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そこはかとなく

そこはかとない記録
2023
12,12
 二人で過ごす隠れ家が完成しておよそ半月後、巨蟹宮から磨羯宮にいたシュラに対して「アレが来るかもしれない」とデスマスクがコスモを利用したテレパシーで語りかけた。シュラは「わかった、待ってろ」とだけ伝え、急いで教皇宮に向かい、たった今からの予定全てをキャンセルした。迷ったが双魚宮にも立ち寄り、アフロディーテに「聖域を頼む」と伝えると「私一人で十分だからさっさと行け」と素っ気なく追い出された。隠れ家には宿泊に必要な物は揃えてあるし、シュラ自身はデスマスクに異常がない限り外に出て動くこともできる。小さな鞄一つを持って、巨蟹宮へデスマスクを迎えに行った。

 巨蟹宮の私室の居間にデスマスクはいた。怠いのかソファーの上で横になっている。
「おい、大丈夫か?」
声をかけると顔を上げたデスマスクの瞳が潤んでいたが、泣いた感じではない。
「歩けるか?」
という問いかけにゆっくり起き上がった。思ったより発情期が始まってから時間が経っているかもしれない。
「薬は?」
「…飲んだ」
「あまり効いてないのか副作用なのか…」
Ωが確定してからデスマスクは医師から強めの薬を処方してもらったと言っていた。眠気が出たり、欲情を抑え込むため熱が上がり過ぎたりで発情期の症状と副作用は区別がつきにくいらしい…これもシュラが本で得た知識だ。どう見ても怠そうだが連れて行くしかない。Ωのフェロモンが出ている可能性を考えると私室から外に出るのは危険だが…デスマスクと自分の荷物を肩にかけてから本人を抱き上げようとした。
「…っ?!ちょお!待てよぉ!」
「あっ、暴れるな!」
デスマスクが手を突っぱねてシュラに抱き上げられるのを嫌がった。
「フェロモンが出ていたらゆっくり歩いて下りるのは危険だろ?!俺が一気に運ぶ!」
「そんなん嫌だぁ!」
言われて、面倒くさい!と急に腹立たしくなった。

「嫌とか言ってる場合じゃないだろ!!」

「っ…?!」
少し強めに声は張ったが、驚く程か?とシュラが不思議に思うくらいデスマスクは小さくなって身を固めている。
「…嫌なら、もっと早く教えてくれ…」
体勢を整えてデスマスクを抱き直し、十二宮を一気に駆け下りるため息を整えた。
「だって…お前に教えた時はこんなんじゃなかったんだよ…30分くらいで、一気にきて…」
「…そうか、まだよく判らないよな…怒鳴って悪かった」
私室の扉の前に立つと、触れていないのに自然と扉が開いた。
気が利く奴だな…
両手が塞がっているシュラのためにデスマスクがサイコキネシスで開けてくれたようだ。抱く腕に力を込めて、シュラは光の如く一気に聖域の外まで突っ切って行った。幸い途中でαに邪魔をされるような事は起きなかった。

 シュラの脚は光速を極めた者たちの中でも特に速い。
「このまま直行する」
聞こえやすいよう走るスピードを緩めてデスマスクに声をかけた。
「目隠しは…」
「あぁ…鞄の底にあるが足を止めるのは面倒だな…。目を閉じていてくれ」
「へ?…いい加減過ぎねぇ?…」
「信用しているぞ」
その声にデスマスクは少し考えるようにしてからハタッと瞼を閉じ、シュラの胸に顔を押し当てた。更に腕も背中に巻きついた。その様子にシュラは満足そうな顔をして、一刻も早く安心させるために再び光の速さで隠れ家まで駆け抜けて行った。

 光の筋は海の上までもを渡りどこかの島国へ。町外れの深い森の中に隠れ家はあった。日差しは強いが空気はカラッとしていて吹いてくる風も心地良い。小さな二階建ての家に入ってシュラはデスマスクをベッドの上に下ろした。
「もういいぞ」との声にデスマスクは目を開けて、そこから初めて見る部屋を眺めた。冷蔵庫や電子レンジに電気ポット…ホテルの一室のような、部屋から出なくてもそれなりに過ごせる環境が整っていた。シュラは壁にある冷房のスイッチを押しながら「ここは二階だが部屋を出てすぐにトイレと洗面もある」と説明した。
「俺は一階にいる。シャワーと台所は一階にしかないが、辛い時は二階だけでも過ごせるだろう」
前回、初めての発情期の時には巨蟹宮の私室で何を食べていたのか、どういった物があると良いのかを一通り聞いていたので日持ちするゼリーや食べやすいお菓子、飲料水などは既に買い置きされている。症状が重い時は体調不良の時と同じようで食欲が湧かないらしい。まだ一度しか経験は無いが、発情期のピークは2、3日でそれを過ぎれば食欲も徐々に戻ってくるとの事だった。
「余程の事が無い限り俺の方からこの部屋に入ることはしない。俺が洗ってもいい着替えは階段から落としてくれ。嫌なものは溜め込んでおけ。食事が摂れるようになれば準備してやるから教えてくれ。」
そう告げるとシュラはデスマスクに布団をかけて部屋を出て行った。

 Ωの発情期とは、受胎を熱望する体が種を求めて激しく疼くらしい。自らの存在を知らせるためにフェロモンを発し、生殖本能の強いαを誘う。Ωの本能を拒否する者は薬や道具などを使って鎮めてはぶり返し、また鎮めてはαを求めて熱くなる体に耐え続ける。耐えられなければαの匂いを探り、求めて、自ら彷徨い歩き、襲われに行ってしまうΩもいる。個人差があるとは言え、そのような極限状態を目撃されてしまうのはシュラ自身も絶対に嫌だと言い切れる。なので、症状の重い数日間だけでも一人で乗り越えられる環境を整えてやりたかった。
αを頼れば発情期の抑制剤を服用しなくても症状が軽くなると言われるが、まだ15歳である。デスマスクに勧めるには無理があった。避妊薬を使うとしても妊娠のリスクは排除できないし、何よりも発情期中αに頸を噛まれると"番"という、一生をそのαに捧げ解除のできない肉体関係が成立してしまう。フェロモンに誘惑されたαが見ず知らずのΩを噛んでしまい、取り返しがつかなくなるという事件が度々報道されていた。それを苦にして自殺してしまうΩもまた。ただ、その番関係もαとΩ双方に愛情があるのならば最高の幸せを得られるものであった。αからの愛情でΩの発情期も軽くなり、噛まれる事で頸から発せられるΩのフェロモンも、番となったαにだけ届くように体が作り変わる。見知らぬαを誘惑してしまう事も、される事も無くなる。正しい番関係は、愛するΩを他のαから守る唯一の方法だった。

 一階にある居間のソファーに腰掛けてシュラは考えた。いつかはデスマスクも番を受け入れる時が来るのだろうか。その前に聖戦が始まってしまうだろうか。今の体のまま戦いに出る事は…。発情期の最中に聖域が攻め込まれればデスマスクをここに残してシュラが戻るだけで済むが、戦闘中に発情期が始まってしまったらデスマスクを連れ出せる余裕なんてあるのだろうか。実際にサガはどこまで考えているのだろう?以前デスマスクと話した時は考えても答えの出ない先のことについて有耶無耶にしてしまった。前例の無いΩの黄金聖闘士…まさか、デスマスクを保護し続ける目的は戦力とは別に本気でα黄金との子どもを作らせるつもりでは…?秘密が守られているとはいえ、聖域外の連携している医師たちにもΩ黄金の存在は知られている。仮にデスマスクが黄金聖闘士を解任され聖域を出たとしても稀少な存在を手にしたい者が湧いてくるはずだ。
「…結局、あいつが安らげる事はもう無いのか…?」
いっそのこと、二人でずっと誰にも知られず暮らし続けていけたらとも思ったがそんな事を成し遂げるのは無理だとわかるし、そもそもデスマスクのためにそこまでする必要があるのかとシュラは我に返った。いつからか、デスマスクの事を考えてしまう。βだから頼むぞと、サガやアフロディーテから任されたためと言えばそうだが、それだけではない。Ω判定が出る前…出会った時からずっと、シュラは心の奥底でひっそりとデスマスクを見つめ続けていた。

 部屋からシュラが去った後、デスマスクは薬の影響もあってかそのまま眠りに落ちていた。ふと目が覚めると陽が傾いて薄暗くなってきている。トイレに行こうと部屋を出たら、下の階からシュラが台所で何かを作っているような音と匂いが漂ってきていた。あいつ、料理できるんだなとぼんやり思いながら部屋に戻り、冷蔵庫から水を出して抑制剤を飲む。また布団に潜り、いや、お湯を注ぐだけで完成する類のものかもしれないと考え直した。
一息ついて、ぼうっと部屋を見渡してみる。直接言ってくることは無かったが、シュラはデスマスクをベッドに下ろしてから部屋を出るまで「見てみろ凄いだろ」っていう自信に満ちた顔をずっとしていた。余裕が無くて何も返せなかったが、自信ありありで少し鬱陶しい感じがα由来のものでないと言うならば素でタチが悪いとしか思えない。
「あれでβなのか…」
自分でフェロモンが出ているのかどうかはわからない。何の動揺もしないシュラは当然感じられないようだ。今回初めて飲む抑制剤が効いてフェロモンが抑えられているのかすらわからなかったが、今のところ体に触れたい衝動は抑えられている。シュラに抱き上げられた時も平気だった。だからおそらくこの怠さは副作用が強く出ているのだろう。

 シュラは初めて会った時から苦手だと感じた。誰とも上辺は適当に付き合えるデスマスクでもシュラを前にすると声が詰まってしまうことが時々あった。アフロディーテもそれは知っていて、でも彼は「苦手というより…」と言葉を濁した。
Ω判定が出る前から、シュラの気配に油断すると自分を見失いそうな感覚に陥る時がある。全てを捨ててダメになってしまいそうな。悔しいけど、こいつはかなり力のあるαなんだろうなと思っていた。だから、どうしてもβという判定に納得がいかない。双魚宮で初めての判定結果に愚痴っていた時、シュラが先に帰った後でアフロディーテの意見も聞いた。アフロディーテはデスマスクが思うよりシュラはβっぽいと感じていた。また、デスマスクがΩだったからシュラにはαになってもらいたいのでは?とかおちょくってきた。
何だそれは、自分一人がΩというだけでもキツいというのに、シュラにはαになって欲しいってほんと、それ何なんだよ?「αであるはずだ」とは思うが「αになってほしい」はちょっと違う。デスマスクが仮にαだったとしても思わないだろう。むしろシュラがβで愉快なくらいだ。αになってほしい、だなんて。そんなの…そんな、求めるように乞うことなど…。認めたくなかった。

 改めて部屋を眺める。調子に乗った顔を見せられるのは腹が立つので本人に伝える気は無いが、この隠れ家はデスマスクの意見もしっかり取り入れた上でシュラの配慮が尽くされており、よくできている。蝋燭と薪で生活させられていた修行時代のボロ小屋とは比べ物にならない。町外れだろうしどうやって電線を繋いでいるのかとかガスがどうとか気になるが、聖域の裏技を使ってどうにかなってるのだろう。積み上げられたティッシュ箱の多さは生々し過ぎて笑えるが。
あれからまた何冊も雑誌を買って読んでいたのだろうか?Ωの事を知り尽くしているなと思った。一階がどういう作りになっているのかまだ見れないが、ピークが過ぎるまでシュラはこの下でひたすら鍛錬でもしながら過ごすのだろうか。あいつ暇な時は何をして過ごしているのだろう。長い付き合いなのによく知らなかった。庭はあるのか?窓の外は木しか見えなかったがどんな場所なのだろう。この部屋、忙しい合間を縫って作ったんだよな。サガに頼まれて、Ωになっちまった俺なんかのために。面倒くさいと思いながらも手を抜くこと知らねぇで、キッチリやったんだろうな。俺のこと…考えたりしながら準備したんかな…。今、お前と喋りたいかも…。あぁ…コレが終わるまで来てくれないのか…。別に…お前なら…来てくれても、いいんだけどな…。
 再び抑制剤の副作用からくる眠気に襲われたデスマスクは、うつらうつらとシュラの事を考えながら眠りに落ちた。

ーーー
 バサッバサッ
何かをはたくような音でデスマスクは目を覚ました。カーテンを閉めずに眠っていたので陽の光が差し込み、部屋の中は明るかった。
「朝、か…」
今度はパン、パンと聞こえてくる。ぼやんとしながらベッドから降りて、気になる音を探って窓の外を覗いた。外の景色は青い空と深い緑の森がひたすら広がっている。遠くは霞んで、境目が雲なのか海なのかよくわからなかった。またバサっと聞こえてすぐ下を見ると、家の前の狭い空間でシュラが洗濯物を干している。磨羯宮の私室に入る事は滅多に無かったし、シュラのこういう日常風景を見るのは新鮮だった。
洗濯も人並みにできるのか…
とぼうっと見つめていたら、不意にシュラがこちらを見上げて手を振ってきた。
「あ…」
思わず手を振り返したが、自分がした事が急に恥ずかしくなり、シャッ!!とカーテンを閉めてベッドに戻った。その直後、体が熱いと思って抑制剤を慌てて飲んだ。直ぐには効かない。
「くそっ…!」
熱い…突然火が点いたようにお腹がジンジンしてくる。早く効け!と、効果が出るまでの気休めにベッドの上で冷たい水を口の端から溢しながら何度も飲み込んだが、もうそういう問題ではなかった。
「あぁ…く、そぉ…っ!」
外から時折洗濯物をはたく音が聞こえる中、デスマスクは疼く体を捩らせながら下着の中に手を伸ばした。

 シュラは朝起きて洗濯機を回し、その間に朝食を摂った。全自動が買えるくらいのお金は支給されていたが、自分が使い慣れていた二層式の洗濯機を隠れ家にも買ったため途中で洗い終わった衣類を脱水機に移し替えて水を切る。そして朝食の片付けも終えてから外へ洗濯を干しに行くというのは修行時代から変わらない朝の生活習慣だった。
聖域に来て数年は洗濯や部屋の掃除を磨羯宮の従者に任せていた事もある。しかしサガが起こした事件以降、磨羯宮からは従者を払い一人で生活するようになった。アフロディーテも同じだったが、デスマスクだけは聖域に来て1ヶ月くらいで従者を払っていた。どちらかと言えば従者をこき使うタイプに思えたので当時は意外だったが、デスマスクについて知るほどそうなるのは当たり前のことかと納得した。
そんな事を考えながら外で洗濯物を干していると、背後にデスマスクのコスモを感じた。振り向けば窓からこちらを覗いていたので何気なく手を振ってみれば向こうも振り返してきた。直後、カーテンを閉められてしまったが、2、3日は全く姿を確認できないつもりだったので少し安心して笑みが溢れた。

 発情期の間、シュラがやる事は正直ほとんど無い。聖域内でやっていた事は事務処理より雑兵や聖闘士たちの監視、候補生への指導、逃亡者の処刑などで外に持ち出せる仕事は無かった。体を鍛える以外に趣味と言えるようなものも無い。いや、デスマスクのΩ判定が出てからはΩについて調べる事が趣味のようになってはいる。今はαからの威圧に対抗する術を学びたいと思っているが、自分が見た限りの本ではそれに関する記述がほとんど見られなかった。研究する価値がありそうなものだが、優秀なαの研究者であるほど追求するほどのものでは無い、αには敵わないのだから目を逸らしておけばいい、そんな感覚なのかもしれない。コスモをより研ぎ澄ませば凌げるだろうか?やはりコスモとは別の感覚を刺激するものなのだろうか。

 性の違い…世の中には生まれ持った男女の肉体と心の男女が噛み合わない者がいる。第二の性にもそういうものはあるのだろうか。単に、理想としていた性とは違う悔しさではなく、本来持って生まれるべきだった第二性の食い違いが。上辺の恋愛感情を超えてどうしても特定のβに惹かれるΩとか、βに惹かれるαがいてもおかしくないと思う。誤診断自体は実際に報告されているが、誤診ではなく、確かにβであるはずなのにαと互角の力を持つ者くらいいるのではないか?
例えばデスマスクだってαに匹敵する力を持っている。少なくとも聖闘士ではない並のαに比べれば遥かに強く優秀な能力を持って黄金聖衣を勝ち取った。確実に能力は高いはずなのに、なぜ遺伝子はΩが強いのか。なにか…別の強い力によって姿だけΩに歪められてしまった…そう言われた方が納得できる。それが神であるのか何なのかはもちろんわからないが。
シュラ自身もα並の力を持ちながらβに振り分けられた。たまたまと言えばそうだが、この状況…考えようによってはまるでデスマスクのためにβになったようにも思えないか?シュラがβでなければ誰がデスマスクの世話をしていたのだろう?一定の距離を保っていた二人がなぜここで交わった?それもαとΩではなく、βとΩとして。
自身の第二性に抑え付けられているだけで、αの力が眠っているとは考えられないか?夢のような話に過ぎないか?突然変異種やイレギュラーを起こす個体は必ず存在する。それが長い歴史においては進化の第一歩でもあるのだから。聖闘士たちが切り拓いてきた能力もそうだ。βが、αに対抗する術が自分の内側に隠されていないだろうか…。
シュラは自室のベッドの上で静かに目を閉じてみた。息を整え、自分の心に目を向けるつもりで。

 月のない空を、二つの星が強い光を放ちながら、追いかけるように長い尾を引いて流れていく景色が浮かんで、消えた。

ーつづくー
※ストックが無くなったので少し間があきます。

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