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そこはかとなく

そこはかとない記録
2023
12,22
 初めての発情期から2年が経ち、デスマスクも17歳を迎えた6月下旬。11回目の発情期に備えて二人は隠れ家へ移動した。その3日後に発情期は始まったが、デスマスクは今までと違う疼きに身を捩った。鎮めようと肌に触れて疼きを逃そうとしても気休めすら感じられない。
「どう、した…?!」
抑制剤は事前に服用している。完全に効かないことはよくあったが、全く効いていないと思える程の強い疼きに恐怖を感じた。
やばい、あつい、どんどん熱くなる…。
お腹、あつい、おかしい…おかしい…こわいぃ…!!
必死に肌に触れても、吐き出しても、欲望が止まらない。甘くシュラを想おうとしても迫り来るΩの本能でかき消されてしまう。
あぁ、あぁぁ…ちがう、これじゃないぃ…。
しり…尻の中ぁ…なかからもっと奥をさわりたいぃ…!
今まではどうしても躊躇って肌に触れるだけに留まっていた。それでも発情期をやり過ごせていた。なのに今回は違う。苛む疼きが腹の奥から響いてきてとにかく直接触りたい。体内を癒すためのグッズも売ってはいるが、初めてはちゃんと好きになった人がいいとか純粋ぶってそれすら受け入れていなかった。
あぁ…これがΩか…黄金の俺でさえ、こんな気色悪い本能に支配されて…色狂いのバケモノみたいになっていくのか…っ!
こんな強い欲に支配されると、自分が何をしでかすかわからなくて怖い。自分を信用できない。
「は、あ…シュッ…ァ…!」
途切れる意識の隙間に見え隠れするシュラの幻を繋ごうと、デスマスクは自らの肌に爪を立てた。


――一緒にいるだけでは足りない、俺はお前と結ばれたい…男と男では…αとαでは駄目なんだよ…俺は、お前に噛まれたかった…――

そこは、森の中…山の中…?雪がチラついている。そうだな、俺も思う…結ばれなくとも、そばにいれるだけでいいと願っても、βとΩでは駄目だったのだと……


 一階の自室で瞑想にふけっていたシュラは、ドスン!という物音と揺れに目を開けた。上からの音だ。何か大きなものが倒れたような。それが2日間、度々起こった。デスマスクがベッドから落ちた?そんなに何度も…と疑問に思うが発情期の朦朧とした状態ならあり得なくもない。ただ、今までそんな事は無かったが。
窓から様子がわからないかと外に出て眺めてみたものの、しっかりカーテンが閉められていて何もわからなかった。どれだけ気になってもコスモの乱れを感じても、シュラが部屋の扉を開ける事はしなかった。中へ入るのはコスモが途切れた時だけだ…。体に関してはシュラが行ったところで何もしれやれない。βではΩの発情期は癒せない。シュラはため息をついて、鞄から出したスケジュール帳にデスマスクの様子を記録した。

 上からの物音が始まって3日目の夜、シュラがシャワーを浴びていると階段から転げ落ちるような音が響いて揺れた。慌てて泡を洗い落とし、体を拭いていると脱衣所の扉が少し開く。
「ここかぁ…」
隙間から、身を屈めているデスマスクが覗いてきた。
「お前っ開けるなよ!それより今落ちてきただろ!大丈夫なのか?」
ろくに整えず雑に服を着て、今行く、と大きく扉を開けた時。
「痛ぇよ、ぜってぇ骨折れたぜ」
そう言って廊下に座り込み、俺を見上げるデスマスクの姿に血の気が引いた。金の首輪にバスタオルを羽織っただけの姿、白い肌に血の滲む筋がいくつも散らばっている…。
「へへ…気持ち悪ぃ?…はやく、洗いてぇの…」
言葉を失うシュラを見て少し俯く。きっと、正常な判断ができるようになっていればこんな姿をシュラに晒すことはしなかっただろう。
「お前、まだ終わってないのか…?」
「んふふ…おれさ、すげぇ頑張ったんだよ…」
そう呟きながら這ってシャワー室の中へ向かおうとする。シュラは迷った。手を貸すべきか引くべきか。脱衣所にバサっと羽織っていたタオルを捨て、シャワー室の中で立ち上がろうとしていた。ついさっきまでシュラが使っていて、慌てていたから床に泡も残っていた、そこへ――
「ひぇっ……」
「くそっ!!」

――ドッ!!

足を滑らせたデスマスクを咄嗟に庇って抱き止めたシュラはそのまま体を床に打ち付けた。
「……わりぃ、濡れたな……」
もぞ、と起きようとするデスマスクの体にはほとんど力が入っていない。
「自分で、できるのか?」
デスマスクを支えながら上体を起こす。
「座ってなら、多分…。シャワー取ってくれよ」
シュラの上に乗ったままのデスマスクをゆっくり床に座らせ、シャワーヘッドを掴んで渡した。
「出る時も無理するなよ。呼べば出してやるから」
「あー、そうだな…。けど、別の部屋で待てよ?まだピーク過ぎただけだから、変な音…する、かも…」
「……わかった」
バタンとシャワー室を閉め、シュラは自室まで行って濡れた服を着替えた。洗濯かごへ持って行こうと部屋を出たが、脱衣所だったと気付いてやめた。そのまま居間のソファーへ静かに腰を下ろす。
…爪で引っ掻いたような傷がたくさん、どこかに打ち付けたような痣もあった…。
薬が効かなかったのか?副作用で暴れたのか?今回だけだろうか?これから毎回なんて、見てられない…。目を閉じ、額に手を当てて考える。戻ったら医師と相談させるにしても先ずは傷だ。少しでもコスモで癒やしてやりたいところだが、あの様子ではまだ触れない方が良いのだろう。
「薬…」
コスモ治癒が叶わなければせめて薬でもと箱から軟膏を探して用意したが、シャワー後にデスマスクから声がかかることはなかった。
「自力で戻っていったか…」
誰もいないシャワー室を確認して、寂しく思った。

 翌朝、階段から落とされていたバスタオルに滲む血を見てシュラは目を細めた。こういう汚れたものはいつも自分で洗っていたようで今回が初めてだ。現場を見られているからデスマスクもシュラに洗わせる事を気にしなかったのだろう。手洗いが必要だなとシャワー室に桶を置いて湯を張る。バスタオルを沈めようとする直前、突然の好奇心に抗う間もなくシュラは鼻にバスタオルを当てて匂いを嗅いでみた。
…何も、わからない…
湿った水の匂いとうっすら血の匂いがするような…ただそれだけ。Ωらしいものは感じない。デスマスクの匂いも。…元々そんなもの知らないが。今もこの家はΩのフェロモンに包まれているのだろう。全くわからない。αであればそれを感じる事ができた。デスマスクを感じることができた。…狂わされる程に…。シュラはαに対する嫉妬を抑え込むようにバスタオルを桶の中へ沈めた。

 その日の夕方、デスマスクは昨日に続き現れてシュラに夕食を要求した。Tシャツから出た腕や胸元の傷は隠す気も無く丸見えで、シュラは昨夜用意しておいた傷薬をデスマスクに渡した。
「傷の数すげぇあるから塗るの大変過ぎるのだが…」
「酷い部位だけでも塗っておけ」
ソファーに横たわり手に取った傷薬を指先でクルクル回しながら、デスマスクはぼんやり呟いた。
「アフロがいればなぁ…コスモでパァァァ〜って…」
瞬間、空気が変わった。
「…まだそんな事言う余裕あったんだな」
突然の冷めた物言いにデスマスクは顔を上げてシュラを見る。
「…どういうことだ」
「αとして警戒しているくせに」
声が低く短く鋭い。こちらを見ていない。
「でも俺、あいつのこと嫌いじゃねぇよ…そういうモンとは別って解るだろ?」
「……」
「…いい、もう喋るな、怠い。早く飯作れ!」
何故かピリついたシュラの気配にデスマスクは話を切り上げた。腹が立つと言うより、アフロディーテとの関係を勝手に壊された物言いが悲しかった。そういう事は理解してるはずなのに。お前とは変わらず何でも気軽に喋れると思っているのに…。

 デスマスクの体調に合わせて小皿にほんの少し盛られただけのリゾットは机の上に無言で置かれた。無駄に一から作らないぶん味はいいが、喉を通らない。発情期のせいではない。雰囲気が悪い。βのくせに、αとも違うシュラの圧力を意識してしまう。
…でも食べたい…
と思って数口の量をゆっくり食べ切った。カツーン!と音を立てて皿の上へスプーンを置く。聞こえているだろうが皿を下げに来る気配はない。シュラは自分の分ももうできているはずなのに、同じ机に来て食べようともしなかった。ずっと流し台で鍋とかを洗っている。せめて何か切っ掛けがあれば、重い空気を打開できたかもしれないが…。
このままテレポートをして消えたいと思ったけれど、体がまだ辛いので立ち上がって部屋を出た。シュラは一度もこちらを振り返ろうとしない。傷薬はわざと机に置いてきた。気付いても、あの様子ではわざわざデスマスクを追いかけてくることは無いだろう。

「俺、今発情期なんだぞ…」
部屋へ戻ったデスマスクは呟いてから口を固く結んだ。今だけは問答無用で優しくしてほしい。不安になることはしないでほしい。特に、今回は症状が重いのに…。ジリ…と腹の奥が疼く感じがして煩わしく、思い切りベッドを蹴った。その音を、シュラは歯を食いしばって聞いていた。

ーつづくー

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