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そこはかとなく

そこはかとない記録
2023
12,22
 初めての発情期から2年が経ち、デスマスクも17歳を迎えた6月下旬。11回目の発情期に備えて二人は隠れ家へ移動した。その3日後に発情期は始まったが、デスマスクは今までと違う疼きに身を捩った。鎮めようと肌に触れて疼きを逃そうとしても気休めすら感じられない。
「どう、した…?!」
抑制剤は事前に服用している。完全に効かないことはよくあったが、全く効いていないと思える程の強い疼きに恐怖を感じた。
やばい、あつい、どんどん熱くなる…。
お腹、あつい、おかしい…おかしい…こわいぃ…!!
必死に肌に触れても、吐き出しても、欲望が止まらない。甘くシュラを想おうとしても迫り来るΩの本能でかき消されてしまう。
あぁ、あぁぁ…ちがう、これじゃないぃ…。
しり…尻の中ぁ…なかからもっと奥をさわりたいぃ…!
今まではどうしても躊躇って肌に触れるだけに留まっていた。それでも発情期をやり過ごせていた。なのに今回は違う。苛む疼きが腹の奥から響いてきてとにかく直接触りたい。体内を癒すためのグッズも売ってはいるが、初めてはちゃんと好きになった人がいいとか純粋ぶってそれすら受け入れていなかった。
あぁ…これがΩか…黄金の俺でさえ、こんな気色悪い本能に支配されて…色狂いのバケモノみたいになっていくのか…っ!
こんな強い欲に支配されると、自分が何をしでかすかわからなくて怖い。自分を信用できない。
「は、あ…シュッ…ァ…!」
途切れる意識の隙間に見え隠れするシュラの幻を繋ごうと、デスマスクは自らの肌に爪を立てた。


――一緒にいるだけでは足りない、俺はお前と結ばれたい…男と男では…αとαでは駄目なんだよ…俺は、お前に噛まれたかった…――

そこは、森の中…山の中…?雪がチラついている。そうだな、俺も思う…結ばれなくとも、そばにいれるだけでいいと願っても、βとΩでは駄目だったのだと……


 一階の自室で瞑想にふけっていたシュラは、ドスン!という物音と揺れに目を開けた。上からの音だ。何か大きなものが倒れたような。それが2日間、度々起こった。デスマスクがベッドから落ちた?そんなに何度も…と疑問に思うが発情期の朦朧とした状態ならあり得なくもない。ただ、今までそんな事は無かったが。
窓から様子がわからないかと外に出て眺めてみたものの、しっかりカーテンが閉められていて何もわからなかった。どれだけ気になってもコスモの乱れを感じても、シュラが部屋の扉を開ける事はしなかった。中へ入るのはコスモが途切れた時だけだ…。体に関してはシュラが行ったところで何もしれやれない。βではΩの発情期は癒せない。シュラはため息をついて、鞄から出したスケジュール帳にデスマスクの様子を記録した。

 上からの物音が始まって3日目の夜、シュラがシャワーを浴びていると階段から転げ落ちるような音が響いて揺れた。慌てて泡を洗い落とし、体を拭いていると脱衣所の扉が少し開く。
「ここかぁ…」
隙間から、身を屈めているデスマスクが覗いてきた。
「お前っ開けるなよ!それより今落ちてきただろ!大丈夫なのか?」
ろくに整えず雑に服を着て、今行く、と大きく扉を開けた時。
「痛ぇよ、ぜってぇ骨折れたぜ」
そう言って廊下に座り込み、俺を見上げるデスマスクの姿に血の気が引いた。金の首輪にバスタオルを羽織っただけの姿、白い肌に血の滲む筋がいくつも散らばっている…。
「へへ…気持ち悪ぃ?…はやく、洗いてぇの…」
言葉を失うシュラを見て少し俯く。きっと、正常な判断ができるようになっていればこんな姿をシュラに晒すことはしなかっただろう。
「お前、まだ終わってないのか…?」
「んふふ…おれさ、すげぇ頑張ったんだよ…」
そう呟きながら這ってシャワー室の中へ向かおうとする。シュラは迷った。手を貸すべきか引くべきか。脱衣所にバサっと羽織っていたタオルを捨て、シャワー室の中で立ち上がろうとしていた。ついさっきまでシュラが使っていて、慌てていたから床に泡も残っていた、そこへ――
「ひぇっ……」
「くそっ!!」

――ドッ!!

足を滑らせたデスマスクを咄嗟に庇って抱き止めたシュラはそのまま体を床に打ち付けた。
「……わりぃ、濡れたな……」
もぞ、と起きようとするデスマスクの体にはほとんど力が入っていない。
「自分で、できるのか?」
デスマスクを支えながら上体を起こす。
「座ってなら、多分…。シャワー取ってくれよ」
シュラの上に乗ったままのデスマスクをゆっくり床に座らせ、シャワーヘッドを掴んで渡した。
「出る時も無理するなよ。呼べば出してやるから」
「あー、そうだな…。けど、別の部屋で待てよ?まだピーク過ぎただけだから、変な音…する、かも…」
「……わかった」
バタンとシャワー室を閉め、シュラは自室まで行って濡れた服を着替えた。洗濯かごへ持って行こうと部屋を出たが、脱衣所だったと気付いてやめた。そのまま居間のソファーへ静かに腰を下ろす。
…爪で引っ掻いたような傷がたくさん、どこかに打ち付けたような痣もあった…。
薬が効かなかったのか?副作用で暴れたのか?今回だけだろうか?これから毎回なんて、見てられない…。目を閉じ、額に手を当てて考える。戻ったら医師と相談させるにしても先ずは傷だ。少しでもコスモで癒やしてやりたいところだが、あの様子ではまだ触れない方が良いのだろう。
「薬…」
コスモ治癒が叶わなければせめて薬でもと箱から軟膏を探して用意したが、シャワー後にデスマスクから声がかかることはなかった。
「自力で戻っていったか…」
誰もいないシャワー室を確認して、寂しく思った。

 翌朝、階段から落とされていたバスタオルに滲む血を見てシュラは目を細めた。こういう汚れたものはいつも自分で洗っていたようで今回が初めてだ。現場を見られているからデスマスクもシュラに洗わせる事を気にしなかったのだろう。手洗いが必要だなとシャワー室に桶を置いて湯を張る。バスタオルを沈めようとする直前、突然の好奇心に抗う間もなくシュラは鼻にバスタオルを当てて匂いを嗅いでみた。
…何も、わからない…
湿った水の匂いとうっすら血の匂いがするような…ただそれだけ。Ωらしいものは感じない。デスマスクの匂いも。…元々そんなもの知らないが。今もこの家はΩのフェロモンに包まれているのだろう。全くわからない。αであればそれを感じる事ができた。デスマスクを感じることができた。…狂わされる程に…。シュラはαに対する嫉妬を抑え込むようにバスタオルを桶の中へ沈めた。

 その日の夕方、デスマスクは昨日に続き現れてシュラに夕食を要求した。Tシャツから出た腕や胸元の傷は隠す気も無く丸見えで、シュラは昨夜用意しておいた傷薬をデスマスクに渡した。
「傷の数すげぇあるから塗るの大変過ぎるのだが…」
「酷い部位だけでも塗っておけ」
ソファーに横たわり手に取った傷薬を指先でクルクル回しながら、デスマスクはぼんやり呟いた。
「アフロがいればなぁ…コスモでパァァァ〜って…」
瞬間、空気が変わった。
「…まだそんな事言う余裕あったんだな」
突然の冷めた物言いにデスマスクは顔を上げてシュラを見る。
「…どういうことだ」
「αとして警戒しているくせに」
声が低く短く鋭い。こちらを見ていない。
「でも俺、あいつのこと嫌いじゃねぇよ…そういうモンとは別って解るだろ?」
「……」
「…いい、もう喋るな、怠い。早く飯作れ!」
何故かピリついたシュラの気配にデスマスクは話を切り上げた。腹が立つと言うより、アフロディーテとの関係を勝手に壊された物言いが悲しかった。そういう事は理解してるはずなのに。お前とは変わらず何でも気軽に喋れると思っているのに…。

 デスマスクの体調に合わせて小皿にほんの少し盛られただけのリゾットは机の上に無言で置かれた。無駄に一から作らないぶん味はいいが、喉を通らない。発情期のせいではない。雰囲気が悪い。βのくせに、αとも違うシュラの圧力を意識してしまう。
…でも食べたい…
と思って数口の量をゆっくり食べ切った。カツーン!と音を立てて皿の上へスプーンを置く。聞こえているだろうが皿を下げに来る気配はない。シュラは自分の分ももうできているはずなのに、同じ机に来て食べようともしなかった。ずっと流し台で鍋とかを洗っている。せめて何か切っ掛けがあれば、重い空気を打開できたかもしれないが…。
このままテレポートをして消えたいと思ったけれど、体がまだ辛いので立ち上がって部屋を出た。シュラは一度もこちらを振り返ろうとしない。傷薬はわざと机に置いてきた。気付いても、あの様子ではわざわざデスマスクを追いかけてくることは無いだろう。

「俺、今発情期なんだぞ…」
部屋へ戻ったデスマスクは呟いてから口を固く結んだ。今だけは問答無用で優しくしてほしい。不安になることはしないでほしい。特に、今回は症状が重いのに…。ジリ…と腹の奥が疼く感じがして煩わしく、思い切りベッドを蹴った。その音を、シュラは歯を食いしばって聞いていた。

ーつづくー

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2023
12,17
 発情期開始から12日目。初めての隠れ家生活を終えた二人は、聖域に戻るなり黄金聖闘士に復帰した。デスマスクが「テレポートして帰るから」と言えば、シュラは好きにしろと言って自分は走って来た。先に戻っていたデスマスクは巨蟹宮で荷物を下ろし聖衣に着替え、ちょうど上ってきたシュラと合流して磨羯宮を目指す。そこでシュラの着替えを待ち、二人揃って教皇宮へ報告に向かった。そしてそのまま二人揃ってアフロディーテに帰還を伝えると「帰ってこなくてもいいぞ」とニッコリ言われた。翌日からはお互い仕事が詰まっていたため、しばらく顔を合わせる日が無かった。

 隠れ家生活を終えてから、シュラはロドリオ村へ行く機会を伺っていた。スケジュール帳を買いたいと思って、それまでは忘れないように私室のカレンダーに大事な事を記入した。
何かといえば、デスマスクの発情期情報である。前回ほぼ突然始まったように思えたため、予め発情期の周期を把握しておきたいと思った。デスマスクに正確な記録をつけさせようかと思ったが、自分でやる方が絶対に早い。そうしてやっと到来した午後の休暇にシュラはカレンダーが大きめのシンプルな手帳を手に入れた。
帰宅してすぐ、私室のカレンダーに記入しておいた発情期の期間を書き写す。ピークの日、夕食を食べに来た日、昼食が食べれるようになった日…何を食べたか、どれくらい食べたか…。聖闘士としての任務報告書よりも細かくマメな情報量を一気に書き上げたシュラは、それを改めて見返してからガクッと頭を抱えた。
「…何をしているんだ、俺は…」
こんな事…好きじゃなければ絶対にしない…。
好きって何を?Ωの世話を?デスマスクを?
「…わからんな…」
Ωへの興味が尽きないことは認めた。そのΩがデスマスクでなくても自分はここまでするだろうか?
「…わからん…」
予定通り発情期が来るのであれば、次は秋。手帳をパタンと閉じ、滅多に使わない鞄の中に仕舞った。

発情期中は二人きりで過ごす分、聖域に戻ればデスマスクと会う機会が一気に減った。黄泉比良坂へもよく行くのかコスモが全く感じられない日も多い。巨蟹宮の死面が急に増えた気がする。あいつは発情期の不利な状況を抱えながらも聖闘士としての仕事量は減っていなかった。
…無理に動いて体に支障が出なければいいが…
そう気に掛けるのもΩだからだろ、と彼は機嫌を損ねそうなので思うだけに留めておく。
「はぁ…顔を合わせなくてもあいつのことばかり考えてしまうな…」
よく考えれば発情期中だってピークの数日は顔を合わせていない。それでもデスマスクに関する事ばかり考えていた気がするし、何かの流れでその事を本人にハッキリ伝えていたような…。

試しにアフロディーテの事を考えてみることにした。αとしての日常はどうだろうか。デスマスクと会話はできているだろうか?
「……」
一瞬でこれだ。一瞬で奴が存在をアピールしてくる。
「まぁ、周りから守れだの言われれば気にするのは仕方ないよな…」
やはりデスマスクに対する答えを有耶無耶にして、シュラは次の発情期前に買っておきたい物を紙に書き出し始めた。

 デスマスクの発情期はほぼ予定通りやってくる。間隔は80日。誤差が出る事を考えて予定日の2日前には隠れ家へ連れ出すようにした。「お前よくわかるな、αになってないだろうな?」と言われるので「日にちをメモしている」とだけ答え、手帳に細かく記録している事は伏せておいた。
また、シュラが16歳になった時には聖域を通さず個人的に再診断を受け「ちゃんとβだぞ」と結果をデスマスクに見せた。デスマスクを安心させるために行ったが、シュラ自身もデスマスクの事ばかり考えるのはαに変異しかけているのではないかと気にし始めていた。数値はα寄りになることも無く、安定してβだった。

 隠れ家へはデスマスクをテレポートで先に行かせていたところ、ある時「一緒に行こうぜ」と手を握られた。デスマスクも16歳になった夏だったか。驚く間もなく転送され、シュラが口を開く前に「β君、いつも来るの5秒遅ぇんだよ」と言って振り向きもせずさっさと自室に消えてしまった。それ以来、行きも帰りもテレポートで移動するように変わった。

移動初日は発情期が始まっていなくてもデスマスクは何も手伝わなかったが、発情期が終わって聖域に戻る前の2日ほどは自然とシュラと共に家事をするようになっていた。二人で一緒に行うというよりは分担して、洗濯や掃除以外に昼食の準備をデスマスクがする事もあった。…と言うのも、デスマスクは発情期が重い数日間の出来事は覚えていないことが多かったが、症状が軽くなってくるとぼんやりした中で何を思い、何をしていたのかはだいたい解っていた。

初めてシュラを利用して幸福感に溺れた日から、シュラの事を考えながら肌に触れる行為にハマってしまった。だからだんだんシュラに対して突っ張り続けるのが申し訳なく思うようになったのだ。
シュラのくせに妄想は出来が良い。はしたなくも女以外に色んな男も想像してみたが、どうしても見知った黒髪のドヤ顔男が強引に割り入ってきてアピールしてくる。俺が一番お前のことを想っているとか言ってめちゃくちゃ甘やかしてくれる。もちろんデスマスクの妄想だが。
やがて右手だけでは物足りなくなって、絶対に手を出すまいと思っていたΩ用の癒しグッズをつい買ってしまった。そのおかげで自力では生み出せない快感を知ってしまい、それこそシュラにも手伝ってもらえてる錯覚に陥ってしまう。
ただ間違ってはいけないのがこれは妄想のシュラだから良いのであって、実在するシュラに協力されると幻滅すると思う。俺のことしか考えてないあいつは間違いなく経験不足で鈍感で馬鹿で力だけは強いし、勢い余って首を落とされかねない。本気逝きしてしまう。所詮βのシュラはΩの癒しグッズにすら敵わないはずだ。だからその一線を越える気は全く無かった。
シュラに恋をしたわけではないのだ…。名前なんか呼ばない。妄想用。発情期発散にだけ使う都合の良い存在。顔と声と肉体美の使用料はテレポートと家事手伝い。これでいい。

 何も知らないシュラはデスマスクのテレポートと家事手伝いで素直に好感度を上げている事だろう…その想像通り、シュラはデスマスクの症状が軽くなってくるとたまに家を空けて出掛けるようになった。移動が速いのですぐに戻って来るが、どこかの町へ行ってドーナツだのシュークリームだのスナックを買って帰ってくる。美味そうだったからお前にも、とデスマスクのために買ってきた雰囲気を出す。デスマスクは甘いもの好きというわけではないが嫌いでもなく、素直に受け取って食べるのでシュラからの貢ぎ物は止まらない。もしかしたらシュラが食べたいだけかもしれないが。

 やがてシュラは発情期中の流れを把握すると、買い物だけではなく聖域に戻って日帰りで仕事をしてくるようになった。発情期のピークが過ぎると、朝食と洗濯を終わらせてから家を出ていく。夕方には戻り、夕食を準備してデスマスクと食べた。昼食もデスマスクの様子を見て作り置きしていく事がある。そこまでするのは発情期明けに待っている仕事の山を少しでも減らしておくためだった。自分に余裕があれば平常時でも万が一デスマスクに何か起きた時に対応できるかもしれない…。あいつは俺しか頼れないのだから…。そんな思いからの行動だった。

ーーー

 「シュラ!」
シュラが17歳を過ぎた春先、双魚宮を通る時にアフロディーテから声がかかった。
「デスマスクの発情期は把握しているよな?」
「あぁ」
「もう少し、早めに聖域を出るようにした方がいいと思う。デスマスクが発し始めるフェロモンが最近濃くなっている気がするんだ…」
シュラが通ることに気付いていなかったのか、慌てて私室の方から駆けて来て息を整える。
「君には判らないかもしれないけど、発情期前から微量のフェロモンが漏れ始める事は知識として知っているよな?」
「そのために2日早く連れ出している」
「3日…いや4日早くしても良い。絶対にサガもこの事は気付いているはずだ、話せばわかるだろう」
そろそろお世話ごっこは終わりだぞ、と言ってシュラの聖衣を指でトントン突く。年下の黄金たちも14歳くらいになり、皆αらしさが滲み始めたなというのは感じていた。デスマスクに向けられる視線、唯一そばに居るシュラに向けられる圧力、いよいよ聖域が猛獣の檻の中のように感じられシュラは気を張っていたところだったが、デスマスクにも変化が出ている事には気付けなかった。
「そう…か。わかった、ありがとう」
「私もデスマスクのためになる事をしてやりたいのだ。全部任せろと言われてもな、βにはできない、αだからこそできる事もあるのだよ」
βのようにべったりお世話してやれなくともな、と付け加えられて、シュラは毎回最後には素のアフロディーテの良さを台無しにしてくるな…と思った。

 アフロディーテの進言通りサガと相談し、次の発情期からは4日早く聖域を出ることになった。これでまた帰って来た時の仕事量が酷いことになるのか…と思い、どう処理していくか考えながら巨蟹宮へ向かう。急ぎではないが早めに伝えておきたいと思った。今、デスマスクのコスモは全く感じられない。おそらく黄泉比良坂へ潜っている。こういう場合いつ帰ってくるのか見当がつかなかったが、ちょうど自分は仕事が早く終わったので少し待ってみるつもりだった。私室の扉を開けて、真っ直ぐ居間へ向かいソファーに座って待つ。

 以前なら考えられなかったことだが、デスマスクとはお互い本人が不在でも私室の居間を自由に出入りする仲になっていた。仕事で都合が合わない事が降り積もり、ある時デスマスクが「待ってろ」とシュラの滞在を許したのが始まりだ。巨蟹宮の扉の前でシュラを待たせると「門番がいる」だの「黄金のくせにボディーガードとは手厚い」だの鬱陶しい雑音が耳に入る事があり、デスマスクはそれが嫌だった。Ωの自分が馬鹿にされているというより、βのシュラが馬鹿にされていると感じるようになった。デスマスク自身シュラの事は「βのくせに」と思いはするが、長い付き合いの中…Ωとβの関係になってからデスマスクが信用できる者はもうシュラしかいないと、心の奥で大切に思うように変わっていたのだ。
あいつはΩの召使いではない…。
シュラの献身をデスマスクは正しく受け取っていた。

 ふと、シュラは目の前の机の上に置かれた薬袋に気付き手に取った。抑制剤の用量が増えた気がする。フェロモンが濃くなった話と関係があるのだろうか。何かあった時に飲ませる薬が解るよう、シュラはそこまで管理していた。デスマスクも「見れば?」と教えてくれたし、錠剤の他に緊急用の自己注射薬もシュラが持っている。Ω用の他にα用のものもアフロディーテから渡されていた。薬袋から薬を出して見ようとした時、巨蟹宮の方からコスモの歪みを感じ、居間の扉の方を眺めていればやがて黄金聖衣を着たままデスマスクが入ってきた。
「早かったな」
「知らねぇよ、俺は結構長くアッチにいたぞ」
するりとマントを外し、目の前でパァン!と聖衣を脱いでパンドラボックスに収める。腰からつま先までの下半身を覆う白いアンダーウェアだけで、色白とは違う血色の悪い白肌を露わにした姿には金の首輪がよく目立つ。シュラは首輪の輝きに目を細め、スッと口元を手で隠した。デスマスクが嫌がる表情をしたのだろう。嫌がられる前に自己防衛をするようになっていた。
「用件は?」
服を着ないままデスマスクはシュラの前に座った。

「次の発情期から、4日前に出発する事になった」
「……そうか」
少し間を置いて、デスマスクはすんなり受け入れた。
「お前、自分でも何か変化があるとわかっているのか?」
「……まぁ、少しは」
歯切れが悪い。
「わかっているなら良いが…βの俺には解らないことが多い。αには解っても」
言いたくない事は言わなくてもいいと思っても、些細な事でも話してくれたら…というのがシュラの本音だった。そういう要求を嫌うのは知っているので、伝えることはしない。
「薬の用量も増えたんだな、効きが悪くなったのか?」
「…今は、まだ解らないがΩとして体の成熟が進んでいるとか何とか…」
そういうことか…発情期の始まりは妊娠可能のサインらしいが、体はまだ発展途上らしく男Ωは流産率も高いと聞く。それがおおよそ18歳くらいになれば体も整い、20歳頃が最適の状態になるとか。フェロモンの増加はΩの本能が強くなってきているのだろう。
「俺はこの前の再検査もβだった」
「また受けたのか」
「念のためにな。毎年受けるつもりだ」
「…好きにすれば」
繰り返す再検査がαになりたい願望などではなく、デスマスクと自分を安心させるためという事は理解されている。
「小僧だった奴らもαらしさが増してきている。言うまでもないと思うが、慎重に行動してくれよ」
「わかってるって」
「そんな格好、俺の前でだけだぞ」
指さされて言われると顔を逸らし、もじっと動いた。
「っ…当たり前だろ!βに見せたってしょうがねぇモンだろうよ!」
デスマスクは頭を掻きながら立ち上がって、服を着に部屋を出た。

 その日はデスマスクも報告書を書き上げれば自由だと言うので、隣でそれを待ってから二人で夕食を食べに出掛けた。話しながら付かず離れず二人が並んで歩く姿は、道行く町の人々からすれば幸せそうなαとΩのカップルに思われた。

ーつづくー

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2023
12,15
 隠れ家に来て4日目の夕方、シュラが居間で食事の準備をしているとギィ…と廊下の軋む音が聞こえた。居間のドアに目を向ければ、カチャ…と開く。
「大丈夫か…?」
手にしていた皿を机に置いてシュラはドアの元へ駆け寄った。開いたドアを手で押さえると、もたれ掛かってまだ怠そうなデスマスクを支える。
「どうした?少しは楽になったのか?」
デスマスクはぼんやりとしていたが、シュラの言葉に軽く頷いた。
「何か、食いたい…」
わかった、と返してシュラはデスマスクを支えながらソファーに座らせた。
「ここでなくても部屋まで持って行くがどうする?」
「ここでいい…」
「何が食べれる?」
「何があんだよ…」
聞かれて考えた。今ちょうど自分用にパスタを準備していた。炒めるだけなら肉も魚も出せる。ピザも食べるかと思って冷凍のものがある。ポテトのフライにパンもいくつか…
「食べれるっつってもほんの少しだけだから、一人前いらねぇ…」
シュラが答える前にデスマスクはそう言って、ずるずるとソファーの上で横になった。
「あぁ…ならパスタを少し食べるか?作っていたから直ぐに出せる。ソースはトマトだぞ」
「ん、それでいい」

デスマスクはまだ一度も洗濯物を出してこなかったが着替えはしているようだった。ここへ来た時には上げていた前髪もすっかり下りていて少し右寄りに寝癖がついている。横になりながら薄目を開けてぼうっとシュラの動きを眺めていた。
麺は茹でて…ソースは缶詰め…
気になっていた料理の腕前を確認する。缶詰めを温めるだけなら変な味になっている心配は無さそうだ。

「食べれなければ残せ、俺が食べる」
ほどなくしてソファー前の机に小皿に盛られたパスタと水が置かれた。デスマスクはのそっと起き上がってフォークを手に取る。身をかがめてパスタを巻き、ゆっくり口を開けてパクっと食べる。その間にシュラは追加で肉を焼き始めた。

 カツ、とフォークが皿に置かれる音が聞こえてデスマスクの様子を見る。
「足りなかったか?まだあるぞ」
一人前のうち四分の一ほど乗せてみたが皿の上は綺麗に無くなっていた。
「もういい」
「薬は飲んだのか?」
「来る前に飲んだ、効いてきたのかめちゃ眠ぃ…」
「部屋に戻れるか?」
ぼんやりするなら連れて行こうかとデスマスクの元へ来たが、なぜか再びソファーの上で横になってしまった。
「少し、休憩してから」
と告げて、また薄目がちになってシュラを眺めている。シュラは小さく唸ってからコンロに戻り、フライパンで焼いている肉を軽く混ぜてから皿に盛りつけた。ソファー前の机にパスタと焼き肉、パンを並べてやっとシュラの夕食が整う。どっちがメインだよ、と呟く声が聞こえてきた。

 食事を食べ終えるまでは起きているように見えたデスマスクだが、洗い物をしている間に眠ってしまった。おい…と小声で呼び掛ける程度では起きそうもない。抱き上げて部屋まで連れて行ってもいいが、今入ってもいい状態なのだろうか。このままソファーで寝かせようかとも思ったが窮屈だし床に転げ落ちるのも可哀想だ。
「仕方ない…」
俺がソファーで寝るか、とシュラはデスマスクをそっと抱き上げ、自分の部屋のベッドで寝かせることにした。

 シュラの部屋には冷房が無い。デスマスクのために彼の部屋にしか付けていない。窓を開けてデスマスクには薄手のタオルケットを掛けた。
吹き込む風に銀の髪が時おり揺れる。
ふと、シュラは吸い寄せられるようにスッとベッド脇でしゃがみ込み、その姿を眺めた。首をすっぽり覆ってしまう白い保護首輪が窮屈そうだ。手を伸ばし、そっと触れる。
…よく似合っているが、早く解放してやりたい…。
こちらを向いている顔へそのまま手を滑らせ、親指で頬を撫でる。
愛おしい…。やっと、二人になれたな…。
デスマスクの顎を軽く持ち上げ、シュラは顔を寄せると頬に軽くキスをした。デスマスクがフルッと震える。そのままもう少し這い上がって耳元にもキスを落とす。
「っ…」
くすぐったいのか寝返りをうってしまった。その姿を見てフっと笑ったシュラは今度はこちらに向けられた頸を首輪の上から撫でて、そこへ啄むように二回キスをした。
「夢のようだ…」
シュラはそう呟きながら立ち上がり、静かに部屋から出て行った。
そう、夢のようで…
シュラは自身がデスマスクにした事を覚えていなかった。

 発情期のピークが開けた日から毎日、夕方になるとデスマスクは1階まで来て夕飯を食べるようになった。シュラのベッドで寝かせた時は、翌朝見てみると一人で部屋に戻ったようで誰もいなかった。あの日から階段の下にパジャマやタオルが落とされている事が増え、知らぬ間にシャワー室も使うようになった。まだ薬は必要らしく夕食の前に飲んでくるそうだが、眠そうにしても食後は自分の部屋に必ず戻っている。

 隠れ家に来て7日目の夜。一人前を食べれるまでに戻ったデスマスクは、明日から昼も食べるとシュラに伝えた。そして食後すぐ部屋には戻らず「今は調子いいから」とソファーで横になってまたシュラの働きぶりを眺めている。
「なぁ」
デスマスクが声をかけた。
「何だ」
「お前毎日ここで何してんだ?」
三食食べて、洗濯掃除の家事一般をこなしているのはわかる。庭に出るくらいで遠くの町などに出掛けている感じはない。
数日前、起きたら見知らぬ部屋で驚いた。デスマスクの部屋の半分しかない狭さで、ベッド以外にクローゼットと小さな棚が一つあるだけ。まるで病室のような生活感の無い部屋。起き上がるとシュラが持っていた鞄が床の端に転がっていたのでもしやと思い、部屋を出たら居間のソファーでそいつが寝ていた。居間も含めて自分のテリトリーと思えば十分かもしれないが、それにしてもパッと見は本が数冊積んであったくらいで何も無い。実は料理が趣味とか言われて自作ケーキを見せられても反応に困るが、何をしているのかずっと気になっていたので聞いておきたかった。

シュラは「んー…」と唸るばかりでなかなか答えをくれなかった。まさか…"何もしていない"なんて事がこいつにありえるのか?返事を待ってドキドキしてしまう。
「何と言うか…」
ついに、口を開く。
「瞑想?をしている」
「……」
やばい、こいつ何もしてないのかもしれない。せめて「鍛錬」くらい答えてほしかった。
「おい何だその真顔は」
「俺っぴ元からこういうイケメンだぜ…」
自分から聞いておいてアレだが「瞑想」とか言われてどんな反応すれば良いんだよ。シャカのとは明らかに違うだろ。
「…それ、寝てるって事か?」
「寝るのと瞑想は違うぞ。自分と向き合ってるんだ」
怖ぇよ。今更何を言い出す?自己啓発?αになれなかった悔しさでこいつも想像以上にダメージを受けてるのか?ちょっと頭がおかしくなってないか心配になってきた。
「αの…」
あ、やっぱそういう話?
「αの、威嚇…ってお前わかるか?」
「威嚇?TVとかで聞いたことはあるが」
「それを使われると俺みたいなβは不利な状況になる。このコスモを以ってしても」
「あぁ、コスモとか関係無ぇよな。αのアレは…」
例えば、アフロディーテの誘惑フェロモンとか…。
「それを打開する術が無いか探っている」
「それで瞑想?」
「俺はβであるが、コスモのように内に秘めたαに匹敵する力が潜んでいないか探っているんだ」
αの力を探る?もしそれを見つけたらどうなるんだ?コスモのように覚醒させたら、αに変異してしまうのでは…。
「…お前もやっぱαになりてぇんだな」
「なりたいわけではない。そこにこだわりは無い。ただ、互角の力を持っていないと守りたいものも守れないだろう?」
そんな事を言うシュラに真っ直ぐ見つめられて、デスマスクは何だか恥ずかしくなり自然を装ってゆっくりソファーに顔を伏せた。
「アフロディーテに頼まれたんだ。何が何でもお前を守ってくれと。拳をぶつけてでもαの暴走を止めてくれとな」
「…そうか。どいつもこいつも俺なんかに振り回されてんのか」
「それだけお前は大切にされているって事じゃないのか。稀少なΩとしてではなく、蟹座のデスマスクを」
デスマスクの嫌味を覆えそうとするシュラの言い回しが鬱陶しい。
人を殺せば死面が巨蟹宮に張り付く。それは増える一方。過去の文献を見ても巨蟹宮にそういう特性があるわけではない。デスマスクが引き起こした現象だった。蟹座の能力も巨蟹宮もデスマスク自身も気味悪がられるだけ。だから巨蟹宮に従者はいないし、私室へは不必要に侵入されないよう結界を張った。
孤独を選択し続けるデスマスクを理解してくれた大人が一人いたが、仲間に殺されて死んだ。その殺した張本人はΩでも聖域で生活していけるよう特別待遇で環境を整えてくれたものの、腹の内はわからない。表裏が無く、気を許した一人の友人も異性となってから関係がおかしくなってしまった。今は想定していなかった運命で、苦手な幼馴染がただ一人、デスマスクのそばにいる。でもこいつだって本心からは…
「例えば、誰もがお前に興味が無くてどうでもいいと思っていたのなら、とっくにαに襲われているだろうな」
アフロディーテの誘惑を受けた事を思い出して胸が焼けた。でも油断しただけでそんな弱くねぇよ…Ωだからってそういう事ハッキリ言われるのは腹が立つ。
「…感謝しろって事か」
「そうだ、と言えばお前は感謝してくれるのか?」
「……」
嫌味とわかって嫌味で返してきた。しかし続けて喋るシュラの声が柔らかくなる。
「俺はお前に対してアレコレが苦手だと言いはするがな、今の生活は嫌ではない。楽しいと思うこともある」
「……」
「嫌じゃない。これがどう言うことかわかるな?後ろ向きに考えるなよ?俺に失礼だからな」
どういう事かって?結局、毎日ここで何してるのかと言えば、俺を守るためにどうすればいいかってのをずっと考えてたって事だよな?俺のためにより強くなろうとしてるって事だよな?で、それがお前は嫌じゃなくて楽しい。
…だから?俺っぴお前に大切にされて「宇宙的嬉ぴぃ♡」って喜べばいいのか?お前が好きなだけお金使ってΩの家作ってペットみたいなΩ人形のことばかり考えて楽しくなってって、頭おかしいだけだろ。自分で何言ってんのかわかってんのか?恥ずかし気もなく言いやがって。俺のことばかり考えてるって本人に言うとか馬鹿なのか?あぁ、こいつ鈍感馬鹿だったぜ。だからβ止まりなんだよ…。

 考え込んで何も言えずソファーに突っ伏していると、シュラは洗い物や片付けを終えてトイレへ行くため部屋を出た。その隙にブワッ!と起き上がったデスマスクはシュラの不在を確認し、音を立てず部屋から消え去って直ぐ上の自室へテレポートした。
「…まじで、馬鹿か…」
両手を自分の頬に当てる。抑制剤はもう効いているはずなのに顔が、体が火照ってくる。触れたい衝動はそこまで強くない。我慢できる。
でも…。
デスマスクは目を細めてベッドの上で丸くなった。
「あいつ、ずっと俺のこと考えてんのかよ…」
"嬉しい…"
どこからか頭の中でこだまする。右手を下着の中に差し込んだ。
「なんだよ、"当然"みたいに堂々と言ってきやがって…」
"嬉しい、嬉しい、嬉しい…"
と体の芯から込み上げてくるものは、"気持ちいい"よりも…"幸せ"…?
発情期を知ってから…いや聖闘士になってから初めてこんな感覚に包み込まれた。きっと、心から好きになれる相手と結ばれる時にはこんな風に思えるんだろう。それがαとΩであるならば、そんな幸福感の絶頂で番になるのだ…。
「βの、くせにぃっ…!」
αになってみろよ、αになってみせろよ、じゃないと俺は守れないぞ!俺の、俺のために…αになって…。って、あいつがもし、αになったら…どうなっちまうんだ?
「だめだ…怖ぇ…引き摺り、込まれるぅ…」
…あぁ…オレ…おかしく、なって…。Ωの、せいで…。
膨らみ続ける快感に負けたデスマスクは理性を手放し、思い描く愛の情景を思いきり頭いっぱいに広げた。相手はちゃんとおれのこと好きなやつがいい。αの本能じゃなくて、いつも、普段からおれのこと考えてくれて、おれと同じくらい…おれよりも強い愛と欲で、おれの全部を甘やかしてほしいよぉ…。
朦朧とするデスマスクはふにゃんと微笑みながら、処理をするのではなく初めてこの行為を"思い描く恋人"と共に心地よく楽しんだ。

 隠れ家に来て10日目になると、デスマスクはもう朝昼晩を自室から出て食べるようになっていた。抑制剤も2日前から飲んでいない。ソファーにドカっと座って待てば、シュラが焼いたパンと水を持ってくる。もう自分でできるくらい動けるのはわかっていると思うが、シュラはデスマスクに「自分でやれ」とは言ってこなかった。二人分の洗濯も掃除もやってくれる。他人と同じ屋根の下で過ごすのは修行時代ぶりだったが、部屋は違うし約束通りシュラの方からデスマスクを訪ねる事は無かった。シュラの生活音がうるさい事もなく、迷惑になるような趣味も無く、ただ自分が気が向いた時に1階へ行けばそこにいる。巨蟹宮と磨羯宮を思えばこの生活は距離が近いものだが、でも聖域にいる時とそう変わらないなと思った。
求められない…この事は普通なら不安に思う事なのだろうが、シュラがしているのは放置とは違う。デスマスクのことは常に気に掛けている。だからすぐ、何かあれば…食事だとか着替えが欲しいとかの要望に応えることができていた。都合の良い存在だな…とデスマスクは本心とは違う言葉で片付けた。

「もうさ、明日聖域に戻っていいぜ」
「発情期終わったのか」
「多分」
デスマスクが切り出した話にシュラは黙り込んでしまった。
「どうした?」
「いや、帰るはいいが…明後日でもいいか」
「俺は構わないがここにいてもやる事なんて無いだろ」
「やる事はないが日持ちしない食材は食べてしまいたい」
そんな事のために急いで聖域に戻ろうとせず、呑気にもう一日ここで過ごすというのか?一瞬呆れたが、シュラの真面目さが違う方向に発動したんだなと思った。
「たまに俺は来るつもりだが、数ヶ月家を空けるとなれば冷蔵庫は切っておきたい」
電気垂れ流しでも聖域の金だし…と思うが、それはシュラも解っていてのこの選択なのだろう。言うだけ無駄だ。
朝食を食べ終えたデスマスクは何も言わず部屋を出て行った。シュラが洗い物をしているとすぐにデスマスクが戻って来る。洗い終わった洗濯物をカゴに入れて持っていた。
「…外に出てみてぇから行ってくる。家の前なら良いだろ?」
あぁ、と返せばトコトコ歩いて出て行く。
気が利く奴…
シュラはデスマスクのそういうところは好きだな、と思った。さて、デスマスクは洗濯物を外へ持っていっただけなのか?干してくれているのか?気になって洗い物を一気に終わらせた。

 テレポートというのは、デスマスクの場合一度でも行ったことのある場所で通用する。もしくは地図などで正確な座標がわかれば、ほぼ間違いなく成功する。デスマスクは目の前に広がる森と隠れ家を交互に見渡した。
太陽の位置から察するに家は南向き。家の中にあった備品や食材の表記はほぼ英語。イタリアやスペインではなさそうだ。森の木は広葉樹が多い。季節はギリシャと同じで夏だろう。北半球で間違いないか。湿っぽさは感じられないので赤道からは離れているのか?ここに来てから一度も雨は降っていない。単に乾期なだけだろうか…。
ここがどこの国のどの辺りで地図で見ればどう、とわからなくても、実際に存在するこの場所がイメージできればいい。次回もここまで光速移動するのは嫌だと考えていたデスマスクは、テレポートを使うための下見に外へ出たのだった。
「あいつも一緒にテレポートしてやるべきか…」
考えながら、洗い上がったタオルを一つ手に取りバサっとはたいて広げる。木から木へロープを渡しただけの物干し場に引っ掛けて、ピンチが無い事に気付いた。
「めんど…」
どこにあるか聞きに戻ろうとした時、ちょうどシュラが一式持って家から出てきた。こちらを見て何かニヤっとしてるのが苛ついたから、やっぱ帰りも次来る時もこいつは走らせようと決めた。

ーつづくー

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2023
12,12
 二人で過ごす隠れ家が完成しておよそ半月後、巨蟹宮から磨羯宮にいたシュラに対して「アレが来るかもしれない」とデスマスクがコスモを利用したテレパシーで語りかけた。シュラは「わかった、待ってろ」とだけ伝え、急いで教皇宮に向かい、たった今からの予定全てをキャンセルした。迷ったが双魚宮にも立ち寄り、アフロディーテに「聖域を頼む」と伝えると「私一人で十分だからさっさと行け」と素っ気なく追い出された。隠れ家には宿泊に必要な物は揃えてあるし、シュラ自身はデスマスクに異常がない限り外に出て動くこともできる。小さな鞄一つを持って、巨蟹宮へデスマスクを迎えに行った。

 巨蟹宮の私室の居間にデスマスクはいた。怠いのかソファーの上で横になっている。
「おい、大丈夫か?」
声をかけると顔を上げたデスマスクの瞳が潤んでいたが、泣いた感じではない。
「歩けるか?」
という問いかけにゆっくり起き上がった。思ったより発情期が始まってから時間が経っているかもしれない。
「薬は?」
「…飲んだ」
「あまり効いてないのか副作用なのか…」
Ωが確定してからデスマスクは医師から強めの薬を処方してもらったと言っていた。眠気が出たり、欲情を抑え込むため熱が上がり過ぎたりで発情期の症状と副作用は区別がつきにくいらしい…これもシュラが本で得た知識だ。どう見ても怠そうだが連れて行くしかない。Ωのフェロモンが出ている可能性を考えると私室から外に出るのは危険だが…デスマスクと自分の荷物を肩にかけてから本人を抱き上げようとした。
「…っ?!ちょお!待てよぉ!」
「あっ、暴れるな!」
デスマスクが手を突っぱねてシュラに抱き上げられるのを嫌がった。
「フェロモンが出ていたらゆっくり歩いて下りるのは危険だろ?!俺が一気に運ぶ!」
「そんなん嫌だぁ!」
言われて、面倒くさい!と急に腹立たしくなった。

「嫌とか言ってる場合じゃないだろ!!」

「っ…?!」
少し強めに声は張ったが、驚く程か?とシュラが不思議に思うくらいデスマスクは小さくなって身を固めている。
「…嫌なら、もっと早く教えてくれ…」
体勢を整えてデスマスクを抱き直し、十二宮を一気に駆け下りるため息を整えた。
「だって…お前に教えた時はこんなんじゃなかったんだよ…30分くらいで、一気にきて…」
「…そうか、まだよく判らないよな…怒鳴って悪かった」
私室の扉の前に立つと、触れていないのに自然と扉が開いた。
気が利く奴だな…
両手が塞がっているシュラのためにデスマスクがサイコキネシスで開けてくれたようだ。抱く腕に力を込めて、シュラは光の如く一気に聖域の外まで突っ切って行った。幸い途中でαに邪魔をされるような事は起きなかった。

 シュラの脚は光速を極めた者たちの中でも特に速い。
「このまま直行する」
聞こえやすいよう走るスピードを緩めてデスマスクに声をかけた。
「目隠しは…」
「あぁ…鞄の底にあるが足を止めるのは面倒だな…。目を閉じていてくれ」
「へ?…いい加減過ぎねぇ?…」
「信用しているぞ」
その声にデスマスクは少し考えるようにしてからハタッと瞼を閉じ、シュラの胸に顔を押し当てた。更に腕も背中に巻きついた。その様子にシュラは満足そうな顔をして、一刻も早く安心させるために再び光の速さで隠れ家まで駆け抜けて行った。

 光の筋は海の上までもを渡りどこかの島国へ。町外れの深い森の中に隠れ家はあった。日差しは強いが空気はカラッとしていて吹いてくる風も心地良い。小さな二階建ての家に入ってシュラはデスマスクをベッドの上に下ろした。
「もういいぞ」との声にデスマスクは目を開けて、そこから初めて見る部屋を眺めた。冷蔵庫や電子レンジに電気ポット…ホテルの一室のような、部屋から出なくてもそれなりに過ごせる環境が整っていた。シュラは壁にある冷房のスイッチを押しながら「ここは二階だが部屋を出てすぐにトイレと洗面もある」と説明した。
「俺は一階にいる。シャワーと台所は一階にしかないが、辛い時は二階だけでも過ごせるだろう」
前回、初めての発情期の時には巨蟹宮の私室で何を食べていたのか、どういった物があると良いのかを一通り聞いていたので日持ちするゼリーや食べやすいお菓子、飲料水などは既に買い置きされている。症状が重い時は体調不良の時と同じようで食欲が湧かないらしい。まだ一度しか経験は無いが、発情期のピークは2、3日でそれを過ぎれば食欲も徐々に戻ってくるとの事だった。
「余程の事が無い限り俺の方からこの部屋に入ることはしない。俺が洗ってもいい着替えは階段から落としてくれ。嫌なものは溜め込んでおけ。食事が摂れるようになれば準備してやるから教えてくれ。」
そう告げるとシュラはデスマスクに布団をかけて部屋を出て行った。

 Ωの発情期とは、受胎を熱望する体が種を求めて激しく疼くらしい。自らの存在を知らせるためにフェロモンを発し、生殖本能の強いαを誘う。Ωの本能を拒否する者は薬や道具などを使って鎮めてはぶり返し、また鎮めてはαを求めて熱くなる体に耐え続ける。耐えられなければαの匂いを探り、求めて、自ら彷徨い歩き、襲われに行ってしまうΩもいる。個人差があるとは言え、そのような極限状態を目撃されてしまうのはシュラ自身も絶対に嫌だと言い切れる。なので、症状の重い数日間だけでも一人で乗り越えられる環境を整えてやりたかった。
αを頼れば発情期の抑制剤を服用しなくても症状が軽くなると言われるが、まだ15歳である。デスマスクに勧めるには無理があった。避妊薬を使うとしても妊娠のリスクは排除できないし、何よりも発情期中αに頸を噛まれると"番"という、一生をそのαに捧げ解除のできない肉体関係が成立してしまう。フェロモンに誘惑されたαが見ず知らずのΩを噛んでしまい、取り返しがつかなくなるという事件が度々報道されていた。それを苦にして自殺してしまうΩもまた。ただ、その番関係もαとΩ双方に愛情があるのならば最高の幸せを得られるものであった。αからの愛情でΩの発情期も軽くなり、噛まれる事で頸から発せられるΩのフェロモンも、番となったαにだけ届くように体が作り変わる。見知らぬαを誘惑してしまう事も、される事も無くなる。正しい番関係は、愛するΩを他のαから守る唯一の方法だった。

 一階にある居間のソファーに腰掛けてシュラは考えた。いつかはデスマスクも番を受け入れる時が来るのだろうか。その前に聖戦が始まってしまうだろうか。今の体のまま戦いに出る事は…。発情期の最中に聖域が攻め込まれればデスマスクをここに残してシュラが戻るだけで済むが、戦闘中に発情期が始まってしまったらデスマスクを連れ出せる余裕なんてあるのだろうか。実際にサガはどこまで考えているのだろう?以前デスマスクと話した時は考えても答えの出ない先のことについて有耶無耶にしてしまった。前例の無いΩの黄金聖闘士…まさか、デスマスクを保護し続ける目的は戦力とは別に本気でα黄金との子どもを作らせるつもりでは…?秘密が守られているとはいえ、聖域外の連携している医師たちにもΩ黄金の存在は知られている。仮にデスマスクが黄金聖闘士を解任され聖域を出たとしても稀少な存在を手にしたい者が湧いてくるはずだ。
「…結局、あいつが安らげる事はもう無いのか…?」
いっそのこと、二人でずっと誰にも知られず暮らし続けていけたらとも思ったがそんな事を成し遂げるのは無理だとわかるし、そもそもデスマスクのためにそこまでする必要があるのかとシュラは我に返った。いつからか、デスマスクの事を考えてしまう。βだから頼むぞと、サガやアフロディーテから任されたためと言えばそうだが、それだけではない。Ω判定が出る前…出会った時からずっと、シュラは心の奥底でひっそりとデスマスクを見つめ続けていた。

 部屋からシュラが去った後、デスマスクは薬の影響もあってかそのまま眠りに落ちていた。ふと目が覚めると陽が傾いて薄暗くなってきている。トイレに行こうと部屋を出たら、下の階からシュラが台所で何かを作っているような音と匂いが漂ってきていた。あいつ、料理できるんだなとぼんやり思いながら部屋に戻り、冷蔵庫から水を出して抑制剤を飲む。また布団に潜り、いや、お湯を注ぐだけで完成する類のものかもしれないと考え直した。
一息ついて、ぼうっと部屋を見渡してみる。直接言ってくることは無かったが、シュラはデスマスクをベッドに下ろしてから部屋を出るまで「見てみろ凄いだろ」っていう自信に満ちた顔をずっとしていた。余裕が無くて何も返せなかったが、自信ありありで少し鬱陶しい感じがα由来のものでないと言うならば素でタチが悪いとしか思えない。
「あれでβなのか…」
自分でフェロモンが出ているのかどうかはわからない。何の動揺もしないシュラは当然感じられないようだ。今回初めて飲む抑制剤が効いてフェロモンが抑えられているのかすらわからなかったが、今のところ体に触れたい衝動は抑えられている。シュラに抱き上げられた時も平気だった。だからおそらくこの怠さは副作用が強く出ているのだろう。

 シュラは初めて会った時から苦手だと感じた。誰とも上辺は適当に付き合えるデスマスクでもシュラを前にすると声が詰まってしまうことが時々あった。アフロディーテもそれは知っていて、でも彼は「苦手というより…」と言葉を濁した。
Ω判定が出る前から、シュラの気配に油断すると自分を見失いそうな感覚に陥る時がある。全てを捨ててダメになってしまいそうな。悔しいけど、こいつはかなり力のあるαなんだろうなと思っていた。だから、どうしてもβという判定に納得がいかない。双魚宮で初めての判定結果に愚痴っていた時、シュラが先に帰った後でアフロディーテの意見も聞いた。アフロディーテはデスマスクが思うよりシュラはβっぽいと感じていた。また、デスマスクがΩだったからシュラにはαになってもらいたいのでは?とかおちょくってきた。
何だそれは、自分一人がΩというだけでもキツいというのに、シュラにはαになって欲しいってほんと、それ何なんだよ?「αであるはずだ」とは思うが「αになってほしい」はちょっと違う。デスマスクが仮にαだったとしても思わないだろう。むしろシュラがβで愉快なくらいだ。αになってほしい、だなんて。そんなの…そんな、求めるように乞うことなど…。認めたくなかった。

 改めて部屋を眺める。調子に乗った顔を見せられるのは腹が立つので本人に伝える気は無いが、この隠れ家はデスマスクの意見もしっかり取り入れた上でシュラの配慮が尽くされており、よくできている。蝋燭と薪で生活させられていた修行時代のボロ小屋とは比べ物にならない。町外れだろうしどうやって電線を繋いでいるのかとかガスがどうとか気になるが、聖域の裏技を使ってどうにかなってるのだろう。積み上げられたティッシュ箱の多さは生々し過ぎて笑えるが。
あれからまた何冊も雑誌を買って読んでいたのだろうか?Ωの事を知り尽くしているなと思った。一階がどういう作りになっているのかまだ見れないが、ピークが過ぎるまでシュラはこの下でひたすら鍛錬でもしながら過ごすのだろうか。あいつ暇な時は何をして過ごしているのだろう。長い付き合いなのによく知らなかった。庭はあるのか?窓の外は木しか見えなかったがどんな場所なのだろう。この部屋、忙しい合間を縫って作ったんだよな。サガに頼まれて、Ωになっちまった俺なんかのために。面倒くさいと思いながらも手を抜くこと知らねぇで、キッチリやったんだろうな。俺のこと…考えたりしながら準備したんかな…。今、お前と喋りたいかも…。あぁ…コレが終わるまで来てくれないのか…。別に…お前なら…来てくれても、いいんだけどな…。
 再び抑制剤の副作用からくる眠気に襲われたデスマスクは、うつらうつらとシュラの事を考えながら眠りに落ちた。

ーーー
 バサッバサッ
何かをはたくような音でデスマスクは目を覚ました。カーテンを閉めずに眠っていたので陽の光が差し込み、部屋の中は明るかった。
「朝、か…」
今度はパン、パンと聞こえてくる。ぼやんとしながらベッドから降りて、気になる音を探って窓の外を覗いた。外の景色は青い空と深い緑の森がひたすら広がっている。遠くは霞んで、境目が雲なのか海なのかよくわからなかった。またバサっと聞こえてすぐ下を見ると、家の前の狭い空間でシュラが洗濯物を干している。磨羯宮の私室に入る事は滅多に無かったし、シュラのこういう日常風景を見るのは新鮮だった。
洗濯も人並みにできるのか…
とぼうっと見つめていたら、不意にシュラがこちらを見上げて手を振ってきた。
「あ…」
思わず手を振り返したが、自分がした事が急に恥ずかしくなり、シャッ!!とカーテンを閉めてベッドに戻った。その直後、体が熱いと思って抑制剤を慌てて飲んだ。直ぐには効かない。
「くそっ…!」
熱い…突然火が点いたようにお腹がジンジンしてくる。早く効け!と、効果が出るまでの気休めにベッドの上で冷たい水を口の端から溢しながら何度も飲み込んだが、もうそういう問題ではなかった。
「あぁ…く、そぉ…っ!」
外から時折洗濯物をはたく音が聞こえる中、デスマスクは疼く体を捩らせながら下着の中に手を伸ばした。

 シュラは朝起きて洗濯機を回し、その間に朝食を摂った。全自動が買えるくらいのお金は支給されていたが、自分が使い慣れていた二層式の洗濯機を隠れ家にも買ったため途中で洗い終わった衣類を脱水機に移し替えて水を切る。そして朝食の片付けも終えてから外へ洗濯を干しに行くというのは修行時代から変わらない朝の生活習慣だった。
聖域に来て数年は洗濯や部屋の掃除を磨羯宮の従者に任せていた事もある。しかしサガが起こした事件以降、磨羯宮からは従者を払い一人で生活するようになった。アフロディーテも同じだったが、デスマスクだけは聖域に来て1ヶ月くらいで従者を払っていた。どちらかと言えば従者をこき使うタイプに思えたので当時は意外だったが、デスマスクについて知るほどそうなるのは当たり前のことかと納得した。
そんな事を考えながら外で洗濯物を干していると、背後にデスマスクのコスモを感じた。振り向けば窓からこちらを覗いていたので何気なく手を振ってみれば向こうも振り返してきた。直後、カーテンを閉められてしまったが、2、3日は全く姿を確認できないつもりだったので少し安心して笑みが溢れた。

 発情期の間、シュラがやる事は正直ほとんど無い。聖域内でやっていた事は事務処理より雑兵や聖闘士たちの監視、候補生への指導、逃亡者の処刑などで外に持ち出せる仕事は無かった。体を鍛える以外に趣味と言えるようなものも無い。いや、デスマスクのΩ判定が出てからはΩについて調べる事が趣味のようになってはいる。今はαからの威圧に対抗する術を学びたいと思っているが、自分が見た限りの本ではそれに関する記述がほとんど見られなかった。研究する価値がありそうなものだが、優秀なαの研究者であるほど追求するほどのものでは無い、αには敵わないのだから目を逸らしておけばいい、そんな感覚なのかもしれない。コスモをより研ぎ澄ませば凌げるだろうか?やはりコスモとは別の感覚を刺激するものなのだろうか。

 性の違い…世の中には生まれ持った男女の肉体と心の男女が噛み合わない者がいる。第二の性にもそういうものはあるのだろうか。単に、理想としていた性とは違う悔しさではなく、本来持って生まれるべきだった第二性の食い違いが。上辺の恋愛感情を超えてどうしても特定のβに惹かれるΩとか、βに惹かれるαがいてもおかしくないと思う。誤診断自体は実際に報告されているが、誤診ではなく、確かにβであるはずなのにαと互角の力を持つ者くらいいるのではないか?
例えばデスマスクだってαに匹敵する力を持っている。少なくとも聖闘士ではない並のαに比べれば遥かに強く優秀な能力を持って黄金聖衣を勝ち取った。確実に能力は高いはずなのに、なぜ遺伝子はΩが強いのか。なにか…別の強い力によって姿だけΩに歪められてしまった…そう言われた方が納得できる。それが神であるのか何なのかはもちろんわからないが。
シュラ自身もα並の力を持ちながらβに振り分けられた。たまたまと言えばそうだが、この状況…考えようによってはまるでデスマスクのためにβになったようにも思えないか?シュラがβでなければ誰がデスマスクの世話をしていたのだろう?一定の距離を保っていた二人がなぜここで交わった?それもαとΩではなく、βとΩとして。
自身の第二性に抑え付けられているだけで、αの力が眠っているとは考えられないか?夢のような話に過ぎないか?突然変異種やイレギュラーを起こす個体は必ず存在する。それが長い歴史においては進化の第一歩でもあるのだから。聖闘士たちが切り拓いてきた能力もそうだ。βが、αに対抗する術が自分の内側に隠されていないだろうか…。
シュラは自室のベッドの上で静かに目を閉じてみた。息を整え、自分の心に目を向けるつもりで。

 月のない空を、二つの星が強い光を放ちながら、追いかけるように長い尾を引いて流れていく景色が浮かんで、消えた。

ーつづくー
※ストックが無くなったので少し間があきます。

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2023
12,11
 夏の真っ盛り、6月に初めて発情期を迎えてから数ヶ月。そろそろまた始まるかもしれないとシュラはデスマスクを保護する隠れ家の整備を急いでいた。サガは「この役目を任せた事を忘れたのか?」というくらい今まで通り、普通に討伐やら雑務やらの仕事をシュラに振ってきた。発情期が来たら自分こそ無駄に不在となるのだから、仕事を詰め込まれるのも仕方ないとは思う。しかし準備の多い最初くらいは少し気遣って欲しいと、そう思う事くらい良いだろと自分の中で愚痴た。"誰にも知られてはいけない"のだから全て自分でやらなくてはならない。早い段階でΩが過ごす部屋のイメージを固め磨羯宮にデスマスクも呼んで必要な物は確認済みだったが、準備を進めていくのはなかなか思うようにいかなかった。

 隠れ家にやっと必要な荷物だけ運び終えて聖域へ戻って来たある日、磨羯宮に到着すると聖衣を着たデスマスクがちょうど上から下りて来るところだった。
「まだ体は大丈夫か?」
神殿の柱の横から顔を出して声を掛けると、デスマスクは私室に戻ろうとしていたシュラの近くまでわざとらしくヒールの音をカツカツ立ててやって来た。
「アレのことか?まだ良いんじゃねぇの。…てか、お前凄い汗だな。降られてきたのかよってくらい」
「直ぐに対応できるようにやっと小屋へ荷物だけ全部運び終えたんだ、今日はもう何もしたくない」
張り付くシャツを肌から引き剥がし「ほんと酷いな、流してくる」とシュラはデスマスクに手を振って私室への扉を開け、浴室に向かおうとした。
カツン、とヒールを鳴らす音がすぐ後ろで響く。振り向くとデスマスクが真後ろにいる。
「近っ…なんだ?寄っていくのか?」
汗が臭うかもとシュラは一歩下がったが、ぅ…と困った顔で言葉に詰まっている姿は彼らしくなく、嫌な予感がした。
「どうした」
汗ばんだ手で触れるのを躊躇ったが、スイッチを押す感覚で軽く聖衣の肩パーツにトンと触れる。
「…いや、お前、すげぇ汗だけど…何も匂わねぇな、って…」
「はぁ?」
突然何を言い出した?
「あー!何でもねぇよ!シャワー浴びてこい!じゃあな!」
そしていきなり声を張り上げてから勢い良く扉をバァン!と閉め、カツカツカツカツ…と走り去って行った。…まさかここで発情期が始まったのでは…という焦りは呆気なく散ったが、何なんだ…とモヤモヤが芽生えたままシュラは浴室へ向かい汗を流してスッキリした。

 翌日、運び終えただけの荷物を整理しに行くためシュラが寝室で着替えていると「今いいかな」とアフロディーテが磨羯宮を訪ねて来た。
「なかなか忙しそうだな、ちょっと話したいと思っていたけど会えなくてね」
「あぁ、今日ももう少し遅ければ出ているところだった」
居間のソファーに二人で机を挟んで座る。出せるお菓子もお茶も無かったので水だけグラスへ注いで机に置いた。
「デスマスクの事なのだが」
俯き気味でアフロディーテが口を開く。
「もしも私が彼に酷いことをしそうになったら、問答無用で止めてくれ」
それはαとして、Ωに対してという話。
「……まぁ、そのつもりでいるが」
アフロディーテのトーンに合わせてシュラも低めの声で返す。
わざわざ伝えに来るほど彼もαに悩まされていたのかとシュラは少し胸が苦しくなった。Ωになったデスマスクの悔しさはわかりやすいものだったが、αになったアフロディーテにも苦しみはあるだろう。全員αであれば何も変わらなかった。デスマスクがΩである故にアフロディーテから離れ、またアフロディーテもデスマスクを傷付けないよう距離を置くようになったはずだ。今更になってアフロディーテのデスマスクに向ける寂しげな微笑みの意味に気付き、だから俺はβ止まりなのかと自分の鈍さに呆れた。
しかしシュラの場合は鈍感とは違った。シュラの興味はΩのデスマスクだけで満たされてしまい、自分を含めそれ以外の事には目もくれてこなかっただけである。アフロディーテの事まで考える余地は無く、シュラ自身がそこまでデスマスクに執着しているという自覚ももちろん無かった。

 「昨日、デスマスクに会った。二人だけで」
昨日であれば磨羯宮を通る前ということか。何か問題でもあったのだろうか。
「双魚宮を通り抜ける時、少し話すくらいなら良いだろうとデスマスクを呼び止めたのだ。彼も嫌な顔はしなかった」
他愛もない話で前と変わらず笑えたんだよ、と話す。
「別れ際、私はすんなり彼を行かせるつもりだったんだ…」
アフロディーテは瞼を閉じて項垂れる。
「行かせるつもりだった、何もする気なんてなかったのだ…」
違う違うと繰り返すアフロディーテに焦れったくなったシュラは「…何をしたんだ」と答えを急かす。
「デスマスクを、誘惑しようとしたよ」
少し顔を上げたアフロディーテがシュラを見据えて静かに告げる。そんなに口を開いていないはずなのに鋭い犬歯の先が目についた。
「あれがαのフェロモンなのだろうな、去ろうとしたデスマスクは直ぐに私の元へ戻って来た」
デスマスクもαの誘惑フェロモンを浴びるのは初めてで何が起きたのか理解できなかったのだろう。強気で放っていたコスモがどんどん萎えていくんだ…。そう語るアフロディーテの口元がニヤ、と笑っているように見える。
「幸い、彼は落ちなかった。私の目の前で何度も口をぱくぱくさせてから"やめてくれ"と言ってくれたんだ。その瞬間に私も目が覚めて誘惑を解いたよ、だからデスマスクに触れることはしていない」
「…そうか」
シュラの声が低く響く。
「デスマスクは私にとって兄のようであり友人だ。αとΩの異性となってもその関係を崩したくないと強く思っていた。それでも、呆気なく崩されてしまうのだよ…自らの意を反して。αとΩの本能というものは」
βの君には説明しても理解できない事かもしれないがね、と付け加えフフっと笑う。その様子を見てシュラは本当に怖いものだなと感じた。まさにαに抗うアフロディーテとαを剥き出しにするアフロディーテが秒刻みで入れ替わっているようだ。
「デスマスクは抗えない本能を理解してくれたが、辛い思いをさせてしまったと思う。そしてこの本能はこれだけに留まらずこれからも増していくような気がするのだ」
だから…
「君は何をしてでもデスマスクを守ってほしい。私だけでなく、サガやその他大勢のαたちから。…βの君にαの相手をさせるというのも酷な事とは思うがね」
できることならデスマスクを聖域から解放してやりたいくらいだ…そうアフロディーテはこぼした。
デスマスクが命をかけて獲得した黄金聖闘士の地位を捨てたくない気持ちもわかるが、聖域においてΩである事は彼をそれ以上に傷付けかねない。仲間たちがΩを求めてαの本能に抗えなくなる時、全てが敵になる。それはもう、聖域の破滅だ。
一通りアフロディーテの訴えを聞いたシュラは、そうだな、と呟きアフロディーテの顔を真っ直ぐ見た。
「…確かに俺はΩのフェロモンもαの本能も理解できない、デスマスクを聖域に残そうとするサガの思惑もわからないが、お前は今後デスマスクの心配をしなくていい。あいつの事は俺が全てどうにかする。あいつももう頼れるのは俺しかいない」
あと
「俺の心配もしなくていいからな。βだろうが黄金で最も体を鍛え上げた自信はある」
ハッキリと告げて爽やかに笑うシュラの顔を見たアフロディーテは、一緒顔を引き攣らせてからいつもの穏やかな微笑み顔を見せてくれた。
「ありがとう。頼むよ、これ以上の地獄を見るのは私も辛いのでね」

 アフロディーテが帰り、グラスを片付けながらシュラは最後少し言い方が意地悪だったかもなと反省した。アフロディーテが悪いわけではないが、αの本能的な嫌味たらしさがデスマスクもよく言う嫌味と重なって苦手だなと感じた。だからハッキリ言ってスッキリしたかった。が、結果的には言い過ぎたかもとモヤモヤする羽目になっている。仕方ない、素のアフロディーテには可哀想だがαに対しては強気でいくべきだろう。それくらいしないとβは一睨みで潰されかねないのだ。
気持ちを切り替えて、ふと昨日のデスマスクの様子を思い出した。そうか、あいつはαのフェロモンを浴びていたから少し変になっていたのか…。デスマスクはシュラの側に寄って、あの時…匂いを嗅いだ?そう思い当たった瞬間シュラの体が少し火照った。
「まさか…」
いや、デスマスクはシュラがαに変異するのではないかと常に警戒している。αのフェロモンを知ったデスマスクがシュラからも感じられないか確認しただけだろう。それは理解できるのだが、デスマスクが自分の匂いを嗅ごうとして擦り寄って来たという行為を思い出すと体の奥がムズムズする。
「…いや、いやいや…」
αがΩのそういう行動を喜ぶのはわかるが、シュラはβだ。αの本能抜きで嬉しく思うのは何だ?αばかりの聖域にいるから体がバグでも起こしているのか?
「…本の読み過ぎか…」
好いた者同士のαとΩはお互いの匂いで安心感を得たりするらしい。βでは体験できそうもないロマンチックな関係に自分は憧れを抱いていたのかもしれない。だが、相手はあのデスマスクである。自分が面食いとは思わない、中身重視としてもあいつに時めく要素は無いだろう…。
アフロディーテの件から気持ちを切り替えたつもりが再び悩まされてしまい、考えることが面倒になったシュラは「こういうのもβである故か…」とハッキリした結論を導き出さないまま荷物の整理をしに隠れ家へ向かった。

 デスマスクが過ごす部屋に家具や家電を運び、組み立て、どう配置すれば快適になるだろうとか考え始めたら楽しくなって今日の労働は苦にならなかった。面倒なモヤモヤはすっかり晴れていた。良い部屋ができた、早くここに連れて来たい…。文句を言ってきたとしても口だけだろう。
明日にでも…発情期がくればいい…
そんな事、絶対に言えないがシュラは心の底で何度も考えた。自分が過ごす部屋に関してはベッドを置いただけで、何も進まなかった。

ーつづくー

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2023
12,10
 七月に入り年下の黄金聖闘士たちの検査結果も出揃った。当然のように全員αだった。デスマスクの発情期も終わり、現在十二宮の守護についている黄金聖闘士八人が教皇宮に集う。教皇に成りすましているサガが起こした事件の一部始終はシュラ、デスマスク、アフロディーテの三人しか知らない。年下の黄金聖闘士たちが知る真実はムウ、サガの行方不明と反逆者アイオロスの死であり、三人が知る真実とは異なっていた。彼らにとってサガは聖域に存在していない。

 七人の黄金聖闘士が並ぶ中、デスマスクだけがまだ来ていなかった。
まさか来ないつもりか…とシュラが視線を教皇宮の扉へ向けた時、馴染みのあるコスモが感じられ扉が開いた。全員の視線がデスマスクに集まる。普段は注目される事を嫌う奴がこのタイミングとは…わざと遅れて来たかとシュラは考えながらこちらへ向かってくるデスマスクを眺めていた。
…いつもと違う。
伸ばしていた後ろ髪を以前のように短く切り、パカリと左右に開かれた蟹座聖衣の首元に黄金の首輪が見える。それに気付いたシュラは体の芯がゾクっと震えた。サっと視線を逸らしたついでに隣にいたアフロディーテを見ると、彼はうっとりした顔でデスマスクの首元をずっと見ている。
「綺麗な首輪を着けているな、とても似合っているよ…」
一人言なのかシュラに語りかけたのか判断できなかったが、αは本当にΩの首輪姿を喜ぶものなのか…と、βでありながら以前デスマスクに自分が言い放った言葉を思い出してなんだか恥ずかしくなった。
デスマスクは自身がΩである事をあえて堂々と見せつけに来たようだったが、年下の黄金聖闘士たちにはまだαらしさが芽生えていないようでデスマスクのΩ姿に執着するような感じはみられなかった。ただアフロディーテだけが俺を挟んで隣にいるデスマスクをずっと見つめていた。

 会議の内容は黄金聖闘士全員の検査結果、サガからシュラに相談されていた通りデスマスクの発情期に合わせて二人が聖域を離れる事についての説明と理解を求めるものだった。
すでに不在の多い十二宮ではあるが、最強クラスの黄金聖闘士かつαの遺伝子を持つ者たちからすればただ自分一人がいれば十分だ、という最高峰の自信を持つ者しかいなかった。守護が減って大丈夫かと聖域の心配をするようなのは、案外現実的なデスマスクくらいしかいなかったという話だ。

 教皇宮での会議が終わり、聖衣を脱いでからいつもの三人で双魚宮の居間に集まった。シュラの隣にデスマスク、机を挟んで向こう側にアフロディーテが座った。
「これでお前も心置きなく聖域を出れるだろう」
どこか不貞腐れているデスマスクにシュラが言った。
「そういう問題じゃねぇよ、あいつらの考えが浅いだけだ」
他の黄金たちの自信たっぷっりな姿は「それでこそ黄金!」と讃えるべきだろうが、今のデスマスクからすると「Ωそしてβのシュラも不要!」と言われた気分にしかならない。
「大丈夫だ、何が起きてもこの双魚宮だけは突破できないからな」
フフ…と自信満々に笑いながらお茶を啜る姿が美しすぎておぞましい。
「それにしてもその首輪の金は本物か?よく手に入れたな」
アフロディーテはデスマスクの首輪に触れたそうに手を伸ばしたが、そのまま机の上の菓子を摘んで食べた。
「サガがΩとしての生活に必要な物があれば何でも買ってやるっつったんだ。ちょうど誕生日もあったし」
「それは大金を叩かせたな!」
「あの黄金聖衣じゃ首元ガラ空きだしよ、普通の首輪着けてたらダサくなるだろ?」
そうだな〜と同意しながらアフロディーテは目を細めてシュラに視線を向けた。
「付き人はシュラで大丈夫なのか?物足りなくない?」
「仕方ねぇだろ、こいつしかいねぇんだから」
「ほんとラッキーだなシュラは。私がαでなければデスに付いて行けたのに…」
アフロディーテの探るような視線にシュラは少し息苦しさを感じた。子どもの頃のような純粋で悪戯っぽいものではない、刺すような抑え付けてくるような威圧感が潜んでいる。
「シュラって本当にβなのかい?」
シュラは何か答えようとしたが、息が詰まってすぐに声が出せなかった。コスモの圧とは違う、これがβとαの違いなのか…?

「「 シュラ 」」

「!!」
二人同時に声を掛けられた瞬間、金縛りが解けたかのように体が軽くなった。隣のデスマスクを見ると少し心配そうな顔をしてシュラを見ている。
「どうした?お前、一つ残ってるケーキ気になってるなら遠慮せず食えばいいぞ」
「はぁ?」
思ってもいないデスマスクの言葉にもっと気が抜けた。
「ずっと見てんじゃん」
デスマスクが残っていたケーキの皿を取ってシュラの目の前に置く。シュラが見ていたのはアフロディーテだった気がするがこの際まぁそういう事でもいい。それなら、とケーキに手を付けるのを見てアフロディーテはフフ、と笑い再びお茶を一口啜った。

 今日も先に双魚宮を出ようとシュラは声をかけた。再検査結果が出てからデスマスクとアフロディーテが会うのは初めてだ。二人で話したい事もあるだろうと思って帰る旨を告げると「俺も行く」とデスマスクが立ち上がった。
「良いのか?」
「何が?」
「二人で話したいこととかあるだろう」
「別にそんな無ぇよ」
アフロディーテを見ると微笑んで手を振っている。
「君は鈍感だな、そういうところはβらしい。気付いてやれよ」
気付く?何を…。
「もうさ、君しかいないんだからしっかりしたまえ」
ため息混じりに言うアフロディーテの表情は、寂しさの混じる微笑みに変わっていた。

 デスマスクは軽い足取りで十二宮を下りて行く。それを眺めながら、もしかしてあいつはアフロディーテと二人になる事を警戒したのか?とシュラは考えを巡らせていた。
Ωがαを警戒するというのは理解できるが、あれほど仲良く見えたのに性差は何年もかけて築き上げてきた信頼関係をこんなにも簡単に崩してしまうのかと。形は違うが、かつてのアイオロスとサガの悲劇と重なり悲しく残念に思えてならなかった。そして今デスマスクが安心できる相手は俺しかないのかと自然に思った瞬間、また心の底で何かがムズムズと疼いた。

前を歩くデスマスクの金の首輪が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。綺麗だ、Ωという一つの性別に呆気なく振り回される可哀想な男…一番の友人を奪われ、興味も無かった俺を頼るしかないのか。こいつはもう、聖域では一人で生きていけない…

「何考えて笑ってんだよ、お前のそういうとこが亡者より怖くて嫌だ」
いつの間にか磨羯宮の手前で立ち止まっていたデスマスクが左手を首に添えて振り向いていた。
笑っていた?
シュラはそんなつもりなかったが、たった今まで何を考えていたのか思い出せなかった。首輪が輝くのが綺麗で…それを見ていて…そんな事を正直に話してもαじみた事言うなとまた気持ち悪がられるだけなのでやめた。

 磨羯宮の中、このまま別れてもいいが念のため巨蟹宮まで送って行った方が良いか確認する。「好きにしろ」と拒否はされていない。少し考えてから今日もついて行くことにした。

 「そういえば俺をどこへ連れて行くか決めたのか?」
人馬宮が見えた頃デスマスクが尋ねてきた。
「一応は」
「どこ?」
「言えない」
へ?じゃあどうやって連れて行くんだ?とデスマスクは立ち止まってシュラを見る。
「お前に目隠しして光速移動」
冗談で言ったわけではないが、マジで?嘘だろ…とドン引きしている。
「αの誘惑に負ける可能性も考えて、お前も正確な場所は知らない方がいいと思っている」
「αに尋問されて押し掛けられるかもってか?」
「黄金ならば容易いだろう、用心に越した事はない。サガもそう言っていた」
デスマスクの発情期対策は想像以上に厳重警戒だった。シュラ自身もそこまでするかと思ったが医師団たちとサガが相談した結果の判断だ。実際に先ほど双魚宮でアフロディーテから受けた重圧もコスモではなくαとしてのものだろう。油断していたとはいえβのシュラであの様だったのだからデスマスクが受けたらひとたまりも無いと思う。αの威圧を思い出したシュラはアレに耐えられるくらいの対策をしておかないと守り切れないなと焦りを感じた。
「まぁ…お前はそれだけ大切にされていると素直に思っておけ」
「Ωを思い通りに動かせるα様のご慈悲ってとこか」
デスマスクはちょうど足元にあった小石を一つ蹴る。
「俺はお前のそういう嫌味たらしい後ろ向きな発言が嫌だ」
シュラはついさっき、笑ってて怖いとか嫌とか言われたお返しのつもりは無かったが反撃するような事を口にしてしまった。
「…別に、お前に好かれたいとか思ってねぇから良いんだよっ!」
突然、ふわりと浮き上がったデスマスクはそのまま滑るように一気に下り始める。
「おいっ!」
結局、巨蟹宮まで走らされた挙句デスマスクは挨拶も無くスイーッと私室の扉の中へ滑り込み、バタン!と閉めた。死面の唸り声と、シュラの荒い息だけが響く。
まったく、少し気に障っただけですぐこうだ。
「…面倒な奴…」
そう呟くと扉の中から"ドン!!"と叩かれた。聞いてたのか…。
そのまま部屋の奥の居間にでも直行したのかと思いきや、扉のすぐ裏で俺の様子を探っているのかと思うとやはり面倒だがちょっと可愛い。そう思った今、ニヤっと笑った自分を自覚したシュラはこれがデスマスクの嫌いな笑いか…と自分の口元に手を当ててみた。

発情期の周期にも個人差はあるが、平均的には2〜3ヶ月に1度。これから年に4〜5回は二人で過ごす事になるのだから、デスマスクに好かれる必要は無いが嫌われるのは避けた方が過ごしやすい。二人の隠れ家を快適なものにするにはどうすればいいか…。それを考えるため、シュラはロドリオ村の本屋へ向かった。

ーつづくー

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2023
12,10
数日後、シュラはまだ巨蟹宮で引きこもっているデスマスクの元を訪れた。再検査の結果が出たのだ。先日、追い出される形で別れたが私室への扉は軽く、入る事は許されているのだなと安心した。先ずは…と真っ直ぐ居間へ向かえばそこにデスマスクはいた。

「起きていて大丈夫なのか?」
言葉を聞き振り返ったデスマスクの姿を見て、シュラはドクッと心臓が高鳴った。首をすっぽり覆い隠すような幅の広い白いΩ用の保護首輪を着けている。
「もう…買ったのか?」
「万が一を思って予め買っておいたやつだ。ここ数日は外に出てねぇよ」
ただ首が隠されているだけでこんなにも神秘さが増すものなのか、これが一度見てみたかったΩの姿なのかとつい笑みが溢れてしまう。
「…なに笑ってんだよ、気持ち悪ぃな」
「いや…似合うな、と思って…」
そこまで言ってシュラはハッとした。デスマスクも驚いてから嫌そうに顔を歪ませる。
「何だそれ?αの口説き文句みたいなこと言いやがって」
明らかに警戒してデスマスクは首輪を隠すように片手を広げて覆いながらシュラを睨んだ。
「違う、ファッションとしてだ!何もかもΩやαに結び付けるな!」
「どうせお前、αになったんだろ」
シュラが手に持つ紙に視線を落としてデスマスクは嫌味を言った。
「そうだとしたら俺は今ここに来れないだろ」
「は?じゃあまたβだったのか?」
「俺はβのままだ」
信じられない…という顔でデスマスクは佇んでいる。
「そしてお前も、変わらずΩのままだ…」
検査結果の紙を差し出すと、ゆっくり受け取って上から順に目を通していた。
「Ω、か…まぁ、もうそのつもりだったけどよ」
ついでにシュラが自分の検査結果も差し出すとデスマスクはそれも受け取って目を通した。

「お前の発情期が終わり次第、黄金の召集をかけるらしい」
「へ〜俺の裁判でもすんの?Ω黄金は要らねぇって」
検査結果を見終え、二枚まとめてシュラに返却した。
「違う、さっきサガと話したがお前は発情期前後、聖域を離れて違う場所で過ごしてもらう」
「はぁ」
「Ωだろうとお前は聖域に必要な蟹座だ、発情期以外は普通に動けるだろ?」
話しながらシュラは二枚の紙を宙に投げ、以前と同じように粉々に切り裂いた。
「ふーん、で、俺はどこに連れて行かれるんだ?」
せめてゴミ箱の上でやれよ…とデスマスクは散らばった粉をサイコキネシスでザザーっと集め掃除する。
「それはこれから俺が決める」
「お前が?」
「俺がお前を連れ出さなくてはならない、αの誰もが知らない場所へ」
またあからさまに嫌な顔をされた。
「βだから?」
「そうだ」

コワ…と言いながらデスマスクはまだ体が怠いのかソファーで横になった。
「そんなに俺のβが信用できないのか」
「だってお前デカいし、態度もデカいし、肉ばかり食ってどう見てもβって様じゃねぇよ」
「お前とそう変わらないだろ、αのアフロディーテが一番小さいぞ」
態度もな、と付け加えれば「あぁ、そう言えばそうか」と素直に納得していた。
「お前は本とか外で得た知識に左右され過ぎだ」
自分でもそう思う節があるのか、デスマスクは口を曲げて黙ってしまった。

ため息をついてシュラが話を戻す。
「Ωの発情期はおよそ1週間と聞く。前後含めて2週間くらいになるだろう。その間、聖域に蟹座と山羊座は不在となる」
「デケェ穴が開くな、十二宮ガラガラじゃねぇか。俺をクビにしないのが不思議なくらいだ」
「サガは…良い方はお前の身を案じている。Ωだからと聖域の外に放り出すつもりはない」
今のところ清らかなサガはΩの黄金聖闘士に対してしっかり向き合おうとしている。話し合いの中でシュラは確かにそう感じたが、サガの本心を読むことができないというのも過去の事件が証明していた。デスマスクもそこが気になるらしい。聖域崩壊の火種になりかねないΩを残し囲う意味に、もっと別の思惑があるのではないかと。
「サガの事は考えても仕方ない。今はお前が聖域で生活していくための環境を整えるためにできることを考えているんだ。一先ずそれで良いだろ」
「じっくり温めて、後で何か見返りみたいなモンを求めてこなければな」
「単に戦力は必要だろう」
戦力…か、と呟いたデスマスクは自分の腹部を撫でながらニヤっと笑った。
「Ω黄金とα黄金の子どもなんて稀少中の稀少だろうし、相当強いんじゃねぇ?」
気持ち悪いこと想像させるな、とシュラは冷めた目でソファーを軽く蹴った。

ーつづくー

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2023
12,09
 シュラが15歳を迎えアフロディーテも14歳を過ぎた。シュラは相変わらずであったが、アフロディーテには徐々にαとしての成長が感じられるようになっていた。黄金としてのコスモを増長させるように取り巻くαの持つ威圧的な空気感。アフロディーテはより強く美しく輝きを増していた。

 春、教皇宮の私室に呼ばれたシュラとデスマスクは7月に再検査を行う旨をサガから聞いた。その場にアフロディーテはいなかった。早い者は12、3歳から第二の性の影響が出るらしいがもちろん個人差があり、デスマスクにはまだΩの兆候は出ていない。
教皇宮からの帰り道でシュラは「再検査もう直ぐだな」とデスマスクに喋りかけたが「あぁ」と一言返ってきただけだった。無言のまま二人は双魚宮を抜け、やがて磨羯宮が見えてくる。こういう黙りこくっているデスマスクがシュラは苦手だ。なのでこのまま別れれば良いのだが今日は何か気になる。
「お前、調子でも悪いのか?」
磨羯宮内の真ん中でもう一度デスマスクに声をかけた。
「大丈夫だ」
いつもより低い声。悪くない、とは言わない。デスマスクの顔を見ると少し虚ろで眠そうな顔をしていた。
「お前まさかただの寝不足か?」
「寝たつもりだけどな、そうかもな」
シュラは気になってデスマスクの腕に触れてみた。体は思ったより暖かいが熱がある感じではなさそうだ。
「ナンだよ」
「熱でもあるのかと」
「少し眠いがそういう感じじゃねぇ」
シュラの手を払ってデスマスクは歩き出した。磨羯宮を抜け姿が見えなくなるまで眺めていたが、デスマスクが視界から消えた途端シュラは不安感に襲われデスマスクを追って駆け出した。
「下に用があるのを思い出した」
「あ、そう」
わざわざ並んで歩く必要は無かったが、後ろを付いて行ってもコスモで丸分かりなので追い付いたデスマスクに適当な理由を伝えた。

 無言のまま黙々と十二宮を下り、巨蟹宮内にある私室への分かれ道で「じゃあな」とデスマスクはシュラに手を振った。「暇なら寝とけよ」の声に小さく「あぁ」と聞こえてきた。バタン、と扉が閉まりシュラはようやく少し気持ちが落ち着いた。
デスマスクの私室周辺には個人的な結界が張ってあるようで普段から黄金クラス以外は出入りができない。ここなら安全だろう…となぜそんな事を思ったのかはシュラ自身にもわからなかった。そしてそのまま磨羯宮へ引き返すのもデスマスクにコスモを探られていたら何となく気まずいので、ロドリオ村まで行く事にした。
お金を持って来れば良かったな…と、本屋の前でΩに関する特集が組まれた雑誌を見つけてしまい、中身を確認しながら考える。結局、磨羯宮まで戻ってその本を購入した。
Ωの目覚めは風邪のひき始めに似ているらしい。

 6月、デスマスクが誕生日を迎える前。シュラはサガに呼び出されて教皇宮へ向かった。春からデスマスクの体調が優れないという。どんな勅命でも請け負ってきた彼が遂に休みを申し入れてきたと。
「以前から気に掛けてきたが、Ωの兆候かもしれない」
「……」
「お前がβであるという前提で頼みたい、今からデスマスクの元へ医師と共に行ってほしい」
再検査を前倒しで行うということだった。もしもΩが覚醒し、デスマスクが発情期に入っているならば私室から一歩も外に出してはならない。一般社会でもそれはΩにとって危険行為となるが、αの巣窟である聖域ではΩの身の危険の他に発情フェロモンに惑わされたα同士の闘争が勃発しかねない。巨蟹宮の私室へ入るためにはシュラが必要で、また万が一αが集まって来た時のためにもシュラが必要だった。
「俺がまず説明します」とシュラは十二宮を駆け下り、医師より先にデスマスクの私室へ向かった。

 デスマスクの私室に入った事はある。いつもアフロディーテと一緒だった。シュラだけで訪ねるのはもしかしたら初めてかもしれない。デスマスクは自身のプライベートを積極的に見せようとはしない男だった。
「デスマスク、シュラだが。」
私室の前の扉を叩き声を掛けてみる。返事は無い。
「検査が前倒しになった、今から医師が採血するために入るぞ」
デスマスクのコスモが揺らぐのを感じた。シュラがドアノブに手をかけゆっくり回すと動きは軽く、拒まれる気配も無い。立ち入りは許されているようだった。

 「デスマスク」と呼びながら先ずは居間まで行ってみるが薄暗く静かで誰もいなかった。
寝室か…。
Ωの発情期の過ごし方について書籍から無駄に知識を得てしまっていたため、様子を伺うのを躊躇った。いや、まだΩと決まったわけでは…と言い聞かせ寝室の扉を叩く。
「デスマスク、ここか?今開けていいか?」
「……」
何か聞こえてきたが聞き取れなかった。
「すまん、聞こえない。入るぞ」
ドアは軽く開いた、隙間からゆっくりデスマスクを探しながら中の様子を伺うと、彼はベッドの上に上体を起こして座っていた。想像していたコトは起きていないようで、シュラは安心してベッド脇に駆け寄った。
「起きていて大丈夫か?調子が悪いと聞いたが」
「…よくねぇから、こんなんなってんだろうが」
前髪を下ろしているデスマスクは目を閉じて項垂れ、息苦しそうにしている。
「早く、医者連れて来てんだろ…」
「あぁ」
言われて直ぐに巨蟹宮の私室前で待っている医者を呼びに戻った。もっと遅く来るかと思っていたが聖域専属医師は十二宮の上り下りに長けているらしい。

 医師は簡単にデスマスクを診察し、採血を行った。ついでにシュラの分もと言われその場で行った。医師は自身がβであるため数値を見ないと断言できないが、と前置きしてから
「前回の結果も踏まえておそらく今の症状はΩの発情期と思われます」
と告げた。今回はまだ軽いと思うので薬が無くても耐えられると思いますが、辛い時に…と副作用のほとんど無い弱めの発情抑制剤を処方した。
「発情期の終わりは自身でわかると思います。それまではこの部屋から出ず、βの方を頼ってください」
特にここはαばかりですから、いくら貴方が強いとはいえ絶対に出ないように。そう念を押して医師は帰って行った。

 デスマスクはしばらく薬を手にして眺めていた。
「…飲むか?飲むなら水を用意するが」
「…コレが効いたらΩ確定って事だよな…」
「…まぁ…そうなるな」
少ししてから薬を枕元の棚に放って横になり、布団の中へ潜り込んだ。飲まないか…とシュラはベッドに手をついて立ち上がると、ひょこっと布団の中からデスマスクが顔を出し「水持って来い」と言い放った。

 「もうさ、俺わかってたんだよ」
薬を飲み終えて再び横になったデスマスクがぽつりと喋り始めた。
「自分の体の事だからよ、あ、これやっぱΩの兆候なんかなって事がいくつもあったんだ」
「そうだったのか…」
デスマスクはシュラの方を向き、腕を伸ばしてベッドの下を指差した。
「この下の引き出し開けてみろ」
急に何だ?と思いながらシュラが引き出しを開けると、そこには第二の性について書かれた本が何十冊と並んでいた。
「お前も気にしてたようだから言うけど、俺も結構あの本屋で買ってたんだよな」
「そうか…」
この事は正直シュラにとって意外ではなかった。デスマスクの繊細な面を知っていればむしろこれくらいしていて当然と思える事だった。
「あー読みたいのあれば持って行って良いぜ、Ω確定なら色々考察する必要も無くなるしな」
シュラは自分が持っていない雑誌を一冊取り出す。
「こういう雑誌は内容のほとんどがαとΩだった」
「そうだよ、β向けの記事なんてほとんど無ぇからお前何見てんのかなって。やっぱαに憧れてんのかなとか思ったわけ」
てかどうせお前は次α判定出るんだろ…とぼやいた所でデスマスクはシュラを見た。
「やばい、お前どうせαになんじゃん…これから俺に近付くなよ」
「今はまだ違う」
「そういうの怖すぎんだよ!いきなり豹変したαに喰われるΩ話とか知ってんだろ!」
「知ってはいるがお前なんか…」
と言い掛けてシュラは口をつぐんだ。
「はぁ?!俺なんか襲うわけねぇって?!そういうαが事件起こしまくってんだろうが…っ!」
「?!、おい!」
まだ薬は効いていない、熱を上げてシュラに突っかかったデスマスクは目眩を感じ布団にドサっと沈み込んだ。
「大丈夫か?!」
荒い息を繰り返しながらサッと目元を手で覆い隠す。
「…すまん、適切な事が言えなくて」
グズっと鼻を啜る音がした。
「気ぃ遣ってんじゃねぇよ…クソ!ムカつく!」
かと言って適当な事も言えないだろとシュラは思い、この状況に成す術が無かった。
「発情期の間ここから出られねぇ…何だよ、巨蟹宮に閉じ込められたデスマスクって、俺の事じゃねぇかっ…」
その通りだ、と笑っていいのかもわからず何も言えない。
「おい、気まずいなら帰れぇ!帰ってαの勉強でもしてろ!」
酷い追い出し方だと思ったが、今はそれに乗るしかないなとシュラは立ち上がった。声は震えて、相当傷付いているだろうことはわかる。しかしシュラはそれを癒す技術や才能が無いことも自覚していた。デスマスクの場合は無理に側にいるより一人にさせる方がいい。

 部屋を出る際「一応…まだαではない。今が本当に発情期であるのならお前のフェロモンも全くわからない。」だから…「信用できる間は俺を使え。αの兆候があれば直ぐに連絡する」
それだけ伝え、シュラは教皇宮へデスマスクについての報告に向かった。

 シュラが出て行ったあとデスマスクは布団の中で体を丸めて涙を流した。泣くことなんて今まで滅多に無かった。人前でなんて特に。これもΩに目覚めてしまったが故の弱さなのかと悔しくて泣いた。最強の黄金聖闘士であるのに、このせいで自分はどんどん弱くなってしまうのかもしれないと思うと恐ろしかった。αたちは強さを増していくであろうのに。泣きたくなくても今、涙すら止められない。体が、腹部がジンジンする。嫌だ、怖い…変わってしまう…!
Ωって何だ。発情期って何だ。妊娠って何だ。αと番う事がΩの幸せ…?デスマスクは全部調べた。Ωが持つ特性の全てが黄金聖闘士にとって必要の無いものだった。αに守られての愛なんかいらない。アテナの加護をとうに裏切っている自分には、巨蟹宮のデスマスクには愛など必要ない!戦い抜く強さが欲しかった。邪悪なサガの悪行からいつ崩壊してもおかしくない聖域で、いつかサガをも退け自らが君臨できるほどの強さが欲しかった!フェロモンなんかで狂わせるのではない。力で、俺の実力で!!なのに、これでは…一人で生きていく事すら…

 教皇宮へ向かっていたシュラは不意にコスモの強い歪みを感じ足を止めた。巨蟹宮へ引き返そうかと思ったが、やがて薬が効いてきたのか落ち着いていったので再び上を目指した。
「可哀想…か」
一言呟いたシュラは言葉に似合わず軽く微笑んでいた。サガやアフロディーテに、デスマスクがおそらくΩである旨を早く知らせたいと思っていた。再検査の結果が楽しみだった。自分のではない、デスマスクのものが。
こんなこと…絶対に言えないが、シュラはデスマスクがΩであった事を心の底で嬉しく思っていた。

ーつづくー

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2023
12,08
 第二の性の検査結果を聞いてから一年、三人の様子は以前と変わる事なく月日が流れていた。来年には年下の黄金聖闘士たちも12、3歳を迎えるため全員の検査結果が出ることになる。サガの提案ではその時まで何事もなければ三人も同じタイミングで再検査を受けようという話になっていた。

 ある日聖域からほとんど外に出ないシュラが珍しく最も近い下界のロドリオ村へ来た。外に出た目的は無かったが、とても気持ち良く晴れた日だったので何となく出掛けてみたくなり聖域を抜け出した。途中、巨蟹宮を通るがデスマスクも不在のようだった。村の中を一通り歩いたあと本屋の前で立ち止まる。目についたのは格闘雑誌などではなく、性問題についての最新情報がまとめられた本だった。
この一年間、ふと思い立っては聖域内の蔵書をあさりΩについての記述を探した。βやαについては興味が湧かなかった。聖域にある本は真面目な論文ばかりなうえ少し情報が古い。本屋にある発行されたばかりの本は専門誌と言うより大衆向けの砕けた内容であったが、それがリアルで新鮮に思えた。
少しパラパラめくるだけのつもりがつい5分10分と目を通してしまい、止まらない。タダ読みは申し訳ない…買うべきかと本を手にして振り返った時、思いもよらない人物と目が合った。
「まじ?」
シュラが手にしていた本を見て、直ぐ後ろにいたらしいデスマスクが目を丸くしていた。

 「お前全然気にしてねぇと思ってたんだけどよぉ…まぁそうだよな。βよりαの方が良いよな」
聖域への帰り道、本を買い終えたシュラを見て何を思ったのかデスマスクが気遣うように喋り出した。
「いやでもよ、気にすること無ぇって。お前次はα出るって」
デスマスクはシュラがβを気にして第二の性に関する本を買ったと思っているようだが、シュラの感心はΩにしか無かった。しかしそれを訂正することはしなかった。
「まぁもし本当にβだったとしても今の生活が変わるわけじゃねぇし、Ωみたいに悩む事は無ぇって」
ハハハっとデスマスクは笑う。デスマスクの様子は確かに以前と変わっていない。ただ、この1年の間にデスマスクは後ろ髪を切らなくなった。そういう髪型にしているだけだと思えれば良かったが、シュラはデスマスクが首を隠した意味に気付いてしまった気がしてその僅かな変化に何も言えなかった。
やはり、なんて繊細な奴なんだろう…と伸ばしたえりあしを眺め、心の奥底でまた何かが疼いては直ぐに消えた。

スッとデスマスクの視線が路面店のショーウィンドウを見る。何を気にしたのかとシュラもつられて見てみると、そこにはΩ用の保護首輪を着けたマネキンが立っていた。TVや雑誌でしか見たことのなかったΩの姿。それが例えマネキンであろうとも実際に目の当たりにするのは初めてだった。ここに展示されているという事はこの小さなロドリオ村にもΩがいるのだろうか。
「……おい、あんま見んなよ。買うのか?」
デスマスクに言われてシュラは引き戻された。
「……ハァ、ま、正直に言えばオレも気にしちまうんだよ。すげぇ悔しいけど……」
伏目がちに、素直にそんな事を告げられると普段と違う雰囲気に少し調子が狂う。
「…それは仕方ないだろう、俺たちの前では無理に振る舞う必要もない。来年には笑い話になるだろ?」
「そうなりゃいいけどな」
デスマスクにしては威勢の良くない返事だった。

ーつづくー

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2023
12,08
 この世には肉体による男女の性別のほかにαβΩという第二の性が存在していた。生まれた時には血液型と同じく正確な判定が出ないことが多いため、国や人種によって差はあるが公的機関で検査をする場合は12歳を過ぎて行う事が多い。第二の性を無視する国もあったが聖域はとても狭い特別地区であり、Ω争奪戦によるα同士のくだらない内部崩壊の可能性を考えると第二の性については無視しきれなかった。とは言え選ばれし聖闘士となる者の98%以上は体格、才能共に最も恵まれるとされるα判定を受ける。聖闘士でβ判定が出る者は少数いるがΩ判定が出た報告はここ数十年無い。せいぜい雑務をこなす聖域関係者くらいだ。世界的にみてもΩの出現は希少であり、それ故にΩを求めてα同士が起こす事件が一般世間では度々報じられていた。検査は「念のため」程度のもので全員がαであることを確認するだけだと思っていた。それが黄金聖闘士であればα以外考えられないというほどに。今年12歳を迎えたアフロディーテと13歳になっていたシュラ、デスマスクの検索結果が今日報告される。

 教皇宮の中にある、現在はサガが使用している私室に三人は黄金聖衣を着用せず軽装で集まっていた。
「これは酷い誤判定だな」
デスマスクは自分の検査結果に目を通したあと紙を折り畳み、右側に立つシュラの検査結果を覗き込んでそう呟いた。
「何?シュラはαではなかったのか?」
二人の様子を見てアフロディーテが訪ねた。
「βだってよ、黄金聖闘士のくせに?」
と言いながらデスマスクはシュラの上腕を掴んで揉む。武闘派の黄金聖闘士として何の文句もない体つきは本人の努力ももちろんあるが、聖闘士になる宿命だとかα性による優遇も含めて存在しているものだと思っていた。それはシュラに限らず聖闘士に選ばれる者全てがそうであると思っていた。
「まだ検査が早かったのか?私のα判定も不安だな…」
シュラの結果を聞いたアフロディーテが呟くと、静かに見ていた清らかなサガが口を開いた。
「今回の結果は私も気になっている。シュラのβだけならばそういう事もあるかもしれないが…」
不意に紙がクシャっと潰れる音が響いた。
「デスマスクのΩ判定もとなると黄金では前例が無く、聖戦へ向けての準備や対策も変えていかなくてはならない」
「Ω…?」
シュラとアフロディーテが視線を隣のデスマスクへ向けると、彼は黙って床を見つめ検査結果の紙を握り潰していた。

 「15歳になっても兆候が無ければ全員もう一度検査をしてみよう、もし体に異変を感じたら医師を呼ぶので直ぐに知らせてくれ」
サガにそう提案され教皇宮から出た帰り道もデスマスクは黙っていた。
三人は聖域で出会ってから五年ほどの付き合いになる。普段はふてぶてしく憎たらしい物言いをするデスマスクが、意外と傷付きやすく繊細な男である事はシュラもアフロディーテも気付いていた。何かあればすぐに聖域から姿をくらまし、誰も辿り着けない黄泉比良坂の地で一人過ごしている。文句を垂れたり笑い飛ばさない時のデスマスクは厄介である。適当にニヤニヤしてくれている方がいくら腹立たしい事を吐いてこようが付き合い方は楽だった。
特にシュラは言葉を選んで話す事が苦手であったため、普段からデスマスクに対して自分から話し掛けることは少なかった。何がこの男の地雷になるかわからなかったし、表向きはカラッとしているようでどこか陰湿な雰囲気も感じていたため根に持たれるのも嫌だと考えていた。だから、双魚宮に着くまでアフロディーテは何か喋りたそうにしていたが結局3人とも無言のまま歩いて来た。

 「休憩していくか?」
双魚宮に着くなり、この時を待っていた!という勢いでアフロディーテが声を上げた。デスマスクとシュラは立ち止まり、シュラはデスマスクを見た。彼は少し俯いたままで、手にしている検索結果の紙は小さく握り潰され丸いボールになっている。シュラはなぜか無性にそれが面白く思えてつい声をかけた。
「お前それ落とすなよ、拾った奴が可哀想だからな」
「うるせぇ」
「何なら俺が限界まで刻んでやろうか?」
善意で言ったつもりだったがデスマスクの気に障ったらしく無言で一発殴りかかられた…のを避けた。この、どこか噛み合わない感じが2人の関係に一定の距離感を与えている。一撃を避けたのがまた悪かったのだろう、空振りした腕をゆっくり戻してデスマスクはそのまま帰ろうと歩き出してしまった。
「シュラァ〜!」
アフロディーテに何してるんだ!という顔で怒られる。彼は3人で話がしたいのだ。シュラは口を曲げてから軽く走ってデスマスクを捕まえた。
「すまん、アフロに付き合ってくれ」
返事も返さないしこちらを見ようとはしなかったが、掴んだ腕を引っ張ればついてくるのでそのまま双魚宮の私室にデスマスクを連れ込んだ。

 αは優秀、βは凡人、Ωは生産機、だなんて誰が言い出した事か。
「俺はβのままかもしれないが、お前は誤判定だろう」
「そうさ、デスはαの最上位である黄金聖闘士になっているのだぞ」
双魚宮の居間にある丸い机を囲んでソファーに座った三人は、お菓子を食べながら第二の性に対する文句を繰り返していた。
「なぁ、いつまでもソレ握ってないで机にでも置け」
シュラはデスマスクの手のひらを開かせて小さく潰された検査結果の紙を机に置く。
「お前が落とすなっつったんだろ」
「ここなら問題無いだろ?また帰る時に握り締めていけ」
その言葉を無視してデスマスクは机に置かれた紙のボールを取り戻し、丁寧に開き始めた。改めて自分で見返してからそれを机の真ん中で広げて見せる。
「6月24日生まれ、男性、A型、Ω…」
デスマスクは呟き、シュラとアフロディーテは検査結果を静かに覗き込んだ。Ωの特徴は男性でも妊娠可能であること、しかしそれは女聖闘士も同じだ。
「問題は、発情期というものが定期的にくること…」
シュラがチラ、とデスマスクを見れば一瞬眉を寄せ不安そうな表情を見せかけたが、直ぐに鋭い視線で見返してきた。そしてグッシャグシャに波打っている検査結果の紙を差し出した。
「斬っていいぞ」
「は?」
シュラの間抜けな声にデスマスクが声を荒げる。
「"は?"じゃねぇーよ!お前が斬り刻んでやろうか?とかドヤって言ってきたんだろうがぁ!!」
あぁ…いいのか?とシュラは差し出された検索結果の紙を受け取った。
「せっかくだから派手にやってくれ!」
そう言いながらデスマスクはソファーにどっかりと沈み、いつもの悪い顔でシュラを見上げた。その顔を見たシュラはニヤリと笑って見せ「試してみたい事があったんだ」と検索結果の紙を宙に浮かせれば光の速さで右手を振るい始めた。いつもの一振りではない、どれだけ腕が回るのだと光速も見切れるデスマスクとアフロディーテが荒技に感心して眺めれば、一瞬にして紙は机の上に粉々に散った。みじん切りでもない、まさに粉と化していた。
「へぇ〜…すげぇじゃん」
デスマスクが残骸を指でつつく。
「これでプライバシーは守られるだろう」
再びニヤリと笑ったシュラはソファーに戻り、小さな焼き菓子がたくさん入った袋を開けて一つ口へ放り込んだ。
「やっぱよぉ…」
デスマスクが呟きながら手を出してきたのでシュラはその手の上に焼き菓子を乗せてやる。
「お前も絶対にβじゃなくてαだろ」
「そう思ってくれるか」
「今回ぜってぇ向こうが何かミスしたとしか思えねぇ!」
急に元気を取り戻したデスマスクは手のひらに置かれた焼き菓子を食べる前に勢い余って握り潰していた。ゆっくり手のひらを開いて、その残骸を真顔で見つめる様を見たシュラは「漫画かよ」と軽く笑ってもう一つ、焼き菓子をデスマスクに差し出してやった。

 その日シュラは予定があると言って先に双魚宮を出た。デスマスクとアフロディーテは仲が良い。調子を取り戻したようなので二人で話した方がきっとデスマスクにとっても良いことだろうと思った。先に聖域でデスマスクと合流したのはシュラであったが、なんとなくデスマスクに距離を取られていた。シュラも無理に仲良くしたいとは思わなかったしそもそもデスマスクはあまり聖域にいなかったため、同じ歳の黄金同士ではあったが上辺の関係が続いていた。年上の黄金聖闘士にも同い年の二人組がいたが、彼らのように互いを気遣い合い尊敬し合える仲にはなれそうもなかった。
アフロディーテは誰に対しても隔てなく接してくれる。デスマスクの方がアフロディーテを気に入ってよく一緒にいるようだった。シュラは自分と何が違うのか全くわからなかったが、特に気にすることは無かった。

 同じ年頃の三人で集まる機会が増えたのは10歳の頃にサガが事件を起こしてからだ。すでにαの判定も出ていたサガは黄金聖闘士としてもαとしても聖域最強クラスと言われている。普段の清らかなサガであれば無闇に力を振るう事もなく頼もしい存在であるだけなのだが、彼の内にはもう一人邪悪なサガが存在していた。突如表に現れた邪悪なサガは前聖戦を生き抜いてきた教皇を私欲のために暗殺し、降臨したばかりのアテナを守るため連れ去った仲間のアイオロスを殺そうとした。アイオロスとはまさにサガと同い年同士の黄金聖闘士で、側から見れば二人とも信頼し合えていたように見えたのだが、こんな簡単に関係が崩れてしまうものなのかと周りは考えさせられた。
サガは初め、アイオロス殺害にデスマスクを向かわせようとしたが間が悪く黄泉比良坂へ潜っていたため不在だった。結局シュラに追撃とアテナ奪還を命令し、自身は手を下さず、やがて清らかな心を取り戻した頃にアイオロスとアテナ行方不明の報を受けた。突然教皇の仮面を外し悲嘆に暮れるサガを見て、ずっとそこにいるのは教皇シオンであると思っていたシュラとアフロディーテは状況が飲み込めなかった。しばらくしてやっと教皇宮に現れたデスマスクは二人から「何をしていた!」「どこにいたんだ!」と浴びせられる非難の声を無視してサガの目の前まで行き、見下しながら「シオン様が殺された」と低い声で告げた。
デスマスクはたまたま滞在していた黄泉比良坂でサガに殺された教皇シオンを見つけ、話を聞き、シオンを現世へと連れ帰ろうとしたが戻れる肉体が無いからと見送っていた。教皇シオンはデスマスクにとって聖域で最も信頼していた大人であり、おそらく一人で泣き腫らしたのであろう目元は赤く、瞳は潤んでいた。
こうして一人の仲間の暴走により聖域に取り残された三人はまだ第二の性すら定まっていない子どもであったにもかかわらず、年長者を失った聖域の今後を黄金聖闘士として背負わされる事になったのである。サガのこともあり一人での判断は危ういと、何かあれば必ず三人で話し合う事を約束した。

 それからシュラは事件前よりもデスマスクに会う機会は増えたがアフロディーテとデスマスクのような仲になる事は無かった。ただ用事で話をする機会が増えて、案外真面目だなとか表裏のある奴だということは見えてきた。
今回デスマスクにΩ判定が出た事が気にならないわけではない。自分にβ判定が出た事よりも重大な問題だと思った。シュラの家族は全員βであったし自分がαでもβでも黄金としての実力が衰えるわけではないのならどちらでも良かった。絶対にαでいたいというプライドは無く、今黄金聖闘士である事が全てだと思っていた。だがこれがΩであるならば話は違ってくる。今までの生活習慣全てを見直さなくてはならない事態だ。聖域に来るまでの間にもΩだという者はTVや雑誌くらいでしか見たことがない。
こんなこと…とても言えないが、デスマスクがΩだったら…
という好奇心がシュラの心の奥底で静かに疼いてすぐに消えた。やはりあいつにはαであってほしい。Ωなんてこれ以上聖域の問題が増えるのは困る。
磨羯宮に到着し、私室に戻ったシュラは第二の性について詳しく書かれた冊子を引き出しから見つけソファーに寝そべった。目次から最初に捲ったのはΩの頁だった。

ーつづくー

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2023
12,08
まだまだ完成はしていませんけどもオメガバ文を次から徐々に投稿していきます(゚∀゚)ノ
長くなるので適当に切っていきますが、それでもスマホの方は気合いが必要かも(`・ゝ・)
この際、好きなだけ書くか〜とだっらだらいく予定。本編は全年齢向けで書きますが、追加したくなったらpixivでR18を足します。
語彙の限界で相変わらず細かい背景描写が無い…何かやっぱ漫画で想像してしまうので脳内背景を文字にする概念が抜けている。せめて小学生向け文庫本くらいのわかりやすさが欲しいけど逆にそういうのも難しいっていう。最終的に(pixiv投稿時)色々修正される見込みです。

走り書きの時、序盤はシュラがΩデスマスクに全く興味無い風に書いてましたが、最初からジワジワ執着してる感じに変わってます。
デスマスクがΩ堕ちして嬉しい(ワラ(*・ゝ・)みたいなヤバ感。本人も自覚していない「あのデスマスクがΩ(笑)」っていう最低な愉快感と「コイツを俺のΩにするんだ」っていう太古からの執着。βに擬態して生まれてくるという遺伝子レベルで狡猾な追っかけストーカー。この無自覚なヤバさがαメーター突き破って最終的に「俺のデスマスク可愛い」の一言で解決する…と思います…。多分。そういう愛情。

デスマスク本人はシュラがヤバかろうが、何があっても自分を溺愛してくれる様に快感を得ているので問題ないです(・ゝ・)b…そう、手遅れです…

自分が星矢ハマりたてでまだ山羊蟹でもない頃から「デスマスクよりシュラがヤバい(人間的に)」と言っていたのが今でも貫かれていることに感心します。私はシュラを何だと思ってるんだ。

ドヤ✌︎(・ゝ・)✌︎<半殺しにした男よ‼︎
ドヤ(σ・ゞ・)σ<今すぐ首を落として楽にしてやる
ドヤ☝︎(・ゝ・)☝︎<そうら そうら そうら

いや、やっぱヤバい…もうミリも言い逃れできないレベルで完全に悪役の台詞(笑)「そうら」で煽ってくるのジワる(笑)
これでいて3人の中では1番まともそうに死ぬから、世渡り上手と言うか周りに悪いイメージを持たせない才能みたいなのは感じる。デスとアフロだけはそんなシュラを感性がズレてて変な奴だと見抜きながらもフォローしてくれる。感性がおかしいから、デスはシュラに惚れられる…

クク…(・ゞ・)σ≡σ(;´Д` )ぴぃ…ぴっ…ぴぃぃ…
「そうらココが良いのか?ココか?ココかぁ?

こんなシュラでも同人ではスーパーダーリンとして輝けるのです(・ゝ・)ドヤ

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