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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
06,04
※今回いわゆる「本番」シーンがありますが全年齢ブログのためカットしています。ゆえに番になる瞬間の描写がありません。完結後pixivへ投稿する際に追加します。
ーーーーーーーーーー

「クク、おまえカシコイなぁ!この部屋なんでも揃ってるぜ」
 蕩けた顔のデスマスクは腕を伸ばしてシュラの頭を抱き、グッと首元へ引き寄せた。その行動はαにフェロモンを嗅がせ理性を破壊しようとするΩの本能なのか。強く感じる爽やかな甘い香りにシュラは堪らず首筋を何度も舐めた。それだけでデスマスクは喘ぎ、身を捩り、シュラの頭を撫でてもっと、もっととせがむ。
「ハァ…きもちい、くび、舐めて…。すげぇ、もぅ…んんっ…!」
 匂いも、声も、動きも全てがシュラを操ってくるようで、とにかくこの愛おしいΩを悦ばせたいと求められるまま舐めた。こんなの止められるはずがない。これがΩの恐ろしさなのか?デスマスクへの愛なのか?わからない。初めて味わうαの愛の衝動。ただ間違いなく今デスマスクは自分の腕の中に在り、奪おうとする敵もおらず、あぁ思う存分に愛してやれる!これはオレのもの!そう、もう何の迷いもいらない。オレのものにできる。愛して、愛して、オレをこの体に覚えさせて噛んでしまえばいい!できる、それが、遂に、今なら!
 首筋から顎を、耳を、頬を舐めながらデスマスクの服を探った。かぶりのシャツはいちいち脱がせるのが煩わしい。早くこの体も気持ちよくさせてやりたいとシュラは軽く空気を斬った。切り裂かれたデスマスクのシャツは手で払うだけでスルスルと落ちていく。触れたことのある肌はこんなにも触り心地が良かっただろうか?温かくて、張りがあって、その気持ち良さに撫でさする手は止まらず下へと伸びていく。もっと柔らかく気持ちの良い場所があることを知っている。下着の中へ手を差し込み、触れた肌の柔らかさに震え、筋をなぞりながら中指を谷の中へと埋めていく。挟まれた指が温かくて気持ちいい。指を少し前後に動かすとデスマスクから戸惑うような喘ぎが漏れ、頭を抱く腕に力がこもった。
 愛おしい、可愛い、オレの恋人…
 シュラの舌はデスマスクの唇をなぞり、重ね合わせ、デスマスクはすぐに受け入れた。恥じらいなくお互い何度も舌先を触れ合わせ、滑る感触に気持ちが高まっていく。気持ちいい。どれだけ重ね合わせても絡ませても足りない。ここだけじゃ足りない!
「シュラァッ、ぬぎたい…下も斬っていいから、早く裸にしてくれよぉ!」
 甘えた声が言い終わる前にデスマスクの服は全て切り裂かれた。すぐ脚がシュラの腰に絡み付き、布切れがすり落ちていく。
「きもちいぃが、もぉツラい…薬飲んでねぇんだよ。早く挿れてくれ、一度楽になりたいっ、挿れて、ぐちゃぐちゃになりたいっ!」
「…ぐちゃぐちゃ…?」
 その言葉にシュラは動きを止めた。ぐちゃぐちゃにしてやりたい疼きも衝動もあるのに、急に心臓を強く掴まれるような苦しさに襲われた。
「オレ黄金だし、壊れねぇって。だいじょうぶだって。はやく訳わかんねぇくらい気持ちよくしてくれよぉ」
 シュラを抱き締めて、今度はデスマスクがαの匂いを嗅ぎながら首筋を猫のように小さく何度も舐めてくる。
「いや、ちょっと、待て…」
「なに…まだそんなコト言えんの…?足りないのか?おまえ…気持ち良くない?」
 突然、理性を取り戻したシュラの姿に眉を寄せ、困り顔で見上げてくる。その表情とは裏腹に、残された理性を叩き壊してやろうとフェロモンが濃くなった。なぜ足りないんだと訴えかけてくる様は、シュラがβだった頃に見せてきた姿と同じで。
「すまん、ちょっと、待ってくれ…」
 デスマスクは誰にも渡さない、オレのものだ。番にしてオレだけのものにするんだ…。
 ――そうしたい、そうするつもりであるのに胸が苦しい。何だこれは、誰がオレを止める?βか?βだった、オレの心か…?
「しゅらっ、なぁ、おまえもう我慢しなくていいんだよぉ!こんな時に迷うなよぉ!」
 デスマスクの舌がシュラの口元を舐め、ちゅっちゅとキスを繰り返す。開けろ、キスを返してくれ、と必死にシュラを誘う。
「…ん…デス…」
 キスを返してなだめるが、水を差すように頭の片隅で警鐘が響く。このまま奪ってしまうのは嫌っていたαの本性と何も変わらないぞと、深淵に呑み込まれ死んだβが恨めしそうに叫ぶ。デスマスクを大切にするとはどういう事か、番になるとはどういう事か忘れてしまったのかと。そんなこともうどうだって良いと思うのに、αになり切れていないシュラは自分の衝動とは裏腹に喉が震え、声をこぼした。
「…すまん、やはり今、番になるのはやめた方がよくないか…」
「はぁ?!ここまできてなに言ってんだよ!いやだ、早くおまえと番になりたい、がまんできねぇ!」
「…俺たちは聖闘士だ。番になって、もし俺が先に死ぬような事があれば…」
 番を失ったお前はどうなってしまう?直ぐに後を追うとしても失った事実、耐え難い悲しみをお前に与えてしまうのか。
「死ぬかよ!おまえ死なねぇだろ!そんな弱くねぇだろうが!」
「でもわからないだろ?!神をも相手にするんだぞ!」
「だったら余計にオレを番にしろ!絶対に死ねなくなるだろうが!オレを残して、おまえだけなんてっ!」
 デスマスクの右手がシュラの腹部に伸び、誤魔化せない熱に触れた。
「正直、もう死ぬとか死なないとか関係無ぇんだよ…番にしてくれ、おまえがαであるなら早くオレを縛ってくれ…。辛いんだ、発情期とかαに惑わされるとか…全部おまえだけで満たされるようにオレの体を作り変えてくれよ…それはもうおまえにしかできねぇんだよ…!なぁ、本当におまえが先に死にやがってオレが一人残る事になってもよ、おまえの事ばかり考え続けて狂って死ぬならそれで良いって思えるんだよ!どれだけ寂しくて飢えてもおまえの事で頭がいっぱいになれるならそれでいいんだ、だから早く!オレを助けろって言ってんだ!」
 涙ながらにシュラの服を脱がそうと、両手を伸ばしてズリ下げていく。上手くできなくて苛立ち、唇を噛んでシュラの腰を叩いた。
「オレはずっと、おまえはαだと思っていた。初めてバース判定した時からそう信じていた。全然αに変異しなくて本当にβなのかって思った時、悔しくて悲しかったんだ。それってもうその頃からおまえの事好きだったって事だろ?何故かなんてわかんねぇよ!おまえに惹かれる要素なんて無かったし。でも好きなんだ!他の奴らじゃ嫌なんだ、おまえがいい。ずっとおまえといたい。おまえがαになったのならなおさら、他の知らねぇΩに取られたくねぇよ!だからオレしか知らないうちにさっさと番にしろ!こんなに好きだからいいだろ!つらいんだ、はやくしろばかやろう!」
「っ…?!ぐ…デス…っ」
 限界を超えたデスマスクは息を荒くして下げた服の隙間からシュラの熱を引き出し、手の中で自身のものと擦り合わせ始めた。体格に似合わず幼いデスマスクの熱は既に弾けていて、甘く香る粘液が二人の芯を包み込むと僅かに残された理性はどろどろに溶かされていく。
――おまえがオレを愛しているのはちゃんと知ってるから、それでいいんだよ。悲劇なんて何度も超えてきた。どうせまた突き落とされるのなら、今我慢する方がもったいねぇだろ――
「しゅらぁ…オレをつがいに、できるよな?」
 歪ませた口元は悪童のようなのに、ふにゃんと笑う目元は潤んで艶やかで。シュラの下で大きく体を開き、硬くなった熱を入り口まで導いていく。βの愛は忘れねぇよと愛し続けたシュラに別れを告げ、ずっと求めていたαのシュラを誘う。オレのからだ、準備いらねぇから…と囁く言葉が、部屋に満ちる爽やかな甘い香りが、麻薬のように効いて…いつの間にか胸の苦しさも危機感も消えていた。デスマスクの覚悟は聞いた、それで十分だろ?βよ…。
――こんなにもオレを求めるこいつを、早く愛してやらないと。これ以上我慢させたくない。何でもしてやりたい――
「優しくできなくても、許せよ…」
「ククッ…うれしすぎるぜ…」
窓の外、燃えるように赤い夕焼けがカーテンの隙間から溢れていた。
太陽が、落ちていく。

ーーー

*****

ーーー

 手で強く顎を抑えられ、首筋が突っ張る。そこに強い視線を感じる。シュラのフェロモンが増して麻酔のように染み込んだ。――もう、逃げられない。
「…永遠に、愛すると誓おう…」
 低く響いた声すら肌を舐めるようで気持ちいい。溢れる涙に視界がぼやける。揺れ続ける腰は快感を止めることなく、シュラの髪がファサッと頬に触れたと同時に鋭い痛みが体を貫いた。

――暗い。真っ暗で、茂る木々の葉が空を覆って星も見えない。痛い、首が痛くて動かせない。誰かが必死で舐めているけど、あぁ…止まらないんだ…おれの血が…。だって、おれ、Ωじゃねぇもんな。αだもんな。薬飲んで、誤魔化しても、Ωにはなれない。Ωになりたいわけではなかった。ただ、お前がαだったから…。αはΩとしか結ばれないって言うから。周りが、世界が、神がそう言うから。そんなの、気持ちの問題だなんて思ってもフェロモンが、遺伝子が否定してくるから。だからもうこうするしか無かったんだよ…。どうせ死ぬのなら、結ばれて死にたい。このαが愛した男はΩではなくおれであったのだと。こいつにも、おれの体にも、周りにも世界にも神にも!…わからせて、やりたかった…。あぁ…お前はそんな顔しなくていいんだよ、おれ嫌じゃねぇよ、おれがお前に頼んだんだから。もう舐めなくてもいいって。口元の血ぃ拭えよ。おれのカッコイイ顔もっと見ててくれよ。嬉しいぜ、お前がシてくれて。願いを叶えてくれて。わかるか?おれ笑えてる?口ももう上手く動かせねぇんだ。…あぁ、勝ちたい…いつか神をも超えてみせたい。全てを見返す力が欲しい。おれと、お前を守るだけの…。お前を手に入れるだけの…。力を…手に入れて…共に、また…――

「…デス…ちゅ、デス…かわいい、ちゅ…」
 優しく名前を呼ばれながら首筋を何度も舐められるのが心地良くて、うっすら瞼を持ち上げては閉じるをしばらく繰り返していた。
――生きてる、な…――
 首に痛みは感じるものの絶え間なくケアされて苦痛ではない。下腹部の中にはまだシュラを感じる。結ばれたままだ。抱き締め続けるシュラの肌は温かく、いい匂い。時折胸先にも軽く触れられて、とにかく全身気持ち良くてなんで溶けてしまわないのだろうとぼんやり思う。
「…あ、オレのケツ…壊れてねぇ…?」
 シュラが噛む直前、自分の腰はもうどろどろに溶けていたように感じた。モゾっと動いて尻に触れてみるがちゃんと丸く残っているし、シュラと結ばれている部分もぐちゃぐちゃにはなっていない。しっかり締め付けている。
「…おい、目覚めた最初がケツの心配か」
 晴れて番となった第一声がロマンチックとは程遠い発言で、シュラはため息をついた。
「だってよ、めちゃわけわかんなくて凄かったんだぞ?お前だって俺の尻ぶち破ってないか心配にならなかったのか?」
「俺はもうαだからな、βのような気遣いはできないぞ」
「…いや、それでいいけどよぉ…」
 αになれ、オレは壊れないと豪語していた手前、勢いを無くしたデスマスクの首筋をシュラは軽く笑いながらそっと指で触れた。
「クク、とは言え俺もまだαになり切れていない部分はある。嫌ではなかったか?酷いことしていなかったか?」
「はぁ?大丈夫だよ、悦いコトしかしてくれてねぇよ」
 そう言って擦り寄るデスマスクに、そうか、と呟いてシュラはもう一度噛み跡を舐めた。
「首の痛みは?血は止まったようだ」
「ジンジンするが…言うほどではない。寧ろ嬉しくてジンジンするのかもしれん」
 デスマスクもそっと手で触れてみる。小さく皮膚が抉られた場所を探し当て、微笑みが溢れた。
――これが、Ωの体…――
「これで、俺のフェロモンはお前にしか届かない…」
「お前も俺のフェロモンしか感じ取れない」
 何度も噛み跡に触れながら呟かれた言葉にシュラが返した。
「ハハッ…手に入った…遂に、番になって…もう誰も俺らの邪魔はさせねぇ…!」
 笑いながら涙が溢れるデスマスクを抱き締めて、シュラもじんわりと目頭が熱くなった。

 遂に、報われた。途方もなく永い間引き離されていたように感じる。デスマスクとは出会って10数年、気持ちを交えたのはここ数年のことなのに、もっと昔から知っていたと思う。体を一つに結んでより強くそう感じた。失われていたものが取り戻された安心感。そして二度と手放したくないと感じる独占欲。自分からだけではなく、デスマスクからもそれは感じられる。自分たちは誰の邪魔も許さない、全てに於いて結ばれた存在に間違いない。神に引き裂かれ、打ち壊されようともこうして二人は必ずシュラとデスマスクに辿り着くのだ。これは神も予期していなかった強い運命なのかもしれない。ならば今度こそ、果たせるだろうか?デスマスクと笑い合って生涯を終えることが…。

「デス、発情期はまだ辛いか?」
「ん?…ヤりまくって噛んでもらったしな…薬飲んでねぇけど、落ち着いてるな…」
「何がしたい?何か食べるか?」
「えぇ?…なにってよぉ…お前、コレぶっ挿したままで何言ってんだよ…」
 そう言うとデスマスクは腰をシュラに押し付けるように揺らしてみせる。
「αサマならまだ余裕だろ?俺も落ち着いたし…今度はゆったり抱いてくんねぇ?」
 以前はシュラを誘おうと必死に色気を出しているようだったが、番となった余裕からかデスマスクに素の可愛さが戻ったように思えた。媚びるような声も軽くなって耳に馴染む。部屋に満ちるΩのフェロモンは想像していたような甘ったるいものではない。柑橘系の爽やかな甘い香りは体にスッと溶け込んで、いつまでも嗅いでいられる。海をバックに笑うイタリア男にピッタリだなと納得した。今までコレを自分だけが知らなかったというのはジリジリと妬けるが、これからこの香りは自分だけのもの…。
「そうだな、俺もやってみたいことが色々ある」
「へ?…お前ってさ、元々スケベだったのか?そんな急に変われるもんなのか?」
「さあ?まぁ知らないことが多いからな、こことかこことかどうなるか見てみたい。後ろからも試してみるか?」
 そう告げながら指先で肌を弾いていく。デスマスクはその感触にピクン、と身を縮ませてから力を抜いて、シュラの手に自身の手を重ねた。
「…ぜんぶ、いい…けどぉっ…。おれもやってみたいことあるから、調子ノリすぎんなよ?」
「クク、それができるだけの体力が残っていればな、な」
 シュラに押し倒されて、聖剣を放つ手が、指先が肌を優しく滑っていく。部屋で一人シュラを想わなくてもここにいる。もう「だめ」だなんて言われない。求めれば与えられる。辛い発情が薬も無く癒やされていく。願っていた全てが今、ここにある。
 デスマスクは喜んで何もかもをシュラに捧げ、満たされた幸福に溺れ続けた。

ーつづくー

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2024
05,23
 最後にもう一度、とシュラに迫ってみたが呆気なく失敗した。しかしシュラは誘惑しようとするデスマスクに緊急抑制剤を使おうとはしなかった。目的は果たせなかったし思い通りになってくれようともしない。でも薬を使わず抱き締めてくれただけで、昔よりも受け入れられたという事が嬉しく思える。
――これはオレがチョロい、って言うのか…――
 今回はこれで気持ちが鎮まっていったものの、きっと直ぐにまたシュラを求めてしまうだろう。Ωである事と、自身の心が好きな人を求めずにはいられない。Ωに負けると誰彼構わず抱かれに出てしまう恐ろしさは残るが、大丈夫だ。シュラが食い止めてくれる。ずっと見ていてくれるはずだから。
 あれから普段通り過ごし発情期を終えたデスマスクは、巨蟹宮にある私室のソファーでシュラの上着を4着抱きながら朝食のパンを食べていた。聖域に戻って来た夜は以前デスマスクがごねたためシュラも巨蟹宮に泊まり、翌朝知らぬ間に磨羯宮へ戻っていく。デスマスクが起きた時、枕元にシュラの上着が追加されていた。直接渡せばいいと思うが最近は寝ている間に追加されている。
――こうやってサービスも良くなったし――
 番がいなくても頑張れる…。そう言い聞かせ、食事を終えたデスマスクは早速仕事への準備を始めた。

 発情期が終わり巨蟹宮で一夜を過ごした後、朝早くにシュラは磨羯宮を目指して十二宮の階段を上っていた。こんな早朝、任務へ向かうか帰る者くらいしか外に出ていないだろうと思い、デスマスクに上着を与えたシュラは上半身裸に小さなボストンバッグという不審な姿になっていた。
「ちょっと…どういう状況でそうなったのか興味が湧いて仕方ないのだが、聞いていいか?」
急なカーブを抜けると、半笑いの震えた声がシュラにかかる。黄金聖衣を着たアフロディーテが岩に手をついて立っていた。
「…今から仕事か」
「あぁ。で、君は仕事帰りでそれか?慌てて服を着忘れた…というワケではないだろう。そこまで鈍いとは思いたくない」
「服ぐらいどうでもいいだろ」
「いや良くないだろう!どうせ巨蟹宮にいただろうし、私ではなくサガに遭遇していたらどう言うつもりだったのだ?ここにきて気が抜けていないか?」
 サガの名前を出されて言い返す言葉が出なかったシュラはそのままアフロディーテの横を通り過ぎようとした。
「あ、待ってくれ。ちゃんと真面目な話があるのだ」
 通過しようとするシュラの腕を掴み岩陰まで寄せると、アフロディーテは辺りを見渡してから声を低めて話し始める。
「君たちがいない間、サガに聞かれたのだ。デスマスクに好きな相手がいるのではないかと。α以外でな」
「…俺は知らない」
「君に聞いてない。私が聞かれた話だ。まぁ、αとΩになってからは疎遠気味なのでわかりませんと言っておいたぞ」
「そうか…。俺もとっくに聞かれていたが、あいつの本心はわかりにくいからな」
「フッ…そんな格好で巨蟹宮から出てきてよく言うよ」
 アフロディーテの呆れた笑いに対してもシュラは表情を崩さなかった。
「なぜ服を着ていない?聖域で堂々と朝帰り、もうそこまで関係が進んでしまっているのか?だとしても服は着るよな」
 アフロディーテも理由くらい知っていてあえて聞いているのか、というしつこさだ。朝帰りくらい何度もしている事だし、どうせ今さら言葉を濁したところで最初からデスマスクのシュラに対する気持ちはバレている。その逆はどこまで読んでいるのかわからないが。
「ハァ…服はあいつにくれてやった。Ωは私物を欲しがるだろ?」
「ふぅん、服を剥ぎ取るほどとは重症だな。まぁβに想いを寄せても香りは無いし、物に縋るしか無いのだろう」
 取られたわけではなく自らデスマスクに与えただけ…とは言い返さない方が良いだろうと思い、シュラはアフロディーテの思い込みを訂正しなかった。シュラなりに少しでも想いを形にしているつもりなのだ。
「それにしてもサガはデスマスクを番にでもしたいのか?そういう気持ちは無さそうに思えるが…邪悪な方の企みか?」
「サガは…邪悪な方は番にしようとしている。ハッキリ俺に言ってきた。それに備えデスマスクに幻覚をかけようとしているのだ。反抗される事も無く、デスマスクにとっても良い夢を見させてやれると…」
「…それで好きな相手を探っているのか…。無理矢理奪うより一手間掛けて大人しくさせた方がスムーズではあるが、とことん自分の事しか考えていないのだな」
 顎に手を当てて考える素振りを見せたアフロディーテは視線だけ持ち上げてシュラを見る。
「で、最終的に君はサガとやり合うのか?デスマスクを渡す気は無いのだろう?」
「あいつが拒否し続ける限りはサポートする。清らかなサガも番を持たせる事には積極的だが同意無しの関係には否定的だからな」
 アフロディーテの強い視線を正面から受けてシュラも真っ直ぐ見つめ返した。一瞬の間を置いてアフロディーテの方が瞬きをする。
「フ…私でも力になれそうならばできる限りサポートしよう。デスマスクのためにな。決して早まるなよ?αに対してどうにもならなければ私を頼れ。デスマスクだけ守り切っても意味がないのだ。君も共に残らないと」
「あぁ、あいつを一人残すような事はしない。どうせ…俺が手を下せなくとも自らついて来るだろう」
「だから!二人だけで無理はするなよ!三人でやってきたんだから!」
 わかってない!と怒るアフロディーテはシュラの目の前に三輪の薔薇を出して見せた。
 三人でやってきた。最初はそうでもなかったが、サガが問題を起こしてから聖域の事は何もかも三人だけの秘密。サガが三人を動かしているようで、三人がサガを動かしていたと言える点もある。二人だけで抱え込まず、三人で挑めば違う道が開けるかもしれない。
「…そうだな。第二の性によりバラバラになってからもお前には随分と助けられてきた。良ければこれからも面倒に付き合ってくれ」
 アフロディーテの手から薔薇を受け取ったシュラは、ニヤりと笑い掛けて再び階段を上っていった。その後ろ姿をしばらく眺めていたアフロディーテがもう一輪薔薇を出して口元に当てる。
――あんなにも鋭かったか?…シュラの歯…――
 αのような姿を見てから突然身震いしたアフロディーテは、手にしていた薔薇を勢い良く地面に突き刺してから気を取り直し、任務へ向かって行った。

ーーー

 6月下旬、デスマスクが22歳を迎える数日前。発情期に備え隠れ家へ出発するためデスマスクは巨蟹宮の私室でシュラを待っていた。
 Ωになってから毎年誕生日は発情期の真っ只中だった。ピークに重なれば部屋で一人きりとは言え、今となっては毎年聖域を出てシュラと二人で過ごしているのだから高待遇とも言える。ピークを過ぎて部屋から出てくると、いつも誕生日ケーキ代わりのつもりなのか軽いシフォンケーキやチーズスフレ、アイスケーキのようなものが用意されていた。改まって「誕生日だから」と出されるわけではない。デスマスク自身もシュラの誕生日にケーキを買うことは無い。シュラが少し家を空けてスナックを買って来る事はよくあることだが、ケーキっぽいものを買って来るのはこの6月の時だけだった。なので、きっとそういう事なのだろうと思って毎年食べている。
――来年、あいつの誕生日にケーキでも買ってやるかなぁ…――
 別に友人同士でも誕生日を祝ったりするものだろう。ショートケーキを買って、おめでとうくらい聖域で言っても怪しまれないはずだ。そうとなればシュラが好きそうなケーキ屋を探さなくてはな、と楽しくなってきた。

 しばらくイタリアにあるケーキ屋の場所を何件か思い浮かべて待っていたが、それにしてもシュラの迎えが遅い。16時くらいに行くと言っていたのにあと少しで17時だ。普段シュラが遅刻する事はあまりない。早すぎる事はあるが。午前の予定が長引いて遅れるなら連絡を寄越すタイプである。デスマスク自身はルーズなところがあるので何も考えず待っていたが、一度気になると不安が増してくる。
『おいシュラ!今日だろ?いつまで待たせるんだ!』
 シュラのコスモを探り呼び掛けてみたが返事は無い。…聖域には、いる。
――…まさか、サガが何か…?――
 不穏な空気を感じたデスマスクは慌てて巨蟹宮を飛び出し磨羯宮へ向かった。

「シュラァ!」
 磨羯宮にある私室への扉を開け放ち、大声で呼び掛けたが誰もいなかった。居間のソファー脇にはシュラの鞄が置かれている。開けてみると荷造りはされており、予定通り出発しようとしていたことが窺える。
「何してんだ…。双魚宮…いや教皇宮かっ!」
 シュラのコスモはここより上から感じられた。デスマスクは教皇宮を目指して駆け出したが、念のため双魚宮に立ち寄った。
「おいアフロォ!シュラは来ているか?!」
 双魚宮の庭にいたアフロディーテはデスマスクがかつて…Ωが判明する前の頃のように、何の気兼ねもなく自分の元へ来た事に驚いた。
「へ?デスッ…いや、シュラは来ていないが…」
 その言葉を聞いたデスマスクは舌打ちすると、また直ぐに出て行ってしまった。
「…何を急いでいる?」
 デスマスクを追うように宮内へ戻ったアフロディーテは魚座の黄金聖衣の前でふと足を止める。
「シュラが教皇宮へ向かった気配はあったが…確かに戻って来ていないかもしれないな」
 特別な人を探し慌てるデスマスクを思い返し、ため息を吐いたアフロディーテは黄金聖衣を解放した。

「クッソ!サガ!手ぇ出すなよ!絶対に…絶対に…シュラを、奪わないでくれ…っ…」
 やはりシュラは双魚宮にもいなかった。更に上に在ると。ここが十二宮でなければ一瞬で向かえるというのに。ただ走るしかないもどかしさ。いつもは遠く感じない教皇宮への道がやたら長く感じる。
 やっと見えてきた扉の前に人気は無く、強い念力で開けたデスマスクはスピードを落とすことなく中へと滑り込んだ。

ーーー

「フッ…遅かったな蟹座よ。お前はあの時も遅かった」
 サガは教皇座におらず、跪くシュラの目の前に立っていた。毛先まで髪を黒く染め、視線はシュラを見下ろしたまま。既にやり合った後なのか教皇の仮面が床に転がっている。
「シュラァ!」
 動かないシュラの元へ駆け寄ろうとしたデスマスクは途中で足を止めた。
――あ、ヤバい…だめだ…!――
 頭がぐわんと揺れる。咄嗟に息を止めたがそんなこと意味も無く…。
――αの、フェロモン…!――
 デスマスクが足を止め、その場でフラつき始めるとサガはシュラから視線を外しデスマスクを見た。その瞬間、シュラの体はαの威圧から解放されたものの床に崩れ落ち、すぐに立ち上がろうとしても力が入らない。
「山羊座に口を割らせようとしたがまぁ強情な奴だ。それともこいつは本当に知らないのか?お前の気持ちを」
 サガはシュラの元から一歩一歩デスマスクへと近付いて来る。
「や…やめろぉ…サガ…番は、嫌だってぇ…」
 動悸が強くなってきて体は熱を帯び始める。抑え込もうとしても無理矢理発情させられていくのがわかる。それが、怖い。
「嫌は知っているがαと番うのがΩの定め。そして黄金Ωのお前に相応しいのは私しかいない。どうしてもと言うのなら今であれば聞いてやろう。お前が想う奴の名を言ってみろ」
 サガが目の前に来ると遂にデスマスクは立っていられず床に膝をついた。体が熱い、ぼんやりする。コスモ…コスモなんか、燃やせない…黄金なのに、たかがαのフェロモンに負けてコスモが燃やせない!

「デスマスク!」
 掠れた叫び声と共に力を振り絞ったシュラが駆け付け、サガの目の前からデスマスクを引き剥がした。デスマスクは夢中でシュラにしがみ付き、胸元に顔を埋めて必死にシュラの匂いを嗅ごうとする。
「あつい、しゅら、いやだ、さが、いやだぁ、しゅら、しゅらがいい、しゅらがいぃ!」
「デス、喋るな…」
 デスマスクを隠すように抱き締めて頭を撫でる。シュラにもデスマスクの動悸と熱が伝わり発情させられていくのがわかる。鎮まれと願いながら抱き締め続けても熱は上がっていくばかり。
「ハハッ…やはりお前だったか山羊座よ。蟹座のこの強いフェロモン…喋らずともお前に向けられているのはわかる!クッ…蟹座の事など好きでもないのに妬けるなっ!それが腹立たしい!」
 サガが放つαの圧が増したと同時にデスマスクの体がビクンと跳ねた。シュラの胸元から顔を出し、ゆらっと首を回してαを探す。
「デスマスク!駄目だ、見るな!」
 シュラはサガを見つけてぼんやりしているデスマスクを再び抱き込もうとしたが、強い力で突っ撥ねられた。
「デス!聞け!聞こえるか?!あれはサガだ!」
「ぃやめろぉっ!」
 視線を自分に向けさせようとしたが、急に抵抗を始めたデスマスクはシュラを突き飛ばしてサガの元へ這って行く。それを捕まえようとしてもサガに睨まれて足が動かせない。
 今まで青銅、白銀、不意打ちとは言え黄金のαとやり合った経験はあった。なのにそれが全く役に立たない。聖衣を着ていないせいではない。そもそもの力が抑え込まれて発揮できない。これが黄金α最高峰の力というのか。なぜそれがこのような者に与えられてしまった?なぜ自分はβに生まれた?
 βであったからデスマスクの側にいられた。デスマスクを知り、第二性に惑わされない愛が生まれた。αから守ってやれるのは自分だけであるはずなのに、なぜβにはその力が与えられない?神はなぜそのようなことを…
 サガの足元まで来たデスマスクはそこで座り込み、シュラが見ている前で首元に手を掛ける。
――やめろ、デスマスク、駄目だ、やめてくれ…!――
 すっぽり首を覆っている保護首輪のホックを震える手で外していき、やがてパサリと床に落ちた。"教皇"に買ってもらったという金の首輪が露わになる。
――駄目だ、外すな!それだけは、デスマスク!――
 あれほど好きだと縋ってきたくせにαの前では何の力も想いも役立たないΩの弱さに苛立った。何もできないβの無力さに苛立った。これほどまでに愛しているというのに届かないのか。これほど深い二人の愛を神はまたも見捨てるのか。…許せない、自分の無力さもデスマスクの無力さも宿命も何もかも。
 噛み締めたシュラの唇に血が滲む。
 自分は本当にもう何もできないのか?αに対抗できる力は残されていないのか?瞼を閉じてみても絶望と無念さからか自身の中には暗い闇しか見えなくて、何の希望も光も見えず、全ての感情も想いも黄金の輝きまでもが真っ暗な闇の穴へと吸い込まれていくばかり。…ならばいっそ、自分もデスマスクもこの闇の中へ落ちてしまえたら…!βだからとか、デスマスクがβを望むとかもうどうでもいい!拒まれようが、例えデスマスクを傷付けようとも殺してしまおうとも誰かに渡すのだけは嫌だ!オレは必ずお前も連れて行く!
 勢い良く目を見開いたシュラの前でデスマスクは金の首輪にも手を掛け、カチ、と外してその首輪を捧げるように掲げた。顔を上げ、首を傾げ、サガに向かって微笑んだ頬に涙が煌めきながら流れていく。
――お前はもう、涙を流すことしかできないのか…いや、まだ、涙を流すことができるのか…!――
 シュラはニヤっと笑った瞬間、胸が強く打ち、何かが体を突き上げる衝撃が走った。溜め込まれていた想いの全てが深淵から解き放たれ、腹の底から低い声が轟く。

『 ヤ メ ロ オ ォ ォ ! 』

 ふ、とシュラの方を向いたデスマスクの周りで涙がキラキラと散った。と同時にデスマスクは強い力でサガから引き剥がされ、離れた場所に投げ飛ばされた。手にしていた首輪が甲高い音を響かせながら宮内を転がっていく。
「…山羊座っ…貴様…!」
 シュラは荒い息を吐きながらサガの前に立っていた。血が沸騰しているかのように体が激しく熱い、コスモが燃えるのとは違う。牙を剥き出しにして、真っ暗な瞳がサガを睨み付ける。
「デスマスクはオレのものだ、お前にも、誰にも渡せない!あれはオレのものだ!」
「クッ…それが、お前の本性かっ…」
 サガの顔は笑っているものの一歩も動こうとしない。いや、動けないというのが正しかった。
「ハハッ、そんな狂気…恐ろしいな。大切なはずのΩをも殺してしまいそうだっ!」
「デスマスクを壊すも殺すもオレの手でそれが叶うのならば構わない。ただ、絶対に誰にも渡しはしない!」
 シュラの聖剣が容赦なくサガに向かって放たれた。顔を歪ませたサガは片足を軸にユラリと身を返し直撃は免れたが、余裕があるわけではない。ギリギリ片足を動かせただけだった。聖剣は教皇宮の柱を傷付け宮内が揺れた。
「デスマスク!」
 直ぐにデスマスクの元へ駆け付けたシュラは倒れていたデスマスクを抱き起こすと、その姿に胸が高鳴った。

 デスマスクは泣いていた。
 綺麗な瞳で、とても綺麗な涙だった。
 サガから引き離された悲しみではなかった。シュラの豹変に悲しんでいるわけでもなかった。
――これは俺がデスマスクを愛していたという事が伝わった、喜びの涙…――

 シュラは牙を収め、沸き立つ衝動を抑え込んで微笑んだ。
「デス、すまん…大丈夫か…」
 涙がポロポロ溢れていく瞳であまりよく見えないのだろうか。何度も瞬きを繰り返してからデスマスクの口元が震えた。
「これ…お前の、匂い…?」
 そう言われて、シュラは今とても爽やかな匂いに包まれている事に気付いた。それは自分の匂いではない事もすぐにわかった。
「デス…お前のフェロモン、こんな香りだったのか…」
「え…?わかんの?…わかんのぉっ…?オレの…っ…!」
 嗚咽に声を詰まらせるデスマスクの首元に顔を埋めて確かめる。間違いない、この爽やかな甘い香りはデスマスクから出ているもの。
「あぁ、わかる…これはお前の匂いだ…」
「うそぉ…っ…オレもっ!オレも、わかるってぇ…!お前のぉ!」
「そうか…そう、なのか…!」
 抱き締め返してくるデスマスクを強く抱いて、シュラは自身に起こった事を考えるよりも感じた。
 しかしこの変化は同時に危機感も呼び覚ます。シュラはサガを探した。今ならばサガの匂いも感じ取れる。自分以外のαは全て敵。デスマスクにとって危険な存在。
「クッ…とんでもない変異種ばかりだな…今さらお前がαに変わるとは…」
「お前の他人を思いやれない計画がそうさせたのだ。力があるとは言えやり過ぎるとこうなる」
「フン、所詮β上がりのαが。力を呼び覚ましたところで私を超える事はできまい!そのΩを置いていけ!」
 サガの拳が二人に向かって飛んでくる。避ける事はできるがデスマスクが放つ発情フェロモンの影響もあって全員がまともに闘える状態では無かった。シュラ自身もデスマスクの匂いに気付いてから再び熱が湧き上がり、早く愛してやりたいと疼く体の変化は誤魔化せなかった。デスマスクを抱き上げ、扉へ向かって駆け出す。
「逃げるつもりか!今回こそそうはいかんぞ!」
「ハハッ!今回もそうさせてやろう!」
 シュラが扉の前に着くより先に教皇宮の扉が開かれ、艶のある声が響き渡る。
「アフロッ…?!」
「足を止めるな!そのまま行け!さっさとフェロモンの塊を遠ざけろ!」
 駆け付けて来たアフロディーテがすれ違いざまに言い放ち、薔薇を散らしながら一筋の光がサガへ突っ込んで行く。
「クッ!またお前が来るか魚座ぅぅぅ!!!!」
「見苦しいぞサガ!力を持ってしても手に入らないものがあるという事は身に染みて知っているだろう!早く正気に戻れぇ!」

 アフロディーテに甘えシュラは足を止めず走り続けた。彼の事だ、説明しなくても何が起きているのかくらいわかっているのだろう。やり合う二人の罵声が遠くなっていく。
 時刻は夕方、駆け下りていく十二宮の階段には移動中の雑兵や聖闘士も多くいたが、デスマスクを奪わせまいとシュラが放つαの威圧に負け次々と気絶していった。デスマスクはもうすっかりシュラの匂いに夢中でテレポートどころではない。十二宮を抜け、聖域も抜けたシュラは真っ直ぐ駆け続けた。
 やがて隠れ家に辿り着くと真っ先にデスマスクの部屋へ向かい、そのままベッドに押し倒した。

ーつづくー

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2024
05,04
 冥界に最も近い黄泉比良坂に聖闘士が滞在するのはコスモの消費が激しく限界も早い。既にエイトセンシズまで目覚めていそうな乙女座のシャカであっても例外ではないだろう。長く耐えられる力は強さよりも素性なのだ。聖闘士の中でも異質な能力を与えられた蟹座のみ、肉体のままでの耐性を得ていた。

――今日も途切れず死んでいくなぁ。10年以上見ているが人類滅亡しねぇのが不思議だぜ――

 デスマスクは始末した者たちを確認するために黄泉比良坂まで来ていた。10年以上ここの管理をしていれば自分だけではなく他の聖闘士が殺しただろう者たちも何となくわかる。特に黄金に殺された者は自分が死んだ事に気付いていないパターンがあった。一瞬の出来事で苦しみを感じる間も無く死ぬのだろう。デスマスクの技こそそうだが、ここ数年はシュラも腕を上げたのかそういう死者をよく見かける。認識できていない者たちは死の行進に疑問を持ち離れてしまうので「お前は死んだから戻れ」と促すのだ。初めは素直に移動しないが、だいたい外で供養が行われる頃には自然と列へ戻って死んでいく。それでも納得できず怨みがましい者や、遺体が見つからないだとかで供養されない者は黄泉比良坂の地に留まり続け、デスマスクを見つければどうにかしろと縋って来るのだ。
 死んでしまえば第二性など関係無いが、αよりもΩであった者が多いと感じた。それは巨蟹宮に張り付く死面たちも同じだった。番関係にあったαとの別れには魂だけとなっても耐えられないというのか。首輪を着けたデスマスクを見つけては「お前なら理解できるだろ」と言わんばかりに迫って来る。魂ですら未練がましく朽ちていけば醜くなるもので、そんなお前の姿を番が見たら逃げ出すだろうと思った。死ねば番関係など解除され自由となる。こんな所でゴネていないで死を超えていく方が先が開けると思うのだが、そう判断し切れるような冷静さも失い醜態を晒し続けるのだろう。いっそサガくらいの欲望や深い愛を秘めていれば未練を糧に先へ進めそうだが、そこまでの強さも持っていないから中途半端なのだ。

――死んでもαやΩ性に振り回されるなど…神は最悪なものを生み出してくれたな――

 浮遊しているデスマスクを掴もうと真下で亡者が積み上がっている。デスマスクはわざわざ地に降りると、憂さ晴らしに亡者のかたまりを蹴散らし、それでも向かって来る者は蒼い焔で焼き消した。彷徨い続ける者たちを処理できないことは無い。ただ蟹座であっても非常に疲れる行為なので気まぐれでしか行わない。

――…帰るか…――

 現世では醜い闘争が目に入り、あの世でもそれは変わらない。守護する巨蟹宮に帰っても死面が恨み言を叫び続けている。それでもって自分はΩ。好きでもない癒しにもならないαとの番を迫られ、聖戦が始まれば命懸けで十二宮を護らなくてはならない。
 アテナはいない。サガのために?世界のために?平和なんか聖戦が無くても既に乱れている。護る理由なんか無いだろう。ただ自分が負けることは許せないというプライドの為だけに巨蟹宮を死守することになりそうだ。こんな状況、誰かに嘆いても理解できないだろうしわざわざ言うつもりもない。我ながらよく精神状態が保つなと感心する。いや、発情期でそこそこ発散されるからこそ保つのか。そこまで考えられているとしたら自分を蟹座の黄金聖闘士かつΩに貶めた神は本当に最悪な存在だ。

 黄泉比良坂から巨蟹宮へ戻り、私室への扉を開けてデスマスクは止まった。直ぐに扉を閉め、足早に居間へと向かう。
「…こんな夜に急ぎの用事か…?」
 明かりが漏れる居間の扉を開けるとシュラがソファーに座り待っていた。ただシュラの姿を見ただけなのに一気に心のモヤが解れていく。表情筋も力が抜けて垂れた。
「どうしたんだ?」
 振り向いたシュラは緩んだデスマスクとは逆に硬い表情のまま立ち上がるとデスマスクの前まで来て左手を軽く握り取り、低く小さな声で呟く。
「サガが動き出すかもしれない、気を付けろ」
 今更…と思うが余裕の無さそうなシュラの姿に緩んだ心が再び強張っていくようだ。
「…何か、あったのか」
 声を落として聞き返すデスマスクの耳元に顔が寄せられる。
「お前を番にしようとしている。遂に本音を吐いてきた」
「あぁ…」
 あえて伝えていなかったがデスマスクは知っている。動揺も見せず黙っている様子にシュラは苛立ち、握っていた手に力を込めた。
「幻覚を仕込まれるかもしれない!知っているだろ?サガが使う…!」
「知っている。しかし俺を操りたいのならαのフェロモンだけで十分だろう」
「お前に情けをかけてやるつもりらしい。せめて好きな相手と番う幻の中で生きれるようにと」
「ククッ…フェロモンの届かない場所で死なれちゃあ困るって事か。とことん俺に失礼だな」
 握られた手はそのまま、デスマスクは片手でマントを引き抜くと手を使わず聖衣を一瞬で外し、全て床に落とした。アンダーウェアと金の首輪だけが肌に残る。シュラの手を引いて二人並んでソファーに座った。
「…それって俺がお前のこと好きだってバレてんのか?」
「確信はしていないようだが疑っている」
「はぁ…お前と番う幻かぁ…。夢のようだな…」
 そう軽く微笑んで呟く言葉が本気ではないと理解できてもシュラの不満は増した。さらに強く手を握り込んでしまい「痛っ!」と漏らしたデスマスクが振り払う。それでもシュラは再びデスマスクの手を捕えて握り締めた。
「な…何だよ、強引だなっ」
 シュラの方から迫られる事に慣れていなくて胸が高鳴った。ぶつかった黒い瞳の奥、デスマスクを捕えて引き摺り込もうとする深淵がそこに。
「あ…」

 ――待て…――

 真剣なシュラの顔が寄る。キス?!と思い切って瞼を閉じたデスマスクの唇に触れたのは、自分より硬めの髪の毛だった。期待外れの感触に何が起こったのかと確認すれば、シュラの頭は首元に埋まり首輪にキスをしているようだ。

「…落ち着いているな、嫌ではないのか」
「はぁ?…んなの、嫌に決まってんだろっ!」
 知っているはずなのになぜそんな事を言う?一瞬のときめきが苛立ちに掻き消される。
「それ聞いてグズグズ泣けって思ってるのか?嫌だ、助けてって言ってほしかったのかよ?辛くてもそんな見苦しいことしねぇよ!」
 顔を埋めるシュラを一度引き剥がしたが、直ぐに両手が伸びて抱き締められた。
「すまない、嫌なことを言ってしまって」
――気持ちが抑えられないんだ…――
 そんなにも余裕の無いことを言われてしまうとこちらも戸惑ってしまう。いつもみたいにお前だけは落ち着いていてくれよ。引っ張られてしまう。
「…いや、大丈夫だデスマスク…俺が、できる限りのことはするから…」
 大丈夫じゃねぇだろ。何ができる?αの最高峰相手にβのお前が。最悪死ぬぞ?…いや、死ぬつもりなのか?
「…俺が脳みそやられたら、お前が方をつけてくれるのか?」
「そういうつもりではないが…可能性はあるな…」
 その可能性しか無ぇよ。シュラに愛される幻を見ながらシュラに殺られるなんて、どう見えるのか。サガがシュラに見えて、シュラはシュラのまま?それともサガに入れ替わる?わからないがその時になればどうでもいい事だな。迎えに来てくれるのがシュラって事を忘れても、殺してもらえば番も解除され思い出すだろ。あの世で。
「…まぁ、アイオロスの時より殺しの腕は上がったようだし殺るなら綺麗に頼むぞ。ただ斬り口でお前の仕業とモロバレだな」
「ククッ…愛が無いとは言え、番を殺されたサガの暴走を止められる自信まではさすがに無い」
「お前の場合、もう"止める理由が無い"じゃねぇの。自殺の手間が省けてラッキーくらい思いそうで何か嫌だぜ…」
 苛立ちも次第に消え、抱き締め続けるシュラの背中にゆっくり腕を回した。
――来るのか、ついに――
  聖闘士として最悪の最後が。神のために、世界のために死ぬのではない。何かの役に立つわけでもない。きっと聖域もめちゃくちゃになる。アフロディーテには最後まで苦労をかけるばかりだ。ただ愛を貫くだけの事が俺たちには許されない。

「…Ωでなければ、何もかも違っただろうに…」
 何も考えず呟いてしまった言葉にシュラはデスマスクを見つめ、軽く笑った。
「Ωでなければお前が俺なんかを好きになる事も無かっただろうな」
「……そうか……」
 それはシュラもαであれば自分を愛さなかった、とも言えるか…。Ωという価値が無ければ見向きもされない存在だったかもしれない。α同士で愛してもらえるほどの魅力が自分にはきっと無かっただろう。第二性が判明する前までの関係を思えば間違いなくそうだ。そう考えるとαであったとしても自分は無力な存在のように思えた。
「俺がお前の世話をする事も無く、つまらない日々をそう自覚しないまま過ごしていただろう」
「弟子くらい育成していたかもな」
「ハハッ、弟子か。カミュのように教皇の正体を知らなければ気楽だが、知っていて育成するのは罪深い」
 Ωでなければ、せめてシュラがαであれば…。何度も未練がましく考えては手に入らない現実に一人で落ち込んだ。ついに口から溢れてしまったが、シュラになら…シュラとなら、弱音を共有するのは苦ではないかもしれない。家族ですら招かない境地にまで自分はシュラを受け入れて、また自分の事も受け止めて欲しいと望むほど心を許してしまうとは。そんな存在が自分にできてしまうなんて昔はとても考えられなかった。
「…Ωで、良かった…のか?」
「Ωでなければどうなっていたか、なんて結局はわからないからな」
 腕に力がこもって、デスマスクの頭はシュラの胸元へ引き寄せられる。
「俺はお前のことを正しく知ることができた。その点はβで良かったと思っている。俺がαであればこうはなれなかった。お前を避け続けて何も知る事ができなかっただろう。お前が最初からαであった俺を番に選んでいたとも思えない。お前はαの俺を望みはするが、お前が好きなのはβの俺だろ?」
「……」
「α化を願うお前の望みは叶えてやれなかったが、これで良かったと思っている。αに比べ力が劣るとは言え"絶対に負ける"など考えてくれるな。黄金の意地を見せてやる」
――それは、どんな結末だろう――
 もしもシュラが耐え抜いたら、デスマスクに魔拳が向けられるのを防げたら、サガが番を諦めたら。今のままでいられるのか?フェロモンは?このまま聖戦が始まったら?アテナが生きていたら?

「デスマスク、俺は仲間を半殺しにしたような奴だぞ?大丈夫だ。…ククッ…すまん、これしか言えないな…」
「サガをも半殺しにしてやるって?ハハッ!冗談に聞こえねぇよ」
「大丈夫だ、番にはなれないが…俺たちは一人ではない」
「そうか、だったら…大丈夫だな」
 何が、なんて考えない。今更子どもみたいなやり取り。
 ハッキリ言って欲しいのは変わらないがちゃんとわかる。シュラが愛を注ぐのは誰であるか。サガに奪われるかもと知って居ても立っても居られなかったくらいだ。ここまでされて愛が無いなんて考えられないし、否定されてもそれこそ信じられない。わかる、お前の気持ちが。
「番になれなくても、俺たちはβとΩで良かったんだ。それで良かったってことにしてくれ」
 シュラとしても自分がαではない事に悔しさが全く無いわけではないのだろう。デスマスクを抱く手に込もる力強さからも感じられる。Ωを愛してしまった以上、αという存在は切り離せないのだから。
「なぁ、俺もさ、お前がその時居なくても一人でも最後まで足掻いてやる。大丈夫だって。黄金の意地は俺にもあるぞ」
「あぁ。最後は俺が全部どうにかするから、お前らしく暴れてくれ」

 そのままシュラは巨蟹宮に泊まり、翌朝磨羯宮へ戻って行った。あれだけ切羽詰まって押し掛けて来たというのに夜はやはりソファーで一人寝てデスマスクに触れる事はしなかった。聖域では下手に触れてフェロモンが漏れてしまう可能性を危惧したかもしれない。
「このまま、キス止まりで死ぬのか…」
 しかも一回きり。シュラがβであったからこそ好きになれたのは確かだ。αになったらどう違う?シュラはどう変わる?シュラになら…部屋を荒らされても今は許せるし、逆に自分の着衣などに嫉妬しそうだ。そんなものではなく進んで自身を捧げられる。我慢しないで貪るならこの体にしろ、って。
「あの場所なら…」
 季節は春。予定通りであれば4月の終わり頃に再び発情期は来る。サガがすぐに動かなければ、二人きりになれるチャンスはある。どうしても肉体関係が諦め切れないのもΩのせいだろうか。
――もう一回だけ、最後に…――
 諦めの悪い自分に嫌気が差しつつも"それがオレだし"と開き直り、デスマスクも巨蟹宮を出て任務に向かった。

ーーー

「3ヶ月とはあっという間だな」
 4月の終わり、シュラはデスマスクの発情期に備え聖域を離れる旨を教皇宮まで報告に来ていた。サガ自身がデスマスクを狙っていると聞いてから警戒し続けているが、邪悪なサガは姿を現さず息を潜めている。デスマスクに確認をしても特に襲われそうな雰囲気は出されていないとの事だった。
「今回もデスマスクの事を頼むぞ。お前に発情期の世話を任せてからもう7年になるのか。長く付き合わせてすまない」
「…構いません。同い年の仲間ですし、デスマスクとしても気を遣わず過ごせるようです」
「そうだな。お前には気を許している。可能であればαと番になれない本心…気になっている相手がいるのか聞いてみてほしい」
「……」
「デスマスクのこれからのためにな。任せたぞ。そのために行かせるようなものだ、今回は」
 素早く顔を上げたシュラは教皇座から見下ろす仮面の奥を睨み付けた。軽くニヤけた口元に覗く鋭い犬歯。隠された瞳が紅く光ったのを確認したシュラは、小さく舌打ちをしてから頭も下げず教皇宮を退室した。

 磨羯宮で鞄を手に取り足早に巨蟹宮へ向かう。急いでデスマスクの元へ行けば食卓で椅子に座り、のんびり間食を食べている最中だった。
「早いな、まだ時間ではないだろ」
「…なるべく早く出たいと思って来たのだ…が、まぁいい。それを食べてくれ」
「…ならばお前も食べるか?早く無くなる」
「お前が食べたくて食べているのだろ?」
 何を食べているのか近くに寄って見てみれば、たまにデスマスクが食べている小さなパンだった。丸めたドーナツみたいな形のものが5〜6個紙袋の中に入っている。貰う気など無かったがデスマスクが一つ摘んで差し出したのでそのまま受け取って食べてみた。中はもっちりしているが意外と皮はカリカリだ。
「…パン…?」
「揚げパンだな。ピザ生地だけど」
「この緑色は海苔か」
「お前でもちゃんと味わかるんだな。これオレの地元ではポピュラーなやつ」
 へぇ…と呟いて飲み込んでしまうともう一つ手渡しながら「シチリアでなく生まれた方な」と付け加えられた。シチリアで生まれたわけじゃない、とは以前聞いた事がある。本土出身か。今更だが生まれ故郷も知らない事に気付いた。自らヒントをくれたのだから、聞けば教えてくれるだろうか。
 手渡された揚げパンを眺め、どうすればコレの正体がわかるのかぼんやり考えているシュラを引き戻すようにデスマスクが声を掛ける。

「またサガにでもおちょくられて急いでいたのか?」
「ん?……まぁ……」
 改めて言われてしまうと自身の短気さが未熟で恥ずかしい。デスマスクの事に関して少し不穏な空気を見せられただけでこれだ。サガに遊ばれていると言われても仕方ない。
「いや、いいよ。不安を抱えるより安心していたいしな」
 そう言って食べ終えたデスマスクは紙袋を折り畳んでから捻り潰し、ゴミ箱へ放った。水筒の水を飲むとシュラにも「飲め」と手渡す。受け取ったシュラが一口二口飲む間にソファーに置いてある荷物を取りに行って準備が整った。鞄の口を開け「入れろ」という仕草をするので、手にしていた水筒を中に収める。
「じゃあ早く安全な場所へ行こうぜ」
 準備万端になって出発を待つ姿が妙に可愛く見える。これが遊びの旅行とかであれば最高なのだろうに…。もう、そんな余裕など無い。シュラも鞄を持ってデスマスクの先を歩き、隠れ家へ向けて出発した。

 デスマスクの発情期は隠れ家に到着した3日後に始まった。ピークもおよそ3日。4日目の夕方になるといつも通り部屋から下りてきてシャワー室へ向かう音が聞こえる。その音を居間で聞いていたシュラは今夜から食事も摂るだろうと準備を始めた。出すものは何でも食べてくれるが、発情期明け最初の食事はペンネかリゾットが最も食べやすそうだと学んだ。さすがイタリアはパスタの種類も豊富で粒状のものまである。それをリゾットのようにしたものも喉通りが良いようだ。

 棚の中を覗いて何を作ってやろうか考えていると居間の扉が開く音が聞こえる。足音がソファーへ向かわずシュラのすぐ後ろまでやって来た。
「今日から食べるだろう?今から準備する。待っていてくれ」
 一番早く作ってやれそうなレトルトのリゾットを手に取って立ち上がったシュラは、デスマスクの姿を見て動きを止めた。
「…何かあったのか?服は?」
 デスマスクは裸にバスタオルを羽織っただけでぼんやり立っている。シュラは手に取ったレトルトの箱を置き、部屋へ戻そうとデスマスクの背中を押した。
「まだ辛いのか?着替えないのなら部屋へ戻ろう」
 シュラに押され居間を出て、階段もゆっくり上っていく。特に抵抗など無くデスマスクは誘導されるまま自室へ向かった。今回はまだ抜けていないのかもしれない…部屋に着いて扉を開けた。そっと背中を押してデスマスクを滑り込ませ、閉めようと扉に手を掛ける。
――途端――
 突然振り返ったデスマスクは勢いよく扉を開け、驚いた顔のシュラの服を掴み部屋の中へ一気に引き摺り込んだ。
「っぅぐ!」
 勢い余ってシュラは床に叩き付けられ、デスマスクがその上に跨がり覆い被さる。
「っおい!こらっ…何をする!」
 デスマスクの力は万全ではないためシュラの抵抗で呆気なく上から落とされ床に転がった。
「薬が効かないのか?落ち着「本当に抱けねぇの?!」
 上体を起こしたデスマスクが這ってシュラに擦り寄る。バスタオルも外れて床に落ち、うっすら桃色に染まる白い裸が絡み付く。
「αのモノにはならない、あとは死ぬか生きるか…もう抱かない理由無いよな?何でしてくれねぇの?発情期が癒えないだけでβに抱かれる事に問題は無ぇよ?」
「…お前は、妊娠してしまうかもしれないだろ…βでも気になるんだ…」
「Ωの避妊薬がある。お前だってゴムとかすればいい」
 デスマスクの手がシュラの太腿から胸元へと滑る。もう一度ゆっくりシュラを押し倒して上に乗り上げた。
「指だけでも、入れてみろよ…」
 左手を掴んで誘導し、尻を撫でさせる。少し首を傾げてシュラの表情の変化を読もうとしているようだ。そのまま指先を谷へ向かわせようとするもシュラは肉を掴んで抵抗した。男らしく肉薄そうに見えるが、Ωの特徴がそうさせるのかもっちりして柔らかい。
「…んぅっ…」
 まだ残る発情期の名残りか、掴まれた刺激にデスマスクは腰を捩った。シュラは空いていた右手でも尻を掴み、軽く揉んでみせる。
「ちょっ…とぉっ!」
「これくらいなら、してやる」
 ただ両手で尻を揉んでやるだけでもデスマスクは掴んでいた手を離し、力が抜けてシュラの胸に肩を落とした。逃れたいのか求めているのか不規則に腰が揺れ、涙混じりの喘ぎ声も漏れていく。
「ちがっ…ち、ちがぅうっ…」
 胸の上でシュラの服を握りしめ、腰が揺れると頬が擦れる。次第に脚の力も抜けていき掲げていた臀部も崩れ落ちた。
「っ?!ひゃぁっ」
 悪戯に指を一本、谷へ滑り込ませて撫でればそれだけでピクンと腰が跳ねて左右に揺れる。想像を超える反応にシュラは思わず動きを止めた。

「すまん…理解しているつもりだったが、かなり敏感になるんだな…」
「っうっ…ぅぅっ…くっそ…くそぉっ…!遊びじゃねぇんだよぉっ…ゃあっ…!」
「あ…すまん、遊びではないのだが…」
 びくびくと震える体を気遣うつもりで触れていた手をサッと離し、胸元に埋まる頭を撫でるとデスマスクは怒ってシュラの手を掴み再び尻に触れさせる。
「中途半端にすんなっ!せめてイかせろっ!あぁ…もぉっ…!」
 もどかしい!と、シュラに腰を擦り付け始めた。派手に悦がる腰つきも何故か"芋虫みたいで可愛い"とか思ってしまい、こんな状況だというのに性欲よりも愛おしさが増すばかり。気持ちいいのか、そうかそうか…と先ほどよりも優しく丁寧に尻を揉んで可愛がれば、我慢できない!とばかりに硬く小さな攻めの象徴を押し付けてきた。
「もぉっ…なんでだよぉっ…!」
 ポロポロと涙を落としながらデスマスクは体を震わせ、快感を解放する。シュラは尻から手を這い上がらせて、震える体を抱き締めた。そして一息吐くが…
「っ…!…おい…デス、掴むな」
 胸の上で恨めしそうにシュラを睨み付ける瞳。荒い息を吐きながらデスマスクはシュラの股を片手で掴んだ。
「おまえ…本気で枯れてんのか…?」
 全く反応していないわけではないが、勃っているとも言えないシュラに対して不満を露わにする。自分はまだまだ足りないと言えるくらいなのに。声が震えてしまう。
「抱けねぇのって…オレに勃たねぇってこと…?」
「いや…違う、これはたまたまで…。俺はちゃんとお前で抜いたことがある。そういう欲はある」
「え?あんの…?」
「…あぁ…ある。だからお前に魅力が無いとかそういう心配はしなくていい…」
 そこまで告げるとデスマスクは体の力を抜いて全体重をシュラに預けてきた。自分とほぼ同じ体格で重いはずだが、押し潰される圧力と速く打つ心音が愛おしく苦痛にならない。

「ほんとお前…変な奴…全然思い通りにならねぇよぉ…」
「ククッ…俺をどうにかしようとするのは無理だろ。聖闘士の能力からしても俺とお前は違い過ぎる。俺から見たらお前も変な奴だぞ」
「エッチしたいとか思わねぇの?βでも性欲無いわけじゃねぇだろ…」
「今のお前を見るとちょっと怖いな…嫌ではなくて、少し触れただけでここまで敏感だと本番に耐えられないのではないかと心配になる」
 背中をさするように撫でただけでピクンと震える。デスマスクはそんな体を誤魔化すように身じろぎし、顔を反対に向き直し笑ってみせた。
「ハッ!黄金相手に何言ってんだ。そんなヤワじゃねぇよ…発情期で何日も発散し続けるってのを何年も繰り返してんだぞ…」
「知っているが、それでもお前を壊してしまいそうで怖い。βだからそう思うのかもな。それを打ち消して抱けるほどの性欲も含めてのαとΩなのだろう」
 そう思うとαとΩがお互いにフェロモンを持っているというのも納得する。媚薬、麻薬のように理性を飛ばす事ができるようになっているのだろう。傷付け合っても際限なく気付けない、気付かない。だから深く首筋を噛んでもお互い耐えられるのだ。
「お前になら壊されてもいいってくらい好きなんだから…遠慮すんなよ…」
「俺が良くない。大事にさせろ。玩具だろうと何だろうと好きなものは大事にするだろ。Ωの本能が良いようにされていいと望んでも俺はしてやらないからな」
「それは優しいようで逆に俺に対してのドSになっているのだぞ」
「知らん」

 Ωらしい言葉に、自分はαとは違うという気持ちが出て少し強く言い返してしまった。不貞腐れた顔のままデスマスクはそれ以上何も言わず、黙って瞼を閉じてしまう。しばらく抱き続けているとやがて寝息が聞こえてきたため汚れを拭い、抱き上げてベッドに戻した。シーツの上には以前シュラが渡した鍛錬着が置いてある。眺めていると眠っているデスマスクの手がゆるゆる這って、それを掴み抱き込んでいった。
――起きてるのか?…無意識…?――
 抱き込んで丸くなるデスマスクを見ていると期待に応えてやれない自分への悔しさが込み上げてくる。βの穏やかな愛情では満足させてやれない。ずっとデスマスクは我慢している。それでも…αになるのは怖いし、なれるわけでもない…。
 ベッド脇にしゃがみ、着ている上着を脱いでデスマスクの手元に置いてみる。しばらくするとそれも掴んでスルスルと抱き込んでいった。そして嬉しそうに微笑んでいるのだ。
「…デスマスク…」
 落ちていたバスタオルを掴み体に掛けて、髪を撫でる。
「…好きだ。ずっと、愛している…」
――ずっと…――
「デスマスクッ…」
――好きだ、好きなんだよ…離したくない!聖域に戻したくないっ…!――

 それでも逃げる事をせず正面から突破してやるという気持ちは黄金聖闘士の性か、βからくるαに対しての従順さと真面目さと挑戦心か。
――見せてやるからな、俺の気持ちを――

「愛している…」
 シュラはもう一度呟くと、軽く微笑んで部屋を出た。

ーつづくー

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2024
04,20
「今回で再検査は最後にしようかと思う」
「あぁ、もうお前の性が何でも俺には関係無ぇからそれで良いぞ」
 22歳を過ぎたシュラの再検査はやはりβに変わりなかった。元々はα化を懸念するデスマスクを納得させるために始めた再検査だが、シュラが何者であろうと好意を隠さなくなった今ではβにこだわる意味がもう無い。1月下旬、発情期に合わせて隠れ家へ来た二人は居間のソファーに座り昼食を摂っていた。
「万が一αになれるのならオレサマの番になれ、βなら一生俺の世話してろ。俺はお前以外、誰とも番にならねぇから。それなら世話してくれるのだろ?」
 デスマスクの言葉にシュラは小さく唸るだけで返事をしなかった。ハッキリしてくれないのは今更なのでデスマスクは気にしない。
「サガにはなるべく時間をくれって言ってあるからよ、それまでは逃がさねぇからな」
 サガがやっとデスマスクに直接番の話をしたということはシュラも聞いた。デスマスクは断ったから、と言うだけだが話の内容はそれだけだったのだろうかと引っかかっている。サガからの猶予が無くなった時、デスマスクはどうするつもりなのか。自分が想定する未来が選ばれるのか?それは二度目の、聖域に対する裏切り。それとも…
――俺を、裏切るのか――
 昔のデスマスクに対する印象のままであればそういう事も考えに入る。しかし側でずっと見ていれば自分に対してそんな事、絶対にしないだろうと思えるようになった。自分やアフロディーテの事は裏切らない、はずだが、最近シュラの中でデスマスクに対する執着が増してきているせいか後ろ向きな思考が邪魔をする。

「…なぁ、考え過ぎて歯の食いしばりヤバいぞ、血ぃ出てるって」
 心配というよりは呆れたように指摘されて、シュラは下唇からの出血に気付いた。
「結構前から気になってたんだけどよ、お前ってβの割に犬歯が尖ってるよな。だからαっぽく見えたんだろうな」
 自分ではあまり意識した事が無い。言われて親指で上顎犬歯のとがりを確認してみるものの、昔からこうだったと思えてよくわからない。確かに数年前から唇を噛みやすくなった気はしていたが、ストレスから変な癖でもついたのかと思っていた。
「ちょっと"イー"ってして見せろよ」
 言われるまま噛み合わせを見せると、向かいのソファーから身を乗り出したデスマスクがシュラの犬歯を人差し指でそっと撫でる。途端、ピクッ!っと驚いたように指先が引いたのでどうしたのかと顔を見ると、どこか困ったような表情を見せた。
「何か問題でもあるのか?」
「…いや、俺にはなにもわかんねぇけど…」
 低い声で呟きながら身を引き再びソファーに座り込む。それから落ち着かないようで何度も首を撫でていた。
「早めにここへ来ているがもう始まりそうか?」
「…わかんねぇ、けど部屋行くわ。始まらなければ夕飯よろしく」
 デスマスクは最後に両手で首を撫でてから勢いよく立ち上がり、歩いて自室へ戻って行った。予定日より四日前に移動をしても発情期の始まりが早まる時もある。毎回ではないので1年を通して見れば規則的な方だと思うが、1日遅ければ…とヒヤッとする。しかし聖域で始まった事はない。もしかすると早まる理由が"自分とここで二人きりになること"にあるのではと心の底で考えたりもする。βのくせにΩを振り回す自分。シュラはニヤ、と口元を歪ませてから舌で犬歯を探った。改めて歯列を順に触れていくと他の歯より高さがある気がする。こんなに出ていたか?αや他のβと比較しないとよくわからないが、アフロディーテに歯を見せてくれと言うのはハードルが高い。

 立ち上がったシュラは洗面台まで行き、鏡の前で噛み合わせて確認した。
――いや、αはもう少し出ているな…――
 そう納得するが、安心するよりもなぜか不満が残ってスッキリしない。
――この程度では駄目だ、綺麗に噛めない。ただ傷付けるだけになってしまう…――
 …今更何を思うのか。βの自分がどれだけ上手く噛んだ所でデスマスクにとっては傷にしかならない。それは例えαであっても、相手がΩでなければ意味がない。αがαを噛んだところで…
『噛んでほしい!噛んでくれ!』
『頼むよ、どうせ死ぬのなら』
『オメガバースにはムカついて仕方ないというのに、憧れてしまうんだ…』
「っ?!」
『噛んでくれ、噛んで、頼む、噛んでくれよぉ…』
 頭の中をこだまする声はなんだ?デスマスクのものではないのに、わかる。デスマスクで、あると。
『一つになれなくても俺はお前のものになりたい。死んでも、死体になっても俺はお前のものだから誰も触れるなって。動けなくなってもお守りになるからさ。そう思わないか?骨まで貫く勢いで頼むよ。肉が朽ちてからもわかるように…』

――夜、森、とても寒い、雪が降っている、誰かを抱いて、暗い闇の向こうへ歩き続けて…――

「…また、この景色か…」
 自分の内側を探るとよくイメージされた景色がこれだ。始めは夢のようなものと思っていたが、起きていてもこうして急に頭の中で広がる事がある。相当因縁深い何かを深淵から呼び覚ましてしまったようだ。しかし意味が見い出せない。これは過去なのか、現在なのか。それとも未来?最後まで辿り着けない。歩き続けた先に何がある?何があった?

 "今"に戻るつもりで再び鏡を見る。見ているのに、見られている気がする。深緑の瞳の奥から見つめ返す真っ暗な瞳の影。味方なのか?デスマスクを守る。力になるのか?デスマスクを守るための。βである自分がデスマスクの望みを叶える、唯一の…。
 いや、そんな考え方ができる間はβを抜け出せない。もっと自分の欲望を曝け出せるのなら俺は変われるかもしれない。たけどそれはデスマスクをどうしようもなく傷付けてしまいそうなんだ。あいつはβの俺しか知らない。あいつが好きなのはβの俺なのだろうと気付いてしまった。αを望まれても、それがあいつの理想通りでいられるとは限らない。αになれるものならデスマスクを手にしたい!しかしβのまま寄り添い合って終わりを迎える方が、良いのではないか…。

ーーー

 シュラの歯に触れてから部屋へ戻ったデスマスクは慌てて抑制剤を飲むと、首を押さえながらベッドの上に転がった。腹の奥が熱い、首筋が疼く。くすぐったいような弱いムズムズ感が不快で手で触れるだけでは解消されない。もっと強い刺激で消してほしい。噛んで…噛まれて悪い血が出ていけば治るかもしれない。噛んでほしい、噛まれたい、噛まれたい…!
「っふ…ぅ、ぅう…っ…」
 首筋に左手で爪を立てながら右手を下着の中へ差し込み、体の熱を癒やそうとする。傷になったらあいつまた気にするかな…。戦いで負傷しても気にしないくせに、個人的な負傷を見つけると直ぐ聞いてくる。鬱陶しいがちゃんと見てるんだなって、嬉しくなってしまう…。
「ぁあっ!つらいっ…!」
 シュラを想うほど熱くなる。邪魔な服を脱ぎ捨ててから体を仰け反らせ、いつもより大胆に乱れた。握り込む手よりも腰が揺れてしまう。いくら好きで抱いてほしいと思っていても、こんな姿はとても見せられない。発情期が始まった頃はもっと甘い妄想で満足できていたはずなのに。

 ふと、椅子に置いた鞄の口からずっと持っているシュラの鍛錬着が見えた。あれからもう一着貰っている。ずるりとベッドから床に転がり降りて、鞄の中から二着の鍛錬着を引き摺り出す。ベッドへ持ち帰り新しい方に顔を埋めた。こちらももう、匂いは残っていないけど…。腰が揺れる度、頬擦りをしているようだ。
――本当に抱いてくれたら、ここがシュラと触れ合って…――
 そこは頬だろうか、胸板だろうか。腕?髪の毛?なんでもいい!

 ムズムズする首筋に再び強く爪を立てる。もっと痛みが欲しい。シュラ、シュラがいい、しゅらがいい、だれでも良くない!ぜんぶ、しゅらにして欲しい。いたいのも、きもちいいのも、ぜんぶしゅらに…。オメガが、じゃなくて、オレが…。
「…しゅぅらぁぁっ…!」

 ――鋭い痛み、暗い夜に獣の瞳がハッキリ見える。口元に血が滲んで、ヴァンパイアかオニがいたらこんな感じなのだろう。あぁ…もしかしたらヴァンパイアのモデルって、報われない愛の果てにオニと化したαだったのかもな…。可哀想に、そんな顔できるお前のことは、怖くねぇから…。さぁ、連れて行ってくれ…――

「ハァ……ハァ……」
 首筋から手を離してみるが、血が出ている感じは無い。それでも強く指を食い込ませたため痛みが全く引かなかった。痣になりそうだ。快感が弾けた瞬間に見えた、妄想にしては鮮明なαの顔。嫌な気はしない、シュラがαであればあんな風だろうと考えなくてもわかった。嫌じゃない、嫌じゃないからもっと俺を噛んで貪ってほしい。深く傷付けて良いから…それは死んでも、お前を忘れない傷になるだろうからさ…。βなんか辞めて、奪いに来てくれよぉ…。

ーーー

 春、命を繋いだものたちが目覚め、芽吹く頃。
「デスマスクはまだ決められないのか…」
「蟹座は優柔不断とも聞きますので」
「フフッ…占いなど興味無さそうなお前がそう答えるとは。ならばそんな蟹座を山羊座として正してやってはくれないか」

 教皇宮にあるサガの私室へシュラは直接呼び出された。テーブルを挟んでソファーに腰掛ける。任務報告の後、再び来るよう告げられたため着替えをして聖衣は着ていない。私室は教皇座よりも気が抜けるのか邪悪なサガが顔を出しやすい場所だった。今さらだが空気が読めないフリをして聖衣を着たまま来た方が良かったかもしれないと悔やむ。

「デスマスクは素直に言うことを聞く男ではない。時間がかかる」
「それは分かるが今に2年が経つ。急いだ方がいい。このまま聖戦が始まってしまうとデスマスクを守り切れないぞ。アフロディーテでは駄目なのか?」
「…そこは、双方その気が無いようです」
「友情が邪魔をして割り切れないのか、男が駄目なのか…白銀の女性αでも良いのだぞ」
「おそらく自分より力を持たない者には惹かれないと思います」
「…やはり、私が…」
 ため息と共に小さな声で吐き出されたサガの言葉をシュラは聞き逃さなかった。
「Ωには番が必要なのだ…お前には理解できないかもしれないが。デスマスクは耐え切れず自傷行為もするのだろう?」
「もう何年も薬が効いて落ち着いている。前回だけは首に痣を残していましたが、それきりです」
「あくまでお前が見れる範囲だろう?彼を裸にして確認しているわけでもあるまい」
 そう言われると何も言い返せない。前回、発情期のピークを終えて姿を現したデスマスクは真っ先に首筋の痣について説明を始めた。隠れ家では首輪を外しているとは言え冬であったし、タートルネックの服を選べば隠せる位置だ。それでもわざわざ首筋を晒して見せてきたのだから信頼されているものと思っていた。確かに胸や腹に傷ができたとして、それも見せてくれるのだろうか。
「いや、そう深刻に考えるな。デスマスクも今では私よりお前に気を許しているというのはよくわかる。だからこそ番の話にはあまり口を出さないようにしてきたのだ」
「俺に任されても一度失敗している。焦らせると自棄になって何をやらかすかわからない。だから時間が必要なのです」
「時間…か…」
 ソファーの背もたれに体を預け、宙を眺めて一息つく。
「デスマスクは積極的にαを探しているわけではないのだろう?この2年、彼は何をしていた?時間も限りがある。それともお前なりに何か考えているのか?私はβの考えだけは理解できないのだ…。αやΩの事を情報でしか知り得ないβが、我々の事を理解できていなのと同じように」
 サガがシュラの目を見る。αの圧がじわりと肌を押し始めた。
「デスマスクは逃げ続けているように見える。αに良い印象を抱いていないという事はわかっているが、それでも好いた相手がαであれば喜んで番になると思うのだが?」
「…それはデスマスクに限らず、誰でも同じように思えます。第二性で選ぶのではなく、人で選びたいという想いは…」
「βならではとも言える。思うのだ、彼はαではない誰かを好いているのではないかと」
 それがお前ではないのか、と言いたげな瞳。咎められるのではなく嫉妬じみたαが放つ、コスモの歪。
「…素直に言う男では、ないので…」
 視線を逸らさず、できる限り"無"を保つ。
「ククッ…言葉にされずとも何年も側にいればわからないものか?お前は本当にデスマスクに興味が無いのか鈍感なのか…」
 そこまで言うと、サガは身を乗り出し囁くように
「…もしくはβらしく、彼をかばっているのか…」
 柔らかな声をしているというのにαの圧力が重くのし掛かる。シュラは張り詰めた空気を切り替えるつもりでゆっくり瞬きをした。
「あなたはデスマスクが俺を好いているとお考えですか」
 わざわざ遠回しに告げられる言葉が嫌味でしかなく、煩わしく思ったシュラは正面から聞き返す。元々そういう性格なのだから下手な演技とは考えないだろう。濁したままの方が疑われかねない。狙い通り重い空気が少しだけ和らいだ。
「αではない、しかし同等の力を有している者と言えばお前しかいないからな。まぁ一つの可能性としてだ。あとは私の想像を絶する程の恋愛潔癖…くらいしか考えつかないがΩでそれは無理がある」
「…仮に、デスマスクが俺を好いているとしたらどうされるおつもりか」
 こんなこと絶対に聞けないと思っていたが意外なところで来た好機をシュラは逃さなかった。返事によっては今後について考えやすくなる。
「難しい問題だ。諦めが悪いそうだからな、例えお前に気持ちが無いと知っても素直にαと番うとは思えない。かと言って諦めがつくまで待つというのもあと何年かかることか…」
 サガは俯き、そっと握り締めた右手を眺めた。
「ただ、私の拳を上手く使えば…デスマスクにとっても無理を強いる事なくいけるのではと…」
――それは、つまり…――
「例えば相手がお前だと確定できるのであれば、私はその夢を見せてやれると思うのだ」
「…幻覚で、騙すと?!」
 サガが持つ技に"洗脳"を引き起こすものがある事は知っている。清らかなサガは使わないが、邪悪なサガは疑い深い従者たちにその拳を振るい効果を確認していた。ただ黄金クラスが簡単に拳を受けてしまうとは思えない。それでもαの力で押さえ付けられてしまえばデスマスクは…。思いもよらない外道なやり方に動揺した。
「一つの処方だ。無理に事を進めて反発されるよりもデスマスクの為になると思わないか?番を持たないΩのままでは危険なのだ」
 だからと言って、それはデスマスクを殺すと同意なのではないか…?ただ、デスマスクの力を残すためだけに夢を見せてまで…。
「…幻覚を見せて、相手は誰に…」
「そうなれば相手は誰でも良い。αであればな。恋愛にこだわる者たちは受け入れないだろうが、私のように誰も愛する気が無い者が好都合だろうか…いや、それが最善に思えてくるな…」
「サガよ、さすがにそれは…」
 じわり、じわりとサガの髪色が暗くなっていく。やはりお前が出てくるか。
「デスマスクが誰を想っているか教えてくれ。お前の仲間を悪いようにはしない。聖域と世界のために突き止めてほしい」
 笑いながら拳をこちらに向けて見せる。それを払い退けてソファーから立ち上がった。
「俺に使うのも止めろ!正気を保て!」
 睨み付けたサガの瞳がほの紅く輝き、笑うように揺れた。
「何をそう怒る?デスマスクに早く番ができた方がお前の荷も下りるだろう?デスマスクだぞ?そこまで情が湧くような相手か?」
「デスマスクであろうと何年も共に過ごしてきた仲間なのだ。情くらい湧く!」
「まさかお前、デスマスクに気があるとは言うまい?」
「何でも容易く欲に結び付けるな!βが理解できないというのはそういう所だろう!」
「ハハッ、とことん枯れた男だ」
 根本だけ黒く染めた邪悪なサガはソファーに深く腰掛けたままシュラを見上げる。その気になればβのシュラを洗脳させる事も可能なのだろうが…
「まぁ落ち着け、そこまで剥き出しの怒りを見せつけられると流石にゾッとする」
「サガの良心の為にも、お前の欲望でデスマスクに非道な事をするのは認められない」
「わかった、デスマスクが同意できれば良いのだろう。再び話をしてみよう。聖剣を構えるな、部屋を壊して気が晴れるのか?」
 逆に諭されたシュラは気を鎮め、話の終わりを聞いてから丁寧に退室して行った。

 残されたサガは紅い瞳を輝かせ扉を見つめる。毛先が一気に黒く染まっていく。
――もっと簡単にΩを手にできるかと思ったが――
 Ωに番を与えたいというのは"サガ"の意見として一致している。しかし清らかなサガは相手にこだわった。Ωの愛は底無しに深い。果たされないと悪鬼のように愛に飢え苦しみ続ける。納得のいくαの相手と結ばれてほしいと願うが邪悪なサガはΩを求めた。αでありΩである神の代わりとして君臨するにはΩと番う事が必要不可欠と考えていたのだ。そのΩが黄金の力を有していると言うのならばデスマスク以外に考えられない。愛は無いが究極の力と存在を示すためにデスマスクを手に入れようとしていた。黄金最強のαと称される自身であれば、他のαが出てこようと奪い取る事は簡単と考えていたのだが。
「βのくせに厄介なものを持っている。イレギュラーな黄金のβである故か」
 シュラが瞬発的に放った真っ暗な圧はコスモとは違った。深い悲しみと深い愛。そんなものを秘めているとは。

 "サガ"の記憶に二人の最期は残っていない。わからない。何があったのか。ただアフロディーテを含め三人の仲は現代と変わらず良好なものだった。初めはアフロディーテとデスマスクがシュラを揶揄う場面が多くて。やがてデスマスクはα抑制剤を飲み始め、副作用で髪や肌から色が落ちていくようになる。すると調子が出ず空元気なデスマスクをシュラが気遣うように変わっていった。デスマスクとシュラがアフロディーテを揶揄い、怒られるという場面も増えた。デスマスクは何を思って抑制剤を飲み始めた?第二性に否定的だったから…だけだろうか?

「…今も昔も、とことん掴めない二人だな」
 二人の中ではハッキリした関係なのかもしれないが、側から思うに二人の想いは捻れていそうだ。満たされていない。結ばれても何か悲劇的な終わり方を繰り返してきた事により真正面から素直になれない何か。まさにオポジションを形成する山羊座と蟹座のような。
「壊せるか?それとも悲劇が得体の知れぬ力を呼び覚ましてしまうのか…」
 愛を抜きにしても二人の間には強い因縁がありそうだ。それでも聖域を始め世界を支配するにはデスマスクとの番が必要。強行すれば"サガ"も悲嘆に暮れて表に出る頻度が減るだろう。東の果てでアテナが生存しているという噂にも備えられる。
 サガは立ち上がり、仕事机にあるカレンダーを手に取り二枚捲った。
――狙いは、この辺りか――
 6月を見て、薄く笑った。

ーつづくー

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2024
04,11
 時の流れを早く感じるようになってきた。季節は秋。目の前に迫る冬を迎えればシュラはまた一つ歳を重ねる。外での仕事を終え、その日は私服でもあったため珍しく聖域まで歩いて戻って来たシュラは十二宮から離れた岩場で修行中の師弟を見かけた。聖戦に備え聖闘士の育成を急いでいるがそう容易くなれるものではない。αであればなれるという保証も無く、運命である。黄金でも育成を任されている者はいるが自分はそうならなかった。代わりにΩの世話を任されているこれもまた、運命だろう。
 不意に、白銀の若い女聖闘士がシュラに気付き軽く頭を下げた。その場にいる弟子は生意気そうな顔で真っ直ぐシュラを見つめる。コスモを理解していないのか、聖闘士の階級など頭に無いのか、まだまだ未熟な候補生がβに向けるのは開花する前のαの視線。
 ――大物か、ただの意気がりか――
 実力があれば近く聖闘士として再会するだろう。Ωを狙うのであれば仲間とは思えないがな。目を細めたシュラはニヤ、と笑い二人の前を通り過ぎて行った。

「天気が良いからゆっくり散歩か?健康運動?暇そうでいいな」
 シュラが十二宮の階段を上り始めてすぐ、天から声が降り注いだ。
「お前こそのんびり浮かんで付いてくるのは暇だからだろ」
 一緒に散歩でもしていたつもりか?と、空を見上げてデスマスクを探す。軽く跳んで風船の糸を掴むように黄金の足首を捕らえたシュラは、デスマスクをそのまま地面に引き下ろした。マントがハタハタと音を立てる。
「お前はストーカー癖があるのか?黙ってないで声を掛ければいいだろ」
「だって仲良くするなって言うし、加減がわかんねぇんだよ」
「それだけなら良いが俺の行動を監視するのはやめろ」
「エロ本見てないかとかな」
 その言葉を無視して再び階段を上り始めると後ろからカツカツと歩いて付いて来る音が聞こえてきた。
「なぁ、さっきお前が見てたガキどう思う?」
 黄金未満の他人事などほとんど興味を示さないデスマスクがそんなことを聞いてくるとは。
「まだまだだな。αの図太さは秘めているようだが」
「アイツらニッポンジンなんだってよ」
「そんなことよく知ってるな、珍しい」
「賢いオレっぴは極東アジアに興味あるんで」
 確かにデスマスクが隠れ家へ持ってくる本には東アジアへの旅行雑誌や戦史に加え"カンエイジテン"やら"コトワザシュウ"やらよくわからない物が混ざっている。蟹座の必殺技が中国の星占い由来のものである事が興味を持った切っ掛けらしい。ごちゃごちゃした"カンジ"がカッコイイと言っていた。実際に読めているのかは知らない。
「キリストってさ、実は処刑されてなくてニッポンまで行ったとかいう説があるんだぜ?」
「ふっ…そんなの布教するための作り話だろ」
「死んだと思われたアテナが実は生きていてニッポンに行った可能性、どう思う?」
急に声を低くして響かせる。
「なぜニッポンなんだ、他にも可能性はいくらでもあるだろ」
「俺ら西洋人から見て東の果てにある島国ニッポンは終点なんだよ」
ピンとこない顔をするシュラにデスマスクは続けた。
「そういう目の届かない場所で何かが着々と進んでたりするんだよなぁ。大陸とは繋がっていない。囲まれてもいない。資源は豊富。ニッポンってのは国そのものが巨大な空母みたいなもんだ。平和ボケに隠れながらこちらを監視するにはちょうど良い」
「聖戦前にアテナがはるばるニッポンから攻めて来るとでも?」
「生き延びたアテナが大人しく帰還してサガに協力するとは思えないだろ。さっきのガキが聖域に来た同じ頃、ニッポンのグラード財団から候補生が大量に送られて来た。もうほとんど死んだが十人ばかりは生き残っている。カミュの所にいるのもその一人だ。アテナが生きていれば11歳。距離なんか何の障害にもならないだろう。ニッポンのガキどもが聖闘士になるかならないか注視しておくに越したことは無い」
そこまで一気に喋るとデスマスクは不意にシュラの腕を引いて囁く。
「例えそれが青銅であろうとアテナは反則だ。コレが当たりなら、俺たちの運命に大きく関わってくるからな…」
シュラより一段下から上目に見上げて、どこか急かすような顔。時間が無い?サガが動くが先か、アテナが生きているとして動くが先か。どちらも自分たちにとって無傷ではいられなさそうな事案だ。だからと言って…。
「なぁ…俺さ、報告行ったらフリーなんだ。お前は?飯でも行かないか?怪しまれないようにすんならアフロも呼ぼうぜ」
真剣な話をしていたかと思えば、狙いはコレか…とシュラは体から力が抜けた。情に訴えかけてその気にさせるセコさ。素直にOKは出したくなくなる。
「…暇ではない、今日は書き物が多いんだ」
「せっかく俺が暇なのに、そんなん一人になってからやればいいだろ?寝るの我慢しろ」
「明日に響く。生活習慣は崩したくない」
そこまで言うとデスマスクはシュラから手を離し、口を曲げてふわんと浮かび上がった。今回は意外と諦めるのが早い。マントを靡かせスーっと宙を滑りあっという間に視界から消える。見えなくなってシュラは軽くため息を吐いた。少し残念な気持ちと、まだ間に合うという考え。このまま歩いて行けば教皇宮から戻って来るデスマスクと再びすれ違えるだろう。あいつが変なルートで戻らない限りは。いや…自分が巨蟹宮で待っていてやれば良いのか…。ちょうど私服を着ている。財布もある。わざわざ着替えに戻る必要はない。
「……ダサいな」
笑って一言呟き階段を上り始めたシュラは、巨蟹宮に着くと迷わず私室の方へ向かった。
 それから数十分後、教皇宮から戻って来たデスマスクは居間のソファーに座っているシュラを見るなり満足そうな笑顔を溢れさせる。こちらを見たシュラに「アフロは来れないってよ」と言い放ち、シュラのため息を聞きながら出掛ける準備を整えた。

ーーー

「あいつがいれば、美味い店じゃなくても良いとか思えるなんてなぁ…」
 シュラと食事に行った翌日、余韻に浸るデスマスクの頭の中は平和で穏やかだ。不味い店に当たった事はないが、近さで選んだ昨夜の店は特別美味いわけではなかったと思う。地元民で繁盛している町料理屋で、忙しさからとにかく盛り付けが雑だった。それが逆に可笑しくて「これは酷い」「もう少しセンターに寄せれるだろ」「量に対して皿のデカさが無駄過ぎる」などと二人でツッコミ続けたのが楽しかった。帰り道もケラケラ笑いながら「また行こうぜ」と溢したデスマスクに「またな」とサラッと言う姿が自然で格好良いと思ってしまう。"本気で待っちゃうぞ"と心の中で呟いた。

「はぁー…」
 偶然休暇が重なって二人で過ごすとか、発情期を理由に二人で過ごすとか、いつ死ぬかわからない聖闘士にとっては十分な幸せなんだろうと頭では思う。それでもやはり、結ばれたところでまた引き裂かれると知っていても、あの腕に抱かれたい…。
 巨蟹宮の寝室で以前シュラから貰った鍛錬着を片手にぼんやり横になる。なんとなく感じるかも、と思っていたシュラの匂いはもうすっかり無くなって自分の匂いに変わってしまったようだ。そろそろ次の物をねだっても良いかなと考えた。
「発情期来たら貰お…」
 本人が手に入ればそれだけで良いというのに、なぜ焦らすんだ。第二性が邪魔をし過ぎる。未来の暗い不毛な恋愛だからこそ今に全力を注げば良いと考えないのか?死んだら終わりなんだよ。普通は。…なんかあいつは死んでも終わってくれないとかグチグチ言っていたが。
 そんな鬱憤を晴らすように発情期以外では任務をこなし続け、巨蟹宮もかなり煩くなってきた。強力な力を持たぬただのαくらい、Ωだろうと自分なら簡単に殺せてしまう。シュラの言う通り自分にとっても問題になるのは黄金のαくらいだ。
「そろそろ準備するかぁ…」
 手にしていた鍛錬着に軽く口付けてからベッドに戻す。夜の任務に備え早めの夕食を摂りデスマスクは聖衣を纏って教皇宮へ向かった。まだ仕事に出ているのか磨羯宮にシュラは不在のようだった。

 教皇宮入り口の重い扉の前。夜でも誰かが守っているものだが、外も中も人気を感じない。
――俺に、話か――
 手は下ろしたまま扉を見つめ、念力で少しだけ開けて中へ滑り込む。嫌な感じはしない。いつもの雰囲気のまま教皇座にサガは座っていた。
「何か特別なお話でも?」
 サガの元へ向かいながらデスマスクから投げ掛けた。マスクから覗く髪色も清らかなサガを示す金色だ。根元まではわからないがコスモからして邪悪な方は息を潜めているだろう。
「今更な話にはなるが、20歳を過ぎたお前に番を持たせたいと考えている。シュラから聞いているだろう?」
「ええ、その気が無い事もご存知かと思いますが。番を持たせる理由はフェロモンの抑制だけですか」
「それ以外の理由があるのなら何だと思う」
「こちらが聞いているんですけど。…まぁ、俺にαの子ども産ませたいとか?」
 サガの前まで来て跪くこともなく仁王立ちで言えば、清らかなサガにしては珍しくバカにするような笑いが溢れた。
「そんな事…"私は"考えていない」
 ならば邪悪な方はどうなんだよ、と喉まで出たが下手に刺激するのは止めようと飲み込む。
「α嫌いは昔から変わらないようだな。それは私も体験してみて理解できるようになった」
「……αは自分がαであるからこそそんな事を呑気に言える。αになれなかった者を見下しているようにしか受け取れませんよ」
「見下す、か。お前はαこそ力の頂点であると思うか?お前にも記憶が残っているだろう?」
「何の」
「かつての、記憶だ」
 マスクの奥でサガが目を細めた気がした。唐突な話にデスマスクが黙っているとサガはゆっくりマスクを外して顔を晒す。根元まで金色の清らかなサガで正解だった。
「かつても、我々は仲間だった。証拠など無いが思い当たる節が多すぎるのだ。霊感の強いお前はわかっているものと期待したが」
「はぁ」
「聞いてくれるか」
 聞かせようとして人を払いデスマスクを招いたのだろう。それに精神不安定なこの男を適当に扱う方が厄介な事になるのは身を持って知っている。内容がどうであれ断るという選択肢が無い。
「……どうぞ、続けてください」
 サガの側から一歩下がり、顔は上げたまま跪くように腰を下ろした。

「私も全てを覚えているわけではないが、かつてはΩだったと思う」
 だからデスマスクに対しての扱いが手厚いものだったと言うのであれば、わからないでもない。
「好いたαがいた。世界中を戦火に巻き込んでいく大戦の中で私たちは自国を守り抜くために戦っていた。…とは言え、既に国は占領下にあり滅亡は免れなかったがな。希望を、王女の亡命を託したんだ。アイオロスに」
 サガからは聞きたくない名前が飛び出してデスマスクは気を張った。話をさせるのは不味かったか…
「亡命は成功した。もちろんその時私は戦地で死んだため成功も知らなかったが、こうして現代に生まれ変わり歴史を学んだ時知ったのだ」
「そうですか…」
「私はΩで、αを好いたにもかかわらず結ばれることは叶わなかった。亡命を提案したのは私だったが、少しは期待していたのだよ。彼が、もう滅亡の見えている国ではなく今、目の前にいる私を選んでくれないかと」
 サガのアイオロスに対する執着は昔から感じていた。そのくせ瓜二つな弟のアイオリアには何の興味も示さない。アイオロスでなければならないという執着。
「期待が外れた悲しみは自分が思う以上に深かった。それはαである今生の私をも蝕んで亡命の成功を素直に喜べない自分がいた。好いた者の幸せよりも、私と同じように願い叶わず死んでしまえば良かったのにと思えてしまう醜さ。お前もよく苛まれるだろう?愛に飢えて飢えてたまらない苦しみに。番を持たないと解消されないΩの苦しみ。それから解放されたいとは思わないのか?」
「…思いますが、だからこそ好きな相手としか番いたくない気持ちもわかるのでは…」
「番えない苦しみの方が重いと思うのだ。Ωの性なのだよ」
 それは貴方が失敗したから、とは口が裂けても言えない。アイオロスはサガに強い信頼を持っていたことは感じられたが、サガだけに限らなかった。デスマスクのように他に対して好き嫌いが露骨なタイプではない。シュラとも違う、シュラは人を選んでいるがアイオロスは誰に対しても土足で踏み込んで来るタイプなのだ。しかしサガはそんな彼と相性が良いと感じ惹かれたのだろう。問題なのはサガもアテナもアイオリアも、アイオロスにとって"一番"であったこと…。
「フェロモン抑制だけではなく俺を気遣っての提案でしたか。聖域の事を考え、聖闘士のケアも怠らない。さすが教皇」
「我々αも醜い姿ばかり見せたいわけではないのだ。かつてお前が副作用に耐えながらもαの抑制剤を使用していた覚えがある」
「…それは何のために」
「自分の事ではないためそこまではわからないが、お前はαだった。シュラ、アフロディーテと共に」
 全員αの世界、今で言えば理想だった世界に於いても自分は満足できずαの抑制剤を服用していたのか。"かつて"がいつの話かわからないが、現代に於いてもαの抑制剤はリスクが高い。昔ならば早死にしておかしくない…いや、早死にしたのか。おそらく。
「私含め全員、戦災などの孤児で出身地はバラバラであった。かつての祖国はそういった難民を数多く受け入れていたのだろう。危機に瀕した時、ほとんどの者がパルチザンとして立ち上がったのだ。そこにお前たちもいた」
「はっきりと覚えているものなんだな」
「ハハッ、二重人格で頭のおかしい男の作り話と思うならばそれでもいい。某国王女の亡命とソ連国境でのゲリラ戦、発情させたΩ兵を投入してのα隊殱滅作戦…。大戦の中ではマイナーな戦記ではあるが、戦史を好んで学ぶお前なら気付いているのではと思っていた」
「勉強不足ですみませんね。で、俺たちはどうなったかも知っているのですか?この聖域の行く末と重ねるのであれば重要過ぎる話ですよ」
デスマスクの問いにサガは瞼を伏せ少し考える素振りを見せた。
「最後はわからない。発情させられたΩ兵が押し寄せて来た時、Ωの私と抑制剤を服用していたお前だけはフェロモンに惑わされなかった。シュラを引き摺ってアフロディーテと共に退避していく姿が私の記憶に残るお前たちの最後だ」
「へぇ、戦わず敗走して死ぬとは俺として最悪なものだ。貴方もそこで死んだのですか」
「私とアイオロスで鍛え上げたα隊は呆気なく離散し、一人ではどうにもならなかったな。戦争は有能なαが前線に立ちやり合うもの、という各国のプライドが崩壊した。とにかく勝てば良い。特攻させられるΩ兵に飛び付くαたちを、βどもが後方から味方のΩごと撃ち殺していくのだ。地獄を見る戦地で最もおぞましい光景だったよ。βの狡猾さ、やがてはこいつらが生き残り、数を増やして世界を握っていくのかと思うとそれこそが世界の終わりのように思えた!」
――その地獄の光景が、邪悪なサガの欲望にも結び付いたと…――
「デスマスクよ、αを嫌うのもわかるがβはより恐ろしいぞ。こちらの様子を伺い大人しくしている裏で爪を研いでいる。一人では何の力も持たないが数が増えると厄介だ。現に過去の戦争に於いて尽力したαは数を減らし、また利用されたΩはより希少な存在となっている。だからこそ
「そうですか、βは駄目ですね。ところで教皇、少し休憩しませんか」
 話に熱が入り始めサガのコスモに歪みが感じられるようになってきた。話の半分は邪悪なサガの意見が混ざっていると思われる。この話は良くない。別の話題に切り替えたいが…
「デスマスクよ、我々のフェロモンが通用しないβは裏切る。Ωが満たされるのはαだけなのだ」
「お気遣いありがとうございます。番についてはまた考えておきますから」
 気付いてなのか無意識なのか、シュラの事を言われているようで気分が悪くなった。結局はβもΩも支配してやりたいだけなのだろう。一言言ってやりたいがサガを刺激したくない。それがストレスになる。
「休憩されないようであればそろそろ出発したいのですが。話はもう良いでしょうか」
 一歩後退るデスマスクを見て、サガは引き留めるように身を乗り出した。

「どうしても番の相手が見つからなければ、私を頼りなさい」
 声を張ったわけでもないのに、宮内を響き渡っていく言葉。
――これが、本題か――
「再びアイオロスを亡くした私はもう誰かを愛することは無いが、お前を大切にしてやる事はできる」
 ちょっとそれは流石に失礼なのではないか。シュラと番になれない自分も重なり、まるで傷を舐め合おうという提案を出してくるなど。しかも本気で心配して親切心からの申し出っぽいところが厄介すぎる。
「…お気遣いありがとうございます。でも俺は好きな相手が良いので時間をください。意外と身持ちが堅くて一途なんですよ。例え相手に裏切られても足首掴んで離さないような。そういうタイプの蟹座ですので」
 口早に告げ、一礼してから素早く退室した。つい嫌味を込めてしまったが大丈夫か?教皇宮を出た後に扉の前で立ち止まり、中の様子を伺う。少し淀んだコスモのまま、しかし邪悪さが増す様子もなくサガはゆっくり私室へ戻って行ったようだった。一気にどっと疲れが出て大きなため息が漏れる。

「お前、今から出発か?」
 突然正面から掛けられた声に勢い良く顔を上げると、聖衣を着た顔に汚れが残ったままのシュラがすぐ側に立っていた。その姿を見た途端、嬉しさと安心感が込み上げてきて顔面がデロンと溶けた気がする。シュラに近寄り肩へ腕を回した。
「報告なら明日にした方がいいぞ」
「何かあったのか」
「うん、まぁ、問題無ぇけど今は刺激を与えない方が良いな」
 そのまま不審がるシュラの背中を押して磨羯宮まで下りていく。デスマスクにとってシュラの登場は本当にタイミングが良く、胸に支える不安感が次第に和らいでいった。
「はぁ…お前タイミング良すぎだろ、わざとか?」
「偶然だ。お前が夜の仕事とは知っていたがとっくに出ているものと思っていた。それより本当に何もされていないな?」
 ――そんなに心配してくれるのなら、ちゃんと愛してくれって――
「ちょっと変な話聞かされただけで、手は出されてねぇよ」
「そうか」
 付かず離れず並んで歩き、磨羯宮に着くと私室への扉の前でシュラが足を止めた。それに合わせてデスマスクも立ち止まり、辺りが静まり返る。「じゃあな」と別れて進めば良いものを、なんだか離れがたい。女々しいのは嫌いだがそう思ってしまう。自分が思っている以上に不安が解消されてないというのか。気持ちを整えデスマスクが足を踏み出す前に、シュラの聖衣がカツンと響いた。
「下まで付き合おう。どうせ俺はもう食べて寝るだけだからな」
笑いながらそう言って今度はシュラがデスマスクの背中を押す。ハハっと軽く笑い返したデスマスクはシュラの顔を見て、目の下に残っている汚れを指で拭った。
「ここ汚れてっから寝る前にちゃんと洗えよ」
「あぁ…今日は雨上がりの場所でぬかるみまくっていたんだ」
「地を蹴らないと飛べない山羊は大変だな」
 他愛のない話を繰り返して心にシュラを補充する。十二宮の入り口に着く頃にはいつものデスマスクに戻れるだろう。貰った鍛錬着ではこうなれない。やはりシュラ本人が良い。なぜαにならなかったのか。なぜαになってくれない?諦めきれず何百回と思ってもどうしようもない事。愛に飢えようがシュラに捨てられようがサガの元へは行かない。シュラ以外の誰の元へも行かない。それを、自身が持つ力で証明してやる。
 別れ際、シュラはよくニヤりと笑う。昔は嫌だったがもう気にならなくなった。肉をよく食べるからか?今日も何だかβにしては鋭い歯が目につく。
ーーいつか…死ぬ時でもいい。ソレで、俺を、噛んでみて…くれないかな…ーー
 僅かにフェロモンを溢して、デスマスクは聖域から消えた。

ーつづくー

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2024
04,03
 αとは番にならない、シュラはもうαにはならないだろうから。その先にある未来がどんなに暗いものであろうと、それだけは貫き通したい。それくらいの強さだけは、どれだけΩに歪められようとも最後まで手放さず持ち続けたい…。

 シュラの誕生日から半年が経ちデスマスクも21歳を迎えた。サガからは何か仕掛けられる事もなく、以前と同じ聖域と隠れ家を行き来する生活。今も変わりなく自分の面倒を見続けてくれるシュラ。昔はアフロディーテと比べて付き合い難く、警戒すらしていたというのに8年も時が経てばこうも関係が変わってしまうものなのだろうか。まさか自ら好きだと、抱いてほしいと懇願してしまうほどシュラに溺れてしまうとは。そこまで曝け出したというのに、シュラだって自分のことを好きでいるはずだろうのに、決定的な言葉だけは避けてβを理由に自分の役目を淡々とこなし続けるだけ。

 初夏、ニ人だけの隠れ家。デスマスク21歳最初の発情期も終わりが近付きシュラは聖域へ戻っている。今は誰もいない。シュラが用意していった昼食を食べた後、自室へは戻らずシュラの部屋へゆっくり踏み込んで行った。ほとんど物を置いてない狭い病室のような部屋。磨羯宮のシュラの部屋とは違う。あそこにはそれなりに物が溢れていて、隅に積み上げられた畳んでいない洗濯の山とか、テーブルの端に積み上がった雑誌とか間に挟まっている書類とか…本当は片付けが苦手なのだろうと思える。隠れ家ではやる事が無いからか、もしかしたら俺がいるからなのか洗濯もちゃんと畳むし、食器類だって乾いたら収納場所へ戻している。やれば出来るのに、自宮でのだらしなさには親近感がわいてシュラのそんなギャップにすらデスマスクの心は掴まれていた。

 部屋のほとんどを占めるベッドを見つめ、息を吐いてからそっと寝転ぶ。起きた時に捲られたままのタオルケットを掴み両手で抱いた。当然のことだが何の匂いも感じない。枕に顔を埋めても、何も匂わない。夜風は涼しいかもしれないが冷房のない部屋で寝て、フェロモンとかではなく少しは汗とかシュラ自身の匂いくらい感じてもいいと思うのに…嗅覚が奪われているのかというほど何も感じない。

 諦めて起き上がったデスマスクはクローゼットに目が行った。勝手に見るなんて最低だなという思いとは裏腹に足はクローゼットの前へ向かい、扉を開ける。中を覗いて思わず「フッ」と噴き出してしまった。ハンガーにはニ着のちょっとイイ外出着が掛かっているだけで、部屋着用の服や下着は下段に置かれた籠の中に畳まず放り込まれ積み上げられているだけ。いつもデスマスクの洗濯物はちゃんと畳んで渡されるのに。
「どうせやる事無ぇなら俺のついでに畳めばいいだろ」
見えていないだけでシュラの雑さは隠れ家でも健在だった。ニヤけながらクローゼットの前に座り込み、上から一枚シャツを掴んで、畳んでやるでもなく、匂いをかぐ。
――匂わない――
 そんな事わかりきっているのに、一枚、一枚と次々出しては繰り返し、籠が空になるとデスマスク自身がシュラの服に埋もれていた。そのまま服の中に寝そべってぼんやりしていると、ふと「Ωの巣作り」を思い出した。番持ちΩが発情期を癒すために行う行為の一つで、αの匂いを求めて私物をかき集め、番が外出中はその中に埋もれて過ごすというもの。
「諦めきれない、ってぇーのか…」
シュラはαにはならないというのに。どれだけそう言い聞かせて納得したフリをしても本能が求めてしまう。
「シュラ…」
 短くて呼びやすい名前。今更だがコレって本名なのか?お前も本当の名前持ってたりするのか?この名前しか知らないから、聖闘士ではないお前の名前を知っても呼ぶ気は無いが。なんだか凄く、俺の口に馴染むんだよな…

――ただ、お互い好き合って結ばれて、二人で穏やかに暮らしたいだけなのにいつもそれが許されなくて。想いは通じているはずなのに。想いが通じても、結ばれても、直ぐに引き裂かれてそれが何度も何度も…。次こそはと未練がましく生まれて来ては、繰り返すばかり。本当に、満たされない。一緒にいれるだけでいいなんて、それだけではもう満足できないんだ。こんな俺たちを、神は何が楽しくて眺めているというのか。愛と平和の神に使えさせて、それを裏切るシナリオで、きっとまた、俺たちを突き落とすのだ…――

――……
「……デスマスク」

 耳に馴染む声に名前を呼ばれ、体が揺れた。ふ、と瞼を持ち上げると涙が溜まっていて視界がぼやける。横を向いていた体を仰向けに倒されて、瞬きを繰り返しながら目の前の黒い影を眺めていると布で目元を優しく拭われた。
「デスマスク、調子が悪くなったのか?せめてベッドに上がれ」
 視界がハッキリして自分を覗き込む顔に手を伸ばした。シュラだ。
「…帰り早くねぇ?俺寝てた?もうそんな時間?」
 伸ばした手は頬へ届く前に掴まれて、仕方なくそのまま体を起こす。その体からタオルケットではない布がハラハラと落ちていった。体を起こして床に手を付いたはずなのに、布に触れて少し滑る。
「今日は早く終わってな。お前は何か探していたのか?それにしても散らかし過ぎだろ」
 ため息を吐きながらシュラはデスマスクの体に乗る衣類を集め始めた。それはシュラの服だ。デスマスクが全部、クローゼットから引き出した…
 その様子を見たデスマスクは突然何度も首を回してシュラの部屋を見渡した。狭い部屋に散らかる衣類、そこに埋もれてうずくまっていた自分。それは、まるで…

――あんなにαの荒らし行為が気持ち悪いと言ったくせに、Ωとして全く同じ事をしている――

 そう気付いた瞬間、デスマスクは動悸がして胸を押さえた。
「おい…本当に調子が悪いのか?」
 不審に思ったシュラは集めていた服を置いてデスマスクの背中に手を添える。
「一度部屋に戻れ、連れて行ってやるから…「違う」
 抱き上げようとしたシュラを制し、息を整えてから少し震える声が響いた。
「お前、この部屋見てどう思う…」
「どう?…まぁ、やってくれたな」
「気持ち悪くねぇ?気持ち悪いよな…?勝手に部屋荒らされて…αのように…」
 そこまで聞いてやっとシュラは"あぁ…"と何かに気付き納得した素振りを見せた。集めた服の中から適当にTシャツを1枚掴んでデスマスクの前に差し出す。
「コレ、が欲しかったのか」
差し出されたTシャツを一目見て、恥ずかしさからデスマスクは顔を背けた。
「βのものでも構わないのか?αのように癒しにはならんだろう。好きならばそんな事関係無いのか?」
 シュラはデスマスクに持たせるようにぐいぐいとTシャツを押し付けた。それを振り切るようにデスマスクが声を荒げる。
「コレはいらねぇっ…!何も匂わんし何の癒しにもならねぇよっ!」
「…だよな、所詮βではな」
「そうではなくて、お前の物持つとか気持ち悪いだろ…お前、が…」
 消え入るような語尾も聞き逃さず、真っ直ぐデスマスクを見続けるシュラから軽く笑う声が漏れた。
「別に、これはΩの巣作りみたいなものなのだろ?β相手にもこんな愛情表現、可愛いことしてくれる」
「だっ…?!うるせぇ!好きだから、仕方ねぇだろ!」
「あぁ、仕方ないな。コレも、αのアレも…」
 静かに呟いて、シュラは再び散らばった服を集め始めながら言葉を続けた。
「欲しければどれかお前にやるが?」
「いらねぇよ!さっき言っただろ!こんなん、貰っても…」
「だが気になるから出したのだろ?一つくらい持っておけ」
 そんなこと言われても、わかっているのか?コレを貰って、コレがどう使われるのか…。自分でさえわからない。抱いて寝るとかそんなかわいいコトだけで終われるなんて、思えない。それこそ最低なαの行為と同じで…。βの物だから、それでも癒されなくてとことん最低な行為の道具になるとか想像つかないのか?
「好きにすればいい。俺ができるのはこれくらいだからな…寧ろ役に立つなら持っていってほしい」
 言葉にしていないのに、さすがΩを調べ上げてただけある。いやαの行為を見ていれば分かり切った事なのか。
「…コレ、ぐしょぐしょになるとか考えねぇの?」
「だから好きにしろ。返さなくて良いぞ。使えなくなったらまた何かやる」
 シュラはククッ…と笑った。例えシュラが自分に好意があるのだとしても、そんなこと気持ち悪いとは思わないのか?心からの愛があれば、受け入れられるものなのだろうか。俺の信用を得るために無理しては…いない、と思う…。嫌な事であればこんな提案すらしてこないだろう。
「…だったら」
 デスマスクの声にシュラは動きを止めて顔を向ける。
「さ…、洗ったコレじゃなくてよ…」
 手が伸びてきて、袖をクイっと軽く引かれた。
「今着てる、コレがいいんだけど…」

ーー

 デスマスクの申し出にシュラは直ぐその場で鍛錬着を脱いで渡した。受け取ったデスマスクは両手でそれを握り締めてから、何も言わず突然テレポートをして自室に戻ってきてしまった。
「…せめて、あの部屋片付けてやるべきだったな…」
 しかしまた戻るのも恥ずかしい。今のシュラなら怒ったりしないだろ。
 ベッドの上で、まだ温かい脱ぎたてのシュラの鍛錬着を抱いて横になる。さすがにこれは、ほんの少しシュラの匂いが残っているような気がする。フェロモンではない人間の匂い。
……やばい、むずむずする、かも……
 たった今の今で使ってしまうのは、あからさま過ぎて自分でも嫌だ。昔はそうだったが今、自分は欲を癒すためにシュラを利用しているのではなく本当に惚れてしまっているのだ。嬉しい。ただの鍛錬着一着だけなのに今腕の中にあることが嬉しすぎる。せっかく手にした物だから、汚さないように…。あぁ、そうか。汚さなければ…いっか…。

 上半身裸のまま部屋の片付けを終えたシュラは部屋着を掴んでシャワー室へ向かった。居間を出て階段の下で足を止める。特に上からの音は何も聞こえない。いや、耳を澄まして何か聴こえてきたら満足するというわけではないのだが。
 着ていた鍛錬着を渡した瞬間に見せた、デスマスクの蕩けた顔がずっと頭に残って離れなかった。嬉しそう、とは違う。発情期のピーク中に見せた情緒の激しい表情とも違う。キスをしなくてもただの服一着であんな顔を見せられると、もっと良い物をあげたらどうなるのだろう?そんな期待が沸いたが、普段から与えていないからこそだよなと考え階段下から足を動かしシャワー室へ入った。

 ――好きな男が自分に夢中になる姿がたまらない――
 どこまで我が儘をしても見捨てられないか試す男と、どこまで与えなくても追い続けるか試す男。ただ穏やかに愛し愛される事が叶わないゆえに歪んできた関係。βとΩとして生まれてきても切れそうにない二人の運命。何をしても切れそうにない関係は、何をすれば壊す事ができるのだろうという好奇心が少し出てしまう。デスマスクを無理矢理αに渡していたらどうなった、とか。…そんな事できるはずもないと知っているからあえて考えられるのだが。きっと、聖域が早くに崩壊するだけだろう。怒ったデスマスクがしおらしく自死するとは思えない。俺を困らせる全ての策を尽くし、聖域のみならず世界の平和を巻き込む最悪の結末だ。
「それも面白そうだが、俺の大切な男だからな…」
 好奇心はあっても本当に傷付け合うような事はしたくない。悲しい顔より先ほどのような蕩けた幸せそうな顔が見たい。いつになれば叶う?いつになれば…。早く…もう、そろそろ、良いのではないか…?オレは何を待っている?

 じわり、デスマスクを想うと疼く事が増えてきた。与えた鍛錬着をあいつはどうする?どうしている?今、抱いているのだろう?いや、抱かれているのか。αの遺物でもないアレを相手にして、フェロモンなんか無いというのに必死に縋って…。
「はぁ……デスマスク……」
 流れ続けるシャワーの中で吐息混じりに名前が溢れた。隠しても無駄だったな、お前の名前。巨蟹宮にデスマスクが現れるから、という理由だけで付けられた名前。お前自身を表すものではないと思って最初こそ呼び慣れなかったが、今はこれしか考えられない。死を覆い隠し、生まれ変わっても追い続ける姿。死を終止符として終着としない。死んだ事を隠し続けて終わりを見せない。だから俺がβであっても、あいつは諦める事など頭に無い。疲れてしまう前に一度、抱き締めてやらないと。それだけで、どんなに蕩けた顔を見せてくれるのか…。
「……ふっ……」
 沸き出た欲望は素早く流れ消えていった。目の前のタイル壁に腕を付いて、排水口を眺める。ずっと意識することなど無かったというのに、ただ吐き出すだけの行為でもデスマスクの事を考えるようになっていた。裸を考えるまでもなく果ててしまえる自分に可笑しくなる。以前、デスマスクから仕掛けられた些細な切っ掛けにこうも影響を受けてしまうとは。
 サガがデスマスクの様子を見続けるのはいつまでだろう。自分の中でずっと秘めていた愛おしさが、こうして欲となり溢れるようになってきている。それよりもっと強い執着が奥底で燻っているのを時おり感じる。知らない景色と知らない自我がデスマスクを渇望してくるようで。それはまるで、敵が自分の中にいるような…。αの、ような…。

ーつづくー

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2024
03,20
 フェロモンを出したままデスマスクが聖域に戻った騒動の後、シュラはサガとの面会に強い意志を持って挑んだが、デスマスクに対して咎められたり強硬手段を取られる事は無く肩透かしを食らった。むしろ清らかなサガはどこか後ろめたい雰囲気でデスマスクの様子を気遣うほどであった。ただ「デスマスクはαと番う気は無いと言っている」とハッキリ伝えたシュラの言葉に「今は焦らず模索していこう」と、控えめに考えを改める気は無さそうな言葉を返してきた。

 巻き込んでしまったアルデバランや対決した聖闘士たちにはシュラが出向き詫びて回った。そしてサガよりもアフロディーテが最も恐ろしく、顔を合わせた瞬間にデスマスクから目を離した事をこっ酷く叱られた。本心からデスマスクを心配しての怒りという事が感じ取れたためシュラは何も言い返せなかった。説教をされる中でアフロディーテがデスマスクを傷付けてしまうかもしれない恐怖に震えていた事に気付き、シュラが来た事で心置きなく荒ぶりをぶつける事ができたという点だけは感謝された。何も嬉しくないが、自分の存在がデスマスクとアフロディーテの関係を守ったらしいという事は良かったと思う。デスマスクはαという存在を嫌うものの、アフロディーテ個人を嫌っているわけではないのだから。

 発情期が終わりデスマスクも聖域に戻ると、デスマスクは自分に対する周りの雰囲気が変わったように思えた。どこかΩが馬鹿にされていたような空気を感じていたものから、Ωを怖れるものへと。それを鼻で笑い、シュラと共に巨蟹宮まで向かったが私室への扉の前で足を止めた。
「どうした?」
「…ちょっと、嫌だな」
中へ入ろうとしないデスマスクの代わりにシュラが扉を開け、先に進んだ。
「誰もいないから大丈夫だ。…部屋も全て戻してある」
だから来い、と軽く両手を広げて部屋の中へ誘う。きっと、ここで見てしまったものがトラウマにでもなっているのだろう。デスマスクはシュラを見てその場所までゆっくり歩いて行くと隣に寄り添った。
「…なぁ、お前の宮に俺も住むことできねぇの?」
ぼそりと呟かれた提案にシュラは顔をしかめる。
「それはちょっと…理由が無いな…」
「Ωは狙われて危険ですから、で良いだろ。むしろ何で今までそうしてこなかったんだってレベル」
「基本的に黄金は自らの宮を守護しなくてはいけない。確かに外泊やら何やらで、あって無いような規則だが。それより俺たちが必要以上に近付く事は避けておいた方が良いと思う。お前は絶対にボロを出しそうだからな」
あくまでもここではβとΩを超えないように。そう言われたデスマスクは唇を尖らせると、シュラの腕を掴み居間の方へ向かった。
「だったらせめて、戻った初日だけお前もここに泊まってくれ」
「だから…「何か気持ち悪くて落ち着かねぇもん。お前の匂いでお清めしてくれよ。匂いわかんねぇけど」
ぎゅう、と腕を握って軽くもたれ掛かってくる。デスマスクの甘えた姿にため息が漏れた。
「…今夜だけだぞ、明日の朝は勝手に出て行くからな…」
んふっ…と満足そうに笑うデスマスクの体がポッと熱を帯びた気がして、シュラは慌てて開けたままの扉を固く閉めに戻った。

ーー

 年が明けシュラは21歳を迎えた。1月の終わり頃にはまたデスマスクの発情期がやってくる。聖域を経つ前に再検査を受けておこうと貴重な休日に検査機関を訪ね採血を終えたシュラは、帰りにロドリオ村へ寄り久しぶりに本屋の前で立ち止まった。
 デスマスクがΩかもしれないと知った頃、とにかくΩについて知りたくてたくさんの本を漁り読みふけっていた。あの頃の自分はデスマスクにどんな期待を抱いていたのだろう。Ωという希少な存在を見てみたい…それだけではなく、そのΩがデスマスクであれば良いのにと。その願いは呆気なく叶い、首輪を着けたデスマスクの姿を見た瞬間には芯から震えるものを感じた。
 似合ってる、かわいい、守ってやりたい、手にしたい、離したくない、俺のものになればいいのに…。
 自分の中に渦巻くαのような欲望を感じては振り切ってきたつもりだった。しかしβには手に入らないはずのΩはその欲望を次々と叶えていく。
 守られたい、離れたくない、愛してほしい、お前が好きだから…。
 それは、自分がαではなかったから選ばれたのだろうか?βだから、フェロモンに左右されない愛に憧れたΩに。ただ、どう足掻いてもβはαに敵わない。愛するΩを守り切れるのはα。βとΩがαの脅威から逃れる道は、今生に別れを告げることのみ。俺たちが愛を選ぶのは、無責任に聖域と世界の平和を投げ出すことにも繋がるだろう。この愛は平和を願うものではない。俺たちの、欲にまみれたもの…。

 店頭に並べられた生活雑誌を眺めてから、ふらっと店の中へ立ち入る。第二の性についてまとめられた本棚。何度ここに立ったことか。手に取りやすい平積みの雑誌を手にしてパラパラと眺める。雑誌のデザインや読者への訴え方はおそらく今風に書き換えられているが、中身としては知っている事がほとんだ。数百年前から知られていて長年研究され続けている第二の性は、そこまで頻繁に新しい情報が更新されたり新発見があるものでもない。何より自分はもう何年も本物のΩに寄り添って生活をしている。今なら自分が記事を書いた方が斬新な物に仕上げられそうな自信もあった。

 本を戻して店を出ようかと視線を動かした時、視界に「Ω」の文字が映った気がして無意識にそれを探した。いつもの場所とは違う、もう少し奥へ進んだところ…

――あぁ…こんなものまであったのか…
 踏み込んだ先は成人向けの雑誌コーナーで、その1冊が「Ω特集」の写真集だった。左開きの表紙には女Ω、裏を返して右開きの表紙には男Ω。首輪だけ着けた柔らかそうな裸は草花やレース、リボンなどで上手く芸術的に隠されている。
 絶対にやってくれないだろうが、こういう装飾は白い肌のデスマスクにも映えるだろうな…。
 そんな事を何気無しに思いながら雑誌を手に取ってみたが。

「……」
 中身を開いて騙されたと思った。Ω単体で写っている写真はおそらく発情期中のものかαに発情させられているあられも無い姿がほとんどで、更にはαと思われるモデルとの愛情よりも支配されているかのような品の無い絡みの写真も含まれていた。少しでも表紙のように芸術的なものかと期待した自分が馬鹿だった。
「…所詮、ただの性欲雑誌か…」
 何の魅力も感じない。こんなもので無理に発散するより、デスマスクの単なる寝顔でも見ている方がずっと満たされる。
 シュラは手に取った雑誌を静かに戻し、何も買わずに店を出た。

 …その様子を、店内で気配を消して伺っていた男がいた。その男はシュラが去った後、成人コーナーに立ち入り同じ雑誌を手に取った。パラパラめくる手が、震えている。
――あいつ、何でこんなものぉ…!
 下唇を噛んで、手にしていた雑誌を雑に投げ戻した。店を出るとシュラの姿は見当たらない。男は辺りを見渡し少し歩いてから、静かに姿を消した。

ーー

 再検査の結果は、何も期待していなかった通りβのままだった。むしろ数値が下がっている項目すらあった。シュラ自身それによって自分が弱くなったと感じるわけでもなかったので、特に気にする事は無かった。

 デスマスクの発情期が近付き聖域から連れ出す日、巨蟹宮でシュラは再検査の結果をデスマスクに見せた。チラ、とβの記号だけ確認したデスマスクは「もう検査しなくていいんじゃねぇの」と低く呟いた。
 十二宮の入り口まで二人で下りて行く中、デスマスクはどこか機嫌が悪そうで静かにしている。少し久しぶりに会うので嬉しさが隠しきれないような素振りをされるかと思っていたが、また早めに発情期が始まってしまうのではと考え、辺りの気配を探り、デスマスクを庇うようにすぐ側を並んで歩いた。

 今回隠れ家に向かったのは夕方。着くなり自分の部屋へ向かったデスマスクは夕食まで下りて来なかった。シュラはデスマスクの様子を見ていたが、熱っぽさは無く逆に冷めたような雰囲気を感じていた。普通に体調が悪いのかもしれない。リゾットでも温めるか…とレトルトを箱から取り出して準備をした。

 夜、階段から下りて来る音が聞こえる。シュラは扉が開く音を聞きながら、温めておいたリゾットを皿に盛り付けテーブルへ持って行こうとした。

「……」
 振り向いてデスマスクの姿を見たシュラは、違和感に立ち止まる。デスマスクもそんなシュラを見てソファーへ向かわず、手に持っていたリゾットの皿をわざわざ自分で受け取りに来た。
「……そんな衝撃かよ」
 シュラの目の前で首を傾げてみせる。いつもより、しなやかに曲がる首。
「お前、調子悪いのか…?」
 呟いたシュラは空いた右手を思わずデスマスクの首に伸ばして、触れた。柔らかく、温かい。いつも首をすっぽり覆っている保護首輪を着けていない。いや、それくらいはシャワー前後などでたまにあった。ただ黄金の首輪だけは何があっても外す事はなかったのに、それすら身に着けていない。7年前に見たきりの、何も着けていない無防備なデスマスクの首元。
「首が苦しい、とか…」
「何も無ぇよ。だってお前βだろ?二人きりなら守る必要無ぇし。それと、こんな状態のままどっかに消えて行きませんっていう意思表示」
 そう言ってデスマスクは首に触れる手を払い、テーブルにリゾットを置いてソファーに座り込んだ。シュラは寂しくなった右手でスプーンを二人分掴み、後に続く。
「お前ってβのくせに首輪ある方が好きとか?」
 スプーンを手渡すとデスマスクに問い掛けられた。「別に…」と答えてから考える。首輪は首輪で似合っているとは思っていたが、好きかと聞かれればそこまでこだわりも無い、はず。
「そりゃあアレは窮屈だからよ、これからここに居る間だけ外すことに決めた。βに噛まれても問題無ぇし。成人過ぎてαに変異ももう無理だろ…」
「わかった。好きにすればいい」

 そこから食事の間は言葉を交わさず、時おりスプーンが皿を打つ音が響いて終わった。
 シュラが洗い物をしていてもデスマスクはソファーに座ったままで部屋に戻る気配が無い。片付けを終えてデスマスクの元へ行くと、声をかける前に直ぐ隣の席を手でパタパタ叩かれた。
――普段は向かい合って座るが何か企んでいるのか…
 怪しく思いながらゆっくりと隣に腰を下ろす。
「何か話があるのか?」
「ちょっと気になってる事がある」
 デスマスクはシュラの問い掛けに答えながら、スル…と手のひらでシュラの太腿を撫ぜて。
「お前ってさ、今までどうやってコレ発散してきた?」
 ぐぐ、と体を寄せ、シュラにもたれて軽く股に触れた。その手は呆気なく払い退けられる。
「…どうも何も…普通に、だ…」
「普通に、何を考えてしていた?」
「わざわざ何かを考えるとかは無い」
 無い?とデスマスクは明らかに不満気な声をあげた。
「お前エロ本見てただろ」
 冷めた低い声で問われる指摘に今度はシュラが「はぁ?」と不満気な声を漏らす。そんなもの持っていないし興味も無い。

「この前、本屋で見てたのオレ知ってるからな!」
 …そう言えばそんな事もあった。下心で見たわけでは…と思ったが、デスマスクの裸がこんな風に装飾されたら、という妄想は下心で間違いないのか。
「しかもΩのな!俺の前では健全ぶってるくせに、そんな趣味あったのかよ!」
「アレはたまたま…「良い相手になりそうな子でもいましたか?!」
 すぐ真横に迫るデスマスクに押され、シュラはソファーの肘掛けを跨いで床に片手を付いた。まったく何を怒りだしたんだ。
「待て、ちょっと落ち着け。また発情期が早まるぞ…」
「早まってもお前に関係無ぇし。可愛くねぇΩの淫乱な格好なんて見ても萎えるだけだろ?!」
 その言葉を聞いて、あぁ…と納得したシュラは反らしている体を戻しデスマスクを押し返した。

「お前、勘違いして嫉妬したのか」
 よくある漫画みたいなこと本当にあるんだな、と続けると拳が飛んできたので避けた。怒っているのか恥ずかしいのか、眉間に皺を寄せたまま目が少し潤んでいる。そうか…急に怒りだしたのではなく、コイツは最初からずっと怒って不貞腐れていたのか。

「はぁ…お前の可愛さは見た目ではなくて、そういうところだ」
 いや…自分に限っては見た目も好みなのかもしれない。完全に男顔のデスマスクは"世間的に可愛いという表現には当てはまらない"というだけで、誰しも美形を好きになるわけではないのだし。
 地上で最も美しいらしいアフロディーテは美貌を称賛されるもそれが恋愛に直結している雰囲気は、長年見てきたがあまり感じられない。憧れる者は多くとも、手にしたいと追い掛ける強者はいなさそうだ。白銀には対抗心を燃やす男さえいると聞いた事がある。デスマスクと同じくらいアフロディーテの事も側で見てきたが、よく考えればアフロディーテに対して可愛いと感じたことは無い気がする。怖い、はよくあるが。

「お前は股を開いてあられもない格好なんか見せなくて良い。それは気持ち悪いとかではなくて、お前はそんな事しなくても何気ない素振りや仕草が可愛いから十分満たされるんだ」
 先程とは逆にじわじわ押し倒されてシュラに覆い被さられたデスマスクはソファーの上で丸くなって不満気なまま顔を逸らしている。
「…じゃあ、俺の事も考えたこと無ぇんだな…」
 小さく絞り出すような声が聞こえた。それが一番聞きたかったことか、と愛しさが増す。
「ずっと大事に守ってきている仲間をそんな風に扱えるか?」
「そんな綺麗事、言わないでくれ…」
 デスマスクは顔を腕で覆って隠してしまった。デスマスクに何かをしたりされたり、という妄想で処理をする事は本当に無かったが、体が熱を持つ切っ掛けのほとんどはデスマスクで間違いない。だいたいは目覚めた時に終わっている。起きている時、生理現象に襲われても普段から自慰を楽しんでいるわけでは無いので処理自体は直ぐに終わる。ゆっくり妄想なんてするまでもないというのが真実だ。
「お前は俺に考えてほしかったのか?」
「もぉいい…」
 自分に都合が悪くなったのか殻にこもってしまった。そもそもデスマスクの事を考えてしていたとして、それを正直に言うと思うか?好きな相手からそれを言われると嬉しく思うものなのか?例えば、シュラの場合デスマスクが発情期を癒すために自分との行為を考えながらしていたら、嬉しいと思うか…?
「…お前は、発情期の時に俺とのことを考えたりした事はあるのか?」
「ンなモンあるわけねぇだろ!ヴァーカ!」
 思い至ったままの疑問を口にすると、デスマスクは急に声を張り上げてからそのままテレポートでシュラの下から消えてしまった。

「…まぁ、意識も朦朧とする程だし何か考える余裕は無いよな…」
 一人取り残されたソファーの上で座り直しながら"あったとしてもアイツこそ素直に言うわけがない"と思う。ならば、自分との行為を考えていたとしたら?そもそも自分がどうやってデスマスクを抱くのかも想像できない。キスはした。キスをして、多分あいつのことだから自分から要求してくるかもしれない。触れてほしいところを、自ら体を開いて見せて…ん?そこまで大胆か?発情期の最中は積極的過ぎたが、実際は恥じらうタイプではないか?

「……」
 そんな事、真剣に考えてどうするんだ。おそらく自分がデスマスクを実際に抱くという事には至らないだろう。何か事故が起きない限り。妄想したところで虚しいだけではないか?妄想だけでも満たされるものなのだろうか?それで満足できるくらいなら、デスマスクもわざわざ抱いてほしいなんて口にしないだろう。
 もし「お前の事を想ってした事がある」と言っていたらあいつはどんな反応をした?素直になって「俺も」と本当の事を言うのか、それとも馬鹿にされるか。その先にどんな展開があった?まさか「妄想じゃなくて俺を抱けば良い」とか結局言い出して…。

「…気を抜かないに越した事は無いな…」その必死さは可愛いだけだが。
 溜め息をつきながらシュラは立ち上がり、シャワーを浴びる事にした。

ーつづくー

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2024
03,17
「ンンッ…!ふ、はぁっ…!ァアッ…」
 しゅらとキスした、しゅらにキスされたぁっ…
 すき、すき、もっと触ってほしい、もっと触って、おれに触って、舐めて、なめてくれよぉっ…!

 シュラが部屋を去った直後、それまで効いていた抑制剤の効果は一瞬にして打ち消されデスマスクは強い幸福感と快感に乱れていく自分が止められなかった。聖域で体中を打ち付けた痛みは全く感じず、中途半端に服をはだけ脱いで、触れて欲しいところに手を這わせた。でも今回はそれだけでは足りない。ベッドからずり落ちて、這いながらΩを癒す道具を求めて引き出しを開けた。
 抱いてほしい、抱いてほしいけど、ダメだって…。注射するって…。
 ジワっと涙を滲ませながら道具と潤滑剤を取り出す。薬が変わってからずっと使っていなかった。
 今日は苦しくて使うんじゃない、もっと…もっとシュラを感じたくて、使う…。
床に寝そべりながら躊躇いなくパクっと口に含んで、先端が上顎を撫でるように動かした。ジンジンしてくすぐったい。
 あいつは多分、おれにこんなことしねぇだろうから、せめてここを舌で撫でてほしい…。でもおれがしたい、って言えばやらせてくれるか…?性欲くらい、βでもふつうにあるよな…。あいつ今までどうやって処理してたんだ?…なにも考えない、が一番いい。ただの処理だ。女なら…十分嫌だが普通に考えればそうだろうから仕方ない。他の男だけは、特にΩは絶対に嫌だ。おれだって男なんかあいつの事しか考えた事ない!
 ずるっと道具を口から引き抜いて、舌で小さく舐めた。
 おれのこと、考えたことあるのだろうか?おれにこんなことされて、とか…。
 ふやんと口元を弛ませたデスマスクは、シュラが自分のことを想いながら処理する妄想でいくことに決めた。こんな事を考えられているなんてドン引きだろうとは思うが、Ωの底なしの欲望に抗えない。自分だって被害者なんだと言い訳がましく体を開いていった。



 隠れ家に来て4日目の夕方、シュラが居間のソファーに腰掛けてスケジュール帳を眺めながら、そろそろ夕食の支度を始めようかもう少し待とうか考えていた時。デスマスクが下りてくる音が聞こえ、そのままシャワー室へ入ったようだった。普段ならまだピークの最中だろうが、今回は早めに来たため抜けるもの早いようだ。
――二人分だな。
ピークの終わりを記入してスケジュール帳を自室の引き出しに仕舞ってから、シュラは夕食の準備を始めた。

 シャワーの後デスマスクは当たり前のように居間のソファーで横たわり、夕食が完成するのを待つ。そして小皿に少しだけ盛られたペンネ料理が配膳されるとチマチマ食べて完食し、シュラの手が開くのを待った。
「ピークは予定通り過ぎたな、キツくなかったか?」
自分用の夕食を食べ始めるなり、待っていたデスマスクに話し掛ける。
「今はもう薬飲めば問題無ぇし」
ソファーで横たわったままシュラの食事風景を眺めて答えた。
「初日、体もボロボロなうえかなり熱が上がっていたようだったが」
「あれは…原因わかってっから…」
シュラにキスしてもらった事は思い出すだけで体がジンとする。一人の時意外はなるべく思い出さないようにしたい。

「…で、言いたい事はあるか」
発情期を挟んでしまって保留にしていた、初日にデスマスクが聖域へすっ飛んでしまった事だ。デスマスクは色々と自業自得だが、迎えに来たシュラに傷を負わせ体力も使わせた。Ωを避けていたであろう聖域のαたちを惑わせ、争わせてしまった。雑兵に至っては何人か死んだかもしれない。
「俺はまたお前の発情期が落ち着いたら先に聖域へ戻ってみるが…サガから何を言われるかわからんぞ」
「…番の話、とか?」
「あの惨状を経験して、即当てがわれるかもな」
確かに一刻も早くΩのフェロモンを抑制するには番を持たせる事だ。自分はシュラの態度に不満を感じて試すような事をやらかしてしまったが、αを巻き込んでしまい本気で首を絞める事態になりそうである。それでも…
「…その話が出ても、嫌だ、と伝えてくれ…」
「言うは言ってやるが、それが通ると思うなよ」
シュラに頼んでもどうしようもない事は分かっているものの言わずにはいられない。忘れていたαに対する嫌悪感がデスマスクの中で急に込み上げてきた。
「なぁ、お前は知っていたのか…」
「何をだ」
「俺が聖域に居ねぇ時、αが部屋に侵入してたこと」
食事をしていたシュラの手が止まる。デスマスクの方をチラリと見た。
「お前さ、たまに俺の部屋整理してただろ?あれってαに荒らされた部屋を片付けてたって事か?だとしたらかなり前からそうだったんだよな?」
「…気付いていたのか…」
「だからこっちが聞いてるだろ!」
シュラは目を伏せ、あぁ…と低く唸るような返事をしてから食事を再開した。それを見たデスマスクの体から力が抜ける。
「…現場目撃しちまったらよぉ…無理に決まってんだろ…。怖いとかじゃなくて、なんかもうスゲェ嫌。お前が言い出せなかった気持ちもわかるけどさぁ」でも、全く何も言わないは無いだろう…。
おかげで衝撃が倍増している気がする。整理された部屋に気付きつつ聞きそびれていたデスマスクにも非があるとは言え。
「αのフェロモン食らってそんな事どうでも良くなるくらいグッチャグチャにされてもよ、好きでもないαにされてもよ、Ωとして悦ぶだけなんだろうなとか考えると死にたくなるぜ…」
ぼそぼそ呟く言葉を俯き気味で聞いていたシュラは、そっとフォークを置くと静かに語りかけた。
「…αへのマイナスな感情を与えず説明することができなくて、結局お前に伝えられないでいた。まだ発情期の症状が不安定だったのもあって余計な不安感を抱かせたくなかったんだ…が、早く正直に話すべきだったな。すまない」
「もういいけどさぁ、そんなだからこれから俺にα薦めるのはやめろよ?」
仕方ない、という表情を見せてから食事を終えたシュラが立ち上がりシンクへ向かう。デスマスクは洗い物をする姿を横から眺め、水の音に負けないよう声を張って自分が気になっていた事を聞いてみた。

「お前ってさ、オレが消えたのいつ気付いた?」
「そもそもいつ消えたのか定かではないのだから、早いか遅いか俺にはわからん。気配が消えていることに気付いた時、隠れているだけかと森も見たがどこから入っていったのかもわからんし見当がつかなかった。探っても動物がやけに集まってる場所があったくらいでお前はいない。コスモを辿ってみれば聖域の方から僅かに感じて、まさかそんな馬鹿な事とは思ったがお前ならそれくらいの馬鹿やってもおかしくないもんな」
…シュラが一気に喋る時は多分、何かしら感情が溜まっている時だ。途中でこちらが返す隙もない。
「既にフェロモンが出ているかもわからないし、単に忘れ物を取りに行っただけかもしれない。それでも俺に一言も無いのはおかしいよな?万が一の事を考えて聖衣で向かったが正解だった。生身でα黄金の攻撃を食らうにも限界がある。実際、聖衣を着ていても未だに体が痛い。もう4日目だぞ?」
「…あぁ、ぅん…負傷させて悪かったって…」
「いや、悪いばかりではない。十二宮へ着くなりお前のフェロモンに酔っているらしいαの青銅と白銀がいたのだが、ちょうど戦ってみたいと思っていたからそれは好都合だった」
「…へ…そうなのか…試せてよかったな…」
入り口付近で倒れている青銅と白銀は見た。金牛宮と白羊宮の間辺りから十二宮の入り口までフェロモン飛ぶなんてほんとオレっぴ最強Ω♡…だなんて言ってられない。
「ならば、αの青銅と白銀はβのお前でも倒せたんだ?」
「雑兵に比べると安易ではなかった。だからお前が巨蟹宮辺りにいる時点で俺は聖域に来ていたが、かなり時間がかかってしまったな」
確かにそれならアフロやサガと対峙してるより時間がかかっている。まぁ二人からは逃げただけだが、アルデバランなんかほぼ一撃で吹っ飛ばして終わらせたと言うのに。シュラ自身、αだろうと青銅や白銀に対して高を括っていた感はあるが"ちゃんと倒す"にはそれなりの闘い方が必要だったのだろう。
「そうか…来てたのか。全然感じなかったぜ、お前のコスモ」
「感じない方が危機感あって自分で努力できたんじゃないのか?」
「そりゃあオレサマは自力で抜け出すつもりだったぞ!」
「フン、俺が出てきた途端へろへろに力が抜けていったくせに」
あとは任せた、ぐらいにな。と言われると否定はできない。シュラが来てくれた事を認識した瞬間は泣きたいほど安堵して、まだ危機を脱していないというのに抱き上げられただけで自分はもう助かった気分でいた。アフロが追いかけて来るまでは。
「アフロの言い草では俺の登場が余程嬉しかったようだな。体力は無くてもフェロモンは無限に出せるものなのか」
「…んな事、俺にわかるわけねぇだろ…」
 洗い物も終えたシュラは再びソファーに戻りデスマスクの向かえに座る。

「馬鹿な事をした自覚があるのなら答えろよ?お前はなぜ聖域へ向かった?αを弄ぶためか?」
「……それ、言っていいのか」
「聞いている、答えろ」
真っ直ぐ見てくるシュラの視線が、まるで答えを知っているのにわざと引き出そうとしているようで、自分の口から言えと命令されているようで、その圧力はちょっとαっぽくて息苦しくなる。
「…αはどうでも良くて、お前が、ちゃんと…どこまで俺に本気になって、追い掛けて来てくれるかって…」
モゴモゴと聞き取りにくい喋りで本音を明かすと、溜め息が聞こえてきた。
「…やはり。なんとなくパターンは見えてきた。お前、俺のことを考えるとフェロモンが出るんじゃないのか?」
そんな恥ずかしい事、ハッキリ言わないでくれ。
「知らねぇよ!自分でわかんねぇんだし、お前もわかんねぇんだし!」
「アフロはわかっていた。おそらく…わかっていて、お前との番にも消極的なんだ」
理性が切れるとあんな状態ではあったが、素のアフロディーテは昔から仲が良くても友人関係を超える事はなかった。デスマスク自身にその気は無かったし、アフロディーテも…。多分、きっと、そう…思っているだけなはず…。俺がシュラを好きとか、最近の事だし…。まさかバレてて遠慮とか…。

「来年、俺が21になったらまた検査は受けてみるが…βで揺るぎなければ、お前もちゃんと考えろよ」
「…アフロにしとけ、って事言ってんのか…だからαとは
「誰とも番にならない覚悟が決めれるのなら、そうとは限らない」
どういうこと…とシュラの顔を見た。
「それは俺にとって、最善で最悪の結末だ」
囁くような、低く小さい声で告げられる。
もう、そういうのが狡い。とにかく狡い。そんな聖域や世界のこと何も考えて無ぇ発言。俺のためにそこまでできるって宣言と受け止めてしまうぞ。

「…βがΩを命がけで大事にするのって、やっぱ、そういう事だよな…?」
シュラからちゃんと引き出したい。自分をどう思っているのか。少し上目にジッと見つめて言葉を溢した。
「お前の場合、言うだけ無駄だろ。俺が使命感から大事にしてるだけ、とかグチグチ考えて結論は一生出ない」
もうそこまでお見通しでデスマスクの事を知り尽くしている。なんでわかるんだ。鈍感な時は演技なのか?ってくらい急に鋭くなるのは何なんだ。そしてシュラのように圧力を掛けたいと視線を送っても全く動じない。お前の眼力どうなってるんだ。
「俺がどれだけお前を追い掛けても、お前は満足しないだろう。一生、死ぬまで、ずっと、永遠に。それを望んでいる限り、お前の俺に対する願望は底無しだからな」
再びシュラがデスマスクを強く見返す。顔を逸らしていても視線を感じて合わせてしまう。そうなるともう、真っ暗な瞳に釘付けで…
「死を以って愛を知り、終わりを迎えるはずだった。なのにお前は死を終止符としない。死を迎えても満足できない欲望を抱え、俺を追い掛け続けている。やがて次の生へと繋ぎ、姿を変えても、性を変えても、俺を必ず見つけ出す」
「…なんの、話…」
「俺と、お前の話だ。死んでも終わらない。どれだけ愛を貪っても満足しない。それをずっと繰り返している」
「…俺は、知らねぇ…。じゃあ、俺に好きって言っても無駄だから言わねぇって事か?…俺の、せいになんの…?」
愛が足りない、いや愛され続けても満足できそうもない飢えには自覚がある。シュラから言葉を引き出したい今この瞬間のように。それはΩに人生を狂わされてから自分が変わってしまったのか、押し込めていた生まれ持った性がΩによって解放されたのかはわからない。でもそんな風に言われると自分が責められているようで、それが悪い事のようで、寂しさと苛立ちが同時に湧き上がってきて体がフルっと震えた。

「…いや、すまない…」
ハッと目覚めた表情を見せたシュラがソファーを立ち上がり、横になっているデスマスクの前に跪く。眉間に皺を寄せたデスマスクの頬に触れようと手を伸ばせば、片手で払われた。
「…俺は、お前が好き。お前は?俺のこと好きだと思ってんの?」
真剣な硬い声が響く。直ぐに答えないシュラの顔を見てデスマスクの口がへの字に曲がる。
「…αに渡したくないと思っている」
「それが限界?」
やっと答えたシュラの言葉には何も満足できなかった。そんな曖昧な事が聞きたいのではない。無駄と切り捨てないで、今だけでも満たしてほしい。
「…この前、キスをしただろう。お前はあれをどう思う?同情でしてやっただけと思っているのか?」
「なんでそんな頑ななんだよぉ!」
自分で考えても答えが出ないから聞いているというのに、言っても無駄だとか、わかってるだろう?とか、そんなことばかりで逃げないでくれ。発情期のピークは終わったはずなのに、抑制剤も飲んで効いているのに、体が熱ってくる。自然と涙目になって、多分、今、ものすごくフェロモンを出している気がする。
「ここは誰も居ねぇからいいだろ?!誰にもバレねぇじゃん!俺が好きなら言ってほしいし、キスして抱いてほしいんだよ!何でお前だけ…何で、こんな、好きになっちまったお前だけぇ!」
「俺と、お前の違いだろうな…。アフロならきっとお前が望むものを与えてやれただろう。だが俺はそれができない。だからずっと俺たちの間には一定の距離感があった。違うんだ。俺たちはどれだけ前に手を伸ばしても掴めない。見えない後ろに手を伸ばしてみて、初めてお互いを捕らえることができるのだと思う…最も離れている、山羊座と蟹座の位置関係のように」
「お前ほんっとめんどくせぇ!お前なんか好きになりたくなかった!もう一生βでいろ!一生βで一生俺の世話してサガにボコボコにされても死ぬまで俺をαから遠ざけてろ!」

 デスマスクは目の前のシュラを片手で何度も殴る。シュラはそれを避けず、体に受け止めて背後のテーブルがガタンと揺れた。シュラももうデスマスクを手放したくない事は自覚しているが、αのように正々堂々と表に出す事ができなかった。時々、自制できない気持ちの荒ぶりを感じ何かを口走っているというのに自分は殻を突き破れず、βの平凡さと弱さがこんなところでも感情を押し殺してしまうとは。
…いや、それなら、まだ良かった。
 本当は弱さとかそういうものではなく。ただ、デスマスクの意識を自分に向けさせ、わざと追い詰めさせているだけなのでは…?
 そう思い至ったシュラは無意識に奥歯を噛み締めた。心が、どこか落ち着かない。噛み合わせが悪くなっているのか犬歯が口内や下唇を傷付ける事が最近よくある。食事中など口の中を噛んでしまうことは昔からあったのに、なぜか最近それが気になる。αでもないのに、自分がデスマスクを傷付けてしまいそうな錯覚が…。

「ちょっ…やめろよ!」
 殴られていたシュラは不意にデスマスクの手を捕らえ、ソファーで寝ていた体をそのまま抱き上げた。
「責任を持って、世話はしてやる」
 そう告げて、デスマスクの顔を見る。怒っていたデスマスクはシュラを見上げた途端、強い視線に戸惑う表情を見せた。強気なデスマスクが息を潜める瞬間はゾクリとする。そっと顔を寄せて…キスくらい、してやろうと思えばできるが、しない。そう思うのはβの自制心なのか自身の駆け引きなのか。
「体が熱っぽいな。またフェロモンが溢れているのか…」
 かわいい体だな…と耳元で囁いて抱く腕に力を込める。その言葉にデスマスクはもう一撃シュラの肩を殴ってから胸元に赤くなった顔を埋め大人しくなった。より体が熱っぽくなった気がする。
 かわいい、なんだかんだ言って俺には敵わず必ず折れるデスマスクが。俺が、守ってやらなくては。
 シュラはゆっくり居間を出て階段を上り、まだ発情期中なので部屋の前でデスマスクを下ろした。

「望むものを与えてやれなくてすまない。上手く言えないが、お前の気持ちが無駄にならないよう努力はする。それを見ていてくれ」
「……」
「βとして、俺が死ぬまではお前が望むまま守ってやる。何を敵に回しても」
 その言葉にデスマスクは俯いたままシュラの体を引き寄せて抱き締めた。心を掴ませてもらえない代わりに、ギュッと抱き締めて心音を重ね合わせる。デスマスクの方が少し速い。しばらく無言で抱き合ってから、やがてするりと腕を外したデスマスクは静かに部屋の扉を開けた。

 扉が閉まるのを見届けたのち、シュラはゆっくり階段を下りて居間のソファーへ戻る。先程までデスマスクがいた場所に腰を下ろすと、なんとなくまだ温かいようで愛しさが込み上げてきた。
 デスマスクのΩ判定が出てから7年。聖域から言われるがまま従ってきたβとΩの関係に一つの区切りがついたと感じた。アテナが謳う愛と平和は同じ軸にあると思っていた。しかし、この選択は…。
「ハハッ…そう決めたからには、貫くしかあるまい」
 デカい口を叩くだけで果たせない間抜けな奴にはなりたくないからな。そう呟きながら、愛を選んだシュラはソファーに横たわって聖域の、世界の平和について考え始めた。

ーつづくー

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2024
03,07
ーデスマスクがいない。確かに強く抱いていたはずなのにー

そう感じて意識が戻った時、真っ暗な視界に自分は眠っていたのかと瞼を開ける。シュラは隠れ家の、狭い自室のベッドの上にいた。聖衣は脱がされている。起きあがろうとすれば全身に痛みを感じた。
聖衣を着ていてこの様か…
ゆっくり上体を起こしてベッドから立ち上がろうとすると、すぐ脇の床の上でデスマスクが倒れていた。
「デス?!おい、大丈夫か?!」
床に下りてそっと抱き上げる。頬に触れると熱っぽく息が荒い。そのままデスマスクを自分のベッドに寝かせた。
 この状況を見ると十二宮から戻った後にデスマスクはシュラを介抱したのだろう。途中で力尽きたのか、部屋に戻らず目覚めを待っていたのか…。シャワーを浴びたようで前髪は下りており、首には保護首輪を巻かず金の首輪だけ輝いている。腹が立つことも多いが、無防備な寝姿はただ愛おしくて、そっと頬を撫でた。

 デスマスクの気持ちが自分に向いているだろうということは気付いていた。シュラは自覚が無い頃からずっとデスマスクを見つめ続けているのだ、アプローチに本気で気付かないほど鈍感ではない。シュラ自身もデスマスクに好意を向けられるのは嫌ではなかった。βとしてΩの世話を任されてから、以前にも増してデスマスクの事が気になりデスマスクを思う事が増えたのは事実である。なぜデスマスクの事を考えてしまうのだろう?そんな鈍い事を思うのも今ではわざとらしい。シュラはもう心の中で自分もデスマスクに惹かれている事を認めていた。だからβとΩの関係が無くともデスマスクのために尽くしてやる事は苦にならないのだ。ただ、それをハッキリ伝えてやれない。Ωはαと番になる。βは捨てられる。デスマスクのためではなく自分のために好意をハッキリ伝えることができなかった。
 今回、とんでもない事をやらかしてくれたが自分の曖昧な態度のせいで引き起こした事故なのであれば、強く怒ることはできない。デスマスクは時々、自分に欲しい言葉を待っているような素振りを見せる。曖昧な、どちらとも取れる言葉しか掛けてやれないから、嬉しそうな顔をした後に不安を滲ませる事もある。そこまでシュラは見ていた。自分に好意を向けてくれるデスマスクが可愛い。手放したくない。でもどうしようもない…。サガから与えられる猶予はどれくらいだろう?その時が来たらデスマスクを送り出せるのか?デスマスクは従うのか?デスマスクが従うと決めて離れた時、自分は…デスマスクを許せるのか…?
「っ…」
無意識に強く噛んだ唇は犬歯が食い込み血の味がジワりと広がった。
――暗い、未来しか見えない…。
ベッド脇で床に座ったままシュラはデスマスクの手を握る。顔を寄せて、デスマスクの熱だけを感じ、何も考えなように目を瞑った。



「…ぅ…ゴホッ!ゴホッ!」
抑制剤の副作用もあり深く眠っていたデスマスクは不意に喉の渇きを感じ咳き込みながら目を覚ました。
「…んぁ?…」
ベッドの上にいる。自分の部屋ではなくシュラの部屋の…。いや、ここにはシュラを寝かせたはずだった。

 隠れ家の玄関先にテレポートした後、シュラは自分をキツく抱いたまま意識を失っていた。なかなか離してくれないのをどうにか抜け出し、聖衣は今の自分には重いので一つ一つ外し、それでも重い体を引きずって家の中に入れた。とにかく発情期の熱っぽさをどうにかしたくてシュラを居間の床に置いたまま自室へ抑制剤を飲みに行き、サガたちに触られた事が急に気持ち悪く思い出されたためシャワーも浴びた。シャワー室で座って、何度も泡をつけて擦った。次第に薬が効いてきて眠気に襲われながらも、濡れたタオルで簡単にシュラの体を拭いてやる。居間のソファーでも良かったのにすぐ隣にある狭いシュラ部屋までずるずる引きずっていくと、最後の底力でベッドの上へドサっと乗せた。
 ここまで全然起きない。眠るシュラの顔を見ながら、深いダメージを負わせてこんな状況なのに「今ならキスできるかも…」と馬鹿を超えた欲望がデスマスクに湧き上がる。何せ発情期の初日なのだ。
「キスをしたら、目覚めたり…?」
甘いお伽話の妄想にふわついてヘラっとニヤけたデスマスクはシュラに手を伸ばそうとしたが、自身を覆う熱っぽさと強い眠気に負けて頭から床に倒れ込み、そのまま意識を失った。その後入れ違いでシュラが目覚め、今の状況である。

「起きたのか?」
部屋の扉が開いてシュラと目が合った。途端に居た堪れなくなって視線を逸らす。
「自分の部屋へ行くか?明日にはピークが来るだろう?」
話し掛けられるとシュラの声が体に染みるようで肌がジン…と疼き、触れたい気持ちが芽生えてきた。我慢して、震えそうな指先をギュッと握り込んで口を開く。
「お前…大丈夫か?酷い出血は無いがかなり技を受けただろ…」
「普通に動いてはいるが、全身痛くて仕方ない」
「…だよな…」
シュラがベッド脇まで寄ってきてデスマスクを見下ろした。
「…全く、とんでもない事をしてくれたな」
その言葉にデスマスクは首を垂れる。
「さすが黄金のΩと言うか、あの状況で強姦されなかったのが不思議なくらいだ」
 今回デスマスクが無事でいられたのはシュラが助けに来た以外にもある。Ωのフェロモンが強過ぎたせいなのかαたちが誘惑フェロモンを使ってこなかった点だ。そうする余裕が無かったのかαたちは共食い状態で、争う事を優先していたようだった。
「いや、それを求めて行ったのなら助けてやった事が迷惑だったか?悪い事をしたな」
シュラの言葉に何度も首を振って見せる。
 助けに行った時、デスマスクが必死に抵抗しているのはわかった。腕に抱いた時、心底安心したように身を委ねてくれた事も。だからこそ命を張ってでも先ずはあの場から救出したいとシュラは努力した。

「…言いたい事があればピークが済んでから聞いてやる」
ベッド脇にしゃがみ、黙りこくっているデスマスクを抱いて部屋に連れて行こうと立ち上がった。
「?!…ァンッ!」
デスマスクは突然の事に甲高い変な声が出てしまったと慌てて口を手で覆う。シュラが顔を見ると真っ赤だ。
「…今更、そんな初心な事しなくても…もっと凄い姿をもう見せられてるんだぞ」
ククっと笑って二階の部屋へと連れて行く。デスマスクは眉間に皺を寄せ、熱っぽく潤んだ瞳でシュラを睨んだ。可愛いだけで全く凄みは感じない。

 狭いシュラの部屋から広い部屋、広いベッドの上に優しく降ろされる。
――今、手放すとこのまま数日シュラに会えなくなってしまう。
そう思ったデスマスクは背中から抜けていくシュラの腕に縋った。
――何か、何か引き留めるものは無いか…?!
縋るデスマスクの手をシュラがやんわりと退けようとする。
――まだ行かないでくれ!行くのなら…せめて…何か…
もう一度、強くシュラの腕を掴んで、

「きっ…キス、できねぇか…?」
「……」
「ほっぺとかじゃなくて、ちゃんと…。俺、色んな奴にキスされそうになる度にどうしても嫌で回避できてたけどさ、でももう次があるとダメかもしんねぇ…だから…最初はやっぱ好きな奴と済ませておきたいんだよぉっ…」
「……」
「前にも言ったが、αじゃなくてお前が良いんだよ…。お前はどう思ってるか知らねぇけど、Ωを助けると思ってでもできねぇかなぁ…?」
「Ωを、助ける…」
「そうだよ、お前βだからΩの発情期は癒せないって言ってたけどさ、鎮める事はできなくても俺の心はそれで癒されると思うんだよ!そう思わねぇか?だって、やっぱ、好きでも無ぇαより好きな奴の方が良いに決まってるだろぉ?!」
 熱っぽく潤んだ顔であまりにも必死に訴えてくるデスマスクが可愛いくて、愛おし過ぎて、あぁ、もうどうしようもないな。βにはフェロモンが効かないというのに、この魔性の男は…。
 以前ならばこの程度でも緊急抑制剤の使用を考えたかもしれない。ただ、自業自得とは言え先程の馬鹿な行動で怖い思いをした反動かもしれないと思うと、今は慰めてやりたい気持ちが勝る。これに応えるとデスマスクはどう受け取るだろう?デスマスクなりに逃げ道を用意してくれている言い様でもある。それとも、それほど必死なのか。

「…俺は、ちゃんとキスをしたことがない」
その言葉にどこか嬉しそうな表情を浮かべてから、戸惑う顔を見せた。
「あ…お前も初めては、好きな奴がいい系…?」
「…そこまでこだわりも無いな…上手くできる自信はない」
「上手いとか下手とか無ぇって!ちょっとやるだけだから!」
希望を見出したのか掴んでいるシュラの手を引いて、勢いのままやってしまえと急かしてくる。その場にしゃがみ、掴まれていない右手でデスマスクの頬を包んだ。

「…仕方ない…今回だけ、Ωのために」
低く、小さな声で呟くと「ん…」と短な返事が返る。そっと顔を寄せてみれば、せがんできたくせに顔を引いて逃げた。
「お前、唇切れてる…」
「そんな事、今はどうでもいいっ」
「んんっ!」
逃げたデスマスクの顔をグッと引き寄せて唇を合わせる。直ぐに離すとキョトンとした顔でシュラを見た。
…足りるわけ、ないよな…
「っ?!」
もう一度顔を寄せて唇を合わせた。今度は軽く食んでみる。普段は冷めた肌をしているが、さすがに今は温かい。気のない素振りを見せたところで欲張りたくなるのはシュラも同じだった。顔を離して、掴まれていたデスマスクの手を払い、肩を押してベッドに沈め覆い被さる。デスマスクの胸は大きく上下に揺れてどんどん熱が上がっているようだ。癒すなんてとんでもない。上がり続ける熱で壊してしまいそうだった。それでもシュラは再び顔を寄せてデスマスクの唇を舐める。つぐんだままの唇に指先を差し込んで、開けろ、と下唇を揺らす。ふわっと開かれた歯の隙間から指を滑り込ませて舌に触れた。熱い口内。デスマスクは切なそうに眉を寄せ、潤んだ瞳でシュラを見上げている。すり…と太腿を合わせてそこに右手を挟み込むのが見えた。
――限界、か…。
指を抜いて親指で下唇をひと撫でし、最後にもう一度唇を重ね合わせてそのまま舌を差し込んでみる。
「っ?!」
熱い口内への侵入を許されてデスマスクの舌を軽く撫でるように舐めた瞬間、びくんと体を震わせて息を漏らしながら何度か腰を捩った。デスマスクを見つめながらそっと顔を離していくと、薄く唇を開けて苦しそうなのに続きをねだるような素振りを見せる。離れていくシュラの顔を引き寄せようと伸ばしてきた左手は、指を絡めて捕まえた。

「ここまでにしよう。抑えが効かなくなっているぞ」
お互いこれ以上は歯止めが効かなくなりそうだ。既にデスマスクの理性は途切れそうで危うい。シュラ自身も体に僅かな疼きを感じ、息を吐いた。絡ませた指を撫でながらデスマスクから身を離す。
「最近はピークが3日くらいだな。俺は下で待っているから、頑張れ」
「…がまん、できねぇっ…」
「頑張れ、待ってる」
「しゅらぁ…」
「ここにいれば大丈夫だから、頑張れ。出てきたら注射だぞ」
これが本当の最後、と軽く触れるだけのキスをして、絡めていた指も解いた。デスマスクの熱は上がりきって息が荒い。この状態で残すことに心が痛んだが、これ以上は最後までいってしまう。
 去っていくシュラの背中をデスマスクは扉が閉まるまでずっと縋るように見つめ続けていた。

 シュラが扉を閉めた後、向こう側で鼻を啜る音が聞こえた。ギリギリまで耐えてたのか…それすら愛おしい。ゆっくり階段を下りながら自分の唇に軽く触れる。これが、デスマスクの味…。
「あれほど触れるのは控えていたというのに、呆気ないな」
βとしてΩには手を出さないつもりだった。手を出してはいけないと頭では考えていた。それは何故だった?いつかαに綺麗なまま引き渡す時のため?αと番になって、βのことなんか忘れ去られた時に自分が傷付かないため?…αと番になっても、フェロモンで虜にされても、忘れる事ができないくらい深い痕を残してしまうのは…?唇に触れていた指が、ふと犬歯に当たる。
「…いや、この醜さはあいつに向けるべきじゃない…」
このままだと油断すればデスマスクに求められるまま最後までいってしまいそうだ。向こうに気があるのだからそれが悪いとは思わないが、その先に何が残る?サガが動いた時、犠牲になるのが俺の心だけで済むとはもう…
――思えない…
「時代が違うというのに、結局繰り返すことしかできないのか…」
なぜ自分はβとなった?αを嫌っていたわけではなかった。ただあいつがΩになるだけで全てが解決したはずだったが…。いや、あいつは…性に惑わされない愛を、求めていた…?だから、α兵士の中でも副作用が危ぶまれる抑制剤を飲み続けて…Ωに嫉妬して、Ωを憎んで、αとΩの運命に憧れて…そして、
 ――ドンッ!
「っ…くそ、何だ?」
シュラは居間の扉にぶつかって後退りした。疲れてはいる。キスまでして呆けていたか。
「あのデスマスク相手にこんな風になってしまうとはな…」
何を考えていたのかも飛んでしまった。デスマスク…デスマスクのことは考えていた。いつもそうではあるが、ここまでくると手遅れだ。αに渡せる自信は全く無い。

「…シャワーでも浴びるか…」
デスマスクに触れて疼いた熱が、ほんの僅かであるのになかなか引きそうもなかった。あいつはまだ俺を想ってグスグス泣いているだけだろうか?一人にされて、もうとっくに純粋さも失って今は欲が求めるまま慰めているのでは…。
 シュラにはもちろん恋人などいなかったが、20歳を過ぎた成人である。経験は無くとも性欲は放っておいてもある。自ら進んで発散するタイプではなかったが、そのおかげで逆にどうしようもない時も度々あった。シュラは居間の扉には触れず、そのままシャワー室へと入って行った。

ーつづくー

拍手

2024
03,05
 季節は秋も終わりに近付く11月。突然デスマスクのフェロモンが聖域で漏れる騒動はあったが、予定通りであれば発情期が来る時期となったため二人は隠れ家へ移動した。番探しの一環でデスマスクを移動させる事も中止になるかもしれないと危惧したもののそんな事はなく、サガからいつも通り許可は通った。

 聖域にいた数ヶ月でデスマスクに番候補として接触しようとする黄金聖闘士はいなかった。白銀も青銅も遠巻きに見る者はいたがさすがにαだからと気安くデスマスクに近付ける者はいなかった。
「オレっぴ想像以上に人気無ぇな」
「…自分で理解してるくせに、そんな事言うのか」
今回は朝から移動したため家に着くなり途中で買った昼食を二人で食べ始める。
「どうせ集られたらそれはそれで文句言うやつだろ」
「だけどよぉ、俺のフェロモンって実際どんなんか気にはなるんだよな」
「やめとけ」
低い声で強く言われるが無視して続けた。
「フェロモン使ってα同士を争わせたりできるんだっけ?Ωの存在は聖域崩壊の危機ってくらいだもんな。生き残った最強αこそ最強Ω様に相応しくねぇか?」
「外道だ、そうならないために俺がずっと動いてきてたんだぞ。それにお前は…そういう形だけの相手は嫌なんだろ…」
「俺はお前がずっと世話してくれるってんなら形だけαと番になっても良いって妥協しようかと思ったんだよ。でもお前がそれできねぇって言うし」
「無理だろ?αのフェロモンにやられたらお前の方こそ俺の事なんかどうでも良くなって邪魔になるだけだ!だから両立なんてできないと言っている!」
シュラは食事のゴミを持って立ち上がった。
「ハァ…」直ぐこうして雰囲気が悪くなる。
 デスマスクはため息を吐いて食事を続けた。純粋に好きなのにこんな事の繰り返しばかりだ。喧嘩するほど仲が良い、とは少し違う気がする。共感とか同調しないわけではないが、アフロに比べるとそれが薄い。でもそんなあいつがちゃんと俺のこと考えてくれてるって事実がなぜか嬉しくて惹かれてしまう。酷いことを言われても、その後フォローされるだけで簡単に見捨てる奴じゃないと信頼感が増してしまう。これがアフロであれば、好かれてもそれは当然、みたいな気持ちで終わる。アフロに対して失礼な事だが。

 食事を終えたデスマスクも立ち上がり、ゴミを処理してから部屋ではなく外へ出ようと玄関へ向かった。
「どこへ行く」
ソファーにいたシュラから監視官のように声が掛かる。
「ちょっと家の周り歩くだけだよ。またしばらく引き籠り生活だしな」
一緒に着いて来るかもと思ったが、シュラからの返事はなくソファーからも動かない。デスマスクは一人で外へ出て行った。

 ここがどこなのか知ってしまわないためにデスマスクは隠れ家の周囲を探ろうとはしてこなかった。こうして家の周りの森を、家が見える範囲まで歩くことはあるがそれ以上先へは進まない。進めばシュラが追いかけて来るかもしれない。それもちょっと面白そうだなと悪戯心が湧いた。すぐ険悪になる…と悩んだばかりのくせに、まさか自分はシュラに怒られるのが嫌ではないのか?それともどこまで迷惑をかけても許されるのか試している…?シュラが、どこまで自分に対して真剣なのか…。どれだけ言葉を貰っても、実感しても、足りない。足りなくて足りなくて、満たされても底無しの闇に吸い込まれていくばかりですぐにまた気に掛けてほしくなって…。
 森の中を進んで振り返ると、木の隙間からまだ隠れ家の壁が見える。もう少し、進んでも良いか…。一歩づつ踏み込んでは振り返って遠ざかる家の壁を確認する。光に反射して薄くなっているが、まだ見える。もう少し…。前を向けば木漏れ日も届かない、蒼く薄暗い森の闇が広がっている。

 いつしか風は止まっていた。木々のざわめきも聞こえない。空気すら動きを止めているような冷たい静けさ。デスマスクの息遣いと落ち葉を踏む足音だけがやけに大きく聞こえる。
"…踏み込みすぎたか…"
隠れ家はもう見えない。帰れない心配は微塵も無いし怪しい気配も無さそうだったが、これ以上進むのは良くないと感じて近くの岩に腰掛けた。シュラは追いかけて来ない。自分一人が世界から取り残されたかのように錯覚する。このままずっとここに居て誰にも見つからなければ…。そんな風に思ってみたが聖域はどんな手段を使ってでも最強のΩを見つけ出すだろう。逃げることはできない。

 そっと目を閉じて自分の中のΩに集中してみる。シュラが言っていた瞑想とやらはこういう事なのだろうか。コスモの、その内側。αの最高峰に並びながらもΩ性に目覚めた自分。なぜΩでありながら黄金の力を授かった?過去の因果か?宿命か?なぜシュラを想ってしまう?惹かれてしまう?βなのに、どうしようもないのに…。なぜシュラはαではない?望まなかった?せっかく俺はΩになったのに。番になれたというのに。お前がαなら、喜んで首を差し出すのに…。βとΩでは、どれだけ噛んでも一つにはなれないじゃねぇかよ…。

「ハァ…ヤバ…」
デスマスクは予定より早いのに少し熱っぽさを感じてきた。
「最近、早まるなァ…」
立ち上がり、フラつく体が木にもたれかかる。ぼうっとしていると、ふと視界を何かが横切っていった。
「…虫?」
どこから来たのか、蝶のようなものが3匹ヒラヒラとデスマスクの周りを飛び回る。目で追っていると今度はカサカサと落ち葉を踏む小さな音が近づいて来た。
「…動物?いたのか、こんな静かな場所に」
イタチなのかタヌキなのか全然違うのか、小さな生き物がデスマスクの足元まで来て匂いを嗅いでいる。
「…まさかお前ら、αじゃねぇよな…?」
冗談のつもりでハハっと笑えば、また遠くから低い木を揺らしながら何かがこちらに近付いて来た。
「え?マジ?」
今、自身からフェロモンが出ているとして、人間以外にも効果があるというのか?あのβ男には全く効かないというのに?隠れ家のあった方向を見てもシュラが来る気配は全く無い。じっとそちらを見つめていたデスマスクは次第に苛立ちとやるせ無さが込み上げてきた。
ーこのまま俺が消えたら、あいつどう思うだろう?
見捨てられるか、酷く怒られるか…。悪戯心では済まない。本気でシュラに迷惑をかける事になりそうだ。頭の中に警鐘が響くが好奇心がどんどん膨らんでいく。
ー今、お前が来てくれたら俺は何もしなくて済むのに。早く、何してんだ。なに安心して俺なんか信用して待ってんだよ。
隠れ家に戻って早く薬を飲むべきなのに、そうすれば治るのに。頭の中に浮かぶ場所はついさっきまでいた聖域で…。あ、巨蟹宮にも薬は置いてあったな。
ー俺、取り返しがつかなくなるかも…。
ヘラッと笑ったデスマスクは隠れ家で待っているシュラを想い、静かに森の中から消えた。デスマスクの居た場所には何種類かの虫や動物が集まり、喧嘩を始めている生き物もいた。



 つい1時間ほど前までいた聖域にデスマスクは再び戻ってきた。熱っぽいとは言えピークが来るのは明日以降だろう。ちょっと巨蟹宮まで行って薬を飲めば楽になる。誰にも会わなければ何事も無く散歩して帰るだけになりそうだ。フラッと揺れながら十二宮の階段を上り始めた。

 昼時で食事中なのかすれ違う人がほとんどおらず、巨蟹宮までの道のりでは気弱そうな雑兵の二人組を見掛けただけだった。おそらくβだろう、フェロモンなんか全く感じませんという風で、フラフラ歩く不審なデスマスクを視界に入れまいと階段の隅で息を殺しながら静かに下りて行った。

「…つまらん」
思いの外あっという間に巨蟹宮へ着いてしまった。調子が悪いと死面の唸り声が体に響いて吐き気を感じる。早く部屋に入ろうと私室へ続く扉の前まで来た。
「閉め忘れか?」
薄く、扉が開いている。
「アフロでも来てんのか?」
そのままヨイショ、といつもより重く感じる扉を開けて中へ入った。――瞬間、ここは駄目だと警鐘が響く。
 居間や寝室の扉が開いている。廊下にクッションや衣類が散乱していて…。ゾクリ、と痺れが体を貫いた。一歩、踏み出そうか迷う。いや、引くべきか?それよりも先ず、足が動かない…!布が擦れる音と荒い息が寝室から聞こえてくる。
――誰だ?!ーー
という叫びは夢の中のように声にならなかった。
「…ァ…ッ…ア…」
息が詰まる音だけが喉を通っていく。
――ギッ…――
扉の蝶番の隙間から、何か動いて来るのが見え…やがてデスマスクの前に姿を現した。

「ハァ…どうした?なぜお前がここに居る…?」
声を掛けられてもデスマスクは動けなかった。根元は黒く、毛先は金色の長い髪。着ている法衣は乱れ、雄の匂いが漂い、手には汚れたデスマスクの鍛錬服を持ち鼻に押し当てている。
――サガ…?!――
「…お前一人か?そんな状態で…山羊座はどうした?」
サガ自身も拒んでいるような、ぎこちない足取りでデスマスクに近付いて来る。
「あ…」
「来ては駄目だろう?はぁ…なんて良い匂いをしているんだ…残り香なんて比べ物にならない!あぁ、私を誘っているのか?」
サガが目の前まで来てデスマスクの首輪に触れた。
「ひゃっ…」
途端に嫌悪感が全身を巡る。
嫌だ、動け、動けよオレぇっ!!
サガの指が這い上がり、顎を軽く撫で、頬に触れて親指が下唇に触れる。少しヌメつく雄くさい手が何をしていたのか、考えたくも無いのに突き付けられる。
無理、無理だっ…形だけでもαと番なんて、やっぱ、無理だった…。

「あぁ…駄目だっ!全てを食べ尽くしたい…!」
キスされる…!!
瞼をギュッと閉じた瞬間、突然デスマスクは強い力でサガから引き離され私室の扉から宮の方へと吹き飛ばされた。
「ぅぎゃっ!」
やっと、声が思うように出た。

「なぜ君がここに居るんだ馬鹿者!シュラはどうした?!」
体を起こして見ると聖衣を着たアフロディーテがデスマスクに背を向けたまま叫んでいる。
「アフロ…「さっさと行け!走れ!離れろ!私ももう持たないぞ!」
必死の叫びにデスマスクはヨロっと立ち上がり、ヨタヨタと巨蟹宮を出ようと歩き出した。
「くっそバカ!!そんなので逃げれるか!いっそ私が食べてしまおうか?!」
Ωのフェロモンに耐え、牙を剥き出しにしたアフロディーテに向かってサガが殴り掛かってくる。
「どけ!魚座!そいつは私のものだ!」
「違う!あれは私のものだぁ!」
サガは髪を毛先まで真っ黒に染め、赤い瞳を光らせてアフロディーテと取っ組み合いながらも、ヒョロヒョロ転がり落ちるように逃げて行くデスマスクを睨み続けた。

「ひゃぁ…ひゃぁ…」
息をするにも上手くコントロールできなくて間抜けな音が漏れていく。岩に手を付きながら必死に下りているつもりだが全然進んだ気がしない。まだすぐ上でサガとアフロディーテがお互い罵り合っているのが聞こえてきて、αの本性剥き出しで怖いと言うか引く。それでもギリギリの理性でアフロディーテがサガを止めてくれている事には感謝しかない。やっとの事で双児宮を通過すると、下から数人の雑兵が上がってきた。その後ろにもまだ何人か続いているのが見える。
「最悪かよ…昼飯終わって、移動の時間かぁ?」
雑兵でさえβの方が珍しい。上ってくる時にαに出会わなかったのは奇跡だった。雑兵レベルのαこそ理性を保つ強さなんか持ち合わせていないだろう。
「突破…できるよな…?」
そんな事を考えていると雑兵たちがパタ、と足を止める。その場で話し始め、辺りを見渡し、そして顔を上げデスマスクを見た。
――来るか…!――
一人がデスマスクに向かって駆け出すと次々と後に続いていく。近くの岩場にもたれたままデスマスクは自分に触れようとしてくる雑兵を一人づつ殴り飛ばしていった。
「ひゃはっ!黄金舐めてんじゃねぇよっ!」
デスマスクとしては全然力が入っていなかったが、雑兵を倒れさせるには十分だった。シュラが言っていた、雑兵なんか問題じゃない、というのはコレか。αとΩ以前に圧倒的な力と体力の差がある。5、6人のグループを倒れさせては少し下りて、また次のグループを殴り飛ばし…を地道に続けた。金牛宮へ着く頃には最初に倒れた雑兵たちが起き上がり始め、デスマスクに向かって次々と下りて来るのが見える。
「まるでゾンビだな…」
振り返れば醜い本性を晒したαどもが追い掛けて来るなんて、なんとなくニッポンの黄泉比良坂にまつわる話を思い出した。もしあれがシュラだったら、自分は受け入れられるのだろうか。シュラになら、自分は逃げ出さず、捕まって、深く噛まれても…
 そんな事を考えていたら、何の傷も無いのにズクンと首筋に鈍い痛みを感じた。正面から向かって来る雑兵はもういない。ヨタヨタ足を進めるが熱っぽさが増してきて金牛宮を抜ける直前にデスマスクは倒れ込んでしまった。
…だめだ…ここで雑兵如きに犯られるわけにはいかねぇ…
すぐに起き上がったが、そもそも進みが遅かった。振り返ればもうすぐそこまで雑兵たちは追い付いてきている。
くっそ!このままもう一度全員殴り飛ばすか…?!
金牛宮の柱にもたれようと後ろへ下がっていくと、柱ではない何かにぶつかった。
ー…やば…ー
振り向かなくてもわかる。今、自分のすぐ後ろに何が現れたか。

――ドッ!

「ぎゃあああああ!」
その直後、デスマスクに向かって来ていた雑兵たちは全員凄まじい圧力に吹き飛ばされ壁に柱に宮の外にと叩き付けられた。
「…へへっ…こっわぁ…」
技を放った者がここまで本気の力を出す瞬間を見たのは初めてで、思わず笑ってしまう。闘いに於いてもシュラより遥かに冷静で、穏和な奴なのだ。
「やっぱお前も、ちゃんと黄金だよなぁ…」
振り向きたくないが、この場をやり切るにはずっと背を向け続けるわけにもいかない。ゆっくりと首を回して、逆光で顔がよく見えなくても誰だかわかる巨体を見上げた。間違いない、金牛宮の主、アルデバランがいる。
「正気…じゃねぇよな…息が荒いもんな…」
アルデバランは歯を食いしばって耐えているようだった。ギシギシと歯軋りが聞こえてくる程に。
「昼前に出て行ったはずだろう…なぜ、ここにいるのだ…?この匂いが、Ωのフェロモンというやつなのか…?!」
「そんなに良い匂いしてるのか?良かったな、体験できて…」
アルデバランを見上げながらふらり、ふらりと白羊宮の方へ足を進める。
あと少し…。こいつなら、耐えてくれるか?
黄金相手にコスモ無しの素手ではやり合えない。宮を抜けた瞬間にテレポートできるよう、無駄にコスモは消費したくない。アルデバランは眉間に皺を寄せ、少し前屈みになった。
「匂い、キツいのか?…悪いな…オレサマさっさと消えるからよ…」
アルデバランから視線を逸らさず、後ろ足で少しずつ下りていく。歩いているのに全然距離が開かない。アルデバランがゆっくりと近付いて来る。
「くっ…苦しい…デスマスク、離れないでくれ…っ!」
「やめとけって、オレっぴいない方が楽になれるからよぉっ!」
白羊宮に入る手前、突然突進してきたアルデバランの光速タックルを避けきれず、弾かれたデスマスクは近くの岩場に体を打ち付けた。
「ぅぎゅっ!」
直ぐに体を起こそうとしても遅かった。アルデバランがデスマスクの上にのし掛かりビクとも動かない。
「ぃやめろぉ!お前こういうタイプじゃねぇだろぉ!」
「自分でもわからぬ!お前がそうさせているのだろう!」
俺のせい?…あぁ、俺の、Ωのせいか…。全部、俺のせいか…。気まぐれで、フェロモン散らしながら戻って来たから…。俺、何がしたかったんだっけ…?あいつがいる隠れ家で大人しくしてりゃ良かったんだよな。あいつはフェロモン垂れ流しでも気付かねぇし。暴れねぇし。俺のこと襲ったりしねぇし…。いや、襲われたかったのか…。
アルデバランが顔を寄せてくる。キスは嫌だと顔を逸らすと首筋に顔を埋めて動きが止まった。
「…あるふぁの、匂いが…っ?!」
あぁ…サガに触られて、なんか、アレの匂いでも…
「おまっ…やっぱ駄目だっ…てぇっ!」
怒りを感じる。押さえ付けてくる力が強くなってきて、堪らずコスモを燃やし軽くアルデバランを弾き飛ばしたが、起き上がる間もなく足を掴まれ今度はうつ伏せに抑え込まれてしまう。
「ぎゃあっ!」
シャツの首元を強く引っ張られ布の裂ける音が聞こえた。後ろ首が晒されて保護首輪を編み上げている紐を強く引っぱられる。
「ぐえぇっ…」
苦しい!首が締まる!外し方はそうじゃねぇんだよ!犯される前に殺される…!この場を乗り切る為だけに一度コイツの魂をぶっこ抜くか…?!
どれだけ迷惑を掛けようとここで自分が死ぬのは嫌だった。その後魂を元に戻せなかったらどうしよう、と迷う暇もなく震える右手を握り、人差し指を立てて温存しておいた燃やせるだけのコスモを内側から…
「待てデスマスク!」
突然、デスマスクの体が宙を舞った。アルデバランもだった。落ちていく瞬間に綺麗な蹴り姿を見せている黄金聖衣を着た男が見えて…。その男が宙でもう一度脚を振り上げると、まともに食らったアルデバランは十二宮から離れた何処かへ吹き飛ばされていった。これでしばらくは時間が稼げるだろう。
「ぎゃぴぃっ!」
今日、地面や岩に叩き付けられるのは何度目だろうか。絶対どこかの骨は折れている。デスマスクが起き上がろうとすると、補助するように腕をグッと掴み上げられた。
「う…」
蹴り姿を見た瞬間にわかってはいた。今、突然現れた黄金聖衣の男と顔を合わせてデスマスクはギュッと下唇を噛む。その姿を見た男は何も言わず素早くデスマスクを抱き上げて白羊宮を抜けようと駆け出した。デスマスクも威勢の良さをすっかり潜め、身を委ねて大人しく抱かれた。

 のも束の間。白羊宮の中央辺りで突然降り注いだ赤い薔薇に男の足が止まる。
「遅いぞシュラァァアア!」
後方から艶のある低い声が宮中を響かせながら貫いていった。男はシュラと呼ばれ振り返り、デスマスクを抱く腕に力を込める。
「オマエの登場のおかげでなぁ、それはもう心地良い香りが増して増して!」
カツン、カツン、と余裕のある足取りで近付いて来る。薔薇といえばあの男しかいない。サガとやり合い、ギリギリでデスマスクを逃してくれたアフロディーテの理性はもう無かった。
「ほんとデスマスクは間抜けで可愛いΩだ。好きで仕方ないのが全く隠せてないのだよ!」
シュラが小さく足を踏み込ませるだけでもそれを制するよう直ぐに薔薇が飛んでくる。
「シュラよ、βのオマエに届かせようと必死にデスマスクがフェロモンを放つ度になぁ、私の飢えは増すばかりなのだ!この苦しさがわかるか?!さぁ早くΩを寄越せぇ!」
アフロディーテが向かって来るというのにシュラは動かない。いや、動けないのか?!
「やめてくれ!」
デスマスクが腕の中で身を起こしてシュラを庇おうと抱き締めた。アフロディーテはデスマスクの首を掴んで力任せにシュラから引き剥がし後ろに放つ。
「ぎゃあっ!…っだからどいつもこいつも叩き付けんな!」
アフロディーテの狙いはデスマスクだけかと思ったが、シュラと対峙している。やばい、と思った瞬間、黒い影が光の速さで後ろからアフロディーテをど突き倒した。シュラの縛りが解けたのか後ろにフラついてからデスマスクと視線が合う。
「ククッ!魚座如きに遅れを取るとは不覚!」
「オマエはノコノコ出てくるなぁ!仮面かぶって教皇宮で大人しくしていろ!」
アフロディーテの意識が邪悪なサガへ向かった瞬間、シュラはすかさずデスマスクの元へ駆け寄り、抱き上げて走り出した。妨げられなければ黄金で最も足が速い自信がある。
「くっそ!待てシュラァァアア!」
薔薇が降り注いでも今度は足を止めなかった。デスマスクに当たらないよう、少し背中を丸めている。白羊宮の出口が見えてきた。シュラが闘ったのだろうか?雑兵に加え聖衣を着た青銅と白銀聖闘士も数人倒れているのが見えた。
「っ…!」
シュラから時々衝撃に耐える声が漏れる。
早く…!
デスマスクは光よりも速くテレポートが繰り出せるよう、コスモを燃やし始め集中した。白羊宮を抜け、シュラは階段を蹴って跳び抜けようとする。降り注ぐ薔薇と黒い衝撃波。守るように強くデスマスクを抱くシュラが地に落とされる寸前、二人は遂に十二宮を抜け聖域から姿を消した。

ーつづくー

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2024
03,02
 発情期が明け聖域に戻ったデスマスクは巨蟹宮の私室でシュラから「何かあれば直ぐに呼べ」と何度も言われて別れた。
「仕事詰めのくせに、言われて直ぐに来れるような暇人じゃねぇだろ…」
先程、偽教皇の元へ戻った事を報告しに行ったが、直接デスマスクに番の事は伝えられなかった。
シュラに任せているつもりか?サガは二人の関係をどう見ているのだろう。
聖域では仲間以上に親しくしている姿は見せていないはずだ。ただ、村や街に出掛けた時の姿を目撃されていたら何とも言えない。サガ本人が動かなくとも、誰かしらに探らせる事は簡単だろう。もしもデスマスクがシュラに惹かれている事を知ったらどうすると思う?
「良い事なんか何一つ起こらねぇな」
ため息を吐きながら寝室へ着替えを取りに向かった。

「…そんなに散らかしてねぇつもりだけどなァ…」
発情期後、巨蟹宮に戻ると寝室や居間が整えられている事がよくあった。整えられていると言っても清掃プロの従者による仕業とは思えない雑さが残っており、衣服の畳み方などを見ればシュラがやったのだろうという事は隠れ家での生活を見ているため直ぐにわかった。発情期の4日前から連れ出されるようになって意識もハッキリしているので部屋の状態が悪いとは思えない。特に綺麗好きでもないシュラは何が気になって部屋を片付けてくれるのか。いつも会ったら聞こうと思いつつも聖域ではお互い忙しく、いざすれ違った時なんかはそんな事すっかり忘れてしまって何年も経つ。まぁそのうち…と着替えを持って浴室へ行き、翌日からの仕事に備えて早めに眠った。



 デスマスクは出掛ける際にαからの接触があるかもしれない、と内心は少し緊張しながら巨蟹宮を出るようになった。しかし元々遠征が多く、聖域に居ても黄泉比良坂へ潜っている時間が長いため他人と出会う事自体が他の黄金聖闘士よりも少なかった。そんな中、十二宮の入り口までテレポートで戻ってきた時、今から出掛けようとするミロが階段を下りて来た。普段であれば言葉を交わす事もなくすれ違って終わる。その通りデスマスクはミロを視界に入れていなかったが、向こうはデスマスクを見るなり「おい!」と声を張って呼んだ。
「…何だよ」
「αの番は見つかりそうか?」
ニヤけながら少しデスマスクを馬鹿にする物言いだ。
「そんなもの必要無い」
一言告げて通り過ぎようとしたが更に投げかけられる。
「お前がそんな風だからシュラが苦労するのだぞ」
「…それで良いんだよ」
シュラの名前を出されて思わず立ち止まってしまった。
「ハァ…βは大変だな。Ωの世話に加え番相手まで探してやらんといけないのか」
「俺が頼んだわけじゃねぇ」
「そうやってお前が何もしないからだろ?俺まで聞かれたぜ?Ωと番になる気はないか、とな」
…それは意味が違う。あいつが聞いたのはそういう事ではない、はず…。
「早く世話係から解放してやれ。俺ならば頼まれてもそこまで尽くせないぞ。だからと言ってお前の番になってやるのはお断りだがな!」
アフロディーテのように見た目が良いわけでもねぇし!など言いながら一人で笑っている。
…違う。最初は仕事としてだったかもしれないが、シュラはちゃんと俺のこと考えて、あいつの方が俺に尽くしたいから勝手に世話やいて。でも相手を探すなんて事は…。
不安を掻き消すようにデスマスクは声を荒げた。
「うるせぇ!クソガキ!お前と番うくらいなら死んだ方がマシだ!」
「だろうな、俺もそう思うぜ!…っぅお?!」
とことん失礼な奴!と近くの岩石を念力でミロに投げ付けると、浮遊して階段を滑るように上がって行く。まだはるか遠くから何かを叫んでいるのが聞こえてきた。
「鬱陶しいガキめ!」
苛立つままに吐き捨て、巨蟹宮の私室まで一気に滑り込んだ。

 …違う、シュラは俺の番探しなんかしてねぇ。俺に近付こうとする奴がいねぇか探ってるだけだ。だって、あいつはずっと俺を守るための行動をしていて…。
寝室のベッドの上で丸くなっていると、胸に支えるモヤモヤがじんわり広がっていく。急に不安が増していく。
オレはこんなに弱くねぇよ!と奮い立たせようとしても、支えられない膝のように崩れ落ちてしまう。
愛して、誰か、ちゃんと愛してくれよ…。
違う、オレの声じゃない!Ωの声っ…!
愛して…。
いやだ、シュラがいい。
誰でも…。
シュラがいい、シュラなら俺といてくれる!適当なαより俺を知ってる!誰でもよくねぇんだよぉ!

――ガタン!――

「?!」
不意に、私室への扉を叩く音が聞こえた。こんな時に誰だ、シュラ…ではない。

――ガタッ!ガタ!――

やめろ…誰にも会いたくない!
一度ぎゅっと体を縮めたデスマスクは扉の向こうを探る事なく、次の瞬間には勢い良くベッドから起きて黄泉比良坂へと逃げ込んだ。



 それからどのくらい籠っていたのだろうか。気持ちが落ち着き、黄泉比良坂に滞在し続けるのも疲れて巨蟹宮の寝室に戻ると辺りは真っ暗になっていた。
「はぁ…やりたい事が色々あったんだがな」
食事のため寝室を出て居間へ向かうと明かりがついている。電気の消し忘れか?と思って扉を開ければ、ソファーにシュラが座っていた。
「…なんで?」
「戻ったか…」
シュラはデスマスクを見るなり駆け寄って、首元の匂いを嗅いでくる。
「…何してんだ…」
「…βのくせにすまんな、やはり俺ではわからない」
「…何が?フェロモン?」
てか何でいるんだ?先に説明してくれ。
突然の事にぼんやりしていると、シュラに背中を押されソファーへ一緒に座らされた。
「お前、自分でわかって黄泉比良坂へ逃げたのか?」
「は?」
だから何の事かわからない。説明しろ。
「…今日、フェロモンが出ていたようだ」
「あぁ…そうなのか。発情期じゃねぇのにな…」
やっと説明されて何か自分に重大な事が起きたのだろうけど、それを気にするよりもシュラに会えた事が何だか嬉しく思えてきて気のない返事を返してしまう。呼んだわけでもないのに来てくれた事に、心の底へ沈めた不安感が和らいでいく。
「底辺のαどもが私室の扉まで集まって来ていた。通りがかったアイオリアが俺の仕事先まで来て知らせてくれたんだ」
「へぇ…アイオリアには効かなかったんだな」
「フェロモンは分かるようだがアイオリアはΩに惑わされぬようαの抑制剤を服用しているらしい」
αの抑制剤…そんな物も雑誌で見たことあったなと思い出す。無差別にΩを襲ったり、αのフェロモンを抑制しΩを惑さないようにする夢のような薬だが、合う合わないの差が激しく重い後遺症を患う事例も報告されているため推奨はされていない。強いこだわりを持つαが医師と相談を重ね、慎重に経過観察を行いながら服用するらしい。
「兄貴のこともあって面倒事には巻き込まれたく無いんだろ。あいつらしいぜ」
「俺とアイオリアで適当にαは散らしたが、ここへ来てもお前の気配が全く無かったので待っていた」
「ふーん。忙しいのにそこまでさせて悪かったな。発情期でなければ余裕でコスモ燃えるしアッチへ逃げれるから気にしなくていいぞ」
「本当に、大丈夫か…?なぜフェロモンが出てしまったのかが気になる」
直ぐ隣からデスマスクを見つめるシュラの顔が真剣で気恥ずかしくなる。
こういうのも素でそうなだけ?それとも俺だから?少しくらいなら、その気出してもいいか…?
顔を隠すようにしてシュラにもたれ掛かった。
「…わかんねぇよぉ。お前がいなくて呼びたかったんじゃねぇのぉ…」
自分でも気持ち悪い、甘えた声が出てしまう。
「……」
シュラの手がそっとデスマスクの肩に触れる。
やばい、怖い、何を言われる?
「…聖域では、やめておこう」
期待を捨てきれない、酷く、狡い言葉だ。もう言ってしまおうか?急に我慢できなくなって、顔を上げて、シュラを見て、静かな声を響かせて…
「お前さ、俺がαと番になっても愛してくれるか?」
お互い姿を瞳に映して見つめ合ったまま、シュラの指が軽く首輪に触れてきて、囁くような声が
「…そんな器用なこと、できないな…」
できない。
「…そうか、わかった…」
できない…。
ゆっくりシュラから身を離して再びソファーに沈み込む。
できないなら、αと番になっちゃダメだな…。
頭の中で反復した。
「デス、今夜ここにいても良いか?」
「……」
「駄目なら出て行くが」
「…ひゃあっ?!」
突然の提案に何を言われたかわからなかったが、やっと思考が追い付いてとんでもなく間抜けな声が出てしまった。
「αに侵入される事は無いと思うがまた集まって来られるとここから出れなくなるかもしれないだろ?黄泉比良坂への出入りはワープできたりするものなのか?」
「入った所からしか出れねぇよ。じゃねぇと十二宮で無敵になっちまうわ」
だよな、と言いながらシュラはソファーの隅に置いてあった雑誌を手にした。
「てかお前仕事は?いつからここにいるんだ?」
「仕事はもう明日でいい。昼過ぎからいたな」
…こんな夜まで何をしていたのか気になったが、それよりも自分は腹が減っていたので「泊まりたきゃ好きにしろ」と告げて冷蔵庫へ向かった。シュラがここにいるのは問題ない。むしろ嬉しい。だから空腹にもかかわらず1人分の食事をシュラに分けてやって量が減るのも気にならなかった。

 翌朝、いつも通りではシュラの仕事に響くかもと思い普段より早めにベッドから抜け出す。デスマスクは寝室、シュラは居間のソファーで一晩を過ごした。
「早いな」
やはり既に起きていたシュラがデスマスクを見るなり言う。
「俺は別に起きるのは遅くねぇんだよ。ベッドから出るのに時間がかかるだけ」
「低血圧だからか」
「そうそう」
本当のところどうなのかは知らないが、普段から血圧が低めなデスマスクは遅刻した時などに寝起きが悪い理由をそのせいにしていた。朝からたくさん食べる気もしないがシュラは食べるだろうと思って明日の分のパンも分けてやる。
「悪いな、飯のことまで考えていなかった。後で補充しておく」
「いいって、俺どうせ朝はそんなに食わねぇし」
「不規則だとフェロモンに影響するかもしれないぞ」
「ヘイヘイ気を付けます」
聖域では仲良くするな、と言われても境目がよくわからない。どこまでが幼馴染の範疇と見られるのだろう。そもそも仲良くしていたわけではなかったので、用事以外で並んでいるだけでも不思議に思う奴がいるかもしれない。いや、それもβとΩの関係がある今は気にしなくて良いのか…。
少し考えている間にシュラは食事が終わってデスマスクを見ている。
「…何だよ、終わったならもう行っても良いぞ」
「お前も殺りに行くだろ?十二宮の入り口まで同行してやる」
今日はテレポートするまでお見送りか。手厚すぎて感動するぜ。
「へー…ありがとさん。でもそのために忙がねぇぞ」
「知ってるからいい」
シュラが何を知っているかって、口ではそう言ってもこういう時のデスマスクは無駄な行動を見せないという事。その通りスムーズに食事を終え支度をしたデスマスクは、外にαが来ていない事を確認してシュラと共に階段を下りて行った。途中、シュラかアイオリアにでも殴られて階段に転がったままの雑兵がいる。
「あいつ死んでないだろうな」
「出血してないから大丈夫だろ」
いや内臓やられてたり…とか思ったがまぁどうでもいい。
「なぁ、フェロモン抜きで俺に接触して来るα見たら殴るの我慢できるか?」
「…本当に、フェロモン抜きで気持ちがあるのならな」
また中途半端な答え。
「…そんな事、お前にはわからんくせに」
「お前だって自分がフェロモン出してるかわからないのだろ?」
わからない。自分の匂いがいつ出ているのかも。αのはわかる。βにはそんな物ない。だからこそ、何にも惑わされていない事が事実であるこの気持ちが信用できるというのに。
「ミロにすら美しくないΩに興味は無いみたいな事言われてムカつくが、正直フェロモン抜きで俺が気になる奴は絶対に頭おかしいと思う。そうそういないだろ」
隣のβ以外に。
「フッ…Ωでも生きやすいように神が美形にしなかったのかもな。まぁわからんなりに、お前が嫌だと言えばどうにかしてやる。発情期でなければ自分で返り討ちにできるのだろ?」
白羊宮を抜けて十二宮の入り口が見えてきた。あっという間の一晩だった。じわり名残惜しくなって、少し意地悪な言葉が口から出てしまう。
「保護者のお前が番相手に認められるような、ちゃーんと俺の中身好きになってくれるようなαってアフロくらいしか居ねぇと思う」
「…俺もそう思うがな、まだわからないだろ」
その言葉にデスマスクは顔を上げてシュラを見た。
わからない…?
アフロディーテで良い、とは言わなかった。他の可能性なんてあるのか?それとも、何か可能性を滲ませている?
入り口に着いて「じゃあな」と少し笑って片手を振るシュラの八重歯がいつもより気になって見えた。

ーつづくー

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2024
02,28
「β君お帰り〜。驚けよ?調子良かったからこの俺様が晩飯もう作ってやっちゃったんだぜ?」
夕方、聖域からシュラが戻ると扉を開けるなりデスマスクがスィーっと浮遊して出迎えた。テーブルを見るとたくさんの焼いた肉が盛られている。
「パンもこんがり焼き直してやったし、スープもまぁ温めただけだが用意してやったし?」
そう言って宙をくるりと一回転して笑った。
…こんな日に、何をしてくれるんだ…
シュラは浮遊しているデスマスクの腕を掴むと、グッと引き寄せて地に降ろす。
「美味そうなのが腹立つ」
「美味いに決まってんだろ。レトルト料理にオレッぴの愛情♡」
そう冗談めかして嫌な笑い方をする。それを覆うよう不意にシュラが正面から抱きしめると、デスマスクはヒェッ?と体を震わせて固まった。肩に顎を乗せて「助かる…」とため息混じりに呟いた。
「今日はドッと疲れて何もする気が起きなかった」
「へぇ…仕事大変だったんですね…」
「お前…」
抱いていた体を離し、デスマスクを見つめながら首輪にそっと触れる。シュラが何をしてもデスマスクは嫌がる素振りをあまり見せなくなっていた。
「…いや、後にする。先ずは食べよう」
シュラは目を伏せてデスマスクの背中をパシっと叩くと、キョトンとしていたデスマスクは「何で叩くんだよっ!」と吠えてテーブルの席に着いた。

 食事を終えてデスマスクの調子が悪くない事を確認したシュラは「話がある」と切り出した。
「αの事をどう思う?」
「……え?」
今更な質問をされてデスマスクは言葉に詰まった。
「αはまだ怖いか?」
「怖いっつーか、危ねぇってだけで…アフロとか嫌じゃねぇけど、お前や本人が気を付けろって散々言うだろ?今だって危険だからっつって隔離されてんだし」
「周りが何も言わなくなればお前は自由になれると思うか?」
その言葉にデスマスクは眉をしかめる。
「…何だよいきなり、今更俺を見捨てるとかそういう流れにでもなってんのか?」
突然の話に嫌な予感がする。前にシュラは、誰もデスマスクに興味が無ければとっくにαに喰われてる、みたいな事を言っていた。自由って、放り出されるって、そういう事だろ…。
「見捨てはしない。見捨てるどころかΩの将来の事を考えての話だ」
そう言うシュラの声は気持ちが無く硬い。デスマスクのためを思って言い聞かせようとする時は単調なりにも想いが込もった喋り方をするのに。
「Ωの将来って何だよ。俺の事だろ。遠回しに言うなよ」
「……」
シュラの口元が何かを切り出そうか止めようかと何度か動くのを見てデスマスクは軽くテーブルを叩いた。
「もう何でもいいから、とりあえず言ってみろよ!言わないとどうせお前もスッキリしねぇだろ!」
そこまで意味深な態度を出されると探られるだけでは気が済まない。
「そうだな…どうせ聖域に戻る前には話しておく必要があった。これはお前のためという事を頭に入れて聞いてくれ」
そんな事を予め言うなんて、デスマスクにとって都合の悪い話でしかないのだろう。余計に丸分かりだ。

「サガが、お前にαの番を持たせる事を決めた」
低めの、聞き取りにくい不貞腐れた喋り方。
「…どうせ、そんな話がくるとは思ってたぜ」
デスマスクもシュラに合わせて不機嫌そうに返してやった。
「今すぐという話ではない。ただ、お前に興味のあるαがアプローチをしてくる可能性がある」
「あぁ、相手は選ばせてもらえるんだな」
「…お前、受けるのか?!」
返答に何を思ったのか今度は声を荒げてきた。
「嫌に決まってんだろ!」
んな事くらい、知ってるくせに…とデスマスクは顔を逸らす。
αがどうこう以前に今、目の前にいるβを知ってしまったデスマスクには何も興味が湧かない。ただこうして目の前にいるβとこのまま穏やかに過ごしていく以外の良い未来は考えられなくなってしまった。この現状を生み出したのはサガ。それをぶち壊そうと動き出したのもサガ。聖域を、自分たちを弄ぶ圧倒的な力にもう聖戦が起きてもサガ一人に任せれば良いんじゃないかとさえ思う。それで世界が壊れようとも…。
「今は考えられない、という事でいいんだな。とりあえずサガにもそう伝えてはある」
「永久に、って伝えとけ。聞かねぇなら俺が直接行く」
「それは止めておいた方がいい。サガの方に何か策があるようだ」
「はぁ?」
その言葉にデスマスクはシュラの顔を見直した。
「お前に相手ができなければサガは"どうにかする"と言っていた」
「……」
「お前が番を持たない選択は無い。おそらく強制的にでも相手を用意されるだろう。今はサガを挑発するような行動は避けた方が良いと思う」
シュラの真剣な声が響く。今すぐにでも聖戦が始まらない限り、逃げ切りは許されなさそうだ。
「…サガはわかった。で、お前はそれ聞いてどう考えてんだ?俺のためになるって思ってんの?」
デスマスクは勢いに任せて最も知りたい事を口にした。だが期待通り返してくれない怖さもあった。
「…今日、黄金全員に聞くだけ聞いてみたがΩとの番に積極的な者はいない。俺はできればお互いにちゃんと好意を持てる相手が良いと思っているが…」
「それが俺のためになると思ってんのか?!」
上手いこと言おうとする姿に腹が立つ。もう何年この関係を続けていると思ってるんだ。そんな風にβぶるのは俺のためにならない!
「…フェロモンの抑制が効くようになれば「俺をαのゴミ捨て場に捨てるんだな?!」
聞きたくないとばかりにシュラの言葉を遮った。遂に冷静を装って下手なことを言い続けていたシュラも声を荒げる。
「そんな事はしない!最後までやれる事は果たす!」
「最後までってなんだよ?!βに何ができんだよ?!せいぜい俺を殺すくらいだろうが!!」
「?!」

――暗い夜、森の中、冷たい、雪が降っている。どれだけ噛んでも、どれだけ愛が深くとも、αとαでは、一つに結ばれないんだよ…――

デスマスクの言葉に突然頭が真っ暗になったシュラはテーブルに肘をつき右手で顔を覆った。
「お前俺の気持ちわかってんだろ?!わかってなかったのかよっ?!お前じゃねぇとっ…嫌に決まってんだろぉっ!」
叫び、震え声で溢れそうになった涙を堪えたデスマスクはシュラを置いて勢いよく居間を出て行く。シュラは頭を抱えたままデスマスクの言葉が入ってこなかった。頭の片隅に「追いかけないと…」とモヤモヤしたものが浮かぶが、今にも忘れていた何か重要な光景が思い出されそうで…それも結局叶わなかった。

 デスマスクが納得できる結末とは。
一つ、シュラが今すぐαに変異すること。
一つ、デスマスクがβに変異すること。ただし発情期を迎える前のΩ判定は誤診を含め性が覆される事もあったが、発情期到来後のΩで変異した報告は無い。
一つ、サガに番を止めさせる。清らかな方は聞き入れてくれても邪悪な方では話にならない。要するに本人の気が変わらない限り無理。
一つ、サガを討伐する。ただしこちらが殺される可能性の方が高い。
一つ、デスマスクが自決する。

 昨夜聞いた状況の中ではシュラがデスマスクのために身を呈しようとしても何の解決にも繋がらないだろう。翌朝ベッドの中でデスマスクは今後について考えていた。シュラに期待しすぎていた。βにしてはあまりに出来が良いし、でもシュラはαではないのだ。デスマスクの盾になったところでαの最高峰相手に何ができる?シュラがどれだけデスマスクを守ろうとしても果たせない壁がある。デスマスクは自分の気持ちを優先し過ぎてシュラに酷く当たってしまった事を一晩反省していた。そしてシュラと自分の気持ちが同じではないかもしれないという可能性も芽生えて落ち込んだ。βとΩだから素直に本心を出せないだけだろうとか、自分の考え方が前向き過ぎた。同じ気持ちだと勝手に思い込んでいたのは自分だけかもしれない。シュラは本当に、最初から今日まで気持ちは変わらず周りに言われてクソ真面目にただβとしてΩを守っているだけかもしれない。不安にさせるとフェロモンが乱れるかもしれないから、そうならないようにデスマスクの気持ちに合わせてくれていただけで。…でも、そんな器用な事ができる奴じゃないだろ?だって、あんなにっ…!!
「っ…ふ…ぅ…しゅらっ…」
発情期のピークは過ぎているため、今日もシュラは仕事を消化するため聖域へ向かった。小さな家に夕方まで一人きり。
「しゅらぁっ…」
不安が強すぎて我慢ができない、嫌な体。堪らず下着の中に手を差し入れる。いつからだろう、利用していただけだったのに、名前を呼ぶようになってしまったのは。
「しゅらっ…しゅらっ…」
無意識にコスモを飛ばしてしまって聞こえているかもしれない。俺が、こんな声で呼んだら気持ち悪がられる…?
「…ごめん…っ…しゅら…」
いやだ、いつもよりスムーズに快感が得られない。だって、今日の"シュラ"はオレを見ていない…。βが、浅ましいΩを冷静に見ている。
「しゅらぁっ…」
それでもいい、って少し乱暴にして燻るものを吐き出した。気持ちは晴れない。

「はぁ…」
どうしたらいい?どうすればいい?シュラの気持ちさえ聞ければ満足できるか?それが本心だとわかるか?「αと番になってもずっと愛してる」とか、そういう事言ってほしいのか?そこにシュラの幸せは?
「……」
一晩反省したところで、結局デスマスクはシュラを手放したくなかった。例えαと番になっても、同じ宮に住まわせてずっと世話をさせ続けるんだ。何が1番嫌かと言えば、自分がαと番関係になる事よりもシュラが他の誰かと結ばれてしまう事が嫌だと気付いた。身の回りの世話をずっとシュラがやるのならαと番になってやる、という条件をサガに出してみるのはどうだろう?この際シュラに拒否権は与えない。だってあいつ本心で俺のことどう思っているかわかんねぇし。好きと思ってくれてるなら地獄だろうが、そうでも無いのなら今までと変わらない環境だろう。αを裏切って不倫するわけじゃない。どうせあいつは俺を抱くことなんかしない。死ぬって脅してもしないと思う。
「…はぁ…」
ほんと、自分はシュラを何だと思っているんだ。あいつだって人間だ。ちょくちょく怒るし頑固だし。そんな都合の良い関係、泣き落としても受け入れてくれるわけがない。でも…できる限りのことはしておきたい…。ズルりとベッドから抜け出したデスマスクはタオルを持ってヨタヨタとシャワー室へ向かった。

 「β君お帰り〜」
その夜、再びデスマスクは夕食を用意してシュラの帰りを待った。シュラは一瞬驚いた顔をすると、昨日と同じ調子で出迎えたデスマスクを「無理するな」と軽く抱いた。
「だってもういつまでこの生活できるかわかんねぇし?明日も用意してやるって」
「……気持ちは落ち着いたのか」
「そんな単純に終われるものじゃねぇの、わかるだろ?」
そう言いながらシュラの首に腕を回す。頬にキスでもしてやろうかと眺めてから、首元に顔を埋めるだけにした。息を吸って、どうしてもシュラからは何の匂いも感じない。
「…ごっこ遊びは、ここだけだぞ」
小さく、低い声で応えてくれた。優しいと言うか甘いと言うか。やはりシュラは俺の気持ちには気付いている。キスぐらいしてみれば良かった。

席に着いて食事をしながらデスマスクは明日の帰りこそ「お帰り♡」のキスでも試してみようと考えた。そしてαにどうこうされる前にシュラでファーストキスを終えてしまおう。チャンスが無ければ寝込み…は鍵掛かってて襲えねぇから、聖域に戻ったら磨羯宮に侵入して…。
「なぁ、薬が効いているとは思うが俺を襲うのだけは無しだぞ」
「へへぇっ?」
自分がどんな顔をしていたかわからないが、前科ありのΩから身の危険を感じる程の何かが漏れ出ていたのだろう。
「そこまではしねぇよ」
シュッと気を引き締めて答えるデスマスクを訝しげに見たシュラは「どこまでやろうとしてたんだ」と身に不安を感じていた。

ーつづくー

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2024
02,27
 処方される薬が変わってからデスマスクの症状は発情期が始まった頃のように軽くなった。完全に薬が効くわけではなかったが副作用による熱っぽさや怠さの方が勝り、Ωとしての性欲は体内まで触れなくても癒されるまでに戻った。その事をシュラに伝えても、念のためと夜間は自室に鍵を掛け続けている。しばらくは大きな騒動も無く発情期が始まればシュラと過ごし、治れば聖域に戻る生活が繰り返された。

 シュラはデスマスクの症状が新しい薬で改善された事に安心したものの、彼が放つフェロモンの強さに変わりない事を気にかけていた。どうしても、毎回ではないが何者かの侵入を許し巨蟹宮の私室が荒らされてしまう。発情期のピークでデスマスクが部屋に籠っている間、シュラは何度か隠れ家から巨蟹宮に侵入するコスモを探ろうと試みていた。ハッキリとは感じ取れないが、どうも侵入者は1人だけではなさそうだ。Ωのフェロモンに…デスマスクに群がるαのことを想像しただけで気分が悪くなった。

 せめて黄金以外のαくらいどうにか対応できないだろうか…19歳の夏、一度αとの実力の差を調べてみたいと考えたシュラは脱走罪により処刑が決まったαの雑兵に対し、自らはβである事を告げ聖衣も脱いでから一つ提案した。
「今からお前の目の前まで歩いて行く。その間に3秒俺の動きを封じる事ができれば解放してやろう」
サガに相談する事もなく独断で行った。この雑兵の名前は知らない。同じ黒髪をしていて背丈もあった。顔立ちも悪くないだろう。立ち姿からαらしい恵まれたものを持っているのはわかる。しかし聖闘士にはなれなかった。
「どうした、お前たちαが得意とする睨みを使ってみろ」
いくらシュラがβとは言え黄金聖闘士である偉大さと威圧感が雑兵を圧倒してしまうのだろうか。ゆっくりと雑兵に向かって歩いて行くが、一向に立ち向かって来ようとはしない。こちらを見つめたまま岩のように固まっている。このままあっさり死を選ぶのか。
「やり方を知らないわけではあるまい。まさかそれでもう睨んでいるつもりか?」
左腕をゆっくり振り上げて見せた。もしここにフェロモンを放つΩがいれば少しは本気を見せてくれただろうか?…そんな事、デスマスクの協力を得てやるつもりなどもちろん無いが。
「せっかくαの性を授かったというのにな、β社会であれば頂点に立てたかもしれないがお前は俺すら止める事ができん。所詮はその程度のつまらんαだったのだ」
雑兵の目の前で立ち止まる。シュラとしては珍しく、どうでもいい感想を述べて少しの猶予を与えているつもりだった。
「賢いαだ、自分でもわかったのだろう?αの底辺で居続けるより、死を覚悟してでも抜け出そうとした勇気だけは認めてやりたいが…」
それも期待するだけ無駄か、と雑兵の首を見る。
「その勇気と底力を今、使わなかった事には失望しかないな」

 それからシュラはαの処刑がある度に同じ挑戦を繰り返した。成功する者などいないだろうと頭から考えて結局サガには相談しなかった。最初こそ気合いを入れて楽しみにしていたが、次第にわざと気を緩め、それでも手応えが何もなかったため遂には遊びのようなものへ変わっていった。
「聖闘士でないと話にならないのか…」
季節が秋になる頃、αの処刑があってもシュラは10秒足らずでその場から去るようになっていた。



「お前さぁ、カプリコーン様のアブナイ噂立ってんの知ってるか?」
11月、ある日の午後。発情期直前のデスマスクを連れ出すために十二宮の出入り口までシュラが来ると顔を見るなり尋ねられた。
「知っている。だがもう止めた。つまらんかったからな」
「え…マジ話?」
ひど…と呟かれるのを無視してデスマスクの手を握る。そんな事より早くテレポートしろという意味だ。
「おい、移動の主導権は俺にあるんだぞ!」
そう愚痴てから2人は静かな隠れ家まで移動した。

「お前ぼんやりしてる割にサドっぽいとは思っていたが死刑囚相手にそれを発揮するとはなぁ」
デスマスクが部屋へ向かう前に話を蒸し返す。
「噂話をそのまま信用するのか」
「やってたんだろ?自分で肯定したくせに」
「カプリコーンはαを妬んで残虐すると?」
シュラは呆れた顔をして居間のソファーに座った。
「俺はαたちの力を試していた。コスモとは別にα、βの関係で力の差は実際にどのようものかと。死を前にすれば底辺のαであろうと俺くらいのβと互角の力が出るのではと思ったのだがな」
「思ったより雑魚でムカついてなぶり殺したのか」
「お前、俺をそんな風に見てるのか」
シュラが仕事をする場面はたまに見掛けるが、その時は処刑場に入るなり左手でサクッと斬ってすぐ帰る。右手を使う気もないし早技と言えるくらいアッサリしたもので、なぶり殺しなんか趣味ではなさそうなのだが…。やりかねない雰囲気は持っているとデスマスクは思った。黙ったデスマスクを見てシュラが鼻で笑う。
「やってみろと煽っただけで、何も起きなければ今まで通り一振りで終了だ。そんな奴ら腕を振るうだけ無駄。一度たりと何も起きなかったしな。どうせβ黄金に良い気がしない底辺αが盛った話だろ。あいつらは高いステータスに満足して実力が伴わない。実際にαの能力すら使いこなせない現実を見せつけられて俺は聖域の脆さを実感した。あの程度のαは数を揃えても無駄だな。攻め込まれたら十二宮まで10秒持たないんじゃないか」
「…すげぇ、喋る…」
シュラからαの愚痴が溢れ出てきて思わずニヤけてしまった。そんなデスマスクの目をシュラがすっと微笑んで見つめる。
「聖闘士以外のαは俺たちにとって問題ではない。次は青銅と白銀も試してやる。俺の勘ではここも問題無いと思うがな」
「へ?おま…また聖闘士に手を…?」
シュラは優しい顔をしているのに瞳の中が真っ暗に見える。どこにデスマスクを映しているのかわからなくて少し声が震えてしまった。
「ククッ…殺すわけないだろ。闘技場でやり合ってみようと考えているだけだ」
顔を傾けたシュラの瞳に光が差した。それだけでデスマスクは小さく息を吐く。
「そいつらからコスモではなくαの力を引き出せるかどうかが問題だけどな」
「そんなん、Ω使えば一発じゃねぇの」
「使えるΩがいない」
声を張って返されてしまった。オレ…と喉から声が出そうになったがグッと飲み込んだ。簡単にそういう事を言えば機嫌を悪くしそうな雰囲気が出ている。
「まぁ、やりたいならやってみれば。お前の噂がデマで良かったぜ」
もういい、と手をヒラヒラさせてデスマスクは居間から出て行った。

 自室に入ってベッドで横になったデスマスクは下で動く足音を聞きながら改めて考えた。シュラがαに対して劣等感を抱いているのかわからない。α自体に興味は無いと言いはするが、心の底はわからない。ただ対抗心には満ちている。今でも"瞑想"とか言うのをしているのだろうか。漠然と、αに良いイメージを持っていないだろうなというのは数年前から感じる。それは自分がβだから…でないのなら何故だろう。
「……」
デスマスクは一つの可能性を考えて胸がキュッとなった。
「俺のせいか?」
本来βはβでまとまり、またαとΩの架け橋になれる。でもシュラは完全にΩ贔屓だと思う。
「…いや…」
Ω贔屓と言うのは嫌だ。
「俺だから、だろ…」
自分以外のΩも守るシュラなんか見たくない。それにシュラがやる事は全部俺のためだ。俺を守るために俺のことばかり考えているくらいだぞ。そんなことを思っていると、予定日より早く移動したというのに急に体が火照り始めた気がしてデスマスクは気休めに抑制剤を飲んだ。今日からまたしばらくシュラと2人きりだ…ほとんど別々の部屋で過ごすのだが、薬の効きが良い今は発情期の到来を嬉しく思うようになっていた。2人きりのこの小さな家は間もなくデスマスクのフェロモンで満たされるだろう。どれだけ溢れさせても、シュラには伝わらないが。伝わらないけど、多分きっとあいつは気付いている…。デスマスクがシュラの事を時々甘く想っていることは。フェロモンなんか使わなくとも何気ないフリをして静かに応えてくれている。だってここまで大事にされ続けたら、そうとしか思えない。……だろ?



 シュラは20歳になってもβのままだった。毎年検査も受けているがαに寄る数値は見られない。どちらかが死ぬまでこの生活のままかもな…そんな事を考え始めた頃。それはデスマスクも20歳を迎える少し前だった。デスマスクが発情期で聖域を不在にしていたある日、シュラが日帰りで聖域へ来るタイミングに合わせて教皇宮に黄金聖闘士が呼び出された。偽教皇は敢えてデスマスクを呼ばなかったのだろう。伝えられた内容は「今後の戦いに備え、Ωである蟹座にαの番を与えたい」はっきりとそう聞こえた。
「20歳にもなればΩの体は完成する。番を得れば発情期のコントロールも楽になるだろう。αから身を守る必要は無くなる」
教皇は仮面をシュラの方へ向けて続ける。
「βに負担を掛け続けるわけにもいかぬ。Ωのためにαを殱滅させられても困るからな」
今まで何も言われてこなかったが、噂はサガの元にも届いていたようだ。
「蟹座の発情期も安定したのだろう?一番身近で蟹座を見てきたお前はどう思う」
「…本人には、まだその気は無いようですが…」
突然問われたシュラは一瞬言葉に詰まってから正直な意見を述べた。間違ってはいない。
「今すぐにとは言わぬ。蟹座の扱いも難しいからな。しかしなるべく早い方が良いだろう。Ωとの番に興味のある者は今後蟹座に近付く事を認めるが、間違いだけは起こさぬように」
「……っ?!」
「ただ相性や好みはどうにもならないからな、誰も候補者がいないのであればこちらでどうにかする」
突然の宣言にシュラは少しの間立ち尽くしていた。仲間たちは教皇の退室を見届けてから静かに解散していく。
「そろそろお世話から解放されそうで良かったな」
アフロディーテから掛けられた言葉に「あぁ…」と小さく答え、やっと足が動いた。

「しかしデスマスクが番を持つことに納得するとは思えないが…サガは本気で恋愛させようとしているのか強行突破でどうにでもなると思っているのか…」
他の黄金聖闘士たちが去ってからシュラとアフロディーテはゆっくり教皇宮からの階段を下りていた。サガからデスマスクについて追加で何か相談でもあるかと思ったが特に無く、偽教皇はすぐに自室へ戻ったまま姿を現さなかった。
「ここまでΩを守ってきたというのに準備が整ったら無理矢理でも、だなんて。邪悪な方がしゃしゃり出てきたか」
「お前は…」
双魚宮が見えてきた頃、ふいにシュラが声を漏らした。
「…立候補する気、あるか?」
その問いに"ん?"と返されてから
「それが、彼の幸せになるのならば…」
と…思いの外、弱気な声が掠れて消えた。

 アフロディーテと別れ一人で磨羯宮へ向かう階段を下りるたび、シュラは何も考えられなかった状態から徐々に怒りが込み上げてくるのを感じ奥歯を強く噛み締めて耐えた。
デスマスクにその気があるのならいい…。
いや耐えられない!許せない!
デスマスクにとっての幸せがあるのなら本人を説得して…。
できない!望まぬ未来を押し付ける事など!離したくない、嫌だ、今更!αなんかに傷付けられるなど許せるはずがない!ならば…ならば?デスマスクはどうしたいと思う?どうしたいと言った?あの時…そう、あの夜…。暗く冷え込んだ静寂の中で…。あの時、俺は…デスマスクに、求められて…?俺は…
「シュラ!」
突然、後ろから呼ばれた瞬間にシュラの体は冷たい冷気で覆われた。
「何をする!やめんか!」
宝瓶宮を抜ける手前、振り返り左手を振ると主のカミュが右手をシュラに向けている。手加減された拳は遠くの柱に鋭い裂け目を残した。睨みつけるシュラに怯む事なくカミュは手をかざしたまま少しづつ距離を詰めていった。
「いきなり手を出して済まない。だがどうしても見過ごせなかったのだ」
「……」
カミュが放つ冷気は攻撃的なものではなく、癒しのコスモである事はすぐにわかった。
「俺がどうかしていると言うのか」
「…まるで日食のようにシュラの光を覆うものが見えた、気がしたが…」
目の前まで来たカミュはシュラの表情が落ち着いたものに変わっていくことを確認する。
「抜けていったようだな」
カミュの言葉が理解できなかったシュラは顔をしかめた。
「…もういい、この冷めたコスモを解いてくれ」
カミュの手が下ろされ夏の暑さを再び感じると、癒されるどころか余計に疲れた気分になる。
「このような事をさせて悪かったな」
一言告げて背を向けたシュラは踏み出す前にハッと振り返りカミュを見た。
「お前はΩに興味はあるか」
「…私は今、育成中の弟子がいるのだ。気持ち的にもΩとどうこう、という余裕は無い」
そうか、と呟いたシュラは今度こそ背を向けて磨羯宮へと下りて行った。

「…気にならないのか?」
自分自身の状態が…。
シュラよりも先に教皇宮を出ていたカミュはシベリアへ向かうため私室から出たところだった。宝瓶宮を通過していくシュラのコスモに異様な圧力を感じしばらく眺めていたが、次第にカミュをも弾き飛ばしそうな力の増長を感じ堪らず手を出してしまった。
「私がした事よりも自身の状態よりも、Ωを気に掛けるというのか」
デスマスクの世話をずっとしている事は知っているが、あのシュラが…。デスマスク相手に情が移るようには思えないが。やがて磨羯宮へシュラが到達したことを感じると、カミュは思い出したかのようにシベリアへ向けて駆け出して行った。

ーつづくー

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2024
01,20
 デスマスクが目覚めた時、辺りは暗かった。開けられた窓から差し込む月明かりで今いる場所がシュラの部屋であることはわかった。ピークは終わったのか?体の疼きは落ち着いていた。直ぐに自室へ戻らないと…と思いはするものの、この布団があまりに心地良くて体が動きそうもない。風に揺れるカーテンをしばらく眺めてからぼんやり思い起こす。自分は発情期が来て、いつも通り薬を飲んでも晴れない疼きを癒していた。やはり肌に触れるだけでは満足できず、体の中まで。ピークの時は処理に夢中で何も考えられない事が多い。いや、その瞬間は何か考えているのかもしれないがほとんど覚えていない。でも今回、部屋を出たと思う。部屋を出て…シュラの所まで行こうとした…。シュラはαではない。何も匂わないし誘惑もされていない。自分の酷い姿なんて見せたくないに決まっている。ではなぜそこへ向かおうとしてしまったのか。
「……最悪……」
デスマスクは呟くと体を横にして丸くなった。今回の衝動はおそらくΩとしての体が完成した証。受胎を望むΩの本能が、αがいないと解っていながらもそれに代わる存在に襲い掛かろうとした…。つまり、βのシュラに妊娠をせがもうとしたという事。
「……くっそ!……」
掛けられていたタオルケットを頭からすっぽりかぶって潜り込んだ。散々シュラに迫っていたような光景が夢の断片のように残っている。夢かもしれない。いつもの自分の妄想であってほしい。でも自分が今いる場所はシュラの部屋で、体はさっぱり綺麗で、首輪以外何も身に付けていない…それは間違いなく部屋から出て何かやらかした事を指す。

 βとΩが結婚しようと思えば可能だが、番にはなれない。αに襲い襲われ奪われるかもしれない不安を一生抱え続ける。その上、女Ωであれば問題無いが男Ωとβでは妊娠に至らない。それに関しては研究もされており答えが出ている。妊娠を望む男Ωは完璧を越えるαの肉体に頼るしかないのだ。
「妊娠したいとか微塵も思ってねぇのにっ…」
体は意に反して渇望する。βでは妊娠できないとわかっているはずなのに、抱かれたくて注いでほしくて抑えきれなかった本能が恐ろしい。Ωにとって安全な相手であるはずだからそばにいられたが、逆にΩの醜い本能によってそれが崩れようとしている…

 そう考えていた時、カタ、と部屋の扉が開く音がした。デスマスクはタオルケットの中で息を潜める。
「起きたのか?」
シュラの声が聞こえたが返さなかった。足音がベッド脇まで近付いて、スス…とかぶっていたタオルケットがずり下げられていく。
「……」
まだ顔を合わせる気になれなくて眠ったふりを続けた。デスマスクの頭が出たところでシュラは手を止め、ギシっとベッドに乗り上げて顔を覗き込んでいるようだった。
「……っ」
そっと頬に触れられ体が震えてしまう。シュラの手はそのままデスマスクの前髪を撫でて、肩に触れた。一体、どんな顔をして触れているのだろうか…。気になっても瞼を上げる勇気が出なかった。肩に触れていた手がスルスルと腕を辿りデスマスクの手を握る。そのまま持ち上げられて、ふに、と指先が…多分シュラの唇に触れた。じんわり、指先から感じ慣れたシュラのコスモが沁み込んでくる。あぁ、そう言えば体中にこいつのコスモが纏わり付いている。目覚めた時の心地良さはコレのせいかもしれない。こんなにも、途切れない程のコスモを送り続けていたのか…。あんな気持ち悪い事をした…かもしれないというのに…
「……デスマスク」
再び声を掛けられたが、返らぬ声に溜息が聞こえた。
「……お前のΩを受け入れてやれず、薬を使ったばかりに…いつになれば目覚めるのだ…」
「……」
「そう拗ねるな、俺ではまだお前の相手はしてやれないんだ…」
……まだ、って何だ。
「デスマスク」
「……」
「俺は諦めたり離れたりはしない、抱く事はできないが…何度でもお前の発情期に付き合ってやる。これからも俺を頼ればいい」
握る手に力がこもる。
「…他の奴らは頼るな、俺だけだ…」
シュラから流れ込んでくるコスモがデスマスクに絡んで、甘く縛り付けるよう。
「逃げるなよ、離れるなよ…αはΩを受け入れてくれるかもしれないが、それがお前にとって幸せとは限らない。少しでも抵抗を感じる間は自分の直感を信じろ」
…αは良くない、と言っているようだ。シュラ自身がβだからだろうか。デスマスクがΩとしてαを避けているからだろうか。いざという時にαとやり合える力を探ってると言っていたが…以前もαに対して嫉妬じみたものを滲ませていた。
…嫉妬なのだろうか。シュラがαに?…いや、嫉妬と言うより…執着。デスマスクに対する、まるでαがΩに示すような…。
シュラはこうして時々βらしからぬ雰囲気を纏う事がある。αに変異するのではないか?と本人に言いはするが、冗談ではなく自分の直感は当たることが多いのだ。
やはりシュラはαになりかけているのではないか…?
指先が再び唇に触れた。
今、こいつはどんな顔をして見ているのだろう…?
指先が唇を割って、鋭い…歯に、触れ…。
どんな目をしてどんな顔でどんな感情を持って今、俺に触れているのか知りたい…!!
抱いていた気まずさよりもシュラに対する期待が高まり弾けて、デスマスクは勢いよく寝返りをうって目を開けた。

 「ぉ……っと……起きたか……」
目の前のシュラは少し驚いた顔をして、デスマスクの手を胸元で握っている。平凡な、少し間の抜けたような、いつものβらしいシュラにしか見えない。ギラついた感情もデスマスクに対する執着も見えない。
「……目覚めただけでも良かった……強過ぎる薬の副作用は恐ろしいな…常用できないわけだ」
そう言って心底安堵した表情を見せる。
「記憶はあるか?今回あまりにも苦しそうだったから緊急抑制剤を使ったんだ。だが、そのせいでお前にはもっと苦痛を与えてしまったと思う…」
…変わらない。いつものシュラだ。デスマスクに対しての献身は凄まじいが、決して欲深い場所へは踏み込もうとしてこない、よく知っているβのシュラ…。
「部屋を飛び出して来た時は焦ったが、でも以前のように自傷行為に走らなくて良かったとも思う…。お前なりに俺を頼ろうとしたのだろう?それで良かった」
……頼る…。間違いではないがその真意を知ったらどう思う?言ってしまおうか…。
「これはまた医者と相談だな。折角、お前…嫌な事も頑張っていたのにな…。これ以上の解決策があるのかわからないが…」
…バレたのか?お前によく似た棒を中まで突っ込んでた事…。
「…あぁ…すまない…。今、お前が何を思っているのか察しがつかず…。いない方がいいか?」
一言も喋らないデスマスクに気を遣ったのか、シュラは握っていた手を離して立ち上がった。それを目線で追う。
「部屋に戻してやりたいが、中を見ていない。お前が荒らしていればそのままだ。休むだけならここにいていい。俺は居間にいるから必要があれば呼んでくれ」
そう言って部屋を去り、静かに扉が閉められた。窓から吹き込む穏やかな風がカーテンを緩やかに煽る。
…何を、期待してしまったのだろう…。発情は落ち着いているのに、この期に及んでまだ…シュラが…αのように自分を欲しがってくれるんじゃないかって…。
虚しさに震えたデスマスクは再びタオルケットを頭からすっぽりかぶり、朝を迎えてからこっそり自室へと戻って行った。

 今回デスマスクは発情期のピークを終えてもシュラの前には現れなかった。ずっと部屋に閉じこもり、そこにあるものを食べて過ごす。シュラは聖域へ日帰りする際は部屋の外からデスマスクに声を掛けて出て行った。居間に用意しておいた昼食やスナックは食べられていたので、シュラに会うことを避けているだけのようだった。デスマスクのショックが大きいのはわかるが、いつまでも避けられ続けるわけにはいかない。これまでのように解決していかないと守るべき時に守れなくなってしまう。また部屋の外から話しかけようかと考えたが、いつも用意した食事は食べているため手紙を添えてみる事にした。少し意外な角度から攻める方がデスマスクの心が動くかもしれない。便箋なんかはもちろん持っていないので、スケジュール帳の白紙を斬って一度話をしたい旨を簡潔に書いた。

 聖域での日帰り任務を終え隠れ家へ戻ると、机の上に置いた手紙がそのまま残されていた。食事は済ませたようで綺麗に洗い物まで終わっている。手に取ってもらえなかったか…と二つ折りにした紙を広げて自分が書いたことを確認すると、余白にメッセージが書き加えられている。
“字が下手すぎて読めない”
間もなく、階段の方からデスマスクが降りてくる足音がタン、タン、と聞こえてきた。僅か数日間避けられていただけだというのに、もう何ヶ月ぶりかに姿が見れるというくらい気持ちが急に高まって、シュラはデスマスクが嫌いなニヤけ顔全開で彼を迎えた。

 散々打ちのめされた発情期を終え聖域に戻った2人は都合を付けて医師の元へ向かった。デスマスクはシュラが同行する事を渋ったが、確認しておきたい事があると譲らなかった。別々で行けば良いのに…と思うがシュラが引かないとどうもデスマスクは折れてしまう。やはり、潜在的にこの男には敵わないとどこか諦めが湧いてきてしまうのだ。
デスマスクは医師に薬が全く効かない事と緊急抑制剤を使用するに至った話をした。どうせ話したところで大した解決策なんて無いだろうと思っていたが、血液検査の結果を見てあっさりと新しい薬の処方が決まった。体がΩとして成熟しないと使えない薬だと言う。人によってはこれでガラリと発情期が楽になる場合もあるらしい。自分がそれに当てはまるとは思えないが、せめて理性が残るくらいには効いてほしいと願った。そして今回何故か同行して来たシュラはデスマスクの隣でとんでもない話を始めた。
「βが肉体的、遺伝子的に男性Ωを妊娠させることは無いというのが通説ですが、100%と言い切れるのでしょうか」
「あくまで研究上はそう言われていますね」
「断言は、できないと」
「どうしても、この世にはイレギュラーというものが存在しますので」
何を話し始めるんだ…と呆気に取られるデスマスクをよそに、一息ついてからシュラは続けた。
「今回の事を受けて、βが避妊薬を服用する事は可能でしょうか」
「男性向け経口避妊薬はα用のものしかありません。βの服用は機能破壊の可能性が強く処方が禁止されています」
「男としての機能停止を覚悟しても?」
「禁止ですからね、私どもにはどうにも」
わかりました、と医師に伝え今回の診察を終えた。

 聖域経由のため支払いは無いがデスマスクの新しい薬の処方を待って2人で受付の椅子に座っていた。どちらも名前は使っておらず、その日の受付番号で呼ばれるのを待つ。診察室を出てから2人に会話は無かったが、遂にデスマスクがシュラに話し掛けた。
「…お前さ、そこまでする必要無いぞ」
「何がだ」
「男辞める気だっただろ」
「ちょっと気になったから聞いてみたんだ」
それで医師から薬出せますって言われたらどうしてたんだよ、なら出してくださいとか言う勢いだっただろ。
「ふん、お前ごときにヤられたって妊娠なんかしねぇよ。βのくせに何真剣に想像しちゃってんだよ。スケベか」
「いくらβでも100%ではないと言われただろ。俺にその気が無くても寝てる間にお前から仕掛けられては防ぎようが無い。避妊具を着けていても外されたら意味がないしな。最初からヤれなければお前もどうしようもないだろ」
「…だからって、お前がそこまでする必要無ぇ…デきちまったら俺のせいだろ…」
「だから、そうならないようにしたいって話だ」
「…お前おかしいぞ…こっちは俺のためにそこまでしようとすんの怖ぇって話だよ…」
「……」
「そんなの、度を超えている…俺は好きじゃない…し、嫌だ…」
声を落として告げるデスマスクの姿をシュラはチラリと見た。
「お、お前が一生誰も抱けなくなるなんて勝手にしろだけどよ!それが俺のせいってのは嫌に決まってんだろ!重いんだよ!」
「……」
「せっ、責任取れねぇよ…βと、Ωだし…」
結ばれない相手のためにそこまでさせるなんて…いくらデスマスクを想っているとはいえ。
「わかった」
とシュラは体ごとデスマスクの方に向けて軽く笑った。
「俺が寝ている時だけ自室に鍵を掛ける。万一お前が攻め込んで来ても少しくらい時間稼ぎになるだろう。必要があれば緊急抑制剤も使うぞ。苦しいのは我慢してくれ」
あぁ、抑制剤嫌だとか喚いたから使わなくてもいい道を模索したのか…。でもわざわざ一緒にいる時に避妊薬の話をしなくても良いだろう。何で、そんな変なアピールしてくるんだよ…。
「結局β用の薬は無いのだから今取れる対策はそれくらいしかない。あとは新しい薬の効き目に賭けるだけだな」
そこまで話した時にデスマスクの番号が呼ばれた。薬を半年分受け取って、シュラが「食べてから帰るか」と呟いたので特に返事をするでもなく後を付いていった。

「何食うの」
「何が食べたいんだ」
毎回、絶対にこう返されるとわかっていても繰り返すのが2人のお決まりである。デスマスクは考える素振りをしてから、ずっと気になっていたことを口にした。
「お前ってさ、もしαに変異したらそれでも避妊薬使うとか考えてんの?」
「αになったらお前の面倒は見れない。近付く事も無くなるが…お前なんかを襲う可能性があるのなら薬を使う事も考えるな」
「必要無いんじゃねぇ?…αとΩなら…」
「αとΩだからこそだろ。αを警戒してるお前が言うのか?お前それ俺以外のαにも同じこと言えるのか?」
「……」
ほんと、自分でも何を言ってるのだろう…とデスマスクは恥ずかしくなった。数年前までαはΩを襲うからって嫌悪感丸出しにしてシュラにすら噛み付いていたというのに。あぁ嫌だ、わざとこういう事引き出させるために避妊薬の話仕込んできたとしか思えない。シュラのくせに何考えてんだよ。
「おい車が来てるぞ、もっと寄れ」
不意に腕を掴まれてシュラに引き寄せられる。αだったらこんなにも近付けない。βだから結ばれない。でもシュラは本気の相手じゃないから関係ない。勝手に妄想に使っているだけの…
「……」
頭で考えても自分の中に渦巻く行き場のない気持ちを思い知らされ、胸が締め付けられる。
「お前…にしか、言わねぇよ…」
本当に小さな、消え入りそうな声で呟いて、シュラの腕をぎゅっと掴み返した。
「ファストフードでもいいか」
シュラは視線を道の先にある店の看板に向けたまま、デスマスクが掴んでいた手を優しく解いて手を繋いだ。
「…何でもいい、もう暑いから適当に入ろうぜ」
何でもいい…の言葉と同時にデスマスクは言い訳で固めた自分の殻を砕き、手汗が滑るのも気にせず繋がれた手に指を絡めていった。シュラの指に挟まれる軽い圧力が気持ち良くて自然と体もシュラに寄せてしまう。そのまま店までの短い道を並んで歩いて行った。

ーつづくー


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2024
01,06
 2人が18歳の夏。スケジュール帳を眺めていたシュラは、何となくデスマスクの誕生日前後の発情期に異変が起きている…と警戒していた。今日もまた予定日直前のデスマスクを連れて隠れ家へ来ている。デスマスクは元気そうに夕食を食べて部屋へ戻って行った。始まるのは明日か明後日くらいか…。今回も巨蟹宮の私室へ侵入する者がいるだろうか。今はデスマスクの力も安定しているから侵入できないだろうが、明日明後日には…。
「アフロディーテにでも、頼めれば良いが…」
棘のある事を言いはするが、彼は変わらず自分たちの味方でいてくれる。しかし、信用できると思う心と、もしもアフロディーテも侵入者の一人であったら…と思う心がぶつかり合って決断が下せなかった。

 翌日からデスマスクは全く下りて来なくなった。発情期の始まりを察してスケジュール帳に記録を残しシュラが眠りに就いた、その夜明け前――。居間の方で物が倒れたりする音に目が覚めた。
まさか、下りてきているのか…?!
慌てて居間へ向かい電気を点けると、台所にある椅子が倒れ脇でデスマスクが横たわっている。机に置いていた鍋や小物も床に落ちていた。
「おいっ…デスマスク!」
駆け寄ってみると保護首輪以外、何も身に付けていない。荒い息を繰り返して腰を震わせている。
「どうしたんだ?!」
シュラが問い掛けても言葉にならない唸り声を上げるばかり。それまで触れるのを躊躇っていたが、シュラは堪らずデスマスクを抱き上げて顔を覗き込んだ。乾き始めの液体や汚れで、少しぬめる。
「やめろぉっ…!!」
顔を左右に振って拒絶しながら、太腿を擦り合わせて腰を捩った。右手を床に伸ばして何かを探るので見てみると、近くにΩ用の器具が転がっている。
…こいつ、挿れるのは嫌だと…。
ぬらりと長い器具が体内用である事はシュラが見てもわかる。少し品の無い雑誌であればよく広告が載っていた。眉をしかめながら腕を伸ばしてぬめつく器具を手に取ると、すぐさまデスマスクに奪い取られる。そのままシュラの腕の中で横になって、震えながら後ろ手に挿入を試みているようで…。
「…おい…やめろっ…俺の前だぞっ…!」
こんな事を晒すのはデスマスクのプライドが許さないだろと咄嗟に腕を掴んで体から離せば、シュラを見上げてボロっと大粒の涙を流した。
「へ、部屋に戻ろうっ」
暴れるデスマスク抱いて立ち上がり、急いで階段を上って部屋の中へ放り込みバァン!と扉を閉めた。中の様子は見ないように努めた。心臓がバクバクする。少ししてから、泣くような呻き声が聞こえてきて胸が締め付けられた。
「……辛い……」
苦しい表情のままシュラはそっとドアノブから手を離し、居間へ戻ろうと階段を下り始めた、が――
「っ?!」
半分を下りた時、部屋の扉がバンバン叩かれ、シュラが振り返ると再び部屋から出てきたデスマスクが階段を転げ落ちてきた。
「ぅわっ!!」
デスマスクを抱き止めるも、勢いのまま二人は階段の下まで落ちていく。
「デス…大丈夫か…」
下敷きになったシュラはデスマスクに押し潰されながらも声を絞り出した。肩を押して上体を起こそうとすると、腕を回されデスマスクに抱き締められてしまう。
……これは、よくない……
シュラの上で雑に腰を揺すっている。シュラは抱き締められながらも勢いをつけて起き上がり、デスマスクを抱えたまま座った。
「……デス、すまない…俺はαではない…」
言葉は届いているのだろうか、より強くしがみ付かれ間もなくデスマスクの腰が震えた。
「……デス……」
シュラは泣いているデスマスクの背中に腕を回し、乱れた髪を撫でてやる。シュラを抱き締めていた右手が離れ、デスマスクの手が二人の間に滑り込んできた。
「……でも、持っている……」
低い声で呟いたデスマスクはシュラの股を探っている。
「……できない、だめだ……」
「……挿れるだけで、いいっ……」
震えて、今にも溢れそうな涙が瞳に溜まっていくのを間近で見つめた。
「好きになった奴のために、我慢するんだ」
「お前が好きっ!!!」
再びぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
「デス…「お前でいい!!」
「お前でいいから!!もう誰でもいい!!」
「それは、良くないんだっ…!」
遂にシュラのハーフパンツを乱暴に引き下げようとする腕を掴み、捻りながらゆっくりデスマスクを組み敷いた。
「いってぇっ!」
左手も掴み、デスマスクの上に座って動きを封じる。脚だけは元気で背中をガンガン蹴られた。
…どうする、どうすればいい?!
部屋へ戻してもまた出てくるだろう。鍵は内側からしか掛けられない。いっそ自分が家の外へ出てしまえばデスマスクを閉じ込める事は可能か…?!それともっ…器具を使って、こいつに擬似体験をさせるようにでもすれば、もしかしたら…。
そこまで考えて、シュラはふと緊急用の自己注射薬を持っている事を思い出した。
今の状況は…おそらく他人に襲いかかっているという事だから、緊急だよな…?!
注射薬のある自室まで抱き上げて連れて行こう、そう決めて視線を落とした時デスマスクが泣きながら声を震わせて「しゅら…」と呼んだ。
…一応、認識しているのか…?
「いつもシてくれんのに、ひでぇよぉっ…」
「……」
「おれ…オメガになったのに、ぜんぜんデきねぇからぁ?」
…いや、やはり意識は曖昧なのだろう…。
「しゅらぁ、頼むから…つづき、はやくぅっ」
聞いた事もない甘えた声、庇護欲を掻き立てられる姿。
「がまんできねぇよぉっ!」
「楽に、してやるからもう少しっ!」
シュラは唇を噛んでデスマスクを自室まで運んだ。ベッドに下ろして鞄を漁り注射薬を手に取る。これがどういう効果を発揮するのか解らない。効かない可能性もある。でも先ずはこれに縋るしかない!
「な、なんだよ…それっ…!」
ベッドから転がり下りてシュラの隣まで這ってきたデスマスクが注射薬を奪い取ろうとした。
「抑制剤だ、緊急用のっ!」
シュラが薬を持つ腕を天に伸ばせばデスマスクも腕を伸ばして取ろうとする。
「そんなんっ…使うのか?!おまえ…」
「…きっと、楽になると思う、邪魔しないでくれっ!」
軽く組み合ってバランスを崩したデスマスクが床に手を付いた瞬間、シュラは左腕でデスマスクを抱いて背中から覆い被さった。注射薬を持つ右手の指で器用にキャップを外し、デスマスクの右太腿に振り下ろす。
「おれっ…!そんなに、ひでぇ…?」
顔は見えないが、涙ながらに訴える声が酷く切なく響いて腕を止めてしまった。
「おまえは、こんなおれ、いやだから、薬つかう…」
「……」
「みっともなくて、けものみてぇだから、もどそうとする…?」
シュラは目を閉じて一息吐いてから針をデスマスクに突き刺した。
「ふ…ぅっ…」
痛みは感じないのか投薬中もデスマスクはシュラが抱く腕に両手を添えながら、発情期の熱に震え静かに泣くだけだった。

「…終わった、大丈夫か?」
注射を終えて力が抜けてきたデスマスクを仰向けにし、膝の上に抱き直して顔を見る。ぼんやりした目で「ひどい、おまえきらい…」と小さく呟いている。薬の影響かデスマスクの体がドクンドクンと強く脈打っているのが伝わってきた。
「αなら、こんなこと、しねぇのに…」
「…嫌なことしたな…暴れず、我慢してくれたんだな」
「おまえが、こんなおれ、いやっていうからぁっ…!」
また大粒の涙をぼろぼろ溢して泣き出してしまった。
「こんなずっと近くにいるのに、なんで抱いてくんねぇのぉおっ!べーたでもできるだろぉ!」
「…これが、俺の役割だからな。お前のフェロモンが効かないからそばにいられる」
「抱いてほしかったぁ!ぐちゃぐちゃになりたかったぁっ!!」
「駄目だ!!それは許さない!!」
「っ……」
デスマスクの言葉に荒らされた巨蟹宮の私室が思い出され声を荒げてしまい、慌てて息を整えた。
「いや……それは、俺がする事ではない…」
「してた!今までずっとしてただろぉっ!」
…一体どんな幻覚を見ていたんだ…シュラをαと間違えているでもないデスマスクの訴えに心の奥が疼く。
「おれ、やっとオメガになって、おまえとつがっ…っ!」
デスマスクが突然口元に手を当てた。泣き過ぎて…と思ったのも束の間、普段から血色の悪い顔色が黄緑色に変わっていく。
「っおい…デス…?」
「っ…ぁ…っ!」
少し体を揺すった途端にデスマスクは顔を背けて嘔吐した。
「お、い…大丈夫か?!」
慌てて体を支えながらうつ伏せに戻し背中をさする。昨日から何も食べていないからか出るものはほとんど無かったが、逆にそれが辛いようで首元を手で抑えていた。
これは…副作用か…?
しばらく嘔吐を繰り返してから、息を荒くして「いてぇ…いてぇっ…」と繰り返す。頭に手を持っていこうとする動きから頭痛がきているのかと思った。
「ば、ばくばくするっ…しんぞ…ぁ…しぬ、かもぉっ…!」
「お、落ち着け、大丈夫だ!」
そう言ったところでシュラも突然の急変に落ち着けなかった。ベッドの上にあるタオルケットで汚れたデスマスクの口元や手をぬぐい、ぎゅっと抱き締めた。意味は無かったが体が自然とそう動いた。抱き締めて、不安に陥っているデスマスクのナカに直接届けるつもりで「大丈夫だ」とコスモで語りかけて…
――そう、コスモ――
やがてシュラは自らのコスモを必死に燃やしてデスマスクの全身を包み込んだ。


――真夜中、眠ったままの誰かを抱いて森の奥へとゆっくり歩いていく。冷え切って澄んだ空気が頬に痛い。チラついていた雪の粒が大きくなっていく。二人はどこへ行くのだろう…その先は…闇と夜空が重なって…ほら、境目が…わからなくなっていく…――


 どれくらいそうしていたのだろうか。いつのまにか夜が明けて、光がカーテン越しに漏れている。腕の中のデスマスクは静かに眠っていた。
「……」
部屋の状態も酷いが先ずは自分たちをどうにかしたい…。苦手なコスモでの治癒を試みていたシュラの体も思うように力が入らず怠かったが、どうにかデスマスクを抱き上げてシャワー室へ向かった。居間のソファーにデスマスクを一度横たえ、様々な液体で濡れ汚れた自身の服をその場で脱ぎ捨てた。
デスマスクの首をすっぽり守る布製の保護首輪に手をかける。ゆっくりと、首輪の中に指を差し込むと硬い物に触れた。
…普段からデスマスクはこの下に金の首輪も着けているはずだ…。
それを確信して布製の首輪を外すと、デスマスクを守る黄金の首輪が輝いてシュラは安堵した。ここにαはいないのだから守る必要が無いと言えばそうなのだが。
それからやっとシャワー室でデスマスクの汚れた体を洗い流していったが、睡眠薬も含まれているのかというほど身じろぐことすら無かった。

白い体。髪も体毛も白く、Ωである影響かシュラの手のひらに収まってしまう攻めの象徴は退化し、か弱く幼いまま。胸や腹の筋肉は受けに相応しい柔らかさと形を持っている。確かに男であるはずなのに…男Ωの神秘さに見惚れてしまう。
デスマスクはきっと男Ωの中で最も魅力的に違いない…。
そんな事を考えながら、シュラはデスマスクの体に何度も優しく触れて洗い流した。女αにも両性的な身体特徴が出るそうだが、想像する気もなければ全く興味が湧かなかった。

ーつづくー

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