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そこはかとなく

そこはかとない記録
2023
12,24
 聖域に戻り教皇宮からの帰り道でシュラに「双魚宮へ寄るか?」と聞かれた。デスマスクが言ったことをいちいち覚えていて、アフロディーテに全身の傷を治してもらいたいか、という事だった。今なら俺が付いていてやれるからと。正直、デスマスク自身深い意味もなく言った事なので「いい」と断った。
「痕がなかなか消えないな…」
「俺っぴのお肌デリケートだからな。でも聖闘士の回復力半端ねぇの知ってるだろ?」
デスマスクの戦い方で流血沙汰になる事は少なかったが、格闘系のシュラは安易に血を流して帰ってくる。修行時代から数え切れない程の傷を負っているはずだが、そのほとんどは綺麗に治っていた。
「それは解るが、あまりαを刺激したくない。聖衣ではどうしても肌を露出してしまうだろ」
シュラはマントを外して、隠すようにデスマスクの肩へ掛けた。見えると言っても上腕だけ。そんなに警戒する?と思ったが、インナーでも着といてやるよと伝えた。
「ここから夏本番で暑くなるというのにな、私服も長袖生活か…」
「無理にとは言わないが、その方が良いと思うぞ」
「過保護…」
双魚宮を通過して磨羯宮が見えてきた時「巨蟹宮まで行く」と当たり前のようにシュラはデスマスクを送り届けた。

 それから半月くらい経ってようやく、デスマスクは薬の用量が増えたにも関わらず全く効かなかった旨を医師に相談した。結論から言えば"純粋ぶってないで突っ込め"。今回の問題は薬ではなく、体内を癒せば効果が伴ってくるだろうという事だった。別の種類の薬もあるが、それは今後現れるかもしれない症状のために今はまだ使わない方が良いという判断らしい。
余談として、例えば全身麻酔で眠ってしまえば意識を失う事はできるが、24時間体制で管理されなくてはならないし1日が限界だという。まぁ現実的ではない処置だ。だから突っ込めとのこと。
まだ17歳だし抵抗はあるだろうけど…と、Ω用品を開発している企業が製品紹介を兼ねて発行した"発情期の癒し方に関するやさしい解説ーΩ男性用ー"みたいな冊子を手渡された。発情期の乗り越え方に迷いがあるΩを、大丈夫だよ、恥ずかしいことじゃないよ、怖くないよ…と、その気にさせて誘導するパステルカラーの冊子。巻末には通販用の申込書付き。パラパラ捲って、逆に怖ぇわと引き出しに封印した。
個人差があるとは聞くが世の中のΩたちは皆これを経験しているのかと思うと、理性を失って自ら犯されに行ってしまうΩを責めるなんてとてもできないなと思った。ただ、αの恋人がいるΩには必要の無い悩みなのだろう…。
「好きな奴がαとか、そんな都合の良い環境の奴ばかりじゃねぇだろ…」
この数日後、シュラとすれ違った時に話をする機会があった。次はどうにかなりそうか?との問いに、考えがあるから気にすんな、と明るく答えておいた。
「あいつに負担をかけさせねぇためにも、俺が頑張るしかねぇな…」
次の発情期が来る前にデスマスクはイタリアにあるΩの専門店へ足を運び、以前脱衣所で見たシュラの体を思い出しながら買い物を済ませた。
 
 季節は秋も終わり冬に差し掛かる頃。あれからデスマスクは発情期になっても暴れ回っている様子はなく、以前と同じリズムに落ち着いていた。傷もすっかり消え去っていて増える事もない。薬の変更は無いようなので、他に解決策があったのだろうとシュラは思っていた。

 ある日の夕方…とは言え、もう日も沈み薄暗い聖域。仕事を終えたシュラが十二宮の階段を駆け下りていた。今、デスマスクは発情期の真っ只中だが症状は落ち着いてきたので日帰りで戻って来ている。読むつもりだった本を部屋に忘れてきた、と言うので帰り際に巨蟹宮の私室に向かい、扉を開けようとした。
――瞬間、思わずドアノブにかけた手が止まり、違和感を持つ。ゆっくり開けてみると誰も居ないようだったが、居間の扉を開けてシュラは息を飲んだ。
「なにが、起きた…?」
本や書類が部屋に散らばり、いつもはソファーの上に置いているクッションが床に転がっている。
発情期中はデスマスクの力が不安定となり黄金以外でも侵入できてしまうのかもしれない…。何かデスマスクに怨みでもある者の仕業か…?!
荒らされた物を拾い集めてからシュラは他の部屋へ向かった。浴室、洗面、トイレは問題なさそうだが、寝室は――。

開けた瞬間に鼻をつく、嫌な臭い。
言葉を失ってから答えに辿り着くまで時間はかからなかった。

―― ア ル ファ !! ――

腹の底から低い唸り声を轟かせたシュラは、ベッドのシーツを力任せに引き剥がした。すぐさま部屋のカーテンを引き、勢いよく窓を開ける。籠から引っ張り出され、散乱している衣類。一着の鍛錬着が汚されている事に気付き、これでもかと右手を振って刻み尽くした。
信じられない…!何者かがここへ侵入し、好き勝手に欲望を撒き散らしていくなど…!!誰だ?!黄金か?白銀か?名も知らぬ雑魚どもか?!
「αとは…こんな野蛮なものなのかっ…」
シュラはやるせなさに肩を落とした。Ωの発情期も自分はきっと、デスマスクだから優しく寄り添える事ができるのだろう。理解のない者からすればΩの衝動は動物的で軽蔑の対象に見られやすい。αと言えばまだ世界を支えられる突出した能力や力強さで憧れの対象に見られる事が多い。気高く、頼もしい存在。しかしΩのフェロモンに誘惑される本質はコレだ。αが引き起こす事件が報道されても人々は目を逸らす。"そこにΩがいなければ…"それで終わり。
「はぁ……」
アフロディーテから察するにαにはαの苦悩があるのはわかる。今回意図的に侵入したのでなければ、デスマスクの残した僅かな匂いに自制が利かなくなってしまったのかもしれない…。あいつのフェロモンは、いつから溢れ始めているのだろう…。
窓から初冬の冷たい風が吹き込んでくる。シュラの沸騰した怒りは急速に鎮まっていった。荒らされた衣類を集めながら汚されていないか確認する。念のため全て洗うしかない…と、部屋の隅に積み上げておいた。汚されたものは全て処分、鍛錬着は新品を用意…
「遅くなるな…」
デスマスクが夕食を待っている。続きは明日の朝一に行う事にして、シュラは部屋の窓を閉め再びカーテンも引いた。

 隠れ家に戻ると、シュラの気配を感じてデスマスクが部屋からヨタヨタ歩いて下りてくる。頼まれていた本を手渡せば「あんがとぅ」と言って軽く笑った。ソファーで横になって、シュラのご飯を待ちながら本をペラペラ捲っている。
このデスマスクをαの手に渡してしまうと…あの部屋のように滅茶苦茶にされてしまうのだろうか…。
シュラの心の奥がジリ、と痺れた。
"渡すものか…"
しかし、どれだけ拒否をしてもαに滅茶苦茶にされたいというのがΩの本能だというのなら、こいつにとっても悦びとなるのだろうか…。
"そうはさせない…"
ゆっくりとソファーに近付き、シュラは跪いた。「ん?」とデスマスクが顔から本を下ろす。今日は薄茶色の保護首輪を着けている。そっと手を伸ばして撫でた。「何だよ」とは言うもののデスマスクも止めはしない。シュラが何か大切なものに触れている感じが伝わってきたから。
「…αにでも変異したんか?」
適当に言って、再び本を顔まで上げそちらに視線を戻した。
「…とてもそんな気にはなれないな…」
デスマスクは"そうとは思えない事してるのだが…"と思いながらも、シュラが食事を作り始めるまで好きに触らせた。

 デスマスクの私室が荒らされているのを目撃してから次の発情期の時は何も起きていなかった。しかし、そのまた次の発情期には再び侵入され荒らされていた。シュラが部屋を綺麗に整えた後に何者かが侵入した様子は感じられない。やはり発情期の直前にフェロモンが漏れ出ているのか、侵入されているのは発情期開始直後だろうと予想した。張り込んでみたいものの、発情期のピークはデスマスクのそばを離れたくない…。私室への扉に鍵を付けてしまいたいが、黄金であれば呆気なく砕かれてしまいそうだ。それにこの出来事をシュラはまだデスマスクに話せないままでいた。神経質な面があるため、新品の鍛錬着やシーツに気付いていそうな気はするが…今のところデスマスクの方からシュラに確認される事は無かったため、わざわざ不安を煽ることは避けたかった。

ーつづくー

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