
「ミロ?戻るのか?」
 カツ、と音を立て不意に向けられた背中に貴鬼は声を掛けた。
「先にカミュの所へ戻ると伝えてくれ。急いで遺体を安置してきただけだからな、綺麗な姿にしてやりたい」
 ミロは歓喜に沸き立つ広場をひっそりと抜け、一人カミュの眠る宝瓶宮へと帰って行った。

 アテナの帰還から数日後、十二宮の闘いで命を落とした聖闘士たちの埋葬が終わった。シュラとデスマスクの二人だけは遺体が残っていない。それを好都合として彼らの墓標を立てる事に反対する声が一部で上がった。Ωであったうえに虐殺を繰り返した黄金聖闘士の記録など聖域史の恥という声が。それを支えた番の存在も。設置に賛成する者でさえ、造反者の結末とアテナの正当性を永久に伝え残す必要があるという意味で議論した。
 アテナは"全ての聖闘士を弔う"ために墓標の設置を譲らなかった。また黄金聖闘士の中でもアイオリアが墓標の設置を強く支持した。――二人を省くのは今生アテナの愛と正義に泥を塗る事へと繋がる…その結論もアテナの思う内とは異なるものではあるが、そう理由付けた聖域はシュラとデスマスクの墓標設置を決めた。そうして何も眠っていない空っぽの墓標が二基、アフロディーテの墓の隣に立てられたのだ。

 巨蟹宮を埋め尽くしていた死面はデスマスクの死と同時に全て消え去った。それでもどこか薄暗い宮内をミロは私室に向かって歩いて行く。
 亡くなった聖闘士たちを埋葬する前に遺品の整理が行われた。必要と思われたものは遺体と共に納めるためだ。カミュにはシベリアでの弟子育成時に着ていた服を一緒に持たせた。命を賭けて育て上げた弟子との思い出と共に眠ってほしいという願いを込めて。ミロは自身とカミュに関わる物を持たせる事はやめた。
 アフロディーテには双魚宮の庭に育っていた薔薇の枝葉、デスマスク、シュラ、サガとの幼い頃の写真を。サガにはアイオロスとの写真、事件を起こす前に着ていた鍛錬服を持たせた。
(遺体が無いのであれば何かを持たせるという概念も生まれないだろうに…)
 ミロはデスマスクが使っていた私室の扉を開けて真っ直ぐ居間の方へと向かう。十二宮に併設されている私室の間取りは基本的にどこもほとんど同じだ。いきなり寝室といったプライベートな部屋に入る気は無い。
(もっと散らかっているかと思ったがアッサリした部屋だな…)
 デスマスクの騒々しい個性から私室も物で溢れているような状況を想像していたが、それは裏切られた。本が積まれていたり生活感は感じられるものの、家具や生活雑貨は支給品で収まっている。
(…案外ケチな奴なのかもな…)
 これといって遺品と言えそうな物は無い。食器や本でも良いが、特別気に入っていたという情報など何も知らないので残すほどの物とは思えなかった。
 ミロは一つため息をついてから次に寝室へ向かう。正直、デスマスクだからと言うよりもΩの寝室としてここを見るのは躊躇われた。しかも十二宮戦当日の朝にシュラが巨蟹宮を訪ねていたことを知っている。なぜ自分が最初にこの部屋の扉を開けなければならないのかと、役を振ったアイオリアとムウを思い出して顔をしかめた。
(アルデバランが一番適任と思ったのに、デスマスクにトラウマがあるとか逃げやがって…)
 俯きながらギィ、っと扉を押して、思い切って顔を上げる。

「……っ⁈……」

 一瞬…――そこにデスマスクが眠っているのかと錯覚した。しかし直ぐにそれは積み上げられた服の山だとわかった。
(…なんだってこんなにもベッドの上に服が出しっ放しなんだ。あんな時に洗濯でもしたのか?)
 それにしても量が多い。こんなに必要ないだろうと思いながら二、三枚手に取ってみる。そして気付いた。枕元の棚に置かれた細い黒革の首輪。デスマスクがΩであった証。
(…まさか、これが…Ωの作る、巣…?)
 以前、何の時だったかシュラの服を抱えたデスマスクとすれ違った事がある。これがΩだと言わんばかりにその匂いを嗅いで見せて。
(これは全てシュラの服か…⁈)
 そう理解した途端、神聖な物に触ってしまった気がしてミロは慌てて手にしていた服を戻した。たかがデスマスクの作ったものであるというのになぜそう感じたのかはわからない。最初に錯覚したデスマスクの姿が妙にリアルに感じられたこと、この中で眠ることがΩにとっての至福であるのだろうということ、他人の番のものに触れた禁忌感が突然ミロを襲った。
(…くそ、俺がαだからか…たかがこんな物で…。しかし奴らはもういない。これも片付けないと…)
 積み上げられた服の山を視線でぐるっと確認してから再びデスマスクの首輪に目を向けた。
(遺品…と言えばコレなのだろうが、死んでまでも墓の底にΩの証を埋められたいものだろうか…)
 そっと指先を伸ばして首輪に触れてみる。嫌な感じはしない。そのまま手にして間近で眺めてみた。思えば番ができて首輪を着ける必要が無くなってからも時々この細い首輪を着けていたことを思い出す。首を守るというより服飾品なのだろう。
(気に入っていた物であるならば、これでもいいか…)
 遺品として首輪を埋めてやろう――僅かばかりの嫌味も含めてそう決めたミロは首輪が置かれていた隣に積み上がっている手帳の山も何気なく手にして開いてみた。
――そしてこれも手にして後悔した。
 何かがびっしりと書き込まれた手帳。字が下手なうえに何語かわからない。辛うじてわかるフランス語ではない。きっとイタリア語かスペイン語に違いない。何が書いてあるのかわからないのに、書き込んだ者の凄まじい執念はひしひしと伝わってくる。αの放つ圧を超えた怖さを感じる。
(何なのかわからないというのに、シュラの仕業だろうと思えてしまうな…)
 パタンと閉じて首輪と一緒に手帳の山も全て掴んだ。正解などわからない。深く詮索するつもりはない。ただ燃やしてしまうのは何となく気分が悪い。
(まとめて墓に埋めてしまおう…)
 勢いよく立ち上がったミロは部屋をそのままにして一旦退室した。Ωの巣の解体は自分一人では何だか荷が重い。アイオリアたちと分担してシュラの服は処分しようと考えた。

「そっちは何かあったか?」
 教皇宮へデスマスクの遺品を運ぶ途中、ちょうど磨羯宮から出てきたアイオリアと遭遇した。二人は崩壊したままの広場で互いが持つ遺品を見せ合う。シュラの遺品整理を任されたアイオリアは「これが気になる」と細い黒革のアンクレットを差し出した。そしてミロが持つ首輪と何度か交互に見てからぽつりと呟いた。
「…何か、こっちが恥ずかしくなってしまうな…」
「…わかるぞ…いっそ全く知らない他人だったら何も思わないのにな。あの二人がって思うと色々キツいよな…」
 一見、地味で寡黙そうなシュラがあのデスマスクを相手に甘いことを言ったり我が儘を聞いたりお揃いのアクセサリーを着けたりなんか、イメージ崩壊で見たくないし考えたくもない。しかし死してもなお、たかが遺品で見せつけられるとは。
「意外だが、心から好きだったんだろうな。デスマスクのこと」
「あぁ、俺もこの手帳を見て察した。デスマスクがシュラを誑かしたと思っていたが、シュラの方もヤバかったってのをな」
 歩き出した二人は瓦礫の山を軽々と飛び越えながら教皇宮へと向かう。この崩壊した磨羯宮の裏手の惨状もシュラがデスマスクを想い過ぎた証だ。あの時聖域にいた全員が感じている。本来ならばアテナへ向けられるべき愛と忠誠はここに無い。
「…こんなこと大きくは言えないが、少し羨ましくも思える…」
「フッ、聖闘士としては好き勝手に振る舞って滅茶苦茶にした奴らだ。他では言わない方がいいな」
「あぁ…だから思うんだ。この遺品の埋葬も何か言われるかもしれない。アテナにはお伝えするが、二人の墓標が立ってから後でこっそり埋葬しないか?聖闘士として問題があったのは承知しているが、番として二人を共に眠らせてやれないだろうか」
 アイオリアがそう思うのには理由があった。兄であるアイオロスの遺体も聖域の墓標の下にはない。アテナを託された城戸光政の手でどこかに埋葬されているとは思うが今となっては誰もわからない。
「聞いたことあるかもしれないが、兄の時も二人と同じように墓標に反対する者たちがいたんだ。黄金とは言え逆賊者の墓は要らないとな。その反対を押し切って墓を立ててくれたのがシュラ、デスマスク、アフロディーテだった。三人で偽教皇と大人たちを説得してさ。今思えば真実を知っていたからだとわかるが、当時は悪い事をしたっていう兄に対してそうしてくれる姿は本当に格好良かった…」
 辿り着いた教皇宮の扉の前で立ち止まる。
「俺の自己満足でしかないが礼がしたい。本当に悪い事をしていようとも、あの時の姿に」
 真っ直ぐそう語るアイオリアの瞳に、ミロは頷くしかなかった。
 その願い通りシュラのアンクレットとデスマスクの首輪、シュラが書き残した手帳は墓標の設置からしばらく経ったある日の夜、アイオリアの手でひっそりと二人の墓の下に埋められた。これはアテナと残された黄金聖闘士たちしか知らない。
(全く何も残さなかった二人は魂も消えてしまったのだろうか…)
 広い夜空に瞬くたくさんの星を見上げても、そこに二人がいる気はしなかった。今夜は月が隠れているため星の光が明るい。彼らが向かった先は光ではなく…。
 真っ暗な新月の影のその奥に目を凝らしてから墓標に花を添えて、アイオリアは獅子宮へと戻って行った。
 その墓の下には何も眠っていない…だから、ハーデスの傀儡が聖域に侵攻した夜も二人の墓だけは荒れることなく、遺品は静かに眠り続け守られた。

ーーーーー

――死からどれくらいの時が地上では流れたのだろう。
 共に逝けなかったシュラを追い掛け続けてそのまま流転するはずだった。高い天から真っ暗な地の底へと落ち続けていたのに突然強い力で引き上げられ、終わったはずの"デスマスク"に無理矢理縛り付けられる…そう感じた時――
「…デスマスク」
 二度と呼ばれないはずの名前を聞いて瞼を持ち上げた。もう見れないはずのシュラの姿が目の前に在る。
「…死んだんじゃねぇの…どうなってんだ」
 ゆっくり起き上がれば二人の姿は魂ではなく肉体を持っているのがわかった。傷も何もない綺麗な体だ。
「ハーデスから聞いてないのか?特別に再生されたんだ。俺たちは体が残らなかったから」
 辺りを見渡すと聖域ではないどこかの宮殿の一室にいた。隣にいるシュラがデスマスクの顔を覗き込んで呟く。
「俺がわかる…よな?」
「…シュラ」
 低い声で短く答える。せっかく想い人に会えたというのに、二人とも感動の再会とは程遠い雰囲気でどこかぎこちなかった。
「お前が目覚める前に冥闘士が来て雑な説明をされたが、今から聖域に戻るぞ。そこでシオン様が待っている」
「シオン様も?」
 かつて慕っていた唯一の大人の名を聞いて、デスマスクのコスモが揺れた。
「ハーデスの手先として一部の聖闘士が復活させられたようだな。嘘ではない証明にシオン様からも直接声とコスモが届いた。あそこに戻らなければまた殺されると思うぞ」
 そう言いながらシュラは立ち上がったが、デスマスクは座ったままで動かない。
「……それでも、いいけど」
 その言葉に一瞬は望み通り置いていこうかと思った。その方がデスマスクにとって良いことなのかもしれない。聖域は彼を傷付け過ぎた。しかし…
「シオン様が待っている、行くんだ」
 シュラはデスマスクの腕を強く掴んで立ち上がらせる。彼の望みよりも「連れて行くべき」という使命感を優先した。
 デスマスクの最後の姿を覚えている。目を逸らしたくなる可哀想な姿。あれは紛れもなくデスマスクだった。今、目の前に立っているのは誰だろう?生前の綺麗な姿で、その首にシュラの噛み痕は、無い。
「仕事が雑だな。神であろうと完璧な再生は無理だったか…」
 愚痴りながら"デスマスク"の腕を引いてシュラは聖域へと向かった。
 二人とも記憶は残っていた。βとΩで愛し合って、αとΩで番い合って、何度も体を重ねてお互いを求め続け散ったこと。好きで好きで仕方がなかった記憶はあるのに、今二人が抱く感情はまるで出逢ったばかりの頃のような…愛が目覚める前に戻ってしまったようだった。
 冥界に生き、身体が特殊な冥闘士にオメガバースは存在しない。それは地上に生きる者たちだけに与えられた枷。
「まさか理想が並行世界に存在するとはな…お前は知っていたのか?死者にオメガバースが存在しないこと」
「……まぁ普通に考えれば死にゃあ終わりだし。それでも未練たらしい元Ωはよく見かけたが」
「お前は、そうならずに済んだんだな」
 その言葉にデスマスクは顔をしかめた。済んでない。自分だって本当に死んでからも最後までシュラを追いかけ続けていたのを覚えている。逃げて行ったこいつはそれを知らない。
「…お前のそういうとこ、嫌い」
「違うのか?それにしてもその言い草、何か懐かしいな」
 不貞腐れて言われた一言にシュラは笑った。本当に、気持ちが通い合う前に戻ってしまったようで。潤んで切なく自分を見つめる瞳も、普段からは想像のつかない艶やかな声も記憶には残っているというのに。シュラ自身も今、デスマスクを抱き寄せて甘い言葉で酔わせたい、という感情は湧いてこなかった。
――本当に、死んだのだな――
 シュラとデスマスクの二人が。それを実感させられた。肉体なんか問題ではなくて、今までの愛が刻まれた魂は不滅だからこそ出逢えば当然のように惹かれ合うのだと思っていた。運命とはそういうのもなのだと。まさか、ここまで二人の魂が鎮められてしまうなんて。そのまま生まれ変われば気付かされなかった。無駄に記憶だけを残されている今だから、こんな複雑な経験をさせられている。
(これも罰なのか。愛し合っていたから無条件で再び愛し合えるわけではないことを思い知らされるなんて…)
 シュラは最後の時、前を行くデスマスクも後ろから来ていたデスマスクも掴めなかった。でもそれが正解だったんじゃないかと、何も無い闇の中でぼんやり考えた。
―共に逝けなかったから、きっとまた俺はデスマスクを探し求めて、あいつは追いかけて来る…―
 それが輪廻なのだと。期待した結果はこの通り空っぽだ。
 しかしそれは、二人に芽生えては引き裂かれてきた愛がただ運命に仕組まれ決められていたものではなかったという証明でもある。やり直す度にお互いを見つめ合い、そして選んできた。お前を愛したい、愛されたいと願って幾度となく努力をしてきた結果が運命と結び付くのだ。尽きた愛はいつかまた、必ず芽生える。

 シオンからの伝言について以外はほとんど喋ることなく、二人は聖域外れにある墓場に到着した。シオン、サガ、アフロディーテ、カミュが生前の姿で立っている。彼らの体は"本物"だったが、亡者のような姿ではない。修正は施されているようだ。
「お前あんな戦いでなぜ死んだ?無駄死にじゃねぇ?」
 カミュが亡くなっていた事に二人は驚いた。デスマスクの問い掛けにカミュは一言「氷河のため」とだけ答える。
「ふーん…ミロの奴は生き残ってんだな。お前らよく耐えられるなぁ。俺なら死ぬわ。」
 そう言われてカミュは困ったように笑う。その話を隣で聞いていたシュラは何気ない言葉の中に自分への想いが生前のように残っているのを感じてデスマスクの顔を見た。彼はシュラの方を見る事はなく、アフロディーテの元へ行く。首筋を見せて、番ではなくなったことをサラッと告げる姿にアフロディーテも戸惑っている。
「それにしても君たちがここへ現れた事も意外だったぞ、目的は知っているよな?」
 デスマスクは何の気持ちも無さそうでヘラっとしていた。アフロディーテは今から始まる事を理解しているのか心配になってしまう。
「シオン様に迷惑かけるなっつって連れて来られた。アイツに」
 そう言ってシュラを指すデスマスクを見て、アフロディーテは頭を抱えた。
「シュラよ、まさか君まで理解せずにここまで来たわけではあるまいな?」
「アテナ討伐だろ」
 その一言にデスマスクがヒヒっと笑う。三人は互いに目配せ合った。
「…君たちに、できるか?」
 アフロディーテの問いにシュラが小声で返す。
「不思議な事にな、ハーデスの再生は完璧なものではなかったようでな…」
 そこまで言って二人を交互に見た。そしてニヤ、と笑う。
「俺が投げ捨てた聖闘士の心まで、無駄に再生されているっ…!ククッ…」
 思わず笑い声を漏らしながらシュラはそう告げた。
「ハーデスとしては罪悪感でも植え付けたかったのかもな。ガキの頃の純粋な気持ちを再び感じるとは。神のお遊びらしい事だ」
 この状況で笑う話か?とシュラに少し引いてしまったアフロディーテは思い出したかのようにデスマスクの方を見た。デスマスクもポカンと不思議そうな顔をしている。
「君もそうなのか?善い心を吹き込まれてしまったのか?」
「お前さぁ…俺が悪者みたいに言うなよ。アテナに殺された男だぞ?」
「討伐できるのか「行かねぇ」
「「えっ?」」
 デスマスクの返事に二人は声を上げる。
「あー、まぁ、十二宮には行ってやる。シオン様には悪いがムウと老師をぶっ殺しに。あと紫龍」
「君は…」
「それで十分だろう?俺は最後まで行かねぇ。それはサガとかシオン様の仕事だ」
 まだ何か言いた気なアフロディーテをシュラは制した。
「…こいつもちゃんと理解しているようだぞ。それ以上具体的な事は言わせないでやれ」
 デスマスクは助けに入ったシュラを一目見ると安心したかのように口を噤んだ。
―別に二人の関係が壊れたわけではないのだな…―
 生前の、熱がこもった関係から遠く離れてしまったようにアフロディーテも感じていたが、自然な振る舞いの中に互いへの想いが見え隠れする。そう、壊れてしまったのではなく再び愛し合う舞台を築き上げていく感じ。
「心配すんな"討伐"の邪魔はしねぇよ。適当に動いてっから」
 デスマスクも自身の中に、かつては抱いていたアテナへの忠誠心が植え付けられているのを感じていた。憎む気持ちと慕う気持ち。泥沼の愛みたいな感情をシュラ以外に抱くのは気持ちが悪い。
(Ωでなくなったのは気持ち良いが…こんな体さっさと終わらせてぇわ…)
 サガとの話し合いが終わったシオンが声を上げ、今から始まる戦いの説明を始める。最初に立ちはだかるのは白羊宮のムウ。
「俺に任せろ」
 デスマスクは笑いながらシオンの前に歩み出た。

 六人に与えられた漆黒の冥衣は本来冥闘士には存在しない自星座のものだ。これもアテナの手駒を手中に収めたと見せびらかすためのものだろうか。
(神様のこういうガキっぽいところが幻滅させられるんだよなぁ。だから欠陥人間ばかり生むんだよ)
 冥衣姿をボロ布で覆い隠し、六人の刺客は十二宮の入り口へと向かう。聖域の警備についている雑兵たちは騒がれる前に息の根を止めていった。なるべく苦しまないように、素早く静かに。どうせ生かしても監視している冥闘士に殺されるだけだ。
 デスマスクの隣はシュラではなくアフロディーテが歩いていた。ムウの討伐を自ら申し出たデスマスクに対し、シュラがアフロディーテを同行させるよう願い出たのだ。
(…今の感じだとシュラは俺を選ばねぇよな…別にいいけど…)
 心の奥でデスマスクに興味を持ちつつも、アフロディーテとの方が仲が良いという理由でΩが判明する前までシュラはずっと身を引いていた。デスマスクに距離を置かれていたせいもある。お前はβだからΩの世話をしろとか、最もな理由があってやっとシュラは頷くのだ。
(ほんと昔っから、それで俺を気遣ってたつもりかよ…)
 シュラが何を思ってアフロディーテを推したのか、感情は抜きにして理解できるためそのまま受け入れた。一人で行かせない辺り、目に見えないシュラの燻りが伝わってくる。
「じゃァ、様子見兼ねて先に一発やらせてもらうぜ」
 入り口が見えた辺りでデスマスクとアフロディーテは振り返った。ここからでもムウのコスモが僅かに感じられる。最後の戦いが始まる。
―ほんと、これで最後にしてくれよな…―
 別れ際、シュラの顔を見てから背を向けようとした。でもジャリ、と踏み込む音が聞こえて反射的にもう一度シュラを見てしまう。
「何だよ」
 そのまま無視して行くこともできたのに声を掛けてしまった。シュラも自分が踏み出した一歩に戸惑う顔をしていたが、掛けられた声に顔をあげて真っ直ぐデスマスクを見つめる。

「…俺を、愛してくれてありがとうな」

 突然の一言だった。冷静に、低く響いた声がデスマスクの体を震わせながら染み込んでいく。
「…それ、俺のセリフだから…」
 絞り出した声は、上手く伝わっただろうか。見つめ返すシュラは軽く微笑んで、静かに右手をあげた。それは、さよならのポーズで。
「ハハッ…!じゃあな、ダーリンッ!」
 デスマスクは堪らずおどけて大きく手を振った。笑いながら張り上げたつもりの声は上擦って格好悪い別れになってしまった。でももう振り返らないし何も言わない!そう決めてボロ布をひるがえし、一気に駆け出す。

「フフッ…英語なんだ」
 デスマスクに追いついたアフロディーテがいつもの調子で茶化した。放っておいたら彼はきっと泣いてしまう。
「…俺ら語学に長けてねぇから。アモーレ♡とか言ってもあいつわかんねぇだろ」
「シュラって地味なくせにちょっと変なとこあるけどさ、ちゃんと格好良いよな。あんなこと別れ際に言われたらまた好きになってしまうって。私でもドキッとしたよ」
「うるせぇっ」
―αのままであれば、あんなこと言わなかっただろう―
 愛し愛されて当然といった思考で、また会おうとか必ず見つけてやるとかそういう強気な事しか言わなかったんじゃないだろうか。
(ありがとうなんて、Ωで自分勝手で人殺しでアテナも何もかも裏切ったのは自分のくせに他責思考で、フェロモン使わずに愛されるなんか有り得なかった俺が言う言葉だろうが!こんな俺を…あぁ…シュラ…!)
 あんな一言でたった今、鎮まっていた気持ちが熱く沸き立つのを感じる。もう別れたのに、もう会えないのに手放したくない。また好きになってしまう。また好きになるのはシュラがいい。好きになりたい。生まれ変われたら絶対好きになる。あぁ…!愛おしい…俺を愛してくれる、俺を許してくれる、俺を守ってくれる唯一の…っ!
「さっさと片付けていくぜぇ!」
 振り切るように掠れた声を張り上げた。
「フフ、シュラからの名誉あるご指名。地獄の果てまで…君たちの再会まで付き合うぞ!」

 二人のコスモがムウとぶつかり合う。シュラは離れた場所から神経を研ぎ澄ましコスモの行方を探り続けた。
 あの時を思い出す。デスマスクが散った、十二宮の戦い。
(デスマスクへの愛が鎮められ、アテナへの忠誠を復活させられたというのに…俺の腹の底は、どれだけ闇深い…)
 やがて二人のコスモが弾け消えたのはデスマスクにとって煩わしい"討伐"成功の証。それでもシュラはサガの制止を振り切って、一度は投げ捨てた右手の聖剣をムウに向かって振り下ろした。

ーつづくー

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2024
12,06
(この男っ…磨羯宮の崩壊も厭わないというのか…!)
 絶え間なく放たれる聖剣は磨羯宮の裏側一帯を次々と破壊していく。崖も石畳も磨羯宮の柱までも斬り込まれ、崩れる岩の粉塵が視界を遮っても勢いは衰えなかった。時折かすめる手刀の鋭い風が紫龍の体に細かい切り傷を増やしていく。僅かでも避けきれなければ一瞬にして手足は斬り離されてしまうだろう。
「シュ、シュラよ!お前も地上の平和のため黄金聖闘士になったのだろう⁈なぜ悪の教皇に加担する⁈本当に真実を知っていながら闘っているのか⁈」
―うるさい…交渉しようとする、そういうところが雑魚なのだ―
「真の聖闘士であるならば無駄口など叩かずさっさと俺を倒してみせろ!デスマスクにしたように敵意を剥き出せ!」
「ぅわっ!」
 紫龍の影に向けて一際鋭い一撃を斬り付けた。どこかに叩き付けられる音を聞いてやっとシュラは動きを止める。煩わしくなったマントを引き抜き、辺りの粉塵が風に流されるのを待った。
「…さすが、アテナの加護といったところか」
 うっすらと姿を確認した紫龍の体は繋がっていた。代わりに装着していた聖衣は斬り落とされて瓦礫と混ざっている。
「だがそれもここまで」
 シュラは紫龍の目覚めを待たず、その首を目掛けて手刀を振り下ろした。が――
「……っ⁈」
「……ハハ…これが真剣白刃取り、だっ…!」
 たかが青銅の小僧にシュラの右手はしっかりと受け止められていた。油断したシュラはそのまま腹部を蹴り上げられ、紫龍は離れた瓦礫の上に降り立った。
「デスマスクを倒した事は間違いと思わない!だから詫びぬ!そして俺は必ずお前も倒し、真の正義を取り戻してやる!」
「クク…自らの実力も知らずにでかい口を叩く奴だ」
―あいつのそんなハッタリも、もう聞けないというのか…―
「…俺はな…そういう奴が嫌いなのだ!」
 シュラと紫龍のコスモの差は歴然だった。こんな青銅になぜデスマスクは倒されてしまったのか不思議な程に。ただ避けるのは得意なようで、たとえシュラのコスモに吹き飛ばされても紫龍は直ぐに立ち上がり挑んで来た。
「お前のように黄金の力を持ちながらも自分勝手に振る舞う奴らが世界の平和を乱す!必ずや倒しておかなくてはならない!春麗や、力を持たずとも懸命に生きる人々が穏やかに暮らせる世界にしなくてはならない…!」
 そう――デスマスクを倒した後で魂が実体に戻った紫龍は、老師からのテレパシーで春麗が助けられたことを知った。もう、心優しい彼女を戦いに巻き込みたくない――平和な世界の実現のために自分たち聖闘士は在るのだ。
「ハハ!結局お前が目指すのはαの虐殺か?弱者に寄り添いたいのであればそれこそデスマスクが目指した世界の方が理想的だぞ?だがそれもお前が目指す世界には足りないだろうな。世界の平和を乱す者たちの正体が誰であるのか、この無駄な十二宮の闘いを仕組んだ者たちが誰であるのか、もっと頭で考えてからものを言え!綺麗事だけでは平和の実現など不可能なのだ!」
―それはデスマスクと俺の愛も同じ―
「それでも!俺が今やるべき事はこの命を懸けてでもお前を倒すこと!」
(…目的が見えないシュラは危険だ…春麗は望まないだろうが…今、俺は全てを懸けてでもこの男を倒しておく必要がある…!)

 磨羯宮まで来ると空は広い。灯りの少ない聖域では澄んだ夜空に数え切れないほどの星が瞬いて見える。普段ならそうであるが、今夜は違った。空高くまで立ち上るコスモの強い光は今、星の輝きをかき消している。
(これが紫龍の力か…)
 シュラとの死闘の末、紫龍の背中に浮かび上がったドラゴン。瀕死の状態に於いてようやく発揮される本領。
「青銅にしてここまでコスモを高めるとは…クク…戦慄させられるな」
―だがそれくらいの強さは持っていてもらわねばならん、デスマスクを倒したというのならば…!―
 紫龍がシュラの元へ駆け出すと直ぐに互いのコスモが激突し、辺りに散乱する瓦礫が舞い上がった。紫龍はシュラの力に弾き飛ばされない。互角である。
「やるな…だがそれでは勝てんぞ!」
「ここからだ!覚悟っ!…老師よ!この技を使うこと、お許し下さい…!」
 一度後ろへ引いた紫龍は繰り出された聖剣をギリギリで避け、腕を振り上げた。しかしそれは拳を放つことなく体当たりでシュラを背後から捕える。
「なにをっ…⁈」
「 廬 山 亢 龍 覇 ! 」
 紫龍は実力以上に高めたコスモを炸裂させ、シュラを抱えたままその身を天に向かって舞い上げた。その姿はまるで天に昇るドラゴンのようで。コスモが命の限り激しく燃え上がり描く光の筋は、聖域のみならず遠く離れた五老峰からも目視できる程だった。それ程までに空高く昇って行く二人の命はただ、燃え尽きるのを待つのみ。異常な力に拘束されたシュラは紫龍を引き剥がすことができずにいた。
(誰か大切な者を失ったわけでもない、世界の平和ごっこに熱くなって聖域に侵攻してきた程度の青銅ごときが何故ここまでの力を発揮する事ができる⁈この程度の小僧に俺の激情が劣るというのか…!これすらもアテナの遊びだというのか…!)
 このまま身を任せていれば紫龍は死ぬだろう。黄金聖衣を纏うシュラは僅かな差で生き残れる可能性が残っていた。それでも――
(違う!これでは駄目だ、勝手に死なれては仇になんぞならん!俺の手で殺してしまわないと、俺がオレに許せない!それにっ…)
―紫龍が先に死んでしまうと、冥界でデスマスクに会ってまた何か…―
 燃え上がるシュラの体の奥底で闇深いものがグワンと蠢いた。
(死んでもなお、オレのデスマスクに手を掛ける事があっては…)
―だめだ、今直ぐ死にたい…俺が死にたい…!紫龍を先に殺してしまうと…―
(あぁ!殺したい!跡形もなく刻み尽くしたい…!)
 星に届きそうなほど高く昇り続けるシュラの目に、ぼんやり青く輝く海が見えた。地上の海は、こんなに広いものだったのかと。自分が生きたギリシャやピレネーの山々はあんなにも小さなものだったのかと。この広い世界の中で、数え切れない人々の中で、デスマスクに出会い愛し合えたことがいかに奇跡であったのか。
『悲劇が二人を繋ぎ続けているのだ』
 満たされた日々はたくさんあった。デスマスクと気持ちが交わり、キスをして、番にもできた。なのに今湧き上がるものは後悔ばかり。βの頃も、αになっても、番になってからも!8歳という早さで出逢えたというのに無駄に過ごした数年間も!プライドなんか捨てて巨蟹宮まで行けば良かった!そこで紫龍を倒しておけば!そう思ってしまう自分も許せなくて、あぁ早く燃え尽きてしまいたい!黄金聖衣が邪魔をする、あいつを抱き締める時もそうだった。早く、デスマスクの元へ…これだけ広い世界で出会えたのだから、冥界がたとえ際限のない場所であろうと俺たちはまた逢えるはずだろう?人である限り、どれだけ抗おうと神に弄ばれるだけの存在なのだ。俺たちは必ずまた何度でも引き合わされるはずだ。絶望へ突き落とされるために。
―…デスマスクっ…!―
 燃え盛る暗い影は声も上げられず、愛した番の名を唇で描いてからその身は跡形もなく、燃え尽きた。

 仇は討てなかった。煩わしくなった黄金聖衣は脱いで紫龍に与えた。そいつを少しでも長く生かすために。二人の再会に邪魔が入らないように。デスマスクはオレがアテナに寝返ったと勘違いするだろうか?だが聖剣も捨てた。紫龍を地上へ叩き付けるように振り絞った最後の力と共に。大事な時に使い物にならなかったのだ。所詮アテナの聖闘士として授かった借り物の秘技、自分が持つ資格はもうない。何もできず、アテナの力試しのため十三年間も放ったらかしにされたサガの存在と聖域に縛られ、挙句には決して死なない神に攻め込まれ、そんな事も知らずに熱を上げた青銅と闘って無様に死んだのだから。神の愛など、微塵も感じない。

 気付いた時、シュラはただひたすら歩いていた。そこは夕暮れ時のような空の色をしているが、決して綺麗なものではなく薄気味の悪い場所。歩いているのも自分だけではない。大勢の無気力な人の列が小高い山に向かって続いている。もちろん足を止めて蹲っている者たちも多くいた。何かを喚き、泣き、転げ回っている者たちも。
―…黄泉比良坂…―
 そう直感した。デスマスクがずっと管理していた裏の居城。見ることは生涯叶わぬ無常の地。ここで、デスマスクは死んだ。
(こんなにもたくさんの亡者に囲まれていたのか…)
 まだデスマスクがここにいるかもしれない、と思ったが本能が小高い山へ向かって歩き続ける。紫龍も「穴に落ちた」と言っていた。やがて上りきった頂上に広がる深淵。躊躇いなくシュラはその中へ自ら飛び込んだ。きっとほとんどの者がこの先にあるのは地獄と想像しているだろう。だが実際に何があるのかは誰も知らない。そのまま誰かの胎内に収まり、再び生を受けるだけかもしれない。手段は何でもいい。
(もう一度、デスマスクを探し出す…それだけだ…)
 きっと、満たされてしまえばそう思わなくなるのだろう。シャカが言っていたのはそういう事だ。愛したい執念も失われてしまえばお互いが自由へと解放される。それは二人の縁の終結。真の死。
(お前が良くても、オレはまだ良くないからな…)
 例え誰かのものになっていたとしても奪い返すだけだ…そんな姿、絶対に見たくないが自分も引く気は無い。思い出させてみせる。

 闇の中を延々と落ちていたはずだったが、いつしかシュラは再び歩いていた。本当に歩いているのかは辺りが真っ暗でしばらく感覚が掴めなかったが、やがて浮かび上がってきた白く輝く地を踏み込んだ時、それは雪だと感じた。歩き続けると次第にチラチラと粉雪が舞い始める。それまで無かった落葉した木々も周りに見え始めてきた。
―…これは…あの夢?…βの頃、よく見た…―
 次の瞬間、死んでから初めてシュラは足を止めた。止めたはずなのに、どこからかザクザクと雪を踏みしめる音が聞こえてくる。正面に広がる闇を見つめ続けていると、やがて金色の…
「アフロディーテ!」
「フフ…こんな所で、君に会えるとは…もう二度と無いと思っていたよ…」
 頭の一部が砕け酷く血を流した姿も、これほどの美貌を持つアフロディーテであれば耽美的と思えてしまう。
「お前…死んだ、のか…?」
「それ、君が言う?」
 フフ、と笑ってどこか先へ急ごうとしている。
「どこへ向かっている」
「…サガの元へ戻るよ。彼は一人、前線で戦っているんだ…」
 ――記憶が、混沌する。たった今まで黄金聖衣を身につけていたアフロディーテはいつの間にか見慣れない軍服を着ている。…いや、夢では見たことがあるそれ。サガなんか放っておけばいいのに、お前はなぜ…?
「誰からも放っておかれ、殺してももらえず…ハハ、最後の良心さ。君たちはこのまま進むのだろう?少しは時間を稼いでやる。この森の奥深くにはな、不思議な逸話が残っているらしいぞ。逃げ込んで行った者たちの遺体が一切見つからないと言う。…森に迎え入れられた彼らは違う世界へ導かれて行くのだとさ。それが悲劇ではなく奇跡であることを祈ってやろう」
「待ってくれ!デスマスクはっ…!」
「そこに、いるじゃないか」
 そう微笑んでアフロディーテがゆっくりと指を差した先、太い木の向こうに横たわる体が見えた。
「デスっ…⁈」
 駆け出そうとしてもう一度アフロディーテに振り返れば、まだすぐ側にいたはずなのにその姿はどこにも見当たらなかった。
 息を呑んだシュラはデスマスクも消えてしまわないかと太い木の元まで慌てて駆け寄る。死んでいるからかフェロモンとか番の絆とかそういったものは一切感じられなかった。何となく、僅かなコスモが"アレ"はデスマスクであると囁いてくれるだけ。
「デスマスクっ…!」
 木の幹に手を付いて横たわっていた体を覗き込んだ。瞬間――ゾオン!と自身が掻き消されてしまいそうな強いブレが全身を駆け巡る。
「…………、……」
 その体は僅かに動いた。視線もちゃんとこちらを向いて、何か言おうと唇が震えたが声になっていなかった。
 そこにデスマスクはいた。彼の弱々しく残ったコスモがそうシュラに伝えてきた。でもその姿は、顔から全身が傷塗れで血塗れで、アンダーウェアもボロボロに裂け、白い肌は赤黒く腫れ上がり、目を逸らしたくなる無惨なもので…。
 戸惑ったシュラを見たデスマスクは視線を外してギュっと口を噤む。
―…情けない…死してもなお、追い掛けてまで彼を傷付けてしまうとは…―
 一呼吸してからシュラはゆっくりと跪き、逸らされたデスマスクの顔に手を添えて自分の方へと向けた。
「…デスマスク、お前の体はまだ生きているよな…?死んだ俺が視えるのか?」
――触れられる…――実感はもちろん無かったがデスマスクに触れることができている。彼も再び瞼を持ち上げてシュラを見た。その瞳はかつて輝いていた星空はすっかり消え、まるで先程見た黄泉比良坂の空のように澱んで赤黒くなっていた。
「…あの紫龍が…お前をこんな酷い姿にしてしまったのか…っ⁈」
 コク、と小さく頷く。
『…届かなかった。お前をずっと呼んでいたのに。一言、声を聞くことだけでもできたら…ここまではならなかったかもしれない』
 喋るのを諦めたデスマスクは弱いコスモで囁くように返事をした。
『紫龍の…お前じゃないαのコスモが全身に絡んで、気持ち悪くて苦しくて、痛い。死にたくても、お前じゃないコスモに巻き付かれたまま死ぬのだけは本当に嫌で、必死に剥がそうとしたけど無理だった…っ…!』
 シュラはデスマスクの頬に手を添えたまま、ぐっと顔を寄せて口付けた。デスマスクのコスモがフワッと揺れる。
「俺の感触、わかるか?」
 地に横たわるデスマスクの上体を抱き上げてシュラの胸に引き寄せた。その時、首筋に噛み痕が残っているのも確認した。今抱いているのは間違いなく番となったデスマスクだ。
『…わかる…オレ、普通じゃねぇから死んだお前も視えるし感触もわかる…だから、魂だけの紫龍もオレにここまでできたんだろうな…ハァ…』
「…お前が苦しんでいたのに応えられなくてすまない」
 もう一度顔を寄せてキスをする。せめて顔の血や傷くらい舐めてやりたかったがそこまでは叶わないようだ。少しでも癒しをとデスマスクの体にコスモを送る。伝わったのか、ピクン!と体が跳ねて喘ぐ声が小さく聞こえた。
「大丈夫か?合わないか?俺にはもう感覚がよくわからない」
『い…いい、続けてくれっ…。暖かくて、体が驚いただけだ…』
 しばらく荒い息を繰り返していたが次第に体の強張りも解け、やっと落ち着いた表情を見せてくれた。
『…気持ちいい…汚いものが全部剥がれていくようだ。お前じゃないと俺は駄目だな…これで死ねる…』
「デス…勘付いているかもしれないが、仇は討てなかった」
『…そうか…やっぱアテナ付きは反則だったな。何もかもありえねぇ』
「それもあるが、紫龍を殺すことはできたんだ。だが、俺はそれができなかった。奴を生かしてしまった」
『…意味わかんねぇ…』
「二度とあいつにお前を会わせたくなかったんだ!死ねば奴もここへ来るのだろう?それが許せなくなって、俺の聖衣ごと地上へ叩き戻してやったんだ」
『ククッ…その発想、馬鹿すぎん?』
「聖剣ももう使えない。聖衣ごと紫龍に叩き付けて捨ててきた。だからお前を楽に殺してやることもできない…ほんと、馬鹿だな俺は…」
『…いいよ、苦しくても。殺して?こんな酷ぇ姿をお前に晒し続けるの、俺だって辛いんだわ。気持ち悪いだろ?お前が来た時、逃げ出すかもと思ったけどな…そういう奴が昔いたんだとよ。でもお前は留まってくれた…』
 デスマスクの腕が脇下からシュラの背中に回る。胸に顔を寄せて小さく震えていた。
『死にたい、やっと死ねる。しかも最後にお前が来るなんてさ、それだけで最高。首絞めでもその牙で噛み殺しでも何でも耐えてやるよ』
 言葉ではそう言って幸せそうに見せても、殺される恐怖から震えているのだろう。それとも本当に幸せで歓喜に震えているのだろうか?
「…なぁ…最後にこんなこと聞くのも馬鹿だと思うが…後悔、とか恨みとかあるか」
『…あるに決まってるだろ。こんな死に方させられたんだぞ?山ほどだよ。お前絶対にアテナや紫龍に寝返って無いだろうな?』
 恨めしそうにチラ、っと上目にシュラを見上げるその姿があまりに愛おしく、シュラはニヤっと笑いながら強くデスマスクを抱き締めた。忘れさせないようにコスモで包み込んで、包んで、包んで、ありったけの想いを燃やして、燃えて、その想いの熱さにデスマスクが身を捩る。離さないからちゃんとオレの腕の中で死んでくれ。お前の体は何一つここに残したくない。
 足先からデスマスクの体がドロドロと溶けていく。きっと熱いはずだろうに地を覆う雪が溶ける気配は無い。溶けた体液はシュラの体を滑り落ち、全て雪の下へと吸い込まれて消えていった。跡形もなく。ここにたった今までデスマスクがいたことが幻のように。
 蟹座のデスマスクは、二度目の死で遂にΩの生涯を終えることができた。

 辺りはすっかり静けさが戻り、とめどなく雪が降り続いている。シュラは、もしかしたらこの腕の中に魂となったデスマスクが残るかもと期待していたがすっかり消え去ってしまった。コスモも何も辿れない。
(…ここに、戻って来るだろうか…)
 後ろを振り返り、待ち続けようかと思った。しかしアフロディーテが言い残した言葉が思い出される。
―この森には不思議な逸話が残っているらしい―
 奥には何があるのだろう。そもそも黄泉比良坂から落ちたここはもう地獄なのか?そんなもの存在するのか?夢の狭間なのか?シュラは再び歩き出した。いるかもしれない。待っているかもしれない。この闇の先に。
 いつしか足元の雪は消えていた。まだチラチラと粉雪は降ってはいる。真っ暗で何の上を歩いているのかわからない。次第に木々の影も薄れていく。どこへ連れて行かれるのだろう。
 ここでまた、シュラは足を止めた。正面からコスモを感じる。それはこちらへ向かって来るのではなく、遠ざかっていくようで――そのコスモにシュラは畏れを感じた。でもどうしても確かめたくて、止めた足を奮い立たせ駆け出した。
「待ってくれ!」
 やがてぼんやり見えた背中に向かって叫んだ。同じくらいの背丈をした者がその叫びに歩を止め、ゆっくりと振り返る。
――あぁ…やはり…!――
 その姿を見た瞬間、シュラはまた自身が消えてしまいそうなほどに強い魂の揺れを全身に感じた。口元を血で汚し、軍服を着た黒髪の男がデスマスクを抱いている。それは、彼のαではない――
「デスマスクを連れて行かないでくれ…!そいつは俺の番なんだ!」
 男から感じるコスモはシュラ自身のものであった。
(姿は違うがこの男も俺…?)
「…お前のαではない!いや…かつてはαだったのかもしれないが、Ωになって俺の番になったんだ。たった今、殺したんだ。俺が連れて行く!」
 慌てたシュラを見つめる男はニヤっと笑うと、デスマスクを抱き直して口を開いた。
『クク…馬鹿を言うな、次はオレが連れて行く。オマエはこいつのαではない。ただのβだ。大人しく腹の底で見てろ。せっかく力を貸したというのに番の仇も討てぬ軟弱者め』
――β…?――ゾワンゾワンと魂が揺れる、少しでも気を緩めたら消されてしまいそうだ。
『交代だと言っている。次はオレが連れて行くのだ。αとΩになって不自由なく過ごせるはずだったというのに…オマエが邪魔をしたんだ。本当の愛だの優しさだのを求め…それだけではどうにもならないという事を思い知っただろう!無駄な苦労ばかりをかけ、あげく何度もこいつを傷付けてな!』
―まさか…αは"俺"ではないと…?―
『後を追う事は拒まない。どうあがいてもオマエはオレだ。迷いが多く煩わしいが、それくらいは受け入れてやる。だが次にこいつを愛し、愛されるのはオマエではない。それは覚悟しておけ』
 ゾワンと魂が揺れる。ここで負けてしまうとデスマスクにはもう会えない――直感でわかる。
『それとも…"サガ"のように二人でしてみるか?誰しも心の中には何人もの自分が在るものだ。愛おしいこいつの中にもな。ただオマエもわかるだろう?オレは分け合うのは好きではない。迷いなど与えたくない。逃げるのも嫌いだ。"オレ"は一人でいい。それを今回再認識した。わざわざ悲劇をお膳立てする必要など無いのだ。神のせいにするのは簡単だがな、悲劇はオレの中にある』
 そこまで言うと、男はデスマスクを抱いたままシュラに背を向け歩き出した。諦め切れずに追い掛けて行くが、男はゆっくり歩いているように見えるのに全く追い付けない。
『ククク…追い掛けて来い、惨めたらしく、どこまでも。愛があるのならば苦にならんだろう…お前は決して追い付けない。追い付いては、いけない…オレの後を追い続けろ…』
「待ってくれ!デスマスク!起きろ!それは"俺"じゃないんだ…っ!」
 追い掛けて、追い掛けて、一つの淡いコスモの光を見失わないように追い掛け続けるシュラは必死だった。だから気付けなかった。
「シュラァァァアアーー!」
 シュラの後を追う、もう一つの弱い光に。
(あいつは何を追っているんだ…!やっと見つけたというのに全然届かない!早く掴まねぇと…もうここまで来てしまった…!)
 消えていった雪景色も森も、足元を見下ろすと遥か遠くにぼんやり輝いている。その更に向こうには幾筋もの爆炎が上っていた。今、深い闇の宙を駆けている。再び視線を前に戻すと突然見慣れた聖域の火時計が真横に現れて、最後の灯火が消えようとしていた。
「シュラァァァアアッ!」
――逝けば名前も消える、呼べなくなる。シュラとデスマスクが終わる…――
 地上はすっかり霞んで辺りには煌めく星が瞬いている。そんな高い天(そら)まで来てしまった。あとはもう、墜ちるのみ。
「待って、待ってくれ、お前やっぱ逃げるなんて許さねぇぞぉ!またやり直しじゃねぇかぁっ…!クソバカ鈍感β野郎ぉー!」
 遠い先で光に包まれていくシュラに向かって精一杯腕を伸ばした。全然、届かない。自身も伸ばした腕の先が光に包まれて消えていくのを感じる。
―シュラァァァアアーー!―
 最後は叫ぶ感覚も無かった。ただ、その瞬間に火時計の灯りは消え、地上からチラチラ揺れる一筋の光がまるで二人を逃さないかのように掠めていって、ほんの一瞬、シュラの影が振り向いたような…そんな気がして。

 シュラとデスマスクが共に逝く事は、叶わなかった。

ーつづくー

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2024
11,28
※十二宮戦(巨蟹宮)のため当たり前のように紫龍(α)×春麗(Ω)描写があります※

ーーー

「うるせぇぇぇええええっ!」
 紫龍を引き摺って来た黄泉比良坂の頂上、もうあとは穴に落とすだけというところでデスマスクは再び彼方から囁かれるΩの祈りに気を散らせた。
「煩わしい!なぜこんな…まだΩに目覚めてもいない、コスモも使えない小娘の念が俺の頭に響くのだ!くそっ…邪魔をするなら殺すまで!」
「待てっデスマスク!春麗は関係ない!」
「それが俺には関係無いのだ!惹かれ合うαとΩであれば番でなくとも一方を失う悲しみは大きいだろう。お前と共に死で結んでやる事を感謝するべきだな!」
「…ぐ…デスマスク!お前はΩで…番もいるのだろう…?もしやお前はその相手に無理矢理番にされたのか?だから他人を憎み、殺しに励むのか…?」
 掴み上げられ穴の上に垂れる紫龍が絞り出した声にデスマスクはうっとり笑う。
「クク…俺はこの上なく愛されている。そして愛しているぞ。死など恐れぬ程にな」
「ならばなぜ…神の祝福を知りながらそれを裏切るのだ…わからない…聖闘士でありながら自分たちさえ良ければ他はどうなっても良いと言うのか!」
「あぁ、そうだな。俺たちは今この愛を繋ぐために生きている。世界を犠牲にするのではなく変えるのだ。神が与えし性差など…そんなものが生まれない世界へ。それを止めたければ俺たちよりも強くなり殺せば良いものを…誰もしない」
 ため息を吐き、紫龍をひと睨みしてから掴む手に力がこもった。デスマスクの全身から特有のコスモが揺らぎ、立ち昇る。辺りの亡者たちは恐れ慄いて朽ちた体を転げ回しながら逃げていく。
「ハハッ!お前ももう遅いがな!俺とあいつが結ばれたのは神様のおかげと言うのか!フッ…そう思えるような生き方をさせて貰えなかったというのがわからんのか⁈神によってな!人は平等に生きることができないことをお前も知ってみろ!」
「っ⁈デスマスク、やめろぉおっ!」
 遂にデスマスクの強大なコスモが五老峰から紫龍の無事を祈る娘、春麗に向けて放たれた。祈ることしかできない無力な乙女は圧倒的な力に抗えず大瀑布の底へと落ちていく。
 その時、磨羯宮にいたシュラとアフロディーテはデスマスクのコスモを感じ取り顔を見合わせて安堵の表情を浮かべた。
「これで邪魔者も居なくなった…。恐れる事はない。すぐにあの娘もここへ来る。愛があるのであればお前が先に逝き導いてやれ!」
「…春麗…っ!春麗――っ!」

 あとは失意の紫龍を穴の中へ落とすだけだった。ただ、それだけであったというのに…耳をつんざく紫龍の叫びにデスマスクの視界は突然暗転した。

ーーー

 暗い闇の中、ちらりちらりと白い雪が舞う。次第に辺りの木が見えてきて森の中にいるようだった。すぐ近くで叫び声が聞こえる。涙まじりの低いガラガラ声で、ずっと誰かの名前を呼んでいる。吸い寄せられるようにそちらへ向かうと、木の隙間から横たわる足が見えて、誰かがそれを抱き締めている。
『……っ!……――っ!』
 駆け寄って声を掛けても振り向いてくれない。あぁ、夢か。自分はここに居ないのだと悟った。彼は誰を抱いて泣いている?上半身は裸で…何故か全身に引っ掻いたような傷だらけ。色の落ちた、銀の髪の…首筋に、綺麗な噛み痕がついた…
――違う…――
 久しぶりだがこの夢は初めてではない。いつも抱かれているのは軍服を着た白金髪の男で、首筋は止まらない血で真っ赤に塗れて、顔も…顔も…
――俺ではなかった…!――
 俺の名前など呼んでいなかった!その声はシュラではなかった!誰だ⁈誰なんだ!
――早く戻らなくては…!――
 ……どこへ?何をしていた?…いつもは直ぐに覚めていた…これは、ただの、夢だから…。いつもは、直ぐに…覚める…。
――あぁ…――
 自分はもう、居ないのだと…

ーーー

「……ッ……!」
 シュラは巨蟹宮に戻ったコスモを探って心臓が強く跳ねた。感じるのは青銅聖闘士のコスモと…蟹座の黄金聖衣、だけ。
「…………」
 隣に立つアフロディーテも言葉を失う。デスマスクはまだ戻って来ていないだけかもしれない。だが…隣にいるシュラが、デスマスクの番が、次第に牙を剥き出しにしてαに染まっていく。「すぐに戻ってくるだろう」なんて気軽に言える空気ではない。やがて青銅聖闘士のコスモが獅子宮を目指し始めた時、ガツンと響いた聖衣の濁った音。シュラは崩れ落ちて地に膝を付いた。
「シュラ…大丈夫か…」
 胸に手を当て、額からは汗が吹き出し、苦しそうに息が荒い。アフロディーテは癒しのコスモを与えようとシュラの肩に触れたが、拒むように弾き返された。
(…私では手が付けられない…デスマスク…本当に逝ってしまったのか?これはあまりにも、呆気なくはないか?!)
「シュラよ…一度部屋へ戻った方が…」
 噛み締めた唇に血が滲んでいる。シュラの目に涙は無かった。今、彼から感じられるのは戸惑いと、怒り。コスモではない、αの威圧感がビリビリと増していくのをアフロディーテも感じる。それはやがて十二宮を、聖域を飲み込んでいく。

『巨蟹宮が突破されただと?』
『馬鹿な、黄金が青銅に負けたのか?蟹座が青銅に寝返るとは考え難い』
『所詮はΩの蟹座だったって事だ、青銅であろうとαには敵わなかったんだろうよ』
『努力だけではどうにもならない事もある』
『番が同じ黄金でなければΩらしく守ってもらえただろうに』
『運命は残酷だな』
『しかし青銅の方も黄金を倒していい気になっていられるのも今のうち』
『今聖域にいる全聖闘士が感じているだろう』
『恐ろしい、とても強大な怒り』
『これだけ離れていても貫かれそうだ。聖域ごと破壊しかねない』
『磨羯宮の突破は絶望的だろう』

 シュラの怒りにシャカはほくそ笑んだ。ミロは呆気ないデスマスクの死を笑った。
 抑制剤の副作用ではなく、教皇からの洗脳を受けていたアイオリアは目を覚まし青銅聖闘士を先へ通す。自分の出る幕など無いと思っていたシュラが待つ磨羯宮まで、順調に上ってくる。なんて脆い…守り続けていたはずの聖域はとっくに崩壊していた。
 悲しみは極限に達すると涙も出ないと聞く。怒りもまた、極限に達するとこうも無になれるのか。

「クク…良いザマだな、山羊座よ」
「教皇っ…!こんな時に!」
「のこのこ宮を抜け出ているのはお前もだろう、魚座」
 静かな磨羯宮に突然響いた声。サラサラと法衣の擦れる音が近付き、崩れ落ちたままのシュラの前に真っ黒な髪のサガが姿を現した。
「愛おしくて仕方のない番を失った気分はどうだ?たかが青銅に殺された気分はどうだ?しかしまさかこんなにも呆気ないとは…番にしたのは早計だったか。Ωのフェロモンが使えれば青銅なんぞ何の問題にもならなかっただろうに」
 シュラは俯いたまま何も答えない。そこにサガが来ている事にすら気付いていないかのようで。
「おそらく死んだのだろうが流石に私も積尸気へ行ったコスモまでは辿れないからな、期待を持ちたければ持てば良い。それでお前が戦えるのならば都合の良い夢を見ていれば良いのだ」
「っ?!待てっ…!」
 サガの言葉を聞いていたアフロディーテはそこに含まれた思惑に気付き、薔薇を構えて2人の間に割り入った。サガは目を細め、ニヤリと笑う。
「山羊座がこのザマではお前にも負担が掛かるだろう?戦ってもらわねばならん。蟹座を復活させてやろうという話だぞ」
「そんな事をしなくてもシュラは戦える!洗脳を使うのは止めろ!幻覚などデスマスクの代わりになんかならない!」
「使ってみないと結果はわからないだろう?それともお前が受けてみるか?幻のΩでも愛されてみれば力が増すやもしれん」
 そう言って拳を向けるサガの足元を目掛け、薔薇を数本打ち込んだ。
「そうまで言うのならお前が自分に使ってろ!私がデスマスクを想う愛とシュラが想う愛は違うものだ、それくらいわかるだろう⁈」
「あぁ、同じであればお前が早々に蟹座を番にしていただろうしな。お前たち三人はややこしい関係だ」
「…シュラは戦える…だが、もし青銅が磨羯宮を突破したとて双魚宮を抜ける事は無い」
「フッ…その自信。最低条件だな」
 拳を下ろしたサガは数歩引いてアフロディーテの背後に隠れるシュラの姿を再び捉えた。
(…番が殺されたのだ、あれ程の怒りを蓄え…青銅に寝返ることはまぁ無いだろう…)
「青銅の侵入はお前たちで必ず食い止めよ。偽アテナの一派を全滅させた後、今回青銅に加担した聖闘士の粛清も行うぞ。デスマスクを偲んでやりたいならばαを狩れるだけ狩ってやれ」
 それだけ告げるとサガは足音を消して磨羯宮から去って行った。
「全く…何なんだ…"サガ"はともかく、今さら焦りを見せたところでお前の味方など最初から居ないというのに…」
 宣言通り青銅とは正面から戦おう。だがこれは勅命のためではない。ずっと守ってきた聖域のためでもない。
 デスマスクのためでもないが、彼の理想…αとΩの終焉は実現できるのならば見てみたいと思った。それは自分たちの終わりでもある。シュラとデスマスクはアダムとイヴにならない。大虐殺のすえ人類の苦しみを一つ解き、誰にも知られず消えて行く…。
 考えれば考えるほど、身勝手で愚かでロマンチックな話だと思った。正義とは綺麗なものではないのだ。これは殺戮を厭わない、その性とそれを行えるだけの力を持って生まれさせられたデスマスクにしか思い付かないことだろう。

 想いを巡らせてからアフロディーテは振り返り、サガが来る前と同じ状態のシュラを見下ろす。汗も動悸も落ち着いていたが何を考えているのか全然動かない。
(このままでは時間がないぞ…)
 この「無」が再びシュラの底知れぬ力を目覚めさせる前触れであるのならそれでいいが、その力を青銅にぶつけなければ何の意味も無い。アテナでも聖域でもなくデスマスクを想って使われるべき力を。
「シュラ…」
 反応は無いと思いつつも親しい仲の癖から無意識に声を掛けた。小さな声が辺りで響き、すぐに静けさが戻って一呼吸ついた時――
「…αを狩る、か…」
 低い声が返り、カシャ、と聖衣が動く。
「シュラッ!」
 よろめきながらゆっくりとシュラは立ち上がり、すぐ背後にあった柱にもたれ掛かった。
「シュラ、今に青銅が来るぞ!そのまま腑抜けて青銅を通すのか⁈お前はなぜ戦って来た?この歪んだ聖域でずっと!今やるべき事を考えろ!私は戻るからな!」
 その訴えにシュラからの返事は無い。動く気配も無い。ただ一度、鋭い視線がアフロディーテを捉え、直ぐに伏せられた。それで十分だった。

 シュラの返しを得て笑みを漏らしたアフロディーテが外へ出ると、磨羯宮の上に広がる空はいつしか夕闇に覆われていた。デスマスクのコスモが途絶えて5時間が経つ。戻らない。何も感じない。今、青銅聖闘士が遂に人馬宮を抜け磨羯宮を目指し始める。あんなにもヒシヒシと感じられた怒りはすっかり消え去っていた。そう、何も感じない…。

ーーー

 磨羯宮へ続く階段は青銅聖闘士が駆け抜ける音だけが響く。風もそよがず、星々は瞬きを潜めてしまった。恐ろしい程の静けさに青銅聖闘士たちは一瞬、躊躇った。
「なんだここは…無人なのか?」
「ならば一気に先へ進むまで!」
 今、青銅聖闘士たちは磨羯宮を駆け抜け、柱にもたれ掛かっているシュラの前を通り過ぎて行く。

――α、α、α…――
 遠ざかっていく足音。
――オレの、Ωを殺した、α…――
 一歩、踏み込んだ。
――俺の、デスマスクを殺した、アルファ…!――

 突然、鋭い光の筋が磨羯宮の闇を裂いた。ちょうど外へ抜け出た青銅聖闘士たちを目掛けて、深く地を切り裂く拳が放たれる。
「「紫龍!」」
「ほぉ…これは運が良い…」
 おそらく最大級の聖剣によって宝瓶宮への道は深く裂かれた。一人残された青銅聖闘士こそデスマスクと対峙した老師の弟子、紫龍だった。道は断たれたが先へ進めないわけではない。仲間を一刻も早く教皇宮へ向かわせるために紫龍は留まり、背後に迫るコスモを感じて振り向いた。
 磨羯宮の闇から現れたシュラは無表情のまま笑っている。デスマスクでも見た事のない、人らしからぬ笑みを浮かべゆっくり紫龍へと近付いた。
「蟹座のデスマスクと戦ったのはお前だな?」
「……そうだ……。お前が磨羯宮の黄金聖闘士か?」
 答えは知っていたが憎き仇が決定付けられ、シュラは笑ったまま目を細める。憎い、見たくもない、一刻も早く斬ってしまいたい苛立ちに耐え、どうしても聞いておきたい質問を絞り出した。
「俺が山羊座のシュラだ。殺してやる前に確認したい事がある。デスマスクはどうした?なぜ黄泉比良坂から戻って来ない?」
「…それくらいわかるだろう?黄泉比良坂の穴に肉体のまま落ちて確実に死んだのだ!亡者たちの恨みを買う非道な行い、聖衣にも見放され黄金聖闘士とは思えぬほど無様に死んでいったぞ!」

ーーー

 あの時…春麗の名を叫び、自らの無力さに気を失いそうになった紫龍は暗転した瞼の内側で祈り続ける少女の姿を見た。滝つぼの奥深くへ沈み行くなかに於いても両手を合わせ、ただ紫龍の無事を祈る姿。その命を、彼女が持つ愛の全てを紫龍に捧げようとする姿。
――あぁ、こんなにも尊く清らかな彼女を自分のために失いたくない…沈ませない!今ならまだ掴める!届け、春麗に…!――

「ぎゃぁああっ!!」
 願いを込めた夢の中、勢いよく腕を伸ばしたその手はデスマスクの脚を砕いていた。黄金聖衣が砕かれたのではない。そこには聖衣の外れた無防備な脚が曝け出されていた。
「ぅっわぁっ!」
 デスマスクがバランスを崩し倒れ込んだ拍子に紫龍は運良く冥界の穴とは逆の方へ放り出された。すかさずデスマスクを確認すると砕かれた脚を抱えて蹲っている。すぐ近くには黄金のフットパーツが転がっていた。何が起きたのか理解できなかったが、この好機を逃すわけにはいかない。
「デ、デスマスクッ!春麗の仇!」
「ぐっ…ぅ、ぇぇっ…!」
 紫龍の拳が今度はデスマスクの腕を砕いた。確かに黄金聖衣を身に着けていたはずなのにまた外れて地に転がっている。
「…なっ…なんだっ…黄金聖衣が外れていくなど…!」
 荒い息を吐くデスマスクから急激に力が抜けていくのを感じた。実体のままそこに在る体からダラダラと汗が流れ始め酷く震えている。
「く、くそっ!こんな時に!…いいか、黄金αと番になった黄金Ωの力はな、神に匹敵するのだ!オレサマに選ばれなかったαどもは全員ゴミ同然!お前は勝てん!死ねぇ!」
 力を振り絞ってデスマスクは立ち上がったが、それを黄金聖衣は許さなかった。骨が軋むほどデスマスクの体を強く締め付けたかと思えば一斉に聖衣が外れ、先に落ちていったパーツと共に蟹座が姿を表す。聖衣から与えられる衝撃に耐えられなかったデスマスクは地面に叩き付けられてから、薄く開けた瞼の先でその姿を確認した。
 思いも寄らない展開に紫龍も驚きを隠せない。
「おぉ…黄金聖衣がデスマスクに制裁を与えている…やはり奴は黄金聖闘士に相応しくないのだ…」
――相応しくない…――
(…俺を選んだのは誰だ。蟹座の宿命に選んだのは誰だ。お前だろう?裏切るのか!あんな陰湿な巨蟹宮に俺を捕らえたお前さえも、都合が悪くなれば俺をあっさり見捨てるのか!そんなもののどこにアテナが謳う愛などある?!)
 聖衣が外れ、晒された首筋に残る噛み痕がジンと熱くなるのを感じた。
(愛など…もう…。ただ一つのコレだけが、俺の救い…)
 ゆっくりと腕を動かし、震える指で少し抉れた痕に触れる。シュラの鋭い牙を思い出す。
(偽善で無能な神に代わり、俺たちが世界を正さなくては…。聖衣も全て壊してしまうのだ。俺たちならできる…黄金αと黄金Ωの俺たちならば…神に匹敵する力で…)

 まだ立ち上がろうとするデスマスクの姿に紫龍はコスモを高めた。しかし自分は魂でしかなかったが聖衣を着ていて、その能力は備わったままだ。残されたコスモの力のみで戦おうとするデスマスクを前に聖衣を着ている自分が許せなくなり、脱いでしまいたいと思った。
「クク…馬鹿か…現世の実体は着たままというのにそんな事もできるのだな」
「俺は正義のために聖衣と血を分け合い、助け合ってここまで来たのだ」
「…血か…貪欲な蟹座聖衣は舐める程度では満足しなかったようだ…」
 強く願った紫龍は魂が纏っていた聖衣を脱ぐことに成功し、デスマスクの前に立つ。今まではアテナである沙織の力、蟹座の聖衣、そして命を懸けて祈り続けた春麗に助けられ死を免れた。次こそは自らの力でデスマスクを倒したい。春麗の死を無駄にはしない。決して、それだけは何が何でも…!
「まだ番でもない小娘の死でそこまでコスモを高めるか…まぁ彼氏としてそれくらいは当然の餞だろう。だが言ったはずだ!黄金αの力をも得たオレサマを超える事はできんのだ!今度こそ死ねぇぇえ!」
 脚が砕けて立てずとも、腕が砕けて拳が振れずとも、コスモさえ極限まで高めれば青銅が限界値を超えてこようとも勝てるはずだった。今の自分であればムウをも凌ぐ最強のサイコキネシスで僅かな思念すら残さず魂を木っ端微塵にできるはずだった。それ程の力があったはずであるのに。
「…なぜっ…」
 実体を持たぬ瀕死の魂が放ったコスモの龍は、春麗の死を糧に鋭く膨張し黄金の力をゆうに超えた。ぶつかり合ったコスモは次第にデスマスクを圧倒し、呑み込んで、大きな深淵へと引き摺り落ちて行く。
 デスマスクは自らの能力で宙を歩く事も容易かった。落ちても浮かび上がればいい。落ちることなど有り得ない。浮かび上がれるはずなのに、薄気味の悪い黄泉比良坂の空がどんどん遠く離れて行く…。
 体中に纏わりつく紫龍のコスモが気持ち悪くて、デスマスクは力のコントロールが効かなくなっていた。
―何だこれはっ…ゾッとする…!―
 勝ち負けなんかよりも、こんな終わり方は絶対に嫌だと急に涙が溢れ出た。自分は所詮αに支配されるΩなのだと死の間際まで思い知らされる。
―嫌だっ…気持ち悪い!こんなαのコスモ嫌だ、離れろ!っ…シュラ、シュラ!助けろ!返事しろ!届け!っ…届け、よぉっ…!―
 紫龍を想う小娘の念は冥界の壁をも超えてきたというのに、番の声が届かないこの差は何。こんなに想っているのに、愛しているのに…神が隠すのか?俺たちの愛を。
「シュラっ…嫌だ、お前じゃないのは全部いやだぁっ!気持ち悪いっ、殺してくれ!はやくお前が来て殺してくれよぉ!!」
 シュラの香りを、コスモを、声を、その姿を必死に想い描きながら、デスマスクは紫龍のコスモを引き剥がそうと手当たり次第に体へ爪を立てて掻きむしり続けた。
「しゅら、しゅらぁっ…!しゅらぁぁぁぁああ!…」
 白い頬も胸も背中も血が滲み出して壊れていく悲惨な姿は瞬く間に深淵へ呑み込まれ、呪文のようにシュラを呼び続ける叫び声も、闇の中に潰えた。

ーーー

「デスマスクは非道な行いの報いを全て受けて死んだ。あの男は黄金聖闘士に相応しくなかったのだ!お前にもわかるだろう?」
「……ハハ、聖衣にまで……そうか……。やはりあいつには俺しかいないのだな。誰にも守られず、サガにも老師にもアテナにも裏切られ、最後まで可哀想に……」
 笑いながら憂いた声を上げる不気味なシュラを見て、紫龍は考えるより先に声が出た。
「…まさか、お前が…デスマスクの番、か…?」
「気安くアイツの名を呼ぶな」
 シュラはスッと笑みを潜め低い声で呟くと紫龍の足元に向けて一撃を放つ。慌てて飛び避けた紫龍の長い髪が数本、辺りに散った。
「黄金聖闘士に相応しくないのならばそもそも蟹座になっていない。それともΩが黄金になる事を相応しくないと言ったのか?神が与えた宿命を無視して辞めさせれば良かったと?αならば納得いくのか?」
「そうではないっ!デスマスクがしてきた事、番ならば知っているだろう!」
「俺でもアイツの全ては知り得ない。だがな、お前よりは遥かに知っている。どうせ巨蟹宮を見ただけだろう?それでデスマスクを知った気になるとは…その程度の事で自らが正しいと正義を騙る愚かさよ!」
 今度は真っ直ぐ紫龍に向け宙を斬った。自身を庇ったドラゴンの盾が呆気なく斬り落とされ、カランと音を立てて転がる。
「そんなっ…ドラゴンの盾がこんなにも容易く…!」
「今その身が繋がっているのは盾のおかげだな。だがそれももう無い。次で終わりだ」
 何の躊躇いも疑いもなく拳を向け続けるシュラに紫龍は疑問が湧いた。番を殺されただけでアテナに対する忠誠も覆るものなのだろうか?
「シュラよ!お前も黄金聖闘士でありながら、デスマスクのみならず教皇の悪事も知ってアテナに刃向かうのか⁈」
「お前には到底理解できん事情がある。理解してもらう気もない。だがデスマスクの仇以外にも戦う理由が欲しければ一つ与えてやろう。十三年前、アイオロスを死に追い詰めたのが俺だ。それで十分だろう」
「アイオロスをっ…?アテナを守ろうとした仲間を手に掛けたのか⁈」
「アテナを連れ去ったのは事実だからな」
 だからと言ってそんな事…などと呟いている紫龍を面倒に思ったシュラは左手を構えて容赦なく聖剣を撃ち込んだ。飛び避けたところに右手で更に撃ち込み崖へと追い詰めていく。このまま底の見えない崖下へと落ちればアイオロスの時と同じだな、とぼんやり思った。
―いや、コイツだけはこの手で殺さなくてはならない…―
 少年とは言えシュラにとって最も許せない罪を犯したα。殺しても足りないほどだ。崖下へ落ちても追い掛けてその身を刻み尽くしてやらないと気が済まない。
 シュラのマントがはためいた。止まっていた風がいつしか吹き始めて紫龍の髪も緩やかにそよぐ。この風ももう、この世にいないデスマスクとは共有できない。
 一つ瞬きをして、右手を構えた。

ーつづくー

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2024
09,24
「おい、何でコレがあるんだよ」
 シャワーを浴びてから居間に来たデスマスクは食卓に置いてある袋を見るなり声を上げて中身を確認した。ナポリで買ってきたことを伝えると沈黙し、無言で一つ摘んで口に入れる。
「…本物だな。地元とは言ったが俺、ナポリ生まれじゃねぇけども」
「たまたま行った先で見つけただけだ。出身地を割り出そうとしたわけではない」
「うん、でもまぁ…違うけど近いぜ。すげぇな、偶然って。さすが愛のチカラ」
 最近これを食べていなかったデスマスクはメイン料理そっちのけで美味いと喜んだ。シュラもまた食事を終えてから酒のつまみに彼の故郷の味を楽しむ。青銅も老師とムウも片付いたら、スペインに行ってお前の故郷を探し当ててやるとデスマスクは宣言した。隠すつもりなど無いが、面白そうなので自分もヒントになるような食べ物くらい用意しようと話に乗ればデスマスクはにっこり笑う。
「俺ももう一度シャワーを浴びてくる。寝室で待ってろ」
 片付けを終えたシュラはそう言い残して浴室へ向かった。

 待つ間にデスマスクは今夜もらう衣服を何にしようかと勝手にクローゼットを開けて物色する。番になってからよく持ち帰るので、昔は私服の数も少なかったのに今では10着くらい常備されている。どれも当たり障りの無い無味無臭なデザインばかりだ。いかにもデスマスクに与えるため常備していますという感じも滲み出ている。
「…これずっと置いてあるな…もう使ってないのか」
 今まで気にしてこなかったが服を退けた奥に、隠れ家へ行く時シュラが使用していた鞄がひっそりと置かれていた。シュラは普段、財布しか持たない。袋が必要な時には現地調達している。その感覚がデスマスクには合わなくて、一緒にいる時は自分の鞄にシュラの持ち物を入れる事もあった。
(…何か入ってる…?良い感じの私物だったら貰うか…)
 引き摺り出した鞄は少し重みがあり、何かが中で動く。ファスナーを開いて手にしたものは手帳だった。一冊だけではない。数冊入っている。
(あいつが手帳をつけているところなんか見たことないぞ…)
 手に取った手帳を開いて驚いた。下手な字がびっしりと書き詰められている。
「なっ…なんだコレは⁈」
 デスマスクには読めなかった。下手だからではない。ギリシャ語や英語ではなく、スペイン語で書かれたそれ。
(くっそ…わかんねぇ!スペイン語かじっておくべきだった!何が書いてあんだよ!)
 仕事のことだろうか。カレンダーにも白紙にもたくさん書き込まれている内容が気になって、どうにか読めないかと字列を睨む。
(ぴ…ぴあ…ん?ぱ、ぱすた…ぴざ…?これって料理のメニューか?なんでまた…)

「ぎゃびぃ⁈」
 真剣になっていると突然、手にしていた手帳が取り上げられて変な声があがってしまった。
「ククッ…おまえ、どこからそんな声が出るんだ」
 見上げたデスマスクと見下ろすシュラの視線がぶつかる。シュラは何も言わず手帳を近くの台に乗せた。取られたデスマスクは鞄に残る手帳を手に取るがそれも次々取られてしまう。
「…それ何だよ?何の記録?料理だけではないよな?」
 訝しむデスマスクの声に対しシュラは無表情で、手に残った手帳をパラパラと眺める。低い声で唸ってから手帳を閉じてデスマスクの隣にしゃがんだ。
「…これは、Ωが覚醒してからのお前の記録だ」
「…俺の…?」
「ハハ、今改めて見るとヤバいよな…βのくせにαばりの執念を感じる。任されたとは言えお前に関しての記録が仕事の範疇を超えている」
 改めてデスマスクに開いて見せたシュラは、何が書いてあるのかを指差しながら説明した。発情期中の様子、食事について、異変、薬のことなどはもちろん、聖域にいる時のデスマスクの状態までとにかく書けることは全て書き出していた。
「隠れ家もΩのお前を哀れんで準備したわけではない。快適に過ごせる場所を自分が用意してやれるという高揚感があった。最初から俺は、お前に関われる事が嬉しかったのだろうな…」
「あんな…気のない態度してたくせに?」
「騙していたわけではなく、お前に惹かれているという自覚が無かったんだ。βだったしな。しかし今これを見ると…」
 懐かしそうにページを捲り終えたシュラは手帳をデスマスクに差し出す。
「ずっと…心の奥底では好きだったのだろう…これはその証として十分だと思う。愛を綴る日記ではないが、お前が愛したβの俺が、お前を見続けた七年間の記録だ。持って行くか?」
 台に置いた残りの六冊もデスマスクに渡された。どれも書き込みが多くて、あの頃のシュラがこんなにも自分に目を向けていた事実に胸がギュッとなる。そこに好きの意識はまだ無かったとしても、互いを思う気持ちの熱に差が無かったのは嬉しい。デスマスクは心のどこかで自身のΩフェロモンがβのシュラですらジワジワと狂わせてしまったのではないかという思いがあった。そうじゃない、初めからシュラはデスマスクを見ていたのだ。
「要らなければ鞄に戻してくれ。ハハ、βの遺物だが捨てるのはさすがに勿体無くてな」
 そう話すシュラは笑っているが、どこか切ない表情をしている。殺したつもりでもふと湧き上がる己のβとαの葛藤は今でも解消されていないようだ。
「…読めねぇけど、スペイン語の練習兼ねて貰ってやる。番になりたくてαを強請ったが、もうβとかαとか関係無いからな?俺は今のお前ちゃんと好きだから」
 七冊の手帳をベッド脇の台に乗せたデスマスクは、両手を広げてシュラを受け止めベッドに押し倒された。
「お前が好きだから…お前がβでもαでも例えΩであっても俺はお前に抱かれたい…!」
「同じだ、俺もお前を抱きたい。性別が何であろうと愛して愛して満たしてやる!」
 首筋の噛み痕に唇を寄せ、舐めるだけでデスマスクは吐息を漏らして濡れていく。爽やかな甘い香りが部屋に満ちる。服を脱がせながら全身を唇でなぞり肌を重ねた。伝わる心音はいつも通り。体温もそう。不調なんて感じられない。
「青銅が片付いたらスペイン語を教えてやる。お前もイタリア語を教えてくれ」
 頷くデスマスクはもうシュラの熱に侵され、全てを捧げるままだ。
「聖域に残るαとΩも殲滅させたら、どちらかの国で暮らそう。ひっそりと、あの隠れ家のような家で」
 揺れながら、潤んだ瞳に満ちた涙がデスマスクの頬を伝っていく。
 夢のような事を望みながらも、きっと自分たちは再び悲劇に落ちていくのだろう。そう…望みながらも悲劇を選ぶ。αとΩの虐殺は理想の実現と並行して罰の到来を待つ時間稼ぎ。自分たちのことしか考えない二人は永久に裁かれ続ける。
 そこに気付いた今、第二の性に翻弄されてから初めて神を讃えれる気がした。

「終わったらまたお前のとこ行くから」
「あぁ、待ってる。聖衣の調子見ておけよ」
 夜が明ける前、デスマスクを巨蟹宮まで送ったシュラは私室前でキスをして別れた。日本のアテナたちはわざわざテレポートを使わず飛行機で聖域まで来るらしい。そして礼儀正しく9時過ぎに到着するという連絡まで受けたようだ。だが全てを信用するわけにもいかない。ここから長い待機が始まる。
 シュラが磨羯宮へ戻る途中、夜明け前にもかかわらず天秤宮でミロとすれ違った。
「クク…お前たちはこんな時くらい性欲を我慢できないのか?」
「明日の命もわからぬ聖闘士である限り、悔いは残したいくないのでな。求められれば愛してやるだけだ」
「聖闘士か…教皇に何を任されているか知らんが何事もやり過ぎは身を滅ぼすだろう」
「そんな事くらい理解している。お前も悔いなく生きろよ」
 手短に切り上げたシュラはそのまま天秤宮を抜けて階段を上って行った。
「だから、俺はお前たちとは違う…」
 ミロは舌打ちをして呟き、シュラが見えなくなってから自身も天蠍宮へと戻って行った。

 太陽が高く昇りつつある頃。シュラはデスマスクから貰ったアンクレットを寝室の引き出しに片付け聖衣に着替えた。磨羯宮の外に出ると、太陽の光に紛れているが時計台に灯りが見える。
「来たか…」
 晴れた空、雲がゆっくりと流れていく。肌寒い風がときおり吹くだけで辺りは静かだ。宮殿を支える柱にもたれかかり麓を眺めている最中、白羊宮の火が消えるのを見届けた。僅かに力を増したコスモの群れを感じる。
「やはり白銀では駄目だったか…任せたぞ、デスマスク…」
 磨羯宮からずっと下の巨蟹宮ではデスマスクがその時を楽しみに待っていた。

(ムウの奴…ノコノコと現れやがって…青銅を潰したら直ぐに殺してやる…!アルデバランはそれなりに闘ったようだが命など賭けることなく青銅たちを先に進めるとは…馬鹿め…殺せと言われていただろう?適当に言いくるめられたか、ただの力試しと勘違いしているのか…)
 青銅聖闘士たちが双児宮へ入った事を確認したデスマスクは巨蟹宮の中央で闇に紛れ、来るべき時を待った。外が晴れていれば灯りの乏しい宮内もそれなりに明るい。しかし巨蟹宮だけはデスマスクが聖域に来た時から太陽の光が宮内に届かず闇に沈んでいた。死面が通行人に何か危害を加える事はない。幽霊が出るわけでもない。ただただ気味の悪い巨蟹宮を通過する雑兵たちはみな一目散に走り抜けていく。
(…双児宮で何を手間取っている?悠長に作戦でも相談しているのか?)
 双児宮に邪なコスモが漂っているのはわかるがサガはそこにいない。まさか教皇宮にいるサガが双児宮を利用して青銅とやり合っているなど頭になかったデスマスクは、そこから動く気配を見せない敵に苛立ち始めた。今のところ聖衣を着ていても体調に問題はない。力も漲っている。ただ、聖衣の輝きは鈍っていた。それが一層デスマスクを巨蟹宮の闇に埋めている。
(あぁ…早く葬ってやりたい!)
 聖衣の輝きなど気にも止めず、床に張り付く死面を踏み付け待ち侘びた。

 昼過ぎ、点灯から三時間が経過し双児宮の火も消えるのを磨羯宮からシュラは見ていた。
――来るのか…――
 それまで動かなかったデスマスクのコスモに揺れを感じ、シュラは瞼を伏せて念じる。来るのならば、全て殺してしまえと。

「お前、黄金聖闘士のくせにΩかよ!でも番持ちか…助かったぜ…」
「老師を襲うだけではなくこんな非道なことまで…聖闘士として恥ずかしくないのか!」
 巨蟹宮の死面に気付いた青銅たちが何かを喚いている。現れたデスマスクの姿を見て悪態をついている。二人とも顔は知っていた。鷲星座の弟子、天馬星座。そして老師の弟子、龍星座の紫龍。いかにもαらしい彼らの言うことが安っぽくて、聞いてやる気も起きない。女神なら…もしも本当のアテナであればこの俺を見て何と言う?

――デスマスクだけは必ず倒すのです!――

 黄泉比良坂の地で確かに響いた声。現世にいるデスマスクへ向けられたものではなかったが、敏感な彼の頭には大きく響いた。
「クク…十三年間聖域を保ち続けた自らの聖闘士に対し愛のない言葉だ。紫龍の魂を戻す程の力…アテナであると認めたいが、それは却って傷付いてしまうな。それとも愛ゆえに俺を殺すという考えか?ならばシュラも共に殺してくれるのか?ハハッ!」
 シュラよ、神でさえ俺の深部には触れようとしない。やはりお前だけだぞ、お前だけが俺の心に触れ、俺はお前だけに触れることを許した…。俺にはもう、生涯お前だけだ…。
「紫龍よ、今度こそ確実に死の国へ送ってやろう!二度と戻れぬ深い闇の底へとな!」
 青銅を殺し、黄金を殺し、サガもアテナも殺してしまおう!
「力で抑え付ける者には力で対抗するしかできん!力を持つ者は勝者となり、その者の歩む道が正義となる!後世、そうした英雄たちが悪に転じて討たれるのは、より力を持つ者に敗れただけのこと。正義も負ければ悪となる。ならば力を持つ今こそ全て殺してしまえばいい!情けは自らを滅ぼす!」
 二度めの積尸気冥界波で紫龍は呆気なく冥界の入り口に落ちた。
「なんと呆気ない…」
 先程紫龍を助けたアテナのコスモには波がある。万全の状態ではないのだろう。今のうちに天馬星座も追い掛けて二人とも潰してやると考えたデスマスクは、魂が抜けて目の前に落ちている紫龍の体を蹴り上げた。
――……‼︎――
「……なんだ……」
――……‼︎……‼︎――
「……くそ……誰だ……」
 途端、アテナのものではない、コスモと言えるような強い力でもない囁きがデスマスクの周りで突然弾け始めた。
――……‼︎……‼︎……――
「あぁっ!くっそ!誰だ!鬱陶しい!」
 むしゃくしゃする。この、とても純粋で清らかな…祈りが…紫龍を案じる祈り…まだ目覚めてもいない…未熟な…Ωの、祈り…。
「くそ…穴へ落ちるまでこれが続くのか…!ならば一刻も早く紫龍を殺してくれるわ!」

「デス…⁈」
 突然消えたデスマスクのコスモに、シュラは伏せていた瞼を持ち上げ磨羯宮の入り口から麓を見つめた。
(黄泉比良坂へ向かったのか…?)
 死の予感は無い…。自分も感じたアテナと認められる小娘の力にデスマスクが本気になっていくのはわかった。アテナの補助がなければ青銅一人を倒すくらい容易いはずだが…。
「邪魔が多くて手こずっているようだな」
 突然掛けられた声に振り返ると、悠長に自宮を抜け出して来たアフロディーテが立っていた。
「お前…こんな時に何をしている!」
「まだまだ時間はあるだろう。十二番目の私はずっと待ちぼうけだ、夕食の支度まで済ませてしまったよ。カミュだって宝瓶宮を抜け出しているしな!」
 そう笑いながらシュラの隣に並び、巨蟹宮の方を見つめる。
「心配なら行くか?巨蟹宮へ。今なら私が磨羯宮に留まってやるぞ?」
「…断る。そういう事は嫌がる奴だ。デスマスクとしても、Ωとしても…。青銅一人に黄金二人は恥だ」
「そうだが女神付き青銅は反則ではないか?」
 少しの沈黙を置いてからシュラは呟く。
「もしも…アテナがデスマスクを殺すような事があれば俺が仇を討つだけだ」
「…で、後追いするのか」
 シュラの言葉に溜め息を吐いたアフロディーテは呆れたように言うが、それを消すように笑い声が重なる。
「フッ…デスマスクは死なない。そこまで考える必要などない。今に黄泉比良坂から戻り先へ向かったもう一人の青銅も討つだろう」
 死の予感は無かった。あちらへ向かっただけだ。だが、もしも黄泉比良坂でデスマスクが亡くなった時それはわかるのだろうか?コスモの届かぬ冥界の入り口から、それを知る術があるのだろうか?
「そうだな、待とうではないか。我々の血に塗れた正義を」
 二人はそこから動かず、巨蟹宮の方をじっと見つめデスマスクの帰還を待った。

ーつづくー

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2024
09,20
 老師暗殺の失敗から僅か数日後、好機は向こうからやって来た。聖域を守護する黄金聖闘士たちが教皇宮に呼ばれ集まっている。教皇の登場を待つ中、デスマスクだけはまだ来ていなかった。
「デスの奴はギリギリまで任務か?何だかんだ真面目だな」
 遅めに来たアフロディーテは辺りを見渡しながら、やはりシュラの隣に並んだ。第二の性が判明してからの三人は自然とシュラを挟んで両脇に二人が並ぶようになっている。老師を除く黄金十一人が揃っていた頃は十二宮順に整列していたものだが、十三年前の事件以降は不在者が多いゆえ次第にそれも崩れてしまった。その時点で今の聖域のだらしなさが現れているとも言えるだろう。
「アイオリアの奴、ずっと顔が強張っているがどうしたのだ?調子が悪いのか」
 教皇座の正面、中央。一人で不自然に仁王立ちしているアイオリアが気になる。
「俺も気になってお前が来る前に声を掛けてみたが、体調に問題は無さそうだった。抑制剤の副作用でも出ているかもしれないな…αらしさが剥き出しになっている」
 そういう事か、とアフロディーテが頷いたと同時に後ろの扉が開きデスマスクが入ってきた。全員が聖衣を装着している中、一人だけ鍛錬着のままでいる。
「おいおい…君さ、一応教皇の召集だぞ?形だけでも着てくるべきだろうに」
 アフロディーテの声掛けに無言のままデスマスクはシュラの隣に並んだ。離れたところでミロがカミュにヒソヒソと話をしている。シャカとアルデバランは全く気にしていない様子だった。アフロディーテがため息を吐く中、シュラはそっとデスマスクの尻に触れてみれば勢いよく叩かれたので、いつもの調子に安堵し姿勢を正した。教皇の登場だ。

「ご丁寧にも日本から偽りのアテナと青銅聖闘士たちが聖域に来る旨の親書が届いた」
 その言葉にカミュのコスモはもう揺れなかった。
「情けないことに今まで派遣してきた白銀聖闘士は成果が上げられなかったが、ここで全ての偽りを暴くために奴らを迎え入れようと思う。アテナを自称する者に真の力が宿っているのであれば、青銅とは言えこの十二宮を破ることができるはずである。偽りならばそれまで。安易にアテナを騙り世界を騒がせた裁きを下すのだ!」

ーーー

 双魚宮でアフロディーテと別れてからシュラはやっとデスマスクに聖衣を着ていない理由を尋ねた。
「さっきまで着ててそのまま来ようと思ったんだが、妙に暑苦しく感じて脱いできたんだ。今までどんな灼熱の中でもそういう苦しさを感じた事は無かったんだがな…俺の調子が悪いのかもしれん」
「俺が抱いても効果が無くなったのか?」
「いや…技とかコスモ自体は冴えているのだが…青銅を殺るチャンスが来たというのにタイミング悪ぃな、クソ!」
「所詮、青銅だ。また白銀の奴らが取りこぼしてもアルデバラン一人で十分だろう」
「あいつもヘマしたら俺が全部片付けるんだぞ?別にそれくらい良いけどよ、まぁ青銅くらい聖衣が無くてもどうにかなるだろうしな」
 召集に聖衣を着ていなくてもサガは何も言わなかった。老師暗殺を失敗してから「やはりΩは…」と言いたげにデスマスクを蔑む様子が感じられる。それを早く見返してやりたい。
「青銅を潰したら五老峰に行く。老師を始末してムウを探す」
「宮の位置が逆であれば俺が青銅を片付けられるのだがな…順番は仕方ない。全部任せたぞ」
「いいよ、全部殺ってやるよ。今度、青銅が来る前は全員聖域待機で暇になるだろ?その時また泊まるからよろしく」
 磨羯宮の私室前に到着し、二人はキスを交わして別れた。下りていくデスマスクの背が見えなくなるまで見送る。瞼を伏せ、ため息を吐いてから私室に入ろうとしたその時。
――不安かね?――
 思いも依らぬ人物から声が掛かった。
 頭に響く声に振り返ると、いつの間にかシャカがスラリと立っている。シャカとは連絡以外で個人的に会話をした事がない。話しかけられるのも初めてだ。
「…俺に何か用か」
「デスマスクのこと」
 彼の名が飛び出してシュラは眉をひそめる。少し考えてからシャカの前まで歩み出た。
「あいつがどうした」
「いつも先に行ってしまう。追い掛けられていたはずなのに、いつの間にか追い掛けていた。そんな事は輪廻転生の中に於いてよくある話である。順番を変える必要はない。流転を下手に弄ると取り返しがつかなくなる。今の自然なままでいい」
 唐突に始まった話は抑揚が無く、淡々と語られる。そのわりにシュラが口を挟むのは許されず、話は続いた。
「君たちにとっての悲劇はもはや悲劇に非ず。悲しみこそ二人を繋ぎ続ける縁。満たされ成就した先にあるのは解脱。解脱とは私のような者が目指す境地。まだ荒々しい魂の君たちに相応しい場所ではない。それこそが悲劇。君たちはもがき続けるべきだ。世の中を荒らし、人を殺め、地獄に堕ちても天に昇ってもなお追い掛け続けてきたそれを今も、これからも」
「…要するに幸せを望むな、ということか」
「君たちの場合、既に『幸せ』の輪にいると思うぞ、私の解釈では。やがて来る二人の解放と自由が『幸せ』と捉えるならば目指すが良い。君は『永遠』を何とする?」
 そこまで喋るとシャカはシュラの答えを待たずに歩き出し、磨羯宮を出て行ってしまった。
「……なんなんだ」
 シャカは個性の強い黄金聖闘士の中でもデスマスクとは別の意味で異質だった。人付き合いもせず、全てに於いてマイペースで余裕がある。でも自分は悪評高くとも個性的に生きているデスマスクの方が好きだなと思う。それは困難があるからこそ輝く部分もあるという事か。
「繰り返す悲劇が、幸せであると…?」
 …そんなことは精神論のレベルが高過ぎて共感できない…そう思いながらシュラは磨羯宮の私室へと戻って行った。

 以前、デスマスクは平和の究極とは"無"であろうと話していた。おそらくそれは現世の苦楽に依存する者にとって、魂の"死"と同義になるのだろう。性差を否定するデスマスクでもそこまでは望んでいなかった。シュラとの愛の成就が無に帰す終焉となってしまう。ならば…悲劇、不満、後悔がある限り二人は互いを追い掛け続ける事ができるということ。幸せな結末を迎えたいと願いながらも悲劇を繰り返す深淵が、ここにある――

 教皇の召集から間もなく、黄金聖闘士たちはアテナを名乗る一派を迎え討つため明日からの十二宮待機を言い渡された。
 早朝に任務を終えたシュラはこんな時にイタリアへ向かった。デスマスクが磨羯宮へ来るのは夕方以降になる。任務でもなくデートでもなく、一人気ままにイタリアを歩いてみたいと考えていたそれを急に思い立った。シチリアへ行くことは黙って過去を探る行為のようで気まずく、適当に海辺の街ナポリを選びゆっくり歩いていく。デスマスクの出身地は知らない。シチリアでないことは知っている。ミラノやフィレンツェなど各地へ連れて行かれたが、どこも満遍なく知っている感じであった。大きな街だがナポリに来た事はない。
「……?」
 建ち並ぶ店先に、なぜか見覚えのあるパッケージを見つけた。目の前まで行くとそれはいつぞやにデスマスクが食べていた揚げパンのパッケージ。
「ぜっぽりーに…」
 イタリア語もまだわからないが何となくは読める。確か地元の料理と言っていた、という事は…
 改めて、辺りの景色を見渡してみた。観光都市だけありここでもαとΩのカップルを見かける。βとβのカップルももちろん多い。シュラは空いていたベンチに腰掛け、足首に着けた黒革のアンクレットに触れた。

 今、ここにいる自分が聖闘士という宿命を背負い、Ωの番と共に命をかけて戦い抜いているということは誰も知らない。近く、青銅と戦い誰かが命を落としてもニュースになどならない。あそこにいるαとΩをデスマスクが殺しても、その名は絶対に知られない…。
 全て理解して生きているが、この地がデスマスクの故郷かもしれないと気付いた瞬間、無償に悔しく思えてきた。自分たちだけが必死過ぎるように思えて。こういう場所で生まれたとか、こういう名前だったとか、躊躇う必要のないことも秘して、それまでの人生を捨てる事が美徳であるかのような生き方が。自分を隠し続けるデスマスクの胸の内が、真実を見てほしいと訴えていたこと。そんな悔しさをこの機に及んで感じてしまう自分の弱さ…。

――早く、全てを片付けてしまおう――

 たとえ過酷な聖闘士であろうとも自分たちは合間を縫って恋人らしい余暇を過ごすことはできた。青銅を片付けた後にまた二人で時間を作ればいい。それすらも私欲に塗れた行為と神は咎めるかもしれないが。
 立ち上がったシュラはつまみにとゼッポリーニを一袋購入し、聖域へと戻った。

 その日の夕方、どうせなら磨羯宮へ向かう道のりも共に過ごしたいという気持ちが強く出たシュラは巨蟹宮でデスマスクの帰りを待っていた。寝室のベッドと居間のソファーにはシュラが与えてきた服が積み上がっている。会えない日はデスマスクがこの服に埋もれていると思うと愛おしくて仕方がない。私室にまで漏れ響く死面の呻き声の中、少しでも良い夢が見られる癒しになっていればと願った。
「ん?お迎え?お前そんなに暇だったのか」
 音も無く入って来たデスマスクは聖衣を着けておらずパンドラボックスを背負っている。
「聖衣持参か、珍しいな」
「あぁ…何かやっぱ具合が悪くてよ」
 テレポートを得意とするデスマスクは聖衣姿を見られる事はほぼ無いからと、着用して出て行くことが大半だった。
「大丈夫か?聖衣に血でも与えておくか?」
 冗談半分のつもりで言ったが「あぁ、そうか…」と低く呟く声。ずっと好調であったのに老師の件から急に勢いが落ちていて、青銅との戦いを前に不安が宿る。デスマスクの出る幕がなく終われば良いが。
「俺の血を使っても良いぞ」
「いや、いい。お前からは血よりももっとイイもの分けてもらわねぇとさ」
 ドスンと雑な音を立てて聖衣を置いたデスマスクは、にっこり笑いながらシュラに擦り寄ると頬へ軽くキスをした。
「早く磨羯宮に行こうぜ。シャワーもそっちでする。さすがにここもうるさくなってきたからなぁ」

 着替えを済ませ黒革の首輪を着けたデスマスクは、シュラに腕を絡めて磨羯宮へと向かった。陰鬱な巨蟹宮を抜けると晴れた空に夕焼けを覆い隠そうとする闇が綺麗なグラデーションを描いている。
「黄泉比良坂ってさ、こんな感じの色してんだよ」
 他愛のない話の途中で突然そんな事を言った。
「こんなクリアじゃなくてもっとドロっとしてるけどな。太陽が死んでいくような、闇から何かが這い出てくるような、不安を煽る色をしている。暗いわけではないんだよなぁ。何か気持ち悪い」
「…地上のみならずそんな場所までもずっと管理してるお前は偉いと思うぞ」
「ほんと何でこんなちゃんとやってんだろうな。黄泉比良坂も放っておけばいいのにさ。どうせ蟹座不在の時代は放置状態なんだし」
「ククッ…確かにもう行かなくて良いんじゃないか?今は現世から逃げたくなる事も無いだろう?」
「そうだよなぁ。青銅がちゃんと死んだか確認したら当分行くの止めるわ」
 数え切れないほど二人で上り下りしてきた十二宮の階段。今ではこんな会話も当たり前だが、黙って探り合いをしていた若い頃を思うと不器用だったなと苦笑いが漏れる。
 巨蟹宮から磨羯宮まで来れば空はもっと広くなった。まだうっすら明るさの残る夕闇に星の瞬きが灯り始めている。シュラが磨羯宮の前で振り返り空を見上げると、デスマスクもつられて星を眺めた。
「神話の影響なのか死んだら星になるとよく表現されるが、あんなに離れているのは嫌だな。しかも動けない」
「…ん?俺らが星になるってこと?」
 デスマスクの返しにシュラは頷いた。
「やだ…急にロマンチックになるなよ…なんて返せばいいんだ…」
「別にちょっと思っただけだ。死んだら黄泉比良坂へ行って地獄に落ちるのが真実なんだろ?」
「そうだけど、まぁ…人が何を思うかは勝手だ。それで死に対して楽な気持ちになれるのならな」
「だったら…俺は星よりもまたお前に会うための準備をする」
 声を潜めてデスマスクを見つめるシュラの背景、星が一つ流れていく。
「…どうやって?」
 見つめ返したシュラの瞳は真っ暗で体の芯がゾワりと震えた。
「一つはもう済ませた。お前の首の噛み痕。その体だけではなく、お前の魂に俺の傷を残す」
 その言葉にデスマスクはスッと首に手を当てる。
「そして忘れさせないほどの愛情を注ぎたい。他の奴らに誘惑されても受け付けられないようにな。死ぬまで注ぎ続けるから全部受け取れよ」
 伸びるシュラの手が頬に触れてからスルスルと首筋を辿る。押さえていた手を退けて噛み痕を指先で撫でられると体のあちこちがジンジン感じて切ない表情を作ってしまう。
「…もう受け取ってるって…体にも、心にも…」
「足りないだろ?もっとだ。俺が一生をかけても満足できないくらい貪欲なのは知っている」
 抱き寄せられて、唇を何度も啄み合った。
 すっかり闇に落ちた空で光の弱い星がいくつも流れていく。ここは暗いから目に映るが、街中にいれば全く気付かないだろう。人の苦悩、聖闘士の存在と同じく全てのことが目に見えるわけではない。星は毎日流れる。人の命は毎日潰えていく。誰にも知られずひっそりとどこへ落ちる?どこへ向かう?黄泉比良坂にある大きな穴の中か。深い闇のその先が地獄である事は知っているが、どうなっているかまでは知らない。――本当に、地獄なのだろうか?
「……ハ、ハハ……」
 キスの最中というのにデスマスクは込み上げくる衝動で笑いが漏れてしまった。シュラもそれを奇妙に思わず微笑んで見つめる。
「なんか…真理?見つけたかもしれん。俺が今までずっと見てきたこと、そう信じて来たことを覆すものがさ。お前を想って追いかけ続けるための道がな!」
 もう一度強く抱き締め合ってから、二人は磨羯宮の私室へ入って行った。

ーつづくー

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2024
09,17
――老師暗殺、失敗――
 翌朝、疲れなど見せずコスモを漲らせて聖域を発ったデスマスクは老師を討つことができなかった。更にはずっと行方をくらましていた牡羊座の黄金聖闘士ムウが駆け付けて来たことにより、その場に居合わせた弟子の青銅聖闘士すら倒せず聖域に引き返してきたという。今のデスマスクは無謀な闘いだとしても引くことなど考えられない、そんな勢いを持っているはずなのに。
 夕暮れ時、薄暗い巨蟹宮の中でデスマスクは宮内に張り付く死面をひたすら殴り、踏み付けていた。
「酷いな…いつからこの状態なのだ?癇癪にも程があるだろう」
 離れた場所からデスマスクを眺めているシュラの隣にアフロディーテが並ぶ。
「まだ明るい頃からずっとだ。声を掛ける隙もない。気の済むまでと思っていたがその前にあいつが倒れそうだな…」
「意地でも誰かに傷を負わす男がまさか何の成果も上げられなかったとはね…あ、ムウの存在確認はデカいか。で、どうするのだ?番さん」
「そろそろ…殴り合いをしてでも止めてくる」
 シュラはゆっくり瞬きをしてからデスマスクの元へ歩き出した。隣まで来ても無言で死面を殴り続けるデスマスクの腕を掴む。動きは止めるがシュラの方を見ようとしない。
「思うところはあるだろうが、それくらいにしてくれないか」
 掴んだ腕は徐々に震え始めるとシュラの制止を振り切り背を向けた。
「おい、どこへ行く!」
 外へ向かい歩き始めたデスマスクを追い、再び腕を掴む。次は掴んだ手を強く振り落とされた。
「…もう一度、行く…」
「なに?」
「もう一度行って!ぶっ殺して来る!」
 声を張り上げ駆け出していく。巨蟹宮を抜けてからは浮遊し、滑るように下りていくデスマスクをシュラはすぐに捕まえた。テレポートが使えなければ足の速さでシュラには敵わない。両腕ごと背中から抱き締められて階段を転がり落ち、双児宮の手前にある岩にぶつかった。
「くっそ!離せ!行かせろ!俺はどうかしていた!今なら老師だけでも!青銅だけでも確実に殺せる!俺の言う事を聞けぇっ!」
「正気を保て!この状態では老師に勝てない!」
「お前がそんな事言うなァ!殺ってこいって送り出せよ!俺を止めるんじゃねぇぇえ!」
「っぐっ…!」
 サイコキネシスで辺りの石を浮遊させたデスマスクはそれをシュラにぶつけ始めた。頭であろうと構わずこぶし大の石が打ち付けられる。
(さすがにこれは、キツいな…)
 そう思えてきた頃、二人を追ってきたアフロディーテが数本の薔薇をデスマスクに撃ち込んでくれた。手加減された薔薇の矢はどれも聖衣に弾かれ落ちていくが気を逸らすには十分だ。
「シュラを殺す気か!止めろ!」
 アフロディーテの声にデスマスクが首を回した時、首筋のまだ赤みが残る噛み痕がシュラの目に映る。そして、
(これしか、ないのか…)
 歯軋りをしてから聖衣に阻まれた窮屈な隙間に顎を捻じ込んだ。昨日付けたばかりの噛み痕を目掛け、牙を立てて噛み付いた。

「……大丈夫か?君もだが、デスマスクのやつ……」
 シュラに首筋を噛まれたデスマスクは艶かしい声を上げながら全身の力が抜け落ちていった。抱く最中に愛情を込めて行うのとは違う、暴力的に首筋を噛む行為は無理矢理Ωを躾けるようで使いたくなかった。シュラの腕の中で目を見開いたまま、時折体を震わせている。当てられた石によって額から流れる血も気にせず、シュラは噛み痕を舐めてケアし続けた。
「お前のおかげで俺の傷は大したことない。デスマスクは…昨日も噛んだばかりだったんだ…」
「番がいないからよくわからないが…それをやり過ぎると死ぬとかあるのか?」
「俺にもわからない。しかし…今は良い気がしない…αの力で押さえつけてしまったようで…」
「仕方ないさ、αなのだし」
 アフロディーテはそう呟くと、そっとデスマスクの瞼に指を置いて閉じさせた。
「目覚めてまた暴れるようだったら来るけど…まぁそこまで分からず屋でも無いだろう」

 デスマスクを抱き上げて巨蟹宮まで戻る頃には日も落ちていた。アフロディーテに頭を下げ別れたシュラは、私室に入り自身の血を拭う。そしてデスマスクの聖衣も外してベッドに横たえた。何となく気付いていたが、シュラに噛まれた影響でデスマスクの体は意識がまばらでも発情を見せていた。
「…こんな体、嫌だよな…よく自我を保って頑張ってきた…」
 ベッドに乗り上げたシュラはデスマスクのアンダーウェアも脱がせて、露わになった熱を手のひらで包み込む。首に、胸にと唇を寄せて撫でていけば吐息が漏れ出る音が聞こえてくる。
「フフ、気持ち良いか?…もっと悦くしてやるから…」
 目覚めないデスマスクを癒したシュラは体も綺麗にしてから隣に寝転び、愛おしい番の顔を見つめ続けた。


――デスマスクよ、お前が来るのか。教皇の悪事も見抜けぬとは堕ちたものだな――
 そうさせたのはあなたです、老師。シオン様の死を知りながらもハーデスの監視を優先しこの場所に居座り続けて…前アテナに与えられた勅命とは言え、聖域のためになる事は何一つしてくれなかった。

――信じていたのだ、お前たちであれば乗り越えられると――
 クク…どうとでも言える。わたしたちのせいですか?放っておいても教皇を討伐すると期待していたと?出来が悪くて残念でしたね。あいにくわたしは本当に出来が悪く、自分自身と聖域の崩壊を食い止めるために必死だったんですよ。いや、女神もいないあんな場所、さっさと潰してしまった方が良かったのでしょうか。

――……Ω、なのか……――
 わかりますか?ハハ、安心してください。もうαを惑わすフェロモンは出ませんから。正真正銘、わたしの力であなたを討たせてもらう!

――……シュラと、番に……――
 …さすがですね。そこまでおわかりとは。アイオロスに聖剣を向けたあいつと今からあなたを死地へ送るわたしはお似合いでしょう。信頼できるのはシュラとアフロディーテのみ。今日まで我々は聖域と世界のために支え合い努めてきた。裏切り者はわたしたちではありません。老いているとは言え勝手に解釈を変えられては困ります。あなたこそが聖域の裏切り者なのだ!

「ぅぎゃぁぁあああああああっ!」
「デス⁈」
 自分が上げた声で目覚めたデスマスクは暗い部屋の中でも側にシュラがいる事を感じ取り、姿を探した。すぐ隣から声が掛かる。
「デス!」
「しゅらっ…あ、おれ、老師…殺った…?…っいて…」
 動かした首に痛みが走り、手で押さえて背を丸くした。起き上がったシュラは電気をつけてから、首を押さえる手に自身の手を添える。
「すまん、抱いていない状態で噛んでしまったんだ…まだ痛むよな…」
「いい…それより、老師…」
 シュラの心配をよそにデスマスクは老師のことを気にした。あれだけ苛立っていたことを忘れてしまったのか、思い出したくないのか…。教えろよ!と急かす声にシュラは静かに答えた。
「……お前は、引き返して来た。誰も殺していない…」
 何度も瞬きをしてじっとシュラの顔を見つめる姿に胸が苦しくなる。
――だめだ、壊れてしまう…――
 静かに起きあがろうとしたデスマスクを抱き締めて再びベッドに沈めた。
「はぁ?……うそ、だろ……なん、で……」
 ぽつりぽつりと絞り出される声が切ない。
「デス、お前は失敗していない。討つのは今ではないと判断して引き返してきたんだ。それは間違いではないし、また次がある」
「バカな…何で俺、そんなことしたんだ…?」
「老師との闘いにムウが割り込んできたのだろう?黄金二人を前にお前は勇気ある賢い判断をした」
「勇気?…勇気があるなら二人ともぶっ殺すだけだろ?!違う…違うんだよ…!あぁ…お前っ…お前が言うから…!お前が!αに殺られるなとか!引く事も考えろとか言うからぁっ!」
 身じろぎをしてもシュラの束縛は解けない。声だけ精一杯上げて抵抗した。
「そんなつもり、無かったのによぉっ…青銅と、黄金α二人を一気に殺せるチャンスだったのに!お前の声が俺の判断を鈍らせたんだよっ!どうしてくれる!」

 徐々に記憶が蘇ってくる。老師を討とうとした時、生意気な青銅に邪魔をされた。それは問題ではなかったが更なる邪魔が入ったのだ。牡羊座のムウ…教皇シオンの弟子でありデスマスクをも超えるサイコキネシスの使い手。老師もムウもシオンの死を知りながら聖域を投げ出したのが許せなかった。黄金のくせに面倒ごとからは逃げて悠々と隠れ続け、自分に都合が良くなれば正義面をして出てくる。α黄金でさえそういう狡い奴らがいるのだ。分かり合えるはずがない。苦労を重ねてきた自分たちの邪魔でしかない。二人まとめて殺すことしか考えられなかった。しかし…

「突然、聖衣が重く感じたんだ…力は漲っているのがわかるのに、それを締め付けられるような重圧を感じて…その時に『引け』という声が頭の中に響いた…お前が俺に何かしたのか…⁈」
「俺も昨日は別の任務に出ていた事くらい知っているだろ。それにそういう遠隔技は苦手だ。何もしていないが…αとして、番として俺の念がお前の中に残り過ぎていたのかもな…だがそれは弱さではない、黄金二人を相手にするのは危険なんだ。機を見て出直す方が賢明に決まっている。早まったお前にもしもの事があれば聖域も世界も終わりになってしまうのだぞ」
 シュラはデスマスクの髪を撫でて落ち着かせようとした。自分が必要、という言葉を聞いたデスマスクは抵抗を止め、体の力を抜いていく。重なる肌から感じる心音も次第に穏やかになっていった。
「クッ…次を勧めるならば、俺はまた行くぞ…お前は俺が老師を討つ事に不満は無いのだな…?」
「無い。正気でなければ止めもするが、普段通りのお前であれば送り出す」
 ふぅん、とデスマスクは目の前にあるシュラの首筋に鼻を寄せ匂いを嗅ぐ。
「今日はフェロモンとか使って有耶無耶にしねぇんだ?」
「……もう噛んでしまったしな。白状すれば意識の無い間に好き勝手させてもらった」
 シュラには時々、快感で誤魔化されてるなと思う時があった。きっとデスマスクを納得させる良い言葉が浮かばない時だろう。それに気付いていることを伝えれば困ったように笑ってはぐらかされる。
「αとΩを殲滅させるならば遅かれ早かれ聖闘士にも手を出すことになるのだ。一人や二人先に手を掛けても変わらん。ただ無理だけはしないでくれ」
「そういうの、いつも上手いこと言ってるつもりだろうが俺に全てを捧げたい気持ちと自分の考えの狭間でお前が無理してることはわかる。…別にそれは怒らねぇよ。だって俺ら元々考え方とか違う者同士だし。お前はαになり切れない元βだし…」
 でも…と呟きながらデスマスクはシュラの束縛からゆっくり腕を引き抜いて背中に回した。
「俺はさ、仲良くも無かったくせに仕事とは言えちゃんと向き合って考えてくれたお前を好きになったんだ。自分を正しく見ようとしてくれる姿勢が嬉しかった。大人でもそれができた奴なんかほとんどいなかったのに。いい加減に相手すれば良いのを真面目にやり切ってさ。お前としてはデキる自分を見せ付けたかっただけかもしれないが、その心を知っているからαになって変わっても俺は嫌いにならないし、お前にずっと好かれていたいと思えた」
 だから…
「俺はお前を手放したくない。そりゃあ一人でもやっていけるが、ここまで尽くしてくれるお前を知ってしまったんだ。今さら一人になりたくねぇよ…。なぁ、ここまできたら死ぬまで俺のために無理を通してほしい。知ってるんだぞ、お前がどれだけ迷っても最後には俺を選んでくれる事を」

 あぁ、非道な殺戮者のなんと可愛いことか…。シュラにしか曝け出さないこの姿、全身に噛みついて食べてしまいたいと思えるαの感情を揺さぶる。デスマスクの懇願に歓喜して思わず場にそぐわない笑いが漏れてしまった。
「ハハッ…あぁ、悪いな。俺のαが不安定である故に、いつまで経ってもお前を安心させてやれず。俺も精一杯尽くしているつもりだ。それが伝わっているのは嬉しい。確かにそれでいいのか考え込む事はあるが、お前に従うとずっと言っているだろう?俺は出来もしないことを口にする奴は嫌いなんだ。変わらないから安心してくれ。だからお前も宣言したからには世界を変えろ」
 今夜はもうデスマスクの体を弄んだというのにやはり声が聞きたいと思った。この殺戮者が懐くのは自分にだけ、という優越感を味わいたいと思った。思うだけではない、そんなことも簡単にできる。番にしたのだから。
 シュラが放つ香りがデスマスクを包み込んでいく。
「答えは出したぞ、はぐらかしは無しだから良いよな?やはり一度抱きたい。首が痛まないように気を付ける。…五老峰へはムウや青銅の動きを見て行けばいい。次こそ討てる。お前にも、聖闘士が…」
 コクンと頷いたデスマスクの顔はもう、穏やかを通り越えて蕩けている。支配しているのはどちらだろう。第二性を恨んでいながらすっかりαとΩを満喫してしまっているなど情けない。立派な理由を並べたところで結局は自分たちのことしか考えていないのだ。
「力を持つとは本当に、恐ろしいことだな」
 サガも自分たちも好き勝手に暴れて救いようがない。そして力があれば、全てに勝つ事ができれば正しい行いとなる。文句を言う奴は全滅しているのだから。いつまで勝ち続ける事ができる?今度こそ二人の願いは果たされる?
 威勢を失いあられもなく上がる声を楽しみながら目一杯デスマスクに愛を叩き込んだ。許される限りの時間、少しでも多くの愛を与えて彼の闇が埋まるようにと願って。

ーつづくー

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2024
09,15
 デスマスクの誕生日から数ヶ月後、巨蟹宮を通過していたシュラはある一角を目にして足を止めた。宮内を埋め尽くす死面の数は本当に全てデスマスクの仕業なのかというほど急速に数を増やしている。老若男女張り付いているが、この一角には親子らしき女性と幼い子どもの死面が集まっていた。粛清ついでに数人巻き込んだだけ…とは思えない。
(第二の性は12歳頃にならないと判明しない。βかもしれない子どもまで…)
 デスマスクの理想に異論を唱えるつもりは無いが、理由があるのなら聞いてみたい。そう思って再び歩き出した時、上から下りて来るコスモを感じてシュラは巨蟹宮に留まった。しばらくすると前方の闇が次第に晴れ、黄金聖衣を輝かせながらデスマスクが戻って来る。
「おぅ、お前もちょうど終わり?俺が来るの待ってたのか?」
 シュラの姿を確認したデスマスクは嬉しそうに浮かび上がり、一気に目の前まで滑り込んで来た。

「何だぁ?こんな隅にいて死面の見学でもしてたのか?」
「なぜこんなにも子どもを殺したのかと思ってな…子どもはまだ第二性が決まっていないだろ?巻き込んだにしては数が多い」
 そう言いながら先程まで見ていた壁面に視線を遣る。意外な質問にポカンとしたデスマスクはつられて壁を確認した。
「あー…何かもう陥落寸前で弱者やΩしか残ってない町があったんだ。他国に難民として送り出してやってもそれが最善とは限らない。全ての難民が快く迎えられ援助が得られるわけではないからな。こいつらは俺の判断で全員殺した。その時一緒に隠れていたガキたちだろうな。侵攻してくるαの奴らに撃ち抜かれたり焼かれるよりはマシだろ。そいつらの声よく聞いてみろ、いきなり登場した俺への恨み言より世の中に文句を言っている」
「その侵攻してくる奴らの方を殺せば良かったんじゃないか?」
「依頼側だったしなぁ。女や子ども、Ωしかいないこと知っててそれなりに気が引けてたのだろう。α兵士だって人間でトラウマも抱え込む。士気が下がる。だからって聖闘士を利用すんなって話だよな。まぁ全滅を確認させてからそっちも全員殺したけどさ。結果的に人数多くてさすがに疲れたわ。まだ何か不満?」
「不満ではない。理由があれば知りたいと思ったんだ。ただの殺しだとしても今さら何も言わん」
 そう告げたシュラはデスマスクを真っ直ぐ見つめる事で意思の強さを示した。以前のように裏切りを疑われてはかなわない。熱い視線にデスマスクの笑みが溢れる。
「クク…有言実行で真面目だなぁ。正直、戦争行為は人類が滅亡しないと無くならない。戦争は金になる。αやΩを消したところでβがおっ始めるだけだが、そこにはもう興味無い。俺だってアテナ始め神々が何を以って"世界の平和"とするのかよくわからん。究極を言えば"無"になるしかないんじゃねぇのって。エッチする時とかそのまま一つになってしまいたいと思うだろ?俺も思うし、本当に溶け合ってそうなった瞬間はもの凄い快感だと思うんだよ。でもさ、その先どうなるのかって考えると、一つになって満たされて終わり…もう抱き合えないしキスもできないし飯食ったり出掛けたり…喧嘩だって。そういうのが無い世界はなんか、寂しいよな。今を知ってるだけにさ」
 そっとデスマスクの手がシュラの指を摘んだ。
「そこまでいかない世界ってなんだろうな。性別も無く…いや、性別は選べる…。生き繋ぐために両性因子を持っていて、成長過程で体が変異するとか?何かそういう生物が既にいるよな。人間も進化すればいけるんじゃねぇ?何千年がかりなら。その切っ掛けを俺は作っている。そうなっても人である限り喧嘩はするし嫉妬も消えないから戦争の有無は求めていない。強ければ生き残れる。愛の自由のためΩとして今の世界を終わらせ、始まりを生み出したい。お前と俺が何者であれ不自由なく暮らしていける世界を…それだけなんだよ…」
 眉を寄せ、摘んでいた指をギュッと握って引き寄せられた。しばらく考えるように黙り込んで悪戯に指を揉まれる。
「なぁ、そんなのよりずっと良い話があるんだ」
 そう言うとデスマスクは曇り顔を消して花が咲くような笑顔を見せた。その瞳を見つめれば、また星空に新月が浮かぶ。ーー突然、死面たちの唸り声が一斉に止まった。

「俺は明日、五老峰の老師を討伐しに行く」

 晴れやかな笑顔のまま、囁かれた声が辺りの空気を震わせて静まり返った宮内に広がっていく。のも束の間、途端にドッと再開された死面の唸り声にたった今の言葉が幻のように思える。
「ハハ…なんて顔してんだよ?…遂にきたぜ…前聖戦の生き残り、天秤座の黄金聖闘士…」
 楽しそうな声とは裏腹にデスマスクは震えていた。歓喜か?…まさか怯え?シュラを握る手に、より一層力が込もる。その震えを隠すようにもう片方の手を上に添えた。
「なぁ…お前は今夜、宮にいるのか?…いるなら…抱いて欲しいんだけど…」
「予定は無い。教皇への報告も直ぐに済ませてこよう。準備を終えたら磨羯宮に来い」
 両手で包む手を持ち上げて、震える指に唇を寄せた。少しのコスモを込めて。
 その様子を眺めていたデスマスクは大きく息を吐いてからシュラの首元に顔を寄せ、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はぁっ…ヨシ…直ぐ行くからな!教皇に変なこと聞いて無駄話してくるんじゃねぇぞ!」
 包まれていた手も勢いよく引き抜いき、そのまま私室へと駆けて行く。バァン!と扉が閉まる音を聞いてから、シュラも教皇宮へと駆け出した。

「気が立っているようだな、山羊座。もう蟹座から話を聞いたか」
 教皇座に座るサガの姿は毛先は金色だが、仮面の内側は真っ黒だろう。アテナと射手座聖衣の出現から清らかなサガの姿を見掛ける機会が減った。こういう時こそ自責に明け暮れ投げ出さず、悔いているのなら責任を取る行動をするべきだろうと思うのに。
「お前と番になっていなければΩのフェロモンを使い天秤座を仕留めるのも容易かっただろうが、まぁ今の蟹座であれば心配は無いだろう」
「…俺と番っていなければお前が奪おうとしていたくせに何を言う。デスマスクはフェロモンを使わずとも実力はある。番う前からずっとだ」
「殻を纏っていればな。殻が砕かれれば心は弱い。そうならないようにお前がメンテナンスしておけ。天秤座を討てば蟹座はより強くなれるだろう。お前たちには迷いを断ち強くなってもらわねばならん。聖域のために」
 ため息を吐いたシュラは立ち上がり、教皇に背を向けた。その瞬間、空気が変わったことに気付き振り返る。
「聖域の、ために…」
 俯く教皇の仮面。絞り出された弱々しい声は清らかなサガのものだった。シュラはグッと歯を食いしばり、二度と振り返らず扉を開け放ち磨羯宮まで駆け足で下りて行く。
(サガは俺たちに討たれたいと願っているのか?そうすれば一人だけ悪を背負い終われるとでも?もう手遅れだというのに!わざわざ老師まで討たせようとして、三人の罪を平等にさせるつもりか?どこまで勝手なことを繰り返せば気が済むのだ!)
 自分がアイオロスに聖剣を向けたことなど、とっくに割り切っていた。――悪いのはサガだ――昔、アフロディーテを盾にしてシュラの様子を見に来たデスマスクにもそう伝えた。色々と考えはするがいつまでも悩むタイプではない。仲間を手に掛けた事も偽りの英雄であり続ける事も気にしていない。デスマスクも知っているはずだが…アフロディーテが白銀聖闘士を討伐した事で、デスマスクが心の底で思い詰めていたものが呼び覚まされた、気がする。

 磨羯宮の私室へ戻れば既に彼は来ており、居間のソファーでクッションを抱き匂いを嗅いでいた。どういう事か今日は珍しく首輪を着けていない。
「やっぱお前の部屋最高に癒される。いや、お前が一番良いのは大前提でさ。はぁ…俺の部屋に持ち帰っても匂い消えるんだよなぁ」
 聖衣を脱ぎ、シャワーを浴びる前にシュラもソファーへ腰掛けた。クッションを横に置いたデスマスクはシュラの肌に擦り寄って匂いを嗅ぐ。自分ではわからないがαのシュラからは森の匂いがするらしい。それだけを聞くとかつて山奥で修行に励んでいた身としては土臭さの方が思い出されて良い匂いというイメージは湧かない。しかしデスマスクがここまで好んでくれるのは嬉しいので否定するような事は言わないでいる。
「夕食はどうする」
 上腕に頬を付けているデスマスクの髪を撫でて聞けば面倒そうな声が返ってきた。
「んー…早くベッドに行きたいから適当にレトルトのやつでいいぞ」
「いつも通りだな」
 立ち上がったシュラは棚からレトルトのリゾットを取り出して食卓の上に置くと、そのままシャワーを浴びに行った。普段は何もしないデスマスクでも自分の都合に合わせて準備をしてくれる時もある。何もしていなければ自分がするだけだが…
 欲望に負けているデスマスクは、きっちり食事の準備を終えて待っていた。

「……っ…ん…ぅ……」
 今夜はわりと大人しく抱かれている。シュラの背中に回した腕は強くしがみ付き、少しでも離れるのを嫌がるようだった。弱さを出せば良いと言ってもすんなり素直になるわけではない。本心を我慢する癖はデスマスクの個性でもある。強要せず流れに任せていつも通りに抱いた。
 黄金聖闘士であればみな五老峰の老師に会った事がある。シュラとアフロディーテはその通り会って挨拶を交わしただけだが、デスマスクは二人が老師に面会する以前から縁があった。シチリアでの師はデスマスクのサイコキネシスを鍛え上げ、黄泉比良坂への道を開く能力を覚醒させた。蟹座聖闘士を目指す者の最低条件がそれだ。そして晴れて蟹座聖衣を手に入れた者は五老峰の老師から積尸気冥界波の教えを受けるのである。天秤座の老師が積尸気冥界波を使えるわけではなかったが、実際に過去の蟹座聖闘士が放つコスモの動きを見てきている。それをデスマスクに伝えた。語り継がれる書物を見ただけでは理解し難い特異な技はその強大さから蟹座聖衣を得た実力と正義を持つ者しか会得できない。自制の効かない邪な者がこの技を得ると世界が滅亡しかねないからだ。
「はぁっ…キス、しろよ、もっと……」
「顎を上げて首を出せ」
「ん…あとで首、噛んで…もうろくしたジジイにも、わかるようにな…っ…」
 デスマスクが老師を討つのはシュラがアイオロスを討つ事に匹敵する。アフロディーテが思い入れの無い白銀を討つのとは違う。それをおそらくサガも理解して、勅命を下した。
「ぅっ…ぐ…急に、ハヤ…っ…きもち、いい…?」
「イイ、さいこうだっ…何度でも、抱けるっ…!」
 耳元で快感を伝えれば、しがみ付く腕も体の内も嬉しい悲鳴を上げるように力が入りシュラを更に煽る。
「ぁ、あっ…やば…っ…しゅ…っ…ぁ…!」
「デス、抱き足りないっ…必ず、戻って来い!生きて、戻って来いっ…!」
「しゅらぁっ!…ころすっ…ころす!ぜったい、ろうしころしっ…ぐぅっ…!」
 首輪を着けてこなかった意味がわかった。噛まれたい、そう願うほどの不安。
 快感の波に押されるままデスマスクの顎を押さえ付けたシュラは番の証に重ねて牙を立てた。

「ゃだ…も…はぃらねぇ、よぉ…」
「吸収、できるんだろ?明日に備えてどんどん取り込め」
「それは…そうぃうイメージ、ってだけで…じっさい、どうかは…」
 力が抜け、デスマスクが虚ろになってもシュラは抱くのを止めず、噛み痕を舐めながら精を注ぎ続けた。受け止めきれなくてシーツを濡らし続ける体液はもう、どちらのものなのかわからない。ここまで無理をさせるのは初めてだ。
「五老峰へは腹の中のオレと行け、絶対に殺られるな。俺以外のαに殺されるのは許さない。…場合によっては引く事も考えろよ…」
 最後に小さく呟かれた言葉が妙に頭に響く中、デスマスクは瞼を閉じた。

ーつづくー

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2024
09,11
※以前からその気はありましたが今回若干のカミュミロ要素が含まれています。地雷の方は申し訳ないですが、昔から他カプにカミュミロを含む活動をしているゆえご了承ください。

ーーーーー

 昼を過ぎた頃、発情期の終わりを確信したデスマスクはイタリアへ出掛けるためにシュラと交代で身支度をした。今年の誕生日プレゼントも着用済み衣服以外にはまだ用意されていない。行きたい店があるからそこで決めようと話していた。
 デスマスクが着替えた私服はやはり首元が開いていて黒革の首輪もよく目立つ。磨羯宮を出てからシュラが首輪をひと撫ですると、フルっと全身を震わせた。外でやるのは睨まれるが、もう文句一つ言われない。いつものやり取りに笑っていれば、ふとこちらに向けられる視線を感じた。
「うらめしそうに見てんじゃねぇよ、さっさと行け」
 シュラより先に気付いていたデスマスクが声を上げる。そこにいた私服のミロは不機嫌そうに顔を歪め、二人に背を向けた。
「カミュの所へ行くのか」
 階段を上るミロの背に向けてシュラは自分でも無意識に声を掛けた。「え?」と振り向いたのはデスマスクの方で、ミロはそのまま去って行く。結局ミロとは言葉を交わす事なく別れた。

 十二宮の出入り口へ向かいながらデスマスクはなぜミロを呼び止めようとしたのか聞いた。聖衣や鍛錬服なら教皇宮かもしれないが私服であれば宝瓶宮一択だろう。二人は昔から仲が良い。自分たちに似ているような気もするが言い争ったりする事も少ないゆえ、気の抜ける良い友達なのだろうと思える。暇なら会いにも行くだろう。
「お前は何も感じないのか?ミロはカミュの事が好きなのだろう」
 まさかシュラの方が自分に対して鈍感か?と突き付けてくるとは思ってもいなかった。思わず返す声が大きくなってしまう。
「そりゃあ、あいつら仲良いから会いに行ったりするのはあるだろう!当たり前過ぎて何で聞くんだって事だよ!」
「俺が言いたいのはαとαの恋愛だ。本人には言えないが…おそらくミロはお前を羨んでいるぞ」
「ハハッ!Ωを散々馬鹿にしたツケだろ!別にα同士で恋愛すれば良いじゃねぇか」
 珍しくデスマスクの受け止め方が雑だ。わざとそうしているかのように。
 言いたいことはそうではないと思いつつも、伝える術が浮かばなかったシュラはミロの話をそこで終わらせた。

 十二宮を出た二人はイタリアのフィレンツェまでテレポートし、デスマスクの案内で目当ての店へ向かった。
「結局お前のプレゼントまだだったからな、ここで買う」
 アクセサリー中心の雑貨屋に入ったデスマスクは既に下調べを終えているのか、真っ直ぐ目当てのコーナーへ歩いて行く。辿り着いたそこには様々な種類の革製品が並んでいた。
「しっくりきたわけじゃねぇんだけど、やっぱりこれにしたいと思って」
 そう言いながら手にして見せたのは、デスマスクの首輪と同じ黒革の細いアンクレット。
「お前は手を使う技だし、腕時計とかも絶対に着けねぇし、テーピング以外で手や腕に何かを着けるのは嫌だろうなと思ったんだ。それは脚でも同じだけどさ。靴下も滅多に履かねぇし。でもαでチョーカーやネックレスも変だしさぁ…」
 シュラはアンクレットを受け取り眺めた。装飾品は手足に関わらず煩わしいので普段から着けようと思わない。聖衣のヘッドパーツでさえ邪魔と感じるが、あれはコスモを高める防具だから着けることに慣れさせた。マントは着けていた方が格好良いとデスマスクが言うので最初だけ着けている節がある。
「アクセサリー着けないお前がさ、たまに一点さり気なく着けててしかもソレが恋人とお揃いっぽいとかさぁ…良いなぁって思うんだよぉ…」
 おそらくデスマスクは典型的な"恋人っぽいこと"に憧れがある。謙虚ぶって押せばシュラが折れる事も知っている。
「今日は誕生日だしさ、オネガイ叶えてくれないか?俺への物は要らねぇ、この願い叶えてくれるのが俺へのプレゼントってコト」
「…別にお前がそうしたければすぐ渡せば良かったものを…オネガイを演出する為にわざわざ今日連れてきたのか」
 一つ溜め息を吐いてから、シュラはデスマスクの肩を抱いて会計まで歩き出した。答えを告げないシュラに「え?いいの?オッケー?」と困惑の声が続く。店員にアンクレットを渡したシュラは、デスマスクの頬を人差し指で撫でてから「オッケー」と笑い、背中を押して会計任せた。それに釣られて笑ったデスマスクは滅多に見せない長財布を取り出し、半年遅れの誕生日プレゼントを購入した。
 左の足首に黒革のアンクレットを着けたシュラは思っていたより馴染んだため、これなら直ぐに慣れるだろうと足首を揺らしてみる。そして隣で満足そうな顔をしているデスマスクに一つ確認した。
「お前の分は買わなくて良いのか?」
「良いんだよ。同じ物を着けるよりもさり気なくお揃い、よく見るとお揃い、くらいが丁度良いんだって」
 そう言いながら自身の首輪を指でなぞった。シュラからのプレゼントは何でも嬉しいが、首輪を超えるものはもう無いかなと考えている。二個目三個目の首輪があっても初めて貰ったこればかりを着けてしまう気がした。だから、もういい。目当ての買い物を終えた二人はしばらく街の中を目的もなく歩いていく。

 イタリアもフィレンツェほどの観光都市に来るとαとΩのカップルや番をちらほら見掛ける。Ωの発現率が下がり希少種となった今、番を得られるαは一種の勝ち組とも言われる。ただ、そこに愛があれば良いのだが第三者の計らいにより無理矢理番にされるのは双方にとって悲惨でしかない。邪悪なサガの目論見を阻止した自分たちだからこそよくわかる。
 血筋を重んじる上流のαたちは、良い血統でありながらΩに生まれた者を血眼になって探しそこでくだらない争いが起きる事すらあった。そのくだらない小国家の争いに聖闘士が呼ばれ、暗殺を指示されたのでデスマスクは依頼人も含め五つくらいの家を全滅させてきた事があるらしい。突然支配者層を失った国は隣国に吸収されたり平民αが建て直そうと躍起になっていたりと新たな歴史が生まれ続けている。それはβだけになっても同じだろう。国は、人は、立ち上がりどうにかしていく。力が無ければ滅亡し、力が強ければ生き残る。αやΩがいなくてもどうにでもなる。それだけのことだ。
「Ωがいないわけでもないが、やはり首輪をしていると周りから見られやすいな」
「俺様見てから隣のお前見て、スッと足首見て納得されるの何か面白ぇな。ほぼ全員同じ視線辿ってやがる。いくら度胸あるαだろうと他人の番に手を出しても意味無いしな。お前も敵いそうにない面してるしよ」
 日も傾き始め夕食を食べに店へ向かう中、今日を振り返りながらシュラが呟いた。
「本当に俺がβの頃、誰にも奪われなくて良かった」
 時折触れ合う腕を捕らえ、そのまま手を繋ぐ。
「だから俺っぴ黄金Ωだし、雑魚αなんかに襲われても一撃死刑だわ」
 繋がれた手を握り返してデスマスクが笑う。
「でもまぁ…良かったわ、ほんと。俺、自分を守るのにすげぇ必死だったんだからな…」
 店に着いた扉の前、シュラは一度、強くデスマスクを抱き締め頬を擦り合わせた。そのまま軽くキスを交わしてから入店した二人は、夜遅くまで誕生日のディナーを楽しんだ。

 翌日、完全に発情期を抜けたデスマスクは磨羯宮で昼食を食べてからシュラと別れ、巨蟹宮へ向かって階段を下りていた。シュラから貰った着用済み衣服を左手に抱え足取り軽く下りていたが天蠍宮も半分まで進んだ頃、キュッと足を止めた。
「何だお前、暇なのか?αのくせに仕事が無いとか恥ずかしくねぇの?カミュに候補生の育成法とか教えてもらって仕事しろよ」
「無差別に殺戮を繰り返すだけの無能Ωには言われたくない」
 前から歩いて来た私服のミロを無視をして通過すれば良かったが、昨日シュラが気に掛けた事が引っ掛かった。ミロなんか気にしていないと鈍感なフリをしてしまったが、カミュとの間に友情を超えた気持ちがあるだろうという事はデスマスクも気付いている。以前から度々自分に視線を送るのはαとαの恋に躓いているからなのだろう。
 ミロと二人きりになっても喧嘩にしかならないということは理解していた。噛み合わないシュラとはまた違う。何となく、この男はデスマスクに似ているがアフロディーテとのように共感できるでもなく反発してしまう。それでもミロはシュラとの悲恋を成就させたデスマスクに期待している。デスマスクはミロの挑発に言い返すのを堪え、抱えていたシュラの衣服に鼻を寄せて気持ちを落ち着かせた。
「フン、そんなαの服とか匂いに頼らないと生きていけないΩなど…」
「惨めだよな?だから俺はΩを殺している」
 デスマスクの返しにミロは口をつぐむ。
「もちろんαもたぁーっくさん殺してきたぞ。昔より減ったとは言え聖域でさえこれだけ集まるほどいるからな。世界にはまだうじゃうじゃいる。俺は第二の性を終わらせる。αだから、Ωだから、βだからで苦しむ世界を終わらせる。その先は男と女かな?まぁそこまでやるのは神にでもならねぇと無理だろう」
「そんな…無駄なことを…」
「人生無駄なことばかりだろ。でもそれが思い出となり糧になるんだよ。無駄の無い人生送れる奴なんかいねぇだろ?神でさえ無駄なことばかりしやがって。Ωにされて、さっさと教皇ご指名のαと番にでもなりゃ無駄な時間も減らせただろうがそれじゃあ駄目だろ。俺は人格を持ったデスマスクで、シュラを好きになったんだ。でもあいつβだったんだよ。それを諦めろってさ、無理だろ?お前ならさっさと諦めつくのか?俺と番は嫌だっつってたくせに」
「…別にそういう意味で無駄と言ったわけではない」
「あー屁理屈言うな、面倒くせぇ。このやり取りがもう無駄なんだよ。でも無いより良いだろ?俺様の哲学が聞けてよぉ」
 そう言って再びシュラの匂いを嗅いでみせる。
「俺だってこんな犬みたいな事したくねぇわ。でもΩだから仕方ないだろ。性別も第二性も選べなかった。男だから女を好きになるに越した事はないがそれも叶わずシュラだったし。しかもあいつはずっと俺の事を拒否ってたから滅茶苦茶努力したんだよ俺は。お前は俺らの事が羨ましいのか知らないが、シュラがαにならなきゃ心中してたんだぞ?Ωだからシュラと結ばれたわけじゃねぇの。好きだから足掻きまくって頑張った結果が今なんだよ」
「……一気に喋りすぎだ。何も頭に入ってこない」
「お前またカミュの所へ行くのか?ずっと仲が良くて羨ましいわ。俺とシュラに比べたら恵まれてる。ただαとαが気に入らないのなら、どうしたいかちゃんと考えろ。お前はもうΩになりたくてもそれは無理だ。シュラみたいな変異は奇跡だからな。それでもカミュに噛まれたきゃ頼んでみるなり何かしろ。それで俺は昔死んだけどな。ん?何の話だ?まぁいいか。お前がΩに惑わされたくなければアイオリアのように副作用覚悟で抑制剤でも飲め。とにかく俺は全てに於いてちゃんと考えて自分のために行動している。羨む前にお前も考えろ」
 ぼんやり立ったままのミロを見たデスマスクは鼻で笑うと、シュラの服を抱き直して下へと去って行った。宮内が一気に静まり返る。
「……一方的に喋り倒して、アドバイスでもしたつもりか」
 低い声で呟いたミロは天蠍宮を抜けてから目の前に転がる小石を勢いよく蹴り飛ばした。
「自己中な奴…心中を考えるなど女神への忠誠も感じられない。俺だって考えてる。聖闘士を全うした上でカミュの支えになる術を。でもお前たちは聖域の事とか色々隠してるだろ…。真実がハッキリしないまま全てを捨ててカミュを選ぶなど、カミュが許すはずがない…」
 愛のため教皇にまで平気で刃向かい、世界の平和を履き違え自身の理想のために殺戮を繰り返す。なぜそこまでできる?そんな男がなぜ許されている?教皇は、神は、女神は…聖域に、いないのか…?カミュは信じている。女神のため、聖域のために尽力している。偽物が日本に現れた。それでもカミュは信じている。…俺よりも…女神を、弟子を…信じている…。
「羨ましいとか…何も知らないのはお互い様だ、クソ!」
 Ωのフェロモンがあればカミュは俺を見てくれるかもとか考えた事はある。弟子の事ばかり考えてないで俺のことで頭の中を満たしてくれるかもって。でもそれは都合の良い妄想で、自分が欲しいのはフェロモンだけ。Ω生活なんて御免だ。だからα同士の友情を超えられない事も理解している。お前たちのような生き方は憧れども俺は違う。カミュの負担にはなりたくない。支えたい。自分がカミュにできることとは…。

 巨蟹宮へ戻ったデスマスクは上の方でミロが発するコスモの高まりを感じ、ほくそ笑んだ。
(αである限り、いつかお前とも対峙する日が来るかもな。ちゃぁんとカミュと共に葬ってやるよ…)
 抱えて来たシュラの服をベッドに積み上げる。仕事後が終わってこの服の山に埋もれるのが至福のひと時なのだ。首輪を外し、聖衣を装着してすぐさま任務へ向かった。
 日が落ちた後、薄暗くなった宮内に怨念を抱えたαの魂がたくさん仲間入りをした。

ーつづくー

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2024
09,07
 季節で言えばまだ春であったが、夏の到来を感じさせる日差しの強い日。聖域を揺るがす一報が届いた。
「東の果て、日本に於いてアテナと偽る一派が射手座の黄金聖衣を所持している」
 八人の黄金聖闘士を前に教皇の声が宮内に響く。みな静かに聞き、動揺を見せる者はいなかった。
「黄金聖衣については本物で間違いないと確認済みだ。アテナと偽る一派については調査を続けている。そして今、聖域を離れている青銅聖闘士数名がそれに関わっている」
 その報せにカミュのコスモが僅かに揺らいだ。日本出身の弟子を聖闘士に育て上げたことはこの場にいる全員が知っている。デスマスクは例のグラード財団絡みか、と思い返していた。その日は報告だけを受け、今はまだ静観を続ける旨を聞き解散。足早に去って行くカミュをミロが追い掛けて行く。

「なぁ、鷲星座の女聖闘士は聖域にいるよな。あいつが育成していたガキはどうなった?死んでねぇよな?俺見てねぇし」
 帰り際、教皇宮の扉を出たところでデスマスクの隣へ来たシュラに問い掛ける。
「天馬星座の聖闘士になった。闘技場でやり合ったからな、あんなガキが勝つなどと一時期雑兵の間で噂になっていたが」
「へぇ。知らぬ間に聖闘士ってちゃんと育ってるんだ。で、そいつは今どこにいる?」
「そこまでは知らないが聖域で見ないな。気になるなら鷲星座にでも聞け」
「嫌だぁ〜。α女怖ぇし」
 わざとらしく怯えたフリをして見せれば「黄金のくせにつまらない事言うな」と冷たく返されてしまった。ゆっくりと階段を下りていく二人の隣を後から来たアイオリアとアルデバランが追い抜いて行く。シャカもとうに出て行った。アフロディーテはまだ教皇宮に残っているようだ。辺りから人の気配が消え、デスマスクは右手をシュラの腕に絡めた。
「んー…まぁ、やっぱ日本にいるのだろう。聖闘士になった奴らくらい責任を説いて聖域に軟禁すればいいものを…ほいほい修行だの何だので外に出すからこうなるんだ。俺たちにそんな自由はあったか?黄金だからという理由だけで優等生過ぎたな」
「ハハッ、確かに真実を知ってしまったおかげで俺たちとアフロディーテは他の誰よりも真面目だったかもしれん」
「笑えねぇよ。真面目にサガと聖域について考えてやってきた俺らが馬鹿みてぇ。日本にいる青銅がアテナを使って正義面。やる気無くすぜ。もう全員殺すしかねぇな」
 シュラが視線をデスマスクに遣ると、その表情は硬く真剣なものであった。――よくない。不満を和らげるつもりで腕に絡んだデスマスクの手を繋ぎ直し、シュラは軽い調子を崩さぬよう話しを続ける。
「クク…青銅に関しては全員殺して終わりだろう。問題はアテナ役だな」
「アテナも、でいいだろ。偽物なら女だろうと問答無用。本物ならば勝てるかわからねぇけど殺ってやる。今更考えるのも面倒くせぇ」
 階段が途切れる双魚宮前の広場でデスマスクが突然足を止めた。繋いでいた手が突っ張る。どうした、と聞く前にデスマスクが顔を上げ、その手を離す。
「なぁ…やはりアテナは特別か?もし寝返りたかったら俺を殺すか死んだ後にしてくれ」

 ――何を言った?立ち止まった二人の間を風が吹き抜ける。シュラは言葉を失いしばらく立ち尽くした後、次第に怒りが込み上げて離された手を再び強く掴んだ。

「いきなり何をっ…馬鹿にしているのか!」
「人の心は変わるからな」
「俺にさえまだそんな事…!わざとなのか?俺を狂わせるための!」
 真面目な顔をして呟くだけのデスマスクに苛立ちが募り、空いた方の手で顎を掴み瞳を覗き込む。星空に真っ黒な新月が映り込んだ。
「俺はお前に従うと言っただろ!やりたい事が、果たしたい願望があれば何でもサポートしてやる。アフロディーテだって殺してやる!アテナでさえも!一つだけ聞いてやれないのはな、お前が俺の死を望む事だ。いや、死んでやるさ。だがそれは俺がお前を殺してからになる!」
 一体どれだけ伝えればデスマスクの不安を癒し、この想いを届けることができるのだろう。硬い殻は斬り崩した。番になったというのに些細な事で機嫌を損ね、まだ試す行為を続ける。大好きなくせに突き放そうとする。どれだけ説いても、考えられる言葉を尽くしても、あんなに喜ばれても、全て心の奥底にある闇に吸い込まれて消えて行ってしまうようだ。
 しかしこの愛を忘れてしまうわけではない。降り積もっているはずで、ただその闇が俺の愛で満たされるにはきっとまだ途方もない。それをずっと、もう何十年何百年何千年も前から続けている気がする。埋めようと、早く埋めてやらないとと努力しているのに引き裂かれて、再会できたと思ったらやり直し。でもデスマスクは忘れていないし、俺の愛が欲しいと求めてくる。手放せば楽になれるかもしれないのにこいつからの愛だけが快感で心を奮わす。だから今度こそはと繰り返し続けて…
 シュラは強くデスマスクを掴んでいた両手を離し、抱き締めた。
「お前を、俺の中に閉じ込めてしまいたい…!」
 抱く腕に力を込めるが聖衣が邪魔をして遠く感じる。肌で抱きたい。カツカツと擦れる金属音が耳につく。
「…俺だって、わかんねぇよ…お前の事はすげぇ好きで念願の番にもなれたってのに、言えば怒るってわかってんのに言っちゃうんだよぉっ…!」
 低かったデスマスクの声が揺れ、震え、シュラの肩で喚く。
「ただの黄金Ωを超えて、αと一つになって、最強になってるはずなのによぉ!アテナが来たってぶっ殺せる自信もあんのに!お前のどうでもいい一言が引っ掛かって笑い飛ばす事すらできない弱さに腹が立つ…!」
 シュラはデスマスクを抱きながら「人であるのだからそれでいい」とか「完璧を目指さなくてもいい」とは言えなかった。強さを求めるがゆえ、それが許せないからもがいている。
「…すまん、俺もつい頭にきてしまった…お前は俺に対して素直に自分を見せているだけなのにな…」
 愛が伝わっていないわけではない。これはシュラにだからこそ漏れ出てしまう弱さ。シュラにだけ見せたくなる弱さ。
「俺がその欠けた穴を塞いでやるから、神を討ち、第二性を終わらせ、お前こそが正義となれ」
 抱き締めていた腕を解きデスマスクの顔を見つめた。番になってから何度この顔にキスをしただろう?満足なんてしない。どれだけ振り回されても途切れることを知らない愛おしさから、自然と唇を寄せてしまう。
「…ん…ぅ…」
 ねだるようにわざとらしく漏らす声も、デスマスクがシュラを好きだという気持ちの一つ。
「αになったところで俺も根本は変わらない…好意があってもお前の言動に苛立つ事はある。まぁ、昔から噛み合わない部分はあるよな。このままで良いんじゃないか?お前は俺にだけ弱さを出し切ってしまえばいい。そして強さだけを外に持ち出せ。番としても自然な形だと思うぞ。昔はずっと一人で耐えていたんだよな?弱さの綻びが俺を好きになった代償と思うのなら責任を持つ。我慢して強く見せるよりも、吐き出した方が強くなれるはずだ。但し限度がある。やり過ぎた時、きっと俺はお前を殺してしまう。それは理解できるな?」
 無言で頷くデスマスクの髪を撫でてキスを繰り返した。上へ向かう雑兵の足音が聞こえてもやめない。デスマスクも行為をとめない。二人とも夢中になっていたが、上から下りて来る足音がこちらへ向かってきた時デスマスクは唇を離そうとした。シュラはそれを逃さず、思わず牙を立てる。

「っ…!」
「あぁ…血が。君たち、人の宮の前で堂々とそれは…さすがに無視できないぞ」
 アフロディーテの呆れた声が響いてシュラも顔を上げた。唇には血が滲んでいる。噛まれた鈍い痛みと自身の血が付着するシュラの横顔を見てデスマスクは腹の底がぞわんと疼いた。
「せめて陰に入ってくれないかな…君たちのキスは爽やかなものではない。そのうち急な発情期だからとか言って外でおっ始めないでくれよ?ここはテレポートもできないしな、本当にそれだけは頼むから」
 唇に滲む血を舐めてから、それまで黙っていたシュラは何が気になったのか通り過ぎようとするアフロディーテに声を掛けた。
「帰りが遅かったな、教皇と話していたのか?」
「まぁ、ちょっとね。私もデスマスクの世界平和計画に乗っても良いかなって」
 曖昧な返事をして今度こそアフロディーテは宮内に消えて行く。教皇との会話を共有しないのは珍しい事だったが、信頼できる仲間であるため二人は特に気にしなかった。

 それからおよそ1ヶ月後、聖域を離れアンドロメダ島にて候補生を育成していた白銀聖闘士の訃報があった。黄泉比良坂で死の行進に加わる彼を見つけたデスマスクは、胸に残る傷を見て笑みが漏れた。
――あぁ、時は来たのか――
 音が揃わずやかましいラッパの不快音が頭の中に響き渡る。オメガバースに、終末を。

ーーー

 聖域に対する反乱因子の討伐が始まった数日後、デスマスクは23歳の誕生日を迎えた。今年の誕生日も発情期と重なり、磨羯宮でシュラと仲良く過ごしている。死面に溢れ返る巨蟹宮は私室の中まで怨念の声が響く事もあり、普段は気にしないデスマスクも敏感になる発情期の間は磨羯宮で過ごすようになっていた。今は発情期も三日目の朝。そろそろ憑き物が落ちるように体が軽くなり、明日にはまた仕事へ戻る事だろう。熱が落ち着いてきたデスマスクはシュラの胸の中で、夕方からの外出予定や最近の世間話などをしていた。

「しかしサガも随分と焦っているようだな。ケフェウス星座とかいうマイナーな奴を討たせるとは。そこに弟子がいなかったのは残念だった。案の定、日本組だ」
「アイオロスの遺品が発見されたうえ、餌にされているともなれば穏やかになれないのだろう。アフロディーテを向かわせたのも自身への忠誠心を試すためなのか。アフロにはあいつなりの考えがあって動いているようだが」
「今ならサガも隙が出そうだよな。まだ手を出すつもりは無ぇけど。それよりエッチ三昧ですっかり忘れていたが、俺様が頑張って調べた13年前の情報知りたいか?」
 胸の中から顔を出しニヤけた表情は、喋りたくてうずうずしているのがよくわかる。
「断ってもどうせ喋りたいんだろ。全部話せ」
 仰向けになったシュラは、まるで猫でも上に乗せるかのようにデスマスクを胸の上に乗せた。Ωとは言えデスマスクは小さくないし軽くもない。体格はシュラとほとんど変わらないが苦しいと感じる事はなく、もっちりした肌に潰される重みが好きだった。乗せられたデスマスクはシュラの顔を間近で眺めながら喋り始める。
「まずアテナと射手座聖衣を日本へ持ち去ったのがグラード財団総帥、城戸光政。もちろんα。すでに死んでいるが13年前ギリシャへの渡航歴が確認できた。プライベートジェットと船舶での移動。美術商なども経由せず、まさかのストレートで黄金聖衣が国外に流出していたとはな。聖衣を前にして勝手に持ち出したり細工を施すなど…普通の頭をしていたら国に届け出るなりするだろうが、やはりちょっとおかしい奴だったようだ。いくらαとは言え百人も腹違いの子ども作ってる時点で異次元、しかもそいつら全員を聖闘士候補生にぶち込むとかヤバ過ぎるだろ?そういうαが近くにいなくてホント良かったわ。サガもヤバけりゃ敵もヤバいってな。どいつもこいつも平和のためにとか言ってやらかす事が混沌過ぎる。人のこと言えねぇけどさ。で、もしかしてアイオロスが自力で日本まで行ったのかと思ったが、あいつはギリシャで死んでいた。シオン様までは確認できていたんだけどな。アイオロスを黄泉比良坂で見つけることが出来なかったのはアテナの目眩しだったかもしれん」
「その日本人がもしかしたらアイオロスをどこかに埋葬した可能性もあるのか」
「遺体が見つかっていないからな。俺もガキだったし死んでコスモが途絶えると難しかった。今なら僅かな燐光を視るとか試す手段は増えたのだが。あと日本で騒いでいる青銅のうち判明しているのはカミュの弟子、鷲星座の弟子、ケフェウス星座の弟子、デスクイーン島に行った奴も鳳凰星座の聖衣を手に入れサポートしているとか何とか…。それよりもだ、呑気なことに五老峰の老師の弟子までいるんだぜ?他五名」
「老師が弟子を…?」
「ずっと避けてたから見落としていた。ほーんと、んな事してる余裕あんならさ、先ず聖域どうにかできなかったのかよって話だよな。サガのこと丸投げしやがって。青銅にはアテナのみならず老師もいる。殺りがいあるだろ?」
 発情期のためにデスマスクと顔を合わせてから、彼はずっと上機嫌でいる。今もとても楽しそうに話しをする。何となくその理由はわかっていたが、あえて聞いてみた。
「フ…お前、この状況が楽しそうだな」
「当たり前だろ、やっと聖闘士殺しも解禁したんだぞ?お前はもうやらかしてるし、アフロディーテも殺った。次は俺の番だろう」
 顔をうっとりさせて待ち切れない様子だ。順番…でいけば確かにそうだろう。しかし清らかなサガはデスマスクの殺戮を憂いている。邪悪な方はΩの実力を見極めるために行かせるかもしれない。次は誰だ?日本にいる青銅全滅か?消息を経っている牡羊座の黄金か、五老峰の老師…。もしもデスマスクが外されてシュラにでも任務が振られれば、また一気に機嫌を損ねるのは想像に容易い。
「お前、もしも順番を飛ばされても暴れるなよ?」
「その保証は致しかねまーす」
「暴れるならばこうしてやる」
 シュラはデスマスクの腰を抱くと、ころんと転がって上下を入れ替えた。下敷きにしたデスマスクの首に顔を寄せ、首筋をはむはむと甘噛みしていく。震えるデスマスクの体から力が抜けていくのがよくわかる。
「ぁ…ん、ぁ、あ…もう…ずる、ずるぃっ…」
「ハハハ、まぁこれは冗談だが聖闘士殺しなんか焦らなくてもいい。一番近くにいるのだからな」
 肌に優しく牙を立てていくだけで、もはや話を聞いているのかわからないくらい表情が蕩けていく。話を有耶無耶にしたシュラは責任を持ってデスマスクを抱き癒した。

ーつづくー

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2024
09,02
 デスマスクはほとんど周期を乱れさせる事なく定期的に発情期を迎え、その度にシュラは三日ほどデスマスクを支え続けるという生活を繰り返した。発情期中でも体調が良ければ部屋を出る事もあったが、フェロモンに誘惑されるαはおらず聖域に於いても自由に過ごすことができた。番を得て体質が変わったことはもちろんあるものの、それよりも常にデスマスクの隣にいるシュラを怖れ、二人に近付こうとする者は黄金聖闘士を除きいなくなっていた。

「デスは昔から近付こうとする物好きな奴はいなかったけど、君の周りからもサッパリ人が消えてしまったね」
「βだからと甘く見ていた奴らが散っただけだろ」
 1月11日の朝、シュラが23歳を迎える前日にアフロディーテが磨羯宮を訪ねてきた。どうせ当日は二人で過ごすだろうからとフライングで祝いに来たらしい。しかも任務へ向かう道すがらと素っ気なく言う。特にプレゼントと言うような"物"はなく、シュラはいつも通り薔薇を三輪贈られた。すぐに行くからと告げられ磨羯宮と私室を繋ぐ扉の前で立ち話をしている。
「αなのは大前提で他の黄金とは候補生や雑兵たちも付き合っているじゃないか。第二性だけが問題ではないな。君が怖いんだよ。脱走者の処刑、デスマスクの分も理由付けて君がやっているのだろ?外でも放っておけば良いような悪者を退治しちゃってるみたいだし」
 二人が番になってから、任務中に無駄な殺しをする事が無かったシュラも小さな事件を起こすことが増えた。デスマスクのように周りを巻き込むような形ではなく、ちゃんと悪事を働いていた輩を通りすがりに成敗しているだけなので咎める事でもない。それでも任務以外は無関心を貫いてきたシュラの殺人が増えたことには違和感があった。
「生まれ持つことができた力を無駄にして、碌でもない事をする奴らに正義を教えてやってるだけだ」
「ふぅん、死を以って解ってくれるといいね。君がデスマスクを染め替える方かと思っていたけど、案外そうでもないんだな。惚れた相手にハマってしまうタイプか」
 好きな相手に尽くしたい気持ちというのはシュラにもあるだろうが、それでもデスマスクの方が尽くす側だと思っていた。奔放な闘い方に良い意味で影響を与えられるかと考えていたが…。
「俺のαはデスマスクの為にある」
「世界の平和ではないのだな」
「世界の平和のためでもあるぞ。あいつが望むαとΩの殲滅は」
「おっそろし…」
 支配しているのはどちらなのだろう。番なのだから共依存と言うのか。アフロディーテが言葉を失っていると、シュラの笑い声が小さく漏れた。
「クク…お前はどう思っている?第二性が平和の妨げになっているとは思わないか?」
「私は力関係こそハッキリしている方が良いと思うがな。βだって平凡面しているだけだろう。それに性差の問題なら男女すら無くしてこそだ」
「あぁ、できれば男女も無くなればいいな。好きになったやつくらい自由に愛させて欲しい」
「それは家族や血縁関係もあるぞ。何でも自由になれば良いというものでもないだろう?その先には混沌しかない」
 神々でさえも「自由」というものは制御できない。自由とは、全てのものが永久に果たせない秩序なのだ。
「だからこそ知恵や理性、肉体的差別を与え人を縛るのか。そこまでして世界を造り、何がしたいのだろうな。神同士でさえ争うというのに、人には平和を押しつけて。考えるほどわからなくなる。おそらくデスマスクはΩが判明する前から世界の存在について疑問を持っていたのだろう」
「それがαやΩの憎しみに?そんなに簡単な話だろうか」
「α、Ωを通してあいつが憎むのは神だ。簡単な話ではないから、俺も理解が追いつかないのかもな」
 ため息混じりに呟くシュラの姿を見て、このバカを心底惚れさせるデスマスクの魅力は何だろうと純粋に思った。アフロディーテ自身もデスマスクには好意的で、もしも本気でデスマスクが自分を選んでくれたのならば受け入れられたと思う。もちろん「αだから」だけではなく。しかしシュラの愛し方とは違うと言えた。自分はもっと表面的に友人のままデスマスクを愛して終わるだろう。シュラのように深いところまで杭を打ち付けて潜り込むような愛し方はきっとできない。他人の深部になんか触れたいとは思わない。殻の硬いデスマスクも同じタイプであるはずなのに、シュラには自ら晒しているのが容易くわかる。自分なら晒されても対応に困ってしまうがシュラはデスマスクの闇にすら愛おしさを感じている。懐が深いと言うかデスマスクバカと言うか。
「もしも、アテナが生存していて戻られるとしたらどうする?裏切るのか?」
「デスマスクに従う。それ以外はない。俺がアテナに命を捧げることができる可能性はデスマスクの待遇に依る」
「まぁ…そうだよな。聞いた私がバカだったよ」
 アフロディーテはシュラの肩を軽く叩き、明日はごゆっくり、と伝えて去って行った。

 発情期には高待遇で休みを受けているため誕生日程度では自動的に休みになるわけでもなく。翌日シュラは夕方までに仕事を終えて磨羯宮の自室に戻った。デスマスクは昼に出て夜までかかるらしい。会えるのは20時頃からか。巨蟹宮の方が外から近いのだからそちらで過ごそうかと提案したが、シュラの誕生日だから自分が磨羯宮へ行くと聞かなかった。食事はシュラが用意した。水に挿したアフロディーテの薔薇を食卓に置き、寝室と浴室を整え、他にも仕事に関してやる事はあったが何も考える気が起きず居間のソファーに沈み込んでデスマスクが来るのを待つ。番である安心感からか会えない日が続いても苦にはならなかった。デスマスクは必ず自分の元へ戻って来るという自信。来なければ自分が捕まえに行くだけだと、必ず見つけ出せるという自信。敵は全て殺せばいい。仮に自分たち以外に"運命"が存在しているとしても、サガと対面した時のように自分は何を犯してでもデスマスクを手放さない。それを彼も望んでいるという自信。死に別れても、必ず再会できるという自信。
(無敵だな…)
 一人ニヤリと笑いながらそう思った。
(どうしようもない時は、俺が殺してやる…)
 二人にとってほとんどの者は相手にならない。黄金以上の闘士、そして神との闘いに限るだろう。デスマスクが誰かに殺されることも今では許せないと思いながら、シュラは右手をかざして眺めた。

 ふ、と磨羯宮に侵入するコスモを感じソファーから身を起こす。扉に視線を移すと間もなく開き、小さな箱を手にしたデスマスクが笑いながら姿を現した。それを見たシュラの表情も柔らかく崩れていく。
「お待ちかねの俺様とケーキがやって来たぞ」
 ニコニコしたまま小箱を食卓に置き、ソファーにふんわり飛び込んでシュラの頭を抱いた。
「っあー…いい匂いだな、ほんと…。すき…」
 胸いっぱいにシュラの匂いを吸い込むと、頭を離し「おめでと」と呟いて軽いキスを何度も交わす。放っておくと食事を忘れてしまいそうだと感じたシュラはキスをしたままデスマスクを抱き上げて食卓まで移動した。
「せっかく用意したからな、先に済ませてしまうぞ」
 椅子に座らされたデスマスクは「ハイハイ」と軽い返事をしてフォークを手に取る。少し首を垂れれば、白い首を横切る黒い首輪と丸見えな噛み跡が露わになった。ちょっと苦しい、と言いながらもオフになれば必ず首輪を着けている。自身が与える物全てに価値があり、大事にする姿は見ていてとても気分が良かった。何でも与えたくなってしまう。軽く首筋を撫でると、ビクンと跳ねたデスマスクに「早く食え」と睨まれた。

「お前って何でも食うから正直どういうケーキが好きなのかわかんねぇんだけどさ、まぁ冬だしシンプルにチョコレートとフルーツでも買ってみたわけよ。俺の地元の良いお店のヤツ」
 食事を終えてから食卓の隅に置いていた小箱を開けると、ショートケーキが3個入っていた。
「さすがにホールはいらねぇよな、って。俺一個で良いしニ個お前の分」
「いや俺も一個で良かったんだが」
「でも食えるだろ?食っとけよ。誕生日なんだし」
 デスマスクはシュラに選ばせることなく真っ先に一つのケーキを取り出して自分の皿に乗せた。自分が食べたい物はハッキリしている。そういう性格なのは知っているし不満も無いのでシュラは残りの二個を皿に乗せて、あっという間に食べ終えた。「うまい?」と尋ねる声に頷けば、そうに決まってると笑ってデスマスクも最後の一口を口に含んだ。
「何だかんだでお前の誕生日ちゃんと祝うのも初めてだよな。だから奮発してお高いケーキ買ってきたんだけど」
「プレゼントはケーキだけか?」
「え?お前プレゼント欲しがっちゃう?何か新鮮」
 そう言いながらデスマスクはポケットに手を入れてゴソゴソしている。ケーキの箱以外を持って来ている感じは無かった。ポケットに入るサイズならあり得るが、デスマスクがプレゼントをポケットになんか入れるだろうか?
 やがてするりと引き抜いて見せた手には、何も見当たらなかった。
「プレゼントさ、考えたんだよ。絶対に何か渡したかったからな。でも良いのが思い付かなかった」
「俺はケーキだけで十分だ、気にしなくていい」
「でも少しは期待しただろ?…何かなぁ…どれもしっくりこなくて今日になっちまったよ。適当なのは渡せねぇって考え尽くした結果、自爆した」
 言い終えて食卓に突っ伏すデスマスクの髪に手を伸ばして撫でる。何でも器用にこなす奴なのに、行き詰まるほど自分の事を考えているのは嬉しい。
「何か持ってくるだろうと考えてはいたが、お前のこんな姿が見れるのは俺にとってサプライズだぞ」
「へー…うれぴー…」
「本当の事だ。冗談でも何でも適当な物を持ってくれば良かったのに、それができなかったほど俺に真剣なんだろ?どうでもいい奴ほど何でも渡せるもんな」
 髪を撫でていた手が耳へ、頬へと滑り込み、デスマスクの顔を上げさせる。本当は何か渡したかったのに、という悔しさを隠し切れない顔を見ると、シュラも釣られて困った笑顔を返した。
「何か良いものが閃いたら持って来い。来年まで待つなよ?俺たちには明日があるとは限らない」
「お前が死んでも黄泉比良坂で足止めして渡す…」
「ハハ、あの世へ持って行ける物は良いな。どこまで持っていられるか試してみたい」
「すぐ閻魔サマに没収されるだろうよ」
 エンマ?ハーデスじゃないのか、と笑いながらシュラは食事の後片付けを始める。長年の隠れ家生活が染み付いているのか聖域に戻ってからも発情期の有無に関わらず、私室で食事をする時はいつもシュラが担当していた。もちろん手の込んだ料理なんか作らない。デスマスクが当たり前のようにソファーで食事を待つから自然といつもシュラが台所に立った。それは誕生日であろうと変わらない。
「まぁ、最後まで手にしていたいのはお前だけどな…」
 食器を洗いながら溢した言葉に「知ってる」と小さく返ってきた。
「多分だけどそれはどうにかなるんじゃねぇ?俺らって強い運命で結ばれちゃってるっぽいし。サガすらそんな事言ってた」
「…サガが?」
 突然出てきた名前に手を止める。
「何かあいつ前世の記憶が残ってるらしいんだよな。俺らとアフロもいたんだってよ。戦争してて死んだらしい」
「戦争…?それは、雪の中でか?」
 真剣に食い付いてきたシュラが意外でデスマスクは思わず「ふぇ?」と間抜けな声が出てしまった。
「いや、俺は知らねぇからサガに聞いてくれ。まさかお前も前世の記憶が残ってるのか?」
「…わからない、がβの時によく夢を見たのだ。そう言えばαになってからは見ていないな…」
「へぇ…俺とお前の夢?そんなのβの時に見てたんだな。何も言わなかったくせに」
 少し拗ねた声で返される。よく見る夢ではあったがハッキリとデスマスクの姿を見たわけではない。ただいつも夜で、森の中で、雪が降ってきて、誰かを抱いていた。戦争、と聞いて何故か今それが思い出された。戦争の夢という意識は全く無かったのに。死んだのであればデスマスクを抱いていた?アフロディーテとは思えない。やはりデスマスクは殺された?…誰に…。

「しゅーらっ!」
 突然大きな声で呼ばれて意識を戻すと、隣に来ていたデスマスクがシュラの腰を抱く。
「…いきなり変な話して悪かった、忘れようぜ…」
 顔を寄せ、ペロっと唇を舐められる。デスマスクの舌先に薄っすらと血が滲んでいる。ドクンと胸が高鳴った。
「噛み締め過ぎだっつーの」
 いつの間にか剥き出していた牙や唇に滲む血をペロ、ペロ、と舐め取られてからキスを交わす。そのままデスマスクは隣に立ち、シンクに残った器を手に取るとシュラに代わって洗い始めた。
「ホラさっさと終わらせてベッド行くぞ!俺、ずっと我慢してんだから…」
 洗い物をしながら肩をシュラに寄せて何度か突く。意識を自分に向けさせるように。直ぐに洗い終えると勢いよくシュラの腕を引いて寝室へと向かった。

「もちろんシャワーは済ませてんだよな?」
 その言葉に返事をする間もなくシュラはベッドに押し倒され、上に乗っかったデスマスクはするりと上着を脱ぎ落とす。
「何かウズウズして噛みたければ俺を噛めよ、どこでもいいから。好きなだけ」
 覆い被さり、シュラの頭を柔らかく抱くとデスマスクのフェロモンが漂い始めた。"かつて"の事を思い出そうとしていたシュラの意識が徐々にデスマスクへ引き戻されていく。
「お前、俺のどこが好き?胸?指?太腿?腰?」
「…噛むのは…頸とは違う。傷も残るかもしれない…」
 誘惑に耐えて言い返したが、噛みたい衝動が沸き上がったのは事実だった。自分は今どんな顔をしているのだろう。デスマスクが焦る程に飢えた表情を見せているのだろうか。あの夢を思い出してから妙にドキドキする。噛みたい。もうデスマスクは番で自分のものなのに、たった今まで感じていた安心感は全て失われ強い不安が胸を打つ。誰が殺した…?噛みたい。誰かに傷付けられる前に…。噛みたい。誰かに奪われる前に…。噛みたい!誰かに殺される前に…!

「いっ…て…!!」
 顔を上げたシュラはデスマスクを押し除け左肩に牙を立てた。ゆっくり口を離すと白い肌にじわじわ血が浮き上がってくる。デスマスクの顔を見ると眉を寄せながらも笑っていた。
「っは、ぁっ…!」
 乗っていたデスマスクを引き倒し、今度はシュラが乗り上げると次は右胸の脇に噛み付く。再びデスマスクの顔を覗くと瞳に涙を溜めながらやはり笑っていた。
「い…いいから、続けろって…」
「気持ちいいのか」
「ん…もぅ…わかんねぇけど、いいんだよぉっ!…ぁっ、や…!」
 続けて腰に噛みついたあと、パンツを引き下ろして次々と牙を立てていった。痛みを訴える喘ぎ声は正直なのに笑顔で打ち消そうとする姿が健気で、1秒でも早く止めてやらなければならないと頭では思えど衝動が抑えられない。自分はデスマスクを殺す時は一振りの手刀で終わらせるものと思っていた。傷付け、解らせるようなこの行為は良くない。シュラを思って誘い続けるデスマスクも悪い。愛を繋ぐためのαの牙がΩを殺めてしまう。
 しかしそれも本来の姿なのだろう。たまたまシュラは手刀という手段を持っているだけなのだ。

「デス…これで気持ち悦くなっては、ダメだろう…」
 デスマスクの全身が赤く染まる頃、衝動が治ってきたシュラはシーツに散った体液に気付き指で掬って見せた。痛みと熱っぽさでぼんやりしているデスマスクには見えていないだろうが、自覚はあるようで恥ずかしそうに下唇を噛み締める。
「だって、お前がやる事だしっ…んっ…!」
 デスマスクが溢したものを舐めてから、ずっと触れずにいた下腹部へと指を挿し入れる。もうすっかり濡れていて、ようやく挿入ってきた指に悦んで吸いついてくるようだ。肌に滲む血を肩から順番に舐めていけばビクビクと震えて弱くイき続けている。
「酷いことをして済まない…お前のフェロモンのおかげで煽られはしたが意識して加減する事はできた。あとは少しづつ、俺のコスモでどこまで戻せるかわからないが…気持ち良いことしかしないから力を抜いて良いぞ」
「…たんじょうびだから…おおめにみてやる…」
 ゆっくり腕を伸ばしたデスマスクはシュラの首を引き寄せてキスを強請った。血の味がする舌を舐め合いながら腰を揺すって一番欲しいものを訴える。
「ゆびはもういい、早く脱いで肌で抱いて…。お前も噛みまくって、気持ち良くなってんだろ?ハードだっただけで前戯はもう終わってんだよ…」
 その言葉にシュラも服を脱ぎ捨ててデスマスクをいつものように内から優しく抱いた。擦れる肌にデスマスクの血がシュラにも移る。コスモを込めて外からも内からもデスマスクを包み込んだ。吐息混じりに「きもちいい…」と繰り返される言葉にはシュラも煽られて愛しさが募っていく。なぜ、この優しい愛だけを貫けられないのだろう。これも神が試す行為なのか。
 疲れ果ててデスマスクが瞼を閉じた頃、ようやく肌の赤みも引いていった。

 翌朝デスマスクが目覚めると傷は残っているが痛みは無く、体は清められ、血の滲んでいたシーツも全て綺麗に整えられたベッドの中にいた。体を起こそうとするとさすがに倦怠感がある。小さく溜め息を吐いてベッドに身を預けた。
 シュラの豹変には身の危険を感じつつも、自分を食い殺しかねない真っ黒な瞳に興奮して誘ってしまった。おそらくシュラは自身が暴走したと思っているだろうが、デスマスクが望んだ事でもあった。シュラがかなり気を遣って噛んでいたこともわかった。もっと強く噛めば良いのにと思っていたなんて絶対に言えない。口元をもっと血で濡らして…。その光景をデスマスクは知っている。何の記憶かわからない。でも知っている。それはとても嬉しい瞬間だったから。

 ギィっとドアが開き、戻って来たシュラと目が合った。ベッド脇に跪いてデスマスクの髪を指先で梳く。「大丈夫か」と聞かれて正直に「怠い」と呟けば、部屋を出て行ったシュラは朝食を手にして再び戻って来た。
「…食べさせてくれるとか?」
「そうしてほしければ、してやってもいい」
 少し考えたデスマスクは思い切って起き上がり、朝食を受け取ると枕元にある棚の上に置いた。
「まぁ、自分で食える。ただ俺っぴ寝起きすぐは食欲無ぇから後で」
「今日の任務は午後からだろう?それまで休んでいけ。俺も夕方からだから巨蟹宮まで送ってやる」
 そっと握られた手からシュラのコスモが流れ込んでくるのがわかる。傷を治そうとする癒しのものだが、番になってからは少し性欲も掻き立てられるのでできれば寝ている間だけにしてほしい…なんて言えず。
「…キスぐらいなら、俺が出て行くまでしても良いか?」
「ぐらい、ってなんだ。抱かれ足りないのか」
 半笑いで黙っていると、シュラの唇が頬に当たった。
「怠いと言う上こんな姿になっても懲りずに…かわいすぎる」
 朝食を食べ終えたら呼びに来い、と部屋を出て行くシュラの背中を眺め、ドアが閉まると同時にデスマスクは器に乗ったパンを手に取ってかじり始めた。寝起きすぐの飲み込み辛さは気にならなかった。

 シュラに噛まれた痕は聖衣を着けると脇から腕部分しか見えないはずだ。マントをして激しく動かなければ何となく隠せていると思う。が、目敏いアフロディーテには全く効果が無く、すれ違い際に腕を掴まれ確認されてしまった。教皇宮に行けば清らかなサガも目を細め、噛み痕を見る視線が痛い。二人とも特に何かを言うでもなく、静かに溜め息を漏らして終わった。

ーつづくー

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2024
08,08
 教皇宮に入った二人は教皇座に座るサガの前まで揃って出た。堂々と、これが番となった俺たちだという事を見せ付けてから静かに首を垂れてデスマスクが自ら番を得たことを報告する。
「発情期にαたちを惑わすこと無く聖闘士を全うできるようになるのは私も望んだ事である。本領を発揮して励んでほしい」
 仮面の奥のサガの表情は窺えないが、落ち着いたコスモと声色で返ってきた。邪悪な方は息を潜めているようだ。
「しかし教皇、俺の発情期が無くなったわけではありません。今まで通りその時期はシュラと休みを頂きますよ。聖域で」
「理解している。首輪ももう、必要無いな?」
 そう告げたサガは袖口から金の首輪を取り出して見せた。今までずっとあれを着けていたという感覚もすでに薄れて、自分の首元を彩るのは黒革の首輪しか考えられない。
「必要ありません。買っていただきありがとうございました。売るなり溶かすなりして聖域の財源に充ててください」
 二人が教皇宮から退室しようとした時、サガはシュラの方にも視線を送ったが二人は言葉を交わすことなく宮を出た。

「キリっとした顔で"話をつける!"って言っといてよ、結局お前何も喋らねぇし!」
 宮を出てすぐデスマスクは、ただの添え物と化していたシュラに不満をぶつける。つい先程まで強気でアフロディーテとピリピリていたというのにどうしたというのか。
「サガが落ち着いていたから余計な事を言う必要も無いかと思って」
「あー…余計なことばかり言う自覚はあるんだな。初めて知ったわ」
 嫌味を言ってもシュラは黙ったままでいる。多分、先程アフロディーテと張り合ってしまったからこそ、αの気をコントロールできなくなる事を怖れたのだろう。
「はぁ〜…サガも今のお前も情緒不安定な人って読めねぇなぁ〜」
 デスマスクは階段を降りながら長い溜め息を吐いてシュラに寄り添った。何となく、触れ合う手に緩く指を絡ませるとシュラの方から握り返してくる。
「突然発情期に聖域へ戻って騒動起こしたお前が言うことか。サガを見れば俺の苦労も少しはわかるだろ」
「そうだけど、あの時はお前の気を引きたいっていうか甘えがあったというか…」
「それで俺は黄金と争って負傷した」
「…ごめんって…」
 番になれて、もう落ち着いたからさ…とシュラの頬にキスをする。シュラも握っていた手を解くとデスマスクの腰を寄せて頬に返した。擦れ合う聖衣がカツ、カツ、と音を立てる。

 仲良く双魚宮を抜け宝瓶宮に入れば、行きには見掛けなかったカミュとミロが話をしていた。ミロはシュラとデスマスクの気配に振り向くなり「本当に番になってやがる…」と呟いた。
「うるせぇ、聞こえてるぞ」
 宮の真ん中を歩きながらデスマスクが吐き捨てる。
「番になったということは、お前たちヤったって事だよな?デスマスクを抱くとか信じられ…」
 言い終わる前に控えめな聖剣が宙を裂き、ミロとカミュをかすめてその奥の柱に鋭い傷を付けた。またもシュラに傷付けられ、宝瓶宮はいつか斬り崩されてしまうかもしれない。
「おいシュラ!危ねぇだろ!」
「お前みたいなガキには理解されなくて結構だ!」
 シュラは黙ったままで、ミロに答えたのはデスマスクだった。そう言われるなりミロは腕を組み顔を歪める。
「ふん、どうせお得意のフェロモンで無理矢理抱かせたのだろう」
「そんな考え方しかできねぇなんて、黄金αのくせに情けないな」
「ハァ?「おいミロ!止めろ!」
 レベルの低い喧嘩を眺めていたカミュが遂にミロを止めに入った。それを見て、いつでも繰り出せるとデスマスクの隣で聖剣を構えていたシュラも腕を解く。
「すまない、私たちαには恋愛事など無縁の事なのでな…お前たちの関係に羨ましさがあるのだと思う」
「ハァァ?!俺は羨ましくねぇよ!」
「止めてくれ、私から見てもみっともないぞ」
 デスマスクたちからはよく見えなかったが、カミュの冷めた視線を受けてミロは口をつぐみ顔を逸らした。
「シュラがαになったと聞いた時、驚きは無かった。αに匹敵する力は持っていたからな、それが当然とも思えた。番の事はよくわからないが、これからも二人の活躍に期待している」
 そう告げたカミュにデスマスクは手を振り、二人は磨羯宮へと向かった。

「くっそミロの奴、なめくさりやがって。未だにΩは美形とか女々しいとかいう幻想抱いてんじゃねぇよ!」
 シュラは私室へ入ってからも愚痴るデスマスクの髪を撫でて額にキスをした。二人とも聖衣を脱ぎ、上半身は裸のままでソファーに沈み込んでいる。
「俺はお前が好きだ。ただそれだけだが、それには肌も髪も瞳も内面も全てが含まれる。他人の気を引くほどの美貌など必要無い。俺がお前を好きでいるのだからそれでいいだろ?」
「俺だってそう思うけどよ、それが理解できてねぇミロに腹立つんだよ」
「クク…お前は賢くて可愛い。好きだよ、デス…」
 シュラの手のひらがデスマスクの胸を揉んで、親指が敏感な箇所を撫でていく。擽ったさに吐息を漏らしながら、するのか?と呟くと微笑み返された。聖域で抱かれるのは初めてだ。誰かに見られる事なんて無いのはわかっていても少し緊張する。シュラなりに、ミロの言葉に傷付いてないかとフォローしようとしているのだろう。発情期でなくても抱ける、お前が好きなのだと。一通り前戯を施されて蕩けたデスマスクはシュラに抱き上げられると寝室へ移動し、引き続きシュラの愛を存分に受け入れた。

ーーー

 翌日から二人は早速それぞれの仕事を与えられ、以前と同じく任務に励んだ。αに変異したシュラは自身の体力や技の技術に関してはβの頃との違いを感じなかったが、敵と対面した際に相手が怯むようになったのは実感した。その実感は日に日に増していき、αとしての力が着実に付いてきていることに満足した。得られる強さは全て取り込みたい。それがデスマスクを支える力となるのであれば喜んで受け入れる。早めに任務が終わった8月のある日、十二宮を上っていたシュラは巨蟹宮にデスマスクの気配を感じて会いに行くことにした。
 巨蟹宮の外にまで宮内を轟かす死面たちの声が漏れ出ている。番になる前はここまで聞こえていなかったが、最近また数を増やしたようだ。Ωが判明してからもデスマスクは粛清任務の手を緩める事はしなかった。時差があろうと時間を問わず任務に向かい、発情期の休暇分を取り戻すべく戦い続ける。シュラのように格闘を繰り広げるわけではないのだが、コスモの消費に関してはデスマスクの方が高いだろう。それが更に加速しているように感じる。私室の扉を開け、居間へ向かおうとしたシュラはデスマスクが浴室にいることに気付きそちらへ向かった。浴室の扉を開けてしまおうか考える間もなく、シャワーを終えたデスマスクがその扉を開けて現れた。
「ぅおいっ!ビビるじゃねぇか、来てたのかよ」
 シュラは洗面台の横に置かれていたタオルを手にして肩に掛けてやる。デスマスクを抱いた後にするのと同じように体を拭き始めれば、大人しく身を委ねてきた。
「今日は早帰りで来たのか?この後も暇ってこと?」
 久しぶりに会えたことが嬉しそうな声色が響く。
「あぁ、αになってから仕事が楽になった気がする。お前も少しは楽になったのか?」
「少しもなにも…」
 デスマスクは耐えられない笑みを溢しながらタオルをひるがえし、人差し指を立てた右腕を突き上げて見せた。
「見せてやれないのが残念で仕方ない程に、ヤバい」
 ヤバい、が良い意味でというのは一目瞭然だった。少しコスモを燃やしてみせたのだろうがそれだけではない。Ωであるのにαと同等の圧を感じる。
「これが番になる、という事なのかお前の精が凄いのかわからねぇけど、力の出方が全然違うんだよな。今の俺はお前より強いと思うぜ?エッチして中に出されても掻き出さなきゃ漏れてく感じあんま無ぇし、αの力をリアルに吸収してんのかな」
「仕様から考えると俺は与えることしかできないが、お前はαを受け入れたΩであるから…一体化したという意味で強化されてもおかしくない気はする」
「その辺のΩならば番との妊娠出産しか考えられなくなるだろうが俺は違うしな。俺は新しい世界を産んでやるぜ?」
 突然の壮大な言い草にシュラは笑ったが、デスマスクは何も言い返さなかった。真剣な瞳がシュラを見つめ続けていることに気付き、笑みを潜めて続きを促す。
「俺らが相手にする奴らは殆どがαだよな?まったく好都合だ、片っ端から葬っていける。そしてαの側にはΩがいる事も多い」
「…任務外の殺しもしているのか」
「そいつら番だったら片方だけ残すのは可哀想だろ?番じゃなかったら俺とお前の関係をぶち壊す"運命"が紛れ込んでいるかもしれん」
「運命?」
「知らねぇの?番関係ぶち壊してでも遺伝子レベルで惹かれ合ってしまうαとΩの存在」
「知ってはいるが、俺たちがソレではないのか?」
「正直わかんねぇじゃん。そう思いたくてもどんなんか知らないのだから。念には念を、だよ。お前を誰かに盗られるのだけは絶対に許せねぇし耐えられん。聖域の奴らは仕方ねぇから後回しだが、この世に存在するαとΩの全てを消したい。世界がβだけになったらどうなるんだろうな?どうせその中から優劣付けてくのだろうが、番はαとΩだけだとかフェロモンに惑わされて事件が起きるような世界が終わるならそれで良い」
 デスマスクは自身の願いが果たされた故に世の中の好き合うαとΩに対して友好的な考えを持っているとシュラは勝手に思い込んでいた。しかし現実はαへの嫌悪もΩに対する悔しさも何も変わっていなかった。突き詰めれば"怒りの根源は第二性を生んだ神にある"という事を思い返すと、何も変わらないのは当然の事だろう。
「なぁお前何でここに来た?オレサマの顔を見に来ただけか?」
 拭き終えた体を包むバスタオルの隙間から手が伸びて、シュラの服を小さく摘まむ。その様子を見て、最近デスマスクに服を与えていないなという事を思い出した。
「お前もこの後空いているのなら食事でもと」
「ふぅん…その前にさ、ヤる?お前って今でも一人の時は溜め込んでんの?それとも積極的にオレの事考えてくれちゃってる?」
「わざわざ一人で楽しむようなタイプではない。そこは変わらない」
「へー…ならば久しぶりにオレサマが色々頑張ってやろうかな。明日もデカい仕事入ってるからよ、たっぷり頂いておこうかなって」
 言い草からして"外食前に軽く"とはとてもいかなさそうだなと思いながらも、シュラはデスマスクの頬にキスをしてから自身も浴室へ汗を流しに入った。その場で脱いだ服をデスマスクに渡すと目を丸くして不思議そうに見ていたが、すぐに理解してニヤけ崩れていく顔が閉まる扉の向こうに見えた。

 寝室へ向かったシュラは先にベッドで待っていたデスマスクの首筋に触れ、噛み痕を確認する。番の証はしっかり残っている。デスマスクはシュラを咥えることに関してそこまで積極的ではなかったが、今日は違った。慣れない口使いながらも少しでもシュラから力を得ようと懸命に求め、吸い上げていく。飲み込む事が当然であるかのように躊躇なく体内へ取り込み、ニヤりと笑った。その唇にキスをして押し倒そうとすると、デスマスクは拒むように身を屈めて再びシュラを咥える。抜いてしまった熱をもう一度立派に、研ぎ澄ますように。そして自ら仰向けになれば「次はここ」と言わんばかりにシュラを下腹部まで導き、視線を合わせた。そこからはもうシュラの主導で、抱き揺すられるデスマスクの体は愛される悦びに熱を帯びていく。シュラのために絶え間なく濡れる体を差し出して、求める限りの愛情を体いっぱいに受け取った。

「…αってさ、どんだけシたら枯れるんだ?」
 当然、外食へ出掛けられる余裕など無い姿となったデスマスクがぼんやり呟いた。αに抱かれて力が漲るようになるのは直ぐではないようだ。
「さあな、Ωの発情期に耐えられる分はあるから生産回転が相当速いのだろう」
「貯めてる部分がデカいわけじゃねぇもんな…女αなんて特に。そこは意味不明だわ」
「男Ωの妊娠構造も昔に本を読んだが意味不明だった」
「理解するもんじゃねぇんだよ…番がどうとか説明読んでも、実際なってみないとわからんのと同じだ」
「まさに神の悪戯、か」
「ほんとムカつく」
 その言葉にシュラは眉を寄せて微笑んだ。デスマスクの髪を撫でてから指先で頬を擽る。第二性なんか関係なく普通に、平凡に愛し合って終われるのならばそれがいい。αの力がΩを補って殺戮の原動力に変わってしまうとは思ってもいなかった。デスマスクは強い。しかしどうあがいても神にはなれない。このまま突き進む先に何がある?
「考えても仕方ねぇんだ、やるしかない。俺は、やる…」
 シュラの心を読んだかのような呟きが低く響き、妙に胸を打った。迷いは、断たれる。

 翌朝、シュラはデスマスクを見送ってから昨日の報告をするために教皇宮へ向かった。しかし教皇座に姿は無く私室へ案内されたため、何となく状況を理解したシュラは溜め息を吐いてから扉を開けた。
「蟹座は番になってから絶好調のようだな、調子に乗っている様がよくわかる」
 ソファーに腰掛けているサガの髪は半分黒く染まっていた。話し方からも邪悪な方が出ているのは一目瞭然だ。
「アレでも抱き心地は良いものなのか?Ωであるのだからナカの具合は最高だろうがな」
「そのような話をする気はない。次の準備があるので失礼する」
 あからさまに呆れた顔をして見せたシュラは簡潔に報告を済ませ踵を返した。それでも背中から笑いを含んだ声が漏れ聞こえる。
「クク…お前も恐ろしいΩを番にしてしまったものだ。みるみるうちに巨蟹宮が死面で埋められていく。元からおかしい奴ではあったがあれで精神面は正常なのか?異常であってほしいともう一人の私が願う程だぞ?任務外で殺りすぎると私もフォローし切れないからな、お前がコントロールしてやれよ」
 Ωなのだからセックス漬けにでもしてやれば落ち着くだろう、という馬鹿な言葉を遮るように力強く扉を閉めた。パラパラと石埃が床へ落ちていく。

 暗殺はデスマスクだけがしている仕事ではない。巨蟹宮の怪異によりデスマスクだけがその行いを表面化させ周知されているが、シュラもアフロディーテも行っていることだ。指示をするのはもちろん教皇。聖域内の問題のみならず外交も絡み、聖域に仕事を頼む者は世界各国に散らばっている。
「異常だと思うのならなぜデスマスクに暗殺任務を与えるのだ…!」
 血を流さない積尸気冥界波は都合が良いのだろう。一人であればひっそりと病死扱いにもできる。シュラの暗殺は殺人事件にしかならない。だからこそ、時にデスマスクは従順さを放棄して気に入らない依頼の時には周りを巻き込み、わざと事件性を露見させているのではないかと思う時があった。理解できる者はほとんどいないのだろうが、それが彼なりの正義でもあるのだろうと。それとも本当に、ただαとΩの殲滅を遂行しているだけなのだろうか。
 自分はどうしたいかと言えば、決まっている。聖域よりも世界よりも番としてデスマスクの味方でいる。より強くなりたいと願うそれを叶えてやりたい。そのために人類が滅亡しても…構わない。二人きりになった世界を神に見せつけてやれるのならば、それはさぞ気分が良いものとなるだろう。

 磨羯宮へ戻ったシュラは昼食を食べてから次の任務へ向かった。暗殺を伴わない仕事であったが、偶然βに暴行を加えているαの二人組を見掛けて首を落とした。助けられたβはシュラを見るなり感謝も述べず逃げ去っていく。転がる首を眺めて、何も感じるものなどなくその場を立ち去った。

ーつづくー

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2024
08,02
 満足するまで抱いてもらっているというのにスッキリするのは数時間程度で、直ぐにシュラが恋しくなってしまう。発情期のピークが過ぎるまで二人は裸に上着やバスタオルを羽織るだけで生活した。さすがに居間で抱き合ったのはあの時だけで、それ以降はどちらかのベッドまで行くように努力している。
 6月24日、デスマスクが22歳を迎える朝。朝食を食べてからシュラに抱いてもらうと、体の疼きが一気に引いていくのを感じた。長年の経験からわかる、発情期が終わっていくサインだ。
「前まではピーク後もダラダラ続いていたが、今回一気に終わるかも…」
 シュラの愛情を体内に受け入れながらデスマスクは呟いた。αの精にはΩの心を落ち着かせる作用も含まれているのだろうか。狂ったように熱くなる体は精を与えられる度に癒されていき、やがて満たされる。好きで抱かれたい気持ちと、助けてほしくて精を求める気持ちが入り混じる。
「番を得た事で発情期の期間が短くなるのならそれに越した事はない。聖域でも暮らし易くなるだろう」
 キスをして、シュラがデスマスクの体から抜けようとした時、引き留めるように腕を掴んだ。
「なぁっ…発情期以外でも、普通に抱いて欲しいんだけど…」
 その訴えにシュラは顔をしかめる。何を言ってるんだ当たり前だろう、と思ってもデスマスクにはまだβだったシュラのイメージしかない。αになって数日しか経っていないのだ。
「これからはお前が抱かれたい時に言えばいいし、俺が抱きたい時もそうする。発情期だから抱いてやってるのではない。βのように拒否もしない。抱きたいから抱いているんだ、もう心配しなくていい」
 そう告げてデスマスクを抱き締め直し、心音が穏やかになるのを待つ。やがて「大丈夫」の合図にデスマスクがシュラの肩を押すと、ゆっくり体内から抜けて隣に寝転がった。銀髪を撫でれば幸せそうに目を細める。
「今日こそ調子が良ければ何か食べに行かないか?この前の続きでイタリアでも良いが」
「それは誕生日関係ある感じ?」
「ある」と即答するシュラの提案に、デスマスクは軽く微笑みながら「行きたい」と頷いた。

 初めて二人で誕生日を誕生日として過ごした。昼から少し贅沢なコース料理を食べて、デザートにティラミスを食べて、広場のベンチでぼんやりしてから海岸線を散歩する。聖闘士である事とか報われない不満だとかを忘れて、たまに街中で見掛ける幸せそうなαとΩの番として過ごせた気がした。
「お前の銀髪は目立つからかよく見られていたな」
「別に今更だし。でも多分俺よりお前の方を見てたんじゃねぇの?俺はそう感じた」
 丘の広場で夜景を眺めながら交わした言葉に「これって嫉妬か?」と二人で笑う。
「対抗心なんか残ってるもんなのか?こんなに好き合ってんのによぉ」
「ククッ…それとこれとは別なんだろう。俺の方が強いしな」
 サラッと言うシュラの言葉を聞き逃さなかった。
「αに昇格したからって自惚れんな!俺様が最強Ωだ、わかってんだろ!」
「可愛いは最強かもな」
「ヘンタイ!」
 番になって初めてシュラに拳を振ったが、やはり呆気なく手の平で受け止められてしまう。それどころか軽く足を払われて崩れた体を抱き止められた。どうだ?と見下ろしてニヤける顔はどんなに好きな奴でも腹立つ時は腹が立つ。デスマスクは瞬間移動を使いシュラの腕の中から消え、背後に立った。そして人差し指を背中に突き立てる。
「十二宮とかハンデ無ければ俺が最強なんだよ、巨蟹宮にある実績見てんだろ?」
「そうだな。ハンデも発情期も克服できたらな」
 降参、と両手を挙げるポーズをしているのがまた腹立つ。きっとシュラの顔は嫌な笑顔をしている。どうせΩはどれだけ足掻いても好いたαには敵わないのだ。体が、心が素直になってしまう。
 動きを止めたデスマスクが気になったシュラは振り向いて、何かを考え込んでしまっている姿を抱いた。
「…言い過ぎたか、すまない。番になったからには俺とお前は対立すべきではないだろう。これからは二人で一人の気持ちを持つ必要がある。お前の発情期は俺も背負う」
「やっぱ俺ってもう、一人で強くなるのは無理なんだな…」
「男と女は元々一つだったという考えがあるだろ?αとΩも同じだ。お前は俺を得て、欠けていたものを取り戻したと考える方が正しいと思うが。俺と共に、というのは抵抗あるか?」
 反射的に首を振った。シュラとの番関係はデスマスクが渇望したものであるから抵抗はない。それでも自分が持つ男の性が強さを求めてしまう。かつて黄金聖衣を勝ち取っても満たされなかった。上には上がいる。ここ数年はシュラと番になれれば他は何もいらないというくらい想っていたのに、手に入ったら別の欲望が湧き出てしまう。
「いつまでも枯れず向上心を持ち続けるのは良い事だと思うぞ。だからこそ黄金に相応しい。無理とか考えずαを超えようとする野心は持ち続ければ良い。お前は極上のΩなんだ、他の黄金αのフェロモンももう効かない。最強を諦める必要も無いと思う」
 シュラの言葉に無言で頷いた。番となった二人の力はきっと神に匹敵するはず。しばらく抱かれてから顔を上げたデスマスクは呟いた。
「クク…そうだな、今日という日に生まれ変わってやるぜ。俺たちは始まりであり終わりとなる」
「お前が望むように生きろ。αのくせに言うのもアレだが、俺はお前に従う」
 どちらからともなく顔を寄せてキスを交わした。シュラには…αには敵わないというのはもはや幻想で、自分はこうして手に入れたのだ。シュラと交わりαの力を注がれて番となった。それは愛だけではなく、もっと自分を、Ωを生まれ変わらせたはずだ。自分はのんびり暮らしていけるΩではない。選ばれし黄金聖闘士のΩであり、黄金のαと番った未知なる者。聖域を、世界を変える事もできるかもしれない。
「ふ、流石だな。頼もしい…」
 デスマスクから異様なコスモの高まりを感じたシュラは一言呟いて、もう一度頬にキスをした。

 誕生日から二日後の朝。二人は長年デスマスクの発情期を支えひっそりと過ごしてきた隠れ家の前に立ち眺めていた。
「なぁ…使いたい時にここ来ても良いんじゃねぇの?」
 シュラとの思い出が詰まる場所を手放すのが惜しくてデスマスクは訴えるが、シュラは最後まで首を縦に振らなかった。
「ケジメは必要だろう。ここは"教皇"の計らいで仕立て上げた場所だ。家が欲しいのならば金の首輪を捨てたように俺たちで新たに探すべきだな」
「それはわかるけどよぉ…」
 新しい家を手に入れてもそこに二人の思い出は無い。過去も手放したくないとするデスマスクの考えはシュラには理解し難かった。
「お前はβの俺に未練があるのか」
 シュラに見つめられ、視線の鋭さに一瞬息が止まる。違う、そういうわけではないのだが…。
「αになって数日だ。この家に残る思い出なんかβの俺しか居ない。どれだけお前に求められ、縋られても、応えることができなかった。苦しむお前を前に何もしてやれなかった。一線を超える度胸すら無かった。そんな俺しか居ない思い出を手放したくないというのは理解できないな」
「そんな事ばかりじゃ…」
「βだったからとは言え、俺はお前に酷いことばかりしてきたという事がαになってやっと解ってきたんだ。もっとお前の要求に応えてやるくらいできたはずなのに。大切にしてやりたいというのは言い訳でしかなかった。お前は俺のそういうところに惚れたのかもしれないが、同時に不満もあったからこそα性を求めたのだろう?それとも、今でもβに会いたいとか考えるのか?」
 デスマスクの首を横切る黒い首輪にシュラは人差し指を差し入れ、前から後ろへと撫でていく。返答によってはせっかく買ってくれた新しい首輪を斬ってしまいそうでデスマスクは焦った。首輪に手を当てて「βに会いたいんじゃない、やめてほしい」の意味で首を横に何度も振る。するりと指が抜かれると、その手はデスマスクを抱き寄せた。
「…すまない、意地悪をしたいわけではないのだが…多分、これがαなんだ。しばらくこういう事が続くかもしれない…」
「大丈夫、俺はお前が好きだから」
 デスマスクもシュラに腕を回して抱き返す。シュラも成人後にβからαへ変異した未知なる者なのだ。自分が理解してやらずに誰がシュラを理解できるというのか。
「悪いな!生まれ変わるってこの前宣言したんだしな。ここもスッパリ諦めるぜ!」
 気持ちを切り替え、そう笑うデスマスクにシュラも微笑み返した。結局αになってもデスマスクには無理をさせてばかりだなと感じたシュラは早く自身が完全なるαになれるよう気持ちを引き締め、デスマスクに手を引かれて聖域へテレポートした。

ーーー

 二人は並んで十二宮の階段を上っていく。巨蟹宮、磨羯宮へと続く道ですれ違う者たちが注目したのは、デスマスクではなくシュラの方だった。誰もがシュラを目にするなり萎縮し、通り過ぎるまで道の端で固まっている。そんなあからさまな態度の変化にデスマスクは噴き出した。
「お前のαオーラそんなヤべェのかよ?まぁ〜たアソコで二人縮んでやがる!」
「フン、あいつらもαだろうに情けない」
 笑いながら磨羯宮まで来ると二人とも黄金聖衣を装着して更に上を目指した。怖れなど無い。二人は教皇宮を目指して上り続けた。
「余裕そうで何よりだ」
 双魚宮へ入るなり薔薇が二輪足元に撃ち込まれ、足を止めた二人の前にアフロディーテが姿を現す。
「遂に番か…おかげで匂いは綺麗さっぱり感じなくなったな。薔薇の純粋な香りが楽しめて私も嬉しいぞ」
 デスマスクが答えようと少し踏み込むと、それを遮るようにシュラが前に出た。
「お前のおかげで誰も欠けること無くこいつの願いを叶えてやる事ができた。力になってくれたこと、感謝する」
「ふっ…だって、デスマスクは昔から君しか見てないのだもの。私が割り込む余地なんて最初から無かったさ」
 アフロディーテの言い草にデスマスクは声を上げようとするもシュラに被せられて止める。
「サガの様子は落ち着いているのか?」
「邪悪な方がやらかそうとした事に対して悔いているようだが、君たちの姿を見るとどうかな…負け惜しみくらい言いに出てくるかもね。でももうデスマスクに手出しをしても無駄だし、行けば良いのではないかな?」
「聖域へ戻るために話をつけておく必要はあるからな、行くことに迷いは無い」
「新婚報告だしね、君でさえ浮かれるのはわかるよ」
「茶化さないでくれ」
 デスマスクは二人が交互に話す様を眺めて自分も入り込むタイミングを伺っていたが、どうもシュラに阻まれる。何度かアフロディーテと視線は合ったがニヤりと笑われるだけだった。やっと番を得たのだから、また…
「昔のように私と…というわけにはいかなさそうだぞ?デスマスクよ」
 遂にアフロディーテがデスマスクの方へ言葉を掛けたが、途端に空気が張り詰めるのを感じる。
「…ほら、私に対してでさえこの緊張感だよ。感謝しているのか威嚇しているのかわからないよね。αの力がまだコントロールできていないのかな?」
 そう告げながらアフロディーテが一歩づつ下がっていく。シュラはその様子をじっと見つめてからデスマスクの手を取り側に引き寄せた。
「シュラ、お前…」
「…コントロールできていないのは認める。デスマスクに対してもそれは同じなのだ。もうしばらく二人には面倒をかけるかもしれないが、今に克服してみせる」
 張り詰めていた空気が次第に緩んでいくのを感じたアフロディーテは「君ならすぐに実現してくれるだろう」と笑い、二人を見送った。

「βからの変異とは言えαの力が弱いわけではない。純粋に聖戦への戦力となれば良いが…」
 デスマスクへの執着と愛の深さに自滅しかねない危うさもある。そうなれば聖域は二人の黄金を失ってしまう。
「せっかく結ばれたのだ、二人が思うように生きることを応援すべきかな」
 上へ向かう背中を眺めながら薔薇を一輪、宙へ放った。

ーつづくー

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2024
07,24
 夜遅くまで抱き合い続けた二人は食事を摂るためシャワーを浴びたが、結局何も食べずデスマスクの部屋で共に眠ることにした。シュラがベッドへ先に行くとデスマスクは冷蔵庫の前でパチパチ音を立てながら水を飲んでいる。
「…抑制剤、飲むのか?」
 発情期の症状は抑えられているはずと不思議に思ったが、問い掛けに「あ、うん…」と言葉に詰まってから何かを飲み終えたデスマスクはベッドまで来てシュラの隣に並んだ。仰向けになったまま、ポツリと呟く。
「まぁ…避妊薬だ。相手がお前でも妊娠だけは勘弁だからな」
 βの頃のシュラはデスマスクの妊娠に関して敏感だったが、そんなことすっかり抜け落ちて行為に没頭してしまった。フェロモンのせいと言えばそうでもあるが、Ωに与えるのが当たり前のようにデスマスクを抱き、愛するΩに与えられる悦びを自身も感じて歯止めが利くことなど何もなかった。αに支配されたシュラはβの頃に懸念していた理由すら霞が掛かって、そう思った事もあったなとぼんやり思い返す。
「お前さ…まだ、自分が避妊薬飲むとか思えるか?」
「……」
「いや、俺が飲むからお前は飲まなくて良いんだけどよ…」
「負担ばかりかけてしまうな」
「それがΩだから仕方ねぇよ。お前の元気な愛情貰える方が嬉しいから気にすんな」
 笑顔を見せたデスマスクはシュラに抱き寄せられ、二人はそのまま眠りに落ちた。

 明け方、まだ薄暗い中で目覚めたデスマスクは隣で眠るシュラを見た後、自身の首筋に手を這わせ噛み痕も確認した。夢や幻ではない。シュラの匂いもわかる。目の前の黒髪をそっと撫でて、頬にも触れてみた。
 (かっこいいし…)
 改めて間近で見てみると整った顔が格好良く見える。この長くて豊富な黒い睫毛が切長な目を縁取るおかげで目力が増し、顔がぼやけずハッキリするのだろう。自分だって負けないくらいの顔立ちをしていると思うが、白銀の毛はどんなに豊富でも肌に溶け込みぼんやりしてしまう。裸になってもどこか幼く見えてしまうのはΩ故の男性退化のせいだけではない。別にむさ苦しく毛むくじゃらになりたいわけではないが。
 聖域にいる黄金や白銀聖闘士には派手な顔立ちの者が多いため、口数も少なくβであった黒髪のシュラはイメージだけで地味であると思われ印象に残りにくい。特別背が高いわけではない。ムキムキにデカいわけでもない。一般人と比べれば格別だが聖闘士の中では平凡な方だ。自分だってシュラが同じ歳の黄金同士でなければ全く眼中に無かった気がする。デスマスクがシュラに惚れたのは顔ではなかった。どちらかと言えば面食いで恋人は見た目も良いに越したことはないと思っていたが、デスマスクはシュラが自分の事を知ったうえで大切にしようとしてくれた姿勢に惚れた。裏切られるのは嫌いだ。本性を知って手のひらを返されるのも鬱陶しい。だから広く浅い付き合いしかしないし、自分に対して深入りしてこようものなら拒否もする。ずっとそうしてきたというのに、シュラにはもっと自分を知ってほしいと思ってしまった。裏切られても縋りたいくらいに。もう嫌いになんかなれそうもない。シュラ以外を好きになるなど考えられない。
 (お前も、それくらい好きになってくれた…?)
 触れた頬に軽くキスをして、もう一度黒髪を撫でた。そのままデスマスクが再び瞼を閉じた時、シュラが動いてデスマスクの首筋を撫でる。
「んっ…」
 噛み痕に触れられて思わず声が漏れてしまう。
「痛むか?」
 寝起きの少し掠れた声が心配そうに響いた。瞼を上げれば、ぼんやりした黒い瞳がデスマスクを見つめている。万全ではない顔が既にカッコいい。
「痛くねぇけど…なんか、性感帯になった…みたいな?」
「あぁ…」
 理解したのかしていないのか、気の無い返事を返しながらまた撫でてくるので、再熱しそうな体をギュッと硬くしてシュラの胸に擦り寄った。そうすると首筋を撫でていた手はするする背中にまわり今度はデスマスクを抱き寄せる。
「すまん、あれだけ抱いて足りないわけではないのだが…触れたくて」
「いっ…いいって。好きにしろ」
 まだ眠そうな声の通り、シュラはデスマスクを純粋に抱き締めて瞼を閉じた。しかし眠るわけではないらしい。
「昨夜はフェロモンもあってお前のこと以外考える余裕など無かったが、サガがここまで殴り込みに来る事もなく二人きりで過ごせて本当に良かった。アフロディーテのおかげだな」
「あぁ…サガも本気出せばここくらい探し当てられただろうにな。また途中で素に戻ったか」
「クク…都合の良い二重人格だ。強いのか弱いのかわからん」
「両方なんだろう。確実に強いし、でも弱いんだよ。サガに限った事じゃねぇ。俺らだってそういうもんだ。絶望に突き落とされる弱さがあってこそ、そこから這い上がる強さが際立つんだよ。昨日の事のようにな」
 デスマスクもシュラの背中に手を回し、誘惑を仕掛けてこない自然なαの香りを吸い込んだ。シュラが覚醒してくれたから今がある。
「ふ…強さ、か。昨日の俺がか?」
「正直あまり覚えてねぇけど、サガに向かってた意識を無理矢理引き千切ったコスモ?フェロモン?あれ何だったんだろうな。あの一瞬は何か凄かったぞ。まぁ俺様をぶん投げたよな、お前」
「あぁ…自分が喰われるような感覚だった。投げてすまない」
 ぶつけた箇所など覚えていないので頭からお尻までをさする。それだけでも発情期が明けていないデスマスクの体は疼き、身を捩る。
「別にっ…良いけどさ、そう言えば金の首輪も置いてきたままだ」
「まだ必要なのか?」
「…もう要らねぇけど…お前、首輪着けてるの好きそうだったろ」
「そんなつもりは無いがまぁ…欲しければ、買えばいい。今度は俺が買ってやる」
「お前が?」
「…番、なのだから。他のαの贈り物より俺のが良いだろう?」
 少し照れ臭そうに言う言葉が嬉しかった。噛み痕を隠す必要も無いし首輪にこだわりはないが、大好きなパートナーが買ってくれるのなら絶対に着ける。金じゃなくていい。細い革紐でいい。シュラが買ってくれるなら何でもいい。
「…うん、そうだな…そうだわ。お前の番だしお前が買え」
 嬉しさを出し過ぎないよう、少し素っ気なく返した。
「…生きて、番になれた…」
 不意に、シュラが低い声で呟く。
「絶対に離さない、もう誰にも渡さない。邪魔をする奴は全て殺してやる…」
 ぼんやりした黒い瞳に見つめられる。寝起きの目と変わらないはずなのに、何かが少し違う。現実と夢の境界も曖昧に歪んで全て闇に引き摺り込まれそうに感じる。番になったからだろうか?それに恐怖など感じる事はなく、身を委ねてしまいたくなる。
「へへ…お前の好きにしていいぜ…」
 キスを交わして、触れ合って、微睡むうちに外は明るくなり夜は明けた。

 二人はサガが探しに来ないのならデスマスクの発情期が終わるまで隠れ家で過ごす事に決めた。番になったのだから聖域に戻ってもフェロモンの影響はもう無いはずだが、初めての事なのでデスマスクの様子を見るためにも残る事にした。…表向きはそうであるが、心では共に二人だけの時間を少しでも長く持ちたい気持ちが強かった。
「動けるのならば買い物にでも出掛けるか?」
 朝食の後デスマスクがソファーで横になっていると片付けを終えたシュラが声を掛ける。
「ここから二人で出掛けた事は一度も無かったな」
 そんな当たり前の言葉を聞いてデスマスクは眉を寄せた。
「…それをすればここが何処なのかバレるんじゃねぇの」
「どうせここで過ごすのも今回が最後だろう。そして二度と戻る事もない。既にある程度察しがついているのではないのか?」
「本気出せばわかるが遠慮してんだよ。謎なら謎のままなのも良いじゃんって。そういう思い出。お前とのさ」
 そうデスマスクが答えてもシュラは考えるように立ち尽くしている。急にどうしたのか。
「何だよ、ネタバレしたいのなら言えばいいけど」
「いや…別にそれはどうでも良いのだが」
「いいんかい!なら何が不満なのだ?」
 シュラはソファーの前で屈み、デスマスクの首筋に触れた。当たり前のようにデスマスクの体は小さく跳ねてしまう。
「っ…お前、ホントそこ好きだなぁっ…」
「明後日、お前の誕生日だから買いに行きたいと思って」
 細い目を緩ませ満足そうな顔をして、噛み痕を何度も親指でさする。
「…首輪のこと?なら、その明後日で良くないか」
「何が起こるかわからないだろ。サガが来ないと決まったわけでもない。行ける時に行っておきたい」
「ん〜…この近くに良い店でもあるのか?」
「それは知らない」
 行きたい、買ってやりたいと思うのならそれくらい調べろよ!と思ったが、間違いなくシュラも舞い上がっているのだ。冷静そうに見えても長い付き合いだからそれくらいわかる。突然αになって番になって、色々とバグっている。
「だったらイタリアに行きつけのΩ専門店あるからそこでもいいだろ?ここのネタバレにもならねぇし、番ならαも一緒に入店できるし」
 何の不満も無い顔を見せたシュラは軽く頷き、すぐに立ち上がった。

 支度を整えた二人は隠れ家の玄関からデスマスクのテレポートによりイタリアまで旅立ち、そこで初めてシュラはデスマスクに誕生日プレゼントを購入した。シュラにいくつか選ばせた中からデスマスクが決めたのは細めで柔らかい黒革のベルト。噛み痕を隠す効果などもちろん無く、この首輪はパートナーから贈られた自分を彩る装飾品となる。
「聖衣の時はもう着けねぇし、こうして出掛ける時用だなぁ」
 店内でシュラに装着してもらったデスマスクは新しい首輪を撫でながら鏡で確認した。後ろに映り込むシュラの顔はとても満足気で、ずっと顔が緩んでいる。次第に恥ずかしくなったデスマスクはシュラの手を引いて店を出た。外へ出るなりシュラは顔を寄せてデスマスクの耳に軽くキスをする。人前だというのに何かのスイッチが入ってしまったようだ。βの時からは考えられないことをどんどんしてくる。
「そ、そんなに似合ってるか?コレ」
「とても」
 短い答えが耳元で低く響いていつまでもこだましているようだ。抱き寄せられて歩いていると触れ合う腕が熱く感じてくる。シュラの香りが近くて濃い。番ができて癒してもらえたために症状は軽くなっているが、デスマスクはまだ発情期の真っ只中である。せっかく二人で外出してイタリアまで来たのだから、もっとお勧めの店をシュラと周ろうと考えていたのだが…
「悪い…ついでに昼飯もこの辺でって思ってたけどさ…」
 ポツリと呟かれた言葉に立ち止まったシュラは、デスマスクの首輪を撫でながら顎に手を添え、顔を上げさせた。目元が緩んで赤みを帯びている。爽やかな香りがシュラを包み、増していく。
「やっぱ…夜だけじゃ、足りねぇ…みたい…」
 上げさせられた顔は求めるようにシュラを見つめ続け、伸びた手がシャツを握って急かすように軽く引いた。
「直ぐテレポ、するから、抱いて…」
 デスマスクの言葉が終わる前にシュラは人気の無い路地裏へ連れ込み、二人は瞬く間に隠れ家へと舞い戻った。

 シュラの部屋なら1階にあるというのに、そこまで持たなかった二人は玄関から最も近い居間のソファーへ沈み込んだ。自ら脱いで下半身を晒したデスマスクは、我慢できないからと前戯を求めずシュラを迎え入れた。
「はっ…ぁ…ごめ…おれ、こんな、おめがで…っ…」
「謝るな、何も悪くないっ、お前は俺を、欲しがっていればいいっ」
「ぅんっ…もっと、してぇっ…!しゅら、しゅらぁっ…」
 買ったばかりの黒い首輪が赤らんだ肌に張り付く。少し苦しそうで首元に手を持っていこうとするのをシュラは引き剥がし、苦しさなんか感じさせないくらい存分に快感を与え続けた。この黒い首輪姿をしばらく見ていたい。自分のものとなったデスマスクに熱く求められるだけでシュラの熱は冷める気がしない。
「ピークはいつも三日くらい、だったな…明後日の誕生日まで、好きなだけ、してやるから」
 潰れるくらいに抱き締めてキスをすれば従順に応えてくれる。揺れるデスマスクの脚がバランスを失ってソファーから床に落ちても、昼食を食べ損ねた二人は夕方までバテることなく愛し合った。

ーつづくー

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2024
06,04
pictBLandに会員登録無しで見れるページを一時的に作りました。
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そんなにカット部分は長くもないのですが、やっぱ削ってあると意味不明だと思うので…
pixivに投稿するまで残しておきます(゚∀゚)ノ

因みに他のピクブラ頁はログインしないと見れないです(今ここにしかないものは無し!)
あと、自分はブロッカー入ってるのでよくわかりませんが謎の空白が多いので、結構ピクブラに広告が挿入されてるような気がします(゚∀゚`)

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