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そこはかとなく

そこはかとない記録
2024
03,05
 季節は秋も終わりに近付く11月。突然デスマスクのフェロモンが聖域で漏れる騒動はあったが、予定通りであれば発情期が来る時期となったため二人は隠れ家へ移動した。番探しの一環でデスマスクを移動させる事も中止になるかもしれないと危惧したもののそんな事はなく、サガからいつも通り許可は通った。

 聖域にいた数ヶ月でデスマスクに番候補として接触しようとする黄金聖闘士はいなかった。白銀も青銅も遠巻きに見る者はいたがさすがにαだからと気安くデスマスクに近付ける者はいなかった。
「オレっぴ想像以上に人気無ぇな」
「…自分で理解してるくせに、そんな事言うのか」
今回は朝から移動したため家に着くなり途中で買った昼食を二人で食べ始める。
「どうせ集られたらそれはそれで文句言うやつだろ」
「だけどよぉ、俺のフェロモンって実際どんなんか気にはなるんだよな」
「やめとけ」
低い声で強く言われるが無視して続けた。
「フェロモン使ってα同士を争わせたりできるんだっけ?Ωの存在は聖域崩壊の危機ってくらいだもんな。生き残った最強αこそ最強Ω様に相応しくねぇか?」
「外道だ、そうならないために俺がずっと動いてきてたんだぞ。それにお前は…そういう形だけの相手は嫌なんだろ…」
「俺はお前がずっと世話してくれるってんなら形だけαと番になっても良いって妥協しようかと思ったんだよ。でもお前がそれできねぇって言うし」
「無理だろ?αのフェロモンにやられたらお前の方こそ俺の事なんかどうでも良くなって邪魔になるだけだ!だから両立なんてできないと言っている!」
シュラは食事のゴミを持って立ち上がった。
「ハァ…」直ぐこうして雰囲気が悪くなる。
 デスマスクはため息を吐いて食事を続けた。純粋に好きなのにこんな事の繰り返しばかりだ。喧嘩するほど仲が良い、とは少し違う気がする。共感とか同調しないわけではないが、アフロに比べるとそれが薄い。でもそんなあいつがちゃんと俺のこと考えてくれてるって事実がなぜか嬉しくて惹かれてしまう。酷いことを言われても、その後フォローされるだけで簡単に見捨てる奴じゃないと信頼感が増してしまう。これがアフロであれば、好かれてもそれは当然、みたいな気持ちで終わる。アフロに対して失礼な事だが。

 食事を終えたデスマスクも立ち上がり、ゴミを処理してから部屋ではなく外へ出ようと玄関へ向かった。
「どこへ行く」
ソファーにいたシュラから監視官のように声が掛かる。
「ちょっと家の周り歩くだけだよ。またしばらく引き籠り生活だしな」
一緒に着いて来るかもと思ったが、シュラからの返事はなくソファーからも動かない。デスマスクは一人で外へ出て行った。

 ここがどこなのか知ってしまわないためにデスマスクは隠れ家の周囲を探ろうとはしてこなかった。こうして家の周りの森を、家が見える範囲まで歩くことはあるがそれ以上先へは進まない。進めばシュラが追いかけて来るかもしれない。それもちょっと面白そうだなと悪戯心が湧いた。すぐ険悪になる…と悩んだばかりのくせに、まさか自分はシュラに怒られるのが嫌ではないのか?それともどこまで迷惑をかけても許されるのか試している…?シュラが、どこまで自分に対して真剣なのか…。どれだけ言葉を貰っても、実感しても、足りない。足りなくて足りなくて、満たされても底無しの闇に吸い込まれていくばかりですぐにまた気に掛けてほしくなって…。
 森の中を進んで振り返ると、木の隙間からまだ隠れ家の壁が見える。もう少し、進んでも良いか…。一歩づつ踏み込んでは振り返って遠ざかる家の壁を確認する。光に反射して薄くなっているが、まだ見える。もう少し…。前を向けば木漏れ日も届かない、蒼く薄暗い森の闇が広がっている。

 いつしか風は止まっていた。木々のざわめきも聞こえない。空気すら動きを止めているような冷たい静けさ。デスマスクの息遣いと落ち葉を踏む足音だけがやけに大きく聞こえる。
"…踏み込みすぎたか…"
隠れ家はもう見えない。帰れない心配は微塵も無いし怪しい気配も無さそうだったが、これ以上進むのは良くないと感じて近くの岩に腰掛けた。シュラは追いかけて来ない。自分一人が世界から取り残されたかのように錯覚する。このままずっとここに居て誰にも見つからなければ…。そんな風に思ってみたが聖域はどんな手段を使ってでも最強のΩを見つけ出すだろう。逃げることはできない。

 そっと目を閉じて自分の中のΩに集中してみる。シュラが言っていた瞑想とやらはこういう事なのだろうか。コスモの、その内側。αの最高峰に並びながらもΩ性に目覚めた自分。なぜΩでありながら黄金の力を授かった?過去の因果か?宿命か?なぜシュラを想ってしまう?惹かれてしまう?βなのに、どうしようもないのに…。なぜシュラはαではない?望まなかった?せっかく俺はΩになったのに。番になれたというのに。お前がαなら、喜んで首を差し出すのに…。βとΩでは、どれだけ噛んでも一つにはなれないじゃねぇかよ…。

「ハァ…ヤバ…」
デスマスクは予定より早いのに少し熱っぽさを感じてきた。
「最近、早まるなァ…」
立ち上がり、フラつく体が木にもたれかかる。ぼうっとしていると、ふと視界を何かが横切っていった。
「…虫?」
どこから来たのか、蝶のようなものが3匹ヒラヒラとデスマスクの周りを飛び回る。目で追っていると今度はカサカサと落ち葉を踏む小さな音が近づいて来た。
「…動物?いたのか、こんな静かな場所に」
イタチなのかタヌキなのか全然違うのか、小さな生き物がデスマスクの足元まで来て匂いを嗅いでいる。
「…まさかお前ら、αじゃねぇよな…?」
冗談のつもりでハハっと笑えば、また遠くから低い木を揺らしながら何かがこちらに近付いて来た。
「え?マジ?」
今、自身からフェロモンが出ているとして、人間以外にも効果があるというのか?あのβ男には全く効かないというのに?隠れ家のあった方向を見てもシュラが来る気配は全く無い。じっとそちらを見つめていたデスマスクは次第に苛立ちとやるせ無さが込み上げてきた。
ーこのまま俺が消えたら、あいつどう思うだろう?
見捨てられるか、酷く怒られるか…。悪戯心では済まない。本気でシュラに迷惑をかける事になりそうだ。頭の中に警鐘が響くが好奇心がどんどん膨らんでいく。
ー今、お前が来てくれたら俺は何もしなくて済むのに。早く、何してんだ。なに安心して俺なんか信用して待ってんだよ。
隠れ家に戻って早く薬を飲むべきなのに、そうすれば治るのに。頭の中に浮かぶ場所はついさっきまでいた聖域で…。あ、巨蟹宮にも薬は置いてあったな。
ー俺、取り返しがつかなくなるかも…。
ヘラッと笑ったデスマスクは隠れ家で待っているシュラを想い、静かに森の中から消えた。デスマスクの居た場所には何種類かの虫や動物が集まり、喧嘩を始めている生き物もいた。



 つい1時間ほど前までいた聖域にデスマスクは再び戻ってきた。熱っぽいとは言えピークが来るのは明日以降だろう。ちょっと巨蟹宮まで行って薬を飲めば楽になる。誰にも会わなければ何事も無く散歩して帰るだけになりそうだ。フラッと揺れながら十二宮の階段を上り始めた。

 昼時で食事中なのかすれ違う人がほとんどおらず、巨蟹宮までの道のりでは気弱そうな雑兵の二人組を見掛けただけだった。おそらくβだろう、フェロモンなんか全く感じませんという風で、フラフラ歩く不審なデスマスクを視界に入れまいと階段の隅で息を殺しながら静かに下りて行った。

「…つまらん」
思いの外あっという間に巨蟹宮へ着いてしまった。調子が悪いと死面の唸り声が体に響いて吐き気を感じる。早く部屋に入ろうと私室へ続く扉の前まで来た。
「閉め忘れか?」
薄く、扉が開いている。
「アフロでも来てんのか?」
そのままヨイショ、といつもより重く感じる扉を開けて中へ入った。――瞬間、ここは駄目だと警鐘が響く。
 居間や寝室の扉が開いている。廊下にクッションや衣類が散乱していて…。ゾクリ、と痺れが体を貫いた。一歩、踏み出そうか迷う。いや、引くべきか?それよりも先ず、足が動かない…!布が擦れる音と荒い息が寝室から聞こえてくる。
――誰だ?!ーー
という叫びは夢の中のように声にならなかった。
「…ァ…ッ…ア…」
息が詰まる音だけが喉を通っていく。
――ギッ…――
扉の蝶番の隙間から、何か動いて来るのが見え…やがてデスマスクの前に姿を現した。

「ハァ…どうした?なぜお前がここに居る…?」
声を掛けられてもデスマスクは動けなかった。根元は黒く、毛先は金色の長い髪。着ている法衣は乱れ、雄の匂いが漂い、手には汚れたデスマスクの鍛錬服を持ち鼻に押し当てている。
――サガ…?!――
「…お前一人か?そんな状態で…山羊座はどうした?」
サガ自身も拒んでいるような、ぎこちない足取りでデスマスクに近付いて来る。
「あ…」
「来ては駄目だろう?はぁ…なんて良い匂いをしているんだ…残り香なんて比べ物にならない!あぁ、私を誘っているのか?」
サガが目の前まで来てデスマスクの首輪に触れた。
「ひゃっ…」
途端に嫌悪感が全身を巡る。
嫌だ、動け、動けよオレぇっ!!
サガの指が這い上がり、顎を軽く撫で、頬に触れて親指が下唇に触れる。少しヌメつく雄くさい手が何をしていたのか、考えたくも無いのに突き付けられる。
無理、無理だっ…形だけでもαと番なんて、やっぱ、無理だった…。

「あぁ…駄目だっ!全てを食べ尽くしたい…!」
キスされる…!!
瞼をギュッと閉じた瞬間、突然デスマスクは強い力でサガから引き離され私室の扉から宮の方へと吹き飛ばされた。
「ぅぎゃっ!」
やっと、声が思うように出た。

「なぜ君がここに居るんだ馬鹿者!シュラはどうした?!」
体を起こして見ると聖衣を着たアフロディーテがデスマスクに背を向けたまま叫んでいる。
「アフロ…「さっさと行け!走れ!離れろ!私ももう持たないぞ!」
必死の叫びにデスマスクはヨロっと立ち上がり、ヨタヨタと巨蟹宮を出ようと歩き出した。
「くっそバカ!!そんなので逃げれるか!いっそ私が食べてしまおうか?!」
Ωのフェロモンに耐え、牙を剥き出しにしたアフロディーテに向かってサガが殴り掛かってくる。
「どけ!魚座!そいつは私のものだ!」
「違う!あれは私のものだぁ!」
サガは髪を毛先まで真っ黒に染め、赤い瞳を光らせてアフロディーテと取っ組み合いながらも、ヒョロヒョロ転がり落ちるように逃げて行くデスマスクを睨み続けた。

「ひゃぁ…ひゃぁ…」
息をするにも上手くコントロールできなくて間抜けな音が漏れていく。岩に手を付きながら必死に下りているつもりだが全然進んだ気がしない。まだすぐ上でサガとアフロディーテがお互い罵り合っているのが聞こえてきて、αの本性剥き出しで怖いと言うか引く。それでもギリギリの理性でアフロディーテがサガを止めてくれている事には感謝しかない。やっとの事で双児宮を通過すると、下から数人の雑兵が上がってきた。その後ろにもまだ何人か続いているのが見える。
「最悪かよ…昼飯終わって、移動の時間かぁ?」
雑兵でさえβの方が珍しい。上ってくる時にαに出会わなかったのは奇跡だった。雑兵レベルのαこそ理性を保つ強さなんか持ち合わせていないだろう。
「突破…できるよな…?」
そんな事を考えていると雑兵たちがパタ、と足を止める。その場で話し始め、辺りを見渡し、そして顔を上げデスマスクを見た。
――来るか…!――
一人がデスマスクに向かって駆け出すと次々と後に続いていく。近くの岩場にもたれたままデスマスクは自分に触れようとしてくる雑兵を一人づつ殴り飛ばしていった。
「ひゃはっ!黄金舐めてんじゃねぇよっ!」
デスマスクとしては全然力が入っていなかったが、雑兵を倒れさせるには十分だった。シュラが言っていた、雑兵なんか問題じゃない、というのはコレか。αとΩ以前に圧倒的な力と体力の差がある。5、6人のグループを倒れさせては少し下りて、また次のグループを殴り飛ばし…を地道に続けた。金牛宮へ着く頃には最初に倒れた雑兵たちが起き上がり始め、デスマスクに向かって次々と下りて来るのが見える。
「まるでゾンビだな…」
振り返れば醜い本性を晒したαどもが追い掛けて来るなんて、なんとなくニッポンの黄泉比良坂にまつわる話を思い出した。もしあれがシュラだったら、自分は受け入れられるのだろうか。シュラになら、自分は逃げ出さず、捕まって、深く噛まれても…
 そんな事を考えていたら、何の傷も無いのにズクンと首筋に鈍い痛みを感じた。正面から向かって来る雑兵はもういない。ヨタヨタ足を進めるが熱っぽさが増してきて金牛宮を抜ける直前にデスマスクは倒れ込んでしまった。
…だめだ…ここで雑兵如きに犯られるわけにはいかねぇ…
すぐに起き上がったが、そもそも進みが遅かった。振り返ればもうすぐそこまで雑兵たちは追い付いてきている。
くっそ!このままもう一度全員殴り飛ばすか…?!
金牛宮の柱にもたれようと後ろへ下がっていくと、柱ではない何かにぶつかった。
ー…やば…ー
振り向かなくてもわかる。今、自分のすぐ後ろに何が現れたか。

――ドッ!

「ぎゃあああああ!」
その直後、デスマスクに向かって来ていた雑兵たちは全員凄まじい圧力に吹き飛ばされ壁に柱に宮の外にと叩き付けられた。
「…へへっ…こっわぁ…」
技を放った者がここまで本気の力を出す瞬間を見たのは初めてで、思わず笑ってしまう。闘いに於いてもシュラより遥かに冷静で、穏和な奴なのだ。
「やっぱお前も、ちゃんと黄金だよなぁ…」
振り向きたくないが、この場をやり切るにはずっと背を向け続けるわけにもいかない。ゆっくりと首を回して、逆光で顔がよく見えなくても誰だかわかる巨体を見上げた。間違いない、金牛宮の主、アルデバランがいる。
「正気…じゃねぇよな…息が荒いもんな…」
アルデバランは歯を食いしばって耐えているようだった。ギシギシと歯軋りが聞こえてくる程に。
「昼前に出て行ったはずだろう…なぜ、ここにいるのだ…?この匂いが、Ωのフェロモンというやつなのか…?!」
「そんなに良い匂いしてるのか?良かったな、体験できて…」
アルデバランを見上げながらふらり、ふらりと白羊宮の方へ足を進める。
あと少し…。こいつなら、耐えてくれるか?
黄金相手にコスモ無しの素手ではやり合えない。宮を抜けた瞬間にテレポートできるよう、無駄にコスモは消費したくない。アルデバランは眉間に皺を寄せ、少し前屈みになった。
「匂い、キツいのか?…悪いな…オレサマさっさと消えるからよ…」
アルデバランから視線を逸らさず、後ろ足で少しずつ下りていく。歩いているのに全然距離が開かない。アルデバランがゆっくりと近付いて来る。
「くっ…苦しい…デスマスク、離れないでくれ…っ!」
「やめとけって、オレっぴいない方が楽になれるからよぉっ!」
白羊宮に入る手前、突然突進してきたアルデバランの光速タックルを避けきれず、弾かれたデスマスクは近くの岩場に体を打ち付けた。
「ぅぎゅっ!」
直ぐに体を起こそうとしても遅かった。アルデバランがデスマスクの上にのし掛かりビクとも動かない。
「ぃやめろぉ!お前こういうタイプじゃねぇだろぉ!」
「自分でもわからぬ!お前がそうさせているのだろう!」
俺のせい?…あぁ、俺の、Ωのせいか…。全部、俺のせいか…。気まぐれで、フェロモン散らしながら戻って来たから…。俺、何がしたかったんだっけ…?あいつがいる隠れ家で大人しくしてりゃ良かったんだよな。あいつはフェロモン垂れ流しでも気付かねぇし。暴れねぇし。俺のこと襲ったりしねぇし…。いや、襲われたかったのか…。
アルデバランが顔を寄せてくる。キスは嫌だと顔を逸らすと首筋に顔を埋めて動きが止まった。
「…あるふぁの、匂いが…っ?!」
あぁ…サガに触られて、なんか、アレの匂いでも…
「おまっ…やっぱ駄目だっ…てぇっ!」
怒りを感じる。押さえ付けてくる力が強くなってきて、堪らずコスモを燃やし軽くアルデバランを弾き飛ばしたが、起き上がる間もなく足を掴まれ今度はうつ伏せに抑え込まれてしまう。
「ぎゃあっ!」
シャツの首元を強く引っ張られ布の裂ける音が聞こえた。後ろ首が晒されて保護首輪を編み上げている紐を強く引っぱられる。
「ぐえぇっ…」
苦しい!首が締まる!外し方はそうじゃねぇんだよ!犯される前に殺される…!この場を乗り切る為だけに一度コイツの魂をぶっこ抜くか…?!
どれだけ迷惑を掛けようとここで自分が死ぬのは嫌だった。その後魂を元に戻せなかったらどうしよう、と迷う暇もなく震える右手を握り、人差し指を立てて温存しておいた燃やせるだけのコスモを内側から…
「待てデスマスク!」
突然、デスマスクの体が宙を舞った。アルデバランもだった。落ちていく瞬間に綺麗な蹴り姿を見せている黄金聖衣を着た男が見えて…。その男が宙でもう一度脚を振り上げると、まともに食らったアルデバランは十二宮から離れた何処かへ吹き飛ばされていった。これでしばらくは時間が稼げるだろう。
「ぎゃぴぃっ!」
今日、地面や岩に叩き付けられるのは何度目だろうか。絶対どこかの骨は折れている。デスマスクが起き上がろうとすると、補助するように腕をグッと掴み上げられた。
「う…」
蹴り姿を見た瞬間にわかってはいた。今、突然現れた黄金聖衣の男と顔を合わせてデスマスクはギュッと下唇を噛む。その姿を見た男は何も言わず素早くデスマスクを抱き上げて白羊宮を抜けようと駆け出した。デスマスクも威勢の良さをすっかり潜め、身を委ねて大人しく抱かれた。

 のも束の間。白羊宮の中央辺りで突然降り注いだ赤い薔薇に男の足が止まる。
「遅いぞシュラァァアア!」
後方から艶のある低い声が宮中を響かせながら貫いていった。男はシュラと呼ばれ振り返り、デスマスクを抱く腕に力を込める。
「オマエの登場のおかげでなぁ、それはもう心地良い香りが増して増して!」
カツン、カツン、と余裕のある足取りで近付いて来る。薔薇といえばあの男しかいない。サガとやり合い、ギリギリでデスマスクを逃してくれたアフロディーテの理性はもう無かった。
「ほんとデスマスクは間抜けで可愛いΩだ。好きで仕方ないのが全く隠せてないのだよ!」
シュラが小さく足を踏み込ませるだけでもそれを制するよう直ぐに薔薇が飛んでくる。
「シュラよ、βのオマエに届かせようと必死にデスマスクがフェロモンを放つ度になぁ、私の飢えは増すばかりなのだ!この苦しさがわかるか?!さぁ早くΩを寄越せぇ!」
アフロディーテが向かって来るというのにシュラは動かない。いや、動けないのか?!
「やめてくれ!」
デスマスクが腕の中で身を起こしてシュラを庇おうと抱き締めた。アフロディーテはデスマスクの首を掴んで力任せにシュラから引き剥がし後ろに放つ。
「ぎゃあっ!…っだからどいつもこいつも叩き付けんな!」
アフロディーテの狙いはデスマスクだけかと思ったが、シュラと対峙している。やばい、と思った瞬間、黒い影が光の速さで後ろからアフロディーテをど突き倒した。シュラの縛りが解けたのか後ろにフラついてからデスマスクと視線が合う。
「ククッ!魚座如きに遅れを取るとは不覚!」
「オマエはノコノコ出てくるなぁ!仮面かぶって教皇宮で大人しくしていろ!」
アフロディーテの意識が邪悪なサガへ向かった瞬間、シュラはすかさずデスマスクの元へ駆け寄り、抱き上げて走り出した。妨げられなければ黄金で最も足が速い自信がある。
「くっそ!待てシュラァァアア!」
薔薇が降り注いでも今度は足を止めなかった。デスマスクに当たらないよう、少し背中を丸めている。白羊宮の出口が見えてきた。シュラが闘ったのだろうか?雑兵に加え聖衣を着た青銅と白銀聖闘士も数人倒れているのが見えた。
「っ…!」
シュラから時々衝撃に耐える声が漏れる。
早く…!
デスマスクは光よりも速くテレポートが繰り出せるよう、コスモを燃やし始め集中した。白羊宮を抜け、シュラは階段を蹴って跳び抜けようとする。降り注ぐ薔薇と黒い衝撃波。守るように強くデスマスクを抱くシュラが地に落とされる寸前、二人は遂に十二宮を抜け聖域から姿を消した。

ーつづくー

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