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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
03,02
 発情期が明け聖域に戻ったデスマスクは巨蟹宮の私室でシュラから「何かあれば直ぐに呼べ」と何度も言われて別れた。
「仕事詰めのくせに、言われて直ぐに来れるような暇人じゃねぇだろ…」
先程、偽教皇の元へ戻った事を報告しに行ったが、直接デスマスクに番の事は伝えられなかった。
シュラに任せているつもりか?サガは二人の関係をどう見ているのだろう。
聖域では仲間以上に親しくしている姿は見せていないはずだ。ただ、村や街に出掛けた時の姿を目撃されていたら何とも言えない。サガ本人が動かなくとも、誰かしらに探らせる事は簡単だろう。もしもデスマスクがシュラに惹かれている事を知ったらどうすると思う?
「良い事なんか何一つ起こらねぇな」
ため息を吐きながら寝室へ着替えを取りに向かった。

「…そんなに散らかしてねぇつもりだけどなァ…」
発情期後、巨蟹宮に戻ると寝室や居間が整えられている事がよくあった。整えられていると言っても清掃プロの従者による仕業とは思えない雑さが残っており、衣服の畳み方などを見ればシュラがやったのだろうという事は隠れ家での生活を見ているため直ぐにわかった。発情期の4日前から連れ出されるようになって意識もハッキリしているので部屋の状態が悪いとは思えない。特に綺麗好きでもないシュラは何が気になって部屋を片付けてくれるのか。いつも会ったら聞こうと思いつつも聖域ではお互い忙しく、いざすれ違った時なんかはそんな事すっかり忘れてしまって何年も経つ。まぁそのうち…と着替えを持って浴室へ行き、翌日からの仕事に備えて早めに眠った。



 デスマスクは出掛ける際にαからの接触があるかもしれない、と内心は少し緊張しながら巨蟹宮を出るようになった。しかし元々遠征が多く、聖域に居ても黄泉比良坂へ潜っている時間が長いため他人と出会う事自体が他の黄金聖闘士よりも少なかった。そんな中、十二宮の入り口までテレポートで戻ってきた時、今から出掛けようとするミロが階段を下りて来た。普段であれば言葉を交わす事もなくすれ違って終わる。その通りデスマスクはミロを視界に入れていなかったが、向こうはデスマスクを見るなり「おい!」と声を張って呼んだ。
「…何だよ」
「αの番は見つかりそうか?」
ニヤけながら少しデスマスクを馬鹿にする物言いだ。
「そんなもの必要無い」
一言告げて通り過ぎようとしたが更に投げかけられる。
「お前がそんな風だからシュラが苦労するのだぞ」
「…それで良いんだよ」
シュラの名前を出されて思わず立ち止まってしまった。
「ハァ…βは大変だな。Ωの世話に加え番相手まで探してやらんといけないのか」
「俺が頼んだわけじゃねぇ」
「そうやってお前が何もしないからだろ?俺まで聞かれたぜ?Ωと番になる気はないか、とな」
…それは意味が違う。あいつが聞いたのはそういう事ではない、はず…。
「早く世話係から解放してやれ。俺ならば頼まれてもそこまで尽くせないぞ。だからと言ってお前の番になってやるのはお断りだがな!」
アフロディーテのように見た目が良いわけでもねぇし!など言いながら一人で笑っている。
…違う。最初は仕事としてだったかもしれないが、シュラはちゃんと俺のこと考えて、あいつの方が俺に尽くしたいから勝手に世話やいて。でも相手を探すなんて事は…。
不安を掻き消すようにデスマスクは声を荒げた。
「うるせぇ!クソガキ!お前と番うくらいなら死んだ方がマシだ!」
「だろうな、俺もそう思うぜ!…っぅお?!」
とことん失礼な奴!と近くの岩石を念力でミロに投げ付けると、浮遊して階段を滑るように上がって行く。まだはるか遠くから何かを叫んでいるのが聞こえてきた。
「鬱陶しいガキめ!」
苛立つままに吐き捨て、巨蟹宮の私室まで一気に滑り込んだ。

 …違う、シュラは俺の番探しなんかしてねぇ。俺に近付こうとする奴がいねぇか探ってるだけだ。だって、あいつはずっと俺を守るための行動をしていて…。
寝室のベッドの上で丸くなっていると、胸に支えるモヤモヤがじんわり広がっていく。急に不安が増していく。
オレはこんなに弱くねぇよ!と奮い立たせようとしても、支えられない膝のように崩れ落ちてしまう。
愛して、誰か、ちゃんと愛してくれよ…。
違う、オレの声じゃない!Ωの声っ…!
愛して…。
いやだ、シュラがいい。
誰でも…。
シュラがいい、シュラなら俺といてくれる!適当なαより俺を知ってる!誰でもよくねぇんだよぉ!

――ガタン!――

「?!」
不意に、私室への扉を叩く音が聞こえた。こんな時に誰だ、シュラ…ではない。

――ガタッ!ガタ!――

やめろ…誰にも会いたくない!
一度ぎゅっと体を縮めたデスマスクは扉の向こうを探る事なく、次の瞬間には勢い良くベッドから起きて黄泉比良坂へと逃げ込んだ。



 それからどのくらい籠っていたのだろうか。気持ちが落ち着き、黄泉比良坂に滞在し続けるのも疲れて巨蟹宮の寝室に戻ると辺りは真っ暗になっていた。
「はぁ…やりたい事が色々あったんだがな」
食事のため寝室を出て居間へ向かうと明かりがついている。電気の消し忘れか?と思って扉を開ければ、ソファーにシュラが座っていた。
「…なんで?」
「戻ったか…」
シュラはデスマスクを見るなり駆け寄って、首元の匂いを嗅いでくる。
「…何してんだ…」
「…βのくせにすまんな、やはり俺ではわからない」
「…何が?フェロモン?」
てか何でいるんだ?先に説明してくれ。
突然の事にぼんやりしていると、シュラに背中を押されソファーへ一緒に座らされた。
「お前、自分でわかって黄泉比良坂へ逃げたのか?」
「は?」
だから何の事かわからない。説明しろ。
「…今日、フェロモンが出ていたようだ」
「あぁ…そうなのか。発情期じゃねぇのにな…」
やっと説明されて何か自分に重大な事が起きたのだろうけど、それを気にするよりもシュラに会えた事が何だか嬉しく思えてきて気のない返事を返してしまう。呼んだわけでもないのに来てくれた事に、心の底へ沈めた不安感が和らいでいく。
「底辺のαどもが私室の扉まで集まって来ていた。通りがかったアイオリアが俺の仕事先まで来て知らせてくれたんだ」
「へぇ…アイオリアには効かなかったんだな」
「フェロモンは分かるようだがアイオリアはΩに惑わされぬようαの抑制剤を服用しているらしい」
αの抑制剤…そんな物も雑誌で見たことあったなと思い出す。無差別にΩを襲ったり、αのフェロモンを抑制しΩを惑さないようにする夢のような薬だが、合う合わないの差が激しく重い後遺症を患う事例も報告されているため推奨はされていない。強いこだわりを持つαが医師と相談を重ね、慎重に経過観察を行いながら服用するらしい。
「兄貴のこともあって面倒事には巻き込まれたく無いんだろ。あいつらしいぜ」
「俺とアイオリアで適当にαは散らしたが、ここへ来てもお前の気配が全く無かったので待っていた」
「ふーん。忙しいのにそこまでさせて悪かったな。発情期でなければ余裕でコスモ燃えるしアッチへ逃げれるから気にしなくていいぞ」
「本当に、大丈夫か…?なぜフェロモンが出てしまったのかが気になる」
直ぐ隣からデスマスクを見つめるシュラの顔が真剣で気恥ずかしくなる。
こういうのも素でそうなだけ?それとも俺だから?少しくらいなら、その気出してもいいか…?
顔を隠すようにしてシュラにもたれ掛かった。
「…わかんねぇよぉ。お前がいなくて呼びたかったんじゃねぇのぉ…」
自分でも気持ち悪い、甘えた声が出てしまう。
「……」
シュラの手がそっとデスマスクの肩に触れる。
やばい、怖い、何を言われる?
「…聖域では、やめておこう」
期待を捨てきれない、酷く、狡い言葉だ。もう言ってしまおうか?急に我慢できなくなって、顔を上げて、シュラを見て、静かな声を響かせて…
「お前さ、俺がαと番になっても愛してくれるか?」
お互い姿を瞳に映して見つめ合ったまま、シュラの指が軽く首輪に触れてきて、囁くような声が
「…そんな器用なこと、できないな…」
できない。
「…そうか、わかった…」
できない…。
ゆっくりシュラから身を離して再びソファーに沈み込む。
できないなら、αと番になっちゃダメだな…。
頭の中で反復した。
「デス、今夜ここにいても良いか?」
「……」
「駄目なら出て行くが」
「…ひゃあっ?!」
突然の提案に何を言われたかわからなかったが、やっと思考が追い付いてとんでもなく間抜けな声が出てしまった。
「αに侵入される事は無いと思うがまた集まって来られるとここから出れなくなるかもしれないだろ?黄泉比良坂への出入りはワープできたりするものなのか?」
「入った所からしか出れねぇよ。じゃねぇと十二宮で無敵になっちまうわ」
だよな、と言いながらシュラはソファーの隅に置いてあった雑誌を手にした。
「てかお前仕事は?いつからここにいるんだ?」
「仕事はもう明日でいい。昼過ぎからいたな」
…こんな夜まで何をしていたのか気になったが、それよりも自分は腹が減っていたので「泊まりたきゃ好きにしろ」と告げて冷蔵庫へ向かった。シュラがここにいるのは問題ない。むしろ嬉しい。だから空腹にもかかわらず1人分の食事をシュラに分けてやって量が減るのも気にならなかった。

 翌朝、いつも通りではシュラの仕事に響くかもと思い普段より早めにベッドから抜け出す。デスマスクは寝室、シュラは居間のソファーで一晩を過ごした。
「早いな」
やはり既に起きていたシュラがデスマスクを見るなり言う。
「俺は別に起きるのは遅くねぇんだよ。ベッドから出るのに時間がかかるだけ」
「低血圧だからか」
「そうそう」
本当のところどうなのかは知らないが、普段から血圧が低めなデスマスクは遅刻した時などに寝起きが悪い理由をそのせいにしていた。朝からたくさん食べる気もしないがシュラは食べるだろうと思って明日の分のパンも分けてやる。
「悪いな、飯のことまで考えていなかった。後で補充しておく」
「いいって、俺どうせ朝はそんなに食わねぇし」
「不規則だとフェロモンに影響するかもしれないぞ」
「ヘイヘイ気を付けます」
聖域では仲良くするな、と言われても境目がよくわからない。どこまでが幼馴染の範疇と見られるのだろう。そもそも仲良くしていたわけではなかったので、用事以外で並んでいるだけでも不思議に思う奴がいるかもしれない。いや、それもβとΩの関係がある今は気にしなくて良いのか…。
少し考えている間にシュラは食事が終わってデスマスクを見ている。
「…何だよ、終わったならもう行っても良いぞ」
「お前も殺りに行くだろ?十二宮の入り口まで同行してやる」
今日はテレポートするまでお見送りか。手厚すぎて感動するぜ。
「へー…ありがとさん。でもそのために忙がねぇぞ」
「知ってるからいい」
シュラが何を知っているかって、口ではそう言ってもこういう時のデスマスクは無駄な行動を見せないという事。その通りスムーズに食事を終え支度をしたデスマスクは、外にαが来ていない事を確認してシュラと共に階段を下りて行った。途中、シュラかアイオリアにでも殴られて階段に転がったままの雑兵がいる。
「あいつ死んでないだろうな」
「出血してないから大丈夫だろ」
いや内臓やられてたり…とか思ったがまぁどうでもいい。
「なぁ、フェロモン抜きで俺に接触して来るα見たら殴るの我慢できるか?」
「…本当に、フェロモン抜きで気持ちがあるのならな」
また中途半端な答え。
「…そんな事、お前にはわからんくせに」
「お前だって自分がフェロモン出してるかわからないのだろ?」
わからない。自分の匂いがいつ出ているのかも。αのはわかる。βにはそんな物ない。だからこそ、何にも惑わされていない事が事実であるこの気持ちが信用できるというのに。
「ミロにすら美しくないΩに興味は無いみたいな事言われてムカつくが、正直フェロモン抜きで俺が気になる奴は絶対に頭おかしいと思う。そうそういないだろ」
隣のβ以外に。
「フッ…Ωでも生きやすいように神が美形にしなかったのかもな。まぁわからんなりに、お前が嫌だと言えばどうにかしてやる。発情期でなければ自分で返り討ちにできるのだろ?」
白羊宮を抜けて十二宮の入り口が見えてきた。あっという間の一晩だった。じわり名残惜しくなって、少し意地悪な言葉が口から出てしまう。
「保護者のお前が番相手に認められるような、ちゃーんと俺の中身好きになってくれるようなαってアフロくらいしか居ねぇと思う」
「…俺もそう思うがな、まだわからないだろ」
その言葉にデスマスクは顔を上げてシュラを見た。
わからない…?
アフロディーテで良い、とは言わなかった。他の可能性なんてあるのか?それとも、何か可能性を滲ませている?
入り口に着いて「じゃあな」と少し笑って片手を振るシュラの八重歯がいつもより気になって見えた。

ーつづくー

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