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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
02,28
「β君お帰り〜。驚けよ?調子良かったからこの俺様が晩飯もう作ってやっちゃったんだぜ?」
夕方、聖域からシュラが戻ると扉を開けるなりデスマスクがスィーっと浮遊して出迎えた。テーブルを見るとたくさんの焼いた肉が盛られている。
「パンもこんがり焼き直してやったし、スープもまぁ温めただけだが用意してやったし?」
そう言って宙をくるりと一回転して笑った。
…こんな日に、何をしてくれるんだ…
シュラは浮遊しているデスマスクの腕を掴むと、グッと引き寄せて地に降ろす。
「美味そうなのが腹立つ」
「美味いに決まってんだろ。レトルト料理にオレッぴの愛情♡」
そう冗談めかして嫌な笑い方をする。それを覆うよう不意にシュラが正面から抱きしめると、デスマスクはヒェッ?と体を震わせて固まった。肩に顎を乗せて「助かる…」とため息混じりに呟いた。
「今日はドッと疲れて何もする気が起きなかった」
「へぇ…仕事大変だったんですね…」
「お前…」
抱いていた体を離し、デスマスクを見つめながら首輪にそっと触れる。シュラが何をしてもデスマスクは嫌がる素振りをあまり見せなくなっていた。
「…いや、後にする。先ずは食べよう」
シュラは目を伏せてデスマスクの背中をパシっと叩くと、キョトンとしていたデスマスクは「何で叩くんだよっ!」と吠えてテーブルの席に着いた。

 食事を終えてデスマスクの調子が悪くない事を確認したシュラは「話がある」と切り出した。
「αの事をどう思う?」
「……え?」
今更な質問をされてデスマスクは言葉に詰まった。
「αはまだ怖いか?」
「怖いっつーか、危ねぇってだけで…アフロとか嫌じゃねぇけど、お前や本人が気を付けろって散々言うだろ?今だって危険だからっつって隔離されてんだし」
「周りが何も言わなくなればお前は自由になれると思うか?」
その言葉にデスマスクは眉をしかめる。
「…何だよいきなり、今更俺を見捨てるとかそういう流れにでもなってんのか?」
突然の話に嫌な予感がする。前にシュラは、誰もデスマスクに興味が無ければとっくにαに喰われてる、みたいな事を言っていた。自由って、放り出されるって、そういう事だろ…。
「見捨てはしない。見捨てるどころかΩの将来の事を考えての話だ」
そう言うシュラの声は気持ちが無く硬い。デスマスクのためを思って言い聞かせようとする時は単調なりにも想いが込もった喋り方をするのに。
「Ωの将来って何だよ。俺の事だろ。遠回しに言うなよ」
「……」
シュラの口元が何かを切り出そうか止めようかと何度か動くのを見てデスマスクは軽くテーブルを叩いた。
「もう何でもいいから、とりあえず言ってみろよ!言わないとどうせお前もスッキリしねぇだろ!」
そこまで意味深な態度を出されると探られるだけでは気が済まない。
「そうだな…どうせ聖域に戻る前には話しておく必要があった。これはお前のためという事を頭に入れて聞いてくれ」
そんな事を予め言うなんて、デスマスクにとって都合の悪い話でしかないのだろう。余計に丸分かりだ。

「サガが、お前にαの番を持たせる事を決めた」
低めの、聞き取りにくい不貞腐れた喋り方。
「…どうせ、そんな話がくるとは思ってたぜ」
デスマスクもシュラに合わせて不機嫌そうに返してやった。
「今すぐという話ではない。ただ、お前に興味のあるαがアプローチをしてくる可能性がある」
「あぁ、相手は選ばせてもらえるんだな」
「…お前、受けるのか?!」
返答に何を思ったのか今度は声を荒げてきた。
「嫌に決まってんだろ!」
んな事くらい、知ってるくせに…とデスマスクは顔を逸らす。
αがどうこう以前に今、目の前にいるβを知ってしまったデスマスクには何も興味が湧かない。ただこうして目の前にいるβとこのまま穏やかに過ごしていく以外の良い未来は考えられなくなってしまった。この現状を生み出したのはサガ。それをぶち壊そうと動き出したのもサガ。聖域を、自分たちを弄ぶ圧倒的な力にもう聖戦が起きてもサガ一人に任せれば良いんじゃないかとさえ思う。それで世界が壊れようとも…。
「今は考えられない、という事でいいんだな。とりあえずサガにもそう伝えてはある」
「永久に、って伝えとけ。聞かねぇなら俺が直接行く」
「それは止めておいた方がいい。サガの方に何か策があるようだ」
「はぁ?」
その言葉にデスマスクはシュラの顔を見直した。
「お前に相手ができなければサガは"どうにかする"と言っていた」
「……」
「お前が番を持たない選択は無い。おそらく強制的にでも相手を用意されるだろう。今はサガを挑発するような行動は避けた方が良いと思う」
シュラの真剣な声が響く。今すぐにでも聖戦が始まらない限り、逃げ切りは許されなさそうだ。
「…サガはわかった。で、お前はそれ聞いてどう考えてんだ?俺のためになるって思ってんの?」
デスマスクは勢いに任せて最も知りたい事を口にした。だが期待通り返してくれない怖さもあった。
「…今日、黄金全員に聞くだけ聞いてみたがΩとの番に積極的な者はいない。俺はできればお互いにちゃんと好意を持てる相手が良いと思っているが…」
「それが俺のためになると思ってんのか?!」
上手いこと言おうとする姿に腹が立つ。もう何年この関係を続けていると思ってるんだ。そんな風にβぶるのは俺のためにならない!
「…フェロモンの抑制が効くようになれば「俺をαのゴミ捨て場に捨てるんだな?!」
聞きたくないとばかりにシュラの言葉を遮った。遂に冷静を装って下手なことを言い続けていたシュラも声を荒げる。
「そんな事はしない!最後までやれる事は果たす!」
「最後までってなんだよ?!βに何ができんだよ?!せいぜい俺を殺すくらいだろうが!!」
「?!」

――暗い夜、森の中、冷たい、雪が降っている。どれだけ噛んでも、どれだけ愛が深くとも、αとαでは、一つに結ばれないんだよ…――

デスマスクの言葉に突然頭が真っ暗になったシュラはテーブルに肘をつき右手で顔を覆った。
「お前俺の気持ちわかってんだろ?!わかってなかったのかよっ?!お前じゃねぇとっ…嫌に決まってんだろぉっ!」
叫び、震え声で溢れそうになった涙を堪えたデスマスクはシュラを置いて勢いよく居間を出て行く。シュラは頭を抱えたままデスマスクの言葉が入ってこなかった。頭の片隅に「追いかけないと…」とモヤモヤしたものが浮かぶが、今にも忘れていた何か重要な光景が思い出されそうで…それも結局叶わなかった。

 デスマスクが納得できる結末とは。
一つ、シュラが今すぐαに変異すること。
一つ、デスマスクがβに変異すること。ただし発情期を迎える前のΩ判定は誤診を含め性が覆される事もあったが、発情期到来後のΩで変異した報告は無い。
一つ、サガに番を止めさせる。清らかな方は聞き入れてくれても邪悪な方では話にならない。要するに本人の気が変わらない限り無理。
一つ、サガを討伐する。ただしこちらが殺される可能性の方が高い。
一つ、デスマスクが自決する。

 昨夜聞いた状況の中ではシュラがデスマスクのために身を呈しようとしても何の解決にも繋がらないだろう。翌朝ベッドの中でデスマスクは今後について考えていた。シュラに期待しすぎていた。βにしてはあまりに出来が良いし、でもシュラはαではないのだ。デスマスクの盾になったところでαの最高峰相手に何ができる?シュラがどれだけデスマスクを守ろうとしても果たせない壁がある。デスマスクは自分の気持ちを優先し過ぎてシュラに酷く当たってしまった事を一晩反省していた。そしてシュラと自分の気持ちが同じではないかもしれないという可能性も芽生えて落ち込んだ。βとΩだから素直に本心を出せないだけだろうとか、自分の考え方が前向き過ぎた。同じ気持ちだと勝手に思い込んでいたのは自分だけかもしれない。シュラは本当に、最初から今日まで気持ちは変わらず周りに言われてクソ真面目にただβとしてΩを守っているだけかもしれない。不安にさせるとフェロモンが乱れるかもしれないから、そうならないようにデスマスクの気持ちに合わせてくれていただけで。…でも、そんな器用な事ができる奴じゃないだろ?だって、あんなにっ…!!
「っ…ふ…ぅ…しゅらっ…」
発情期のピークは過ぎているため、今日もシュラは仕事を消化するため聖域へ向かった。小さな家に夕方まで一人きり。
「しゅらぁっ…」
不安が強すぎて我慢ができない、嫌な体。堪らず下着の中に手を差し入れる。いつからだろう、利用していただけだったのに、名前を呼ぶようになってしまったのは。
「しゅらっ…しゅらっ…」
無意識にコスモを飛ばしてしまって聞こえているかもしれない。俺が、こんな声で呼んだら気持ち悪がられる…?
「…ごめん…っ…しゅら…」
いやだ、いつもよりスムーズに快感が得られない。だって、今日の"シュラ"はオレを見ていない…。βが、浅ましいΩを冷静に見ている。
「しゅらぁっ…」
それでもいい、って少し乱暴にして燻るものを吐き出した。気持ちは晴れない。

「はぁ…」
どうしたらいい?どうすればいい?シュラの気持ちさえ聞ければ満足できるか?それが本心だとわかるか?「αと番になってもずっと愛してる」とか、そういう事言ってほしいのか?そこにシュラの幸せは?
「……」
一晩反省したところで、結局デスマスクはシュラを手放したくなかった。例えαと番になっても、同じ宮に住まわせてずっと世話をさせ続けるんだ。何が1番嫌かと言えば、自分がαと番関係になる事よりもシュラが他の誰かと結ばれてしまう事が嫌だと気付いた。身の回りの世話をずっとシュラがやるのならαと番になってやる、という条件をサガに出してみるのはどうだろう?この際シュラに拒否権は与えない。だってあいつ本心で俺のことどう思っているかわかんねぇし。好きと思ってくれてるなら地獄だろうが、そうでも無いのなら今までと変わらない環境だろう。αを裏切って不倫するわけじゃない。どうせあいつは俺を抱くことなんかしない。死ぬって脅してもしないと思う。
「…はぁ…」
ほんと、自分はシュラを何だと思っているんだ。あいつだって人間だ。ちょくちょく怒るし頑固だし。そんな都合の良い関係、泣き落としても受け入れてくれるわけがない。でも…できる限りのことはしておきたい…。ズルりとベッドから抜け出したデスマスクはタオルを持ってヨタヨタとシャワー室へ向かった。

 「β君お帰り〜」
その夜、再びデスマスクは夕食を用意してシュラの帰りを待った。シュラは一瞬驚いた顔をすると、昨日と同じ調子で出迎えたデスマスクを「無理するな」と軽く抱いた。
「だってもういつまでこの生活できるかわかんねぇし?明日も用意してやるって」
「……気持ちは落ち着いたのか」
「そんな単純に終われるものじゃねぇの、わかるだろ?」
そう言いながらシュラの首に腕を回す。頬にキスでもしてやろうかと眺めてから、首元に顔を埋めるだけにした。息を吸って、どうしてもシュラからは何の匂いも感じない。
「…ごっこ遊びは、ここだけだぞ」
小さく、低い声で応えてくれた。優しいと言うか甘いと言うか。やはりシュラは俺の気持ちには気付いている。キスぐらいしてみれば良かった。

席に着いて食事をしながらデスマスクは明日の帰りこそ「お帰り♡」のキスでも試してみようと考えた。そしてαにどうこうされる前にシュラでファーストキスを終えてしまおう。チャンスが無ければ寝込み…は鍵掛かってて襲えねぇから、聖域に戻ったら磨羯宮に侵入して…。
「なぁ、薬が効いているとは思うが俺を襲うのだけは無しだぞ」
「へへぇっ?」
自分がどんな顔をしていたかわからないが、前科ありのΩから身の危険を感じる程の何かが漏れ出ていたのだろう。
「そこまではしねぇよ」
シュッと気を引き締めて答えるデスマスクを訝しげに見たシュラは「どこまでやろうとしてたんだ」と身に不安を感じていた。

ーつづくー

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